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永和信用金庫(本店)に行った顛末

            

                     大阪市生野区新今里7丁目12番17号
吉川真二 こと 文 京大

平成13年5月22日

 私は,永和信用金庫(巽支店)の不正行為事件で悩んでいたところ友人が昭和49年11月ころに紹介してくれたのが村上博志(以下「村上」という。)であります。
 村上の紹介で谷口光雄弁護士(以下「谷口弁護士」という。)を知り,金庫(巽支店)の不正事件を依頼しました。
 谷口弁護士に事件を依頼する前に村上が東京と大阪で会社倒産に絡んでの被告である村上の代理人弁護士が谷口弁護士であることは平成5年5月1日に村上の自宅へ行き問い詰めた話をするまで知りませんでした。この時に村上との会話を録音しました録音テープ反訳速記録を考察しても私の代理人である谷口弁護士及び村上は、策謀して永和信用金庫と結託していたからこそ谷口弁護士は、次の通り不正を行った。
 @、谷口弁護士が作成しました告訴状、民亊訴状,準備書面等を考察しても,表面上だけの仕事を行い私から頼まれた仕事を故意に怠る。
 A、村上が幾多も勝手に金庫へ行き金庫の不正を調査したことを私に報告する義務があるにも拘らず谷口弁護士と村上は,金庫と結託していたので私に報告しないで私の利益に反する言動と行動を行った。
 B、平成10年4月末日から同年9月末頃までの間,前後30数回、谷口弁護士事務所に行き私は谷口弁護士に「村上が永和信用金庫(以下「金庫」という。)から受領した裏金を金庫に返金するか或いは私に渡せ。」と問い糺していたところ、谷口弁護士は「村上と相談する」と答えました。
 暫くして谷口弁護士と村上の代理人弁護士が「裁判所から訴状が届いたら訴訟のなかで和解してほしい」と言うのでした。

私は,前訴の代理人弁護士藤原猛爾に相談した結果,平成10年11月30日に谷口弁護士及び村上と裁判上の和解をしました。
 谷口弁護士及び村上から高い金額である各金300万円を受領する和解をしたことで両名が金庫と結託していたことを確信したのです。
 そして,金庫本店へ行き金庫職員の不正な事務処理についての釈明と謝罪を求めに行きました。

 《金庫本店に行った顛末》

  平成11年1月27日(水)午後1時,2階応接室
昭和50年1月21日に谷口弁護士の指示で村上と知人の安東日明(以下「安東」という。)との三人で金庫巽支店にいきました。
 「谷肇」店長に取引資料の控の提出を依頼すると谷店長が「某組をバックに西成区の売春婦を相手にして,頼母子講で金を集め、金を貸して金が膨らみそれで浪速区に本店を置き今の永和信用金庫が発足した。」と某組の名前までだして私を金庫巽支店に紹介した杉山常好(以下「杉山」という。」と結託した金庫の不法行為を隠蔽する為に威圧を与える言動で資料の提出を拒否されました。
 帰りに谷口弁護士事務所に三人で行き谷店長が資料提出を拒絶した言動を説明すると谷口弁護士が明日、金庫本店に行くことを指示するのでした。
 三人で金庫本店に行き,田中常務理事と面談しまし。田中常務理事に金庫巽支店長の谷が言明したことを説明し、私との取 引資料の提出の確約をしました。そして、昭和50年2月27日に金庫巽支店で審査課長、五十棲義明(以下「五十棲」という。)及び管理課、森田実と村上、安東を交えて会談しました。
 この時に五十棲と森田の両名が「元帳をコピーして渡したら早く渡せたけれど吉川さんの取引状態が良く分からないので,いろいろ伝票をひっくりかえして資料を作成した。調べて貰って一つでも、おかしい箇所があれば全責任を負う。」と説明を受けました。
 この日に提出を受けた資料が手書きの改竄された割引手形,手形貸付,代手(預り手形)等の一覧表であります。
 そして,五十棲に前記の経緯を説明して面談しました。五十棲は「森田氏は退職している」とのことでした。
 前記の割引手形一覧表と手形貸付一覧表を五十棲に見せて私は「誰が一覧表を作成したのか」と問うと、五十棲「森田と二人だけで作成した資料を昭和50年2月27日に渡したが手書きなので間違っているところを手直しをして渡しました。」と返答しました。
 五十棲と森田の筆跡の違う割引手形一覧表を見せて「誰が作成したのか」と問うと「割引手形一覧表は,48年度も作成したが谷口弁護士が証拠を有利にする為に谷口弁護士が作成した一覧表と差し替えている」と名言しました。
  私が「49年度の割引手形一覧表は、何を見て作成したのか」と問うと五十棲は「元帳を見て作成した」と弁明するので,私は「手書の一覧表を作成しないで元帳の写しを提出してくれたら良いのと違うか」と問いましたが、五十棲からの返答はありませんでした。
 私が「提出を受けた一覧表を調査して,おかしい箇所があれば全責任を負うと名言していたが、どの様に対処するのか」と問うと五十棲は「上司の返答を聞く。」との事で,1月29日午後1時に会うことになりました。

  平成11年1月29日1時、2階応接室

五十棲と会話をしようとしたところ,五十棲が「今後は業務部副部長、金澤繁彦(以下「金澤」という。)が責任を持って調査してくれると言って金澤を私に紹介して退席しました。
 金澤が「真実は一つである」と言うので。私も「真実は一つであるから違法な事務処理について聞きたい事があるので説明を求めに来ている」と告げました。
 金澤が「営業妨害で告訴したら,どの様にするのか」と威圧を与える様な言い方をするので怯むことなく,私は「手をたたいて喜ぶ」と返答し「私から訴訟を提訴することは、時効になっているので出来ないが最初に『法』を破ったのは金庫である」と言いました。

  平成11年2月1日(月)
 金澤に電話をする。
明日、午後1時に面談する約束をする。

  平成11年2月2日(火)午後1時,2階応接室 
 金澤が「吉川さん,話合いする事は無いので営業妨害で刑事告訴する。」との事でしたので話合はなりませんでした。

  平成11年2月3日(水)午後1時、2階応接室
 金澤に割引手形一覧表,割引手形返戻証明書、店長権限貸出資料書を見せて、金伊三雄振出人手形についての不正を問う。

 ○昭和50年2月27日に五十棲から提出を受けた割引手形一覧表では、金伊三雄振出人手形は、落込み決済になっています。
 しかし、昭和52年に提出を受けた割引依頼書及び受取書の有無を書いてある割引手形一覧表では、不渡り手形として処理されている。
 ○割引手形返戻証明書では、金伊三雄振出人手形は昭和48年3月7日に割引手形として扱われているが期日違いの別途の手形を割引手形として処理していますし,返却した様になっているが不法であります。
 ○谷店長は「割引手形は,無担保。」と証言していたにも拘らず違法に全訴の甲第112号証の担保差入書で定期預金150万円を差し入れられて悪用されています。
 ○前訴,乙,第30号証の店長権限貸出資料書では、担保として私とは関係の無い他人の定期証書または,口座預金を担保に差し入れた様になっているからしても、不正な店長権限貸出資料書であることは明白であります。
 ○金伊三雄振出人手形は,昭和48年5月30日に現金で買い戻しの扱いに処理されているが違法に6月15日に受取書無しで手形を返却した様になっています。
 しかし,谷店長は手形を返却するときは,返戻依頼書と受取書の両方が要ると証人尋問で証言していましたが返戻依頼書は私の筆跡ではありませんし、受取書も無い事からしても金庫の事務処理は違法であります。
 ○前訴、乙,第12号証の手形貸付元帳で村上の筆跡で加入してある手形貸付元帳は違法なので裁判途中で金庫代理人弁護士,吉田朝彦は村上の加入部分の箇所を全て削除して新たに手形貸付元帳を差し替えて提出しています。この事についても村上が金庫と結託していたことが判明するのです。
 また、このことについて金澤は「村上は個人的な欲で金庫を追いめる為に金庫の資料を作成しに出入りしていたと推測やけれど思う。」と明言していました。
 前記の様に事務処理の違法を詳細に説明すると、金澤は「吉川さんの話を聞いたら吉川さんの味方になる気持ちである。」と明言しました。

  平成11年2月8日(月)午後1時、2階応接室
 金澤と面談する。 
当時の貸付担当の勝原史郎(以下「勝原」という。)は、証人尋問で第1事件の金額130万円の出金伝票は私から依頼されて代筆をしたと証言していましたが私からしましたら勝原に代筆を依頼した覚えが無い事からして平成7年12月14日鶴橋支店に行き勝原に面談して、出金伝票を見せて聞いたところ勝原の筆跡でないことが判明したので偽証していた事が明白になりました。(勝原の録音テープ反訳速記録と筆跡メモ)
勝原は私の印鑑を悪用して、杉山と仕組んで偽造文書を作成して手形 金相当額を着服していると金澤に説明すると、金澤は「勝原はペーペーなので上司の言うことに従ったまでや。」と弁解するので、私は「勝原は不正な事を始めから分かっていた筈や。」と言い返しました。
 私は、「杉山の紹介で金庫と取引を始めたのが間違いであった。」と説明する。
亀谷真佐ー振出人手形は手形貸付に処理されて定期預金の解約時に相殺されて決済しましたが私としては手形貸付で借用した覚えが無い事から、弁護士法第23条の第2項に基づき照会の件で回答を求めたところ金庫は「亀谷真佐ー振出人手形は貸出あるいは実行した形跡なし。」の回答からしても違法に処理されて手形金相当額120万円を着服されていた事を実証していると前記の資料を見せて説明しました。

  平成11年2月15日(月)午後1時、2階応接室
 金澤と面談する。
金澤といろいろと金庫の事務処理の違法行為を説明をしていましたら金澤は「道義的責任の問題やな。」と明言しました。

  平成11年2月18日(木)午後1時、2階応接室
 金澤と面談する。
私は金澤に資料を見せて、「信用金庫取引約定書と不動産担保の融資を受けた金銭消費貸借証書に杉山が、私の承諾を得ずに勝手に保証人になっているし証人尋問でも矛盾した証言をして偽証している事」の資料を見せて詳細に説明しました。
 また、杉山の不法行為をいろいろと説明すると、金澤は「谷店長と杉山を何故、追いこまなかったのか」と聞くので、私は「栃木県に住んでいる杉山の自宅に行って話をしたこともあるし、この時に杉山は「金庫と組まないと出来ない作業やな。」と明言していたと説明する。

  平成11年2月23日(火)午後1時、2階応接室
 金澤と面談する
 大山哲平振出人手形、金額 50万円、満期日昭和48年9月27日の約束手形の返還請求(第4事件)。
 水原正子振出人手形、金額100万円、満期日昭和48年10月1日の約束手形の返還請求(第5事件)。
 前記2通の末返還手形は、金庫が紛失(又は、盗難)していながら裁判所に対し、除権判決により権利の回復を求めるのが当然であるにもかかわらず怠ったのは金庫職員と杉山が共謀して行われた不法行為の発覚を恐れたので除権判決を故意に怠り私に手形金相当額の損害を蒙らせた。
 その上、時効消滅の判決を金庫は求めたので裁判所の偏った時効消滅の判決で私が敗訴しています。
  しかし、私が納得出来ないのは、金庫に預けてある前記2通の約束手形は金庫が紛失しているので金庫が裁判所に除権判決を求めて私に損害を与えないように保護するのが当然でありますし預金者の私が損害を蒙ることは無いと説明すると、金澤は「これだけでも金庫は敗訴する。」と明言しました。
 私は、前記Bに記載してある件を言った上、谷口弁護士と村上が債務不存在の訴訟の中で和解をしてほしいとの申し出で和解をしたことを説明すると、金澤が「吉川さんが谷口弁護士と村上に対して債務不存在で和解したような訴訟を提訴する事を上司に報告する。」と明言しました。

  平成11年2月24日(水)
 金庫に行く予定でありましたが、金澤に電話をして3月4日午後1時に面談することに変更する。

  平成11年3月4日(木)午後1時、2階応接室
 金澤及び五十棲の両名と面談する
○、私は五十棲に昭和50年2月27日に金庫巽支店の会議室で当時管理課森田実と五十棲から手書である一覧表資料の提出を受けた時に「元帳をコピーして渡したら早く渡せたけれど吉川さんの取引状態が良く分からないので、いろいろ伝票をひっくり返して資料を作成しました。調べて貰って一つでも、おかしい箇所があれば全責任を負う、と森田が言っていたが裁判敗訴後、新たに調査したが不正な事実が多くあるが、どの様に対処するのか。」と、五十棲に問うと「森田はそのような事言ってない、昭和50年2月27日に資料を渡してない。吉川さんが1月22日に本店へ行き資料の提出を求めた後、3日ぐらいで吉川さんに渡 した。」等と嘘ばかり言うのです。
○、平成11年1月27日に五十棲と面談をした時に「48年度も割引手形一覧表は作成したが谷口弁護士が証拠を有利にする為に谷口弁護士が作成した一覧表と差し替えている。」と明言していた事を確認すると、五十棲は「割引手形一覧表は49年度分を私から指示され作成したので48年度は作成していません。」と返答し、責任逃れな嘘を言うので私は金澤に「誰が作成したのか調べておくように告げました。
 しかし、48年度の割引手形一覧表は今だ誰が作成したのか判明していませんが、始めに五十棲が明言していた様に谷口弁護士が作成したと考察しています、何故なら谷口弁護士が作成したのなら金庫と結託していた事になるので五十棲は嘘の弁解をしたのです。
○、五十棲は「手形貸付と割引手形一覧表は、当初代金取立手形記入張を見て書いた、代金取立手形記入張が金庫の元帳である。」と明言しました。
 ところが問題の多い取引始めの昭和48年度の代金取立手形記入張は、金庫から提出を受けていません。
 昭和49年度の代金取立手形記入帳を調査したところ違法な事実が次の様に新たに判明しました。
  @記入日と取組日が違法である。
  A取扱日が不正である。
  B手形満期日が6月25日であるのに7月5日に取組まれている。
  C期日前に買い戻をしているのに新たに不正に組み戻にしている。
  D取立委任の手形を手形貸付扱いにしている。

前記の様に不正な代金取立手形記入帳の元帳であり、手形貸付及び割引手形一覧表が不正に手直しされている事は明白であります。
○、私は「割引元帳に赤字で書いてあるのは、何の為や」と問うと
五十棲が「割引元帳の赤字で取組みしたのは、残高を合わす為」と言訳をするのです。
 しかし、残高を合わす為に、同じ手形を期日違いの日付に再取組する必要はありませんし、取組んだのなら、その伝票が必要なのにありません。
 又、残高枚数も間違っていますし、元帳に追加記入は誰が記載したのか、と問いただしましたが調査しておくとの返答でありました。
○、五十棲が「割引手形は本店が保管していた。」と明言していましたが割引手形一覧表からしても、本店も杜撰な事務処理を行っていた事になります。
 面談が終わり、帰る間際に金澤と五十棲が、今後、私から面談を依頼されても会いませんと言うので私は筆跡鑑定をしてから会いに来ると告げて帰りました。
 そして、筆跡鑑定を依頼しましたが資料の筆跡種類が多いので特定するのは、難しいとの事で、途中で終わってしまいました。

  平成11年7月9日(金)午後1時、1階控室
 金澤と面談する
金澤が私と会って話をする事は出来ないと言いましたが、金澤が私と始めて会った時(平成11年1月29日)に私を営業妨害で告訴する事を検討すると言っていたので営業妨害で告訴しますと言いました。
 しかし、私は金庫代理人弁護士及び理事長に会わす事を問うと金澤が「1週間ほど待ってほしい、相談して連絡する。」とのことでしたので私の携帯番号を教えて連絡のあるのを待ちました。

  平成11年7月16日(金)午前11時40分頃
 金澤から電話があって金庫代理人弁護士から手紙を私に出すとの事なので私の住所を教えました。
金澤から手紙を送った時点で連絡するとの事なので連絡を待ちました。

  平成11年7月21日(水)
 金澤に電話をする。
金庫代理人弁護士から私に手紙を出すとの事であったが何時頃に手紙を出すのかと聞くと金澤が弁護士に早く手紙を出す様に伝えてあるとの事で私は今週いっぱい、待っていると告げる。

  平成11年7月28日(水)
 金庫代理人弁護士から手紙が来ないので電話をすると金澤が金庫代理人弁護士に私から直に電話をする事を言ったので電話をしたところ、金庫代理人弁護士、中村泰雄「以下「中村弁護士」という。)が「手紙は来週中に送達する」との事でした。

  平成11年8月6日(金)
 中村弁護士から「金庫へ行ったら住居侵入罪,不退去罪で告訴する」との内容証明が送達されて来ました。

  平成11年8月9日(月)午後1時、1階控室
 金澤と面談する
中村弁護士から送達して来た内容証明書を金澤に見せて私は「代理人弁護士から手紙を出すとの事であったが何の通告書や,私は確定判決を覆す為に金庫に来ているのではない,金庫の違法な事務処理の社会的道義的責任を問う為に来ているのだ。」と文句を言いました。
○、金澤に金庫を退職して愛媛県松山市来住町1453−3に帰っている檜垣安紀(元支店長代理)と松山空港ロビーの喫茶店で昭和61年9月8日に安東を交えて会い,檜垣が次のとおり明言したことを説明しました。
 (イ)、依頼返却の手形全部が吉川さんの依頼で返却したのではない、金庫内部の便宜上、依頼返却する場合もあった。
 (ロ)、手形期日前に吉川さんの承諾なしに受付窓口金庫職員が依頼返却をしていたので受付者の職員も悪い。
 (ハ)、杉山に返却した手形は手形期日までに返済すれば良い。

 …等と明言しました。

しかし、返却した者が手形を返済しなかったら私が損害を蒙ります。
例,金伊三雄振出人手形期日,昭和48年5月30日、金額50万円。
例,金伊三雄振出人手形期日、昭和48年6月15日,金額50万円。
例,古本冶三振出人手形期日、昭和48年5月 5日,金額50万円。
前記,金伊三雄振出人手形は割引手形一覧表では,不渡り,現金で買戻しと記載されています。
 しかしながら、私は杉山から依頼返却を頼まれた事もありません。
昭和50年11月23日に金伊三雄と会い手形の事について問うと金伊三雄は「杉山が不渡手形2通の合計金額100万円の取立に来たので現金で支払い不渡手形は返してもらった。」と明言していました。
金伊三雄は民亊訴訟の裁判においての証人尋問でも「杉山が手形を持参して取立に来たので月賦で支払った。」と証言しています。
 ところが杉山は証人尋問「手形を持たずに金伊三雄の自宅へ取立に行ったが,お金は貰って無い。」と偽証しています。
 杉山が偽証している事は事実であるからしても谷店長を始めとして金庫職員は杉山と仕組んで私の取引印鑑を悪用して必要書類を作成し、手形金相当額を着服しています。
 更に金庫職員が私の承諾を得ないで勝手に手形を杉山に渡していた事を説明しました。
○、谷口弁護士及び村上と裁判上で和解しました調書を見せて話をする。村上が金庫に調査目的で出入りして金庫職員と杉山の仕組んだ、不法行為を分かったので谷口弁護士と策謀して金庫と結託したので、谷口弁護士は表面上だけの仕事を行っていたからこそ谷口弁護士と村上の代理人弁護士から裁判上の和解を頼まれたので和解をしたと説明する。
○、金伊三雄振出人手形の出金伝票の件で藤原弁護士の尋問に対して勝原は「吉川から頼まれて代筆した。」と証言していました。
 しかし私は代筆を依頼した覚えはないので裁判敗訴後の平成7年12月4日金庫鶴橋支店へ行き勝原に会い私の名前の吉川真二と文字を書かせたところ出金伝票の筆跡と全く違うので、問いただすと「自分(勝原)の筆跡でないし、自分が書いてない。」と明言しましたので裁判での証言が偽証であったことを説明すると金澤は勝原に聞いておくとの返答でした。
○、 帰り間際に金澤は「告訴するについても今日一回では警察に説明できない。」と言うので私は「告訴する、しないは、そっちの勝手や明日からも来るから」と言って帰りました。

   平成11年8月10日(火)午後1時、受付
受付で金澤に面談を求めると金澤の部下である榮敏貴が応対に出て「金澤は会いません、帰ってください。」と言いましたが私は受付けの横にありますエレベータ前の椅子に座っていると、榮が、「帰ってください、帰らないなら警察を呼びますよ。」言いました。
 私は「警察を呼ぶなら呼べ。」と言い返しました。
浪速警察が来て浪速署に連行されて北村刑事に取調べを受けました。私は金庫代理人弁護士からの通告書と谷口弁護士及び村上と和解した和解調書を見せて話をしました。
 私は「通告書の中で書いてある判決に対して不服は無い、裁判敗訴後いろいろと調査したところ金庫職員と杉山が仕組んだ不法行為、そして谷口弁護士と村上が金庫と結託して裏取引を行い、私に損害を蒙らせたので各自から金300万円づつ和解金を私に支払ったと確信しているので社会通念上、許す事が出来ないので金庫に道義的責任の追及に行っている事を詳細に説明をしました。
 北村刑事は「吉川は、なにも悪い事はしてないので帰りなさい、今日は金庫に行くな。」と言われましたので金庫へ行く時間は十分にありましたが金庫には行きませんでした。
 しかし、私は北村刑事に「明日からも金庫へ行く。」と言いました。

  平成11年8月11日(水)
 榮から午前10時ごろに電話がある。
金澤は、1日中、会議なので来庫しても引きとって貰うだけの事と言ってましたが私は、午後1時に金庫へ行き受付で金澤に面談を求めましたが榮が応対に出て金澤は会いませんとのことでした。

  平成11年8月12日 
 榮に電話をする
今日、金庫に行くつもりでいたが私用が出来たので行けない事を告げて、明日午後1時に行く事を告げる。

  平成11年8月13日(金)午後1時、受付
 金澤と面談する
金澤が中村弁護士は盆休みなので8月16日か8月17日に吉川さんに連絡するとのことでしたので私は8月18日に金庫に来るからと言いました。

   平成11年8月18日(水)午後1時、受付
 受付で金澤に面会を求めましたが、榮が応対する。
榮が、浪速警察は事件として受けてくれないので裁判所に仮処分をしてから告訴するとの事を言いましたので私は榮と話をしても仕方ないので帰って来ました。

  平成11年8月19日(木)午後1時、受付
受付で金澤に面会を求めるが榮が応対に出る。榮が明日来てくれたら刑事告訴をするとの事なので私は明日午後1時に来ると告げる。

  平成11年8月20日(金)午後1時、受付
 受付で金澤に面会をもとめるが、榮が応対に出る。
榮が「警察を呼びますよ。」と言いますので私は「呼ぶなら呼べ。」と言い返 しました。
浪速警察が来て警察官が次の様にアドバイスしてくれました。
○、金庫は中村弁護士に委託しているので文書で回答を求める方法
○、金庫に来ても話は進まないので私の代理人弁護士と金庫代理人弁護士と話をする方法。

○、私の代理人弁護士が駄目なら新たに代理人弁護士を選任して話をする方法。
 等を教えてくれました。

  平成11年8月25日(水)午前10時30分
 藤原弁護士と会い、前記8月20日の件について説明して相談した結果、私が直に金庫と話をする方が良いとの事でした。

  平成11年8月31日(火)
 金澤に電話をする
金澤に「私は明日、中村弁護士に会いに行くので金澤さんから中村弁護士に明日行くからと伝えてほしい。」って頼みました。
 暫くして金澤から電話があり「吉川さんが中村弁護士事務所へ行く前に中村弁護士に電話をしてから行く様に」との事でした。

  平成11年9月1日(水)午前11時30分頃
 中村弁護士に電話で、「先生と会って話合いをしたいので明日、午後1時に事務所に行きますが、よろしいでしょうか。」と言ったところ中村弁護士が「再審手続でもしなさい。」と言ったので、私は「時効になっている」と返答すると中村弁護士が「日本は法治国家である、裁判で勝訴しているので貴方に会う必要はない。」と言われました。
 しかし私は「裁判に勝つ為に金庫は杉山、谷口弁護士、村上等と仕組んで裏でどの様な事を行っても良いのか、通告書の通り告訴するなら告訴する様に。」と返答すると、中村弁護士が「告訴する、しないは、こちらの勝手や、貴方一人で悪い事をして捕まりなさい。」と弁護士らしくない事を言われました。
 そして私は金澤に電話を入れて中村弁護士と話合いに、ならなかった事の報告をしました。 また、金澤に明日午後1時に金庫へ行く約束をしました。

  平成11年9月2日(木)午前11時頃
 金澤から電話が有って、中村弁護士に裁判所を通じて告訴手続をしているとの話でした。
私は「裁判所にどの様な手続をしているか知らないが来週一杯ではっきりした結果が出なければ次の週から金庫へ行くこと」を告げました。

  平成11年9月13日(月)午後1時、受付
 受付で金澤に面談を求めたところ、榮が応対に出て話をしていたところ金澤から電話がありました。
 金澤が「裁判所から告訴すると言っていたが今月末までに浪速警察から告訴する。」との事でした。

  平成11年9月14日(火)午後1時、1階受付
 金澤と面談する。
金澤は9月末日までに浪速警察に告訴するとの事でした。
私の上申書を渡す。
9月20日に上申書に書いてある内容についての件を説明する事になる。

  平成11年9月20日(月)
 金澤の代理で電話が有る。
金澤は今日と明日は会うことは駄目との事で9月22日に金庫へ行くことになる。

  平成11年9月22日(水)午後1時、1階控室
 金澤と面談する。
金澤に上申書の添付書類である割引手形一覧表、手形貸付一覧表および取立手形一覧表等を渡す。
金澤の名刺の裏に受取書を書いてもらう。
金澤に金庫から資料の提出を受けた経緯を説明する。
○、村上の紹介で谷口弁護士に金庫の不正事件を依頼した件について。
○、谷口弁護士の指示で、私一人で昭和50年1月10日頃から18日頃まで金庫へ行き谷店長から受け取った資料に金庫と杉山との取引手形であるにもかかわらず私の一覧表に杉山の手形(金本光寿、野山菊敏、安田勝喜)が不正に私の取引手形として扱われている資料について。
○、谷口弁護士の指示で昭和50年1月21日に村上と安東の三人で金庫巽支店へ行き調査した上、谷店長に元帳の写し(コピー)の提出をお願いしたところ、谷店長が、「某組をバックに西成区の売春婦を相手にして、頼母子講で金を集め、金を貸して金が膨らみ、それで浪速区に本店を置き今の永和信用金庫が発足した。」とヤクザの名前まで出して、杉山と結託した金庫の不法行為を隠蔽する為に威圧を与える言動で資料の提出を拒絶された件について。

○、谷店長から資料の提出を拒絶されたので谷口弁護士の指示で昭和50年1月22日に村上及び安東と三人で一緒に金庫本店へ行き田中常務理事と面談しました。
谷店長が言動した前記の事を説明して資料の提出を求めた件について。
○、昭和50年2月27日に金庫巽支店の会議室で本店から来店した管理課、森田実と審査課長、五十棲の二人と会談しました。
 谷店長,支店長代理の檜垣安紀,貸付担当の勝原、及び立岩正男、預金係の末益達行、他二人ほどが一同に起立して立てさせられていました。
○、森田が「元帳をコピーして渡したら早く渡せたけれども吉川さんの取引状態が良く分からないので、いろいろ伝票をひっくり返して資料を作成しました、調べて貰って一つでも,おかしい箇所があれば全責任を負います。」明言をしていた件について。
○、五十棲から手書の手直しをされた割引手形一覧表、手形貸付一覧表、代手(取立委任手形)一覧表を貰ったと説明すると、金澤が「手書の一覧表を作成して渡す事態おかしい、元帳をコピーしたら良い。」と元帳の杜撰なことを弁明しました。
 しかし、手書の一覧表を考察すると、金庫の元帳は不正であるからして手書で改竄した一覧表の資料を作成して提出した事が明白である件について。
○、金庫職員五名を詐欺事件で告訴をしていましたが、検察庁の検事から谷口弁護士に対して告訴状の手直しの指導があったにも拘らず放置し、その上、虚偽な証拠を並べ立てたので刑事告訴は不起訴になった事は告訴状の控を見ても一目瞭然に分かります。件について。
○、谷口弁護士に対しての、私の問書の中に「特に裏付けの取れている、金伊三雄振出人手形と古本冶三振出人手形を証拠として告訴しなかったのですか。」との質問に対して、谷口弁護士は「金伊三雄、古本冶三の手形は、最初は告訴事実にしていたが,右手形金相当額は何れも杉山常好が受領している事になつており金庫の犯罪とするには証拠が無いので担当検事の指示があり三回目の告訴状から省いた。」と回答書で回答している件について。
 しかし、平成11年8月19日に藤原弁護士に質問書と谷口弁護士からの回答書を見せて説明を求めたところ、不起訴理由は、手形金相当額を杉山常好が受領しているので杉山を詐欺、横領で告訴すべきであった、金庫職員五名を相手に業務横領の詐欺告訴でなく,私文書偽造、同行使で告訴すべきであった。不起訴になったが永和信用金庫は損害賠償の責任はある。と明言しました。
金庫職員と杉山の結託した不法行為及び谷口弁護士が私の利益に反する言動と行動を行っていた事実を藤原弁護士が前記の様に明言しました件等を金澤に説明しました。

  平成11年9月24日(金)午後1時、1階控室
 金澤と面談する
9月22日に金澤に渡した上申書と添付書類は上司に渡してあるとの返事でした。

昭和52年に提出を受けた借り入れ申込書と受取書の有無を書いてある一覧表は誰が作成したかと問うと、金澤は「石井(谷店長の後任店長)に確認するとの事でした。

  平成11年9月27日(月)午後1時,1階控室
 金澤と面談する
金澤が借入申込書及び受取書の有無を書いてある一覧表は金庫職員の前田が書いているとの事なので9月30日に会って確認する事になる。

  平成11年9月30日(木)午後1時、1階控室
 金澤及び前田と会う
前田に字を書かせたところ昭和52年に提出を受けた借入申込書と受取書の有無を書いてある一覧書は,前田の筆跡に似ている事を確認する。
 しかし,前田は昭和52年2月頃に巽支店に来た、そのころに元帳ではなく下書きを見て一覧表を作成したと言っていました。
 金澤に昭和50年2月27日に五十棲から提出を受けた一覧表は誰が作成したか調べておく事を告げました。
 金澤が10月12日までに調べておくとの事でしたので10月12日に面談する事になる。

  平成11年10月1日(金)
 金澤に電話をする。
乙,第12号証の手形貸付元帳に書き込んである手形振出人名は誰が書き込んだか10月12日までに調査する様に頼みました。
 しかし,私の調査では村上の筆跡であります。

  平成11年10月12日(火)午後1時,1階控室
 金澤と面会する。
金澤が浪速警察は私と金澤とが会っているとの事で刑事告訴は受理しないとの事なので明日以後は私と会わないと言いました。
 しかし昭和50年2月27日に五十棲から提出を受けた一覧表は誰が作成したかと問うと,「坂本が作成した。」と返答しましたので明日,午後1時に坂本と会い確認する事になる。

  平成11年10月13日(水)午後1時,1階控室
 金澤及び坂本と面談する。
昭和50年2月27日に五十棲から提出を受けた手形貸付一覧表と代手(取立委任手形)一覧表は坂本の筆跡と似ている事を確認する。
 しかし「なにを見て書いたのか」と問うと,坂本は「元帳を見て書いてない下書きを見て書いた」と言っていました。
 尚、昭和48年度の割引一覧表と甲第68号証(杉山の手形が3通、紛れ込んでいる資料)、甲第72号証(取立委任手形が割引扱いにされている資料)の確認はできませんでした。
○、普通口座元帳では私の取引印鑑は昭和50年3月17日に改印届を しているのです
 しかし,代金取立手形返戻書の受付印は坂本であるので私は坂本に「改印届を昭和50年3月17日にしているのに,改印届をする前の1月13日に印鑑を不正に使用しているが、どの様な事か」と問い糺すと坂本は「立岩正男から受付印を頼まれたので受付印を押したと」明言しました。私の筆跡ではありませんし、立岩の筆跡でありますので坂本に問い糺していたら不正な印鑑の扱いであったことを認めました。
 坂本が「話合いに来ているのか」と問うので、私は「道義的責任の話合いにきている」と言いました。
○、印鑑鑑定をした結果,印鑑が欠損している部分があって前後に金庫作成の伝票に印鑑を不正に使用されているので原本を見せて印鑑を悪用している事は明白であるからして金澤と坂本に問い糺しました。金澤は「吉川さんが金庫職員に印鑑を渡した時に金庫職員が勝手に、余分な伝票に前もって押印した伝票を持っていた。」と明言して私の印鑑を不正に悪用していた事を認めました。
○、金澤は金庫の事務処理の杜撰な事は認めましたが,「上司は吉川 さんの件に付いて、私(金澤)に対応することを押し付けている」と弁明しましたので,私は「金庫を舞台に行われた不法行為を一人でも多くの人に知って貰う為に、インターネットで世間の人に問う。」と告げました。
 更に金澤は私の建造物侵入罪の刑事裁判の証人尋問で金庫の違法な事務処理は認めています。

  平成11年10月14日(木)午後1時、受付
 金澤と面談する。
金澤が「裁判で勝訴しているので貴方と会う必要はない」と言うので文句を言っていたところ,浪速交番所の巡査が来て交番所に連行されるが実情を説明して「金庫に対して道義的責任の話合いに来ている。」といいました。
 巡査が「吉川は悪い事をしていないので今日は帰りなさい。」と言われて約1時間ぐらいで返されましたが、私は「明日も金庫に行く」事を言いました。

  平成11年10月15日(木)午後1時,受付
 受付で金澤に面談を求めましたが代理の金庫職員が「今日,弁護士を通じて間違い無く告訴している.」と言うので、私は「10月18日午後1時に来るから。」と告げました。

  平成11年10月18日(月)午後1時、受付
 代理の金庫職員が金澤は浪速警察署に事情説明に行っているので急用があるのなら北村刑事まで連絡をしてくれと言いました。
 北村刑事に電話をすると北村刑事は「金庫が侵入罪で告訴している。」と言うので、私は「明日,午前10時に出頭する。」ことを約束しました。

  平成11年10月19日(火)午前10時
 浪速警察に出頭する。
指紋及び顔写真をとられて在宅起訴の取り調べを受ける。
中村弁護士が8月10日の件で10月15日に告訴を受理する様にとの事情説明に来たとの事でした。

  平成11年10月21日(木)午前10時に出頭する
 北村刑事が「金庫は裁判でも事務処理の違法は認めている。」と言いましたので私は「裁判では認めてない、裁判で違法な事務処理を金庫が認めているのなら敗訴する事は無い」と説明しました。

  平成11年11月11日、11月12日、11月16日、11月19日と浪速警察署で取調べを受ける。

  平成11年12月16日と12月23日に検察庁の中山博晴検事の取調べを受ける。
 中山検事から略式裁判の罰金刑になると言われましたが、私は「裁判で反論したい事もあるので公訴する。」と返答しました。
 公訴する事について中山検事は、特例なことであると言っていました。 私としたら金庫は、金庫職員と杉山の不法行為、谷口弁護士と村上が金庫と結託して私の利益に反する仕事を行った言動と行動の不法行為を『もみ消す』為に浪速警察に建造物侵入罪で告訴したと思っています。私は金庫を舞台に行われた社会通念上,許されない不法行為を一人でも多くの人に知ってもらう為に公訴しました。

  平成11年12月29日(水)
大阪地方裁判所 第7刑事部から特別送達の書類が届く。

建造物侵入罪、平成11年(わ)第7059号。

  平成12年2月8日(火)午前10時40分
 第一回公判,602号法廷。

  平成12年3月9日(木)午後1時,受付。
 柳川博昭代理人弁護士(以下「柳川弁護士」という。)が、検察庁から裁判所に提出された記録を謄写してくれた中にあります金澤の供述調書及び添付資料6、吉川真二の顛末書を読んで見て金庫は初めから私と話合いする事は無く,中村弁護士と相談して私を挑発して私の印象を悪くして浪速警察署に刑事告訴をする事を企んでいた事が分かりました。
 私は金庫職員と杉山の仕組んだ私文書偽造,同行使,詐欺罪の不法行為は100%、確信しています。
 谷口弁護士と村上は金庫から、お金を貰って裏工作を行っていたからこそ私に損害を蒙らせる言動と行動を行っていたのです。 
 谷口弁護士及び村上と和解しましたが、両名は金庫と裏取引して結託して裏金を得ていたからこそ私に高い各自金300万円を支払ったと確信 しています。
 前記のような事なので私は金庫理事長の真意を確かめたく会って話合いをする為に金庫に行きました。
 受付で金澤を待っていたところ、金澤,榮、清水理事、他一人の計四名が一同に来て、その中の清水理事が私より大きな声で怒鳴りながら「何しに来たのか話する事は無い、すぐに帰れ、帰れ」と頭ごなしに言ったので私は腹が立ち互いに大きな声で口論になりました。
 清水理事が警察を呼べと他の三人に言うので私は「警察を呼ぶなら呼べや」と言い返して口論をしていたら浪速警察の刑事三人が来たのです。刑事が来ても清水理事が大きな声で「帰れ、帰れ、話をする事は無い」と言うので腹が立ち、清水理事のえり首を掴むと魚津刑事が間に入り、清水理事をこの場から離れさせたのです。
 魚津刑事は金庫理事長か金庫代理人弁護士と私の代理人弁護士が会って話をする方法のアドバイスを言ってくれました。
 魚津刑事が「今日は帰れ,吉川が金庫にいる間は自分たちも帰れないから」と言いますので受付に「理事長に会って話合いをしたいので私も弁護士と相談して私の方から電話をする事を伝えておいてほしい。」と魚津刑事と一緒に伝言をして帰ってきたのです。
 そして私は魚津刑事がアドバイスしてくれた件について柳川弁護士に相談した結果、柳川弁護士が金庫に電話連絡するとの事でした。

  平成12年3月13日(月)
 柳川弁護士から電話があり,金庫に電話をしたところ業務部の瀬川が「私と会って話合いをする事を上司と相談して柳川弁護士に連絡する」との話でしたので私は柳川弁護士からの連絡を待っていました。

  平成12年3月16日(木)
 私は魚津刑事の指示したとおり、代理人弁護士に相談して話合いを、する為に柳川弁護士から金庫に電話をしたにも拘らず、業務部の瀬川は「会って話合いをする必要はないし、理事長も会う事は無い。」との返事が柳川弁護士から電話がありました。

  平成12年3月17日(金)午後1時、受付 
 金庫理事長が私と話合いをするのか、しないのか真意を確かめたく金庫へ行き受付で理事長に面談を求めると、清水理事が頭ごなしの大きな声で「帰れ、帰れ何しに来たのか阿呆と話合いする事は無い、帰れ、帰れ。」と怒声を浴びせるのでした。
 横柄で余りにも人を見下す態度であったので私は腹が立ち清水理事の顔を1回、殴ったのです。
 清水理事が浪速警察に電話をしたので浪速警察が来て連行されました。取調べを魚津刑事からされましたが魚津刑事が「吉川は挑発に乗せられて傷害事件を起こしている。」と言っていました。

  平成12年4月13日から同年12月12日まで大阪拘置所在所
 拘置所に在所中に検察庁から裁判所に提出された村上の供述調書を柳川弁護士に取り寄せてもらい読んでみたところ村上は金庫と結託して私に損害を蒙らせた言動と行動を行っていたので嘘と偽りの理不尽極まる事ばかり供述している事が明白になりました。
 次の証拠書類を考察しても永和信用金庫を舞台に行われた不法行為は明白になります。
○村上の録音テープ反訳速記録 (平成5、5、1、付け)
○村上の供述調書 (平成12、2、23、付け)
○筆問書に対する谷口弁護士の回答書 (平成8、6、19付け)
○谷口弁護士に対する問書 (平成7、7、20、付け)
○谷口弁護士との和解調書 (平成10、11、30、付け)

○村上との和解調書 (平成10、11,30、付け)
○杉山の証人調書 (昭和63、1、19、付け)
○金伊三雄の証人調書 (昭和63、3、29、付け)
○金庫から提出を受けた改竄された資料

○勝原の録音テープ反訳速記録 (平成7、12、4、付け)及びメモ
勝原が偽証した第1事件の金130万円の出金伝票
○近畿財務局からの回答証 (事務処理の指導を受けている)
金庫職員と杉山常好、谷口光雄弁護士,村上博志らは嘘を嘘で塗り固めているので、ほころびが大きくなるのです。

                              以上。