多太神社
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   【延喜式神名帳】多太神社 摂津国 川辺郡鎮座

   【現社名】多太神社
   【住所】兵庫県川西市平野2-20-21
       北緯34度52分2秒,東経135度24分51秒
   【祭神】日本武尊 大鷦鷯尊 伊弉諾尊 伊弉冉尊
       特選神名牒伊弉諾・伊弉冉尊二座

       本来の祭神は、川西市史がいうように、神人氏の祖神太田々根子あるいは大国主命のいずれかとするのが妥当であろう

   【例祭】10月29日 秋祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】不詳
       天正6年(1578年)再建
       元禄6年(1693)造営
       明治6年(1873)郷社

   【関係氏族】神人(みわ)氏
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】氏祖
   【祭祀】江戸時代は「平野神社」と称していた
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】

猪名川の支流である塩川の扇状地に臨む高台にある山麓の神社。
太田々根子の子孫神人(みわ)氏がこの地にて祖神を祀ったとされる。
中世、多田源氏守護の神として崇敬された。多田荘を根拠地とした多田満仲公が京都平野神社より勧請以降平野神社と称された。


由緒

創立年代は明らかでないが、延喜式内社である。現在の建物は覆屋内にあり正面柱間2.4mの社殿である。其の建築年代は内陣廚子内小箱の墨書により元禄6年(1693年)の造営であることが確認される。租物や蟇股なども時代の特徴をよく表している。ただし、背面の蟇股や脇障子の欄間などに桃山風が認められる。記録によると天正6年(1578年)にも再建されたことがわかるので、これはその際の遺材であろう。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




多太神社社号標石一基

(法量)総高151.5cm 江戸時代につくられた地誌のうちもつとも高く評価されている「五畿内志」の著者並河誠所は、摂津国内の延喜式所載の古社中当時その由緒が誤り伝えられたり、また廃社となつている20社について精確な考証をおこないそれぞれの由緒の埋滅をふせぐため元文元年(1736年〕各社々頭に社号標石を建立した。この標石はその一つで、方24.0cm高91.0cmを測り、正面に多太社の三字を、右側面に平野村の三字を刻している。この文字は誠所自らの執筆と思われる。台石は二段からなり下段は方26.0cm高28.0cm、上段は方43.5cm高26.0cmを測り、上段裏面に「菅広房建」と刻してある。

社頭掲示板



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