金緑の光
リディアの目の色が変わっていることに、一番最初に気がついたのはカールトンだった。
慌てて確認するように顔を覗き込むと、彼女は何がおかしいのか、軽く指をくわえて笑い声をあげた。
ただそのことにこみ上げる嬉しさを隠し切れないまま、カールトンはその笑顔に応えるように微笑みを浮かべる。かわいらしいえくぼを軽くつついてから、彼はため息をついた。
三日前に、リディアは妖精に連れ去られた。
チェンジリングのことはアウローラから聞いていたが、妖精博士ではないために、カールトンにとって完全にその仕組みを理解することは難しい。出来る限り話にはついていったつもりだったが、結局リディアを取り戻すまでに、何一つアウローラの助けにはなれなかった。
こんなにも、自分が何一つできないということを味わったのは初めてだった。
今まで、数人の女性にも愛想はつかされてきたが、これまで自分の不甲斐なさや頼りなさを悔やんだことはなかった。仕方のないことだと思っていたし、それ以前に相手の好意に気づけなかった自分は、きっとふさわしくない。
でも、さすがに娘のことだと思うと話は違ってくる。
何の役にも立てない自分が情けなくて、でもどうしようもなくて。
ただ耐えてアウローラが戻ってくるのをひたすらに待っていた。不安で壊れそうになっても、待つことしか彼にはできなかったから。
それから、一日でアウローラはリディアを連れてここへ戻ってきた。
けれど、瞳の色が違うこの子が、本当にリディアなのかわからなくて。彼女がリディアだと言うから、信じてはいたけれど、でもやっぱり不安になることはあった。
もちろん、それはおくびにも出さなかったけれど。
ある日、思い切ってアウローラに聞いた。
「・・・この子の瞳の色は、金緑じゃなかったよね?」
アウローラは目を見開いて、質問の意味を考えたらしかった。
「そうね。でも、この子は確かにあたしたちのリディアよ。多分生まれてから人間界よりも早く妖精界の空気に触れて、色が変わったのだと思うわ」
「そうか。ごめん、疑ったりして」
恥じるようにうつむくと、アウローラは明るい声でくすっと笑った。
「別に気にすることはないわ。不思議に思って当たり前のことだもの」
ただそうやって彼女が笑ってくれるだけで、カールトンはほっとして自分も笑った。


静かに歩いてくる音が聞こえて、カールトンは部屋の中で深く息を吐いた。
ついさっき来たばかりの不思議な"お客"は、リディアの兄だと名乗り、カールトンは逃げるようにして客室を出てきてしまった。さすがに不愉快になったかもしれないと思い、少しだけ反省する。
どうやら、妖精のようだった。
リディアによく似た瞳で、思わずどきっとしたのは事実だ。
まるでカールトンが今まで信じてきたもの全てを壊されてしまうように思えて、怖くなった。もしも、自分の信じたものが間違っていたとすれば、それはリディアをも傷つけるというのに。一人で自分が逃げてしまった。それが、どうしようもなく苦しい。
「父さま?」
かすかな音を立てて開かれた扉の前には、思った通りリディアが立っていた。
「・・・リディア」
「あのね、父さま。あの人、ブライアン・・・兄さまは、フィル・チリースという妖精なの。父さまのことを侮辱しようとしたわけではないわ。あの人、少しの間だけここにいるらしくて、あたしのこと妹だって・・・ただの愛称みたいなものなのよ、妖精にとっては。悪気があるわけじゃないから・・・」
「わかってるよ、私は怒ってるわけじゃない」
穏やかな表情で、でもはっきりと言ったカールトンに、リディアはほっとしたように息をついた。
「良かった・・・気を悪くしても当然だったもの、さっきのは」
「確かにね。・・・でも、母さまのことをまた思い出していただけだから、心配しなくても大丈夫だよ」
そう言って夜空を見上げると、澄んだ空に一際きらりと輝いた星があったような気がした。
そのことに少しだけ勇気をもらったような気持ちになる。
「なら、邪魔しちゃったかしら?」
笑みを浮かべながら問うてくる娘に、思わず頬が緩む。
大切で、大切で、本音を言うとまだもう少しだけ自分の娘でいて欲しかった。あの伯爵がリディアを十分に愛して大切にしてくれるとは分かっていても、それでももう少しだけ。いつの間にか大人になっていたリディアに気づかなかった自分が悪いのかもしれない。でも、それぐらいリディアのことは父親として愛していた。
そのことを、リディアも少しはわかっていてくれるような気がする。気を遣われているということに、不甲斐なさを感じながらもいまだにそれが嬉しく思ってしまうのは重症なのかもしれない。
「邪魔なんてことはないよ」
かすかに瞳を揺らがせたリディアを見て、再びアウローラに会っているような気持ちになった。


「教授、あんたはいいのか?リディアが結婚しても。一人になっちまうんだぞ?」
珍しく家に残っていたニコに訊ねられ、カールトンは困った風に笑った。
「でも私がどうこう言うことじゃないと思うんだ」
「でもリディアはあんたの娘だ。あんたが止めれば、結婚しないんじゃないかな」
そこで、カールトンはまじまじとニコを見つめた。
「ニコはリディアに伯爵と結婚してほしくないのかい?」
「別に・・・そういうわけじゃないけどさ」
「ニコ、私は今までに二回リディアを失ったと思ったことがある。一回目は生まれてすぐのときに、妖精界にチェンジリングで連れ去られたときだ。二回目は伯爵を助けるために、ケルピーとともに妖精界へ姿を消したとき」
黙ったまま淡々と話し続けるカールトンに、ニコは成すすべもなく見つめた。
「一回目のときにね、私は何一つできなかった。リディアを取り戻したのはアウローラだ。帰ってきたリディアを見て、瞳の色が変わっていることに気がついたのは私だった。けれど、リディアだというアウローラには何も聞けなかったんだ。自分が何をしたわけでもないのに、彼女を疑うようなまねをするのは失礼だと思っていた」
「教授、そんなことを思ってたのかよ」
呆れたようにつぶやくニコの言葉に、カールトンは苦笑した。
「それで、気になったものの、しばらく考えた。私はもしも、彼女がリディアではない取り換え子だったらどうするつもりなのだろう、と。自分の娘ではないからと言って、世話を拒んだり妖精界へ送り返したりするつもりなのだろうかと。そこで初めて気づいたんだ。彼女が誰であっても関係ない。私たちに育てられた限り、彼女がリディア以外になりえることなんてないのだと」
カールトンは言葉を切って、遠くを眺めるように視線を泳がせた。
「それから少しして、思い切ってアウローラに聞いたんだ。彼女の瞳の色が変わっていた理由を」
「アウローラは・・・何て?」
「生まれてすぐに妖精界の空気に触れたからだと言っていた。私は彼女に疑うようなまねをしてすまなかったといって謝った。・・・笑って許してくれたよ」
「アウローラはそういう奴だ。今さらかもしれないけど、あいつが言ったことは本当だよ。リディアは取り換え子じゃない」
しみじみとつぶやいたニコの言葉に、カールトンはかすかに笑った。
「ああ。別にそんなことは気にしてないよ。でも、彼女を知る人ももうニコだけになってしまったね」
少しだけ寂しそうな横顔が見えて、ニコは両足で頑張って立って胸を張った。
「俺がいれば一人でも十分だろ」
その姿はいたって真面目なのだが、なぜだか少し滑稽で、カールトンは思わず吹き出しそうになった。


「リディア」
やわらかくて、優しい声に名前を呼ばれたような気がした。
こんな風に、愛しさを込めて自分のことを呼んでくれるのは、父やエドガーだけだ。でも、違う。女の人の声だった。誰だろうと少しの間、考える。
「誰・・・?」
「リディア」
あたたかい声がもう一度呼ぶ。
「母さま?」
一度思いつくと、それは確信へと変わった。久しく聞いていない、それもリディアが覚えていないはずの声を目の当たりにして、リディアは泣きそうになった。
これは、夢だ。現実の世界ではありえないことだもの。
そう思って、思わずこのまま夢の中にいられればいいのにと願う自分がいた。そのことに気づいて、少しだけ傷つく。あたしには、今だって大切で守りたいものがたくさんあるのに。なのに、あたしはここでも大切なものがある。どっちかしか選べないなんて、むごすぎる。出会ってしまってから、その大切さに改めて気づかされたから。ここに残ってずっと母さまのそばで笑っていたいと願う自分は確実にいるのに、だけどそれはできない。あたしがエドガーがいない世界で心から笑えることはなくなってしまったから。
ごめんなさい、母さま。
そっと声にならない声をつぶやくと、どこか近くでやわらかく笑う気配がした。
「リディアも父さまみたいに、大切な人を見つけたのね」
「母さま・・・」
ただその言葉だけで、母はわかってくれたのだと確信した。
そのことにほっとしてため息がもれる。
母さま、話したいことはたくさんあるのよ。エドガーとのこと。悪党なところもあるけど、でも本当は優しくて傷つきやすい心を持っている人だって、あたしは知ってる。それに、傍から見たら過剰なくらいの愛情をあたしに与えてくれることも。
結婚って、どんな感じなのかしらと少し怖くなることもある。母さまは父さまと結婚したとき、どんな気持ちだったのかしら?きっと嬉しかったことやつらかったこと、たくさんあったわよね。あたしはエドガーと二人でそういうのを全部乗り越えていけるかしらって不安に思うこともあるの。でも、母さまも父さまと乗り越えてこれたなら、あたしも大丈夫かもしれない。エドガーがいてくれるなら、多分どんなことでもあたしは頑張れるから。
母さま、あたしはもうすぐ父さまと母さまの娘を卒業するわ。母さまは祝福してくれるかしら?喜んでくれる?だといいなって、いつも思う。どうかお願い、エドガーとともに歩んでいくあたしを見守ってくれますように。いつだって母さまのことを愛してるから。
「幸せになりなさい」
待ち焦がれていた声が聞こえて、あふれそうになる思いにリディアはぎゅっと目をつぶった。
まぶたの裏に、いつかの優しい笑顔が重なる。
多分、目が覚めたらこの夢は忘れてしまう。でも、この言葉だけは、きっと。
ささやかな祝福だけれど、何よりも大切なもの。
 

あとがき
アウローラのことが大好きすぎて、書いてしまいました。親子話。今さらだけど、突然アウローラが出てくれちゃってもOKだと思ってる管理人です(笑