永和信用金庫の和解勧告拒否

預金債権請求事件

56年11月16日
一連の不法行為による損害回復のために永和信用金庫を提訴

4年6ヶ月、25回の裁判で、裁判長からの和解勧告に対し、
永和側は拒否の意思表示をした。
26回目の裁判の時には、谷口弁護士は辞任していた。

裁判長が和解勧告を提示することは、永和に落ち度があると認めたものだと
推察できるが、 それを拒否したということは永和には勝算があったからだろう。
谷口弁護士が辞任したので、後任の弁護士を依頼したときに判明したのだが、
私の裁判で提出していた準備書面はでたらめなもので、訴因も不適切だった。
一方永和の出した証拠書類は、これも後に判明したが、ことごとく改竄したもので、
裁判は永和の予想通りの結果になった。

永和に預けていた私の金員が無くなったことは紛れもない事実なので、
谷口弁護士の事務所に何度も抗議に訪れ、暴力事件をおこしたが、
それに対して谷口弁護士が私を慰謝料請求の告訴をした。
しかし、この裁判の結果は、谷口側からの提案による和解で、300万円を私に
支払う
というものだった。

また、谷口弁護士を私に紹介し、私の知らないところで永和をいろいろ調べていた、
友人であった村上博志も、村上自身が提訴した裁判で私に300万円を支払うという
和解をした。

300万円という金額は今でも大金だが、当時、それを私に支払ったということは、
それ以上のものを永和から受け取っていたと考えるのは、至極当然だと思う。

この事実をもって、道義的責任を求め、永和信用金庫に談判に行ったが、当初は
応対していたが、担当者が次々変わり、訪問自体を拒否するようになり、最後は
私を挑発する言動を取り、うかつにもそれにのった私は刑事告訴された。

その後ホームページでこれらの経過を掲載し、また、毎月抗議のはがきを関係者に
送ってきたが、一切無視されてきた。ホームページを立ち上げた当初、元日弁連会長を
筆頭とした7名の弁護士連名の「警告書」も送られてきたが、その後は梨のつぶてだ。
「明らかに『名誉毀損』、『信用毀損』にあたるので直ちにホームページを閉鎖しなさい。
応じない場合は刑事告訴を含む法的手段をとる」との内容だったが、ただの脅しだった。

相手方の依頼弁護士を抱き込んだり、大物弁護士を使って脅したり、反省の色を
まったく見せない永和信用金庫を、これからも追及していきます。


永和信用金庫は谷口、村上と裏取引をし、勝算があるので「和解の意思はない」と拒否した。