アリス・マーガトロイドはふと不安になることがあるのだ。
 人形遣いという、限りなく創造主に近似した仕事をやっているせいなのかも知れないが、何となく自分に疑問を感じるときがある。

   例えば、以前、魔理沙を招いてアリス邸でお茶会をしたときのこと。
 その折、アリスはいたく趣向を凝らした衣装を煌びやかに着こなし、次のように魔理沙に聞いた。

 「ど、どう? この服。似合うかしら」

 口一杯に放り込んだ紅茶菓子を食みながら、魔理沙は返したものである。

 「一般人が着たら綺麗かもしれないが、魔女の正装としちゃ失格だぜ。もっと上から下まで真っ黒にだなもが」

 瞬間、脇に置かれていた丸々一本のフランスパンを魔理沙の口に根元まで突っ込み、茶菓子もろとも暴言を腸内へ下したのだが、彼女の発したその台詞が原因でアリスは些か自分に疑問を抱いた。
 その疑問と言うのもまた些細なものであり、簡単に言ってしまえば次の一言に集約される。

 ――私にはどんな服が似合うのかしら。

 もちろんアリスは魔女である。
 同時に人形使いであって一人の女性でもある。
 色々な要素があるにはあるが、そのうちのいずれに従って服を選べばいいのだろうか。
 ついでに言うと、アリスのクローゼットは魔女らしい服と人形使いらしい服と女の子らしい服の全てを網羅している。

 後日、アリスは再び魔理沙と会うことになり、散々迷った挙句最も最適だと思う服を着て参上した。

「なんだアリス、上から下まで真っ黒で。珍しく似合わない格好してるぜもご」

 ちょうど脇に置かれていた食パン一斤を振りかざして魔理沙の口を塞ぎにかかったアリスの蛮勇は今も極一部で語り継がれている。


 そんな感じで、アリスはふと不安に襲われるときがあるのだ。
 魔女、人形、女性。自分を構成するいくつかの要素その中で、もっとも大きな割合を占めているのはどいつだろう。
 このことを考え始めると、いまいち自分の立ち位置が判然とせず非常に気持ちが悪い。
 自己言及の類に関するいくつかの納得できる答えは知っているし、この疑問がいかに低レベルで下らないものかも理解できている。
 まあ、アリスとしたって、そんなに今すぐ解決したいほど切羽詰った問題でもないし……ん……

「……面白いこと考えた」

 夜のマーガトロイド邸、ランプが揺らめく実験室にて、アリス・マーガトロイドは顔を上げた。

「特に意味はないけれど……」

 そう、特に意味はない、意味はないのだが。

「ちょっと面白いかもしれない」

 アリスは引き出しから一通の便箋と白紙を取り出し何事か書き込むと、右斜め後ろで待機していた上海人形を呼びつける。

「いい、上海人形。よく聞きなさい」

 こくりこくりと頷く上海。

「この手紙を誰かに渡して、返事をもらってきなさい。渡すのは誰でもいいけれど、面識のない相手でお願いね。なるべく人間に近い存在だとなお良いわ」

 そう言って今書いた便箋を上海人形に預けるアリス。
 了解したと首を傾ける上海人形はただただ主人に従うのみである。


 ☆


 メディスン・メランコリーは人形である。
 上から見ても下から見ても人形だし、左右に揺さぶってみたって人形であること以外の事実は出てこない。
 だから彼女は自分が何者かなんて考えたこともないし、考えるまでもないし、そんな当たり前のことを聞かれた経験もまたないのである。

 つい先ほどのことだった。
 メディスンが今日も今日とて満開の鈴蘭を胸に抱き、毒に囲まれ睡眠をとろうとしたときのこと。
 目を瞑ると何やら羽音がするではないか。
 羽虫だなんて珍しい。いやいや非常に珍しい。この鈴蘭の毒が蔓延する花畑にあって蜜を集めようなどと言う命知らずな虫は久しぶりなのだ。
 一寸の虫に降って湧いた五分の魂を称えるべくメディスンは瞼を開き、音鳴る方へと目線を向けた。

「……虫じゃないじゃない」

 そこにいたのは発情期の蝶や蜂でなく、作り物の羽根を振りつつ中空に停滞している上海人形だった。
 人形だなんて珍しい。いやいや非常に珍しい。自分自身が人形なのだからある意味では最も珍しくないのかもしれないが、少なくともメディスンが自分と取り巻き以外の人形を目にしたのはまさしく久闊。

「どうしたの、貴方どこの人形? もし行くあてが無いのなら、私たちと一緒に人形開放を目指さない? 人形解放戦線は今日も好調を維持しています」

 言葉を聴いた上海人形は小さな首を左右に揺すり、声にならないアイコンタクトでもって返事を返す。

「え? 今の仕事にやりがいを感じているって? それなら仕方無いわねえ。まあ無理にとは言わないけれど、心変わりしたらお願いね……ん?」

 そこまで言ったメディスンは、ようやく人形の持っている紙片に気がつくのである。
 白く四角い長方形。これは世に言う手紙とやらではなかろうか。

「何? その手紙、私にくれるの?」

 こくりこくりと頷く上海人形。
 おずおずと手紙を受け取り、そっと開くメディスン。

 開いた洋紙、中に書かれていたその文字は、極めて理解に苦しむ並びをしていた。






    貴方は誰ですか。


                 』



 以上、七文字。
 それ以外には宛名も住所も宛先も、もちろん差出人すら書いてない。
 なんだこれ。
 まず前提として意味が不明である。
 『喧嘩買いませんか?』の方がまだ分かりやすい。
 相手が何を意図したのか全く持って伝わらない、この点は手紙として致命的な欠陥じゃなかろうか。

「……え? なに? 私、これに返事書かないといけないの?」

 こくりこくりと力強く頷く上海人形。頷いてばっかだな。
 まあ、額面通りの言葉を受け取ったメディスンが書く答えは択一で、お前は誰か、なんて、果てしなく無意味な質問には違いない。

「よ……っと」

 受け取ったペン先をさらりと走らせ、記憶を辿り、文にする。

「これでいい? あと、差出人に言っておいてね。自分の名前くらいは書け、って」

 しっかりと頷いた上海人形は、返事を書いた手紙を確かに受け取り、夜空の闇に溶けていった。
 

 ☆


 再びマーガトロイド邸。
 寝起きのアリスは朝一番のコーヒーを啜りつつ、非常に爽やかな気分で喉を鳴らすのだ。
 何となく今日は調子が良い。昨晩、やりたいことをやったせいなのかもしれないが、どことなく期待を持たせる朝。
 さあ、今日も一日部屋にこもって頑張ろう。

 と思ったときに、手紙を保持した上海人形が窓から降ってきた。

「お帰り上海人形。返事はもらってきた?」

 中空、アリスの目線辺りでホバリングする上海人形はこくりこくりと頷くのである。

「ご苦労様。……どれどれ」

 上海人形の小さな手から手紙を受け取り、封を開く。
 さてと見つめた洋紙、綺麗な楷書体で次のように書かれていた。






私は人形。


メディスン・メランコリー』



「……人形?」

 思わず訝しげな声を出すアリス。
 昨晩出した手紙、宛先は何でも良かったのである。
 別に相手が妖怪だろうが魔女だろうが人間だろうがメイドだろうが、とりあえず『貴方は誰ですか』という不明確な質問をして、その答えがアリスの自分探しに少しでも面白みを与えてくれればそれで良かった。
 だけれど『人形』は予想外。
 人形? まさか本当に人形が返事しているはずはないし、何かの比喩だろうか。
 ああ、まあ、完全自立型の人形はアリスの夢であり到達目標地点である。いずれ自分はその夢を掴み取るつもりだし、不確定ながらも何回かそのような人形を見かけた記憶はある。
 しかし、しかしだ。それにしたって手紙の相手が人形であると確定するには早合点ではないか。
 まだ、何処かで飼われて不自由な生活をしている薄幸の美少女が『私は人形……』などと自らを揶揄している方が確率は高い。と言うかむしろそっちな気がしてきた。

「……」

 俄然面白い。
 一回限りで終わるつもりだったけど、継続してアリス個人の悩みを向こうへ放り投げつつ返事を受け取ってみようじゃないか。
 えー、自分の悩みを単純化して考えると、要は『魔女の私、人形遣いの私、女の子の私、どれが本当の私なの?』という非常に乙女チックな疑問である。自分で言ってて恥ずかしくなってきた。もう少し洒落た表現を使いたい。
 この悩みを向こうにぶちまけつつ、相手の情報を得るには――

 そこまで考えたアリスはペンを取り、返事をふまえて文字を書く。

「上海人形、手紙と……これと……それと……あれも……」

 大きな綿の袋にぽんぽんとブツを放り込んで行くアリス。
 もこもこ膨れ上がってゆく袋は上海人形一体に対して重すぎる気がしないでもないが、そんなことお構い無しである。

「……よし。じゃあ上海人形、手紙と一緒にこっちの袋も昨日と同じ人に届けてね。頼んだわ。返事ももらってくるように」

 物言わぬ上海人形はやはりこくりこくりと頷いて、主人の命に従い窓から遠方へと出発するのである。


 ☆


「なに? 貴方、また来たの?」

 朝日の照る鈴蘭畑のど真ん中、メディスンは声を上げた。
 目の前には毎度の如くこくりこくりと頷く上海人形。

「しかも今度は手紙だけじゃなくて郵便物まであるって? はあ、それはすごいわねえ」

 とりあえず手紙を受け取り開くメディスン。
 次のように書かれていたとか。






私は女の子です。女の子は私でしょうか。
貴方は女の子ですか。女の子は貴方でしょうか。


女の子』



「……なにこれ?」

 意味不明度が加速している。
 文章の隣にタヌキの絵が書いてあったりアナグラムで読み解けたりすると楽なのだが、そうでないらしい。
 上海人形がどさりと置いた綿の袋には、一杯一杯の可愛い洋服やら小物、オルゴール、イヤリング、ペンダントその他諸々女の子らしいものが詰まっている。自分が女の子であることの証明だろうか。

「何がしたいのかしら」

 これっぽっちも意図の読み取れぬ贈り物ほど気持ち悪いものはない。
 あれか、事後請求で来る気か。いくら吹っかけるつもりだ。

「……うーん」

 メディスンは自分の服を引っ張ってみた。
 服なんて気にしたことが無かったから今気づいたけれど、どうも自分が着ているのは女の子物の服らしい。
 そういえば意識していなかったけど自分の話し方は女の子っぽいような気がする。
 鏡を見たことが無いのだけれど、自分の顔は女の子なんだろうか。

「……どうでもいいわね」

 そう、どうでもいいのである。
 女だろうが男だろうがオカマだろうがオナベだろうが人形のメディスンは人形で、それ以上でも以下でもない。
 考えても埒の明かぬ問題だと判断したメディスンは、とりあえずペンを借りて返事を書く。

「はい、これで良い? 二回目だけど、差出人には言っておいてね。名前くらい書け、って」

 ああ、それと。と繋げるメディスン。

「なんだか噂を聞いたの。人形を大量に作ってこき使う、『人形遣い』を生業とするヤツが幻想郷にいるとか。もし心当たりがあったら教えてね。特徴は極悪非道よ。そいつこそ私たち人形解放戦線のラスボスだから」

 挙げられた特徴に対して全くこれっぽっちも心当たりのなかった上海人形は、やはりこくんと頷いて飛び去ったとか。


 ☆


 部屋から女の子らしいものが消えてなくなったマーガトロイド邸。
 アリスは部屋の真ん中に置いてある小さな椅子に腰をかけ、机にひじをつきつつ小さく溜息をした。

 存在していた『女の子らしいもの』は全て手紙と一緒に向こうへ送った。
 少し調子に乗りすぎただろうか。しかし、これで自分、アリス・マーガトロイドの『女の子』らしい部分は全部取っ払った形である。少なくとも表面上は。
 さてどうだろう。自分はどのくらい喪失感を感じているか。
 この喪失感の大きさ如何で、アリス・マーガトロイドという一固体における『女の子』の占領する範囲が分かるのだ。
 そんな感じの頼りない意図が贈り物にはあった。

「……うーん」

 ただしんみりと寂しいだけだろうか。むしろ空しい。

「私、女の子らしくないのかなあ……」

 理論のスパイラルでますます落ち込んで行くアリス、そんな時に上海人形は戻ってきたわけである。

「あ、お帰りー、上海人形」

 落ち込んだら気分転換。愉快な人生を過ごすための必須技術を施行する。

「あ、ちゃんと返事書いてくれたんだ。良い子ね」

 受け取った手紙には次のような記述が。






女の子らしさなんてどうでもいいわ。だって私は人形だもの、性別なんて必要ないの。
でも洋服はありがとう、一着しかなくて飽きていたから。


メディスン・メランコリー』



「う、女の子らしさはどうでもいいって」

 そうか、そういうものか。
 いや、確かに巫女や黒白が女らしさで悩んでいる風景はついぞ眺めたことが無いし、そもそも九割九分の人口が女である幻想郷において、その要素は平均化され、ほとんど意味を持たない。これは盲点であった。

「……やっぱり人に相談すると新しいものが見えてくるわね」

 ここまで一方的でアプローチが屈折した相談も珍しいのだが、まあ、その辺は置いておこう。

「だけれど、やはりあちらは人形?」

 手紙の内容から察するに、あくまで自分を人形と主張するらしい。
 意図して書いた曖昧な問いに、ある程度の返事をしてきているのだから、相手が本当に人形だとしたのなら『自立思考』の機能はクリアしていると見て間違いないだろう。
 完全自立型人形を作るにあたっての最難関は正にその自立思考であり、ウチの上海人形も上から来た命令をこなすのが精一杯である。

「しかしねえ」

 しかし、決め付けるのはまだ早い。
 アリスは三度ペンを取り、返事を書くべく紙の上に走らせた。

 なんとなく、悩むのが楽しくなってきたアリスである。


 ☆


「貴方、そんなにここが好きなの? 言ってくれれば人形開放戦線にはすぐ参加させてあげるわよ」

 三度目の訪問となった上海人形はメディスンの誘いに対し、やはり静かに首を振る。

「え? 今の職場、上司がとてもいい人だからやめる理由がないって? それじゃあ仕方ないわねえ。どこぞに存在する悪鬼羅刹のような人形遣いとは大違いだわ」

 同意したように頷く上海人形。そんな人形遣いなんて今すぐのして潰して川の中にでも放り込んでしまえばいいのだ。

「噂で聞いた人形遣い、なんていったかしら。えー……メトロイドとかそんな感じの名前よ。確か」

 一通り言いたいことを言い合った後、恒例となった手紙を渡す。
 さて、その手紙、次のような文章が綴られていた。






私は魔法使いです。魔法使いは私でしょうか。
貴方は魔法使いですか。魔法使いは貴方でしょうか。


魔法使い』



「……うーん」

 魔法使い?
 前の手紙には『女の子』と書いていなかったか。確か。
 いや、女の子と魔法使いは両立できるのだからどっちでもいいのか。分からん。
 そして渡された綿の袋には大量の、まさに大量のマジックアイテムが手紙の内容を立証するかのように、これでもかと詰められていた。

「うーん」

 一応考えてみよう。
 自分は魔法使いだろうか。
 『毒を操る』という点で言えば魔法に近いものがあるかもしれない。だけど魔術の類は使えないのだから、やはり一般的な人形だろう。
 うん、やはり自分は人形で。それ以上でも以下でもなく。魔法使いか否かなんて人形の自分には関係ない。

「まあ……書くわね返事」

 もうどうしようもなくなったメディスンのとる道は、やはり返事を書くことであり、毎度毎度言わせるなという風の口調でやはり言うのである。

「はい、書いたわよ。差出人に言っておいてね。名前くらい書け、って。それと人形遣いを見つけたらお願いね」


 ☆


 ちょっとやりすぎた。
 それがアリスの正直な心根である。

「……うぅ」

 女の子らしい小物に加えて、今まで蓄えてきたマジックアイテムまで根こそぎ送ってしまった。
 相当、面白いことに飢えていたのだろうか。これだけのものを送ったら一体あっちはどんな反応を示すだろう。それしか考えていなかった気が。
 あの量を運ぶ上海人形はさぞ大変である。えっちらおっちら上下に揺れつつ主の命をこなす上海の姿が目に浮かぶ。
 まあ、それ以上に、あれだ。

「部屋がすっからかんになったわね……」

 女の子チックな小物と収集したマジックアイテム。この二通りを無くしただけでここまで寂しくなるものか。
 何となく自分が欠けていっている気がして仕様が無い、落ち着かない。
 残っているのは、家具に食料、それと……

「人形……ね」

 呟いたところで上海人形が窓から帰還。

「お疲れ様、上海人形」

 手紙を受け取り二つ折りを開く。
 文面は以下のように。






別に魔法使いなんてどうでもいいわ。だって私は人形だもの。動けて話せれば満足なの。
でもマジックアイテムはありがとう。役立たせてもらうわね。


メディスン・メランコリー』



「やっぱりどうでもいいんだ」

 少し愉快になってきた。
 確かに『魔法使い』なんて要素はアリスが生まれつき持っている記号であって、普段行う行動に及ぼす影響はどうってことない。種族は変えられないが、それによる強制もまた無いのだから、こんなことどうだっていいのだ。

「ふふ」

 思わず笑みがこぼれる。
 なんとなく答えが見えてきた気がするではないか。
 そう、後一歩。喉元まで出掛かっている。

「次でおしまいかしらね」

 次の返事で持って『どうでもいい』と切り捨ててくれれば、もうアリスに迷いは無いだろう。
 意気揚々と線を走らせるアリスのペン先。
 紡ぎ出した並びは次のように。






私は人形遣いです。人形遣いは私でしょうか。
貴方は人形。人形は貴方でしょうか。


人形遣い』








 真昼の鈴蘭畑である。
 先ほどまで、月うさぎとその師匠が物見遊山にここへ来ていた。
 メディスンは聞いたのだ。

『幻想郷に住んでる人形遣いを知らない?』
『ああ、アリス・マーガトロイドのことね』

 そいつの住処まで聞き出してから、メディスンの行動は早かった。
 何の準備かって、もちろん、人形遣いに束縛される幾多の人形たちを開放すべく行う準備。
 人形のメディスンに時も場合も関係ない。動機があって目標があって、成すべき事がある。全てはそれで十分で、人形の人形における人形のための人形として有り余る仁義を披露するだけである。

「いい、スーさん。なるべく話し合いで解決するつもりだけれど、相手は悪逆無道、悪鬼羅刹とも見まごう振る舞いで残虐の限りを尽くす人形遣いよ。何が起こるかわからないの。今回は全力で頑張るわよ」

 コンパロコンパロといつも以上に気合の入った呪文を唱え、毒を集めるメディスン。
 手紙の上海人形が来たのはそんなときであった。

「あら、いつもの手紙? ごめんね、今は忙しいの。ちょっと待っててくれるかしら。大切な用事が控えているの」

 こくりこくりと頷く上海人形は、頑張って、と目線で合図する。

「うん、期待していてね。きっと人形を開放して見せるから」

 そういって飛び立ったメディスンを見上げる上海人形は、ただただ一人ぽつねんと毒の消え去った鈴蘭畑に佇み思うのであった。

 人形遣いって自分の主人以外にもいたんだなあ。


 ☆


 違和感がする。
 非常に気持ちが悪い。
 これがアリスの感想である。

 『女の子』と『魔法使い』を捨てたこの部屋のなんと空っぽなことか。
 きっと、自分の体を三等分してそのうち二つを遠くに蹴り飛ばしたらこんな感じなのだろう。

 ちょっとお洒落しようかと思ってもクローゼットにあるのは地味な服。
 少し休もうかと思って本棚に手を伸ばしても魔道書は置いてない。
 ここまで完璧に主人の要求に応えられない部屋はいまだかつて住んだことが無いのである。

「少しやりすぎたかしら」

 一人ぼやいてみても返事は無く、より一層空しさを感じるのみ。
 加えて、いつもなら四半刻ほどで帰ってくる上海人形が、今日は半日たっても戻らない。
 まさかずっと部屋に篭っていた少女じゃあるまいし、迷っていることなんて無いだろう。
 そもそも何度も同じ道を往復しているのだから道を失う道理がない。
 とすれば、可能性は事故か故障か妨げか。

「……心配になってきたわ」

 腕を組み数秒か数分か考える。
 上海人形は自作の人形である。そうしようと思えば、魔力の残り香とかそんな感じの非常にうそ臭い手段で、彼女の通った道筋はある程度辿れるし、辿っていけば今回の手紙を交換していた相手にも会えるだろう。
 だけれども、どうせならアリスは文通相手と顔を合わせずに終わりたかった。
 ここまで名前を伏せてきたのだ。最後の最後でひょっこりと現れるのではいかにも格好がつかない。

「でも上海人形の生死は気になって仕方ない……と」

 アリスの脳内では既に生死の境界を彷徨っている上海人形を助け出すため、彼女は更に考える。


1.上海人形の跡を辿って見つけ出す
2.手紙の相手には顔を合わせず上海人形を回収
3.ついでに今までの贈り物も回収
4.帰宅

「うん、完璧」

 一度人に贈った物を取り返すというのも意地汚いが、まあ、事情を話せば分かってくれるのではなかろうか。

「……ん」

 そこで少し不安になる。
 返してくれたら良い。返してくれなくても大事に使ってくれればそれで良い。
 だけれども、もう捨てちゃった、とかそういう選択肢もあるんじゃないか。
 確かに、可能性としては無きにしも非ずといったところか。
 しばらくの間、頭を抱え、贈り物が捨てられていく様をみょんみょんと妄想してみる。

「え? どうしよ」

 今のアリスちょっと泣きそう。
 捨てられる?
 私の三分の二が?
 即ち身を引き裂かれる思いである。

「……総員、上海人形を追ってすぐに出るわよ」

 そうしてアリスは、マーガトロイド邸に存在する人形全てを起こしだした。
 アリスを取り巻き飛び回る無数の人形は、それこそ蜂の大群さながらであり、よくもまあ幼少の頃から数えてこれだけの人形を作ってきたものだと感慨深ささえ覚えるもので。

 いろんな意味で少し思慮の足りなかったアリスは、上海人形と半身を追ってマーガトロイド邸を出るのであった。


 ☆


 息を止めろ。音を立てるな。行動は迅速に、かつ、素早く。
 人形は息しないし飛んでるから音立たないけれども。

「ここが、マーガトロイド邸」

 メディスンの眼前に広がる森、それが少しばかり開けた広場に洋風の家が建っている。
 月ウサギの師匠から聞いた情報が正しいのならば、あれが我が人形解放戦線の突破すべきボスの城である。
 ここまで来るのにえらい迷って随分時間がかかってしまったが、それもまた一興。
 敵の玄関口へ向かって胸を張り飛んでいくメディスンの姿はまさに威風堂々であり、圧倒的な悪に立ち向かう小さな存在ながら、真正面から向かってゆくところに彼女の心意気を感じるのである。

 と、ここまでは良かった。

 問題はマーガトロイド邸に侵入してからである。
 玄関の鍵は開いていた。誠無用心ながらメディスンにとっては嬉しい展開。
 そうして、侵入したマーガトロイド邸、初めに入った部屋の感想は次のようだった。

「……何も無いわ」

 からっぽなのだ。
 何も無い。
 いや、正確に言えば机や椅子、タンス等の家具はあるのだが、それだけである。
 この屋敷に住んでいる主人の趣味物もなければ、想像していたように大量の人形も存在しない。
 普通、物がない部屋というのは、ある種の統一感を持って物がない。物がないことで部屋のデザインが完結しているからである。  だがしかし、この部屋はどうだろう。ただ単に物がないのだ。
 言ってしまえば殺風景。白いカンバスに適当こいて家具を描いたらこんなもんだろう。
 主の意思が感じられぬ、そんな部屋。

「……」

 メディスンは部屋の中央においてあった椅子にすとんと座る。
 がらがらのがらんどうを体現する空間にぽつりと取り残された自分、思わずそんな構図を想像した。

「で、人形遣いは?」

 人形遣いどころか人形すら存在しない。

「ふう」

 メディスンは一つ溜息をつき、からっぽの部屋の中心にて思いにふける。
 今回の作戦はどうやら失敗。
 やはり相手はラスボス。そう簡単に尻尾を掴ませてはくれないのだ。
 ここから帰ったら計画の建て直しだろう。
 先ず自分に出来ることは、主張に同意し協力をしてくれる仲間を集めることである。
 仲間を集めて、情報を集めて、人形を開放。この流れ。
 しかし、それには一つ問題があって、ほとんどの人形は自分と同じように動き喋り思考することが出来ない。
 まあ、それだって今年絶好調なスーさんの毒さえあれば……

「……ん」

 そこではたと思考が止まった。
 疑問の泡がふつふつと浮かんでは消えてゆく。
 あれだ。
 元々人形だったメディスンに思考能力、つまり『自分』を持たせてくれたのは、スーさんの毒である。
 ということは、メディスンの持っている自我の本質は『人形』でなく『毒』の方にあるのではないか。
 この考えからいくとメディスンは他人に名乗るとき、『こんにちは、人形です』ではなく『初めまして、毒です』と名乗るべきでは。

「え? え? ちょっと待ってよ」

 そもそも、その毒の発生源からしてスーさんである。
 だとすれば、だとすればだ。

 メディスンは人形でも毒でもなく鈴蘭の延長線上にある生き物なのでは?

「……はは」

 出来の悪いオカルトじみている。
 こんなことを考えるのは初めてだ。
 例の手紙では、自分は人形、それ以上でも以下でもない、ときっぱり言ってのけたではないか。

「うーん」

 がらんどうの部屋に感化されたのだろう。こんな馬鹿らしい考えにふけるなどと自分らしくない。
 と、メディスンはそこまで考えて、一つの結論を出した。

「あの手紙の相手に聞いてみよう」


 ☆


 持ち人形を総員したアリスが上海人形の跡を辿り、ようやく着いた場所は一面の鈴蘭畑だった。
 陽光は既に西日となり、一日の役目を終えるべく沈んでゆく。
 満開の鈴蘭は白いはずの花を赤々と染め上げ、アリスの来訪を歓迎しているかのように風で踊る。
 そしてその鈴蘭畑の中心付近。

 アリスの女の子らしい洋服と、アリスの今まで集めていたマジックアイテムが綺麗に整理して置かれ、紅に近い赤の夕日に照らされていた。

「あ……」

 アリスは思わずほっと息を吐く。
 ちゃんと取って置いてくれたのだ。それもきちんと並べて。

「良かった……」

 自分でも滑稽だと分かりながら、そんな言葉が出てしまう。
 アリスは鈴蘭の中にぺたんと座り込み、上半身だけもたげて、半分夜に足を踏み入れた曖昧な空を見上げた。
 今の時間帯。逢魔が時。どちら側なのかどこまでも曖昧な境界。
 やっぱり、なんだってかんだってそんなもので、はっきりさせようってこと自体がナンセンスなわけで。

 呟いてみる。

「私は、女の子」

 よくよく噛み締め確かめるように。

「私は、魔法使い」

 じっくりと時間をかけて言葉を紡ぐ。

「私は……人形遣い」

 そうして肢体をほっぽりだし、完全に大の字で寝転ぶのである。

「そんなものよねえ」

 なんとなく、かかっていた靄が晴れたような気がした。


 そうやって幾ばくか鈴蘭と戯れていた後、ふと、降り注いでいた夕日に影が差てアリスは目を細める。
 障害物は動く人形。

「ん、上海人形か。どうしたの、なかなか帰ってこなくて心配したのよ」

 上海人形は申し訳なさそうに自分の持っている手紙を差し出す。

「ああ……受け取ってもらえなかったんだ。だからここにずっと居たのね」

 手紙を渡せという命令をこなせなかったから帰ってこれなかった、そういうことである。
 ここで、主人の元へ帰って詫びを入れるとかそういう柔軟な思考ができる人形を作るのは、まだまだ遠いということか。

「きっと何処かへ出かけているのね。手紙は置いておけばいいでしょう」

 手紙を受け取り、陽光に透かして眺めるアリス。
 やはり自分が書いた手紙を見るのは恥ずかしく滑稽でなんともやるせない。

「……ちょっと書き換えておこう」

 そう言ってアリスは最後になるだろう、返事を書くのであった。


 ☆


 メディスンが迷いに迷い、ありったけの毒を引きつれ再び鈴蘭畑に戻ってきたときには夜を通り越し朝日が出ていた。

「私、方向音痴なのかしらね」

 ぼやきながらも歩を進め、いつもの場所で止まったメディスンは目を丸める。最近驚いてばっかりだ。

「あれ?」

 そこに並べておいたはずの女の子らしい服とか小物とか魔法使いっぽいアイテムとか魔道書とかが綺麗サッパリなくなっていのだから大変である。
 鈴蘭の下に隠れているわけでもないし、場所を移動したわけでもないらしい。勿論道具が自分で動けるわけは無いから誰かが持っていったのだろう。多分。世の中には悪い人もいるもんだ。人形遣いほどではなくとも。

「ふーむ」

 代わりといっては何だが一通の手紙がそこには置かれ、朝日を反射しつつ眩しいほどに自分の存在を主張していた。

「あ、手紙か」

 そうである。
 あのからっぽ屋敷で頭に浮かんできた、自分が毒だの鈴蘭だのどうだのというアホらしい考えをずんばらりと切り捨ててもらわねばならない。
 さあ、いつものようにシュールな内容を読みつつ返事を返すのだ。ついでに悩みとか書いてしまえばいいのだ。
 メディスンは意気込んで封を切った。

「……んん?」

 そこには今まで以上に簡潔で、今まで以上に難解な台詞が一つ。
 メディスンはたっぷり数分手紙を眺めた後、何度目かの溜息に混ぜつつ言葉を吐いた。

「なんか馬鹿らしくなってきちゃうわね……」

 メディスンがそう思うのも当然で、この手紙には突っ込みどころが多すぎる。

 私?
 貴方?
 アリス?

 まあ、そんなもんで、メディスンはいつからか始まった手紙の交換、その最後の一枚を持って風に向かい放り投げるのであった。

 もう二度とすれ違いませんようにと卑屈な願いを込めて。











私は私でした。
貴方が貴方でありますように。


アリス・マーガトロイド』















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