'09ネパール編

 9回目のネパール訪問は再び単独行。 今回は日本のお正月にほぼ相当する「ダサイン」(※正確には最大多数派ネワール族のお祭り) 休暇と重なり、首都カトマンズからの帰省ラッシュやダサイン前の買出しなどで、 行く先々すべてが大変な賑わいであった。 その様子からは、かつての政府軍とマオイストによる戦闘は過去のものとなり、平和を謳歌する人々の姿が伺えた。

 その賑わいのため度々交通渋滞に巻き込まれることにはなったものの、活動に最も支障となる ストライキの懸念はほぼ消えたため、今回は、第1回目以来のカトマンズ盆地外での活動も行った。

 また、前回悩まされた停電も今回は1日1時間程度に止まっており、 これらの状況を総合すると活動条件としては過去最も良い状況にあったと思われる。

 とはいえ、マオイストはダサインに続くお祭り「ティハール」が明けた後にストライキを実施することを 宣言しており、また例年冬場に向けて停電も酷くなる傾向にあるため、この先も今の安定が続くのかは不透明である。

 今回は、毎年訪問しているサンリサ孤児院、筋ジストロフィーケアソサエティー、パシュパティナーの養老院 に加え、河原の石割りで生計を立てている極めて貧しい集落の小学校やパタン南部の孤児院を初めて訪問した。

○日   程:2009年9月20日〜9月25日
○主な活動先:@バグタプル市/筋ジストロフィー・チャイルド・ケア・ソサエティー・ネパール、 Aカトマンズ市/サンリサ・オーファネッジ・ネパール、 Bマハデブェンシ村/ウッゾル・バビシャ・バル・シクシャ・パリヨズナ小学校、 Cカトマンズ市/老人福祉施設、Dパタン市/スリスティー・ネパール


筋ジストロフィー・チャイルド・ケア・ソサエティにて@

ここ数年、ほぼ毎年訪問している筋ジストロフィー・チャイルド・ケア・ソサエティ。訪問すると、 子供たちは部屋の中でホッケーを楽しんでいた。いつものように「皆さんお元気でしたか。」と挨拶する。 すると会長さんから「前回の訪問後2人の子供が亡くなりました。」との返事が返ってくる。そういえば、 一番背の高かった子供の姿が見えない。いつものように「みんな元気です。」という返事を予想していたのだが、 悲しい事実を聞かされ、改めて20歳以上はほとんど生きられないという子供たちの宿命を思い起こした。

筋ジストロフィー・チャイルド・ケア・ソサエティにてA

いきなりの辛い話であったが、残された子供たちはいつもどおり元気であったことは救いであった。 また、前回訪問以降も他の援助団体がこの施設を支援しており、子供たちは絵の先生から絵を習っているため 腕前がずいぶん上がったことを聞かされた。飾ってある絵を見る限りそれは確かであった。これなら売り物にも なるであろう。この施設には、Nさんからお預りしたお金の半分、2,400ルピー(約3万円)とタオル、 石鹸、マジック、レポート用紙、鉛筆などを寄贈した。

サンリサ・オーファネッジ・ネパールにて@

続いてサンリサ・オーファネッジ・ネパールを訪問。今回が3回目の訪問となる。 到着時、子供たちはダサインを祝うカードを書いている最中で、完成後我々に手渡ししてくれた。

サンリサ・オーファネッジ・ネパールにてA

今回はダサイン休暇中の子供たちとゆっくり遊ぶことが目的の一つ。そのためのツールとして卓球のラケット (ラケット2本とピン球3個で1,000円)を日本から持ち込んだ。ネットはネパールで購入 (1,100ルピー、約1,375円)。とりあえずあり合わせの机にネットを張って卓球を始める。 一応中学生のときは卓球部だったので、子供たちに卓球を教えながらコミュニケーションを取る。 この目論見はズバリ的中。卓球で大いに盛り上がる。この盛り上がりが次なる行動につながるのだがそれはまた後ほど。

サンリサ・オーファネッジ・ネパールにてB

小さな子供たちのために小型の卓球ラケットとネットも持参。これは兵庫県のAさんに以前頂いたもの。

サンリサ・オーファネッジ・ネパールにてC

2年前にはほとんど言葉を発せず、何かに怯えているようにもみえたオンチュー(写真)。 この先無事に生きて行けるのかと心配していたが、今ではすっかりわんぱく坊主に成長しました。 写真をクリックすると映像(You Tube)をご覧いただけます。ちなみに映像の中でニランジャンが オンチューのことを私のネパールの息子などと紹介していますが、もちろん私の本当の息子ではありません。 ただ2年前に私のことを指差して「バブー」(お父さんの意味)と言ったため('07ネパール編参照)以来、 みんながそう言っているだけの話です。卓球の盛り上がりとオンチューの走り回る姿をご覧ください。

サンリサ・オーファネッジ・ネパールにてD

日本から持参した現金と物資を寄付する。現金はNさんの残り半分と前回同行したTさんYさんからお預かりした ものを合わせ、45,000ルピー(約6万円)。物資はタオル、石鹸、サインペン、色鉛筆ノート、 縄跳び等に加え、先日来のインフルエンザ騒動の最中、 サイズ間違って買ってしまった子供用サージカルマスク1箱など。

サンリサ・オーファネッジ・ネパールにてE

卓球で盛り上がったあとはおやつの時間。私も日本から持参したカレーせんべい、イカフライ、 ブルボン・レーズンサンドをみんなに配った。

サンリサ・オーファネッジ・ネパールにてF

おやつのあとは恒例のダンスタイム。子供たちはダンスを習い始めたそうで、これまでとは違い、 衣装も着替えてかなり本格的。我々のようなゲストをもてなす為に習っているのかなとも思ったが、 彼ら自身理屈抜きで踊りが好きなようだ。写真をクリックすると映像(You Tube)をご覧いただけます。 特に、ディネシュ(写真オレンジ色の縞の服)ダンスにご注目。2年前は号泣、 昨年は会長さんに何か言われ途中でダンスを止めてしまったディネシュ。今年はノリノリです。 でも、何でこんな振り付けになってしまったのかが謎です。

サンリサ・オーファネッジ・ネパールにてG

去年も一昨年も踊りを見ているだけだったスリジャナ(写真)。今回は踊りを披露してくれました。 それも驚きだったのですが、わずか10ヶ月弱でまた一段と大人になったのにはほんと驚かされます。 2年前に初めて会ったとき('07ネパール編参照)は本当におぼこい(方言?)女の子だったのですが。 写真をクリックすると映像(You Tube)をご覧いただけます。

サンリサ・オーファネッジ・ネパールにてH

最後に記念撮影。写真をクリックすると拡大します。子供たちとはごく片言でしか会話できないのだが、 今回、なぜかほとんど言葉の壁を感じることがなかった。遊びに言葉の壁はないというのは まさにそのとおりだと実感。

ウッゾル・バビシャ・バル・シクシャ・パリヨズナ小学校にて@

カトマンズの南西約30キロ、インドやリゾート地ポカラへと続く大動脈プリティビハイウェイ沿いの マハデブェンシ村を訪問。この村のアグラ川沿いの一角に、貧しさゆえに石を割って砕石を造る仕事をするために ネパール各地からやってきた人たちの集落がある。今回訪れたのはこの集落の小学校で、ゼネラル・ウェルフェア ・プラティスタンというネパールのNGOによって建てられた。この小学校の名前は 「明るい未来・子供・教育・プログラム」という意味だそうだ。

ウッゾル・バビシャ・バル・シクシャ・パリヨズナ小学校にてA

子供たちは、毎日朝10時まで授業を受けた後親たちの石割りの仕事を手伝う。この小学校ができるまでは、 朝から親たちと一緒に働き、学校には通っていなかったという。その状況を見かねたNGOが 集落の人たちと話し合い、学校を作って10時までは勉強することになったそうだ。もちろん授業料は無料。

ウッゾル・バビシャ・バル・シクシャ・パリヨズナ小学校にてB

児童の数は75名ほど。これに対し何と先生は1人(写真)。NGOの人たちもこれは大きな問題だがもう一人 雇うお金が無いとやや疲れた表情で語ってくれた。この学校の教室には小さな黒板が1つある以外には机や椅子 もなく、子供たちはノートやえんぴつも持っておらず、制服も大部分が着ていない。いろいろ問題がありそうだ。

ウッゾル・バビシャ・バル・シクシャ・パリヨズナ小学校にてC

この小学校はウッタムが見つけてきたのだが、彼からの情報は石を割って生計を立てている 貧しい人たちの集落があること、集落の子供はおよそ50人で小学校はあるが全員が通っているかどうか わからないというものであった。よって、衣料やタオル、石鹸等を主に持参し、 学用品はほとんど持って行かなかったのだが、いざ行ってみると授業を終えた75名の子供たちが学校で 我々の到着を待っていた。このため慌ててノート、鉛筆、消しゴムを買いに走ることになる。 幸いにもハイウェイに上がったすぐのところにキヨスクのような店があり、 文房具も置いてあったため購入(1,400ルピー=約1,600円)し子供たちに配布した。 衣類等の分配はNGOの人たちと先生に依頼。 写真をクリックすると映像(You Tube)をご覧いただけます。

ウッゾル・バビシャ・バル・シクシャ・パリヨズナ小学校にてD

小学校には子供たちだけでなく、集落のほとんどの人たちが集まってしまったため、全員での記念撮影は 諦め低学年の子供たちのみで撮影。依存心がついてしまうことを避けるため、原則、 同じ小学校を2年続けて支援することはしないことにしているのだが、 この小学校はあまりにも状況が悪いので、次回以降も支援しようと思う。 とりあえず机と椅子を何とかしてあげたい。写真をクリックすると拡大します。

石割りの集落にて@

川原を少し歩いて彼らの集落に到着。集落といってもプリティビハイウェイの橋の下に粗末な小屋を建てた 程度のものだ。

石割りの集落にてA

この集落の人たちは、川から拾ってきた石を一つ一つハンマーで割って道路工事などで使用するような砕石を 作り、日々の糧を得ている。とはいってもその稼ぎが僅かなものであることは彼らの暮らしぶりを見れば明らかだ。 しかし、この仕事をするために各地から人々が集まってきているわけで、それ以前はさらに貧しい暮らし をしていたのだろう。

朝日に染まるヒマラヤの峰々

カトマンズ近郊のヒマラヤ展望スポットの一つ、ダマンからの眺め。カトマンズからは80キロしか離れていない のだが、車で5時間以上かかった。前回のネパール訪問時にナガルコットから初日の出を見ることができず残念な 思いをしたのだが今回はバッチリ。はるばる来た甲斐があった。写真はヒマールチュリ(写真中央、7,893m) とマナスル(左、8,163m)。

養老院にて@

続いてパシュパティの養老院を訪問。日本から持参したタオル、衣類、石鹸等とネパールで購入したサンダルを 寄贈。先方は私のことを覚えてくれていたようで、これまで何度も来てくれたからと初めて感謝状をいただいた。

養老院にてA

このほか現金4,000ルピー(約5千円)を寄付。現金は、振込みか施設内に設置された募金箱への寄付と 決められているため、今回は募金箱に入れることにした。 募金箱の鍵は銀行の集金係の人しか開けられないのだそうだ。

養老院にてB

この10ヶ月の間に施設面でいくつかの改善が見られた。この壁面はインド人が30万ルピー(約37万5千円) を寄付して改修し、奥のソファーなどもそのインド人が置いたそうだ。

養老院にてC

こちらはネパール人が10万ルピー(約12万5千円)を寄付して屋根を設置。今まで食事は広場の 軒先などで食べていたのだが、この屋根を取りつけたことで雨でも濡れずに食事ができるようになったそうだ。

養老院にてD

木陰で髭を剃ってもらう老人。老人同士の助け合いは何となく微笑ましい光景でもある。

スリスティーネパールにて@

2年前、トリヨタム先生の自宅でのパーティーで孤児院をやりたいといっていたラビンドラから、孤児院の お手伝いをやっているとのメールをもらったので、その孤児院を訪問。パタンの南西約4キロの新興住宅と田園が 入り混じった場所にその孤児院はあった。3階建てのかなり立派な一軒家を借り切って22人の子供たちが 暮らしている。ちなみにこの家のオーナーは、ラビンドラが住んでいるアパートのオーナーと同じ人だそうだ。

スリスティーネパールにてA

ダイニングルームの写真。日差し、風通しとも良く、快適に過ごせそうだ。ここで暮らしている子供は半数以上が 5歳未満の小さな子供(中には数ヶ月の赤ちゃんもいる)なので、小さな椅子と机がいくつも並んでいる。

スリスティーネパールにてB

ベッドルームの写真。ところで、この孤児院に足を踏み入れたとき、この施設の会長さんから気になるひと言が あった。それは子供たちの写真を撮らないで欲しいというものであった。 最初はそういう孤児院もあるのかなと思っていたのだが、やはり理由が気になるので聞いてみた。 すると、以前ゲストでやってきたアメリカ人が子供の裸の写真を撮ってネット上に掲載した事件があり、 以来、子供たちの撮影は一切お断りしているとのこと。 孤児院の支援を語ってそんなことをするなんて、何とも許せない話であると同時にショックな話だ。

スリスティーネパールにてC

写真向かって左から、孤児院の会長さん、会長さんの兄(ラビンドラの友人)、ラビンドラ、私。 この後、孤児院をどう思うかと聞かれたので、率直な意見交換を行う。 私からは、この孤児院は政府からの補助金とネパール人支援者1名からの月々8万ルピー(約10万円)の 寄付のみで運営されていることから、もし、その支援者に何かあればたちまち立ち行かなくなるので もっと広く寄付を集めたほうが良いこと、しかしそのためには、子供の写真を一切見せないのでは 難しいのではないか、そんな事件があったので気持ちはわかるが、自分のホームページで支援を呼びかけるにも 子供の写真なしでは困難だと述べた。これに対し会長さんからは、確かにそのとおりなので、 あなたが紙ベースで知り合いに見せるだけなら子供の写真を撮っても良い、 しかしネット上への掲載は勘弁して欲しい、今後、自分たちでホームページを作ることを考えたいとの回答があった。 ラビンドラの知り合いということで、一応写真撮影の許可は出たが、 今回が最初の訪問で信頼関係もまだ十分とは言えないのでとりあえず、 子供の写真は1枚も撮らずに孤児院を後にすることにした。今回は、タオルと 石鹸や若干の文房具類の寄付しかできなかったが、今後、金銭も含めた支援を検討したいと思う。

ダサインの街

この日はダサイン本番の初日。日本の年末年始に当てはめると今日が元旦に当たる。 ダサイン中、子供たちは凧揚げに熱中。そんなところも日本の正月とそっくりだが、違うのはみんな 家の屋上で凧揚げをしているところ。ニランジャンやウッタムも子供の頃は朝から晩まで凧揚げして いたそうだ。その頃と比べれば、凧揚げしている子供はだいぶ減ったという。ちなみに、 ニランジャンは、日本大使館の協賛のもと開催される凧揚げ大会の2000年のチャンピオンだ。

再びサンリサ・オーファネッジ・ネパールにて@

4日前の訪問で、子供たちが卓球に熱中している様子を見て当初予定していなかった卓球台の購入を決断。 前日の夕方スポーツ用品店巡りをし、21,000ルピー(約2万6千円強)で購入した。 日本から預かってきたお金はすべて寄付した後だったので自腹です。孤児院に到着すると すでに梱包は解かれ、子供たちがプレー中だった。

再びサンリサ・オーファネッジ・ネパールにてA

私も卓球に加わる。特に10歳前後の子供たちの上達は早く、打ち返しやすいようやわらかい球で返球すると、 かなり長くラリーが続くようになる。今日はダサインの初日ということで、一部の子供はおじ、おばなどの 親戚のもとへ一時帰省しており、孤児院に残っているのは親戚がいないか遠方等のため迎えがなかった子供たち だ。

再びサンリサ・オーファネッジ・ネパールにてB

卓球台を梱包していた木組みも子供のいい遊び道具だ。ところどころ釘が飛び出していて危険なので注意するの だが、その効果は薄い。この木組みによって密封されていたため、卓球台の現物を見たのは実は今日が始めて。 前日、スポーツ用品店でもしキズ物だったら交換してもらうぞとひと言言っておいたのだが、その必要はなかった。 ところでクリティ(右側の女の子)の髪の毛はなぜびしょびしょなのでしょう。

再びサンリサ・オーファネッジ・ネパールにてC

それは、タンクに溜まった水を何度も手で跳ね上げて大はしゃぎしていたからです。 2年前は大人しかった彼女も活発な女の子へと成長しつつあるようです。

再びサンリサ・オーファネッジ・ネパールにてD

ゲストに対してはすごくオープンなサンリサ孤児院だが、先ほどのスリスティー孤児院の事件のことが気になり、 スージットには一応気をつけたほうが良いと伝える。それはさておき、この日はネパール滞在最終日。 夜のフライトまで時間が許す限り、卓球だけでなく、凧揚げやボール投げ、 バトミントンなどいろいろな遊びを楽しんだ。遠くで雷が鳴り響くダサイン初日の昼下がり、 孤児院に残ってこの日を迎えた子供たちにとって少しでも思い出に残る一日となれば良いのだが。

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