宇都母知神社
うつもちじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】宇都母知神社 相模国 高座郡鎮座

   【現社名】宇都母知神社
   【住所】神奈川県藤沢市打戻字大仲 2662
       北緯35度23分31秒,東経139度25分18秒
   【祭神】天照大御神 稚産靈神 若日下部命
   【例祭】9月15日 例大祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】雄略天皇3年(495)9月官祭
       天慶2年(939)9月若日下部命を大和国泊瀬より遷座
       正応3年(1290)8月執権北條貞時が社殿を改築
       寛永4年(1627)11月領主高木正次が社地寄進
       安政5年(1858年)造営
       明治6年12月郷社
       大正12年関東大震災により全壊
       大正15年造営

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「大神宮」「神明宮」と称していた
   【社殿】本殿神明造
       幣殿・拝殿・神樂殿・神輿庫・参集所・手水舎

   【境内社】菅原神社・稲荷神社

慶応大学西に鎮座する。
「ウツモチ」の「ウツ」は「ウチ」と同語であり、「モチ」は小さい盆地の意で、打戻の地形が小さな盆地を形成しているところから、この社名が付けられたという。
近世は「別当金剛院」によつて維持されていた。


由緒

鎮座地 藤沢市打戻2662番地
御祭神 天照皇大御神 稚産霊神 若日下部命
天照皇大御神は伊弉諾、伊弉冉二神の生み給う方で、高天原を治められ、神徳宏大で人々から敬われ、日神とも称え奉られた。
稚産霊神(わくむすびのかみ)は豊受大神の御親神で五穀や養蚕を司る神であります。
若日下部命(わかくさかべのみこと)は仁徳天皇の皇女で雄略天皇の皇后になられた方で非常に人徳の高い方で養蚕を盛んに奨励された。
祭日 9月15日
由緒
当神社は創立年代は詳かではないが延喜式内社で21代雄略天皇の御代(西暦495年)に厳粛なる祭祀が行われたことが日本総風土記に記されている。なお風土記によると当神社の所在地は相模国鷹倉郡宇都母知郷にあったとあります。
61代朱雀天皇天慶2年9月(西暦939年)、若日下部命の御尊霊を大和国泊瀬(はつせ)より遷座して相殿に奉祀されました。
90代伏見天皇正応3年8月(西暦1290年)、鎌倉八代将軍久明親王の執権北條貞時が社殿を改築し、同年9月に参拝された。
寛永4年11月(西暦1627年)、領主高木主水源正次が社地900坪(約3000u)を寄進し、また本殿の改築を行った。
震災当時の建物は安政5年(西暦1858年)に建築されたもので当時の記録によると本殿9坪(約30u)拝殿25坪(約82u)幣殿4坪(約13u)神楽殿20坪(約66u)であった。
また、当神社は明治6年12月に郷社に列せられた。
大正12年の関東大震災により、社殿等全てが倒壊したが村人一同の総力をあげた努力により倒壊後わずか3年、大正15年9月に総てが現状のように復旧した。
本殿神明造6坪(約20u)幣殿5坪(約16u)拝殿12坪(約40u)神楽殿16坪(約53u)参集殿15坪(約50u)神輿殿3坪(約10u)が再建された。
境内地は約一丁六反(約16000u)で全域風致林の指定を受け、また昭和49年、自然環境保全地域の指定を受けている。打戻字大平2009番地には溜池一反五畝(約150u)の社有地もある。
昭和20年春戦争中、物資回収が行われ釣鐘が献納され鐘楼に鐘がないまゝであったが昭和50年、天皇の即位50年を記念して氏子総意により鐘が再建された。
また、当神社の神輿は百数十貫といわれる豪華なもので毎年例祭日には氏子を始め近隣の崇敬者達多数により渡御が行われる。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




宇都母知神社

祭神 天照大御神 稚産霊神 若日下部命
由緒 創建年代不詳。総国風土記に雄略天皇の御代雄略3年(466)に宮祭を享け厳粛なる祭祀が行なわれた。また、61代朱雀天皇天慶2年(939)に大和国泊瀬より若日下部命の尊霊を遷座して相殿に奉祀された。鎌倉期正応3年(1290)、執権北条貞時が社殿を改築。寛永4年(1627)、領主高木主水源正次が社地900坪を寄進し、本殿を改築した。
例祭9月15日
交通JR辻堂駅、小田急線湘南台駅から神奈中バスにて「慶応大学前」下車徒歩10分

参拝のしおり



宇都母知神社

鎮座地 藤沢市打戻2662
御祭神 天照大御神 稚産霊神 若日下部命
例祭 9月15日
由緒
当神社は創立年代は詳かではないが延喜式内社で21代雄略天皇の3年(紀元129)に厳粛なる祭祀が行われ神饌巫所等も有りし由日本総国風土記に記されている。
なお風土記によると当神社の所在地相模国鷹倉郡宇都母知郷にあったとあります。
61代朱雀天皇天慶2年9月(紀元1599)若日下部命(雄略天皇の皇后)の御尊霊を大和国泊瀬より遷座して相殿に奉祀されました。
90代伏見天皇正応3年(紀元1950)8月鎌倉8代将軍久明親王執権北条貞時が社殿を改築し同年9月に参拝された。
寛永4年(紀元2287)11月領主高木主水源正次が社地900坪を寄進し、また本殿の改築を行った。
明治6年郷社に列せられ大正元年9月神饌幣帛料供進神社に指定された。
大正12年の関東大震災により本殿等全てが倒壊したが村人一同の総力を挙げた努力により大正15年9月に総てが現状のように復旧した。
昭和51年天皇の即位50年を記念にて氏子総意により釣り鐘が再建された。

社頭掲示板



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