冤罪事件・冤罪裁判(7): 袴田事件-第2次再審請求

 《掲載に当たって》                            

 

19回東日本部落解放研究所・研究者集会(2005821日)の狭山分科会で、平野雄三氏(当時“袴田巌さんの再審を求める会”代表。現在は故人)に袴田事件の報告をしていただきました。その報告内容に加筆していただいたものを、『明日を拓く』のNO.62632005)に「はけないズボンで死刑判決―検証・袴田事件」のタイトルで掲載しました。袴田事件の真相と、無実の証拠を知る手がかりとして、ここに転載します。転載の前に、2005年以降の動きに関してごく簡単に触れておきます。

袴田事件の裁判は、再審弁護団が5点の衣類の血液に関するDNA鑑定を申請しましたが、2007年に鑑定不能との結果に終わり、残念ながら20083月に特別抗告が棄却されました。同年4月に第二次再審請求を静岡地裁に提出しました。20109月の三者協議の席で、一部証拠が開示されました。この開示された証拠に関して弁護団が検証した結果が、1117日付毎日新聞に「『捏造』の補強材料発見―証拠衣類に不自然な点―」のタイトルで記事か書かれていましたので簡単に紹介します。

  味噌タンクの底から事件後12ヶ月経って発見された血のついたズボンと同じ生地の共布(補修布)が袴田死刑囚の自宅から押収されました。事件の関与を裏付ける証拠とされています。ところが、共布が実家から発見される8日前、捜査員がズボンの製造元から同じ生地の共布をサンプルとして入手、さらに、共布を発見した6日後にも県警が製造元から再び同じ共布の提供を受けていたことが分かりました。同じ布を2度も入手するのは不自然。製造元から最初に入手した布サンプルが偽装工作に使われた可能性があるので、説明を求めていく。

 開示証拠にあった血の着いた衣類のカラー写真を観ると、味噌に12ヶ月つかっていたとされる衣類に鮮やかな赤い血痕が写っている。味噌に長期間つかっていれば褐色になるはず。捏造を裏付ける証拠になるので、追求していく。

 以上2点に関しての補充書を再審弁護団は次回三者協議(12月6日)の前に提出する予定とのことです。.

                                  

以上

                                      

はけないズボンで死刑判決〜検証・袴田事件

    ─東京高裁の再審(即時抗告)棄却を批判する―

             

                           平野 雄三(“袴田巌さんの再審を求める会”代表)

 

はじめに

 今から10年前、静岡地裁で再審請求が棄却された後に、本誌(明日を拓く/9号/1995330日発行)に「再審の扉をともにあけよう/袴田事件の再審棄却に抗議する」と題する小文を書かせていただいたことがあった。今回も東京高裁で昨年(2004年)、再審請求(即時抗告)が棄却されたことから、東京高裁の「棄却決定批判」という、同様の趣旨で執筆を依頼された。与えて下さった好機を生かして、自分なりの力を最大限に発揮して、ご要望に応えたいと思う。

 ここ1〜2ヵ月の間、東京高裁の「棄却決定批判」という主題で各地から呼ばれて話をすると、袴田事件のことを、とてもよく理解していると思われる方々から、意外というべきか、ごく当たり前のことというべきか、「棄却決定批判」という主題に入る前に、袴田巌さんが警察から「なぜ犯人と目星を付けられたのか」「なぜ逮捕されたのか」「やってもいないのに、なぜ虚偽の自白をしたのか」という質問攻めに遭遇した。簡単な説明だけで切り抜けようとしても理解が得られず、これらの説明に23時間も要する有り様で、「棄却決定批判」という主題には、なかなか辿り着けないことが続いた。

 この教訓を生かして、冒頭に述べたように、10年前に本誌に袴田事件に関して書かせていただいたが、基本的な事柄は重複を恐れずに述べることを、お許しいただきたい。

 

袴田事件とは

 1966年(昭和41年)630日未明、静岡県清水市(現静岡市清水区)横砂で、味噌製造販売会社の専務一家4人が殺された後に放火された、強盗・放火・殺人事件が起こった。この味噌会社の住み込み従業員であった袴田巌さんが犯人として逮捕され、1980年に死刑が確定したことから、後年に「袴田事件」と呼ばれるようになった。

 しかしこの呼称では、少なからぬ誤解が生じると思う。なぜなら、犯人とされた袴田巌さんは自ら、無実を主張して再審請求をしている。支援者の1人として、この事件の裁判記録を読めば読む程、証拠を調査すればする程、無実が明らかになって来て、袴田巌さんを、真犯人とはとても思えないのだから、「袴田事件」という事件名は相応しくないと思っている。

 当然、事件発生の当初は別名で呼ばれていた。例えば新聞の報道では「味噌工場専務一家強盗殺人放火事件」とか、静岡県警本部の捜査記録の標題には「清水市横砂、会社重役宅一家4名殺害の強盗殺人放火事件」と、名付けられていた。地元清水市在住の袴田巌さんの支援者は、被害者の専務が経営していた味噌会社の商号から「清水こがね味噌事件」と呼んでいた。

 私も「清水こがね味噌事件」とか、事件現場の地名から「清水市横砂事件」などと呼ぶのが妥当だと思う。敢えて「袴田事件」と言うのであれば、「袴田巌さんが犯人にデッチ上げられて、冤罪を主張し続けていながら死刑が確定し、再審を請求している事件」と言うべきであろう。

 読者の皆様は「狭山事件」のことを、ご存知だと思うが、事件発生の地名・狭山市から当然のこととして「狭山事件」と呼んでいるのに、仮に石川一雄さんの名前から「石川事件」と呼称するとしたら、とても奇妙な表現になることがお分かりいただけると思う。

 しかし現在では「袴田事件」という呼称で、世の中に知られて通用しているので、ここでは「袴田事件」と呼んで扱うことにする。

事件発生の状況

 1966年(昭和41年)630日未明、静岡県清水市(現静岡市清水区)東端の町・横砂で、味噌の製造販売会社の専務宅から出火し、全焼した現場から、刃物による多数の傷(4人で40数ヵ所)を受けた一家4人(専務、妻、次女、長男)の焼死体が発見された。

 事件現場は、JR(旧国鉄)東海道本線の線路脇の家屋であり、630日未明の午前1時過ぎに、現場付近を通過しようとしていた貨物列車の運転手が、火災を発見して急停車して通報したことから、事件の発生が判明した。

 殺された被害者4人の遺体には、刃物と思われる複数の凶器を使った創傷が併せて40数カ所もあった。被害者宅とは1メートル程度の間隔で隣接する両隣の住人は、火事が起きて大騒ぎになるまで、「被害者宅から、助けを求めるような悲鳴や、誰かと争うような大声や物音など、何も聞こえてこなかった」と証言した。

 火災の発見時間が午前1時過ぎだったことから、4人の殺害はこの時間の少し前ということにされたが、実際はもっと早い時間帯に行われたのではないかと、次の事柄から推測できる。後述するが、もっと早い時間帯の犯行であれば、袴田巌さんのアリバイが証明できる。

 被害者4人の服装は、両親はそれぞれが腕時計をしたままであったり、長男はワイシャツ姿でその胸ポケットにはシャープペンシルが入っていて、次女はブラジャーを着けたままだったり、しかも室内には蚊帳を釣る準備がしてあったが、釣った形跡がなく、就寝時の習慣にもよるが、一般的にはとても就寝している状態ではなかった。

 火災現場の台所には、日常的に使っていた家庭用の包丁が1本も残されていなかったり、電話機がコードごと引きちぎられて、土間に放り出されていた。4人の被害者は抵抗もせず、周囲に助けを求めることもなく、次ぎ次ぎと殺されるのを静かに待っていたという、奇妙な想定でもしなければ、単独の犯行では到底出来ない、不思議な状況であった。

 捜査の段階で、1本も残されていなかった家庭用包丁の行方や、土間に放り出されていた電話機に付着していたはずの指紋や血痕、血液型の採取、電話機がコードごと引きちぎられた理由、複数犯などに関して、捜査したのか否か、その結果も含めて、公式発表は一切なかった。これらに関する捜査報告書の存否すら不明なのは、疑問を感じる。しかも、袴田犯人説を確立させるためには、大々的に意図的にリークした警察が、この件では、何もリークしなかったのは、何らかの恣意的なものを感じる。

 それでも、事件直後の捜査から、上記の状況から犯人は複数であり、被害者宅にあった多額の現金、預金通帳、有価証券がほぼそのまま残されていたことや、被害者が受けた傷の多さなどから怨恨による事件と見るのが、一般的であったが、真犯人に結び付くような物的な証拠がなかった。あるいは怨恨説を決定づける物的な証拠が「あった」のだが、何らかの理由で開示できなかったのかも知れない。一方で、内部犯行説との見方も1部にあった。

怨恨説はなぜ消えたのか

 前述のように、他の多くの怨恨事件に類似していることから、この事件も当然、怨恨説が有力であったと思われる。警察のリーク情報も加味されてのことだが、事件直後の新聞報道も怨恨説が有力だった。

 当時、被害者の専務が経営していた味噌会社は、味噌製造の新技術の導入に成功し、静岡県内でも3本の指に数えられ、手広く商売をしていた。味噌の製造は、原料となる大豆の輸入枠をどこまで確保できるのかが、勝負どころであった。大豆の輸入は今と違い、自由ではなく、各企業に割り当てられる輸入量は、地元や中央の政治家を使った政治力が左右し、同業者との闘いの結果で決まるものであった。つまり各企業の割当量(輸入枠)は、最終的には国家の役所が決める利権である。昨今の牛肉の輸入問題に、当時の大豆と同様の現象が見られる。

 この状況を地元の警察や関係者は、皆よく知っていた。表面にはなかなか出て来ないが、利権が絡めば被害者の専務と政治家や役人との間に、何らかの贈収賄の臭いがすることは、誰もが薄々、感じていた。時には暴力団までもが登場する場面さえある。

 被害者の専務は羽振りがよく、特権階級でなければなかなか持てない、外国車や自家用モーターボートを所持して、これを使ってよく遊びに出掛けたようだ。また、清水市内には愛人がいた。この愛人が経営する中華飲食店に、殺された息子に連れられて友人が食べに行ったことが何回かあったが、いつも料金を取らなかったとの証言もある。当時、週刊誌上でステッキガールとして騒がれた、風俗関係では有名な浜松市(同じ静岡県内だが清水市から西に90キロメートルも離れていた)まで、外車に乗ってよく風俗遊びに出掛けた。地元・清水市内の暴力団が主催する賭博場にも、度々出入りしていたとの情報もあった。

 政治家と利権、暴力団と風俗関係、賭博、と挙げれば、この裏で被害者の専務と連なる何かが存在するのでは?と考えても不思議ではない。そして、この人たちとの関係性が、例えば金銭的な問題や女性関係などで、少しでもバランスが崩れて、解決でき(手打ち)なければ抗争に発展するのは、この世界ではよくあることだ。

 以上に挙げた事柄は、被害者を知る上の一側面に過ぎないが、これだけの情報でも「袴田事件」が、怨恨によるものと考えるのは当然であろう。

 それが事件発生からたった3日経ただけで、有力だった怨恨説から内部犯行説へと、捜査方針が切り替わった。なぜか。推測の域を出ないが、事件直後の初期の捜査段階で、真犯人像が、地元の警察上層部との関係がある政治家か暴力団(あるいはその両方)に到達してしまい、警察上層部の政治的な判断が働いて、方針転換したのではないかと考えている。しかし、確証を得ているわけではない。

 この原因を、私を含めた多くの支援者や先輩が研究してきたが、結論は得られていない。弁護団の中には「事件のアナザーストーリーとしての真犯人像を示唆できれば、再審の道が拓かれ易い」との考え方があり、私もなかなか捨て難いと思っている。

 この「事件のアナザーストーリーとしての真犯人像」を探すことは、多いに興味が湧いて「事実は小説より奇なり」と言う如く、とても面白いと思う反面、多くの力をここに割かねばならず、真犯人像が見つからない限り、本来の目的である再審開始には直結せず、徒労に終わる可能性が大きい。その上、地元の支援者の間では、暴力団が事件に関与した可能性が高い(根拠を否定しきれない)との判断から、深入りすると報復に会うかも知れないとの判断から自己防衛本能が働き、この活動には今迄、禁欲して自らの手足を縛って来た。

 しかし、東京高裁から再審請求が棄却されて、しかも来年は事件発生から40年になる今こそ、事件当時の関係者が次々と他界されている中で、結果はどうあれ、関係者の存命中に早急に取り掛かる必要性を感じている。地元の支援者の協力なしには手を付けられないので、先ずその準備から着手したい。

 

なぜ袴田巌さんが逮捕されたのか

 袴田巌さんは、事件当時30歳、健康を害して既にプロボクサーを引退、この味噌会社の従業員として、東海道本線を隔てた現場と反対側に建つ、味噌製造工場の2階に設けられた従業員寮に住み込んで働いていた。

 初期の捜査が難航しているなかで、殺された専務は体格が良くて柔道2段であり、この猛者を襲えるのは、元プロボクサー(全日本フェザー級6位)の袴田巌さんなら可能だと思われた。事件後、左手中指を負傷していた(実際は消火作業でケガをした)。アリバイがなかった。現在の捜査技術では、死後硬直や胃の中の残留物の状態などから、ある確度で死亡時間を特定できるが、当時はこの重要な捜査を充分にやっていない。午前1時の時点は1人で寝ていたのでアリバイの証明は困難だった。前夜10時半頃ならアリバイを証明できる。以上のことなどから、犯人として目星を付けられたのは、事件から4日後の7月4日であった。

 当日、警察は袴田さんの部屋にあった袴田さんのパジャマを任意提出させた。これは後に判明したことだが、このパジャマには肉眼では判明できない程の極少量の血痕(袴田さんと同じB型)が付着していた。それを警察はマスコミに対して「血染めのパジャマ」とリークして、大々的に報道させた。ある新聞は、味噌会社の従業員「H」が怪しいと、近隣の人が読めば、明らかに「袴田さんが犯人かも知れない」と分かるように書いた。

 さらに午前中に近くの病院に行かせて、静岡県警から委嘱された監察医を立ち会わせ、負傷していた左手中指の治療を受けさせて、傷の様子を監察医に確認させた。その後、味噌会社近くの交番に『参考人』として呼び出し、『任意』の取り調べを真夜中まで『強制』した。袴田巌さんは否認し続けたので、逮捕する決め手がなく放免された。

 つまりこの時点では、殆ど血痕の付着がない袴田さんのパジャマを「血染めのパジャマ」と言って、大々的に報道させながら、これを有力な物的証拠と断定するのが難しかったし、袴田さんと結び付く物的証拠は皆無であった。様々な物的証拠が袴田さんと結び付けられるようになるのは、99日に起訴された後である。逮捕前・起訴前に袴田さんと結び付く「物的証拠まがい」は、この「パジャマ」だけである。そして、袴田さんから事件に関与する自白が何も得られなかったので、逮捕できなかったのであろう。

 しかし、この日から警察は袴田巌さんに尾行をつけて、24時間の行動を監視した。近くの簡易食堂で職場の同僚とビールを飲めば、どんな会話をしていたのかと聞き込み、支払った金額と金員まで記録し、支払った紙幣をその店から回収して、血痕や指紋の付着の有無まで、逮捕するまで連日、調査し続けた。それでも、袴田さんを「被疑者」として逮捕する決め手・証拠が得られなかった。

 決め手がないまま、被害者一家の「49日」の法要に合わせて、818日、袴田巌さんを強引に逮捕した。「血痕の付着が殆どない『血染めのパジャマ』」以外に物的証拠がないので、身柄を代用監獄に押し込んで、無理やり「自白」させるのが最大の目的であった。警察は「『自白』さえ得られれば犯人と認定できるし、裁判でも有罪に出来る」と「大きな賭けに出た」と思われる。

 脆弱な物的証拠となる「血染めのパジャマ」を補強するために、報道関係者に「袴田犯人説」を報道してもらうべく、警察は袴田さんの取り調べの過程を様々にリークした。例えば、「呼び捨て報道」はもちろんのこと、「逮捕=真犯人」視して、連日、逮捕時の袴田さんの顔写真を掲載して、扇動的に書き立てた。自白しないことを「だんまり戦術」と批判させたり、「(被害者の)葬儀の日も高笑い─“ジキル”と“ハイド”の袴田」なとど揶揄させた。

 逮捕日を「49日」に合わせたのは、「49日」を過ぎても警察の捜査が何も進んでいない、との世間からの批判をかわすためであろう。被害者の「初7日」とか「49日」に合わせて容疑者を逮捕する手口は、世間の情緒的な感情をクスグル警察の典型的な常套手段の1つである。

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やってもないのに、なぜ「自白」したのか

 袴田巌さんは、818日に逮捕されてから、99日に起訴されるまでの23320)日間、清水警察暑内の代用監獄における取り調べ時間が、平均12時間(静岡地裁の判決による。12時間を越える日が16日もあった)という長時間に及んだが、なかなか自白しなかった。8月下旬から9月上旬のこの時期は残暑が厳しいのに、わざと西日の当たる部屋を取調室に充て、窓を全部締め切って室温を高め、袴田さんに生理学的な苦痛を与えて、責め続けた。

 余談になるが「冷房がない」状況は、若い世代の方にはお分かりいただけないと思う。1966年当時、空調・冷房の装置はまだまだ高価で一般的ではなかった。最先端の装置産業である半導体製造工場、精密機械工場などの生産現場に、生産装置や設備を冷房することが主たる目的で導入されていた。そこで働いている人にとっては「冷房の効き過ぎ、冷し過ぎ」現象が日常的だったが、主たる目的が生産装置や設備の冷房にあったので、厚着して自衛するか我慢するかしか方法がなかった。人間が快適な涼しい環境を得られる目的で、大企業の社長室や事務所、接客業種にも導入され始めたが、警察を含む官公暑への導入は、もっと先のことである。

 取調官は被疑者に「自白」させる卓越した技術を持っている。給料をもらってその技術を日々研鑽・実践して高めているので、何も話さない「完全黙秘」や「否認」を通すことが、どんなに困難なことなのかを知っているつもりである。何の法律知識もない袴田巌さんが、弁護士の実質的な支援や助言がないまま、20日間も否認し続けたことに驚嘆する。

 袴田巌さんは逮捕以来ずっと否認し続けていたが、20日目の96日になって、犯行を認める虚偽の自白を始めた。袴田巌さんがなぜ「自白」するに至ったのか? 本人が家族や弁護士に宛てた手紙や、本人直筆の上告趣意書草案、公判廷で述べたこと、取調官が公判廷で述べたこと、静岡県警本部の捜査報告書などから総合すると、次の 銑Г挙げられるが、これで全てなのか否かは判らない。

ー萃桓爾暑いにも関わらず、喉が渇いた袴田さんに水分をなかなか与えなかった。肉体的に参って行くのが判る。水分を与えなかった状況が、静岡県警本部の捜査報告書に記載されている。

⊆茲蠶瓦抻間が深夜まで続き、睡眠不足に陥った。取り調べが午後10時前に終わったのは2日間だけであり、他はすべて午後11時過ぎになった。中には翌日の午前2時に及ぶこともあった。これでは肉体的にも精神的にも参ってしまった。取り調べ時間は、静岡地裁が判決の中で認めた公式な時間であり、これ以外に非公式な取り調べ時間があったか否かは、判明しない。

G喨悗簀喃△鮗由にさせてもらえなかった。最初はバケツを取調室に持ち込み、排尿だけを取調官の目前でやらせた。排便は我慢していたが、顔にむくみ(浮腫)が出てくる状況になって、取調官は慌てて取調室内にオマルと呼ぶ簡易トイレを持ち込み、取調官の目前で使わせた。肉体的に苦痛であり、精神的にも屈辱的な仕打ちである。

っ瀁疹匹了病があり、逮捕される以前は薬を毎日服用していた。逮捕後は、取調官に寮の自室にある薬の差し入れを頼んでも無視された。全く薬が服用できなくなり、睡眠不足の原因の1つになった。肉体的にも精神的にも参った。

ヂ緲儡胴ではどこでも定番だが、「取り調べ中に殺しても、病気で死んだと報告すればそれまでだ」と言っておどし、21組、31組で罵声を浴びせて、交替で蹴ったり、こん棒で殴ったりした。

Π幣紊里茲Δ覆海箸ら、取り調べ中に意識を失って卒倒してしまうことがあった。意識を取り戻させるために、取調官が手足の指先をピンで突いた痕跡があった。

А↓ 銑Г里茲Δ米々が連日続いて、自分の生命の危険を本当に感じた。とにかく、取り調べの責め苦から逃れて、楽になりたかった。

 しかし、「はじめに」の項で述べた質問者たちには、この 銑Г寮睫世世韻任惑柴世靴討い燭世韻覆った。冤罪事件で無罪を勝ち取ったり、狭山事件・石川一雄さんのように仮出獄で世の中に戻って来た人たちの話を聞くと、こんな生易しいことではないことが判る。

 取調官からズタズタに自尊心を壊されて、精神的に自立できない状態にされてしまうとか、「弁護士は信用できない、警察こそ信用できる」と思わされるとか、お前が「自白」しないならば、家族や友人、知人を逮捕するとの脅しが、連日にわたって行われた。

 警察で「虚偽の『自白』をしても、裁判官の前で本当の事を言えば判ってもらえる」と、虚偽の「自白」をすすめられたことがあり、早く取り調べの責め苦から逃れて楽になりたいとの思いから、つい信用してしまったが、実際は裁判官には判ってもらえなかった。

 虚偽の「自白」をしたことは、冤罪事件といえども被疑者にとっては「恥ずべきこと」だと思っているので、「自白」に至るご自身の内面的な経緯や原因は、なかなか話してもらえないし、そのお気持ちはよく分かる。

 袴田巌さんの場合も、排便、排尿をさせなかったり、脅されたり、暴力による拷問があったことは明らかだが、もっと自尊心を失わせるような精神的な攻撃があったか否かに関して、当時の弁護士の関心が薄かったこともあり、判っていない。虚偽の「自白」に至る96日までの20日間にも、長時間に及ぶ取り調べが連日にわたって行われたことは、静岡地裁の判決に書かれているので、必ず何かがあっただろと思われる。今となっては、本人が家族や弁護士との面会を拒否し続けているので、確認の方法がない。自由な交流ができれば、ぜひ解明したい側面の1つである。

 

やってない嘘の「自白」をなぜ見抜けないのか

 被疑者・被告人はやってもいないことを「やった」と「自白」してしまう現象が、一般的にはなかなか理解されない。なぜ私たちは、その「嘘」を見抜けないのだろうか。人を裁くのを専門とする職業である裁判官までもが、虚偽の「自白」を見抜けないどころか、むしろ「『自白』は証拠の王様」と思い込んでいること自体が、理解し難い。法廷の裁判官の目前で、被疑者自らが「あの自白は虚偽だった、警察の脅しや拷問などに耐えられずに、自白してしまった」と必死に訴えても、この「自白」には一顧だにしないのに、一方、供述調書という体裁になった代用監獄内での「自白」は信用できる、と判断する裁判官とは、一体どういう価値観の持ち主なのだろうか。この疑問は解けない。代用監獄内での取り調べの実態(映像と音声)を記録して可視化することが、緊急の課題である。

 やってもいないのに「自白」してしまう、虚偽の「自白」こそが、被疑者が「問われている犯罪を全く知らない」という「無知の暴露」であり、無実を証明する重要な証拠だとして、数多くの冤罪事件の虚偽「自白」を鑑定してきた浜田寿美男さん(心理学者・奈良女子大学教授)の心理学的な分析手法が、裁判官にはなかなか理解されない。浜田寿美男さんは、多くの人々の理解を得たいと願い、21世紀に入ってから、著作を読み易い新書判で数点出版しているので、ぜひ読んで欲しい。(自白の心理学/岩波新書、〈うそ〉を見抜く心理学/NHKブックス、取調室の心理学/平凡社新書)

 日弁連のシンポジウムの場で、イギリスでは被疑者が「やってもいないのに『やった』と虚偽の『自白』をする」場合があるので、取調官は注意せよという教育・研修が、現場の警察官に対する重要な項目になっていて、浜田寿美男さんクラスの著名な心理学者が研修を担当して、裁判官にも同様の認識があると、聞いている。日本でも早期に同様の教育・研修を重点課題として実施すれば、冤罪が減るのではないかと思っている。

袴田巌さんの心は蝕まれてしまった

 冒頭に述べたように、この事件は1966年に起きて、当時30歳だった袴田巌さんは被疑者として逮捕・起訴されてから、69歳の高齢になる今日まで実に39年もの長きにわたり理不尽にも自由を奪われ続けてきた。獄中から無実を叫び続けてきた袴田さんの心中を思うと、軽々に推察することなどは失礼ではあるが、司法に対する不信感でみちあふれた壮絶な苦悩、死刑確定後に外部との交通(面会や文通など)が未決時代とは異なって極端に制限されて孤立状態にさせられたこと、死刑執行の恐怖に晒され続けたことなどが、袴田さんの精神を追い詰めて、現実の世界から乖離した独自の世界観に完全に閉じこもってしまっているように見える。

 死刑確定から5年を過ぎた1985年頃から、拘禁反応がひどくなった。家族との面会時に交わす会話も、「この拘置所の中には電波を出す奴がいて、痛くてかなわない」「食事に毒が入っている」などと意味不明の内容が多くなった。東京拘置所の報告にも、「顔にお菓子の袋をかぶった異様な姿で歩いた」「カニのようなまねをして、横に歩いて徘徊した」「出された食事を全て水で洗ってから食べた」「缶詰以外は『毒が入っている』と言って、差し入れを拒んだ」などの異様な行動が記録されている。

 明らかに精神の変調をきたしている。静岡地裁と東京高裁の棄却決定書をその都度、決定直後に差し入れたものの、親族、弁護人らとの面会は「本人が会いたくない」と言って、長期間、何度も拒絶し続けてきた。2003310日(奇しくもこの日は袴田巌さんの67歳の誕生日であった)、保坂展人衆議院議員の力添えで最後に面会できた際にも、実の姉を「知らない人」「機械が作った偽物」などと言い、「自分は全能の神である。袴田巌は全能の神に吸収された」とも述べて、通常の会話が全く成立しない状況であった。

 おそらく差し入れた棄却決定書を手にすることもせず、その意味を受けとめることができない状況下にあろう。

 近年、袴田巌さんの兄が亡くなったことに伴い、遺産相続の事務処理のために、袴田巌さんの意思確認が必要になったが、面会を拒否していて作業が進まない状況に至った。そこで袴田さんの実姉から、東京家庭裁判所に成年後見開始の審判申立がされ、精神鑑定が実施されることになった。しかし、袴田巌さんが鑑定人との面会に応じないために、鑑定不能との報告が東京家庭裁判所よりなされた。その上、袴田さんを収監している東京拘置所は、袴田さんの心身状況を唯一把握している法務省の機関であるにもかかわらず、東京家庭裁判所からの嘱託に対して、成年後見用の診断書の返送に応じず、観察記録の提出にも応じようとしていない。

 このような東京拘置所の「沈黙」こそが、袴田巌さんの精神状況が極悪であるという実態を、如実に証明していると思われる。

 袴田巌さんに残された時間は少ない。袴田さんの精神の回復への努力と共に何としても奪われた時間を少しでも取り戻したい。ご家族、弁護団、支援者は協力して、最高裁における特別抗告で「再審開始・無罪」を勝ち取るべく、力を尽くしている

 

弁護団の主張

 東京高裁の即時抗告審において、弁護団が東京高裁に提出した最終意見書(200183日付で作成)こそが、弁護団の主張の集大成である。

 この最終意見書を基に、弁護団と支援者が協力して、ブックレット『はけないズボンで死刑判決?検証・袴田事件』(現代人文社刊、2003315日発行/800円+税)を“中学生が読んでも理解できる”ようにと意気込んで編集・出版した。

 写真や図解を多用して、視覚からも理解できるように工夫したので、手前味噌になるが、当初の目的通り“中学生が読んでも理解できる”と自負できる傑作になったと思う。ぜひ、手にとって読んでほしい。このブックレットから、いくつかの要点を紹介する。

〇犒哉酬茲覆里法△泙襪婆戯瓩鮓世づ呂垢茲Δ僻酬菠検

 確定判決は「付言」と題して、警察が袴田さんから「自白」を得るため汲々とし、不当に長時間に及ぶ取り調べがあり、1日平均12時間とわざわざ指摘して、「2度とこのようなことがあってはならない」と厳しく批判した。無罪判決ならば実に適切である。死刑判決で、わざわざなぜ、このような批判をしたのだろうか?

 しかも、45通存在する「自白」調書の内、44通を証拠採用から排除して、1通だけを証拠として採用した。判決は、この1通を最大限に活用して、犯行の動機、4人の殺害の順序や方法、放火の方法、逃走経路などを認定した。当然のことだが、5点の衣類に関する自白は全45通には、全くない。

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∋犒哉酬茲覆里法5点の衣類に付着した血痕の不自然さを、わざわざ図示した

 確定判決は、犯行着衣とした5点の衣類に付着した血痕とその血液型の不自然さを、分かり易く図示した。袴田事件を何も知らない人でも、この図をちょっと見ただけで、一人の男性がこの5点の衣類を普通(下半身ならば、ブリーフ、ステテコ、ズボンの順)に着用して、4名もの人を刃物で殺害したとしても、図示されたようには血痕が付着しないという、不自然さが容易に分かる。無罪判決ならば、無罪の説明のためには実に適切な図解である。なぜ死刑判決にわざわざ掲載されたのか?

5点の衣類は犯行着衣?

 検察は、一審・静岡地裁の冒頭陳述で犯行着衣は「袴田さんのパジャマ」とした。このパジャマとは、既に説明済みだが、肉眼では判明できない程の極少量の血痕(袴田さんと同じB型)が付着していたパジャマであり、警察がマスコミを使って「血染めのパジャマ」とリークして、大々的に報道させたパジャマであった。ところが、「肉眼では判明できない程の極少量の血痕」では、袴田さんを逮捕する決め手にはならなかった程の脆弱な証拠物である。公判が始まった翌年(1967年)の5月には、弁護側がパジャマの血痕の血液型の再鑑定を申し立てたところ、血痕があまりにも微量すぎて「再鑑定不能」となった。これでは犯行着衣として否定されかねず、公判の継続さえ困難と思われた。

 ところが、同1967831日に、突如として味噌タンクの中から、5点の衣類が「発見」された。912日には、袴田さんの実家からズボンの「共布」が発見された。ズボンは味噌漬けで「共布」は漬かっていなかったのに、12日付に作成された「証拠品発見報告」には、不思議なことに「共布」とズボンは同一生地、同一色、「共布」はズボンの寸をつめて切り取った「残りの布」とまで書かれた。年末の124日にならなければ「端切れとズボンの素材が同一種類の生地と思われる」との、正式な鑑定結果が判明しなかったのに。

 そしてこの後、司法手続きが、常識では考えられない超スピードで展開する。「共布」が発見される前日の911日には、検察官は、5点の衣類を犯行着衣であり、しかも袴田巌さんの物だとして証拠調べを裁判所に請求した。「共布」発見と同日の912日に、静岡地裁は公判期日を翌日の913日午後2時と指定した(この期日はこの912日に突如、期日外で指定された)。こんな性急な期日指定は、弁護士ならば即座に拒否できるし、5点の衣類の証拠調べだって、弁護士が袴田さんとの打ち合わせもなく同意したのは何故なのか?疑問がある。なぜ拒否や延期をしなかったのか? 913日午後2時に第17回公判が開かれて、検察官は異例の冒頭陳述変更を行い、犯行着衣を「血染めのパジャマ」から「5点の衣類」に訂正した。正に超・猛スピードである。弁護士は一体、どのような防御策を取ったのか? 裁判記録から判ることは、とても残念なことだが、何もやっていないとしか思えない。

 素人でも判ることは、この事件の重要な起訴事実として、犯行着衣の訂正という冒頭陳述の変更だけで、この時点で起訴が無かったことになり、この裁判は打ち切り、同一事件としての公判は終了、袴田さんは無実で放免されなければならなかった筈だ。

 警察・検察が、何としてでも「5点の衣類」を犯行着衣として、袴田さんを逮捕・起訴したいのならば、「5点の衣類」の鑑定結果が出る、年末の124日以降の事なのだ。

と塙埣絨瓩鯡A好織鵐の中に隠した?

 事件から12カ月後に、工場の味噌タンクの中から、犯行着衣とされた5点の衣類が発見された。判決は、この5点の衣類を袴田さんが犯行直後に、麻袋に入れて味噌タンクの中に隠したと認定し、しかもこれらは犯行着衣だとも認定した。事件の翌日に行われた実況検分で、この味噌タンクの中も調査済みであり、しかも事件の4日後(74日)から、袴田さんを警察官が終日尾行して監視していた。この前日の73日は日曜日で、袴田さんは浜北市の実家に帰り、味噌工場にはいなかった。隠すために味噌タンクの中に入ると、自分が着用している衣類が味噌まみれになり、周囲の者には直ぐに分かってしまう。さらに一旦、タンク内に隠したとしても、味噌をタンクから取り出して販売するのですから、いずれ、発見されてしまうことになる。そんな場所に、真犯人がわざわざ隠すとは、到底考えられない。

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 5点の衣類を控訴審(東京高裁)では3回も装着実験をしたのに、3回ともズボンが太もものところで突っ掛かってしまい、袴田さんには、はけなかった。5点の衣類が「発見」された直後に袴田さんは、家族宛の手紙で「これで自分の無実が分かってもらえる」と喜んでいた。ところが高裁判決は、ズボンは味噌漬けになっていたので縮んで「はけなかった」と認定し、事件当時は「はけた」筈だとして、静岡地裁の死刑判決を護持した。

 弁護団は、再審の即時抗告審(東京高裁)段階で、味噌漬けになっていない(つまり縮んでいない)ズボンの「共布」の、糸の繊維の太さと本数などから、厳密に測定して「ズボンは、やっぱりはけなかった」とする鑑定書を提出した。

Δり小刀一本だけで四人を殺害?

 くり小刀は、桶や樽、欄間のササクレを削り取るような作業に使われる。留め釘がないので「突き刺す」ような使い方をすると、柄から刃体が抜けてしまう。その上、日本刀には必ず付いているツバがないので、何度も突き刺せば、柄に付着した血液がヌルヌルして滑ってしまい、自分の手を切ってしまうという構造になっている。しかも和包丁や日本刀の特徴である、鋼と地鉄(軟鉄)を鍛錬(接合)して張り合わせているので、何度も突き刺せば、通常23回突き刺すだけで、柔らかい軟鉄側に曲がってしまう。

 こんな“キャシャ”な造りの刃物1本で、4人に合計47ヵ所もの傷を負わせて、傷の中には肋骨や肋軟鉄を切断したり、胸骨柄を貫通したり、胸から刺して肝臓の深さ4センチに達するまでの創傷を負わせたりしていること自体、刃物の実態に精通している人ならば到底信じられず、「冗談は止してくれ」とバカにして笑ってしまう。まして、4人も殺すことなど、とても無理なことなのだ。

 弁護団は、近年、静岡県内で実際に起こった殺人事件に関して、司法警察員が作成した調書を引用して「包丁(目釘はある)でも多数回刺せば、柄に大量の血が付着して手が滑り、犯人自身が自分の手に傷を負う」ことを実例で示すと共に、支援者が行った豚の枝肉を用いた実験経過と結果をビデオ映像に収め、さらに即時抗告補充書にまとめて、東京高裁に提出した。

Ы斉仔鹵覆寮賁海虜濛雹に強盗?

 判決は、袴田さんは4人を殺す気などなく、「刃物で脅かして金員を強奪しよう」と被害者宅に侵入したと認定した。袴田さんは、専務が経営する会社の寮に住み込み、専務宅で家族と一緒に毎日の食事をするなど、被害者4人とは親しい関係だった。仮に金を奪ったとしても「仕事は続けられなくなるし、逃げるしかない」のに、裁判所が任意性ありとして1通だけ証拠採用した「自白」調書に書いてあるように、「息子と母と一緒に住むアパートを借りるため」には、使えるはずもない。

 4人を殺す気などなく、「刃物で脅かして金員を強奪しよう」と侵入するのであれば、柔道2段の専務が在宅している時ではなく、不在時を狙うのが常識である。専務は出張と称して外泊することがよくあり、家族や親しい従業員は、その予定を知っていた。

С米中にできた傷?

 袴田さんは事件直後、左手中指と右肩に切り傷があった。いずれも些細な傷で消火作業の際にブリキで切った痕だった。判決はこの傷を、袴田さんが“凶器とされたくり小刀を手に持ったまま”で、被害者らと格闘している最中に負った傷と認定した。専務は柔道2段の猛者で体格も袴田さんより上回っていて、本当に格闘していれば、凶器とされたくり小刀の奪い合いなどが起こるのは必然であり、こんな些細な傷では済まないことは、多くの人の経験則からも明らかだ。

裏木戸を通れたのか?

 確定判決では、袴田さんが、合計3回も裏木戸を通り抜けたと認定している。しかも放火した後に脱出するために通った時は、上部の留め金を掛けたままで、裏木戸の片方をめくるようにして通ったと認定した。この裏木戸は、袴田さんが工場と専務宅の間を往復するために、毎日、最低でも23回は通っていた通路上にあり、裏木戸がどのような状態ならば通れるのか、熟知していた。どう考えても、どう実験しても、上部の留め金を掛けたままでは、裏木戸を通ることは不可能なのだ。

 弁護団は「上部の留め金を掛けたままでは、裏木戸を通ることは不可能」という実験結果を、即時抗告補充書にまとめて東京高裁に提出した。

嘘の「自白」は「無知の暴露」であり、無実を明らかにする証拠の宝!

 袴田巌さんの「供述調書」いわゆる「自白」調書、全45通を、浜田寿美男さん(心理学者・奈良女子大学教授)に依頼して、心理学的な分析手法を用いた分析をお願いした。その結果、「嘘の『自白』は、犯行の実態を全く知らない『無知の暴露』であり、無実を明らかにする証拠の宝である」と視る「浜田鑑定書」を作成して、東京高裁に提出した。

 前述した「やってない嘘の「自白」をなぜ見抜けないのか」の項で、述べたので参照してほしい。

東京高裁の棄却決定の特徴

 東京高裁は2004827日(26日付で作成)、袴田巌さんの再審請求を棄却した。19948月に静岡地裁の棄却決定の後、直ちに即時抗告を申し立ててから、丸10年という歳月を掛けて、東京高裁の裁判官たちは一体何をしていたのかと、怒りが自然にこみ上げてくる、極めて杜撰な棄却決定であった。再審を認めないとする裁判所の意志が先に存在していた、と言っても過言ではないと思う。決定の文中に多数の誤記があり、引用の誤りも目に付く。裁判所の判断が、普通の生活をしている人の常識や経験則、論理とは、遠く掛け離れたところにあり、表面的な言葉を駆使して棄却したことが、露骨に示された。

 例えば、逃走経路とされた裏木戸は、「上の留め金をしたままで通れた」とする確定判決の事実認定すら、「通れたとまでは言及していない」と「不利益再評価」して認定を変更した。自白の問題では、真犯人が自白しても正直に供述するのではなく、かなり嘘を交えることがあり、「自白が常に証拠によって明らかにされるとも限らない」として、自白が不自然・不合理で、客観的事実や証拠に反していても、「無実の人の自白ではないかとは疑えない」旨を、恥ずかしげもなく述べている。さらに、ズボンの装着実験で「はけなかったズボン」を、犯行当時は「はけた」筈であり、犯行着衣であることは動かし難い事実として、棄却決定の最重要証拠とした。

 袴田事件弁護団の諸弁護士が、自由と正義、日弁連再審通信、法律新聞、日弁連人権ニュース、青年法律家の各紙誌上で、東京高裁の棄却決定を鋭く批判した。これらの中から、要約して紹介する。

‖┿抗告審の長い10

 先ず、あまりにも長い即時抗告審であった。即時抗告とはいうものの、抗告期間が即時3日というだけで、棄却決定までに実に10年間を要した。

 確かに即時抗告審では、東京高裁がDNA鑑定を採用し、5点の衣類の血痕などの鑑別を試みようとしたことから(結局、弁護側と検察側がそれぞれ推薦した両鑑定人とも鑑定不能であったが)、時間を要した。けれども余りにも時間がかかりすぎた。

 記録を精査し、新証拠と旧証拠をしっかりと評価しての決定であれば、了解できないわけではない。しかし、「はけないズボンで死刑判決」、この確定判決をなんとしても護持しようとする棄却決定の姿勢は、あからさまである。

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 「はけないズボンで死刑判決」、これは、前述した袴田再審弁護団編集のブックレットの書名である。東京高裁は「はけないズボン」を、犯行当時は「はけた」筈であり犯行着衣であることは動かし難い事実として、抗告棄却決定の最重要証拠とした。

 「確定判決等は、犯人が犯行時において5点の衣類全部を終始通常の方法で着用していたと断定しているわけではなく、例えば、犯行の途中でズボンを脱いだなどという可能性も否定できないのである」……この奇妙なフレーズは、紛れもなく、東京高裁の棄却決定からの引用である。

 「はけないズボン」は、事件発生(1966年/昭和41630日)から12カ月後に至り、すでに警察が捜索を実施していたはずの味噌樽から、突如として「5点の衣類」(長袖シャツ、半袖下着、長ズボン、ステテコ及びブリーフ)として「発見」された。その直後、袴田さんの実家への捜索によって「共布」が発見された。この「共布」の発見押収経緯は、捜査、司法過程を知る者にとって、極めて異常である。公判中に、既に検察が冒頭陳述で犯行着衣と認定したものとは明らかに異なる、別の犯行着衣と思われるものが発見されて、直ちに実家の捜索が行われ、味噌漬けズボンと汚染されていない「共布」が、専門家の鑑定も待たずに目視だけで一致するとして、実家のタンスから「共布」がその場で押収されたのである。

 「5点の衣類」には多量の血痕が付着していたが、その付着状況には明らかに不自然な点があった。ブリーフに付着しているB型血液が、外側のステテコとズボンには付着しておらず、また、外側のズボンよりも内側のステテコのほうが血痕(A型)の付着している範囲が広いなど、「犯行時に被害者4名の返り血を浴びて(すなわち外側から)血痕が付着した」とする確定判決の認定とは、矛盾する状態を呈していたのである。

 澤渡千枝静岡大学教育学部助教授による鑑定の結果、これらの血痕付着状況は、「ステテコの上にズボンをはくという通常の着用状態で、血液が外部から浸透して付着したものとは認められない」ことが明らかとされた。すなわち、確定判決の認定事実が専門的な知見に照らして誤りであることは、新証拠(澤渡鑑定)により明確になっていたのである。

 確定判決、抗告棄却決定が、今は「はけない」としても、犯行当時は「はけた」とする根拠は、味噌タンクに漬けられていたために収縮したという砺波第三鑑定に依拠している。収縮率をなるべく多くとるために様々な条件設定を重ねて辛うじて装着できる範囲のサイズを絞りだした鑑定である。

 弁護団は、即時抗告審において、間壁鑑定を提出した。それは、上記鑑定手法が誤りとともに、味噌漬けになっていない「共布」は収縮していないのであるから、この繊密度及び糸数により「ズボン」のサイズを推計するものである。

 間壁鑑定によるズボンのサイズの推計によれば、「はけないズボン」は、味噌漬け前にもやっぱり「はけなかった」のである。

 つまり本件ズボンは、袴田さんのものとは思われないし、その共布が実家から発見されたという発見経緯の異常さをも合わせると、確定判決が本件ズボンを決定的証拠としたこと自体が誤りであることが明らかになる。

 こうして新証拠と旧証拠を総合的に評価すれば、動かしようがないとされた決定的証拠の評価が疑わしくなるのであり、再審開始への門を開くのに何の躊躇があったのであろうか。

 ところが、この点に対する東京高裁の回答の1つが、まさに冒頭に引用した説示であった。一般市民に対して、「一家4人を次々に刃物で刺突したとされるこの事件の犯人が、犯行の途中でズボンを脱いだ可能性があると思うか」と問えば、10人中ほぼ10人が「そのような可能性はありえない」と答えるであろう。東京高裁は、事実認定の本質である「正常な経験則に基づく判断」を自ら放擲したものとしか言いようがない。

自白信用性の基準逸脱

 自白の評価は、これまでほぼ確立されてきた自白の信用性の判断基準を完全に逸脱し、「(真犯人が自白した場合も)事実関係について、ありのままに正直に供述するのではなく、かなり嘘を交えて供述するというケースもしばしば見受けられ……その理由は……種々考えられるのであって、そしてそれらが常に証拠によって明らかにされるとも限らない」とした。

 これでは、裁判官の恣意的解釈がいかようにも許されることになってしまい、自白の内容がどんなに不自然・不合理で、客観的事実や証拠に反していようとも、それによって自白の信用性を否定したり、まして無実の人の自白ではないかと疑うところには、永久に行き着かない。

 その結果、自白と他の証拠との有機的な関連性を全く無視してしまった。確定判決では実際には、自白によって殺害の実行行為等の重要部分を認定しておきながら、自白でしか認定できない事実を「自白調書以外から認定される事実」としてごまかしている欺瞞がある。棄却決定は、この点を恣意的に見逃したのか、確定判決を下した裁判官の予断と想像による事実認定を放置して、改めて追認した。

ぞ攀鬚量税鮴を否定/「裏木戸を通行したとは認定していない」と「不利益再評価」

 このような証拠構造についての偽りの評価は、当然、新証拠の明白性についての判断もゆがめてしまった。

 東京高裁は、この10年間、鑑定不能に終わった「5点の衣類」のDNA鑑定以外の事実調べを実施しなかった。その上で、弁護団が提出した新証拠について、独断的な評価により明白性を否定した。鑑定書等の内容についてのささいな疑問をとらえ、それを証人尋問等によって解明するのではなく、直ちに明白性がないとして排斥するという方法である。

 例えば、最も有力な新証拠の1つであったズボンのウエストサイズに関する、前述の間壁鑑定について、同鑑定が誤差を考慮した幅のある数値を示していたにもかかわらず、決定は全く何の根拠も示さないまま「(幅のある数値について、さらに)若干の誤差はあり得ると思われる」という理由だけで明白性を否定してしまった。

 ただ、決定も、裏木戸についての新証拠の信用性を否定することだけはできなかった。上の留め金をかけたままくぐり抜けることは不可能であると、認めざるを得なかったのである。そのため、これは「不利益再評価」によって逃れようとした。

 すなわち、これまでの審理の中で全く疑われてこなかった事実を覆し「(確定判決等は)請求人(犯人)が最後に被害者宅から脱出したときにも、裏木戸を通行したとは認定していない」とし、そのようには理解できない確定判決等の表現は「若干不適切である」として、その認定を「再評価」によって事実上変更してしまった。その結果、裏木戸に関する新証拠は、再審請求にとって何の意味もないものとしたのである。

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    (この項は筆者の主観による記述である。)

 弁護団が提出したくり小刀に関する新証拠5点全てを、棄却決定は「明白性を欠」き証拠価値がないと決めつけた。

 とりわけ弁護団と支援者が力を入れた、くり小刀の構造(止め釘とツバがない)上の観点から、近年、実際に起こった犯罪で、司法警察員が作成した調書から「包丁(目釘はある)でも多数刺せば、柄に大量の血が付着して手が滑り、犯人自身が自分の手に傷を負うことを実例で示した」ことや、豚の枝肉を用いた刺突と切断実験の報告書とビデオ映像に関して、棄却決定は「実験報告書は人体と豚では硬・軟組織の強度等が異なることは明らか」として、「くり小刀1本のみを使用することによって、本件の被害者4名の創傷を生起することに矛盾・疑問はなく」、いずれも「明白性の用件を具備するものとはいえない」とまで言い切った。正に難癖を付けたと言う以外、言葉がない。

 この棄却決定を容認すると、実際に起こった犯罪で、有罪の決め手のひとつとした司法警察員作成の調書であっても、証拠の明白性を否定されてしまい、豚肉のように人体以外を用いたいかなる実験でも、「人体と豚では硬・軟組織の強度等が異なる」ことになってしまう。まさか『生きた人体そのものを用いて実験せよ!』とでも言うのであろうか?

裁判官人事の点にも問題

 この決定に関与した小西秀宣裁判官は、従前より再審請求を制限しようとする限定的再評価説の論陣を張っていた。昨年、本件を係属していた第二刑事部に、しかもこの事件の主任と考えられていた裁判官と交代で配属されてきた。さらに、今回の決定書が交付された日である827日付で、やはり決定に関与した竹花俊徳裁判官に静岡地裁本庁部総括への辞令が出されていた。静岡地裁本庁では合議は実質1部しかないから、もし原決定が取り消され、差し戻しされていたとすれば、事件を竹花裁判長が担当することになってしまう。東京高裁はそれでも、静岡地裁に差し戻すことができたのであろうか。

 このように裁判官の人事の点でも、今回は重大な問題があったと言わざるを得ない。

 

今後の課題と展望

 袴田巌さんは逮捕以来、既に39年間もの拘禁生活を強いられてきた。1994年の静岡地裁、2004年の東京高裁と、2度にわたる再審請求棄却の決定すら認識できないほどに、心を蝕まれてしまった。袴田巌さんに残された時間は余りにも少ない。袴田巌さんの精神の回復への努力と共に、何としても奪われた時間を少しでも取り戻すべく、ご家族、弁護団、支援者は協力して、最高裁での特別抗告に力を尽くしている。

 即時抗告審以降、弁護団には新進の弁護士が多数参加しており、昨年8月の特別抗告申立書の作成にも大きな力となったし、意気も高い。続いて特別抗告申立補充書の作成と、その後に向けて精力的な準備に入った。

 過去の弁護団活動においては、いくつかの問題点があった。方針の対立から弁護団が分裂し、それぞれが独自の立場で矛盾する内容の補充書を裁判所に提出したり、支援者と弁護団の意思の疎通の齟齬から、互いを非難する事態となったこともあった。しかし、6年も前から弁護団は一本化して活動を続けており、支援者とも良好な関係にある。前出のブックレットやパンフレットの作成と集会の開催を協力して行ったり、必要に応じて支援者が弁護団会議に出席して意見を述べたり、討論に加わっている。

 今後の特別抗告審(最高裁)は、弁護団内部で大きな方針(証拠の捏造論をどう主張するのか等)について、自由で徹底的な討論を重ねて、意思の統一を図ることが、早急な課題である。このオープンな討論を経る中から、これまで以上に相互の信頼を深めた、新たな力強い団結が生まれてくるものと期待している。

 あわせて、再審開始の世論喚起のために、積極的で広範な広報活動が不可欠である。他の冤罪事件の弁護団と支援者のすばらしい活動、とりわけ名張事件では、第七次の再審請求で再審開始決定と死刑執行停止の決定を勝ち取った弁護団の粘り強い活動、狭山事件では、第二次再審請求が最高裁から棄却されたとは言え、退職した元県警の鑑識職員を弁護側の鑑定人として発掘した弁護団の活躍と、支援者が支援の形態を抜本的に変えようと努力されている現実から、袴田事件の再審請求の活動は、少なからず励まされている。

 これまで以上に、多くの皆様のご支援ご協力を、切に切に、お願い致します。

 

                                       以上