家島神社
いえしまじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】家島神社(名神大) 播磨国 揖保郡鎮座

   【現社名】家島神社
   【住所】兵庫県姫路市家島町宮天神鼻 1
       北緯34度40分45秒、東経134度32分44秒
   【祭神】大己貴命 少名彦命 天満大神
   【例祭】7月24-25日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】神武天皇東征の時り天神を祀る
       神功皇后三韓御門出の時天神を祀るとも伝
       天平宝字8年(764)3月7日福州の賊船襲来戦勝を祈願
       承和7年(840)6月官社(続日本後紀)
       文久3年(1863)造立
       慶応4年(1868)式内社と認定
       明治7年2月郷社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「天満宮」と称していた
   【社殿】本殿流造銅板葺
       拝殿・祝詞舎・神饌所・祭器室・社務所

   【境内社】大山神社

創祀当時は天神一座であったが、のちに大己貴命、少名彦命が合祀された。中世以降、創祀の天神を天満天神と誤つて菅公を祀る天満宮と称してきた。これは鎮座地の天神鼻と云う地名にも伺われ、菅公腰掛岩伝説が残っている。


由緒

当神社は、神倭磐彦命(即位して神武天皇)御東征の砌り、御寄港室の内の如く静かなるを以て家島と名付け、天神を祀り、皇師の武運長久と海上安全を祈願し給うとぞ、又神功皇后三韓御門出の時天神を祀り給ふに山中ゆりければ、ゆるの山と古歌にもよまれ、朝廷の御崇敬篤く、第四十八代称徳天皇天平宝字八年三月七日揖保郡福井庄家島の高島に支那福州の賊船襲来屯す、時の国司藤原朝臣貞国下知して、戦勝を祈願せしめ、これを撃退神威毫し衰へず播磨を往来する船舶は、風波の難を祈り、崇敬怠る事なし。故に仁明天皇承和七年六月官社と為り、醍醐天皇延喜の制に式内名神大社となる。此の大神は国土を開墾し、海運、漁業、医薬、禁厭酒造の方法を定め、温泉を開発人畜の病に悩むを助け給ふ最も尊き神に坐す故に、大己貴神は大国様、少彦名命は薬神様として崇めたる。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



家島神社

いへしまは
なにこそありけれ
うなはらを
あがこひきつる
いももあらなくに
(家島は 名にこそありけれ 海原を 我が恋ひ来つる 妹もあらなくに)

天平8年(736)夏6月大使阿部継麿ら一行は予定よりかなり遅れて難波津を発った。七夕を九州で迎え秋も深まる頃ようやく対馬に寄港。史の伝えるところでは新羅の地では歓待されることなく失意のうちに帰路につく。更に旅の途中で大使を失い副使も病を得て帰朝が遅れるという実りのない旅であった。
万葉集巻十五に往路の歌百四十首と帰路の歌五首が収められ、これは帰路の歌の冒頭にある。
長い旅の中片時も忘れることのなかった家と妻、その家という名を持つ家島にたどりついた安堵にさらに妻を恋しく思うのである。
この碑は昭和61年7月 万葉学者犬養孝博士の揮毫を得て建立。
平成13年11月吉日

社頭掲示板



家島神社

延喜式内 名神大社
家島神社
御祭神 大己貴命 少名彦命 天満天神
例祭日 7月24日・25日
沿革
社伝によれば、家島という地名は、神武天皇が大和へ向かわれる途中、当地に御寄港になられたところ、港内が大変穏やかで、「あたかも家の中にいるようで静かだ」として、名付けられたとある。、
家島神社は4、この時、天神をお祀りし海上安全と戦勝を祈願されたのが始まりとされている。
又、神功皇后は、三韓門出に際し、天神に祈願されたところ全山がにわかに鳴動したのて、こので一帯をゆつるの山と呼ばれたともある。
古くから、家島の地は、瀬戸内航路の要衝として栄え、万葉歌人達もいくつか歌を残してやろ。
菅原道真公が参拝されたおり、境内入り口の岩場で詩を書かれたといわれ「詩を書き石」と呼ばれて現存している。後に菅公は、合祀されることになった。
当神社は、家島諸島の総鎮守であるとともに、播磨灘を守護する大神様で、更に国家鎮護の神としで承和7年(840)官社となり、醍醐天皇の延喜の制には、式内名神大社に列せられ今日に至っている。

社頭掲示板



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