永遠の絆
ロンドンはいつも曇り空だ。
まるで世界中の湿気を吸い取ってしまったかのように重苦しい空気は、ここ英国の首都に全体的に漂っている。
そして、それはアシェンバード伯爵こと、エドガーの屋敷でも変わらなかった。
リディアは窓の外を見つめ、ひとつため息をこぼした。
「ニコ」
「何だ?」
「ここを出て行っても、フェアリードクターの仕事なんて見つからないって思う?」
「さぁな。でも少ないだろうな」
まるで他人事のように言うニコの言葉に、少しむっとする。
「でもあるかもしれないわよね」
「まさかここを出て行くつもりかい?」
「・・・それもいいかもしれないわよね。ニコ、そう思うでしょ?だってあのエドガーに振り回されてばっかりなのは本当にうんざりなのよ。あんな大悪党のそばにいるなんて、危ないと思わない・・・ってエドガー?!どうしてここにいるのよ?」
すぐ後ろで、輝かんばかりの金髪の持ち主、つまりエドガーがにっこりと笑っていたのだ。
あの薄情猫は逃げたらしい。
逃げ足だけは速いんだから、とリディアは心の中でつぶやいた。
「どうして、って婚約者の様子を見に来ちゃいけない?」
「だから、あたしは婚約者じゃないって何度も言ってるでしょう」
「婚約者だよ。このムーンストーンがその証だってことは君だってわかってるだろう。君がいなくなったら、僕は生きていけないよ。頼むから出て行ったりしないでくれ。君の気に入らないところは直すから」
エドガーはまるで悲劇のヒーローのような素振りで大げさに嘆いた。
そう言いながらすかさずリディアの手をとり、そっとキスをする。
いらいらしながらもリディアは窓の外を少しうかがった。
はっきり言って、こんなことをしてるのはケルピーのせいなのだ。
彼と結婚することはできない。少なくとも今はまだ。
リディアはまだ人間界で生きていきたいから。父さまのそばにいたいから。
だからこんな嘘をついてまでムーンストーンを薬指にはめている。
本当のことじゃないのなら、こんなことする必要ないのに。
どうしてこんな風に優しくするの?
どうして本当に好きなわけでもないのに、こんな風にキスしてくるの?
リディアは苦しげに目を閉じた。
見たくない。ふれられたくない。
まるで、彼の言葉が本当みたいに思えてしまうから。


「いるか、リディア?」
午後3時。ケルピーはきっかりティータイムに現れた。
窓から遠慮なく入ってくる妖精に、紅茶をカップに入れようとしていたリディアはため息をついた。
「また窓から入ってきたのね。ちゃんと泥は払ってちょうだい」
「まぁ気にすんな」
「あのね、ここはエドガーのお屋敷なの。汚したらあたしが怒られるのよ」
「あの伯爵がお前を怒るのか?ったく、リディアを誰だと思ってんだ。ぶちのめすぞ」
「べ、別にそういうわけじゃないのよ」
なぜ庇う口調になっているのか自分でもわからないまま、慌てたようにリディアは言った。
「それとそこの机に置いてある手紙には触らないでね。依頼の手紙だから」
少し誇らしげに小山になってる手紙の束を指し示すリディアを見て、ケルピーは言葉で言い表せない気持ちに包まれた。
まるで自分のことのように嬉しいような、誇らしいような気持ち。
多分、こんな気持ちになるのはリディアだから。
自分のことを恐れずに、真っ向から向かいあってきたのは、リディアが初めてだった。
弟を見て、人間なんてと思っていたのに、いつのまにかその人間に惹かれていた。
か弱くて守ってやらなければと思わせるような、華奢な肩。
人間は不気味に思うらしい、金緑の瞳。
そんなところが、すべてが、愛おしかった。
思わず抱きしめる。
「ケルピー?!」
驚いたように身じろぎしたリディアは、でも抵抗しなかった。
少し困ったような顔をした後、小さくつぶやく。
「エドガーのことも信じらればいいのに」
その言葉に、思わず落胆する。
もしかしたら、とは思っていたけれど。やっぱりリディアはあの伯爵のことが好きなのだろうか。
でも、リディアならそうなると心のどこかで思っていたような気もする。
誰よりもまっすぐで、この優しい心を持ったリディアなら、あの大悪党の本当の姿を見てしまったらもう、見捨てることはできないだろう。
多分、誰よりもそばにいて支えたいと願うはずだ。
そう思って、少しの間ケルピーは目を閉じた。
多分、リディアは伯爵についていくだろう。
本当は止めたい。あんな危険なやつにリディアがついていくなんて、心配でたまらないのが本音だ。
でも、それでも。
リディアは幸せにはなれないのかもしれない。
たとえ危険から無縁でも、リディアはきっと自分のことを責める。
なぜエドガーを助けなかったんだろう、と。
それなら、自分ができることはひとつしかない。
リディアが伯爵のことを信じられるようになるまで、そばにいること。
そう決めたとき、彼はそっとリディアを離した。


「フェアリードクターの仕事、たくさん来るのか?」
ケルピーに訊ねられて、リディアは微笑んだ。
「ええ、今までは考えられなかったぐらいよ。やっぱりまだフェアリードクターは必要なのよ」
母さまのときと、変わらない。そう思えたことは何よりもリディアにとって嬉しいことだった。
まだ世の中には自分を必要としてくれる人がいる。
そのことはどんなことよりもリディアに自信をもたらしてくれたから。
今まで、妖精が見えることを誰にも隠さずにいたことで、周りからは白い目で見られ、何かとつらい思いをしてきた。
もちろん、妖精たちがいたから寂しくはなかった。
でも、一番望んでいた人との絆は手に入らなかった。
父さまだけは、誰よりもリディアのことをわかってくれる人だったけれど、父さまでさえ、妖精は見えない。
でも、エドガーだけは違った。
妖精が見えてないにも関わらず、リディアをすんなりと受け入れてくれた。
もちろん、フェアリードクターとしてリディアを利用するためだったのかもしれない。でも、リディアはそうじゃないと信じたかった。
彼は、リディアの見えるものをすべて信じてくれる。受け入れてくれる。
フェアリードクターの才能をうらやましいとまで言ってくれた。
そんな風に言われたのは初めてだったから、最初は戸惑ったけれど嬉しかった。
望んでいた人との絆をやっと手に入れたと思って。
でも、人はすぐに離れていってしまうと気づいた。
エドガーだってそう。もしもあたしを手に入れたら、浮気という名の行動であたしから離れていくだろう。
だから、どうしても信じられない。
妖精は絶対に嘘をつかない。
ケルピーのような獰猛な妖精だって、リディアに嘘をつくことはない。
きっと「結婚したい」と言ってくれる言葉も彼の素直な気持ちなのだろう。
意味はよくわかってないのだろうけれど。
「もう一杯くれ」
ケルピーに、紅茶のカップを突き出され、リディアの考え事は中断された。
「あなた、紅茶が好きだったの?」
疑問に思いつつ、ケルピーに聞く。
「は?こんなまずいもん、好きなわけないだろ」
「じゃ、何で二杯も飲むのよ」
呆れたような口調に、ケルピーは怒ったような顔をして頭上を仰いだ。
「お前が淹れたやつだからだよ」
「何言ってるのよ」
おかしそうにリディアは笑った。ケルピーは本当に変わっている。
人間の食べるものはまずいと言いながらも、結局は自分のそばにいてくれている変わり者。


夕闇の中に、西日が窓からもれ出ている。
リディアは時計の針を横目に見ながら、ソファーの上に転がっているケルピーに話しかけた。
「そろそろあなたも戻った方がいいんじゃない?」
「あぁ・・・そうだな」
「あたしももうすぐディナーの時間だし」
そう言って少し顔をしかめたリディアに、ケルピーは少し笑った。
きっとあの伯爵に口説き文句を言われるのを考えて、嫌になっているんだろう。
でも。伯爵の気持ちを信じられるようになったとき、リディアはあいつのとなりで誰よりも嬉しそうに微笑むだろう。
その笑顔を見られるなら。
それもいいかなと、今では思う。人間なんて、あっという間に気が変わるからな。
「・・・でもあの伯爵だけは別かな」
ケルピーは一人リディアに聞こえないように小さくつぶやいた。


リディアがエドガーのことを信じられるようになるのは、もう少し後のこと。


あとがき
落葉椛さんへの捧げ物。マイナーCPで盛り上がったケルピーです・・・!「ケルピーの日」ですから(笑)。お約束の小説を、いつまでたっても捧げる気配を見せなかった私をお許しください(汗)お詫びの品ということで、これですが・・・何か最初の方エドガーばっかり(苦笑)