'01ネパール編

昨年のネパール初訪問で多くの友を得て以来、Eメールでの交流が続き、2001年9月、再度の訪問へとつながる。 これまでのNGOのメンバーとして参加した活動と違い、今回は、私自身で何回もこちら側の要望をネパール人の友人にメールで伝えた上で、現地でスケジュールをアレンジしてもらう形をとった。 いわば、海外ボランティア初プロデュースといったところか。。参加メンバーは活動に賛同してくれた職場の上司や、友人など総勢4名。
数ヶ月前にネパールで国王殺害事件が起こり、出発5日前には9.11のテロが発生。 おまけに旅行中に、カトマンズで極左組織主導の10万人デモが行われるとのニュースが入り、不安で一杯の出発となった。 ところがいざ行ってみると、ただでさえ段取りどおり物事が進まないことが多いネパールで、スケジュールを完璧なまでにこなすことができ、協力活動も満足がいくものとなった。 もちろん、これにはいろんな方々の協力あってのこと。特に現地でいろいろお世話になったニランジャンとタラには大感謝。。。

○日   程:2001年9月16日〜23日
○主な活動先:@ラリトプル郡ナルー村、Aバグタプル市、 Bパシュパティナートの老人ホーム、C日の出日本語学院での交流など


日の出日本語学校@

最初のプログラムは日の出日本語学院の授業への飛び入り参加。授業は毎朝7時から行われている。生徒は皆、仕事を持っており、毎日出勤前に通ってくる。 中には2時間もかけて通っている生徒もいるとか。我々が講師となって即席授業が始まる。

日の出日本語学校A

授業への飛び入り参加は、特にメンバーの一人の強いリクエストによるもの。生徒の真剣そのものの眼差しにいたく感銘を受けた様子。

日の出日本語学校B

日の出学院には、日本で寄付いただいた日本語入力可能な中古パソコンを贈呈した。左側が日の出学院の校長先生。

ナルー村への道@

2つめのプログラムは、貧困問題を抱える村への物資の配布。今回訪問したのは、カトマンズ南方のナルー村。4輪駆動車をチャーターして向かう。 途中から、とんでもない悪路となり、車の底が擦れて油漏れを起こし、一時、帰れなくなるのではないかと気を揉んだが、何とか無事、帰ってくることができた。

ナルー村への道A

小さな川のほとりに出たところで、それ以上車では進めなくなり、後は荷物を担いで徒歩で進むことに。 歩くだけでも我々にとっては困難なところもあり、荷物は、ほとんどネパール人の友人たちが持ってくれたが、メンバー中、ワイルドさナンバーワンのMさんだけは、彼らに交じって荷物を担ぎつづけた。

ナルー村への道B

途中、小さな川を何度も渡河する。流れが結構速かったり、石がぬるぬるしていたりで、まずは転倒しないように、そして荷物を落とさないように注意をはらう。

ナルー村にて@

ナルー村はカトマンズから直線距離にすれば25km程度だが、車と徒歩で片道4時間かかった。 カトマンズからこんなに近いにもかかわらず、この村が貧しいのは、数年前に大雨で大規模な土石流に襲われ、家も畑もみんな流されてしまったからとのこと。そのときには死者も出たらしい。 このほか、近くには数年前タイ航空とパキスタン航空が相次いで激突した山があるとか。

ナルー村にてA

小学生には鉛筆やノートカバンなどを配布。この他村人たちには、古着、タオル、石鹸などを配布した。無用なトラブルを起こさないため、全員に可能な限り、同等、同質なものが渡るように配慮して配布する。

ナルー村にてB

ネパールで普通に売っているノートの紙質はあまり良くないため、真っ白のページに驚いたのか、はたまたノートなど手にしたことがないのか、この家族(?)は、何も書いてないノートを飽きずに何度もめくっていた。

ナルー村にてC

小学校は山の斜面のわずかの土地に建てられている。右手のほうはすぐ川へと下る斜面になっている。

ドナヤク・サラ・ソティ小学校@

次のプログラムは、カトマンズの近郊、ティミ北方の村の小学校での活動。 距離はわずかだが、途中道路に土管が放置されていて、それが原因で大渋滞を引き起こしていたため、到着にかなり時間がかかった。ナルー村で、ノートはすべて配ってしまったため、日本で寄付いただいた現金で買い足し、鉛筆、定規などとともに配布した。

ドナヤク・サラ・ソティ小学校A

全員に行き渡るよう配布するためには、日本で準備する段階から、児童の数をよく聞いておくことが必要。

ドナヤク・サラ・ソティ小学校B

最後にみんな揃って記念撮影。私立学校ということで、時々極左グループから授業の妨害を受けているという。この日は学校は休みだったにもかかわらず集めってくれた。

ドナヤク・サラ・ソティ小学校C

学校の全景。ネパールで私立学校といえば、一応金持ちの子供たちが通う学校ということだが、そのイメージとは程遠い。

クラシックカー!?

チャーターした車は、文化財級の相当な年代物だった。車って、手入れさえすれば何十年ともつんですねえ。

老人ホームにて@

昨年も訪問した、マザーテレサが始めた老人ホームを再訪した。

老人ホームにてA

昨年の経験から、全員に行き渡るだけのタオルと石鹸を用意し、配布した。

パーティー

最後のプログラムは、日の出日本語学院でのパーティー。写真は、最後に全員揃っての1枚。再会を約し、ネパールを後にした。

いろんなお宅でごちそうになりました・・・その@

ネパールでは、旅人は神様だとする考え方があるそうで、知り合いになると必ずと言っていいほど食事の招待を受ける。 ナルー村へのボランティアを行った日の夜は、ニランジャンからの招待を受けた。

いろんなお宅でごちそうになりました・・・そのA

タラ(前列左から2番目)の親戚の家にて。タラの部族(マガール族)は、昔からグルカ兵としてイギリス軍の傭兵になる人が多く、この家のご主人も、現在イギリス軍に所属しているとか。 そのため、家に残っているのは女性ばかり。イギリス軍に入れば相当な給料を貰えるらしく、家も調度品も立派なものばかりだった。

いろんなお宅でごちそうになりました・・・そのB

ポカラのタラの姉家族宅にて。この家のご主人(左端)も、元イギリス軍に所属していたとか。40代前半で退役した後、結婚したため小学生の子供が2人いる。過去には、韓国で国連軍として勤務したこともあるそうだ。 今は、イギリス軍から年金も貰っているそうで、仕事には就かず、ヒマラヤの眺めがすばらしいところに家を建て、子供に良い教育を受けさせるためだけに日々を過ごしているとか。。

いろんなお宅でごちそうになりました・・・そのC

同じく、ポカラの親戚の家にて。ご主人はやはり、イギリス兵。現在家に残っているのは、女性と子供ばかり。 子供は大学に通っており、英語が堪能だったが、こちら側の英語力に問題があり、日本の地形や暮らしぶりなど色々質問されたが十分な回答ができなかった。

いろんなお宅でごちそうになりました・・・そのD

友人の一人スニルは、当時日本にいたため、甥っ子のプラディプがボランティアに協力してくれた。そのプラディプから昼食の招待を受ける。

いろんなお宅でごちそうになりました・・・そのE

日本に帰る前日の夜は、二ランジャン一家と楽しい一夜を過ごした。

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