'98ミャンマー編

海外ボランティア体験の第2弾は、早くから発展途上国での農業指導や植林プロジェクトに取り組み、老舗NGOとも言えるオイスカの植林体験ツアーへの参加となった。 東京にあるJANICで、オイスカ東京支部がミャンマーでの植林ツアーを募集しているのを見つけ、それまでオイスカがどういうNGOなのかも良く知らなかったが、 とにかくおもしろそうだと思い友人とともに飛び込みで参加してみた。

○日   程:1998年8月26日〜9月1日
○主な活動先:@パコック県パガンジー村での植林活動、小学校訪問。A日本人戦没者墓地参拝など


茶褐色の大地

首都ヤンゴンより古都パガンまでは飛行機を利用。ここからイラワジ川を船で渡り、さらに車で2時間近く行ったところが、目的地のパコック県パガンジー村。 写真は、パガン着陸寸前に撮影。ヤンゴンとは異なり、緑はわずかで褐色の大地に蛇行する川の跡が残っている。

研修センターゲストハウス@

我々が宿泊した宿舎。まだ建設中で電気も来ていない。ここで3泊した。

研修センターゲストハウスA

中は大部屋で、蚊帳の付いたベッドの上だけが自分の自由になる領域。結構風通しがよく、居心地は悪くなかった。

苗床

植林に先立ち、植林する樹木の苗を育てている施設を見学。ご覧のとおり、なかなか立派な施設だった。

植林@

植林は、周辺の村々の人たちと協力して行う。100人を超える人たちが集まってくれた。 服装などから判断するに、貧しい人たちであることは明らかだったが、彼らもボランティアで何キロも徒歩で駆けつけてくれたという。

植林A

植林地は、硬くカラカラに乾ききっておりスコップで穴を掘るのは困難。 仮に我々がそんなことをしたら、容赦のない強烈な日差しの中、1つか2つ掘たところでダウンしてしまうだろう。 ゴルフのグリーン上のカップの穴を掘る器具をさらに2回りぐらい大きくした器具でまず穴をあけ、スコップでその穴を広げて苗を置いていく。

小学校訪問@

地元の小学校を訪問。薄暗い講堂の中に全児童が集まり、交流行事が始まる。 大勢の児童の熱気と、窓という窓から地元の人たちが中を覗こうと立ちふさがっていることにより、外から新鮮な空気が入らず、息が詰まりそうになった。

小学校訪問A

児童たちによる歌や踊り、お芝居等が披露された。

大移動?

小学校から、同じ村の中にある焼き物工場(とっても小さな民家で手作業で行われているものだったが)を見学するため、歩いて移動しようとしたところ、なぜか村の人たちが大勢ぞろぞろとついて来た。ここでは外国人が相当物珍しいのだろう。

氾濫するイラワジ川

パガンからマンダレーへと移動中の飛行機から撮影。今度は一転、イラワジ川が氾濫して、田畑だけでなく、住宅まで水没しているのが見られる。 パガンの乾ききった大地を見てきた後だっただけに一瞬目を疑う。後にその水没したエリアのそばをバスで通過したが、地元の人たちにとっては毎度のことなのか、水際に悠然と掘っ立て小屋を建て、家畜とともに普通に生活している様子だった。 これが日本だったら国を相手取っての訴訟ものだろうが、軍事政権のこの国ではそれはあり得ない。

日本人戦没者慰霊碑@

マンダレーの隣町、ザガインの高台、ザガインヒルに、日本人が建てた日本人戦没者のための供養塔がある。ツアーに参加した人の中には、これを目的に参加した高齢の方もいた。 第2次大戦の時には、当時英領だったビルマにも日本軍が攻め込み、さらにここからインドのインパールを目指したインパール作戦により、多くの方が亡くなった。パゴタ(仏塔)の台座には、亡くなられた方々の名前が記されている。

日本人戦没者慰霊碑A

ザガインヒルの麓には、イラワジ川が悠然と流れており、その景色からは本当にここがかつて戦場だったとは信じ難い。 でもかつてインド国境から敗走してきた日本兵が、この川を越えられずに英軍の砲火を浴び、次々と命を落としたという。

日本人戦没者慰霊碑B

鎮魂碑の前に一人一人花をお供えし線香をあげた。

街を走る日本の中古バス

ヤンゴンやマンダレーなどの都市では、日本の中古バスが塗装もそのままで堂々と街中を走り回っている。このバスも宮城交通と書かれたままだった。

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