パリ紀行2・ピカソの青
2003年10月4日号




 この美術館に入り、手順どおりに進むと、階段を上がったすぐのところでこの絵に出会う。
 部屋に入ると1メートルあるかないかの真正面にこの絵が待っているので思わず立ちすくむ人もいるのではないだろうか。
 こちらを見つめる何かを訴えかけてくるような眼光、目の強さとは裏腹に肩は何か重たいものを背負っているかのように垂れ、疲れてこけたほほには伸ばし放題のひげ。まるで何かを捜し求めて来る日も来る日も見知らぬ土地を彷徨してきたばかりのようだ。
  長く見続けると目が回りそうな情念を感じる青を背景に、それでも男は何かをまだ求め続けている。

 ここはルーブルなどの観光地から少し離れたところ,地下鉄SaintPaul
駅などから下り、住宅街の中に、ポツンと位置するピカソ美術館、
 そしてこの絵こそピカソの青の時代の傑作、「青の時代の自画像」。

 この絵には美術史上とても有名な物語が隠されている。その物語に少しでも触れてみたくてここを訪れた。

 15歳にして「科学と慈愛」を発表、マドリーの展覧会に入選、スペイン全土に衝撃を与えたかの天才、ピカソ、彼は往来のアカデミックな手法に飽き足らず、新しいものを求めて19歳にして親友、カサヘマスとスペインを飛び出す。目指した場所はパリ。貧乏生活を余儀なくされたがそこは彼の想像力をかきたてて余りある何かに満ちていた。

 たとえばローットレック、パリそのものを体言する彼の絵にピカソはいろいろ触発されていく。19歳のピカソとパリの享楽がハーモニーをかなで出す。

 だがパリで彼が待っていたものは進取の気性、開放感、享楽、そういったものばかりではなかったのである。

 パリという感性の泉に身を浸し、むさぼるように創作意欲を掻き立てるピカソ。だがこのパリ滞在はあっという間に終わってしまう。
 カサヘマスの精神状態に異常が現れたからだ。ジェルメーヌという女性との恋愛問題。ジェルメーヌはカサヘマスには見向きもしない。消沈するカサヘマス。ピカソは、親友の気分を変えるため、彼を連れフランスを後にした。目指した先は生まれ故郷でもあるマラガ。だが思いつめたカサヘマスはジェルメーヌを忘れることができずに一人フランスに戻ってしまう。

 だが決して彼の愛はかなうことがない。なぜならカサヘマスは性的不能者であったから・・・。
 思いつめたカサヘマスは・・・、
 彼は苦しみを終えるために自分で自分の命を絶つことを決心してしまう。だがゆがんだ愛はジェルメーヌも道連れにすることをも決心させてしまっていた。

 ある日、カフェで知り合いと談笑するジェルメーヌの前に現れたカサヘマス。おもむろに取り出したピストルでまずはジェルメールに、そして次には自分の体に発砲した。
 
 こうしてカサヘマスはこの世を去った。が、ジェルメールは奇跡的に一命を取り留める。
 
 ピカソが、再びパリにやって来たのは、その年の6月。カサヘマスが借りていたアトリエで暮らし始め、 取りつかれたように絵を描き始めるピカソ。その絵はいつも深い情念を湛えた「青」。

 だがそれでも彼は自分思いを描ききれなかったのだろうか、カサヘマスが命がけで愛した女性、ジェルメーヌをその手で抱くのである。そうでもしないと彼の思いを完全に理解するのは不可能だ、とでも思ったのであろうか。その様子までもピカソは絵に残している。

 その年の冬、ピカソはバルセロナへ。だが青は続く。主題をバルセロナの町の底辺にすむ貧しい人々の姿の中に求めて。

 だがある日を境に青い思いからさまよい出るときがやってくる。

 そして、再び訪れたパリ。モンマルトルに舞い戻った。青の世界にどっぷりと浸っていたピカソの前に現れた一人の女性、フェルナンド.オリビィエ。彼女こそピカソの初めての恋人。
 それ以来、ピカソの絵には血の気が戻るようになる。

   1903年、『ラ.ビィ』(「人生」、もしくは「命」)。青の時代の最後の大作、そして最高傑作。身を寄せ合う男と女、親友カサヘマスと恋人のジェルメーヌ。二人の前には赤ん坊を抱いた母親。
 当初男は、ピカソ自身。二人の前に立っていたのは、懸命に何かを説得している父親らしき人物。しかし男は、カサヘマスに、父親は赤ん坊を抱いた母親へ。恋人と共に死の世界に旅立とうとする男。その眼の前には、母親に抱かれた生まれたばかりのピカソ自身。
 カサヘマスの死にけりをつけ、やっと新しい生活を始める決意がピカソにできたのではないだろうか。そしてピカソの中でいまだもがき続けていたカサヘマスの幻影は、ついに居場所を見つけて去っていく。
 3年という歳月をかけ、死んでいった友人に対する激しくも冷めたい情念がここに完結するのである。
 ピカソ美術館にはもう一枚の自画像があります(「(赤の時代の)自画像」)。25歳のピカソ、だが顔は若返り、髭をそった顔は丸みを帯び、表情はまるで少年に戻ったかのように純真そのもの。
 ピカソは以降、赤の時代へ。

 この美術館を訪れると、二枚の自画像に出会えます。
 20歳で描かれた、まるで40歳ではないかと思えるような人生そのものを肩に背負い込んだ男の自画像と、少年時代に戻ったかのように、初めての恋の喜びに身を浸しているかのような男の自画像と。
 どちらも同じ男の顔です。
 青い自画像のほうが苦しみを訴えてくるだけにどうしてもインパクトが強いでしょう。ですがここ、ピカソ美術館を訪れたら、必ず赤い自画像をお忘れなく。
 二つの絵を見比べて初めてピカソの青の深さが理解できるとおもうので。

 ピカソの青は、死の世界を垣間見た者にしか描けない、情念の青。

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