雨桜神社
あめざくらじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】真草神社 遠江国 佐野郡鎮座

   【現社名】雨桜神社
   【住所】静岡県掛川市上垂木1612
       北緯34度49分2秒,東経137度58分54秒
   【祭神】素盞之男命 奇稻田姫命 八王子命
   【例祭】10月10日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】由緒不詳
       慶長元年(1596)徳川家康朱印七十五石
       明治5年12月郷社
       同41年1月神饌幣帛料供進神社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】かつては山名郡馬箇谷村に鎭座
        後に佐野郡上垂木村天王山に遷
        御璽は一時尾崎宮(現在の六所神社)に移
        応永年間に上石川へ遷

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「天桜天王」と称していた
   【公式HP】 雨桜神社
   【社殿】本殿神明形流造
       拝殿・神輿殿・社務所・手水舎

   【境内社】塩竈神社・八幡神社

雨桜山の山裾に位置する。
旧社地は垂木郷天王山(天王房とも呼ぶ)であるが、本殿等の焼失により御璽は一時尾崎宮(現在の六所神社)に移され、後の応永年間に上石川へ遷した。


雨桜神社略記

鎮座地 掛川市上垂木 1612
御祭神 素盞男命 櫛名田姫命 八柱神
由緒
創立年代不詳なれども大日本史110神祇誌に遠江国佐野郡に真草社あり延喜式内社なり、往古天桜天王と称し宝暦8年天を雨と改め明治維新後雨桜神社と称す。
天王社鎮行地より一丁半戊猪に当る天王房と云う御供炊く寺あり、此の寺出火して宮焼失す。御霊は土塚三良太夫と云う者尾崎宮現六所神社へ還すとあり。
応永年中尾崎宮に合祀し此の頃石川の雨桜山上に奉遷し後に現在地に天王社鎮座す。御遷しの際今川氏より米二十五石金子百両寄進とあり。徳川幕府の頃は毎年旧暦6月14日の例祭に掛川藩より領主の代参あり幣帛を賜る。
今川氏親の証文に垂木上下之神領之事不可有違同棟別之事指置候依如件 永正9年8月1日とあり高七十五石を附せらる。
徳川幕府は慶安元年2月24日御朱印高七十五石を附せられ明治維新まで賜る。
社格
明治5年12月郷社に加列
明治41年1月神饌幣帛料供進神社に指定
昭和21年神社庁より七級神社に指定
例祭日
7月7日より14日まで
7月7日大祭執行後三体の神輿六所神社に渡御14日まで滞在同日還幸
8日より六所神社に於いて毎日正午日祭す
13日の宵下垂木中戈中村氏庭に於いて宮人挙りお獅楽の行事あり
14日神輿小松原八幡森馬場に於いて休座の御前にて獅子舞及び流鏑馬奉納後還幸
雨桜と垂木(水)
常に湿神不乾不思議な大桜樹あり古は祈雨の神として雨を乞う人多かりき掛川藩主山内氏の頃貴人桜枝に和歌を付して祈雨す

社頭掲示板



雨桜神社

当社は『遠江國風土記傳』や『大日本史』によると延喜式内社の眞草(まくさ)神社と伝えられる。鎌倉末期頃に御供え炊く寺より出火して火災に罹り、付近の尾崎宮(現六所神社)に遷られたが、今川氏により応永2年から始められた社殿造営が応永5年に完成し、お戻りになる。永正9年8月1日には今川氏親より社領75石を寄進される。江戸時代に入っても徳川家康以降の歴代将軍は、御朱印地として社領を継続し、六所神社と共に‘上下宮’として崇敬されたが、明治に至り社領の上知を命ぜられた。明治6年に郷社にとなり、明治41年神饌幣帛供進社に指定される。
 古来は「天櫻」と呼ばれていたが、山内一豊公が雨乞いの為に和歌を詠み、桜の木に結びつけたところ、すぐに降雨となり「雨櫻」と称されるようになった。境内は西北山を負い、中腹に社殿がある。石段を下ると東北より迂回して来る清流は東西を貫流し、数百年を経る木々は天を覆い、鬱蒼として神厳なる杜を成している。

公式HP



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