□須賀敦子翻訳によるナタリア・ギンズブルグの作品。
  □日記に書きとめていたものを、こちらに引きずり出してきました。


 モンテ・フェルモの丘の家

モンテ・フェルモに建つ館マルゲリーテに関わりを持った人物たちの書簡のみで、
それぞれの人生を浮かび上がらせていく。
流れ行く時のなかで登場人物たちは何を考え、どのような日々を歩んでいくのか?
求めるものを掴むことができたのか、失ったものは何なのか?過ぎてしまった
あの頃をどのような思いで眺めているのか?読んでいる間中、よるべない流木の
行方をはらはらしながらも、ただ遠い岸の上で見つめていることしかできない夢を、
みているようだった。

かつて恋人どうしだった一方の最後の手紙は「ぼくたちは、あまりにもながいこと
離れすぎていた。そのあいだに、きみにも僕にも、あまりにもたくさんのことがおこっ
た。」で締め括られている。
この二人にかぎったことではない、別々の人生を歩みだした者たちになら当てはまり
そうな、何を今更なことをと、さして気に止まる言葉でもないように思えるが、うつろな
心となっている者にとっては、なんともいえないやり切れなさで胸に迫ってくる。


訳者のあとがきに、登場人物の一人アルベリーコはギンズブルグと親交のあった
監督パゾリーニに捧げられたレクイエムにも似ているとあった。
そうだとしたらあの無残な死にかたをしたパゾリーニを、他人のために犠牲となって
命を落とした若者として蘇らせたのは、偉大な詩人にたいしての敬愛にほかなら
ないだろう。

それにしてもマルゲリーテ館とコルシア書店が重なってしまうのは、私だけではない
はずだ。 さらにあとがきで「この訳本をイタリアと日本と、そして世界の、《あの時代
に若者だった》友人たちに捧げたい」とあるように、須賀さん自身のコルシア書店の
活動から、日本に帰国されるまでがまさに《あの時代》でもあったのだから。



 ある家族の会話

この本を読んでいると、子供の頃のように「それから、それから.....」と気持ちがはやり、
頁を繰っていくのがこんなに楽しいものなのかと思えるほどだった。
もっともっと丁寧に味わいながら読めばよかったかな。

イタリアのファシズム政権下の不安な時代を乗り越えてきた家族の記録。 
著者であるこの家族の末娘ナタリアの目を通して、折々の家族の会話から過ぎた
日々をよび起すように描いた小説だ。 
翻訳は須賀敦子。須賀さんそのもののようなこの文体に、懐かしい人と逢ったような
気がした。


だれかれかまわずバカよばわりして、気に入らない者にはなにかにつけて「あの
ロバが」と言い放ち、マナーにうるさく厳格なユダヤ系イタリア人で反ファシストの父親。
プルーストが大好きで「オデットは素敵だわ」とうっとりし、子供達が幼い頃は、お金が
ないと愚痴をこぼしながらもいいお洋服が欲しいとため息をついていた優しい母親。

この両親の子供たち5人が、成長するにつれてそれぞれ反ファシスト運動と関わりを
もつこになり、当初は満更でもなさそうな顔をしていた父親も、だんだん母親ともども
心配ごとが尽きなくなる。
なかでもナタリアのユダヤ人の夫は逮捕と釈放を繰りかえして、やがて一家で流刑地
に送られ、そのあげく夫はドイツ軍によって拷問のすえ獄死するという不幸にみまわれ
るのだが、そんな過酷な体験もナタリアは怒りを表面に表さず、淡々と綴っていくのだ。

この時代に、北イタリアに住む中流のインテリユダヤ系家族の生活といえば、ジョルジ
オ・バッサーニの小説を映画化した『フェラーラ物語(原作「金縁眼鏡」)』と『悲しみの
青春(原作「フィンツィ・コンティーニ家の庭」』の2作品のなかで描かれていたバッサー
ニ自身を投影したかのようなユダヤの青年の家庭が、まず思い浮かんだ。
父親がユダヤ系で医学部の教授だったナタリアの家も、子供が多かった以外は同じよ
うな様子だったのかもしれないと思う。

そういえばこの映画の中に、ボローニャの大学に通う青年が「ユダヤ人の教授は追放
された」と言うと、父親は「イタリアは昔から新ユダヤだ。良識が勝つと信じているよ」と
答える場面があった。
『ある家族の会話』にも、ナタリアいっ家の流刑地でのエピソードで、政府に対して楽
観的とも思えるものがあったが、ファシズム・ナチス政権下であってもユダヤ人の意識
は、さほど危機迫るものではなかったのか?と、イタリアの政治的な背景を大雑把にし
か解っていない自分がもどかしかったりもした。

ヴェルレーヌの詩『枯葉』の作曲者、モディリアーニの娘、オリベッティ社などとの繋が
りに、あぁそうなんだと新しい発見のような興味深いところも数々あった。

やがて新しい時代を迎えても、年老いた母親の歌うようなさえずるようなおしゃべりと、
これまた同じように年老いた父親の相も変らぬいつものぼやきが、昔のように続いて
いく......なんて軽快で清々しく、愛に満ちているのだろう。

「小説ふうの自伝と定義されるのがふさわしいと思う」と須賀敦子全集のイタリア文学
論にあったが、須賀さんがめざしていたものはこれだったのだと、今更のように思う。

『トリエステの坂道』や『コルシア書店の仲間たち』で描かれている『ある家族の会話』
を手にしたときに須賀さんが感じた衝撃を、もう一度読んでみる。
ミラノでのあの時、夫のペッピーノによって渡された1冊の本。
「好きな作家の文体を自分にもっとも近いところに引きよせておいてから、それに守ら
れるようにして自分の文体を練りあげる...このうえない発見だった」 しがみつくようにし
て読んでいる姿を見て、夫は笑いながら「わかってたよ、これはきみの本だって思った」
須賀敦子とナタリア・ギンズブルグが出合った、忘れることのできない場面だ。

さらに友人から、ある時代のイタリアの歴史が、これほど、さりげなく、語られたことはな
いだろう「きみは、どう思う」と問われた時には、「自分の言葉を、文体として練り上げた
ことが、すごいんじゃないかしら。...小説ぶらないままで、虚構化されている...これは、
自分が書きたかった小説だ、と思った」こうして須賀さんにとって『ある家族の会話』は、
いつかご自分が書く時への指標となったのだ。



HOME // NEXT