2018/7/16 改訂

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黄表紙

金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ) 
 

二巻二冊

恋川春町著・画   安永四年(1775年)

原データ 東京大学付属図書館 霞亭文庫




解説

 謡曲「邯鄲(かんたん)」の翻案。主人公金村屋金兵衛が、栄華を望んで江戸へ出て粟餅屋の店先でうたた寝をして夢をみる。夢の中で金持和泉屋の養子になって栄華を極めるが遊蕩して勘当されたところで目が覚め、人間一生の楽しみも粟餅一炊のうちと悟って故郷へ帰るという筋。
 恋川春町(こいかわはるまち)(1744~1789)は江戸中期の狂歌師・黄表紙作者・浮世絵師。本名、倉橋格。別号、寿山人・酒上不埒(さかのうえのふらち)。駿河小島の松平家の臣。江戸小石川春日町に住み、恋川春町はそのもじり。「金々先生栄花夢」「高漫斉行脚日記」などにより黄表紙創始者の位置を占め、それらはすべて自画作。草双紙は、この作によって、青本・黒本の時期から黄表紙の時期に移ったとされる。


①原文は殆どひらがなで書かれていますが読み易さを考慮して適宜漢字に直し、また濁点を補いました。句読点を適宜加え、改行は序文以外は適宜改めました。
②助詞の「は」「ば」「に」等は底本表記のままにしました。
③会話の部分についてはその人物を( )で記入し、会話文には「 」をつけました。
底本の誤字・脱字と思われる個所は( )内にそれを補いました。
注は各見開きの下に、慣用句・諺は○印で記しました。
 


   




  安永四未春
 
 
金々先生(きんきんせんせい)栄花夢(ゑいぐハのゆめ)
     上之巻
      
通油町蔦屋板








 
 
蔦屋 江戸時代の出版書肆(しょし)の屋号。
  安永(1772~1781)頃、江戸日本橋大伝馬町二丁目に
  あった地本(じほん)問屋。通称は蔦喜(つたき)。
  蔦屋重三郎の本家かという。初め江戸吉原大門口に、
  のち日本橋通油町に移った。

  安永四未 1775年




 
 序
  文に日く浮世(ふせい)ハ夢の如し。(よろこび)をなす事
  いくばくぞやと。誠にしかり。金々先生の一
  生の栄花も2邯鄲(かんたん)のまくらの夢も、
  ともに粟粒(ぞくりう)3一すひの如し。金々先生ハ何人と
  いふことを知らず。
  おもふニ
4古今三鳥の伝授の如し。金ある者
  ハ金々先生となり、
  金なきものハ
5ゆふでく6頓直(とんちき)となる。さすれハ
  金々
先生ハ一人の名にして壱人の名ニあらず。
  7神銭論にいわゆる、是を()るものハ前にたち、
  これを失ふものハ(しりへ)にたつと。それ是、これを
  言ふかと云云。
      画工  恋川春町戯作
(意訳)   序
 書物に曰く「
浮世(ふせい)は夢の如し。
 
(よろこ)びをなすこと幾ばくぞや」。
 本当にそのことわざの通りである。
 金々先生の一生の栄花も、
邯鄲(かんたん)の枕の夢も、
 ともに 粟粒(ぞくりゅう)一炊(の夢)と同じようなもの
 だ。
金々先生がどういう人かは知らない。
 考えてみるとあのわけのわからない古今三
 鳥の伝授のようなものだ。
 金ある者は金々先生となり、金のないもの
 は
田舎者のとんちきとなる。であれば金々
 先生は一人の名にして一人の名ではない。
 神銭論にいうところの「金を得るものは人
 前に立ち幅をきかす。金を失う者は後ろ
 に居る」と。
 それやこれ。ここまで云うかという話だ。
    
     画工 恋川春町戯作
浮世は夢 
 李白の[春夜宴桃李園序] の一節。このはかない人生は夢の
 ようなのもで、楽しい思いをすることはどれほどのもので
 あろうか。
邯鄲の枕[李泌、枕中記](官吏登用試験に落第した盧生と
 いう青年が、趙の邯鄲で、道士呂翁から栄華が意のままに
 なるという不思議な枕を借りて寝たところ、次第に立身し
 て富貴を極めたが、目覚めると、枕頭の黄粱(こうりよう)
 がまだ煮えないほど短い間の夢であったという故事)
 人生の栄枯盛衰のはかないことのたとえ。邯鄲の夢。
 黄粱一炊の夢。盧生の夢。
粟粒(ぞくりゅう)アワのつぶほどの極めて小さいもの。
 一すいは一炊と一睡を掛ける。人生の富貴栄華のはかなさ
 のたとえ。

古今三鳥 古今和歌集の中の語句の解釈に関する秘説
 などを特定の人に伝授すること。三木・三鳥が中心で、
 切紙伝授を生じた。ここではえたいの知れないものの
 たとえ。
ゆふでく (遊木偶ゆうでくの意ともいう)
 江戸中期の明和・安永頃、江戸深川遊里から出た通言で、
 田舎者の意。
頓直(とんちき) (擬人名「頓吉(とんきち)」の転) 人を
  ののしっていう語。まぬけ。とんま。
神銭論 晋の魯褒(ろぼう)の文。世間の人が銭の力を尊
 ぶのをそしった文章。正しくは銭神論。


(一)
  
今ハむかし片田舎に金村屋金兵衛といふ者ありけり。(むま)れつき心(ゆふ)にして浮世(うきよ)の楽しミをつくさんと
  思へども、いたって貧しくして心にまかせず。よつてつくづく思ひつき、繁華(はんくわ)の都へ出で奉公を
  稼ぎ、世ニ出て思ふまゝに浮世の楽しミを極めんと思い立ち、まづ江戸の方へとこゝろざし
  けるが、名に高き目黒不動尊ハ運の神なれバ、これへ参詣して運のほどを祈らんと(まふ)でけるが、はや
  日も夕方になり。いと空腹になりけれバ、名代の粟餅を食わんと立ちよりける。

  
金兵衛「なんでも江戸へ出で、番頭株とこぎつけ、そろばんの玉はづれを、しこため山
      と出かけて、(おご)りお極めましやう」
  
金兵衛「もしもし、もはや何時でござりましやうの。一膳、ちよとたのみます。」
  
女  「あい、おゝかた昼過ぎでござりましやう。奥へお通りなさりませ。」

  そもそも目黒不動尊ハ霊験(れいがん)いちじるしく、あまねく諸人の知るところなり。本尊ハ慈覚大師の作
  にして寺号(ぢごう)を龍泉寺といふ。このところの名産、粟餅ならび(に)餅花といふものあり。
  竹をわりて
華鬘(けまん)のごとくにむすび、これニ赤・白・黄の餅を花のごとくニつける也。
  よつて餅花といふ。 
   
         
番頭株 商家の雇人で、やがて番頭になるべき地位に
 ある者。株
は息株(むすこかぶ)、かみさん株など、
 身分や地位をあらわす語。

算盤の玉はずれ 算盤で勘定した分以外の余分。
 おもてむきでない余分の金。

しこため山 しこたまためる、に山をつけた。
華鬘 仏前を飾るために、仏堂内陣の欄間などに
 かける装飾。



   

 (二)
  金兵衛、空腹のあまり、粟餅屋の奥座敷へ通りけるに、おりしも栗餅ハ、まだでき合セず。
  しばし待ちいるそのうちに旅の疲れニや、すこし眠気きざしけるまゝ、そばにありあふ枕
  引よせてすヤすヤおもハずまどろみける。夢に、いづくともなく宝泉寺の
御免駕寵をつらセ
  黒鴨仕立ての草履取、十壱二の小僧、其ほか手代・番頭おびたゞしく召連れ、先に進みたる
  年輩の男、上下(かみしも)のひだを正し、威儀をつくろい申けるハ、

  
清三の家来 「そもそもわれわれハ神田の八丁堀に年久しくすまい致す和泉屋清三(せいざ)と申
        ものゝ家来なり。しかるに主人清三(せいざ)、だんだん老衰いたし候所いまだ一子なし。
        ことに今年剃髪いたし名を文ずいとあらため候。
        よつて跡式譲るべき人もがなと訪ね候所ニ、さいわいこの度、君出世を望み給ひ、
        これまで来り給ふよし。主人年ごろ信心いたす所の、万八幡大菩薩の告げに
        まかセ、これまでわれわれ来りたり。願わくハ主人
文ずいの望にまかセ給へ。」

  と、無理(に、か)の宝泉寺駕籠に打乗セ、いづくともなく、伴い行くこそ不思議なる。
  金兵衛思いもよらざること、いと不審ニ思ひけれども、これさいわい
福徳の三年目、あいた
  口へ餅、天へも上るこゝちして、則駕籠に打乗りて、いづくをあてともなく出ゆきける。

  
迎えの男・一「うれしヤ、うれしヤ。やうやく若旦那を捜し出したぞ。」
  
迎えの男・二「うつちやつておけ、煤掃(すすはき)ニ出よふと言つたハこのこつたあろう。」 

御免駕籠 江戸時代、奉行の許しにより医師・町人など
 が乗った自家用の駕籠。

清三 操り、浄瑠璃社会の隠語。清三郎の下略。酒の隠語、
 清酒セイザ
というのに掛けた姓名
文ずい 幇間などの隠語。酔っぱらいの意を掛けた姓名。
福徳の三年目 めったにない幸運に出会うこと。
あいた口へ餅 「棚からぼた餅」
煤掃(すすはき)煤払い。十二月十三日の大掃除。



 三)
   
金兵衛かの駕龍に打乗り行くほどニ、ほどなく和泉屋の門にいたりぬ。
  やがて駕籠より出し、番頭手代さきに立ち伴いゆくに、そのすまひの結構さ。
  まことに玉のきざはし・瑠璃の戸ばりとも言つべきありさま、屏風・襖にハ金銀の砂子を
  ならべ、ついたてニ小金の日輪をかゝセ、唐紙にしろがねの月輪をあらわしたり。
  ほどなく(あるじ)の老翁清三(せいざ)立いで、よろこびの眉をひらき、則ち金兵衛へわが名を譲り、
  和泉屋清三とあらためさセ、七珍万宝ことことく譲り、天の
濃漿(こんづ)ともいふべきほどの酒を
  いだし、親子・主従の祝儀の酒宴をぞ始めける。

   
文ずい「ふしきな縁でござる。これから随分と、身上大事にしましやう。」
   
番頭等「首尾よく御家督相済み、いかばかりめでたふ存じまする。」
   
雇女「こんどの若旦那ハ、とんと雷子が物草といふ格好だ。」

 1濃漿(こんづ) 美酒のこと。  2雷子 上方俳優二世嵐三五郎の俳名。



  (四)
 
金兵衛家督を嗣ぎてより、なにニ不足もなけれバ、段々おごりに長じ、日夜酒宴をのミ事となし、
 昔の姿ハ引かへて、今ハ頭も中剃りを鬢のあたりまでそり、髪の毛をバねづミの尻尾(しりを)くらいニして
 本多ニ結い、着物ハ黒羽二重づくめ、帯ハびろうどまたハ博多織、
風通もうる(モール)などゝ
 出かけ、あらゆる当世の洒落をつくせば、類ハ友をもつて集まる習いニて手代
源四郎、太鼓持
 の万八、
座頭の()市なぞ心をあわセ、こゝを先途(せんど)とそゝなかしける。その昔、金村屋
 金兵衛なれバ、その名をとりて諸人金々先生ともてはやしける。
 手代源四郎、芸者をよびあつめて、金々先生をそゝなかす。

  
源四郎「なんと旦那うちでばかりの騒ぎハとんと冴えませぬ。明日(あした)北国へ、いき山と
      おでかけなさりませ。」
  
芸者 「よつヤ アヽヤヽ~、新宿、馬ぐそのなかによ、女郎あるとハつゆしらず。
      きたきたきた讃岐の金毘羅。」
  
万八 「出ますところが嵐雷子(あらしらいし)、たしかかよふにか申ました。」

風通もうる(モール)金銀の線を用いずに織ったモール。
 モールはもとインドのモゴル地方の特産で舶来の織物。
源四郎 操り、浄瑠璃社会の隠語。短呼して、
 「げんしろ」とも。金銭や数をごまかすこと。
 ちょろまかすこと。それを名にして人柄を表した。
太鼓持 遊客の機嫌をとり、酒興を助けるのを仕
  事とする男。幇間(ほうかん)。

座頭 剃髪の盲人。琵琶、箏、三味線等を弾き、また
 按摩、鍼等を業とした。座頭の名は何市と市をつける

北国 (江戸城の北にあたるのでいう) 新吉原の異称。
原文は「引」。「引」は声をのばす記号。



 (五)
  金々先生そゝなかされ、ふと吉原へ行きけるが、それより「かけの」といふ女郎ニなじみ、親の
  意見もなんのその、一寸先ハ闇の夜も、かの手代源四郎・万八をつれて、ひたと(ひたすら)
  歩みをはこびけり。
  金々先生の出たち、八丈八端の羽織、縞縮緬の小袖、役者染の下着、亀屋頭巾に目ばかり
  いだし、人目をすこし忍びけり。

   
万八「旦那のお姿、どうもいへませぬ。すごい、ひやうひやう。」



  
  
 
金々先生(きんきんせんせい)栄花夢(ゑいがのゆめ)
    下之巻  
      
          
通油町蔦屋板  




 (六)
  金々先生傾城かけのにのぼり詰め、今年もはや年の暮れ、折ふし年越の夜なりけれ(バ)、
  かの源四郎がすゝめにて、豆ハ古しと、金銀を升ニ入、節分の祝儀をいわいける。

   
金々先生「福ハ内、鬼ハそと。福ハ内、鬼ハそと。」
   
五市  「これハありがた山のとんびからす。これをもつて検校(けんぎやう)になり、
       山と出かけやう。」
   
万八  「これハきびしい(たいしたもの)。薩摩屋の源五兵衛ときて居る。とんと梅が()
       もどき。ありがありが。」

検校 盲人の最上級の官名。官金を納めることでなること
 がで出来た。
梅が枝 浄瑠璃「ひらがな盛衰記」に出てくる神崎の
 遊女。
小判が二階から降ってくる場面があるという。
 (「黄表紙・川柳・狂歌」日本古典文学全集小学館)



 (七)
  金々先生
北国の遊びもし尽くしければ、これより辰巳(たつみ)の里と出かけ、あらゆるさへを
  つくしけり。されどもにわかの洒落なれバ、さしたる落ちの来ることもなし。
  たゞ阿弥陀の光りも金ほどにて、山吹色をまき散らすゆへ、みな金々先生ともてはやしける。

   金々先生「あゝ降たる雪かな。世になき人ハさぞ寒からん。雪ハ鵝毛(がもふ)ニ似て飛んで
        散乱し、人は
紙子をきて川へはまらうとァヽまゝよ。」
   万八  「この大雪にお駕籠(かご)にも召しませず、
賀蓑の御いでたちハ、ソレヨ、辰巳の里に
        猪牙(ちよき)ハあれど、君をおもへバ(かち)裸足といふ御趣向。おそろおそろ。」


北国 (江戸城の北にあたるのでいう) 新吉原の異称。
辰巳の里 (江戸城の巽の方向に当るからいう) 江戸深川
 の遊里。

○紙子着て川へはまる  無謀なことのたとえ。
加賀蓑 細い草で作り、上に萌葱(もえぎ)糸の網をかけた
 上品な蓑。加賀国の産。



 (八)
  
先生辰巳の里の「おまづ」といふ色ニはまり、毎日歩みをはこび、金銀を多く使い
  けれども、「おまづ」ハもとより(つと)めのならいニて、表向きハふかく金々先生に
  はまりたる気色に見セかけ、内緒にてハ源四郎と色にて、金々先生の目をしのびて
  楽しみける。 茶屋の女、
唐言(からこと)にて合図をし、金々先生を茶にするところ。

   
茶屋の女げコンカシコロウサヨンケガ、 キコナカサカイコト、よしかへ。」
   
おまづ  イキマカニイケクコカクラ、マコチケナコトイキツケテクコンケナ。 
       よくいつてくんねへ」

 (九)
  金々先生今までハ委細を知らず、一すじに真実と思ひ、はまりけるが、今夜の「おまづ」が
  仕打、とかく合点ゆかずとおもひ、大きに
いざを起こし、「おまづ」とも切れてしまひけり。

   
金々先生「どうしやうがこうしやうが、うつちやつておけ、煤掃(すゝはき)にや出やう。」

   
万八 「マア旦那、お()きなさりますな。どういふ経緯(いきさつ)でござります。」

   
茶屋の女「おまづさん、お前ハまあ、かまわずと、あつちへいきねへ。ほんにあきれ
       たとんちきだね。」

唐言 明和・安永の頃、江戸深川遊里で流行した言語の
 遊戯。挟詞(はさみことば)ともいって、カキクケコの五
 音を、ことばの間に挟んで話す。
 たとえば「来なさい」は「キコナカサカイ」となる

  カコト、はさみの言葉をぬくと
 (源四郎さんが来なさい)

ニイケナコトイ
 キテク
 (いまに行くから待ちなと言ってくんな)

いざ いざこざの略



 (十)
  通行の侍ぎやうにお江戸は賑やかだ。」

  金々先生所々にて大きくはめられ、今ハもはや光も失せはて、日頃這いかゞみし者も、知らぬ
  ふりニてよりつかず。無念至極に思いけれども詮方なく、今ハ四ッ手にて押さセる力もなく、
  漸く
ぱつち尻はしよおりに桐の(まさ)下駄と出かけ、心細くもたゞひとり、夜な/\品川へ
  かよひける。

   
金々先生「きのふまでハ金々先生ともてはやされ、猪牙や四つ手ニ乗りし身が、今ハぱつち
       ニ日和下駄、変われバ変わる世の中じやな~。アヽいまいましい。」
   
通行の男「駕寵の衆。こひ(声)かけて早めましやうぞ。」

ぎやうに たいそう
 2ぱつち ばっち 明和頃から用いられた絹の股引



 (十一)
  金々先生日々におごり長じ、今ハ身代もかうよと見へけれバ、父文ずい大きに怒り、手代
  源四郎がすゝめにまかセ、金々先生が衣類をはぎ、昔の姿のまゝにて追出しける。
  手代源四郎、はじめハ金々先生をそゝなかし、多く金銀お使わせ、そのあまりハ皆我が
  手へくすねける。よつて物を盗むこと
源四郎とは申也。
 
  
源四郎「アヽよいざまだ」

 (十二)
  金々先生追い出され、今ハ立よるべきかたもなく、いかゞハせんとあきれはて、途方にくれて
  嘆きいけるが、粟餅の杵の音ニおどろき、起きあがつて見れバ
一すいの夢にして、あつらへ
  の粟餅いまだ出来あがらず。よつて、金兵衛横手うち、われ夢に文ずいの子となりて、栄花を
  きわめしもすでに三十年、さすれバ人間一生の楽しみもわづかに粟餅一臼の内のごとし」と
  初めて悟り、これよりすぐに
在所(ざいしよ)へ引こみける。

   
「もしもし、餅ができました。」

源四郎 操り、浄瑠璃社会の隠語。短呼して、「げんしろ」とも。
 金銭・数などをごまかすこと。ものを盗むこと。また、盗人

一すい 「一睡」と「一炊」をかける。
○横手を打つ 感じ入り、または思いあたった時
 などに思わず両手を打ち合わす。

在所 郷里。




参考

国立国会図書館デジタルデジタル化資料  金々先生栄花夢

  黄表紙「莫切自根金生木(きるなのねからかねのなるき)」へ
  唐来参和著 喜多川千代女画 
(絵双紙屋HP)

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