読み方: じょうりんじ

創 築: 平安時代

建 立: 弘法大師

所在地:
裾野市桃園154


定輪寺は、弘法大師空海が開創したとされ、清和天皇の第2皇子貞純親王が桃園山定輪寺と名付け、当初は真言宗の寺でしたが、永享12年(1440年)に曹洞宗に改宗します。寺は室町時代の連歌師宗祇と深い縁があり、箱根湯本で客死した連歌師宗祇の墓や句碑が置かれ、直筆の写経も伝わっています。春には本堂前のしだれ桜が美しく咲きほこります。


本 堂



■ 宗祇(そうぎ)   応永28年(1421年)−文亀2年(1502年)7月30日

室町時代の連歌師。姓は飯尾(いのお)、号は自然齋、種玉庵というが定かではありません。
若年京都の相国寺で修行し30歳の頃に連歌師を志したいわれ、文明5年(1473年)以後、公家や将軍・管領の居住する上京に種玉庵を創設し、室町幕府の上級武士と盛んに交流しています。また、畿内の有力国人衆や各地の大名を訪ねる旅を何度も行っています。長享2年(1488年)北野神社の連歌所奉行となり、「花の本宗匠」と称されました。この職は、まもなく弟子の兼載(けんさい)に譲り、明応4年(1495年)兼載らと『新撰菟玖波集』を編集しました。


宗祇墓

文亀2年(1502年)旅を行っている途中、箱根湯本の宿で没し(享年82歳)定輪寺に葬られました。埋葬された当時の様子は、同行した高弟の柴屋軒宗長の綴った「宗祇終焉記」に記されています。ちなみに、埋葬場所はここから西に300mの場所にありましたが、今は失われてこの地に移されています。

[ 連歌とは ]
連歌とは、二人以上数人で歌を順番に詠む短歌遊びで、鎌倉から室町時代にかけて貴族や武士社会で盛んに行われました。
宗祇は「心の連歌師」と言われ、「宗祇の前に宗祇なし」「宗祇の後に宗祇なし」と評されるほどの連歌界の巨匠です。

     定輪寺総門