大きなチャンス:シェローとバイロイト 1

未来の大物を求めて

 「ペーター・ホフマンの舞台履歴は1972年に始まったが、すでに1973年に、ヴォルフガング・ワーグナーは、ある年配の歌手を通じて彼に注目していた。ホフマンは1973年8月12日にバイロイトでの最初のオーディションに招かれている。これを仲介したのは、そのころ歌手たちの間ではすでにほとんど伝説的存在になっていたエージェント・シュルツだった。1975年3月に、当時三十歳だった彼は、ブーレーズとシェロー新演出「リング」のキャストとして検討すべき選択肢に含められていた。事前の話し合いで、ペーター・ホフマンは「ラインの黄金」のローゲが考慮の対象になり、また、最初からずっとジークムントにと考えられていた。実際は、1976年の夏に向けて、ジークムントとパルジファルとして契約がなされた。バイロイトにはワーグナーの分野で若い歌手たちにチャンスを与える伝統がある。戦後、音楽祭が初めて再開された1951年にはすでに、ワークショップを意図しようとする傾向が顕著だった。そして、今日、バイロイトは、以前に増して、自らをワークショップとして考えている。ヴォルフガング・ワーグナーと兄のヴィーランド・ワーグナーが1949年に戦後初の音楽祭の準備をはじめたとき、ザルツブルクでキルステン・フラグスタートは協力を求められて、こう助言した。『若い世代と共にはじめなさい』そして、アストリッド・ヴァルナイをバイロイトに推薦した。しかし、バイロイトにとって、未来の大物を求めるという方針は、ワークショップ理論実現のためだけではなく、どうしても必要なことでもあった。というのは、数少ない一定数の役を、バイロイトのワーグナー・レパートリー内で、周期的に繰り返しているという状況下では、水準を維持するために若手の発掘を心懸けることが特に重要になるからである」(バイロイト音楽祭広報室長、オズワルド・ゲオルグ・バウアー博士)

  「バイロイトでは、すでに1973年に『トリスタンとイゾルデ』のメロート役のオーディションを受けた。もっとも私は当時この役には若すぎると思われた。それに、ゲッツ・フリードリヒが私を使うをことを検討していた。彼はすでにこの時期にアムステルダムでのパルジファルのために私にねらいをつけていたのだった」(ペーター・ホフマン)


彼は私に対して責任がある

  「私は個人的に、演奏における文字どおり原典に忠実な再現は、作品に対する重大な虚偽及び不実でしかないと考えている。それは作品を頑に初演時の枠内に限定しようとするものだ」(ピエール・ブーレーズ)

  ヴッパータールでジークムントを歌ったとき、私を聴くために重要人物たちが突然姿を現した。劇場中が興奮した。全部で九回か十回あったどの公演も、客席に、ベストを尽くせば報いてくれるだれか座っていると思わないわけにはいかなかった。劇場経験やっと三年目という新人にとって、まったく相当な負担だった。新人(Anfaenger )という言葉は、それ自体、全く正しくない評価を含んでいるから、我々は Anfangenderと言っている。私は、初舞台から、もっぱら大きな役を歌っていたのだけれど、それがうまくいかなかったら、もはや全く何も歌うことができなくなっていたところだ。舞台の上でトレーを捧げて「伯爵様、馬を・・・」などという役を、私は知らずに済んでいる。喜ぶべきか、悲しむべきか。それはタミーノで始まり、以来、この規模の役にとどまっている。その代償として、危険と重荷も同様により高い水準へ向った。しかし、私は若くて、世界を破壊したかった。奇妙なことに全てが、時にはそこそこによく、時にはとてもよく、機能した。そして、既存社会での地位の確立など夢にも考えていなかった状況で、バイロイトへとの要請が来た。全く予想外だった。もっともヴッパータールのプレミエの後で、「彼らはきっと君をバイロイトへ呼ぼうとしているのだ」と聞かされてはいたが、具体的なことがわからないうちは、こういう話についてことさら考えたりはしないものだ。
  その後、話が進んだ。オーディション、エージェントとの交渉が先行したが、驚いたことに、水泳パンツ姿の写真が欲しいという話だった。水泳パンツ? 一体全体、どういうことなのか。何をさせようというのだろうか。そのころは、ヴォルフガング・ワーグナー自身が出かけていって、まず一回目、歌手をじっくり見て、二回目、それは、契約しても大丈夫という確信が持てるまで続き、それから、いずこも変わらぬ重要な行為、すなわち、判を押して契約成立、バイロイトで歌うことになるわけだ。(今日では、演出家と指揮者が、だれが歌うかを決めることが多い)
  写真を求めて・・・がらくたを引っ掻き回して休暇中の写真からターザンみたいなばかげたポーズを取った水泳パンツ姿の一枚を苦労して探し出して送ったが、私が彼らをからかっているのか、いないのか、彼ら自身で判断してもらうしかないと思った。あのときシェローはサイズとタイプをちょっとみたかっただけなのだ。(実際、ちびででぶの金髪男と背の高い黒髪のスラブ女を双児のペアとして売り出そうとする演出なんてあるはずがない)
  そうこうするうちに、ひどい話が漏れきこえてきた。何だか蒸気機関が活躍するというのだ。だれも想像できなかった。「リング」のどこに内燃機関が蒸気をあげるべきところがあるというのだろうか。ひょっとしたらニーベルハイムにあるのだろうか。「もう聞いただろうが、舞台に馬が登場して、ヴォータンは燕尾服を着ているそうだ」フロックコートを着たヴォータンなど、否だ、そんなのは時代考証から言ってもとにかくがまんできないというのが合い言葉になった。要するに、バイロイトは、五月のはじめには、世界的大都市の対極だ。まず音楽祭がこの小さな町を目覚めさせ活気づけるのだから、春の間はぼんやりと眠っている。歌手は通常もっとおそくバイロイトに行くから、すでにいたるところである種のリハーサル神経症が蔓延しているころの雰囲気しか知らない。しかし、この「リング」はそうではなかった。一度に四つの新演出だったから、六月の末までには取りかからざるをえなかった。私たち、マッティ・サルミネン、ハンネローレ・ボーデと私は、三人いっしょに到着した。それから、シェローが部下を引き連れてやってきた。私はシェローの演出は見たことがなかったが、それについてうわさを聞いたことはあった。バイロイトへ行ったとき、私は奇妙に分裂した気分だった。「パルジファル」のタイトル・ロールとしても同時に契約を結んでいて、どっちに精神を集中したものかわからなかった。バイロイト体験それ自体に対して、それとも、この特殊事情に対して、心の準備をしたほうがいいのだろうか。特殊なことになるということは、前から分かっていたことだ。
  翌日、最初のリハーサル。そこにひっきりなしに爪をかんでいる、うそみたいに若く見える若い男が座っていた。パトリスは、私の知る限りでは、私より半年若くて、物凄いヘビースモーカーだった。これがとりもなおさず摩擦の最初の原因だった。というのは、六人か、八人のアシスタント、いずれにせよ、私には信じられないほど大勢に見えたが、彼らもまたそこに座って、ゴロワーズ(Gaulises)、ジタン(Gitanes)、等、多種多様のタバコを吸って、もうもうとたちこめる煙りで空気を汚染していた。私はのどがからからにかわくのをこらえていたが、腹が立ってきて、しばらくしてついに我慢できず、「君たちがタバコを吸うのをやめるか、さもなければ、私たちが歌うのをやめるかだ。どっちが重要かわからないが」と言った。びっくり仰天の顔、顔、顔!彼らは今まで演劇の仕事で、俳優がこういうことについてほとんど苦情を言わないのに慣れていた。私も時々タバコを吸うが、リハーサル中は吸わない。あれこれの話し合い。攻撃的な雰囲気。神経がぴりぴりの状態。
  私たちは、装置のない稽古舞台で、その場面用の間に合わせの小道具をつかって、稽古していた。スツールが世界のトネリコとして使われていたが、スツールをトネリコに見立てることには、すでに豊かな想像力が要求される。あるいは、左前方にある小川は、チョークで描いた円を印にした。このように稽古するのは普通だから、私たちはこういうことに関して、特殊なこととは思わなかったが、ほかのことで、びっくりさせられた。私たちは、しょっちゅう床にひざをついた状態で、狂ったみたいに身体を使わなくてはならなかった。二日後には、ひざの使いすぎで、もう床にひざをつく気力は大方失せてしまっていた。そこで、ひざ当て、つまりサッカーのゴールキーパーがしているようなのをつけて、続けた。私たちは身体が固定する瞬間まで、決して歌うことができない。「本来、私はここで歌うべきなのに、純粋に身体的負担が原因で、まだスポットライトもあたっていないのに、もう汗だくだ、こんな状態では、歌手としては全然つかいものにならないに決まっている」私たちは反乱をおこして、こうがなりたてた。しかし、彼は頑固に、譲歩しなかった。
  その間、いついつカール・リッダーブッシュが来るといううわさが絶えず流れていた。シェローは遅いではないかと怪んでいた。「はい、私にはわかりません、そこに行かなければならないのか、それとも何か・・・」他の人が「いえ、いえ」と、なだめて言った。「カールはただちょっと率直なだけです。彼は思っていることを言うのです」(たしかにどんなことも必ずしも欠点ではないというわけだ)カールが到着したとき、全員が興味津々だった。二人はどのようにふるまうだろうか。リハーサルは進んで、第一幕、フンディングのリッダーブッシュは、立ち去ろうと身体の向きを変え、オーケストラは剣の動機を奏で、ジークリンデは、ジークムントに目で武器のありかを知らせようとしている。そこ、そこ、ちゃんと見て、そこよ!、という具合に、彼女があまりにもこれみよがしに視線を投げれば、かなり困った感じになることもありうる。だれにでもわかるのに、ジークムントだけがわからないのだ。むしろわかってはいけないのだが・・・カールは、こういうことを知りたがる。「剣を見ないようにするには、私はどこに立つのですか」シェローはこう答える。「どういうことですか。 あなたは黙って見ていればいいのです」カール、「私は剣を絶対に見ないはずです、だって、剣のことは秘密なんだから」シェロー、「どうして秘密なんですか。フンディングとしてのあなたは、あなたの屋敷の真ん中にあるトネリコの木に、剣が突き刺さっていることを、知っているはずだと思いますよ。フンディングのあなたは自分ですでに試してみたとは思いませんか。『来る客、去る客、最高の力自慢が刀を引っ張りました』とあります。あなたは力自慢の男なんだから、だれも見ていないときに、一度は引き抜こうと試してみたに決まっています。でも、当然、うまくいかなかった。あなたは大きさはジークムントの二倍はあって、太っていて重い、だから、自分ができなければ、ジークムントは未来永劫できるはずがないと、内心せせら笑っているのです」この議論はカールの考えを変えさせた。彼は、多少不機嫌な様子で、ちょっとぶつぶつ言っただけだった。休憩時間に、彼は私をわきへひっぱっていって、シェローのことを「ばかじゃないな」と言った。大した出来事ではないが、論理でいわゆる不平家を納得させることができるのだということが私の心に残った。

  「歌手たちとの仕事が紛糾せずに進行した理由は、こういうことだ。動作、演技において歌手たちに提案したことは、結局のところ、歌唱とオーケストラの脈動以外の何物でもないのだ。彼らが費やすべきエネルギーは、彼らが常日頃追求している音楽におけるエネルギーと変わらないのだ」(パトリス・シェロー)

  普通、歌手は非常に保守的である。ヴィーラント世代、フェルゼンシュタイン世代、ひょっとしたら、もうすぐシェロー世代などと言われるかもしれない、それはともかく、このような世代というものは、例外的に生じるのだが、だれもが、自分が偉大だった自分の時代がもっともよいと考えている。新しいことをはじめようとするときは、こういうことが主張されるものだ。「昔とはもはや比較などできはしない。当時は当時だ。すべてが以前よりよいのだ」こんな風に思うのは、私たち「シェローの子どもたち」にとっても、ほんとうに危険きわまりないことだ。彼との仕事の後、自分がいかに演出家に対して挑戦的になったかということに気がついた。もしかしたら、全く不当な挑戦だったかもしれなかった。私は決して狭量ではないから、今からでもそういうことはやめたい。私はすぐに新しいものを擁護するが、それはかなり激しいにちがいない。私はそれが逆効果だと感じると、かえって意固地になった。だが、私たちが効果をあげるためのおおげさな芝居をしなければ、その結果、人々は安楽椅子に座って思いきりのびをして、考える。「驚くほどつまらないが、同時に非常に居心地がよいのは、歌手たちがおそらく気分がいいのだ。だれも汗もかかずに、気取っているから・・・」いつもこのような具合だった。私はこういう風にはしたくない。それなら、オペラに行く人にとって、ベットで眠ったほうがずっと安上がりだ。オペラを作り上げる際、歌手は概して不利に扱われていると強調したい。つまり、一部の演出家は、おそらく無意識にだろうが、時に全く明らかなことに、無能であるが故に、歌手を無視して演出するらしいということに驚かされる。シェローは、この誤りを犯さなかった。彼は最善の効果を追求していた。「ワルキューレ」では、質的に変わったことは何もなかった、ましてや一種のギャグのためにだけ何かをまぎれこませることは絶対になかった。どの場面も最大限まじめに制作された。初めに彼にゆだねられたことを、決して冗談めかしたりはしなかった。他の演出家も論理的に行動するが、シェローが舞台に持ち込んだ論理は、感覚的なものだと言うことができると思う。それは複雑に曲がりくねった脳内を通り抜けるだけでなく、全ての人間から来て、再び全ての人間に向けられていた。物語の筋を細部に至るまで完全に論理的に形作ることと同時に観客の心をとらえる視覚的表現の中でそれを実行すること、この結合は演劇にとっては普通のことであるが、オペラにおいては、最高の演出家の下でのみ見つけることができる。

  そのため、オペラにとってはほとんど未知の次元が持ち込まれた。すなわち、シェローは小劇場のようなニュアンスを要求した。私たちは、観客はだれも、そういうことに気がつかないだろうからという理由で、そのことが討議されなかったのだということを納得させられた。それで、この演出は、あのような演奏の繊細さを体験できる唯一の機会だった。私たちは、この結果を、もちろんテレビでだが、自分で鑑賞することができた。録画は私たちにとって、舞台上ではぼんやりと予感するだけのことが、どういう風に伝わっているかをたどる数少ない手段のひとつである。自分で感じる公演の印象と、実際に他人に与えている印象との間にギャップがあるということは、ほんとうに悲惨なほどだ。だから、こういう奇妙な意思表示は単なるジェスチャーで、自発的な行為として、実現することはない。舞台で誘惑者を演じるには、さりげない感じで傾き加減の口をすることが必要だということは周知のことだ。これはむしろ通俗的なお話に関係があることは明白だ。ジークムントの場合、そういう常套的なやり方をしたいとは思わなかった。ジークムントは、どういう意味にしろ、誘惑者のような印象を与えてはいけない、少なくともそういうことを自覚していてはいけない。もしかしたら、ジークリンデに対して彼はまさに確信的に誘惑者だったかもしれない。しかし、絶対にプレーボーイではない。魅力が無意識に感じ取れれば、そして、もちろん観客が、二人がお互いを手に入れるべきだと望むなら、それは正しい。
  ところで、全てが薄暗がりの中だった、以前の演出が思い出される。ウィーンで、カラヤンの「リング」で歌った。カラヤンは、もう長い間、「リング」から離れていたから、ほんとうにその上にはほこりが積もっていた。カラヤンの演出は非常に暗いと言われているが、年によって、担当する助手が変わるから、一部は以前よりさらに暗くなっていると思う。観客に向って堂々と舌を出してみせたとしても、だれにも見えはしなかっただろう。歌手も、そして観客もまた、もっぱら声と音楽によって、感情を表現すること、そして、それを聴くことに慣れていた。そこにまだだれか立っているということは、はっきり言って余計なことだった。俳優が登場して、レコードを流すことができたら、少なくとも外面的には、似たような効果が得られるだろう。より完璧でさえありうるが、それにもまして、この欺瞞は、生体験の内的正しさを損なうものだ。劇場の観客が言う至福の時はひたすらこの生体験に負っているのだ。そこには、説明はできないが、絶対に忘れることができない何かが存在していた。

  「シェローは歌手たちと大いに共働していますが、愛があります。そして、歌手はそれを感じています。彼は仕事が好きですし、歌手たちが好きです。そして、歌手たちは彼が気に入っています。彼が言うことをとにかくやりたいと思うのです」(ギネス・ジョーンズ)

  シェローは、あらゆる瞬間における真実の達成という前提から出発していたと思う。そのために、自分自身と歌手を、可能性の限界に挑ませた。そして、歌手としてはこの程度しか「伝える」ことはできないが、自分の考えを明らかにしたいと思う。最初私たちの考えはこうだった。あのような大きな動きをすれば、もはや歌唱に集中することは不可能である。少なくとももう最善は望めない。そして、二倍も、三倍も良く歌えるところなのに、歌う前に疾走しなければならないので、安定した呼吸を維持できないという理由で、もはや、歌えないなら、それは歌手にとっては良くないことだ。シェローはそういうことを分かろうとしない。私は腹が立った。「私が<冬の嵐>を歌わなければならないときは、良く歌わなければならないのだ。うまくやってのけられないときは、それに関しては、あなたの演出とあなたに責任がある。そもそもあなたはオーケストラが何を演奏しているか知っているのか。明朝はオーケストラ・リハーサルだから、じっくり聴いたらどうですか」
  私たちは、ただ大層に鳴り響く、過剰に音響効果のよいリハーサル室で、第一幕を歌っていた。その後、彼は、響きに圧倒されて、青ざめて、この瞬間から質問をはじめた。「そこでまだ歌えると思いますか」そして、すぐに、私たちが案の定なかなか見出せなかった、妥協点を見つける準備ができた。私たちは突然妥協点を知りたいと思った。心理的に非常に上手いやり方だが、彼は要求を控えめにし、私たちはただちに大急ぎでその後を追って疾走した。彼の要求が少なければ少ないほど、私たちは虚栄心をかきたてられた。この瞬間から、私たちは自ら進んでいつも要求される以上のものを差し出すようになった。なぜなら、だれでも、操り人形のような気持ちで、身体を曲げるより、自ら進んで自分で考えたことをするほうが好きなのだ。「そっちへ行って、向きを変えて、もっと進んで」などと命令する演出家の下では、この操り人形的気分に苦しめられるのは、そうする理由が分からないからなのだ。歌手に、その役に対する自覚を持たせ、歌手を、自ら進んで人物を生み出すような方向へ持っていけば、成果ははるかに大きくなる。ジークムントは成長して、私の身体をはみだすほど、大きくなった。シェローの演技指導を思い出すとき、それは、バレエの振り付け師がするべき仕事以上のものだった。しかも、どうやったら、そのつど、そこに無意識に行きつくかということを、リハーサルで、彼は非常に適切に示したので、何が正しく、何がそうでないかを、私たちは自分自身で気づくことができた。ひとつだけ例をあげると、ある時ジークリンデにそっぽを向いて、前方へ行きながら、何と言うべきか、自分がまったく不作法者のような気がした。だが、私は後退しなくてはならないのだということを一度視線を交わすことによって互いに確かめあったとたん、すぐにこのような戸惑いの感情は消えて、演技はよりいっそう深みを増した。あとになって、この上演をテレビの画面でたどったとき、いまだになお、あれやこれやその他のことに首尾一貫してかかわることが可能だということがわかった。ところで、あれが絶対にもっとよくなったなんてことがあるだろうか。私は、あれはあまりにも上出来だったので、あれ以上うまくやることはほとんど不可能なように感じていた。それに、それがすばらしいというのは、オペラの舞台では、実に多くの事が失われている、いとも簡単に失われているという漠然とした感じを時々持つからだ。

  「カメラは、正確で、人間の目より冷徹に記録する。同様に、マイクは何物にも惑わされることなく反応し、全てのニュアンスを決定的にとらえる。しかし、完全主義はここでの議論とは全く関係がない。バイロイトの映像はもちろん生の舞台の感銘をしっかりと保つことが求められていた」(マンフレート・ユング)

  シェローのもとでは、理解がはやい。つまり、そこには何かが発生し、とにかく、皆がたいていはそれを理解する。はじめは私も多くの事に逆らっていた。まだ弓を引きしぼっておらず、準備がととのっていなかったからだ。リハーサルが始まったときには、ウサギはどこへ走っていくのか、つまり物事がどう進むのか、舞台で自分がどのような位置価値を占めることになるのか、わかっていないことが多い。緊張状態と最大限のことを求められながら、稽古し、頑張って、その結果どういうことになるのか、自分には見当が全くつかないということに、気がつけば、非常に悲しいというしかない。それでは、何故、私は朝の十時に狂ったみたいに目をきらきら輝かせ、緊張の極限をあえて求めずにはいられないのだろうか。作品に対する興味を薄れさせず、ますます強めて維持するためには、加えて、その作品をすでに何度もやり抜いたことがあれば、そして、ひょっとしたら、どうせ大して新しいことは出てこないのではないかと感じていれば、四週間のリハーサルは長い。というわけで、朝になるとうんざりした気持ちで出かけて行き、ある場面の十回目のリハーサルに顔を出す。演出家はもうこれ以上リハーサルすべきことはないと思っている。私は舞台の上で正しいという確信もなくぎこちなく歩きながら、納得していない場面の何回目かの繰り返しを稽古しているのだが、私は演出家が思い描いていることをあまり熱心に実行していないせいで、演出家の考えからすれば、二、三のミスをおかす。十一回目のリハーサルが十回目をすぐに訂正するわけだから、こういうことは、私に十分な熱意がないという理由で起るにすぎない。そこで私は新たに二つのミスをおかすというわけで、終ることのない無意味な循環に陥る。何も考えていないこういう種類の演出家は、とうてい歌手を最後まで頑張らせることはできない。パトリスの下では、このようなことはなかった。そこでは、私は、あの棒立ち状態や様々なオペラ的しぐさから離れて、身体的な面において、より多くの、より説得力のあることをやり遂げたいと思った。
  従来「ワルキューレ」のはじめは、ゆっくりふるまっていたものだ。音楽がゆっくりはじまるからだ。私たちがすばやく視線をかわしたその時か、あるいは、脚付きグラスの場面でチェロの部分に即座に応えたとき - これはすぐにぴったり一致した、多くのことがより自然で、オペラ的なもったいぶった動きは不必要だった。もう一つ別の種類の演技があって、そういう演技においては、一部は完全に音楽にゆだねられるべきなのだ。しかし、だからといって、すべてを等しく音楽任せにしてよいわけではない。それどころか、普通でない動きが、音楽の中でなおざりにされていた文脈をあらわにする助けになる。しかし、そのためには、決まりきったレールは破壊されなければならず、それはとんでもなく大変な仕事である。例を挙げると、従来、剣の動機のところでは、剣のほうを見たり、剣を高々と引き抜いたり、剣を高く掲げたりする、そして、フンディングの動機のところで、フンディングは頭をぴくっと動かさなくてはならなかった。フンディングの動機のところで、ジークリンデがびくっとするというのは、あまり納得がいかないことだろうか。だれがぴくっと動くかで、その動機がわかるなんて厄介なことに、いちいち気を配っていなくてはいけないとでも言うのだろうか。

  「ワーグナーには、他の作曲家よりはるかに多くの危険が存在している。それはまさに彼の動機の仕組みが原因である。これを、おおよそ交通標識のような、『案内標識板』システムとして、あまりに安易に受け止めてしまう可能性があるからだ。あの動機標識に従って左へ、この標識に従って右へ行き、そして、頭を上げるという具合に・・・」(ピエール・ブーレーズ)

  シェローの下では、骨の折れる仕事が待っていることを知りながら、喜んでリハーサルに行った。彼は、非常に数少ない演出家にしかできないこと、つまり、長い期間を超えて私たちにやる気を失わず意欲的に参加させることに成功した。実際、私たちは彼と共に、1976年から、夏ごとに、1980年まで、仕事に没頭した。結局のところいかにして彼がそれをやり遂げたのかを、究明しようとしたが、今日に至るまでわからない。これが芸術というものだ。内部者の立場から見た芸術だ。

  「俳優には非常に厳密に区別された演技を要求するのだが、歌手たちには、自家撞着、思い込みの解消、考えを変えること、見られることに対する感性と興奮を教えることが必要だと思う。歌手たちがその身体と歌唱によって、物語の暴力性や残酷さを支えるように、要求しなければならない。歌手たちには、心の動揺や痛手はすっかり自分のものとしてもらいたいし、孤独をただ単に演じるのではなく、それを感じてもらいたいし、そして、当然のことながら、同時に、演じること、舞台で生き、存在することの変わらぬ喜びを感じてもらいたいと思う。その時、その場を支配している音楽的歓喜に相当する喜びがあるはずだ」(パトリス・シェロー)

  絶えずひたすら太陽が輝いているということなどあるはずもなく、対立したり、腹を立てたり、強情になったりという状況がどうしても起こった。「ラインの黄金」のリハーサルで、彼のむちゃくちゃな考えのひとつに気づいたことがある。神々のワルハラ入城のところで、斜に渡した一本のロープで、神々のマントが 引き上げられて、ハンガーに掛けられることになっていた。私たちは笑いをこらえていたが、ぷっと吹き出してしまった。私は「うまくいかなかったら、人々は抗議して座席を壊すぞ」と不吉なことを言った。シェローは、私たちがどれほどゆゆしい問題を見つけたかということを理解した。そして、後で、空飛ぶマント作戦?をすっかり取り止めにしてしまった。しかし、それを試してみるこの勇気・・・今私が話すのは、あとになってから天才的なものが裏にひそんでいたということがわかったということだ。中がからっぽのマントたちを引っ張りあげるとは! いずれにせよ、この神々は、からっぽの存在で、そこには実もふたもないに等しいわけで、身体が上昇しようが、身分をあらわす衣服だけだろうが、全くどうでもいいのだ。しかし、これは伝わらず、このシーンは神々の奇妙な一生を通じてお蔵入りになった。そこでは「リング」全体の中でも、まず葬送行進曲に匹敵するほどの、最高に華麗な音楽が響き渡っている。それは示威的かつ虚栄に満ちていて、そこではそれ以上のどんなクライマックスも設ける必要などありはしなのだ。
  シェローは人々にとって事件になった。人々は感覚と視覚の結合に対する感受性を獲得した。どうやら物凄い苦痛に耐えていたようだった人々が、自宅に留まっていれば済むものを、わざわざ毎年、毎年、戻ってきたということは、おかなしなことだった。しかし、観客の大部分は、私が判断できた限りでは、喜んで自分の好みを変えたのだ。1976年にはまだブーという非難の叫びを浴びせられ、棍棒で殴り倒されんばかりだったが、翌年には受け入れられ、翌々年には、ほとんど天才的と言われ、最後には、早くも後光が差すに至った。しかし、残りの少数の観客にとっては、ワーグナーの世界は混乱したまま変わらなかった。ヴォータンはもはや崇高な頭飾りをつけていなかった(それにしても、従来のプラスチックの髪のどこが崇高なのだろうか)、それに、青味がかった灰色のもやに包まれて(というのは、実際、ヴォータンが床に触れるなんてことは絶対にゆるされない、なんといっても神なのだから、ゆったりと歩きながら空中を漂い、神秘的に『威嚇』しなければならないのだ)の出現もない。ひどく困っているあわれな奴があちこちうろついたあげく、あまりにもひどく落ち込んでいたら、その時、彼にとっては、自分の賢さと強さを証明するために、ミーメは、みじめったらしく、洞穴に四つん這いで潜り込む必要があった。神がそれを必要としていただろうか。フロックコートの人物や、傷んでぼろぼろになった衣類を身につけた人たちや三角帽子かぶった人物などは、静まらない亡霊にとってはまさに船を持たない船乗りのようなものなのだということがわかった。それ自体なんともお話にならないほどばかばかしいではないか。この不一致は相当なもので、その亡霊の一人はこれに腹を立てて「さすらい人は自分を世界であると称した」とどなった。世界? それはだれなのか。まるで自分の村の子どもを感心させようとして「私はニューヨークから来たのだ。世界中で私はさすらい人と呼ばれているのだ」と言っているみたいじゃないか。それがほんとうかどうかはわからないが、子どもは納得して、すごい、とても有名な人に違いないと思う。確かに、ヴォータンはとりあえず教養も知識もある。ただそれによってもはや何も始めることができない。ただ単に富裕市民の風貌を有しているか、あるいは、私としては別に構わないことだが、神の如き人物である。しかし、彼の知識はもはや何にも興味がない、彼は打ちひしがれている。シェローの下で、ついにこのことは事実となった。私は、何故オペラの舞台では、注意深く耳を傾けることなく、こうも長い間何かにじっと聞き入ることが可能なのだろうかと、よく考える。
  俳優もまた、残念なことに、演劇でもこういう固定的区分をする、そして オペラ感覚なんて言うのだが、この演出に魅せられたということを確かめることができた。公演後の女優のシモーヌ・シニョレの最初の言葉、「私は恥ずかしかった」に私はびっくり仰天して、「私が何をしましたか」と尋ねた。そこで、彼女は私にこう説明してくれた。「私たち俳優は演じるために存在しており、私たちだけがそうなのだといつも思っていました。今、歌手もまた演じることができるのだと気がついたのです」それが彼女をなんとなく悲しい気分にさせていた。私は彼女の気持ちがわかった。俳優が私のアリアを歌ったと想像して、それもやっぱりよかったら・・・

  「俳優のほうがあわれな状態だ。俳優は言葉で生きるしかない。歌手は確かに本来的にその喉に完全に依存している状態はあわれだが、舞台では音楽と感情の大きな高まりに支えられている」(ハインツ・ツェドニク)

  この劇の成功は明らかに証明できる。シェローの演出によれば、物語の筋は、台本なしでもわかりやすかっただろう。人物の姿勢を目にするだけで、その場の雰囲気がすでに描写されている。このオペラについて何も知らない人でさえ、何が起こっているかを理解する。ジークムントは、危険に満ちた見知らぬ環境の中にあって落ち着かない気分だ。もうそれ以上あえぎ続けるには、疲れきっているにもかかわらず、そこで、ジークリンデと彼の間にあの「遭遇」がおこる。彼としては自分は養殖池に飛び込んだカワカマスみたいなもので、平和をかき乱し、不幸をもたらす変な奴だからという理由で、留まるつもりはない。彼女は、今が最悪だから、後はよくなることしかありえないという理由で、彼に留まってくれるように懇願する。等々。試しにビデオを予備知識のないだれかに無声映画として見せてみるといい。その人がどんな物語をどんな具合につじつまを合わせて納得するか、その結果を知りたいところだ。
  しかし、またこの劇はムードに依存しているというわけでもなかった。静かに落ち着いて、ひとりっきりで、ある公演を見る機会を得ることができた。だれも気が付いていなかった。このときこの演出がいかに説得力を持たせることに成功しているかということを納得させられた。そして、私も喜んで従う気になった。私たちが為すべきことを、同意の上で、まさに正確にするということだ。そうする以外にないのだ。
  シェローの後に何が来たか。オペラに対する大きな不快感だ。彼は私に対して責任がある。そして、少しは私たちみんなに対して、私たちがバイロイトの「リング」に参加していたということで責任を負っている。


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