君を想う未来
「エドガー?」
不安そうなリディアの言葉に、枕元に座っていたエドガーははっと我に返った。
「あっ、ごめん」
「どうかしたの?」
「何でもないよ。さぁ、そんなことより安静にするんだ、リディア。ゆっくり眠ればきっとよくなる」
毛布から出ている右手をぎゅっと握って、言い聞かせるようにエドガーは言った。
「・・・眠くないもの」
不満そうなリディアの言葉に、思わず苦笑する。
たった今、勝手に一人でどこかへ行ってしまわないかというリディアの言葉を思い出していたところだったなんて。言えるわけがない。まさにそうしようかと考えていたところなのだから。
「リディア」
ただ訳もなく名を呼びたくなるのは、きっと心細いせいだ。
どうにも抱えきれない気持ちのせいで、突然リディアのそばにいたくてたまらなくなる。
無理に浮かべた笑顔に、リディアは顔をしかめてこちらを見た。
「どうしてそんな悲しそうな顔するの?何だか、変よ」
「ごめん」
「どうして謝るのよ?」
たずねるリディアは、訝しげにも怒っているようにも見えた。
その問いには答えずに、エドガーはそっと指先をリディアの頬へと滑らせる。
「愛してるよ、僕の妖精」
そうささやくと、リディアの青白い頬はかすかに赤らんだ。
いつもの完璧な笑みを浮かべ、そっと部屋から出ようとした途端、腕を思いがけない力でつかまれた。
驚いて振り向くと、苦しげな表情をしたリディアがこちらを見つめていた。
「行かないで、お願い」
「リディア・・・」
「そばにいて。苦しくても、つらくても構わない。あなたがそばにいてくれるだけでいいの。それだけでいいから」
切羽詰まった目で見つめられると、何だか金緑のその瞳の中へ吸い込まれるような気がして、エドガーは数回目をしばたいた。
「リディア、だめだよ。身体のことを一番に考えるんだ」
諭すように言うと、リディアは疲れたような表情を浮かべ、やるせない目でエドガーを見つめた。
「・・・ごめんなさい。あなたの言う通りなのはわかってるわ。だけど寝るまでぐらい、いいでしょう?すぐに寝るから。それだけ。ほんの少しだけ」
「・・・わかった」
諦めたようにつぶやくと、リディアはほっとしたような表情を浮かべた。


重苦しい空気の部屋の中で、口火を切ったのはニコだった。
「なぁ伯爵」
「何だい、ニコ?」
「俺は人間界でしばらく生きてきた。アウローラから、リディアが一人立ちするまで見守ってほしいと頼まれていたのもある。だけどな、俺は今迷ってるんだよ。ここに自分がいるべきなのかどうか。リディアだって、もう大人のようなもんだ。お前との結婚も決まってる。これ以上、俺がすることがあるのかと思うことがあるんだ」
「それは・・・ニコ、リディアだって君にそばにいてほしいはずだ」
エドガーの驚いたような声音に、ニコはふぅと息をついて、自慢のしっぽをそっとなでた。
「そうかもな。だけどな、リディアは俺よりもお前にそばにいてほしいと思ってるのは事実なんだ」
「まさかここを去ってリディアから離れるというのか?」
「まだわからない。だけど、俺は人間じゃなく、妖精なんだよ。こんな姿かたちをしていてもな」
「・・・レイヴンが聞いたら、悲しむよ」
出た言葉は、思っていることとまったく違うことだった。
「そうかもな」
ため息のように紡がれたニコの言葉は、部屋の空気の中に消えてしまいそうなほど小さな声だった。
「エドガー」
「ん?」
ニコが自分のことを名前で呼んでくれたのは初めてだった。
「あんたがリディアを連れ帰るとしたら、リディアは確実に死ぬ。いつまでかはわからないけれど、わりとすぐだろう。だけど、ここに残していけばリディアはあんたを恨むだろうし、再会できるかだってわからない。俺にはもうどうしていいかわからない。リディアが幸せになってくれれば、俺はそれでいいんだ。だから、伯爵、あんたに全部まかせるよ」
思いつめたようなニコの表情は、憂いに満ちていた。
「あんたがリディアのことを考えて、どうするかを決めてくれ。俺は・・・多分その結末を見ないかもしれないから」
「ニコ」
呼びかけに、ニコは黙って顔をエドガーの方へ向けた。
「君がいなくても、リディアを絶対に幸せにしてみせるよ。約束する」
「あんたの口約束ほど、信用ならないものはないけどな」
ふいと顔を背けたニコの目には涙がにじみながらも、かすかに表情は笑っていたような気がした。


自分の名を呼ばれた気がして、レイヴンは紅茶を入れる手を休めふっと顔を上げた。
「ニコ・・・さん?」
部屋の入り口の脇で、所在無げに立っていた妖精猫を見て声をかけると、ニコは落ちつかなげにしっぽを揺らして返事に代えた。
「どうしたのですか?こんな夜更けに」
訝しげに訊ねるレイヴンの問いに答えずに、ニコはゆっくりと歩いて窓辺にちょこんと腰を下ろした。
「綺麗な月だなぁ」
突然言われた言葉に、レイヴンは少し黙ったのち答えた。
「・・・そうですね」
「レイヴン、あんたは俺のことを友達だと今でも思っているのか?」
「・・・違うのですか?」
「あんたがそう思ってるなら、今でもそうなんだろう」
ため息をついてつぶやいたニコの言葉は、冷たい夜風に吹かれて今すぐにでも消えそうだった。
「俺もあんたのことを友達だと信じるよ。だから、頼む。リディアを守ってやってくれ。どんなことになっても、あんたなら伯爵とリディアを守っていけるだろう?俺は伯爵を信用していないが、リディアは信頼している。俺はあんたの方が心強いけどな。だから、友達としての最後の義理だと思って、守り抜いてくれないか」
「最後の・・・?」
訝しげに訊ねたレイヴンは、もしかしたら真相に近いものを感じ取っていたのかもしれない。
けれどニコはふるふるとひげを振って、何でもないよと言った。
まだ、今は言うべきときではないような気がしたのだ。レイヴンには、まだ。
「・・・妙なところで勘が鋭いんだからなぁ」
ぽつりとつぶやかれた言葉は、レイヴンには届かない。


「リディア」
愛しい名をそっとつぶやいて、エドガーは深いため息を一つついた。
リディアはフィル・チリースの刃に傷ついて、今も寝込んだままだ。自分のせいで余計に苦しめてしまっているかもしれないと思うと、つらくてそばにいられなかった。
どうしたらいいのだろう、とぼんやりと考える。
離れればリディアは傷つくだろうし自分がプリンスの記憶でどうなってしまうかもわからない。再び会えるかどうかもわからないのだ。
けれど、ここでリディアを連れ帰れば確実に彼女の死はやってくる。
どうしていいかわからない風に立ちすくんでいたニコも同じ気持ちなのだろう。時々目ににじむ涙をぬぐう姿には、痛々しいものがあった。
少し冷たい夕方の風がそばを吹き抜けていくのにも関わらず、エドガーはベンチに座り込んだままだった。
いつもはそばにいて離れないレイヴンも、今ばかりはどうしていいかわからず、部屋でぼんやりとしているだけだ。彼がいても、エドガーの気持ちもリディアの状態も変わらないのだから。
今の状況ではリディアが危ないということをわかっていても、それでも動けなかった。
こんな風に何もできなくてむなしい気持ちになるのは、リディアのことだけだ。今まで、思い通りにならなくても仕方ないという気持ちですべてを乗り越えてきた。とうに大切なものは失われてしまったのだから、失うことを恐れるなんてありえないと思ってきた。
けれど、今は違う。
彼女を失うことを、何よりも恐れている。自分の命よりも、大切なものになっている。
だからこうして怯えて立ちすくんでしまう。
どうしてこうも運命は気まぐれなのだろうと、エドガーは自嘲気味に思った。
やっと手に入れて、そばにいられて、心を通い合わせることができると思った矢先にこんなことが起こるなんて思ってもみなかった。
そしてエドガーは、そばにいられることを永遠だと思っていた自分に、かすかに驚いた。
今まで、そんな永遠を信じて生きてわけではなかったのに。永遠なんて言葉は、嘘っぱち。いつだって嘘と不安定な言葉に囲まれてきた。死ぬまでなんて言葉を、いとも簡単に信じられるわけがない。今までだって、永遠だと信じたものは皆消えていったのだから。
リディアが現れてからだ、変わったのは。
彼女とともにいる将来を夢見て、それを現実に近づけてこられたのは、リディアがいたからだ。
こんな大悪党でも許してくれる優しい心の持ち主に恋してしまったから、今の幸せがあった。
「リディアが生きていてくれるなら、それだけでいい」
エドガーは突然つぶやいた。
彼女を失ってなお生きていて、何の意味がある?そんな人生のどこが楽しい?
どんな言葉でも言い尽くせないような幸せを示してくれたのはリディアだ。
彼女を失うくらいなら、自分の命だって投げ出す。
きっと再会できるときがやってくる。そのときまで、ぼくは君だけを永遠に想い続けるよ。そして、新しい未来を作ってゆく。
漆黒の闇に向かって、一人エドガーは佇んでいた。


あとがき
旧拍手お礼文です。新刊の怒涛の展開に、どうしても書きたくてたまらなくなったダークなエドリディ。一部加筆修正しました。