荒田神社
あらたじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】荒田神社 播磨国 多可郡鎮座

   【現社名】荒田神社
   【住所】兵庫県多可郡多可町加美区的場145-1
       北緯35度5分2秒、東経134度53分10秒
   【祭神】少彦名命 木花開耶姫命 素盞嗚命
   【例祭】10月9日 例祭
   【社格】旧県社 播磨国二宮
   【由緒】天平勝宝元年(749)5月7日女体唐人束帯赤衣で天降來臨
       天平神護元年(765)封戸四戸
       延暦13年(794)勅使大原道広参向
       鎌倉末期播磨国二の宮と称
       元亀天正の頃は衰頽
       慶長14年(1609)姫路城主池田輝政境内を除地
       寛文2年(1662)社殿新築
       弘化元年(1844)4月に御鎮座千年祭を執行
       明治7年2月郷社
       大正3年12月県社
       大正5年4月11日神饌幣帛料供進神社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】慶長年代(1600年頃)、安楽田の東端道路北方に在った
        寛文8年(1668)9月現在の地に

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿流造檜皮葺
       幣殿・拝殿・随神門

   【境内社】

奈良時代初期には道主日女命を祭神とする社が成立していたと思われる。その夫とされる天目一命は鍛冶神であり、この地には鍛冶工が集団居住してこの神を祭り神婚した奉仕巫女の神格化したものが道主日女命であろう。
慶長年代(1600年頃)、安楽田の東端道路北方に在ったが、寛文8年(1668)9月、荒田町大火の際、神社を始め別当大乗寺諸共灰燼と化し、往古の貝野村氏神大歳神社の境内を拡張して、この地に合祀したと伝えられている。
延宝5年(1677)の荒田町検地には大歳神社境内社と掲げられている。


由緒

当社は、延喜式にも掲載されている式内社で、少彦名命、木花開耶姫命、素盞嗚命の三神が祀られている。社伝によれば、天平勝宝元年(七四九年)五月七日、少彦名命が村内の福原字神丘に天からお降りになり、その夜、村内に大雨が降った。村人は雨があがるのを祈ったところ願いがかない、これに感激して村内字野尻に小社を建て、荒田神社と称したと伝えられている。あるいは、「播磨国風土記」にみえる天目一箇命、道主日女命を祀った社が当社であるともいわれている。
また、平安時代には坂上田村麿の崇敬を受けたと伝えられているのをはじめ、播磨国二宮として、多くの崇敬を集めてきた。
建物は、檜皮葺流造の本殿と檜皮葺入母屋造の拝殿があり、宝物として剣、古刀、宝鏡などがある。それと、県指定の天然記念物「勅使の杉」があったが、昭和四十年の台風二十三号の襲来によって倒伏した。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



荒田神社

松井庄村福原的場に鎮座す
祭神 少名彦命 素盞鳴命 木花咲耶姫命
社伝にいう人皇第46代孝謙天皇の御代天平勝宝元年5月7日当所に天神の降臨あり。その夜大雨降りしきり為に田畑悉く流失さる。里民大いに恐れて相集まりて神助を乞い字野尻に一祠を建立して荒田神社と唱う。今もその地を神立ちという。後桓武天皇の御代田村将軍の当所を管領するやその神徳のいやちこなるを聞き社殿を改造し社殿を寄進し祭儀を盛んにす。時に勅使大納言道広卿参向ありて播州二宮正一位荒田大明神と宣下ありきという。爾後社運隆々たりしも元亀天正世はかりごもと乱れ又かえるみるものなかりしば是非なき次第なりき。
徳川氏の御代となりて漸く要約維新の方法を講じ、再び社運開きて千崇敬人年をおいて増しぬ殊に明石城主松平兵庫頭殊の外崇敬ありて度々金員を献納せり。
維新後明治7年二月郷社に大正3年12月県社に加列昇格さる。

社頭掲示板



播磨国INDEXへ        TOPページへ



順悠社