'07ネパール編

 早いもので海外での協力活動に関わるようになって10年が経過した。今回も活動先はネパール。これでネパールは5年連続通算7回目になる。

 今回は出発10日前にカトマンズ中心部のバス停で爆弾テロが発生し、死者が出る事件が発生。 さらには、経由地バンコクで宿泊の予約を入れていたホテルが火災に遭い、出発直前に改めて予約をし直す始末。 出発前から早くも波乱の様相であったが、事件発生が滞在中でなかったことを幸いと気を取り直し、 いつものように30キロ超の物資を抱えて現地へ向かった。

 マオイスト(毛沢東主義派)による武装闘争が一応の収束を見たことで、 今回は3年ぶりにカトマンズ郊外の小学校でデンタルキャンプ&学用品等の配布を実施した。 また、一昨年訪れた筋ジストロフィーの子供たちのための福祉施設や、スージットたち歯科医が中心となって 4ヵ月前に設立された孤児院、身寄りのない老人たちが暮らす施設を訪問して物資や資金の提供を実施したほか、 ストリートチルドレンへの食事の提供などを行った。

○日   程:2007年9月16日〜9月20日
○主な活動先:@ダチンカリ村/バグクマリ小学校、Aバグタプル市/筋ジストロフィー・チャイルド・ケア・ソサエティー・ネパール、 Bカトマンズ市/サンリサ・オーファネッジ・ネパール、Cパタン市/ICカトマンズ、Dカトマンズ市/老人福祉施設、 Eカトマンズ市、パタン市/路上など


孤児院の破綻

ネパール到着早々、トリヨタムさんを尋ねた。彼がこの1年間病床に臥していると聞いていたからだ。 そして、数年来支援してきた孤児院('04〜'06ネパール編参照)の動向も気になっていた。彼は、自室で鼻に酸素吸入用の管を付けたまま私を迎えてくれた。 これを外すと体内の二酸化炭素濃度が上がって、お腹がカチカチになってしまうのだそうだ。
そして彼の口から、孤児院は1ヶ月前に閉鎖してしまったことを聞かされた。孤児院は、資金集めをはじめとするマネジメントを彼が担い、 大らかでちょっと抜けたところが憎めない会長さんが子供の世話をすることで成り立っていた。 その二本柱の1本がトリヨタムさんの病で折れてしまった。一年前に会ったとき、彼は自宅を建て替え中であった。 自宅の建て替えとその後の病は、彼の経済状況を悪化させた。彼は妻と2人の子供、そして母親を食べさせなくてはならない。 正直、彼はこの一年、孤児院どころではなかったのだ。
孤児たちのうち3人は養子縁組をし、残った子供たちは、カトマンズからはるか離れたネパールガンジという町の、会長さんの 知り合いの孤児院に送り届けたそうだ。経済的支援がない中で会長さんは、最後は借金までしたという。 なぜ、そのことをもっと早く知らせてくれなかったのか。しかし...トリヨタムさんを責めるのも酷かなとも思う。 連絡手段であった彼のパソコンもまた1年近く前から故障したままだった。
この時トリヨタムさんから、日本語学校の卒業生たちが孤児院をやりたいと言っていると聞かされた。その話はまた後ほど。

バグクマリ小学校にて@

毎年恒例のデンタルキャンプ&ドネイションプログラム(歯の無料検診・治療と物資提供)。 今年は、カトマンズから南西方向約20キロにある町、ダチンカリのユーティキ村の小学校で開催した。 メンバーはいつもの二ランジャン、ウッタム、スージットのほか、スージットの友人2名が初参加。 学校へは、車で1時間走った後、10分ほど山道を歩いて到着。到着すると子供たちが近くで摘んできたと思われる花々で歓迎してくれた。

バグクマリ小学校にてA

校舎は小道から階段を数段下ったくぼ地のようなところにあり、そのくぼ地の真ん中が小さな広場になっていて、 その三方を囲むように小さな5つの教室がある。ただし一つは先生の部屋なので、教室としては4つ。 児童の数は総勢44名。写真をクリックすると拡大します。

バグクマリ小学校にてB

いつもは、そのままデンタルキャンプに入るのだが、今回は校長先生の仕切りのもと、冒頭、学校側2名、ネパール人歯科医、 そして私の順に挨拶することとなった。先生方の挨拶が延々20分以上も続き、小さな子供たちが退屈そうだったので、 私はいつも以上にコンパクトに収めることにし、多くの日本人が皆さんのためにノートや鉛筆を寄付してくれたので、 一生懸命勉強して立派な大人になって欲しいとだけ述べた。 最初に自己紹介のみネパール語でやってみたら、児童から一瞬だけ「オー」という反応があった。何とか通じたようだ。

バグクマリ小学校にてC

続いて、ネパール人歯科医によるデンタルキャンプを開催する。去年まで毎回参加してくれていたスージットのクリニックの女性医は、 家族とともにアメリカへ行ってしまったとのことで、今回新たにスージットの友人の歯科医が参加してくれた。 この歯科医による検診の後、歯磨きセットをプレゼントする。 この小学校の子供は比較的歯が良い子が多く、抜歯したのはわずか2人だけだった。

バグクマリ小学校にてD

子供たちの検診が終了すると、学校に集まっていた村人たちが私たちの歯も見てくれという話になる。これも毎度のこと。

バグクマリ小学校にてE

続いて日本から持参した物資(一部はネパールで購入)を配布する。配布したのは、鉛筆、ボールペン、消しゴム、ノート、カバン、タオル、石鹸。 カバンは人数分の用意がなかったので、先生にカバンを持っていない子供をリストアップしてもらう。その他の子供にはタオルと石鹸を渡した。

バグクマリ小学校にてF

さらに学校へのプレゼントとして、ボール、縄跳び、マジック、サインペン、ボールペン、鉛筆、消しゴム、鉛筆削り、ノート、レポート用紙と 現金6000ルピー(約1万円強)を手渡した。このほか、車(運転手付き)のチャーター代に3600ルピー(約7千円弱)、 デンタルキャンプで配布した歯磨き代等に2500ルピー(約4600円)を後日拠出。

バグクマリ小学校にてG

今回のプログラムのお礼として、額縁入りの感謝状と先生の自筆によるお手紙を頂いた。その際、また校長先生による”演説”があり、 その中で”コンピュータ”という言葉が何度も聞かれたのでウッタムにそのことを尋ねると、 校長先生は「学校にコンピュータを買いたい。」と何度も言っていたそうだ。 6000ルピーではいくら何でもコンピュータは買えないのだが、そのことは先生方も分かった上で、 再度の訪問を期待して発言しているようであった。そのことは頂戴した手紙にも書かれていた。 ただし、この学校自体に電気が引かれていないので、コンピュータの前にまずその点を解決しなくてはならない。

バグクマリ小学校にてH

最後に全員で記念撮影。撮影の際、三脚に据え付けたカメラが傾いてしまいました。写真をクリックすると拡大します。

ユーティキ村にて

学校内や学校からの帰路で出会った赤ちゃんに、日本で寄付いただいた服をプレゼントした。 この赤ちゃんにもプレゼントすべくサイズ合わせをしようとしたところ、 急におじさんたちに取り囲まれて怖かったのか大泣きされてしまいました。

タメルのストリートチルドレン

この日の夜、スージットの家での宴会の後、カトマンズ随一の繁華街、タメルへ繰り出した。 するとそこにも多くのストリートチルドレンの姿が...。私は2次会の間も彼らのことが気になり、 一人宴席を抜け出して近くの売店でナッツのお菓子を購入し、彼らに配った。 ところがその子供たちから「もっとくれ、もっとくれ。」と後を追い回される事態に。 やむなく彼らを振り払うように店へと逃げ帰ったのだった。

筋ジストロフィー・チャイルド・ケア・ソサエティにて@

翌日、バグタプル市にある筋ジストロフィー・チャイルド・ケア・ソサエティを訪問した。 この施設は2年前にも訪問しており、そのとき以来今回が2度目である。 訪問したときは、子供たちはちょうどバスケットボールを楽しんでいた。

筋ジストロフィー・チャイルド・ケア・ソサエティにてA

前回の経験を踏まえ、おもちゃやゲームを持参、子供たち一人ひとりに手渡した。後ろのほうにひとりぽつんと座っている少年は、 病気が進行してしまってもう手足をほとんど動かすことができないそうだ。 この病気を発病した子供たちの多くは、20歳前に命を落としてしまうという。

筋ジストロフィー・チャイルド・ケア・ソサエティにてB

以前、この施設の工房で様々な紙製品を作っているのを見せていただいていたので、 工房や子供たちのレクリエーションに使ってもらうべくサインペン、マジックペン、ボールペン、クレヨン、定規、はさみ、 カッターナイフ、お絵かき帳、色紙をプレゼントした。

筋ジストロフィー・チャイルド・ケア・ソサエティにてC

お礼のつもりなのか、一人の子供がピアニカを弾いてくれた。といってもただ「ドドドド、レレレレ、ミミミミ…」と順番に鍵盤を 叩いているだけなのだが。でも、何だか嬉しかった。施設の会長さんによれば、これもお腹の筋肉や呼吸器の機能を維持するトレーニング になるのだそうだ。

筋ジストロフィー・チャイルド・ケア・ソサエティにてD

常に運営資金に困っているこの施設には、1万ルピー(約1万9千円)を寄付した。

筋ジストロフィー・チャイルド・ケア・ソサエティにてE

別棟には工房のほか厨房と会長さんたちの居住スペースなどがあり、2階にはパソコンもあった。以前、紙製品の売上金を貯めて購入したものだという。 子供たちもパソコンを使っているのだが、子供だけにメールを時々やる以外はゲームに使うことが多いとのこと。 このほか子供たちのベッドルームもあり、子供たちのうち3人はここで寝泊りしているそうだ。 2階まで自力で上がるのはおそらく無理だろうから、会長さんが抱きかかえて上げているのだろう。

筋ジストロフィー・チャイルド・ケア・ソサエティにてF

協力の意味も込めて、この施設の工房で作っている紙製品を購入することにした。買ったのは封筒とポストカードを各20枚、しめて400ルピー。 ところが会長さんがお礼と言って帳面やら何やらいっぱい付けてくれるので、500ルピー紙幣を渡してお釣りを受け取らないことにした。

筋ジストロフィー・チャイルド・ケア・ソサエティにてG

全員で記念撮影。後列右端の女性は、この施設の子供たちに勉強を教えるためにやってきた先生。先生に対してはもちろん報酬を払っている。 シャッターが切れる寸前に私が紙風船を放り上げたら、子供たちはクスッとだけ笑ってくれた。 いつも硬い表情の子供たちに少しとはいえ笑顔が見られたのは良かった。写真をクリックすると拡大します。

サンリサ・オーファネッジ・ネパールにて@

次に訪れたのは、スージットたち歯科医師が中心となって、4ヵ月前に設立したばかりの孤児院。 場所は日本大使館近くの高級住宅街にあり、東京で言えば青山、麻布、名古屋では白壁、自由が丘といったところ。 近くにはWWFの事務所もあった。一方で軍の駐屯地とも近く、時々銃声も聞こえてくるという。 孤児院はこの建物の1階の一部と2階を間借りしている。

サンリサ・オーファネッジ・ネパールにてA

訪問したとき、ちょうど家庭教師役の施設職員が子供たちの勉強を見ているところであった。 勉強用の机がないため、床に教材を置いて勉強していた。

サンリサ・オーファネッジ・ネパールにてB

施設内は物は少ないものの、非常に衛生的であった。写真は女児用の寝室。このほかトイレも男女別々にあり、 どちらも日本のトイレと見まがうばかりのきれいな水洗トイレであった。 なぜ、こんなに良い施設なのかと尋ねると、一つはもちろん子供たちのためを考えてのことなのだが、 最近いい加減な経営の孤児院が増えたため、政府の許可を得るための審査が非常に厳しいからだという。 許可を得るためには、施設の審査のほか、30万ルピー(約55万円)の供託金も必要なのだそうだ。 その供託金の額も本当はもっと高額なのだが、いろいろツテを使って30万ルピーにしてもらったという。

サンリサ・オーファネッジ・ネパールにてC

この子の名前はオンチュー。年は4歳とのことだが、見たところ2歳ぐらいにしか見えない。 彼はヒマラヤ登山で有名なシェルパ族の村の出身で、両親が共に亡くなり、おじさんに連れられてカトマンズにやってきて この施設に預けられたそうだ。来たときはガリガリに痩せていたという。彼は村ではシェルパ語のみ使っていたので、 今もネパール語をほとんど話せない。というより言葉自体ほとんど発することがない。笑うこともほとんどないという。 一方、施設の人の言っていることはある程度わかるらしい。 しかし、私がいる間にも施設の人に何か言われてどう対応して良いか分からずに泣きそうになる場面があった。

サンリサ・オーファネッジ・ネパールにてD

毎回ご協力いただいている東京在住のNさんからお預かりしたお金で、近所の店に食料などを買いに行く。 米90キロのほか、豆、塩、砂糖、食用油、紅茶、ビスケットとプロパンガス1本を購入。計8088ルピー(約1万5千円)。 これだけ買っても、1ヶ月ぐらいしかもたないそうだ。ガスについては今回カートリッジごと購入したので、 次回以降はガスのみの購入で済むとのこと。
余談だが、米屋のおじさんが”牛久さくら屋”というロゴの入ったポロシャツを着ていたので気になって聞いてみると、 以前日本語を習っていたそうで、思わぬところでしばし日本語でのやりとりとなった。

サンリサ・オーファネッジ・ネパールにてE

施設へ戻り、日本から持参した、衣類、タオル、ノート、鉛筆、ボールペン、消しゴム、マジック、サインペン、おもちゃをプレゼントした。

サンリサ・オーファネッジ・ネパールにてF

全員で記念撮影。子供は総勢10人。その中に2組の兄弟がいる。 まだ甘えたい盛りの年齢の子供も多いが、両親に甘えた記憶もない子もいるのではないかと思う。 とはいっても、この国の状況を鑑みると、ここにいる子供たちはまだこの施設に来れただけ幸運とも言える。 写真をクリックすると拡大します。

サンリサ・オーファネッジ・ネパールにてG

最後に子供たちが代わる代わる歌と踊りで我々をもてなしてくれた。ところが、写真の子は踊りながらなぜか目に涙を溜めている。 そして、踊り終わった後には大泣き。涙の理由は分からない。 単にシャイなだけなのか、どこか痛いところでもあるのか、それとも何か昔の辛い出来事でも思い出したのだろうか。
なお、この孤児院にはホームページがあるので、ご関心の向きはこちらをクリックして下さい。
写真をクリックすると拡大します。

ストリートチルドレンとの出会い@

過去2回、ストリートチルドレンと出会った場所へ行ってみると、乗り合いタクシーターミナルの片隅に5人のストリートチルドレンが。 「お腹空いたー。」と言うので、これもいつもの食堂へ連れて行く。手前左端からディネス・カルキ10歳・パタン出身、 チャンダン・タマルカ16歳・パタン出身、ソビン・ケーシ13歳・キルティプル出身、向こう側左がビッサル・カパ10歳・オカルトゥンガ出身、 水を飲んでいるのがヴィシス・チャタリ13歳・シンドゥリ出身。シンドゥリ出身の子を除いてみんな地元の子供だ。

ストリートチルドレンとの出会いA

さらに驚いたのは、彼らと話すうちチャンダン・タマルカ(真ん中の金髪が入った子供)がウッタムの遠い親戚であることがわかったことだ。 ”タマルカ”という苗字がウッタムと同じなので彼がどこの家の子供かと聞くと、ここから1キロも離れていないところの子供であることが判明。 ウッタム自身もお父さんのことを知っているという。チャンダンのお父さんは大酒のみでお母さんが家から出て行ってしまい、 新たにやって来た女に家を追い出されてストリートチルドレンになったそうだ。それからもう4年になるという。 ウッタムもそのお父さんが酒飲みであることは知っていたが、子供の存在自体は知らなかった。ましてやストリートチルドレンになっていたとは ウッタムもショックを受けた様子。

ストリートチルドレンとの出会いB

食堂の中には大勢のお客がいたため、その冷たい視線に耐えられなかったのか、 全員が食事を全部平らげることなくそそくさと寝ぐらへと戻って行ってしまった。 もうこれ以上話もできそうな雰囲気ではないので、帰ろうとすると後ろから、日本語で「サヨナラ、アリガト」という声が...。 気のせいかと思って振り返ると、先ほどのチャンダンが「サヨナラ」と言うではないか。話を聞くと、ストリートチルドレンになる前に 日本語学校に通っていたという。その事実に今度は私がショックを受ける。 日本語を学んでいた子供がストリートチルドレンになってしまったなんて、日本人として何だか悲しい。

養老院にて@

今年もパシュパティにある養老院を訪問。ちょうど朝食が終わる時刻であった。昨年は、全員にバナナとクッキーを配ったこともあり、 二ランジャンから「今年も配りますか?」と聞かれたけど今年は止めることにした。 それはパフォーマンスとしては絵になるけど、それだけのものに過ぎないを思ったからだ。その分寄付するお金を増額することにした。 写真をクリックすると拡大します。

養老院にてA

この日は、故マザーテレサの宗教団体からシスターが奉仕にやってきていた。(写真左端の白い服を着た女性。)

養老院にてB

我々が事務所へお金を届けようとすると先客があったのでしばし外で待つ。しばらくすると50歳ぐらいの白人夫婦が出てきて、 外にある募金箱にお金を入れていった。中に入り所長さんが言うには、今のはアメリカ人で、施設内を所長さん自ら隅々まで案内し、 最後に「いくら寄付してくれますか。」と聞いたら夫婦で「1ドル。」と答えたので、「それなら外の募金箱に入れてくれ。」と言って お引取り願ったそうだ。私が寄付したのは6000ルピー(1万円少々)に衣類、タオル、石鹸多数にサンダル一足。 所長さんは「ビューティフル。」と言って受け取ってくれた。それだけでなく、お金の入った封筒に私の名前と国籍をメモしていた。 そりゃ寄付の額は気持ちの問題ではあるけど、施設内を案内までしてもらって1ドルなんて。そんなの寄付じゃなくてチップだよ〜アメリカ人君。

ICカトマンズにて

名古屋に本部のある語学学校IC名古屋のカトマンズ支部であるICカトマンズを訪問。 IC名古屋には、私もメンバーになっているネパール・東海文化交流会が、 会合場所のご提供などで大変お世話になっていることもあり、またぜひ行ってみてはとの勧めもあって訪れた。 集まっていた生徒は、みんな20歳前後の若者ばかり。私は”正しい日本語”を教える自信がないので、彼らから質問を受ける形で、 日本の文化や風俗、そしてもし日本に留学できたらどう生活すればよいか、 そのためにはネパールでどんな用意をしておけばよいかなど30分に亘ってディスカッションした。 写真をクリックすると拡大します。

再びサンリサ・オーファネッジ・ネパールにて@

今回、大阪在住の支援者の方の9歳の娘さんから、ネパールの子供に宛てて書いた手紙をお預かりしたので、 孤児院の子供にお渡ししようと思っていたのだが、昨日の訪問時に米やガスの購入に時間がかかりすぎて、 すっかり忘れてしまったため、手紙を届けるべく再度孤児院を訪問した。 代表してスリジャナ・タマンちゃん(9歳)に、手紙(ネパール語の翻訳付き)を受け取ってもらった。 彼女は、昨日プレゼントしたばかりのワンピースを早速着てくれていた。 昨日はウルトラマンの絵の入った男の子用のシャツを着ていたのだが、女の子らしい服を着せてあげることができ良かったと思う。

再びサンリサ・オーファネッジ・ネパールにてA

彼女たちが手紙の返事を書く間、年少の子供たちと遊んで過ごす。昨日は、こんな時間もあまりなかったので改めて訪問して良かったと思う。 子供たちには、手紙同様に昨日渡し忘れたステッカーを配布した。子供たちは早速、通学用のリュックサックに貼って大喜び。
このあとウッタムが、ネパール語があまり話せないオンチューに「このステッカー誰からもらったの?」とネパール語で質問。 するとオンチューは、私を指差して「バブー」(ネパール語でパパの意味)と一言。これにはウッタムや隣りにいたニランジャンは大爆笑。 2人から「まだ結婚もしていないのに先にお父さんになってしまいましたねぇー。」とさんざんにからかわれる羽目に。 写真をクリックすると拡大します。

再びサンリサ・オーファネッジ・ネパールにてB

オンチューのリュックにもステッカーを貼ってあげたのだが、彼はステッカーをいじっていたいらしく、何度も剥がそうとする。 それを周りの大人が何度も止めたのだが、努力の甲斐なく我々が帰るときにはステッカーはリュックから剥がされ、 なぜか彼のズボンの太もも部分にべっとり貼り付いていた。 でもオンチューはそれが嬉しいのか微かに笑っているように見えたので、まあ良しとするかぁ。

再びサンリサ・オーファネッジ・ネパールにてC

返事を書いてくれたのは、子供たちの中のお兄さん、お姉さん格の3人。左からラクパ・シェルパちゃん9歳、スリジャナちゃん、 それにキラン・ライ君12歳。キランは最年長だけあって英語で書いた。彼は物を書くのが得意らしく、 他にも絵や「THE RIVALS」というタイトルのポエムを書いてプレゼントしてくれた。写真をクリックすると拡大します。

孤児院再建へ向けて@

最後の夜は再びトリヨタムさん宅を訪問。彼が言っていた若い人たちの孤児院再生の熱意を推し量るために、 私がリクエストして集まってもらったものである。その若い人たちとは、マハルジャン(後列右端)、ラビンドラ(マハルジャンの左隣)、 シャンカル(ラビンドラの左隣)とラジャナさん(前列左端の女性)である。実は彼らとは初対面ではない。(それぞれ02、03ネパール編にも 登場しています。)まずはトリヨタムさんと孤児院の現状について詳しく伺う。子供はもういないことなどは前述したとおりだが、 会長さんは疲れてもう孤児院はやりたくないと言っていること、孤児院の許可証はまだ生きていること、孤児院をもう一度やるなら、 許可証を取り直すより今の許可証を生かしたほうが、手続き的にはるかに簡単なことなどを伺う。写真をクリックすると拡大します。

孤児院再建へ向けてA

それを受けて孤児院をどうするかであるが、彼らの話を聞くと孤児院をやる気持ちはあるのだが、 そのためのプランはほとんど白紙の状態であった。正直言って、まだ思い付きの領域を出ていない。 私は、@大勢の人に支援を求めるのなら軽い気持ちでやってはダメ。今の段階では、日本で支援の呼びかけはできない、 A特定の人間に負担がかかるような運営をしては、今回の失敗を繰り返しかねないので、必ずみんなで協力してやること、 という主旨のことを繰り返し述べた。彼らもそれは理解してくれた様子。 「一度じっくり計画を練って連絡します。」というので、私はそれを待つことにした。 とりあえず全員のメールアドレスも聞いたので、何度もやりとりしながら結論を出そうと思う。 孤児院を再建するのなら、何より子供のことを第一に考えたものでなければと思う。
孤児院再建の方向性もまだ見えぬままであったが、兎にも角にも先立つものがなければ何も出来ないので、 とりあえず5万円をお預けする。このお金が生きるも死ぬもこれからにかかっている。

パタン・デンタルクリニックにて

ネパールを去る日の朝、スージットのクリニックを訪れ、今後の活動に対する資金提供を行う。 サンリサ・オーファネッジ・ネパールに対して19000ルピー(約3万5千円)。 これは東京在住のNさんからお預かりした資金である。 また、デンタルキャンプの際、子供たちに配布するために購入した歯磨きセット代2500ルピー(約4600円)を提供した。

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