'14ネパール編

 14回目のネパールは2年続けての単独行。

 今回は、歯科医としてここ数年毎回活動に参加してくれていたアマルの故郷、ジャナクプル郊外のスガニカス村での学用品の 配布と多数の医療関係者の協力を得てのフリーメディカルキャンプが活動のメイン。さらに3回目となるサンリサ孤児院の 子供たちによる、パシュパティの老人ホームでのコンサートと恒例の筋ジストロフィー・ケア・ソサエティーの訪問の 3つのプログラムを計画。

 特にスガニカス村でのメディカルキャンプは、外科医、小児科医、婦人科医など8人の専門医に8人の看護師、さらには5人の アシスタントに協力いただき、処方薬も用意するなど、規模、質ともにこれまでにない活動となった。

 プログラム自体はすべて無事終えることができたが、今回も想定外の出来事が頻発。毎度のことながらネパール人の時間計算が 非常に甘く、カトマンズ〜ジャナクプル間の移動は8〜9時間と聞いていたものが実際には13時間もかかったり、 1時間と聞いていたジャナクプル〜スガニカス村間10キロの移動が、想像を絶する悪路のため2時間もかかったりと、 もともとタイトなスケジュールがさらに後れがちとなり、常に時間に追われる中での活動となった。

 さらに盲点だったのがお金の問題。今回はスケジュール上、夜にネパールに到着し、翌朝早くにジャナクプルに向けて出発 することになっていたため、お金の両替を途中のヘタウダという地方中核都市で行うことにしたのだが、最初に入った銀行では 私のパスポートに入国スタンプがないから両替できないと拒否されるよもやの展開。ネパール入国時に空港でビザを取得した場合は ビザに記載された発行日が入国日となるためそもそも入国スタンプは押さないのだが、 そのことを過去のビザを見せて支店長にまで説明したが一向に埒があかず、両替を断念。 次に入った銀行では入国スタンプのことは問題とならなかったものの日本円を扱っておらず、たまたま持ち合わせていた年末年始の 南米旅行で余った950ドルを両替したお金と、ネパール人の友人の立て替え払いでジャナクプル2泊3日のプログラムを乗り切らざる を得ない事態となった。

 またお金ということでいえば、直前に円安が急激に進み、日本円からネパールルピーへの両替では昨年比で10%もレートが 悪くなっていた。一方でインフレが毎年進行しており、ガソリンが1リッター136ルピー(≒151円)もするなど、円安と 相まって物によっては日本と価格があまり変わらず、想定以上の支出となった。

○日   程:2014年9月21日〜9月26日
○主な活動先:@ダヌス郡スガニカス村/モハン第2学校、 Aカトマンズ市/ソーシャル・ウェルフェア・センター・ブリダシュラム、 Bバグタプル市/筋ジストロフィー・ケア・ソサエティー、 Cカトマンズ市/サンリサ・オーファネッジ・ネパール


スガニカス村へ〜悪路との格闘@

前日は朝早く宿泊先のパタンを出て13時間かけてジャナクプルへ車で移動。この日は朝7時にホテルを出発してプログラムを 開催するスガニカス村に8時に着く予定であったのだが、この写真を撮影した時点で時刻はすでに7時半。ホテルで朝食をとりながら プログラムで使用するIDカードを作成中。ネパール人メンバーは全く慌てる様子もなく、ワイワイ会話しながらのんびり作業。 これがまさにネパールタイムっていうやつです。私一人焦ってもしょうがないのでここは合わせるしかない。

スガニカス村へ〜悪路との格闘A

ジャナクプルのホテルを出発して10分少々で道路の大きな窪みに遭遇。チャーターしたハイエースではそのまま走ると底を擦って しまうので、近くにあった石を並べて何とか通過。

スガニカス村へ〜悪路との格闘B

後ろからやってきたタタ製のバスは躊躇なく窪みへ突進。そういえば2年前にラムジュンに行ったときにチャーターしたタタ製のバス も、タイヤがツルツルだったにも拘わらず今回以上の悪路を無事乗り切った。ネパールでは街を出るとこんな道ばかりなので、 同じ右ハンドルながら繊細すぎる日本製の中古バスは全く走っていない。

スガニカス村へ〜悪路との格闘C

道路に凹みがある度に何度も車を降りて慎重に通過。こんなことを何回繰り返しただろうか。我々の到着が遅いことに痺れを 切らしたのか、村に先着していた医師らを運んだ車が救援部隊を乗せて村から戻ってきた。到着するなり、我々が立ち往生している 凸凹を鍬でならし始める。

モハン第2学校にて@

学校に到着するとすごい数の人がすでに集まっていた。我々の到着が大幅に遅れたので儀礼的なことは一切行わず、 すぐに活動に入ることとなった。まずは学用品の配布を行うため、生徒だけ集まってもらう。日本にいるときから生徒の数は 1018人と聞かされていたが、念のため「今日集まっている学生は何人か。」と先生に聞くと「全員集まっている。」 とのこと。一応学用品のほうは全員に行き渡るよう準備はしてきたが、本当に1018人いるとなると 生徒でない子供に配ってしまったり、同じ生徒に2度配ってしまったりしないよう厳格に配布しなくてはいけない。

モハン第2学校にてA

生徒たちに配布したのは、鉛筆、ボールペン、消しゴム、ノートと筆箱。これを生徒一人ずつ全員に配布。生徒の数がこれだけ多いと かなり大変。

モハン第2学校にてB

過去の経験から予想したとおり、列の中には就学前の子供や2度並ぼうとする子供が時々紛れ込んでいたため、受け渡しは学年ごとに 行うこととし、疑わしい学生には「年はいくつか?何クラスか?」などと確認してから配布する。ところがところが、 配布を終えると鉛筆もノートも消しゴムも筆箱も200余ってしまった。どうやら全員出席というのは間違いで、 実際は200人ぐらい欠席がいたようだ。ネパールの田舎の小学校は、家庭の都合などで休みがちの学生が一定数いるのが普通で、 さっき全員出席と聞いたとき本当かなと思ったのだが、こんなことならここまで厳密に配らなくてもよかった。 写真の左端に写っているのは今回のプログラムをコーディネートしてくれたアマルのお兄さん。プログラム開催中、終始忙しそう に動き回り各所で指示を出していた。本業は洋食屋さんの料理人。シンガポールで修行したそうで、翌朝、彼の作ったパスタをごちそうに なったがとても美味しかった。

モハン第2学校にてC

生徒全員で写真を撮るのは人数的に不可能なので、配布を終えた学年ごとに写真撮影。10学年あるので、こんなことを10回繰り返す。 配布した学用品は愛知の某私立高校の皆さんをはじめ多くの皆様からご寄附いただいたものに、筆箱926個、ノート812冊、 消しゴム300個を現地で買い足して配布。購入資金52,118ルピー(≒57,908円)は東京のNさん、岐阜のIさんの ご寄附を活用させていただきました。写真をクリックすると拡大します。

モハン第2学校にてD

ネパール人医師たちによるフリーメディカルキャンプには大勢の人たちが詰めかけた。スガニカス村一帯は一応、ネパールの中ではコメ作りが 盛んな穀倉地帯。健康状態は山岳部ほどは悪くないのではと思っていたがそれは大きな間違いで、健康上の問題を抱える人々がこの地にも 大勢いることがわかった。

モハン第2学校にてE

今回はただ診察するだけでなく、処方薬も潤沢に用意した。用意した処方薬は68品目。購入資金76,875ルピー (≒85,417円)は東京のNさんにご提供いただいた資金を活用させていただきました。

モハン第2学校にてF

歯科医師による歯の診察コーナー。虫歯を削ったり詰め物をするのはここでは不可能なので、虫歯が見つかると抜歯することになる。 今回は希望者に対する診察なので、全員が何らかの問題を抱えている。診察してハイ終わりという人はほとんどいない。

モハン第2学校にてG

今回はとにかく患者の数が多いので器具の消毒も大変。だからといって消毒をいい加減にやるわけにはいかない。 人手が足りないのでニランジャンが消毒をお手伝い。

モハン第2学校にてH

こちらは外科と整形外科のコーナー。レントゲンはないので、触診で患部の状況を診る。左側の赤い幕で仕切った向こう側には ベッドが置いてあり、患部によっては他の人に見られないようそちらで診察する。臨時の診察室ながらなかなかの配慮だ。 私が幕の向こうを覗かせてもらったときには脱腸の診察と治療を行っていた。 さすがにその様子をカメラに収めるわけにはいかないので写真はありません。

モハン第2学校にてI

こちらは婦人科のコーナー。中に入って大丈夫なのかなとも思ったが、扉は開いたまま、外から中を覗き込んでいる人もいたので 中に入ってみた。この場での治療は無理なのだろうか治療らしい治療は行われておらず、医師が患者から症状を聞いて処方箋を 書いていた。

モハン第2学校にてJ

昼を過ぎても診察を待つ人の数は減ることはなく依然として大勢の人が列をなす中で、一部では小競り合いも発生。 警備にあたってくれた警察官が現場の秩序維持にも力を貸してくれたので大きな問題にはならなかったが、彼らがいなければ、 コントロールが難しかったかもしれない。結局メディカルキャンプで診察した患者は1500人にものぼった。

モハン第2学校にてK

一部の警官はライフル銃を所持。警察官に警備をしてもらうのはネパールでは初めてのこと。私から依頼したわけではないが、 考えてみれば大量の医薬品や医療器具など金めの物があちこちにゴロゴロしているうえ、大勢の医師や日本人まで来ていると いうことになれば噂を聞きつけた強盗がやってきてもおかしくない。危機管理としては正しいと言えるだろう。

モハン第2学校にてL

こちらは小児科のコーナー。まずは体重計で体重を測定。

モハン第2学校にてM

体に聴診器を当てて診察。ただこの場でできるのはここまで。本当は注射などもできると良いのだが。 この後、処方箋を書いてもらい薬をもらって帰る。

モハン第2学校にてN

この子供は重症なのかぐったりして動きがほとんどない。母親の心配そうな表情も気になる。しかし限られた状況下ではできることにも 限界がある。何とかしてあげたいのだが同じような子供は他にも大勢おり、私にはこの子たちの快復を祈ることしかできない。 写真をクリックすると拡大します。

モハン第2学校にてO

今回一番感心したのが携帯型の超音波検査装置を持ち込んでの診察。この装置は地元の銀行とウッタムの友人の台湾人の寄付により 購入したもの。この機器を動かすためには当然、電気が必要で、発電機も持ち込んでの診察となった。 発電機のガス代や消毒薬、麻酔薬代、ゴム手袋等の実費を含む8名分の ドクターチャージ25,000ルピー(≒27,500円)、医師、看護師たちの車代2台分9,000ルピー(≒9,900円)、 ボランティア全員(約30人)の2食分食事代18,000ルピー(≒19,800円)、その他水、ジュース、 クッキー等購入代2,410ルピー(≒2,678円)は私のポケットマネーで対応。

モハン第2学校にてP

各科で診察を受けた患者は医師に書いてもらった処方箋を持って調剤薬局コーナーで処方薬を受け取る。 あれだけたくさん用意した処方薬もさすがに1,500人の患者には対応できず最後にはなくなってしまい、 一部の患者にはお断りをせざるを得ない事態となってしまった。

モハン第2学校にてQ

薬を受け取った時に一応飲み方などの説明を受けたはずだが、よく理解できなかったのか次々にウッタムに聞きにくる患者たち。 ウッタムはもちろん医師でも薬剤師でもないが、薬に書いてある英文を読みながら患者に丁寧に説明する。

モハン第2学校にてR

大勢の子供たちが集まっているのを聞きつけたのか、校庭には綿菓子屋が店開き。店主の目論みどおり小銭を握りしめた子供たちが 次々とやってきて買っていく。日本の綿菓子屋のように割り箸に綿菓子を絡ませるのではなく、素手でうまく綿菓子をボール状に丸めて お金と引き換えに手渡しする。

モハン第2学校にてS

今回用意した学用品のうち、カバンだけは全員に渡すだけの分量が用意できなかったので、各学年の成績優秀者上位5名にプレゼント することとした。その旨をアマルのお兄さんにリクエストしていたのだが、「それは最後に」との回答。 学用品の配布が終了した時点で帰り始める学生もおり、「本当に最後で大丈夫なのか」と何度も確認したのが、返答は 「大丈夫」の繰り返し。何となく悪い予感はしていたのだが、医療プログラムが終了しカバンを配布したいと言うと、案の定、 学生の大半は帰ってしまったとのこと。「学校の先生にお願いして後日渡してもらったらどうか」と事もなげに言うので私は 「このカバンは私が直接手渡しする約束で手作りしてもらったもので、手渡しできないのなら持って帰る」と返答。すったもんだの挙句、 学校にまだ残っていた学生を集めて手渡しすることで私が折れることになった。 本当はそれも断って持ち帰ろうかとも思ったが、アマルのお兄さんがこのプログラムを通して声を嗄らしながら、 気の毒なくらい走り回っていたのを見ていたので、これ以上意地を張るのはやめにした。 カバンの一部のみ残っていた学生に渡し、残りは先生を信頼して成績優秀者に渡し頂くよう依頼。手作りのカバンは岐阜のIさんのご提供。

モハン第2学校にて21

最後に学校の先生用にレポート用紙、鉛筆、ボールペン、マジック、バインダー、カバン、はさみ、カッターナイフ、のりなどをプレゼント。 またウッタムからは台湾人の友人から寄付してもらったサッカーボールやゲームをプレゼント。 お返しに盾や感謝状を受け取る。いろいろ大変だったが村長さんをはじめ村の皆さんが大変喜んでくれたのでとりあえずほっとした。 すべてを終えたときにはすでに日は落ち、暗闇の中を行きと同じ悪路を通って帰ることとなった。写真をクリックすると拡大します。

ジャナクプル女性開発センターにて@

翌日帰路につく前に、ジャナクプル女性開発センターを訪問。ここはこの地域の女性によって引き継がれてきた伝統美術ミティーラアート を応用して、様々な作品を製作し世界に向けて販売することで女性の自立をはかる施設。私が訪問した時にはホワイトボードにアメリカ からの大口注文が記載されていた。施設の中には作品の販売コーナーがあり、絵画やバッグなど5,000ルピー(≒5,500円)分購入。

ジャナクプル女性開発センターにてA

ちなみにミティーラアートとはこんな感じ。もとは家の壁に装飾目的で描かれていたものを芸術作品として、絵画やバッグ、 マグカップなど様々な製品に描いて販売することで、現地の女性たちが現金収入の手段を得ることにつながった。 初めてネパールを訪れたときにカトマンズの土産物屋で見て以来、いつかこの地を訪れてみたいと思っていたのだが今回ようやく実現。 写真をクリックすると拡大します。

ソーシャル・ウェルフェア・センター・ブリダシュラムにて@

今年もカトマンズ市内パシュパティナートにあるソーシャル・ウェルフェア・センター・ブリダシュラムで、サンリサ孤児院 の子供たちによるミュージックプログラムと軽食の配布プログラムを開催。 現地に到着すると先客があり、何人も何人も演説したあと、老人たちにジュースとビスケットを配布しはじめた。今日は ネパールのお正月ダサインの初日ということもあって寄付しようとやってくる人が多いのか、我々の後にも食べ物を配りに やってきたグループがいた。

ソーシャル・ウェルフェア・センター・ブリダシュラムにてA

先客のプログラムが終了するのを待って準備開始。ミュージックプログラムは今回が3回目ということもあって、 椅子を並べ始めると何も言わなくても老人たちがぞろぞろと集まってきた。

ソーシャル・ウェルフェア・センター・ブリダシュラムにてB

ミュージックプログラムのはじまり〜はじまり〜。 笛の名手ジャヤは体がさらに大きくなり、使っている笛もこれまでより大きなものに変わっていた。同じく笛の名手ディネシュ は眼鏡をかけてちょっとインテリっぽくなった。写真をクリックすると拡大します。

ソーシャル・ウェルフェア・センター・ブリダシュラムにてC

開始後すぐに雨が降り始める。一部の老人は屋根のあるところに避難。でも幸いなことに雨は激しくはならず、 すぐに止んでくれたのでプログラムはそのまま継続。

ソーシャル・ウェルフェア・センター・ブリダシュラムにてD

今回驚いたのは、昨年まで演奏の模様を観客席から見ているだけだった、ラメシュ、ラミタ、アニシャ、そして サンリサ孤児院に来たばかりのサントスが演奏者に加わったこと。 写真はラメシュの笛の演奏。同じ双子のディネシュはとても活動的で、笛の演奏もいち早くマスターし、 ミュージックプログラムではいつも主役のひとりを務めていたのだが、ラメシュもついにデビュー。 彼らが加わったことで休憩を挟まずに交代で演奏を続けることができるようになったので、一度盛り上がった空気を 引き継いで次々と曲を繰り出すことができてとても良かった。

ソーシャル・ウェルフェア・センター・ブリダシュラムにてE

こちらはラミタとサントス。引っ込み思案のラミタが演奏しているのはネパールの伝統楽器「サランギ」。 サンリサのメンバーでサランギを演奏するのは彼女一人だけ。これまでサランギのパートはすべてバイオリンで代用 していたが、これでネパールの伝統楽器のみで演奏することが可能となった。 ラミタと新入りのサントスの演奏は見ていてハラハラしたが、どうにかこうにか最後まで無事やり遂げた。

ソーシャル・ウェルフェア・センター・ブリダシュラムにてF

ご老人たちも楽しそうに演奏に合わせて踊り始める。写真をクリックすると演奏会の動画(Youtube)がご覧いただけます。

ソーシャル・ウェルフェア・センター・ブリダシュラムにてG

毎年見事な踊りを踊りを披露してくれるご老人は今年も健在。 今回は曲が途切れることなく続くのでかなり息切れしていたが、最初から最後までほぼフルで踊りに参加。 兎にも角にも元気そうで何よりだ。写真をクリックすると拡大します。

ソーシャル・ウェルフェア・センター・ブリダシュラムにてH

今回も盛況のうちにミュージックプログラムは無事終了。 写真右端は今回デビューしたアニシャ。2年前に初めてミュージックプログラムを開いたときは車酔いして 辛そうだったが、今年は元気にバイオリンでデビュー。彼女はラクパの演奏を手本にしているのか、 はたまた恥ずかしいのか、正面を向かず、常にラクパのほうを向いてバイオリンを弾いていた。 写真をクリックすると拡大します。

ソーシャル・ウェルフェア・センター・ブリダシュラムにてI

ミュージックプログラムに続いては軽食の配布。バナナ、りんご、ビスケット、マンゴジュースを全230人に配布。 軽食の購入資金とミュージックプログラムで使用した音響機器等のレンラル代を合わせて40,725ルピー(≒45,250円) は、埼玉のYさん、愛知のFさん、愛知のHさん、愛知のTさんからお預かりした寄付に私のポケットマネーを追加 して提供。

ソーシャル・ウェルフェア・センター・ブリダシュラムにてJ

軽食配布の列に並んだ方々に配布を終えた後は、体が悪くて列に並ぶことができなかったご老人たちにこちらから 軽食を届けに行く。これもいつものことなのだが、今回は子供たちが積極的に配布に加わってくれたので、 私は荷物持ちに徹して子供たちにやらせてみることにした。

ソーシャル・ウェルフェア・センター・ブリダシュラムにてK

子供たちは楽しそうに寝たきりの老人や目の見えない老人たちに軽食を渡していく。 部屋の中は薄暗く悪臭すら漂う環境なのだが、子供たちは我先にとまだ軽食を受け取っていない老人を探し出して 手渡ししていく。写真は最近サンリサ孤児院にやってきたばかりのサラソーティ・タマン。 このような活動を通して人を気遣う気持ちと自信を持って貰えれば嬉しい。 写真をクリックすると拡大します。

ソーシャル・ウェルフェア・センター・ブリダシュラムにてL

老人に軽食を渡して得意げなこの子は、実はサンリサ孤児院の子供ではない。ミュージックプログラムを 老人たちに交じって観客席で観賞したあと、サンリサ孤児院の子供たちとともに軽食の配布を手伝ってくれた。 おそらく老人ホームのスタッフの子供か、入所しているご老人の身内だろう。写真をクリックすると拡大します。

筋ジストロフィー・ケア・ソサエティーにて@

最後のプログラムは筋ジストロフィー・ケア・ソサエティーの訪問。 今日はダサイン2日目ということで、一部の子供は施設に来ていなかったが集まってくれたメンバーはいずれも 昨年と変わることなく元気そう。また来年も元気な姿で再会できることを願いたい。写真をクリックすると拡大します。

筋ジストロフィー・ケア・ソサエティーにてA

昨年は子供が亡くなり喪に服するため髪を剃っていた会長さんも今年は元気そう。 東京のNさん、岐阜のIさん、私の3名で計25,000ルピー(≒27,500円)を寄贈。

サンリサ・オーファネッジ・ネパールにて@

帰りのフライトまでサンリサ孤児院で時間調整。 東京のNさん、岐阜のIさん、埼玉のYさんからご提供いただいた25,000ルピー(≒27,500円)を寄贈、 ビシュヌ会長から感謝状をお預かりする。 このほか、タオル、石鹸も寄贈。

サンリサ・オーファネッジ・ネパールにてA

この1年の間にサンリサ孤児院に新しい仲間が加わっていた。 サラソーティ・タマン(13歳)、サントス・タマン(11歳)、ブッダ・タマン(6歳)の3人兄弟。 彼らの父親が亡くなり、母親は他の人と再婚して子供たちの面倒を見なくなったためこの施設に来たそうだ。 3人ともほとんど学校に通っていなかったため、サラソーティーは小学2年生に、サントスは幼稚園の年長クラスに、 ブッダは幼稚園年少クラスに編入し、今は毎日学校に通っているとのこと。 学校ではクラスメイトははるか年下の子供たちばかりで居心地が悪いかもしれないが、 サンリサ孤児院の子供たちが通っている学校は勉強する環境が整っているので、頑張って勉強してほしい。

サンリサ・オーファネッジ・ネパールにてB

ダサイン(お正月)に合わせて新しくおろしたばかりの服をみんなに見てもらいたくて仕方がないブッダ・タマン。 新たに加わった三兄弟のうちサントスとブッダはとにかく元気。サンリサ孤児院にも違和感なく溶け込んでいる様子。 サラソーティはあまり笑顔を見せないのが気になるが、老人ホームでの軽食の配布では積極的にお手伝いしてくれた 心優しい女の子だ。 今回はサンリサ孤児院の子供たちと交流する時間がほとんどなくちょっと残念だったが、新たに加わった3人には、 他の子供たち同様、サンリサ孤児院に来れたことを契機にこの先の人生を切り拓いていってもらいたい。

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