伊和神社
いわじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】伊和坐大名持御魂神社(名神大) 播磨国 宍粟郡鎮座

   【現社名】伊和神社
   【住所】兵庫県宍粟市一宮町須行名407
       北緯35度5分15秒、東経134度35分12秒
   【祭神】大己貴神 (配祀)少彦名神 下照姫神
   【例祭】10月15-16日 例祭
   【社格】旧国幣中社 播磨国一の宮
   【由緒】成務天皇甲申年(社記)創祀
       欽明天皇25年創建
       天平宝字2年(858)8月伊和恒雄神領寄進
       大同元年(806)神封13戸
       貞観元年(859)正月27日従四位下
       元慶5年(881)6月29日正四位下
       天慶3年(940)神封五戸増加
       正歴2年(991)正一位
       寛仁元年(1017)10月2日一代一度の幣帛神宝を奉
       永久3年(1115)源朝俊により眞光寺敷地が寄進
       平治元年(1159)8月2日社殿焼亡
       長元年(1249)4月4日焼亡
       延元元年(1336)4月新田義貞足利尊氏追討の祈願
       明徳3年(1392)7月赤松上総介儀則再興
       明徳4年 (1393)7月赤松儀則美作国粟井庄寄進
       永禄5年(1562)12月長水城主宇野越前守村頼再興
       慶長13年(1608)池田輝政神領寄進
       寛文6年(1666)松平恒元神領寄進
       延宝4年(1676)池田改元神領寄進
       嘉永5年(1852)2月1日炎上
       安政5年(1858)2月造営
       明治6年11月県社
       明治18年四月国幣小社
       明治45年6月国幣中社

   【関係氏族】伊和氏
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「伊和神社大明神」と称していた
   【社殿】本殿入母屋造檜皮葺
       幣殿・拝殿・神饌所・社務所・随神門

   【境内社】五柱社・市杵島姫神神社・播磨十六郡神社・御霊殿
        宮山の祠・白倉山の祠・花咲山の祠・高畑山の祠

   【境内図】 境内図

成務天皇甲申年(社記)あるいは欽明天皇25年(『峯相記』)に、伊和恒郷に託宣して此地へ社殿を建立したと傳へている。この時、白い鶴二羽が北に向つて眠つていたので、北面に社殿を造つたという。この伝承に從つて、現在の社殿は北面し、本殿の裏には鶴石がある。
播磨国一の宮で中世には伊和大明神と呼ばれ、新田義貞・赤松氏・江戸期には歴代藩主から産業興隆の神として崇高された。


由緒

大己貴神は国土を開発し、産業を勧めて生活の道を開き、或は医薬の法を定めて、治病の術を教えるなどして、専ら人々の幸福と世の平和を図り給うた神であります。
大神は播磨国に特別の御恩恵を垂れ給い、播磨国内各地を御巡歴になって国造りの事業をされ、最後に伊和里(現在当神社のある地方)に至りまして、我が事業は終った「おわ」と仰せられて鎮まりました。ここに於て人々がその御神徳を慕い、社殿を営んで奉斎したのが当神社の創祀であります。
その御神徳により、古来、農業・工業・商業等産業の神、縁結びの神、福の神、病気平癒の神、又、交通安全の神として崇敬されております。 一説に、成務天皇甲申歳2月11日丁卯(一四四年)、或は欽明天皇25年甲申歳(564年)の創祀とも伝えております。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



伊和神社

当神社は第13代成務天皇の甲申歳(144)の創祀と伝えられ、延喜の制では名神大社に列し播磨国の一宮で旧国幣中社の御社格であります。
御祭神は大己貴神と申し(又の名を大名持御魂神、大国主神とも申し、又伊和大神とも申し上げる)国土を開発し、産業を勧めて生活の道を開き或いは医薬の法を定めて治病の術を教えるなどして、専ら人々の幸福と世の平和をはかり給うた神であります。大神が播磨国に特別の御恩恵を垂れ給い、播磨国中を御巡歴になって国造りの事業をなされたことは播磨風土記に記載の通りであります。
その御神徳を仰いで、播磨国開発の祖神、総氏神様と崇め、古来、農業・工業・商業等の産業の神、縁結びの神、福の神、病気平癒の神として、又御社地が因幡街道(現在の国道29号線)のほぼ中央に当たる交通の要衝にあるため、旅行者の守護神、交通安全の神として播磨国はもとより、遠近の人々の崇敬厚き神様であります。
約55,000u(約17,000坪)に及ぶ境内には杉・檜等の大樹が繁茂し、自ら襟を正す神々しさを保っております。
御社殿は一宮の名にふさわしい入母屋造りの豪壮勇偉な建築であります。
なお創祀伝説を今に伝える鶴石は本殿のうしろにあります。

社頭掲示板



伊和神社

播磨国一の宮 伊和神社御由緒略記
御鎮座地 兵庫県宍粟郡一宮町須行名
例祭神
大己貴神(大名持御魂神、大国主神、又、伊和大神とも申し上げる)
配祀 少彦名神 下照姫神
創祀
大己貴神は国土を開発し、産業を勧めて生活の道を開き、或は医薬の法を定めて、治病の術を教えるなどして、専ら人々の幸福と世の平和を図り給うた神であります。大神は播磨国に特別の御恩恵を垂れ給い、播磨国内各地を御巡歴になって国造りの事業をされ、最後に伊和里(現在当神社のある地方)に至りまして、我が事業は終わった「おわ」と仰せられて鎮まりました。ここに於て人々がその御神徳を慕い、社殿を営んで奉斎したのが当神社の創祀であります。その御神徳により、古来、農業・工業・商業等産業の神、縁結びの神、福の神、病気平癒の神、又、交通安全の神として崇敬されております。一説に、成務天皇甲申歳二月二日丁卯(144)、或は欽明天皇二五年甲申歳(五六四)の創祀とも伝えております。
御社格
延喜の制では名神大社に列し、播磨国の一の宮で、明治6年県社に、同8年国幣小社に、同45年国幣中社に列し、戦前までその御社格でありました。
御神階
貞観元年(859)従五位勲八等から従四位下に、元慶5年(881)正四位下に進み、爾後累進して、正歴2年(991)正一位を極め給うた。
御神封
一、大同元年(806)神封一三戸
一、天慶3年(940)平将門征討の御願奉費として神封五戸増加
奉幣
寛仁元年(1017)幣帛神宝を奉らる。
御神領
一、天平宝字2年(858)8月伊和恒雄神領寄進
一、延元元年(1336)4月新田義貞、足利尊氏追討の祈願をなし神領及び甲冑寄進
一、明徳4年 (1393)7月赤松上総介儀則、美作国粟井庄寄進
一、応仁2年(1468)3月赤松政則神領寄進
一、慶長13年(1608)池田輝政神領寄進
一、寛文6年(1666)松平恒元神領寄進
一、延宝4年(1676)池田改元神領寄進
御造営
一、欽明天皇の御代(564)伊和恒郷に神託あり、西方の霊地(現在の鶴石上)に神殿を再築
一、延長元年(1249)4月炎上、朝廷より御再興
一、明徳3年(1392)7月赤松上総介儀則再興
一、永禄5年(1562)12月長水城主宇野越前守村頼再興
一、嘉永5年(1852)2月1日炎上、文久2年(1862)2月領主小笠原信濃守本殿を造営、幣殿以下は国の一の宮たるの故を以て播磨国内より金銭木材等を寄進して安政5年(1858)2月落成す
境内
16,613坪(54,920平方米)
宝物
新田義貞公寄進状外古文書類約二百通新田義貞公奉納甲冑(焼損)等あり
鶴石
本殿の裏にあり。欽明天皇甲申歳、伊和恒郷に「我れを祀れ」との御神託があり、一夜のうちに杉・桧等が群生して多くの鶴が舞っており、大きな白鶴が二羽石上に北向きに眠っていたのでその所に社殿を造営したという。その石を鶴石といい、社殿が北向きであるのもそのためであるという。
境内末社
五柱社 祭神 天照星大神 宇賀魂神 国底立神 須佐之男神 猿田彦神 
市杵島姫神社 祭神 市杵島姫命
播磨十六郡神社 祭神 播磨旧十六郡内の式内社を祀る
御霊殿 祭神 伊和恒郷命 旧神戸村の戦死者 万国の戦死者
旧境外摂末社
庭田神社 祭神 事代主神 
一宮町能倉にあり
与位神社 祭神 素蓋鳴尊 稲田姫命 
山崎町与位にあり
邇志神社 祭神 伊弉諾尊 伊弉冊尊 須佐之男命
波賀町皆木にあり
・・神社 祭神 大己貴命
山崎町須賀沢にあり
安志姫神社 祭神 安志姫命 安富町安志にあり

社頭掲示板



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