読み方: じょうふくじ

創 建: 正応2年(1289年)

建 立: 北条正宗

所在地:
伊豆の国市四日町


平安時代に桓武天皇の流れをくむ伊豆の国在庁官人であった平時家(時政の父、政子の祖父)の持仏堂が成福寺(天台真言宗)の前身であったと伝えられています。
北条氏の居館は、守山麓から成福を含む広大な地域を占めていたと言われ、地籍図にも御所の内、築山、中之島等の字名があり、また境内には土塁、堀、水路などの遺構が残存しています。北条時政が政子と頼朝の新居として立てた別亭(吾妻鏡による)は、ちょうどこのあたりであったと言われています。


 
時宗夫妻・正宗の墓
鎌倉幕府創立すると源頼朝を補佐した北条氏も当地より鎌倉へ移住し、成福寺も北鎌倉小袋谷に建立されました。幕府の招きで来られた親鸞聖人の門弟になった3代執権泰時の子泰次が浄土真宗に改宗し現在も鎌倉成福寺があります。

8代執権北条時宗の時、文永の役(1274年10月)と弘安の役(1281年)元(モンゴル)と高麗の大軍が九州に襲来し世に云われる「元寇」が起こり、十余万人の戦死者を出しました。全戦没者追弔会が幕府によって国中の高僧により施行され、その時北条時宗の子正宗は本願寺第二世如信上人直弟子となり、伊豆北条村に浄土真宗成福寺を再興します。時に正応2年5月25日(1289年)。正宗は両親の遺骨を鎌倉より分け持ち帰り館の高土手(築山)に墓を造り、また北条一族の供養塔を建て菩提を弔った。北条氏子孫法灯を守り現在に至っています。



北条一族供養塔
現本堂は親鸞聖人生誕八百年中興開基釈正宗七百年遠忌を記念し、平成元年10月再建。建立にあたり史跡発掘調査が実施され、本堂下境内より当時の遺品が多数発見されました。    〜成福寺由来参考〜

時宗の子としては、貞時が有名であり三男正宗の存在は余りというか殆ど知られていません。今回この寺の由来により知ることになった謎の正宗の存在。何か判明しましたらご紹介したいと思います。

     成福寺本堂