神明生田神社
しんめいいくたじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】生田神社 尾張国 丹羽郡鎮座

   【現社名】神明生田神社
   【住所】愛知県岩倉市下本町下市場 25
       北緯35度16分42秒,東経136度52分37秒
   【祭神】大日霊命 稚日女命
   【例祭】10月15日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】創建不詳
       天文23年(1554)岩倉城に勧請
       永緑2年(1559)真光寺へ遷
       文化7年(1810)現在地へ遷
       明治維新以降村社
       同42年9月2日神饌幣帛料供進社
       大正8年3月15日神明社より神明生田神社へ改称

   【関係氏族】
   【鎮座地】当初鎮座の地は、小字丸之内
        天文23年(1554)岩倉城に勧請
        永緑2年(1559)真光寺へ遷
        文化7年(1810)現在地へ遷


   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「神明社」と称していた
   【社殿】本殿神明造銅板葺
       拝殿・祭文殿・社務所・神庫

   【境内社】白髪大明神・八幡社・市神社、津島神社・菅原天神社

岩倉駅東に鎮座する。
当初の鎮座地は、小字丸之内にあり、岩倉城の築城された文明10年(1478)頃以降に、城内へ生田神社が勧請さた。
天文23年(1554)岩倉城主織田信安の老臣山内盛豊が勧請したと伝えられる。
永緑2年(1559)の岩倉城落城後は、真光寺へ移され、さらに文化7年(1810)に現在地へ移転された。
山内一豊公誕生碑が境内にある。


山内一豊誕生地

昭和49年11月15日市指定
山内一豊は天文14年(1545)岩倉城の家老山内但馬守盛豊の二男として、この地に誕生した。
大正8年(1919)2月神明生田神社の遷座式に一枚の棟札が発見ざれ、これが一豊のこの地での誕生の有力な資料となり、山内家では史家沼田頼輔文学博士に調査を行なわせ、岩倉のこの地を一豊誕生の地と認め、ここに贈従三位山内一豊公誕生地の碑を建てた。
父盛量は岩倉城落城(永禄2年3月)のとき戦死、一豊15歳の時であった。その後、一豊は家臣の五藤浄基が供で母や弟妹と共に刈安賀の城主浅井新八郎政高の許に身を寄せ、しばらくして牧村政倫のもとに寄寓。ついで山岡景隆に仕え、永禄10年(1567)〜元亀元年(1570)頃織田信長に仕える。天正12年(1584)には長浜で五千石の領主となり、同18年(1590)遠州掛川に移封六万石の領主となった。秀吉の死後徳川家康に味方し、慶長5年(1600)四国土佐で二〇万二千六百石の領主となり、高知城を築城。そして5年後の慶長10年(1605)9月12日一豊没す。
享年61歳。
岩倉市教育委員会

社頭掲示板



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