薩都神社
さとじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】薩都神社 常陸国 久慈郡鎮座
          (奥宮)薩都神社(奥宮)

   【現社名】薩都神社
   【住所】茨城県常陸太田市里野宮町1052
       北緯36度34分6秒,東経140度32分19秒
   【祭神】立速男命
   【例祭】4月10日 春季例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】延暦7年松崎の地に社を建てる
       延暦19年(800)賀毘礼之峰に遷座
       大同元年(806)小中島(現社地の東隣)に遷座
       承和13年(846)9月従五位下『続日本後紀』
       貞観8年(866)5月27日正五位上『三代実録』
       貞観16年(874)12月29日従四位下
       治承3年(1179)5月総社の舞殿の造営を分担
       大永2年(1522)現社地に移る
       明治6年6月郷社
       同40年4月10日供進指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】延暦7年松崎の地に創立
        延暦19年(800)賀毘礼之峰に遷座
        大同元年(806)小中島(現社地の東隣)に遷座
        大永2年(1522)現社地に移る

   【祭祀対象】
   【祭祀】社名の変遷はなかった
   【社殿】本殿、日吉造銅板葺
       拝殿・神樂殿・社務所・手水舎

   【境内社】愛宕神社

風土記時代は賀毘礼之峰(現在日立市入四間町の神峰山(御岩山、標高598m))に鎮座していた。 治承3年(1179)5月の常陸国総社造営注文(『常陸総社宮文書』)に「佐都社」、元禄の『鎭守帳』に「佐都明神」「薩都明神」とあり、社名の変遷は無かつたらしい。


由緒

延喜式内久慈郡二ノ宮薩都神社
茨城県常陸太田市里野宮町鎮座
所在神地常陸太田市街より東北四粁の地、里美村小里を経て福島県東館、棚倉町に通ずる所詮里川沿岸佐都郷の地の総鎮守として鎮座して居る。 御祭神・立速日男命(速経和気命)
由緒沿革・上古立速日男命松樹に降臨し給ふ。当地里家に近くして不浄多く、祟り甚だ厳格なり。里人畏敬して、延暦7年(788年)社を建てて祀る。邑人朝廷に奏請せしところ、片岡の大連を派遣、祭事を厳修「穢の多い里よりも高山の浄境に鎮り給へ」と告せられ、神聴き給ひて延暦19年(800年)賀毘礼の峰に上り給ふ。
而して賀毘礼峯けはしく人々参拝に苦しむ、よって大同元年(806年)平良将仕へ祠を小中島に奉遷す。承和13年(846年)9月勲十等薩都神に従五位下を授く。貞観8年(866年)5月正五位下を授く、同16年拾2月従四位下を授く。
常陸太田城主藤原通延の子通成佐都宮に住し、その子通盛小野崎の地に居城、佐都荘を治め、代々祈願所と定め、一族又氏神と仰ぐ。
正平年中佐竹左近将監義信本社を修造。永正以降佐都郷三十三ケ村の総鎮守なり、大永2年(1522年)佐竹右京大夫義舜更に今の地に遷す。
毎年9月神入四間御岩の山に入る。即ち賀毘礼の峯なり。明年4月出て本宮に還る。因て時に随って例祭を修む。慶安元年将軍徳川家光圭田五十石を供す。除地十三石九斗四升三合を享く。延喜式内常陸二十八社の一、久慈郡七座の内二の宮と称え奉り官社に預る。
明治6年6月郷社に列格、同40年4月10日供進指定、昭和27年6月14日宗教法人設立。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




走田神社

薩都里の東の賀毘礼之峯に、天神立速男命(一名速経和氣命)が祀られるが、この神は、かつて松澤の松樹の上に天降られ、そこが人居に近いため穢れがあると、嚴しく神崇を示されるので人々が苦しみ、朝廷は片岡大連を遣し祈請して、高山の上に遷座したものであるといふ。賀毘礼之峯は、當社の東北約九キロメートル、現在日立市入四間町の神峰山(御岩山)に比定する説が有力である。初め神が天降られたといふ松澤は、社傳では現社地の南約○・七キロメートルの松崎の地をそれに擬してゐる(『神社誌』。但しはつきりした遺趾・地点が指摘されてゐるわけではない。

式内社調査報告



薩都神社

【御祭神】 立速日男命(たちはやひ をのみこと)
(速経和気命 はやふわけのみこと)
【御神徳】 里川沿岸、佐都の郷にお ける開拓の祖神として伝えられ、殖産興業、五穀豊穣、家内安 全、商売繁盛、厄除けなどにご利益があるといわれ、信仰されています。
【御由緒】  立速日男命は、松沢の 松の木に降臨された。この神は崇りをなしたため、朝廷は、片岡の大連を派遣し、神に祈願し、「この地は、人家に近く穢れ があります。ここを避けて高い山の清浄な所にお移り下さい。」と申し上げた。神はこの願をお聞き入れになり、延暦 19年(800年)賀毘礼の峰に移られた。この社は、石の垣 が作られ、その中には仕える一族が住んでいる。また、宝物・ 弓・鉾・釜等がすべて石となって存っている。およそこの地を 飛び渡る鳥もこの地を避けて飛び、今も昔も変わらない。 (『常陸風土記』)
 しかし、賀毘礼の峰は険しく、参拝するのが困難なため、大同元年(806年)に現在の鎮座地の近くに遷座された。
 永正年間(1500年頃)以降、里川沿岸の佐都郷旧33ケ 村の総鎮守として広く信仰され、大永2年(1522年)に現在地に移された。(社伝)
 延喜式内常陸国28社の1つ、久慈都7座の内二の宮と称えられ、明治6年郷社に列格された。
【祭礼】
1月1 日 元旦祭
1月9 日 祈年祭
4月 10日 春季例 大祭
陰暦6 月9日 御田植 祭
陰暦9 月9日 秋季例 祭
12月 10日 新穀感 謝祭
【文化財等】
・ 神刀 (天国の作) 明治33年元秋田藩臣東京大 学教授根本通明奉納
・ 弓 明 治4年徳川昭武奉納
・ 石器  延暦19年賀毘礼山遷座の降出たものと伝えられる。
・ 奉額2 面 延宝3年、嘉永元年奉納
・ 片木  大同元年、当社御造営の際、賀毘礼の山 にて木を切ったところ、木心に虫喰のよ うに「鹿島御造営の」と書いてあった。おそら く鹿島の神の御子神がおられるのであろうと、左文字の片木を当社に保存、右文 字を鹿島神宮に納めたと伝えられてい る。
・ 絵馬  三十六歌仙、六歌仙の計42枚明治時代に氏 子から奉納されたものと思われる。
天狗面

茨城県神社庁



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