“ひとりよがりの庵” 改め “咳をしてもひとり…” ・開設日:2001/02/07 ・更新日:2013/08/10


これまで公開した過去のコラム 山梨自転車通勤普及協会山梨ラーメン紀行リンク集サイトマップ/管理人について管理人のブログ

コ ン テ ン ツ
これまでのコラム 古い記事、削除しました。最新のコラムはこの直下
山梨ラーメン紀行 ラーメンの食べ歩きデータ
自転車 自転車通勤の普及と道路行政への改善点提言
リンク集 はてなアンテナ(現在不可視設定中)
サイトの紹介 サイトマップ・管理人について
ブログ はてなダイアリーによるブログ

Google
WWW を検索 本サイト内を検索
友人の急逝 ('13/08/10)

暑い夏のある日、友人が急逝した。

友人と言っても歳は僕より6つ上。会社の先輩である。
大体14時前後にメール(IP messenger)で呼ばれ、たばこ一本吸い終わるまでの僅かな間、お茶していた。
毎日、園芸、レジャー情報、天候など、たわいもない話をしていた。きっと、毎年同じ時期に同じ話を繰り返してしていたと思う。
僕のサイクリングの話も熱心に聞いてくれていた。
いろんな話をしたが、不思議と仕事の話はほとんどしなかった。突っ込んだ話をしないというか…実は彼の年齢も今回の訃報まで知らなかった。

仕事納めの後、二人で甲府の中心でモツを喰らいながら呑むのが年末の恒例行事となっていた。
去年は変なオヤジに割り込まれ(それはそれで楽しかったが)思うように話が出来なかったので、もし今年もそのオヤジに遭遇したら無視しようと画策していた。
それも、もう行けなくなった。

社内のキャッシュディスペンサーに向かう後姿が僕にとっての最後となった。
正直、彼の死がまだピンとこない。
今日も14時になれば休憩に誘うメールが来るような気がするし、眠気覚ましの散歩中、通路で鉢合わせになりそうな気もする。
そういえば、このページも読んでくれていたっけ。

数少ない話し相手が逝ってしまった。
残念で、悲しく、そして悔しい。

唯一、本当に唯一、良かった事は、わだかまりや誤解の無い、伝え残したことが無い“きれいな状態”でお別れできたこと。
身近な人ほど、接する機会が多い人ほど、良い状態を維持し続けることは難しい。そんな中、幸い彼とは良い関係を保つことが出来ていた。

今回のお別れから何かを悟としたら、それは、周囲の人とは出来るだけ常に良い関係を保つべきということ。
関係がこじれた状態で、突然このような形になった場合、誤解を解きたくても、謝りたくてもそれは出来ず、更に辛い思いをすることになるだろう。

誤解やわだかまり…何人かメールする必要があるな。もちろん僕自身が逝ってしまう事も十分起こり得るから。

そろそろ数週間が立つ。事実を受け入れなくてはならない。
Mさん、さようなら。ありがとう。



続・テレビでイラッとすること ('13/07/23)

以前、テレビを見ていてイラッとすることとして、幾つか述べさせてもらった。

参照→10/04/05号:テレビでイラッとすること

読み返すのが面倒臭い人の為に、要約すると…

- オチ・山場の前にCMを挟む。
- CMを挟んで待たせた割には、つまらないオチだった。
- CM明けの“ふり返り”は時間のムダ。
- 動物番組を中心に、動物の動きに合わせて奇妙な擬音が加えられている。

等を挙げた。

今回、一つではあるがこれらに是非加えておきたい『イラッとする』事があったのでここに記す。

■グルメ番組で

グルメ番組で、芸能人が一口食べて『美味しい〜』と言った後、コメントを述べる。そのコメントの間、画面が切り替わり、箸でつまんだ食べ物、あるいはその断面がアップされる。
皆さんも観たことがあるだろう。

例えば、それが、チャーシューや角煮だったら肉の弾力感を出すために箸先を小刻みにプルプル震わせたり(これが痙攣みたいで気持ちが悪い)、小龍包やハンバーグだったらワザと肉汁が出るように箸で割ったり…

あの場面がワザとらしく見ているとイライラする。たまらなく嫌なのだ。

この食べ物アップ挿入画像、多くのグルメ情報番組、旅番組で用いられているが、中でも乱用しているのは日本テレビ系列の「秘密のケンミンSHOW」。
僕は観ないようにしているが、時々家族が観ているのが目に入り、『ああ、相変わらずやっているな』と呆れる。

他にも、「秘密のケンミンSHOW」は、主題の料理を“マル秘”の文字で隠したり、あげく、勝俣の驚きの表情を挟みつつCMに入るという一連の“腹立たしいリレー”を繰り返し行っている。
僕の中ではイライラする番組の最高峰である。(なんだ、よく観ているじゃん。)

最後は「秘密のケンミンSHOW」批判になってしまったが、とにかくワザとらしい食べ物のアップ画像は止めてほしい、という事でした。

なんか、書いたら余計イライラしてきた。



人間距離について考えてみる ('13/07/01)

■人間距離は車間距離

人間距離、『じんかんきょり』と読んでほしい。
人間関係のトラブルはそのまま路上を走る自動車が引き起こす接触事故に置き換えられる。

一定の車間距離を取っていれば、基本、事故は起こらない(単独事故は除く)。
人も全く同じで、相手と人間(じんかん)距離を取れば衝突はまず起きない。
この場合の距離とは自動車でいう物理的な距離の他、ネット上の仮想空間的な距離も指す。

僕は対人スキルが地を這うほど低いので、なるべく人間距離を空けることにしている。こちらからは歩み寄らない。
それでも時々失敗して踏み込んでしまう事もある。まだまだ注意が足りない様だ。

逆もある。つまり、こちらが空けていても相手が距離を詰めてくること。
車でもあるだろう。後ろにピッタリくっつけてきたり、幅寄せして来たり…

■本を貸す人

例えば、頼みもしないのに、しかも突然に、本、CD、DVDを貸してくれる人がいないだろうか?
漫画ならともかく、重い内容の本の貸し付けについて、僕は『世界観の押しつけ』と呼んでいる。

こんな人は人間(じんかん)の“幅寄せ”していると考えていい。

本や音楽はその人の世界観そのもの。音楽は宗教と似ていると以前述べた
そのくらい『濃い』。

それを人に貸すという事がどれほどの事か、皆、案外分かっていない。…いや、実は僕も最近になって気が付いた。

もちろん相手が気に入ればよいが、そんなことは稀。
いざ読んで(聴いて)合わなかった場合、“世界観”だけに辛辣なことは述べにくいし、対応に苦慮することだろう。
つまらないと感じた瞬間から以降、読むのは苦痛でしかない。感想を求められるであろうことを考えると、気分が重くなる。

このような“幅寄せ”はトラブル(事故)の前兆と察知すべき。
全くの善意なだけに、断りにくい所だが、もしその人との関係を継続したいなら借りずにやり過ごすことを考えよう。

『貸さない、借りない、受け入れない』の姿勢だ。

なお、こちらの要望により貸してくれるのは全く問題はない。あくまで“頼みもしないのに貸してくる”人に注意という事。念のため。

■その他に人間(じんかん)を詰める要因

エロ話、いわゆる下ネタは人間(じんかん)距離を急接近させるので注意。

下ネタが悪いとは言っていない。むしろ好きである。ただし相手を選ばなければいけない。
この場合の相手とは、十分にタフな関係にある人物を指す。

出会って数ヶ月、いや、数年程度で下ネタを展開するのは危険。
その場は盛り上がるかもしれないが、後日、不仲や衝突に繋がることを何度か経験している。

理由はよく分からない。下ネタとは軽いようでいて実は重いのではないか?話さずにいられるならその方が賢明。
何故だか酒の席でこの手の話は出ることが多いが、車と同様、飲酒からの急接近は事故の元、という事だろう。

さらに、以前にも述べたが、陰口、批判話。これもまた手軽、且つ、急速に人間(じんかん)を詰めるので危険。
例によって、その時は良いかもしれない。しかし、後々 『こいつ、俺のいないところでは俺のことネタにしているんじゃないのか?』 という疑心暗鬼に繋がるのか、そうした話で盛り上がった連中とは上手く行かない。
無論、この手の話を積極的に振ってくる人物は避けるべき。車で言う暴走運転だ。

急激に自分の世界を見せたり、また、良からぬ話で接近を試みたりすれば、その反動は必ず起こる。
自然体で行こう。

■安全運転

周囲に自分以外の自動車が走っていなければ衝突事故は起こりえない。同じように、周囲に人が居なければ衝突は起こりえない。
しかし、現実、社会生活を営む上で自分一人だけと言う環境に身を置くのは難しい。

路上を走る車同様、幅寄せをしてくる人に気を付け、車間距離を空ければ衝突はある程度防げる。
とろ火で長持ちさせる関係がいい。僕はこれからも、目いっぱい人間(じんかん)距離を空け、社会と言う名の道路を運転して行く。もう事故はコリゴリだから。

 〜 参照 〜
 01/12/12号:音楽と宗教の相違点
 05/05/09号:適度な距離
 05/11/22号:群れる大人たち
 06/12/30号:時間に負けない付き合い方



朝カレー ('13/06/18)

平日、週に一日くらい朝食としてカレーを作って食べてから会社に行く。
『朝からカレー!?』って驚く人もいるだろう。
以前も「昼飯不要論」で述べたが、実は朝こそ自分の好きなものを腹いっぱい食べるべき。
僕はそれを毎日実践したいのだが何故だか嫁が協力してくれない。
だからと言って毎日自分で作っちゃうと嫁が味をしめて朝、起きなくなるので週一位の間隔で落ち着いている。

参照→07/04/16号:昼飯不要論

前日の夜のうちに食材を準備し、朝、作る。
材料は玉ねぎと豚バラ肉のみ。これを軽く炒め水を入れ煮立ってからルーを入れて出来上がり。
煮込みの工程が無いから完成まで10分掛からない。忙しい朝も手軽に大好きなカレーが食べられる。
ルーは生協ブランドの物を使用。これが安くておいしい。
少しカレー粉をふりかけスパイスを強化することもある。水の代わりにコンソメスープを入れることもある。…が、基本的に極力手間を掛けないのがこのカレーの鉄則。

本当にこんなに短時間でカレーが出来るのか!?

何を隠そうこの製法、調布市の国道20号上石原交差点近くにあった「みすず」という定食屋の作り方を参考にしている。
20年以上昔、足繁く通ったものだが、検索しても出てこないのでもう畳んじゃったかもしれない。

寸胴にたくさん仕込んだカレーをオタマですくってライスに掛ける一般的なやり方ではなく、注文の入る度に、その都度、あっという間に作って出てくる。
『カレーってこれでいいんだ!』
それまで煮込みに時間を掛けなければいけない料理だと思っていたのに、目からうろこが落ちた。具も玉ねぎと豚バラ肉だけ。シンプルだがとても美味しかった。

そんな想い出のカレーをオマージュして作っているわけだが…最近少しばかり状況が変わった。
子供たちが『自分達の分も作れ』と言うのだ。
どうせ『朝からカレー』なんて受け入れられないだろうと、自分のため“だけ”に作っていたが、食欲を掻き立てるスパイシーな香りの前には『朝から…?』という先入観も太刀打ちできなかった様だ。

ルーの減りが3倍早くなったが、もちろん快く作ってやる。
スパイスの効果だろう。朝にカレーを食べると頭の目覚めが早い。
なので、テストや部活の試合がある日に合わせて作る。結果が出ているかは知らないが…
あと、父の想い出の料理として記憶に残ってくれることを期待して。

嫁は、僕がカレーを作る朝はテレビを見ながらお茶している。起きてこないよりはマシか?
しかも、カレーが残った日はお昼に食べているらしい。…まぁそれも許す。

ここで一句。

『加齢臭 週に一日 カレー臭』

…という訳で、普段は会社で加齢臭を漂わせている僕だが、時々それが“カレー臭”になるというお話でした。



ジョギングの愉しみ('13/06/14)

■おこがましくもジョギングについて語る

三日坊主の上に運動嫌い僕だが、もう5年以上も続いているのでジョギングについて少し語らせて下さい。

実は、会社の昼休みにジョギングをしている。
もともとマラソン、ジョギングなど大嫌いであった。
しかし、交通事故で骨折し、自転車通勤を自粛しなければならない期間の体力維持のために“試しに”始めてみた。
そんな、場つなぎ的に始めたジョギングだったが自転車通勤を再開し、数年経った今でも続いているから自分でも驚いた。

■運動嫌いなのに続く理由

運動嫌いな自分がなぜ続けられているのか、考えてみると…

まず、走る距離が4kmと短いこと。
なぜ4Kmか?
会社の昼休み中に戻って来なければならないので、結局これ以上走ると時間内に戻って来られなくなるから。…という制約から出た距離なのだ。
しかし結果的にこの程度の距離が自分にとって適切で、また、続けられたことの理由にもなっていると思う。

体調に応じて距離を短縮するなどの“逃げ道”や、雨の日や、夏の酷暑期間の約2週間は“走らない”など、無理をしないことも理由に挙げておきたい。

時間を気にしないこと。
『時間内に戻らなければならない』と、書いたばかりで矛盾するが、この場合の時間とは“走行タイム”のこと。
当初は、ストップウォッチを手にして、ソレらしくやっていたが、途中から『走れればいいじゃん』な気持ちに変わり、計ることを止めた。
道具や準備を極力減らし、ただ走って戻ってくる。

以上、一言でまとめると、『拘らないこと』、『頑張らないこと』…これが続けられているコツだと考えている。

加えて、会社の近くに素晴らしい公園があるのも理由に挙げるべきだろう。
車は通らず安全。歩道はウッドチップが敷かれ足に優しい。そして沢山の木々は夏の強い日差しから守ってくれる。
この環境は本当に恵まれていると思う。

■ジョギングの愉しみ

不思議なもので、しっかり睡眠を取って体調が良い日でも、足が重かったり、逆に体調がすぐれない日でもブンブン足が回ったり、こうした予想が付かない点もジョギングの楽しいところである。

自転車通勤もそうだが、四季を肌で感じられるのもジョギングの愉しみ。
春は桜吹雪の中を、夏は蝉時雨の中を、秋は落ち葉の中を、冬は霜柱を踏みながら、走る。
中でも、秋の高い青空の下、黄色、紅色に染まった木々の中を、冬の訪れを覚悟しながら走るのが好き。

大体いつも、同じ時間、同じ場所で、同じ老人とすれ違うのだが、ある日姿を見なくなると少し心配になるが、何週間か後、また出会うとホッとする。
いつの日か、この老人とは軽く挨拶をするようになった。基本人間嫌いの僕だが、そんな出会いの楽しみもある。

ほんの数百メートルだが“後走り”を取り入れている。これは、読んで字のごとく後ろ向きに走るわけだが、スリルがあって実に楽しい。
ただし、当然進行方向が見えないので他に人がいないか等、安全を十分確認してからいつも行っている。幸い僕の走る公園は人口密度が低いので殆ど毎日組み込むことが出来る。

■最後に弁解

以前展開した「昼飯不要論」だが、ジョギングに出た日に限りコッペパンひとつ程度食べている。
なぜかと言うと、走り始めてしばらくしたある日、貧血で倒れそうになってしまったからだ。ジョギング後、少しだけ食べることで症状は改善できた。

あれだけ強く主張しておきながら実践することが出来ず、いささか心苦しいが、そんな事情でご容赦願いたい。

もう一つ。
ジョギングが続いている理由をいくつか挙げたが、大前提を書き忘れた。
会社と言う半分拘束された環境から、ひと時でも解き放たれたい。そんな無意識の思いも、或いは続ける要因になっているのかもしれない。

これを言ったら元も子もないが、もし完全なる自由だったら…続いていたか自信がない。



Twitterを卒業したわけ('13/06/10)

■ウソをついてしまった

この度3年くらい使ってきたTwitterの利用を控えてみた。

『なんだ、活用するって言っていたじゃないか!?うそつき!』
…きっと熱心な読者はこう思ったに違いない。…んっ、いないか!?
正確に書くと、自らのつぶやきを止め、読み専門となっている。呟かないと、しばらくは手持無沙汰だったが、数日で慣れた。

一度は本当にアカウントを抹消したのだが、最近行政なども情報発信に利用しているし、完全に止めるとなるとこれらの情報が受けられなくなってしまうので、数日後アカウントを取り戻した。
ただし、つぶやかないとなると当然画面を開く機会も激減。結局、大事な情報も見逃していると思われるのでアカウント抹消と変わらないが…

以前、Twitterの利点としてこう書いた。
『〜なう。』は、サボってしまった手書きの日記を、あとでまとめて書く際に重宝する。
…と。

ただこれって、その場で手帳に書き留めば済む話。あるいは日記をサボらなければ、わざわざTwitterに上げて告知する事ではない。
『〜なう。』の必要は、なくなった。

■愚痴と質

始末が悪いのは、つぶやきの内容に“愚痴”が多いこと。
『眠い』『仕事やる気がしない』『頭にきた』『二日酔いで具合が悪い』など。

愚痴などのネガティブ発言は己の自律神経を蝕むばかりでなく、聞く(読む)相手の脳にダメージを与えるという。
何より愚痴を呟いたところで、何も解決しないのはご承知の通り。
僕もさんざん愚痴ってた。愚痴散らかしていた。脳にダメージ与えてごめんなさい。

加えて、つぶやきにクォリティーを求めるのもなんだが、皆さん総じて文章力は高くはない。いや、気を使っていないというべきか。プロじゃないので無理もない。
それにしても例えば、4/1(エイプリルフール)のつぶやきなど目を覆うばかりだった。
これはたまらん!得る物より失う物が多いとき、それは撤退するとき。アカウントを抹消したのもこの頃だった。

『書けばいいってもんだよ!』が横行している。それが僕の見たTwitterだった。

■テキストの垂れ流し

質の事を書いた。では次に量について書いてみよう。

『〜なう。』以外にも、ごく稀に“上手い事”つぶやいていたつもりだ。自分で言うのもなんだが…
しかし、人が一日、一年、一生に発信できるテキスト量は有限。 Twitterで、だらだらテキストを垂れ流せば、その分、コラム(いまご覧のここ)や、ブログの更新は滞る。
その裏付けとして、ツイッターを始めた時期と前後してここの更新が滞っているのだ。

これらSNSを止めることで分散していたベクトルを集約。“上手い事”を備蓄しこれを編集。TL(タイムライン)に流され埋没させてしまうより、一つの完成体として送り出したほうが有意義ではないか?
…と、そんな効果も期待をしている。

もし皆さんも、肝心な時に文章が書けない。テキストが出てこない、という悩みを持たれていたら、試しに、Twitterへのテキストの流出を控えてみたらいかがだろうか。
繰り返すが、人が生み出せるテキストの量は有限であるから。

■いま言っても遅いが

利用にあたっては、

・ 一定の文章力を持った人をフォロー。
・ 愚痴などは呟かない、読まない。
・ 行政の情報受信用と割り切る。

…などと決めれば続いていたのかもしれない。もう遅いのだが。

加えるなら、あとは人との距離感かな。これについては僕独特の考え方なので言及は避ける。

ちなみに、続くと予想していたミクシィも退場。理由は特にない。
一つ言えるのは、去年の10月に予想した僕の中のWeb活動勢力図予想が大きく変わってしまったことだ。



続・自転車考('13/06/03)

■せめてサイクリングくらいは

家でも会社でも、何をするにも100%自分の意思決定ということはなかなか出来ない。人の顔色をうかがいながら、なるべく反対の出ないように譲歩して、調節して…。正直疲れる。
だから、サイクリングくらいは誰にも左右されず計画の全てを自分で決める。
自分で考えたコースを、食事、休憩、散策、撮影、全て自分のタイミングで、自分の意志決定で行う。誰の同意も不要。
だから、いつも独りで出かける。人に流されず、人に遭わず、人を避けて。

深夜、早朝みんなが寝静まっている時間帯に、そっと起き、支度をし、出発するのが好き。
新聞配達のバイクが行き交う時間帯が好き。

そして、出来るだけ喧騒から離れた林道を走る。車は当然として他の自転車にも出くわしたくない。誰にも遭わない道を走るのが好き。

■乗り方について

乗り方は完全に自己流。いや、そもそも流儀と言うのも無い。
ウェアはオギノ、主な機材はくろがねやで揃う。とにかく拘らない。夏などは寝起きの格好でサイクリングに出動することもある。
それから、ヘルメットは被らない。ヘルメットが役に立つ時はたぶん死ぬときであろうと考えているから。

拘りは足枷となる。
『アレが無いから乗れない』『コレをしないとムリ』など、僕は昔からこうした段取りや手続きとかが嫌いで、また、条件がそろわないことを“やらない言い訳”にする人も嫌いである。自転車に限らず。

昨今の自転車ブームは、こうした足枷を増やしているだけのように思えてならない。

少し話がそれた。もちろん僕はこれからも自然体、日常、武装解除で乗リ続ける。

■競技について

自転車に乗るのに練習とかトレーニングと言う言葉は使わない。
その言葉の先には、競技と言う言葉が見えるから。

競技には全く興味が無い。
これまで、さんざん順位や評価の中に身を投じてきたのに、なぜそれを大好きな自転車で繰り返すのか、僕にはわからない。しかも、お金を出してまで…

なにより、競技は戦争の縮図。平和主義の僕には関わりのない世界。

…と言うのはウソ。
単に人の集まる場所が嫌いなだけ。それに、自分の嫌な一面が出るのが分かっているので参加しない。これからも永遠に。
競技で頑張れる人は好きです。

…以上、これが今の僕の自転車に対する考え方だ。拘らない。競わない。そして独り。これからもずっと。



原点回帰(12/10/16)

 ここの更新を楽しみにしているみなさん、ずっと放置していてごめんなさい。
ラーメン屋にもなっていません!
…って、誰もいないか

 以下のグラフは、僕のWeb活動の変遷である。

Web活動の変遷
 Web活動の変遷

 今から約12年前、コラム(『ひとりよがりの庵』改め『咳をしてもひとり』)とラーメンのコンテンツ(山梨ラーメン紀行)2本立てでホームページ運営を開始。
あくまでメインはコラム。僕のWeb上の表現活動の原点だ。
しかし、その原点であるコンテンツの更新を2年間も怠ってしまった。グラフのとおりである。
今回は、なぜ停滞しているかの言い訳をさせてもらいたい。

 まず挙げられることとして、職場環境の変化。
コラムのネタ作りには、多少の腹の立つ出来事、不条理な出来事が必要。そこから社会問題に通じそうな要素を膨らませて記事にしていた。
日々のイライラ、モヤモヤがコラムを書く原動力となっていた。
 しかし、ある時を境に(職場が移った時期と前後する)ネタへと繋がる苛立ちを感じなくなってしまった。これがコラムの更新減退の大きな理由。
こう書くと、いかにも前の職場環境が悪いように取られるかもしれないが、それは違うので念のため…

 次に、ブログの乱用。
写真もアップしやすいしリンクも張りやすい。それまでのHTML記法にくらべ圧倒的に楽である。
 最初は『やっぱタグ打ちで書かなきゃ』と思って極力ブログは使わずにいた。
ところが、写真、画像、地図を多用するサイクリングの記事が切っ掛けだったか、次第にCMネタ、日常ネタと、中でも“コラムっぽくないコラム”がブログへと流れて行った。
記事のブログへの流出。これも更新減衰の理由。
では、ブログでコラムを書けばよいかというと、なぜだかそれは出来ない。

 加えて、SNSの登場も要因の一つ。
コラムの更新と直接関係ないが、インターネットに費やす時間の一部として理由に挙げさせてもらう。
 中でも利用しているのがツイッター。
最初『何が面白いんだろう』とアカウントだけとって何もしなかったが、最近はちょくちょく思いついたことをつぶやいている。
紙ベースの日記を付ける際も、後でまとめて振り返るときにも便利だ。 以前はブログをつぶやき・ボヤキ用に使っていたがこれがそっくりそのままツイッターに移行した形になった。

 ミクシィは基本的に情報収集だが、たまに発信もする。ただし、最近は他のSNSにユーザーが分散し一頃の勢いはなくなったように思える。それはそれで構わないが。
程よい距離感、程よい匿名性が気に入って長いこと使ってはいる。

 フェイスブックは始めてみたが利用価値が解らず、それでもなんとなく使ってはいた。懐かしい友人にも何人か連絡が取れた。
 ところがある時、娘が自身の名前をWebで検索しているのを見て危機感を覚えた。
いずれ家族の名前を検索するであろうことは容易に想像できる。試しに僕の実名で検索してみたら案の定の検索トップにfacebookの僕のページが出てしまった。
 これはやばい。なぜなら、家族には自分のWeb上での存在は秘密にしているのだ。ただちに自分のアカウント消去した。
 フェイスブックは原則実名登録だが、ちょっと限界を感じた。たぶん今後も使わないだろうな。 それに、ユーザーは多いけど話題性だけで日本人には合わないんじゃないかな…

 Google+は、こちらもアカウントは取ってあるがそれだけ。運用開始していない。今後どう化けるか、化けないか自分でもわからない。でも少し活用を期待して棒グラフに入れておいた。

 以上が、ブログ更新停滞の理由。
今後については…少しここにテコ入れしたいと思っている。書きかけのコラムも数本ある。原点回帰…出来るかな?



ラーメン屋を出すなら(甲府市北部の場合)(10/12/26)

 そろそろ脱サラして、ラーメン屋を始めようと思う。
ラーメンのホームページも実はそんな願望を成功させるために立ち上げた調査の一環。
およそ10年間見て来たので、流行る店、潰れてしまう店の傾向がほぼつかめた。
期は熟した。失敗はありえない。

■ラーメン空白地帯

 まずは味。これは絶対条件。しかし、立地条件も大事である。
どんなに美味しくても場所に恵まれず畳んでしまう店があれば、逆もまた然り。場所に助けられている店もある。
幹線道路沿い(中央分離帯のない、角地でない、丘陵の斜面でない)、もしくは住宅街のど真ん中。
 …どこか良い場所はないだろうか?
そんなことを考えながら、地図を眺めていて、ふと気が付いた。
山梨のとある場所に、ぽっかりとラーメン空白地帯がある。
そこは、閑静な住宅街が広がり、背後の山にも中腹付近まで宅地化されているので人口は多い。
古い食べ物屋さんはあるが、ことラーメンに重き置いているお店は皆無。
年齢分布には偏りの無い印象。(少なくとも高齢化地域ではない)

 場所を言おう。湯村の厄地蔵から先の甲府盆地北部。羽黒町〜山宮町だ。
宮塚団地、湯村団地があり、特に片山には山宮団地(山宮ハイタウン)がある。
広大な墓地、千代田霊園もあるので、沢山の市民が家族連れで通過する場所でもある。
潜在的ユーザーは多いはず。

この界隈に住んでいる人がラーメンを食べたくなった場合、わざわざ県道6号線(山の手通り)か、県道7号(甲府昇仙峡線)まで出なくてはならない。

 食べたい時に食べるラーメンが一番美味しいラーメン。近所にラーメン屋がないなんて、僕だったら耐えられない。
住んでいる人の多くも同じ考えだと思う。
ひょっとしたらこの辺りはインスタント麺の売り上げが突出しているのではないか?

 ここのど真ん中にラーメン屋を構えれば確実に当たる。 僕のこれまでの食べ歩きの実績がそう結論付けているので、先ずはここを挙げておく。

■千代田湖周辺も見逃せない

 秘境的要素も兼ね揃えている“千代田湖周辺”も無視できない。
秘境的要素というのは、極めてわかり難い場所、人里離れた山奥に立地するお店の事。
不思議なことだが、そうした条件化に立地しているお店は、実力以上の味が出せる。

初冬の千代田湖
 初冬の千代田湖

 道に迷いながらもお店を発見、ようやく出てきたラーメンを前にしたときに、
『こんな奥地まではるばる来たのでマズい訳がない』という、自分自身を擁護する考えが生じ、それが味覚に働くのか、
それとも単純に、空気のおいしい自然の中で食べるから美味しく感じるのか。同じおにぎりでも、家で食べるよりピクニックで食べる方が美味しく感じるのに似ている。

 とにかく、立地条件も魔法の調味料になり得るのだ。H市のT、Y村のT、K市のKなどがそれに該当する。
古民家を改修してレトロ感を出せば“魔法”はさらに増強。もうイリュージョンだ。

 また千代田湖は釣りのメッカ。 県の内外から多くの釣り客が訪れる。
有名な景勝地、昇仙峡にも隣接。当然こちらから流れてくる客もターゲットになり得る。

 成功させるコツとして、何か解りやすく印象的な特徴を持たせる。
麺が自家製とか、何かの具材、例えばチャーシューの量が突出して量があるとか、秘境まで足を運んできた労をねぎらうような付加サービスがあるといい。
ちなみに例に挙げた店にもその特徴がある。地の利を生かし、湖畔に多数いるカモなんか食材にしてはどうだろう(ウソ)。

 客足が遠く冬場をどう乗り切るかがという課題は残るが、羽黒山宮がダメだった場合は千代田湖周辺も検討材料の一つにしている。

■あえて激戦区は避ける

 都心でみられるラーメン激戦区とは行かずとも、山梨も中心の方では実力店がひしめき合い、しのぎを削っている。
見合ったマーケットがあれば良い。しかし人口90万未満。少ないパイの奪い合いになってしまうのが現状。
そんな中では、資金力を持ち、過当競争を生き抜くノウハウを持ったチェーン店が有利。個人経営店は苦戦を強いられるだろう。僕なら避ける。

 以上を鑑みたとき、現状、ラーメン屋を出し成功をさせるなら甲府市北部。ここしか思いつかない。
次回は成功する屋号(お店の名前)について語ってみたい。

※僕の出店はウソです。脱サラもウソ。そんな甲斐性はありません。



山とラジオと自転車と(10/10/10)

 サイクリングにラジオを持ち歩くようになったのはここ数年のこと。
当初、林道では、なるべく無音で、鳥のさえずり、小川のせせらぎに耳を傾けたり、または、無音そのものを感じることに重きを置いていた。(日常生活で完全なる無音は、そう無い。)
…だからラジオなどは必要なかった。

 そんな僕が、音の出るラジオを持ち歩くようになった理由は二つ。

 ひとつは熊避けのため。
いままで遭遇したことは無いが、近年人里近くで目撃例が多発。
開発や異常気象で、人と熊との住み分けの境界線が曖昧になってきている。
 出来たら遭いたくない。
ところが熊も人に遭遇するのが嫌だと言う。お互い様な訳だ。
ならば、こちらで音を出すなどし、予め存在を明らかにしておけば良い。そうすれば熊の方から敬遠してくれる。
 そこで僕は音を出す道具にラジオを選んだ。
以来、ひと気の無い林道、特に登り坂ではスピーカでラジオを鳴らしながら走っている。
そのおかげか?今日に至るまで熊に遭遇していない。
※これを書いている最中、市川三郷町の山林で危ない接近遭遇があったが事なきを得た。

 もうひとつは、“登り鬱”(のぼりうつ)の防止のため。
登り鬱とは、僕が作った言葉。
自転車で坂を上る際、いくつかの条件が重なるとうつ状態になってしまうのだ。
条件とは、

・ いつまで続くか分からない斜度10%前後の登り坂
・ 蒸し暑く、かつ曇天
・ 視界が悪く
・ 心配事がある

 これらが重なると登り鬱の状態になる。
症状としては、『俺は何をやっているのだろう』『登ってなんになるのか』という、いま直面している問題から、『仕事やめたいな』『生きていてもつまらないな』という人生観的な問題まで、さまざまなマイナス思考が頭を走馬灯のようにめぐる。
…これでは漕いでいて楽しくない。

 そんなときにラジオのスイッチを入れてみる。
流れてくる音に耳を傾けると、不思議だがたったそれだけで登り鬱にならないでいられる。
音楽やおしゃべりに気を分散することで、負のスパイラルに落ち込まずにいられるのだ。
これは非常に助かる。坂道もスイスイ苦にならない。もっと早くに気がつけばよかった。

■展開が読めないのがラジオの魅力

 自転車ではFMよりもAM、中波放送を聴いている。山間部でも安定して聴こえるからだ。
そして局は基本的にNHK。正時毎にニュースをやってくれるし、こまめに時間を言ってくれるのが助かる。

 ラジオの楽しみというか、魅力の一つに“何が流れるか分からない”点が挙げられる。

 番組表が頭に入っている訳ではないので、何を放送するか知らない。
ところが不思議と“その時の”状況に合った番組が放送されることがある。
そんな時は、状況と放送内容とが同期して記憶され、そのまま旅の思い出として残る。

 観音峠で尺八の演奏が始まったとき、風景に音色が溶け込んで行くのを感じた。
柳沢峠でいきなり始まったラジオ番組、芥川龍之介の杜子春、早朝の大菩薩から本当に仙人が出てきそうな気がし、思わず聴き入った。
紅葉が始まった丸山林道で流れた山口百恵の秋桜…もう何もいうまい。


 林道は尺八の音色が合う

 ラジオマジックとでも言おうか。何気に絶妙なのである。
もっとも、局も季節にあった作りにしているので必然なところもあるかも?

でも、それを差し引いてもラジオの持つ意外性が好きなのだ。

■おすすめはSONY『ICR−P15』

 このラジオは山間部でも驚くほど感度が良い。大音量でも歪まず、おまけに電池の持ちも良い。 値段は1200円〜1500円で販売されている。
AM専用でFMは受信できない。しかし、この点は僕の必要性とマッチしているので問題ない。 もしラジオを購入するのなら迷わずこれを薦める。


 感度抜群の『SONY ICR−P15』

■それでもラジオを消すとき

 ラジオは、あくまで“熊除け”と“登り鬱防止”のためである。
林道では、シカ、カモシカ、キジ、サル、テン、リスなど下界ではお目にかかることの出来ない動物に巡り会うことがある。これも愉しみの一つ。
 熊には嫌われても彼らには嫌われたくない。
だから、不要であると判断した時にはラジオは消し、自然との同化を図る。

 以上が、僕の林道サイクリング中でのラジオの活用方法。熊避けと、登り鬱(他にいるのかな?)対策に効果が期待できるので試したい方は是非。



テレビでイラッとすること(10/04/05)

■CMに移る前と後

 テレビ番組、特にバラエティー番組を観ていて非常に腹の立つことがある。
それは番組のヤマやオチへ移る直前にCMを挟むやり方に対してだ。

 このとき必ず、ゲストの爆笑や驚きの表情を抜きつつCMへ、あるいは、要となる部分にモザイクをかけたり、?(クエスチョンマーク)で隠して、見えなくしつつCMへ移るのだ。
要するにCM明けまで、美味しいところは『おあずけ』と言うわけだ。

 こうしたやり方は姑息で気分が悪い。
そして、いざCMが明けてみればご丁寧に、CMに入る前の“振り返り”を数十秒行う。
1時間番組も中身は実質40分前後だろう。

 CMを見せたい気持ちは分かるが、ここ数年、悪化の一途を辿っている。
 “悪化”には二つあって、一つは、これらの手法は元々日テレ系が執拗に用いていたのだが、ここ数年他局も導入し『おあずけ』が激増してしまったこと。
 もう一つは、質の低下で、『おあずけ』を喰らった割には“全然たいしたこと無いオチだった”ということが増えてきている。予想の範囲内で、いわば“待ち損”。『おあずけ』喰らった割には不味かったということだ。

 僕はこれらの手法を用いる番組に対し、『おあずけ』行為が出た瞬間にチャンネルを替え、ささやかながら怒りの意思表示をしている。
なので、生放送以外のバラエティー番組を最後まで観ることはほとんど無い。

 自称CM評論家の僕でさえ辟易しているのだから、あの『おあずけ』を何とも思わない人は、スポンサーの社員か、そうでなければ真性のM体質だろう。

■奇妙な擬音

 あと気に入らないのが、動物、特に愛玩系の動物の動きに合わせてピコピコ、ピューピューと擬音を被せる手法。
あれは止めてもらいたい。子供とか、動物が動くたびに実際ああいう音が出ると勘違いしないかな?

 そういえば、世界一背の低いと言われる男性(中国人)がテレビに出演していた際も、動きに合わせてピコピコ擬音が被せられていた。
つまり、局は彼を人類ではなく愛玩動物とみなしている事になる。これはもう、人権問題だ(?)。

 これも日テレ系が多いね。

■台詞の字幕の功罪

 発言が、いちいち字幕になって出る番組も多い。字幕がガチャガチャと鬱陶しいが良い点もある。
ある時、ウチの子(小学生)が、まだ習っていない難しい漢字が読めることに気が付いた。
もしかして天才?と思ったが、どうもこうした番組を観ているうちに、知らぬ間に漢字の読み能力がついていたらしい。
 鬱陶しい以外にも、ツボとされる語句を文字を大きくしたり書体を変えたりと、押し付けがましい。
笑うツボは自分で決めるよ。と、言いたいが所だが、良い事例もあるという話。

■テレビからラジオへ

 最近、僕のメディアはテレビからラジオへと移行している。
FMはアナウンサー/パーソナリティの質が低いのでもっぱらAM中心。

 ラジオは視聴者をバカにしたような演出が無いので心穏やかに聴いていられる。

 昨今、若者を中心にテレビ離れが進んでいるという。
理由に、インターネット利用を始めとするメディアの多様化が挙げられているが、実はこうした視聴者を馬鹿にした演出も原因なのではないだろうか?



王様殺し集計結果(10/03/10)

 以前、当ホームページを通じて球技“王様殺し”について公開調査を行ったところ、十数名の皆様から情報が寄せられました。
協力してくださった方、ありがとうございました。

 ようやく集計結果が出ましたので報告いたします。
もっと早く発表するべきでしたが、諸事情で遅れてしまいまして申し訳ございませんでした。

 〜 参照 〜
 08/09/24号:王様殺し
 はてなダイアリー:王様殺しについて調べてみよう

■王様殺しとは

 王様殺しについてもう一度おさらい。

●ルール
 二人で行う。ドッヂボール大の玉を用い、双方5mの間を開けて向かい合う。両足を肩幅より広げて立つ。
じゃんけんで投げる順番を決め交互にボールを投げあう。

●投げ方
 投げ方が特徴的。両手で玉を持ち、体を前屈させ股の間までボールを持って行き体を起こしざま正面にいる相手に向かって投げる(転がすのではない)。
両足は地面に固定。
相手の補給できる範囲に投げる。暴投すると負けだったかな?

●受け方
 下記“必勝法”以外は、基本的に両手で捕球。ボールを落すと負け。また捕球してもボールが胸に付くと負け。

●必勝法
 必勝法として、受け側が腕をクロスしてボールをキャッチすると次に投げる際、相手に三歩接近して投げる事ができる。
ほぼ目の前から投球されるので相手は取ることが出来ず、大抵これで勝負が付く。
 片手で補給するとそのまま片手で速球を投げるルールもあったとおもう。

以上、08/09/24号『王様殺し』より要約し引用。

■結果と傾向

 ここでは雑感を述べておく。
寄せられたデータは一覧表にしたのでそちらをご覧頂きたい。

クリックすると大きく見えます
 王様殺し集計結果

■地域と呼び名

 西は京都府、東は東京都まで、ほぼ同じルールの球技が呼び名を変えて存在した。

  • 山梨県 … 大様殺し(おおさまごろし)
  • 東京都 … 天下(テンカ、てんか)、セッチ(せっち)
  • 神奈川県 … セッチ(せっち)
  • 京都府 … 股投げ(またなげ)

 岐阜県からも一件、名称は忘れたが近いルールの遊びをしたと情報が寄せられた。
東京都は『セッチ』と『テンカ』二通りの呼び方があるのが興味深い。

■年齢層

 年齢層は、1953年(昭和28年)から、1978年(昭和53年)生まれの方まで、広いレンジから情報が寄せられた。
 戦後、物資の乏しい時代に現れ、インベーダーゲームが登場する1978年頃姿を消す。
子供の遊びの変遷を象徴的に表ているとはいえないだろうか。などと、評論家っぽい事を言ってみる。

■継続して情報を集めよう

 球技“王様殺し”の情報提供はひとまず落ち着いています。
しかし、まだ締め切ってはいません。これを種に、引き続き情報を増強していきたいと思います。

 王様殺し、セッチ、テンカ、股投げ、で遊んだ人、メールください。



AC(Alcohol Control)(10/02/06)

 長いこと習慣になり、僕の睡眠の質を低下させていた寝酒を、ついに止める事ができた。
あからさまに宣言すると失敗した時、落胆するので公言はしなかった。

 寝酒をやめたくらいで何だ!?自分も毎日飲んでいる。記事にするほどのことも無かろう。
…多くの人はそう思うに違いない。
ところが僕の場合は一線を越えてしまった。

 もともと寝つきが悪く、睡眠薬代わりに焼酎の水割りを飲んで寝るのを習慣にしていた。
毎日寝る前に歯を磨くのと同じだ。

 しかし、ここ数年で飲む量が増大。
酒が切れると、雨の降る深夜でもコンビニに買いにいく始末。
飲みすぎて翌朝に残る事もしばしば。寝酒で二日酔いという笑えない事もあった。

 アルコール依存症…

そんな言葉が脳裏をよぎる。

 これはナントカせねば。飲酒量が増えるに従い思いは強くなった。
しかしなかなか断酒実行へ踏み切れない。
『明日から、ダメならまた明日から』…何ヶ月も何年もその繰り返しが続いた。

 止める切欠になったのは、健康上の理由もあったが、妻が発した何気ない一言が大きかった。

 『お酒止めればそのお金で自転車の部品を買えるのにねぇ』

 趣味に関わる物の購入は僕のなけなしの小遣いから出ている。
酒も、家族で誰も飲まないので同様。
安酒とは言え、飲む量が増大するに伴い、僕の資産を食い潰していった。
当然、他の愉しみの投資にしわ寄せが来る。

 そもそも、寝酒のメリットはなんだ?

 飲んで気持ちがいいのはその時だけ。
寝入りには良いが睡眠の質を著しく低下させる。
夜トイレに起きるので眠りは浅くなり寝起きは悪い。
酒の量に比例し軽い鬱状態。胸もムカムカ具合が悪い。
健康診断のγ-GDPと尿酸値は基準を越えている。
そして、増大する“固定費”として君臨する酒代。

 何の生産性も無い。何一つ良い事はない。
メリットなど無い。心身を蝕む事に金を掛けているようなものだ。

 そして去年暮れ、妻の言葉を切欠に寝酒中断を決行。
外部での飲み会と、家では正月に少々飲んだが、寝る手段としての酒は完全に止めることができた。
無ければ無いで気にならない。お付き合いではこれまで通り飲む。すなわちアルコールをコントロールできる体(頭?)になった。

 じゃあ寝る時はどうしている?酒がないと眠れないんじゃないの?

 そう。最初の3〜4日は眠りに入りにくい。
だが僕はこんな方法をとった。
ごく小さい音でラジオを鳴らし気を紛らわせながら布団に入る。すると知らぬ間に眠りにつける。
寝入りには気を紛らわす程度の“軽い集中”が良いみたいだ。
この時、ラジオはタイマーで電源が切れるようにしておくと良い。 あと、ガチャガチャする民放よりしっとり落ち着いた語りのNHKを勧める。

 雨降る夜中に酒を買いに家を出るなんてバカなことはもうない。
夜トイレに起きる事もなく、朝のムカツキもない。深い眠りがもたらす爽快感。
いまでこそ日常となった事だが、家飲みを止た当初、この感覚は本当に久しぶりだった。
朝の食事も格段に美味しい。

 財政面でもゆとりが…
酒代が発生しないので毎月金が余ってしょうがない。
…とまではいかないが、酒代はそのまま建設的で有意義なことに充てている。
妻の何気ない一言に感謝している。

 思えばこれまで酒に悩まされてきたな。
酒の記事を書くのはこれが最後だろう。人生の次のステージに行けた気がする。

  ― 参照 ―
 07/11/25号:酒よさらば
 05/05/01号:酒との決別
 04/05/09号:酔い覚め



歯切れの良い文章(09/11/12)

 それまでプロによって書かれてきた文章を読むことがほとんどだったが、インターネットの普及によりプロ以外、つまり素人の書く文章を読む機会が増えてきた。
中にはプロ顔負けの文章を書く人もいるが、全体から見れば小数。

 書く側としては、どうせ公開するなら少しでも良質な文章を目指したい。しかし、文才は一朝一夕には向上しない。

 だが、ちょっとしたコツ、〜ある語句を使用しないこと〜で、文の歯切れがよくなり、結果良質な文章に近づけることを発見した。
 その語句は、口癖で言う『えっと…』とか、『あのー』などのように無意識に使ってしまい易く、それでいて主張をぼやかせてしまう害がある。口癖ならぬ“書き癖”に陥り易い語句。

 かく言う僕自身、つい最近まで“書き癖”になっていてこれらを多用。9年以上、質の悪い文章を公開していた。

 サイト管理者のみならず、文章を発信する人には参考にしていただきたい。

■不必要な副詞

 素人っぽい文章の一つに、“読んでいて歯切れが悪く、どこか違和感を覚える文章”がある。
中でも、映画や料理など“何かについて感想を述べた文”。ブログで多く見る。
(今回の気付きを得たのも某グルメ系ブログである)

 何が歯切れを悪くしているのか?こうした文章には共通した特徴がある。

 それは、『けっこう』『かなり』『割りと』など…これらの副詞を多用しているという事。

 例えばこんな記述をよく見る。

 ・『この店の餃子はけっこう美味しい』
 ・『かなり分厚く切られたチャーシューが載っている』
 ・『店内は割りと衛生的で…』

 それぞれ、なぜ『美味しい』と言い切れないのか?なぜ『分厚く切られた』と言い切れないのか?違和感を感じないか?

 断言を避け、尚且つ上から物を言っている感じがし(評価目線)、読んでいて『お前何様だよ』みたいな感情を覚える。
 さらに、これらの副詞を付加すると、“漠然とした他との比較”という作業が加わった事を相手に感じさせ『お前にその資格があるの?』という感情を引き出させてしまう。

 昔、友人が好意を寄せている女の子に、
『××ちゃん、けっこうカワイイね』と言ったら、
『アンタに言われたくない』と切り返され、その後相手にしてもらえなくなった事がある。
バカである。言うのだったら『キミ、カワイイね』でいいのだ。“けっこう”は余計。

 もしご自身のサイトをお持ちなら、これら副詞を検索してみてください。
外しても文のつながりに問題が無い(=要らない)ばかりか、主張がボヤけず伝わりやすくなるはず。歯切れも良くなる。手軽にサイトの出来が向上する事請け合いである。
 言葉にも文章にもこれらの副詞は不要。これを機会に意識的に使わないことをお試しいただきたい。
ただし、僕のように“書き癖”になっていると、抜くのはかなり難しいと思う。

 試しに僕のコラム内で検索してみると…多用しすぎていてイヤになった。最悪だ。
…こっそり消すとしようか。



窓ガラスのへのへのもへじ(09/09/15)

 ここ数日間同じ曲が頭の中でエンドレスで流れている。

 遠い昔、深夜放送を聞きながら勉強していたある日、ふいに流れてきた女性デュオの歌に思わず意識が集中した。

♪ぐーうぜん ああたぁ さぁーかみちでぇー あなたーいきなりぃー
♪ぼくんち とおくへ ひぃこすよぉてぇー へいきなかおでーえーぇー

『おぉ!なんていい曲なんだ。』

 当時軸足がニューミュージックからHR/HMに完全に移っていた僕だったが、じっくり、そしてしんみり最後まで耳を傾けてしまった。

 その曲とは、
“窓ガラスのへのへのもへじ”。歌うのは“さそり座”という女性デュオグループ。
ヤマハのポップコンで入賞したと言う。

 翌日、甲府駅北口の(当時あった)ダイイチファミリコまでシングルを買いに行った。そして、部屋に戻って何回も聴いた。

 好意を寄せている男子に対して、分かれの際でさえ素直になれなかった女の子の心情を、美しいメロディーとハーモニーに乗せて歌い上げている。
ストーリー性豊かな歌詞、卓越した作曲能力と歌唱力。全てが僕の琴線を掴んだ。
B面の“なぐさめのリイベ”もワルツ調の素敵な曲。

 ウォークマン用に編集したベストテープには、ブラックサバス、ライジングフォース、ホワイトスネイク等に紛れて“窓ガラスのへのへのもへじ”が入ることになった。
野獣たちの中にあどけない少女達を放つ…そんな感じだ。我ながら凄い組合せだと思った。

 少女と書いた。…そう。驚くべき事に彼女たちはなんと中学2年生(当時)と言うではないか!
中学生で既にこの作詞作曲能力。一体この先どんな進化を遂げていくのだろう。大いに期待を抱く。
次のシングル、そしてアルバムの発売が待たれる。

 ところがその曲以降後、彼女たちの新作を耳にする事は出来なかった。
学業が忙しくなり活動停止か?
 今みたいにインターネットなどなく、情報収集の手段といえば音楽誌だが、僕が購読していたBURRN!に彼女たちの記事が載るワケも無く、(レコード会社に電話して訊けばよかったがそういう知恵が無かった。)いつしかさそり座の存在は記憶からフェードアウトしていった。

 …あれから24年たった先日、不意に彼女たちの事を思い出し、インターネットで検索してみた。
すると、いろいろ出てきた。
“…へのへのもへじ”の後も地道に曲を発表。グループ名をSWAYに変えて活動していたが、現在はメンバーの結婚などで現在は休止中とのこと。

 久しぶりに“…へのへのもへじ”聴いて見ようと、レコードを探したが見つからない。必ずどこかにあるのだが、度重なる引越しで奥にしまい込んでしまったみたいだ。
でも幸いな事に、Youtubeで聴くことができる。
(脱線するが、僕のインターネット利用はYoutubeとWikipediaで大方済んでしまう。)

 改めて聴いてみると、本当に素晴らしい曲ということを再認識する。今こういう曲を歌う人っていないよね。

Youtubeで聴く窓ガラスのへのへのもへじ
 Youtubeで聴く窓ガラスのへのへのもへじ

ファンサイト:http://www.geocities.co.jp/MusicStar-Bass/9901/sway-list.html
公式サイト:http://www.outdex.net/sway/

 体調不良もあってか、不完全燃焼のまま夏が終わり秋。
感傷的になっているこんなときに聴いていると、いろいろあったけどあの頃に戻りたいな〜。なんて、つい思い出してしまう。

 彼女達の曲は、これ以外にも一部CD化され入手困難ではあるが市場に出回っているらしい。アルバムも発表している。24年の時を経て彼女達の作品、僕が知る事の出来なかった“その後のさそり座”を集め聴いたみたいと思う。




これ以前のものはバックナンバーをどうぞ!

ご連絡はこちら:fdmc@yahoo.co.jp


137151+Counter