創作・狭山事件1 半沢英一『儀式』

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1 半沢英一『儀式』
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 狭山事件に関する小説や演劇シナリオ、詩などの作品を紹介します。
 この『儀式」は、同人誌『日本海作家 138』(1999年12月20日)より、作者の了解をえて、転載させていただきました。

 

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儀  式

                                                                  半 沢 英 一

 

 1994年の夏、日本列島は記録的な猛暑に襲われた。7・8月にわたり気温が30度を超える日が延々と続き、蝉が暑さで木から落ちる椿事が全国的に見られた。

 名古屋である年配の女性が生活保護を受けていた。しかし受給の条件として家に冷房を設置できなかった。そこで冷蔵庫を開けてわずかに涼をとっていたが、ついに心臓麻痺を起こして死亡した。そんな悲しいニュースがテレビで全国に放映されもした。

 埼玉県行田市の元警察官で、農業を営む野田清三(64歳)の妻・恵子(60歳)が、炎天下の農作業中に脳梗塞で倒れ死亡したのも、その年の8月5日であった。猛暑の中の通夜や葬式が、清三には夢の中のできごとのように思われた。

 それにしてもこの年は暑かった。恵子の四十九日が過ぎ納骨を終えても、猛暑は衰えを見せなかった。はたして今年は秋が来るのかという冗談さえ巷ではささやかれた。しかし10月も末に入るとさすがに秋の風が吹きはじめた。

 そして秋風が吹きはじめるのとほぼ同時に、ある不思議な殺人事件がテレビのニュースやワイドショーをにぎわすことになった。その最初のニュースを清三が見たのは、娘夫婦家族と一緒の夕食時であった。

 テレビのアナウンサーが言った。

「今日、横浜港で若い女性の死体が浮いているのが発見されました。

 死体はビニール袋に入れられており、ビニール袋には鉄アレイが重りとして入っていました。死後数日経って死体が腐敗し、そこから出たガスの浮力で、ビニール袋ごと海底から浮かび上がったものと考えられます。

 死因は絞殺、遺体は着衣のままで、特に乱暴された様子はありません。ただし胸・腹・脚の3箇所を異なった色の紐で縛られており、この紐は何を意味するのか、関係者を不思議がらせています。

 警察では殺人事件と断定するとともに、遺体の身元確認を急いでいます」

 テレビを見ていた清三は「これをやったのは素人だ」とつぶやいた。

「なぜそんなことが分かるの」と娘の和子がたずねた。清三は説明した。

「玄人は山に埋め素人は海に捨てるという警察での格言があるんだ。

 埋める時に人に見つかる危険性の問題はあるが、とにかく山に埋めてしまいさえすれば死体はかなり見つかりにくい。手間をかけるだけのことはある。

 その点海に捨てるのは、死体の処理としては簡単なんだが、死体は流されたり浮かんだりするので、何かと見つかりやすい。おまけにこの犯人は死体からガスが出ることを考えていない。完全に素人の仕事だね」

 清三は警察に在職していたときは交通関係の仕事が主で、刑事捜査の専従になったことはない。しかし多少の勘は持っていた。

「それじゃ、この死体を色の違う紐で縛ったというのはどういうことなの」

「いや、こんな話は間いたことがないな」と清三は正直に答えた。

「犯人はカルト宗教の信者で、何かのまじないじゃないですか」と市の職員をしている婿養子の徹夫が口をはさんだ。当時、あるカルト宗教の誘拐殺人や毒ガス疑惑が取りざたされていて、徹夫はそれを連想したわけである。

 ……………

 翌日、死体の身元が分かった。

 茨城県つくば市の医師N(29歳)が、自分の妻(31歳)、長女(2歳)、長男(1歳)の3名が行方不明であるとの捜査願を出していた。遺体はNの妻であったことが確認された。

 3日後、横浜港に2つ目のビニール袋が浮かんだ。

 ビニール袋には幼い女児の死体と鉄アレイが入れられ、死因は絞殺で、先に発見された死体と同様に、胸・腹・胸が異なる色の紐で結ばれていた。Nの長女であることが判明した。

 さらにその5日後、横浜港に3つ目のビニール袋が浮かんだ。

 ビニール袋には幼い男児の死体と鉄アレイが入れられ、死因は絞殺で、先に発見された二つの死体と同様に、胸・腹・脚が異なる色の紐で結ばれていた。Nの長男であることが判明した。

 マスコミは騒然とした。テレビのワイドショーはこの殺人事件の報道で独占された感があった。そしてそのワイドショーは、表面上は幸福な上流家族と見られるこの医師一家に、複雑な事情のあったことを伝えはじめた。

 地元の資産家の次男であるNは、地元国立大学医学部を卒業した後、若くしてつくば市のある病院の内科主任となった。親切で真面目な医師として、Nの評判は悪くなかった。

 しかし、殺された夫人には離婚歴があるとか、夫婦仲は冷え切っており、夫には他に愛人があり、また財テクの失敗で多大の借金があるといったニュースが報道された。ワイドショーもNへの疑惑を強調した。そうこうする内にNは警察から任意で事情聴取されることになった。

「いくら奥さんとの仲がおかしくなっても子供まで殺すかなあ」

 和子はNが妻子殺しをしたのではないかという臆測を疑った。徹夫と和子の間には2歳になる男子がおり、殺されたNの長女と同い年である。親としての実感があった。

「やっぱり死体を変な紐で縛ったりしているところを見ると、徹夫さんが言ったように、変な宗教が絡んでいるんじゃないの」

 和子はワイドショーを見ながら父に語りかけた。

 恵子の生前にはワイドショーなどを滅多に見なかった清三が、なぜかこの横浜港母子殺人事件に関しては和子と一緒に見続けている。

 しかし和子は清三を冷やかさないように心がけていた。母を亡くして気を落としていた父が、何にせよ好奇心を持つことは好ましく思えたからだ。

「分からんね」と清三は娘に生返事で答えた。

 清三自身にも、なぜ自分がこの事件にかくも引きつけられるのか、さっぱり分からなかった。

 

 

 テレビのワイドショーは連日の報道でマンネリズムに陥っていた。

 そのためか和子はテレビから遠ざかっていた。それでも清三は独り見続けた。そして問題の番組に出会うことになった。    

 あるテレビ局が、横浜港母子殺人事件の報道に何とか新味を持たせようとしたのか、FBI(米国連邦捜査局)の元捜査官へのインタビューを企画した。

 ワイドショーのアナウンサーが説明した。

「つくば市の医師Nさんの妻子3人が殺された事件は、Nさんが警察の事情聴取を受けており、今後の展開が注目されます。

 ところで今回の事件には、3人の死体が、同じように胸・腹・脚の3ヶ所を別の色の紐で縛られているなど、多くの謎があります。そこで今回私たちは、元FBI捜査官で凶悪犯罪のプロファイリングで世界的に有名なRさんに、今回の事件の謎の解明を依頼しました。

 ご存じの方もおられるでしょうが、プロファイリングとは犯罪の現場のデータから犯人像を心理学的に推定する技術です。

 Rさんには、私たちの持参したデータをもとに、この医師妻子殺人事件の犯人のプロファイリングをしていただきました。私たちはRさんのプロファイリングは今回の事件の謎の解明に寄与するものと考えます。

 ではRさんとの会見録画をご覧下さい」

 テレビには細身で品の良い、しかし眼に光のある、初老の白人が映った。

「私が今回見せてもらった資料は、日本の新聞などに掲載された一般的なもので、正式の検死報告や現場の写真や詳細な報告書は含まれていません。

 したがって私が今から行うプロファイリングは、基本的な情報抜きで行うので、ある程度の間違いを犯している危険性があります。視聴者の皆さんは、そのことを認識された上で私の意見をお聞き下さい」

 前置きをして元FBI捜査官は語り始めた。

「まず、母子3人が同じ場所に棄てられていたことから、犯行後の犯人の精神状態が推定されます。

 犯人は犯行後ひどく怯えていて、遺体を始末するのに性急でした。穴を掘って埋めるどころか、別々の場所に棄てる手間さえ惜しんだのです。

 一方、殺された女性は性的暴行を受けていないし、子ども達は切り刻まれていません。窃盗でもありません。

 つまり、犯行の動機は犯人にしか分からない個人的なものです。そして突発的な激情にかられて犯した犯罪ではなく、ある程度、計画的で秩序的な犯行だと思われます。

 そして被害者たちの遺体に抵抗した痕跡の無いことから、別々に殺されたと思われます。このことから犯人は、被害者たちの状況を把握できる立場にあった人間と考えられます」

 清三はインタビューの内容を字幕で追った。そして町の占い師が客の情報を前もって調べておくように、この元FBI捜査官も被害者達の夫や父である医師Nが疑われているという日本での状況を、知った上でしゃべっているのだろうと思った。

 インタビュアーが続けて聞いた。

「日本で非常に不思議がられていることですが、遺体がすべて胸・腹・脚の3カ所を紐で縛られているのはどういうことなのでしょうか?」

 元FBI捜査官は答えた。

「被害者達は首をしめられて殺され、犯人は被害者達が絶命した後に遺体を縛り上げました。

 だから死体を縛ったのに実用的な意味はないと考えられます」

 それはそうだ。確かに、3人の死体の胸・腹・脚を縛っいた紐には、実用的な意味はありそうもないと清三は思った。

 だから何なんだとたかをくくって見ていた清三は、続くFBI捜査官の紐に対する解釈に息を呑むことになった。

「この実用的な意味がないということは、逆に重要なことを示唆します」

「つまり」と元FBI捜査官は続けた。

「これは『儀式』なのです。

 犯人にしか意味の分からない『儀式』なのです。

 被害者達が袋に入れられたこともそうです。そうしなければならない、あるいはそうした方がいいといった、実用上の意味は何もなかったのです。

 私はこれらの『儀式』は、犯人が被害者達にある種の人間的感情を抱いていたことの現れと見ます。これらの行為は心理学の用語で言えば「打ち消し」と言うものです。

 つまり犯人は自分の犯してしまった行為に対し、その心の深層部分では罪悪感や後悔を感じています。その罪悪感や後悔が、自分が殺した死体と自分を遮断する『儀式』に犯人を駆り立てるのです」

 清三は元FBI捜査官の「儀式」の説明を聞いたとき、一瞬雷に打たれたような感覚を覚えた。

 インタビュアーがたずねた。

「そうだとすると、犯人は行きずりのものではなく、むしろ被害者達にとって身近な人間ということになりますね」

 元FBI捜査官が答えた。

「そのとおりです。犯人は被害者の身内の人間だと考えて、まず間違いはないでしょう」

 インタビュアーは、現在日本の警察が、被害者達の夫また父である医師Nを尋問中であることを伝えた。元FBI捜査官は「それは捜査の順序として理にかなっています」と答えてインタビューは終わった。

 つくば市の医師Nが、自らの妻子3人を殺害したことを自白したのは、元FBI捜査官の推理が放送された翌日であった。

 Nは財テクの失敗や女出入りの借金で破産状態にあり、夫婦仲も荒廃しきっていた。妻から離婚と莫大な慰謝料を要求されていたNは、ついにある日妻を絞殺した。隣室に寝ていた幼児2人も「母親無しで、さらに父親が母親を殺したことを知って育つ惨めさを味わせるに忍びず」絞殺し、横浜港に遺棄したと云うのである。

 こうして横浜港母子殺人事件は解決した。

 清三は、3つの死体を縛っていた紐が、被害者の死体から加害者である自分を遮断する犯人の「儀式」だと云う、元FBI捜査官の説明に強い印象を受けた。

 3ヶ月前に死んだ妻・恵子を葬儀場へ出棺する時、清三は遺骸の傍らに、詩吟が唯一の趣味だった恵子のために、彼女の永年愛読していた詩吟用の漢詩集を差し入れた。それは夫婦の間だけで了解されるべき「儀式」であった。そんなことを清三は思い出した。殺人犯と被害者の間に人間的関係があった時、殺人者が死体に「儀式」を施す心情は分かる気がした。あの元FBI捜査官の説明は正しいと清三は確信した。

 そして清三は、自分をこの横浜港母子殺人事件に引きつけたものは、死体の紐の謎であったことに気づいた。

 気づきながら清三は、なぜ自分がこの死体の紐の謎にこだわったのか、自分でも不思議に思った。

 

  3

 

 それから数日後、清三は夢を見た

  ……………

 5月の曇天下の農村地帯を、もの凄い数の警察官や消防団員が、広い地域にわたり列をなして進み、しらみつぶしに地面を探している。

 その中に若い日の清三もいた。麦畑の中を捜索隊の一員として歩いていた。

 突然、右の農道を調べていた捜索隊が動きを止め、その隊の指揮官が「近くの人間は手を貸してくれ」と叫んだ。清三もそこに駆け寄った。農道の土が不自然に盛り上がり、明らかに最近人の手が加えられたと思われる場所があった。

 そこをスコップで丁寧に掘り下げて行った。やがて人頭大の玉石が現れた。小石も見あたらない土質で、この玉石は何なんだと清三は思った。

 さらに荒縄の東が現れ、その下に行方不明だった女子高生の死体がうつ伏せに埋められていた。玉石は死体の頭部の上に位置していた。

 現場を強い興奮が覆った。「見つけたぞ」「本部に連絡せよ」「野次馬を近寄らせるな」といった声が飛び交った。

 その喧喋の中で清三は、今掘り出した死体をまじまじと見た。

 うつ伏せに埋められたその死体は、タオルで目隠しをされ、後ろ手に手ぬぐいで縛られ、首と足首に細びき縦がまかれ、足首の細びき紐につながる荒縄の束が、遺体の上にそれを覆うように置かれていた。

 「うわあっ!」と叫んで清三は寝床から跳ね起きた。

 体は汗まみれで、心臓が大きく脈を打っている。真夜中で部屋の中は暗闇である。清三は手で額の汗を拭った。今の夢の中の光景が何であったか、もちろん清三には分かる。31年前の彼の体験そのものであったからだ。

  ……………

 1963年5月1目、埼玉県狭山市の裕福な農家の、当時高校1年生の女子が行方不明になり、同日夜、身代金20万円を要求する脅迫状が、同家の玄関ガラス戸に差し込まれていた。

 脅迫状に指定された5月2日の深夜、車で行くと予告していた犯人は指定場所に徒歩で現れた。待ち伏せていた警察は虚をつかれた形になり、犯人は夜の闇に消えていった。

 明けて5月3日から警察官・消防員を動員した徹底的な捜索が行われた。そして5月4日の午前中に、麦畑の農道に埋められていた死体が発見された。死体には性交の痕跡があり、死因は扼殺と判定された。

 この事件の1か月ほど前に東京で営利誘拐事件があり、警察は身代金を受け取りに来た犯人を手違いで取り逃がし、誘拐された幼児の生死が危ぶまれていた。

 この狭山での犯人取り逃がしは、東京の事件に続く警察の大失態であった。警察の威信は地に堕ち、その無能さは国民各層の轟々たる非難にさらされた。死体の発見された4日、警察庁長官は失態の責任をとって辞任した。

 同日、国家公安委員長は異例の記者会見を行い、「犯人は知能程度が低く、土地の事情にくわしい男であり、犯人逮捕はできる」と宣言した。

 犯人の書いた脅迫状には、誤用の宛字が異様に多かった。また身代金として要求された20万円は、営利誘拐事件のそれとしては少額に過ぎた。それゆえに犯人の教育と生活水準は低いのだと、国家公安委員長は素朴に判断した。

 実は識者の一部には、脅迫状の誤用の宛字や内容は、かなりの知能犯の偽装だという意見があった。国家公安委員長はそのような可能性に一切考慮をはらわなかった。

 こうして警察の面子を賭けた見込み捜査は、予定されていたかのように地域の最貧層に、つまり狭山市の被差別部落へと向けられていった。そして5月23日、被差別部落S地区の青年Iが別件で逮捕された。

 Iは6月17日までの過酷な取り調べに対し頑強に誘拐殺人を否認し続けた。しかし、一度保釈し狭山署を出る直前に再逮捕するという警察の心理攻撃の結果、6月20日ついに犯行を自白するに至った。

 その自白によるとIは、行きずりに被害者と出会い、雑木林に連れ込み、被害者をタオルで目隠しし、手ぬぐいで後ろ手に縛り、強姦しつつ殺害したと云う。

 その後、死体を埋める前に農道脇の芋穴(芋を貯蔵するための人工の穴)まで運び、足首を細びき紐で縛り、近くの農家で探してきた荒縄をその紐に結んで吊り上げられるようにしたと云う。

 それから、芋穴に死体を降ろし、脅迫状を被害者自宅まで被害者の自転車でとどけに行き、自転車は被害者宅に置いてきたとも云う。

 またIの自白後、徹底的な捜索の行われた場所から、次々に被害者の鞄や腕時計や万年筆が見つかった。例えばIの自宅は既に二度の徹底的な捜査を受けていた。さらに鴨居を探すのを忘れるなというのは家宅捜索の初歩の心得であった。それにもかかわらず万年筆は、2度捜索された後のIの自宅の鴨居から見つかった。

 そして裁判は前代未聞の展開をしていった。

 浦和地裁で、被告Iは有罪を認め、当然死刑が予想されるのに泰然としていた。一方Iの国選弁護人は、証拠状況のおかしいことや、被告の精神鑑定の必要性などを主張した。しかし1964年3月11日にはIに死刑の判決が下った。

 Iは控訴した。そして東京高裁での第1回公判で、Iは自分は無実であること、自白をしたのは取り調べに当たった警視と、罪を認めれば10年で釈放してやるとの「男の約束」をしたからだと言い出した。

 狭山事件を部落差別による冤罪事件とした部落解放同盟は、1969年から大規模な支援活動を開始した。しかし1974年、東京高裁はIに無期懲役の判決を下し、1977年、最高裁は上告を棄却した。

 そして横浜港母子殺人事件の起こった1994年段階では、狭山事件に対する2度目の再審請求がなされていた。

 この狭山事件は、30年以上の歳月を費やした裁判と、法廷内外における様々な団体や個人による支援活動で、日本の裁判史上に残る大事件となっていた。

  ……………

 31年前の体験を夢に見てうなされ、清三はまだ息がおさまらない。

 だが、なぜ今さらこんな夢を見たのか、清三には分かった。

 かって清三は、自分もそれを掘り出した一員である。狭山事件の死体の状況に深い疑問を抱いたことがある。しかし清三は周囲の圧力からその疑問を無理に意識の底に埋葬した。

 ところが、今回の横浜港母子殺人事件の3死体の状況は、31年前に清三が疑問をいだいた狭山事件の死体の状況に通じるものがあった。

 そして、31年前に強引に意識の上から消し去った疑問は、なお清三の心の底に生きていた。

 だからこそ清三は、無意識のうちに横浜港母子殺人事件の死体の状況の謎に惹かれていったのだ。

 そして今、31年前の自分を捉えた疑問が、遠い過去の記憶の霧の中から、鮮やかに甦って来ていた。

 

  4

 

 31年前のあの女子高生の死体は、土の中にうつ伏せに埋められ、タオルで目隠しをされ、手ぬぐいで後手に縛られ、首と足首に細びき紐がまかれ、足首をまいた細びき紐につながれた荒縄に覆われ、頭部の上に玉石が置かれていた。

 清三は当時大宮市の警察署の交通機動隊巡査であった。だから捜索に動員された後は狭山事件に直接の関係はなくなった。しかし死体発見現場の強烈な記憶が、清三の同事件への関心を持続させた。

 そして清三は、あるとき新聞でIの自白の内容を見たことから、狭山事件の死体の状況に強い疑問をいだくことになった。

 自白ではIは、被害者の女子高校生とたまたま出会い、雑木林に連れ込み、縛った後で強姦し、その際つい夢中になって首を圧迫して殺害してしまったと云う。

 そして死体の足首を細びき紐で縛り、さらにその紐に近所の家から盗んできた荒縄をつなぎ、死体を農道脇の芋穴に降ろし、脅迫状を被害者の家に届けた後で、死体を農道に埋めたと云う。

 清三は非常に不思議な思いがした。

 なぜ死体は目隠しをされていたのか?

 猿ぐつわならともかく、縛って強姦して殺して埋めるのに目隠しは何の役にも立っていないのだ。

 なぜ手首は手ぬぐいで縛られていたのか?

 手ぬぐいはいかにも縛りにくそうで、首と足首を縛った細びき紐を使いそうなものだ。

 なぜ首に細びき紐がまかれていたのか?

 すでに死体は掘殺されており、首に紐をまく意味は何もないのだ。

 なぜ荒縄が存在しているのか?

 車を持っていないIにとって、荒縄を運ぶことは手間がかかるだけのことなのだ。死体を芋穴につるしたと云うが、死体は芋穴に投げ込めば済むことで、もう一度引き上げて農道に埋め直す必要はないのだ。

 さらにあの頭の上に置かれていた玉石は一体何だったのか?

 清三の脳裏に疑問が次々に浮かんできた。

 死体の状況は、Iの自白した単独の野外の行きずりの犯行のイメージとまったく合わないのだ。

 それから清三は、狭山事件の裁判の展開に注意するようになった。第2審でIが自白を翻し、冤罪を主張しはじめたのを知っても違和感は覚えなかった。

 そして2審の裁判で、死体の足首に、逆さ吊りにすれば当然生じるはずの痕跡が見られないことが弁護側によって指摘されたことを知って、清三の疑問は明確な形をなした。

 あの荒縄の意味が問題なのだ。

 それは死体を縛ってはいなかった。単に足首をまいた細びき紐につながっていただけであった。それは一見、死体を吊すためのものに見える。荒縄が死体を芋穴に吊すためのものであったという自白は、そのような印象から導き出されたものであろう。

 しかし死体の足首に吊られた痕跡のないことは、荒縄が芋穴の中にであれ何であれ、死体を吊り下げるためのもではなかったことを示しているのだ。

 そしてよく考えると、死体への付加物は、目隠しや、首と脚にまかれた細びき紐や、死体の上に置かれた荒縄など、その存在理由がよく理解できないものばかりなのだ。

 この状況は何を意味するのか。その疑問に清三は取り付かれた。それらの疑問は清三の脳裏を去らなかった。

 当然、表だって自分の意見を言うことは避けた。県警内部の雰囲気はそのような見解を言えるようなものではなかった。しかしある晩、同僚とつき合いで行った飲み屋で、つい酒の勢いで狭山事件に対する自分の疑問をしゃべってしまった。

 3日後、清三は上司から、職業柄余計なことに関心を持たないよう口頭で注意を受けた。清三は上司から注意を受けた直後、狭山事件の死体の状況の謎について考えることを止めた。その疑問は強引に意識の底へと埋葬された。

  ……………

「そうだったのか」

 夢にうなざれて目覚めた寝室の闇の中で、汗まみれのまま清三はつぶやいた。

 横浜港母子殺人事件で、清三はなぜ死体を縛った紐を気にしたのか。

 それは31年前の狭山事件の被害者の死体への、目隠し、首と脚にまかれた紐、死体の上にかぶせられた荒縄といった、意味不明な付加物への疑問が、心の底になお根強く生きていたからなのだ。

 横浜港に浮いた母子の死体の胸・腹・脚を縛っていた紐の状況も、遺体への意味不明な付加物として、31年前の狭山事件の死体の状況と性格が共通していた。だからその2つが、清三の意識下で共鳴したのだ。

「そうだったのか」再び清三はつぶやいた。

 あの元FBI捜査官は、横浜港の母子の死体を縛っていた紐は実用的な意味が考えられないが、実用的な意味がないということは、逆にそれが犯人の「儀式」であり、犯人が被害者と身近な者であることを示していると説明した。

 そして、狭山の誘拐殺人事件の死体への付加物も、目隠し、首と脚にまかれた細びき紐、後ろ手にしばった手ぬぐい、死体の上におかれた荒縄、また死体頭上の玉石など、実用的な意味が考えにくいものばかりであった。

 それらに実用的な意味が考えにくいということは、逆説的に、実は重大な意味を持っていたのではないか。

 つまりそれらは犯人の「儀式」の痕跡だったのではないか。

 狭山事件の死体の目隠しや細びき紐や手ぬぐいは、犯人の深層心理における罪悪感と後悔の現れであり、犯人と被害者を遮断するものだったのではないか。

 同様に、荒縄は遺体に掛ける白布であり、玉石は墓標のようなものではなかったのか。

 そう考えると、あの奇妙な遺体の状況は説明できるのではないか。

 また、そう考える以外に、あの状況は説明できないので

はないか。

 こうして、31年前の自分があれほど悩んだ疑問は、ついに氷解したのではないか。

 「そうだとすると」と清三はそこからの帰結に半ば怯えたが、自らの思念の動きを止めることはできなかった。

 そうだとすると、Iは冤罪で、犯人は被害者の周囲の顔見知りのものということになる。

 このとき清三は、自分一人のはずの寝室の闇の中に、もう一人誰かがいることに気づいた。愕然として気配のあった部屋の片隅を見ると、そこには31年前に殺された女子高生が立っていた。

 彼女は何かを訴えかけるように清三をじっと見つめていた。

 

 後記

 本篇は基本的にはフィクションですが、横浜港母子殺人事件と狭山事件に関しては、それぞれR・K・レスラー&T・シャットマン著田中一江訳『FBI心理分析官2』早川書房と、部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部編『無実の獄25年・狭山事件写真集』解放出版社を、主に参考にさせていただきました。なお、筆者は、作者は狭山事件の「家族真犯人説」を支持するものではありません。(1999年10月14日記)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

作者・半沢英一氏の紹介

東北大学理学部数学科卒業、金沢大学教員。狭山事件の第2次再審請求棄却決定に対する異議申立審において、「狭山事件脅迫状と石川一雄氏筆跡の異筆性」の鑑定書を提出されています。

石川さんと脅迫状の「え」「ツ」「や」「『け』の右肩環状連筆」「『す』の右肩環状連筆」「『す』の右肩環状連筆」の確率をそれぞれ求め、当時の石川さんが脅迫状を書く確率をそれぞれ約1775861459154と求めています。そして、確率論の「反復試行の公式」「加法定理」から、「え」と書かれるべき5文字のうち2文字以上が「え」と書かれる確率は約0.00164324、「や」と書かれるべき2文字が「ヤ」と書かれる確率は約0、「け」1文字が「右肩環状連筆」で書かれる確率は約0.058139、「す」3文字が「右肩環状連筆」と書かれる確率は約0.0000109739、「な」5文字が「右肩環状連筆」で書かれる確率は約0.000000681725で、乗法定理によりこれらを掛け合わせた確率は極端に0に近い確率になることを明らかにされています。

その後、『狭山裁判の超論理 ―表が出たら私の勝ち、裏がでたらあなたの負け』(解放出版社)でこの鑑定書を否定し、異議申し立てを棄却した裁判所の超論理をこっぴどく批判されていますので、いずれ詳しく紹介したいと思います。

なお、個人的には、NHKのスペシャルドラマの『坂の上の雲』を批判されている、氏の『雲の先の修羅 『坂の上の雲』批判』(東信社)もお勧めします。  

101010 倖彦