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クリニカル・アドバイザー Clinical Adviser

   

伊藤將史  Masafumi Itoh

1949年4月生まれ。 1978年、兵庫医大を卒業しました。学生の時は、ポリクリで伊熊健一郎先生に大変懇意にしていただきました(お礼)。卒後、京都府立医大産婦人科に入局。1987年より滋賀県近江八幡市民病院に勤務し、そこで、故Kurt Zemm教授(キール大学)の腹腔鏡下手術ビデオに出会い、「腹腔鏡下手術こそ自分のライフワークにちがいない」との閃きを得ました。早速、WISAPの手術機器を注文(本邦第一号!)し、1989年6月から同手術を日常診療に導入しました。 初めての卵巣嚢腫核出術では手術室ナース達から拍手がおこったのを覚えています。

1990年にはそれまでの自分の術式を再確認したく、オーストラリア、メルボルンのRoyal Women’s Hospitalで開催されたのAdvanced Laparoscopic Surgery Workshop(第1回、IFGE主催)に参加しました。日本からはたった一人だけの参加でしたが、そこで腹腔鏡下子宮全摘出術のライブ手術を担当したHarry Reich先生(コロンビア大学;1987年、世界初の腹腔鏡下子宮全摘出術を実施)と出会い、その後親交を深め、彼から多くのことを学びました。この頃、わが国では、一部の内科と外科領域で腹腔鏡下胆嚢摘出術が試行され、腹腔鏡下手術の大きな流れがまさに始まろうとしていました。しかし、活発な動きを見せ始めた外科領域にくらべ、我が婦人科領域では同手術に対する関心は低く、1991年に伊熊先生が名乗りを挙げられたものの、我々は孤軍奮闘でした。(当時、産婦人科医でさえも腹腔鏡下手術といえば胆摘だと思っていた。)1992年には、職場を現在の誠仁会伊藤病院に移し、本邦で初めての子宮全摘出術を実施しました。個人病院(開業医)で行われたこの出来事は、わが国の婦人科内視鏡学会に少なからずインパクトを与え、その後の婦人科腹腔鏡下手術の普及、保険適応に繋がっていきます。

以上のように、私は幸運なことに、わが国における腹腔鏡下手術の黎明期に身をおくことができました。 と同時に、その時期があまりに楽しく、刺激的であったための反動か、疲れか、私の中で同手術に対する昔のギラギラしたmotivationは最近低下しつつありました。 もちろん、日頃の診療では、開業医ながらも、全国の患者さんに腹腔鏡下手術(責任執刀;800例)を提供しつづけて無事15年目を迎えた今も、手術が無事終わると腹腔鏡下手術に特有の達成感はあるのですが・・・。そんな折、ELKの金平先生の鉄人ぶりを知り大いなる刺激を受けました。「そうだ、世間は腹腔鏡下手術医療の緒についたばかりなのだ。金平先生が努力されている腹腔鏡下手術の安全な普及と発展のため、もう一度自分ができる範囲で頑張ってみよう」と思った次第です。 私の専門分野は、良性の婦人科腫瘍、子宮内膜症などで妊孕力保存が望まれる腹腔鏡下再建手術です。皆様の相談やお力になれれば喜んでお引き受け致します。また、腹腔鏡下手術の結紮法についても、独自で開発した器械や結紮のコツに関する論文もありますので、ご遠慮なく、京都市左京区下鴨狗子田町3-2 伊藤病院 naishikyo@ito-hospital.com までご連絡ください。

所属学会、役職等は、日本産婦人科学会(認定医)、日本産婦人科内視鏡学会(評議員)、日本内視鏡外科学会(評議員)、日本産婦人科内視鏡学会技術認定医(兼技術認定医審査委員)、近畿産婦人科内視鏡手術研究会(理事)です。

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