事件の発端、杉山常好(金 常好)への質問書


質 問 書


 貴殿の同級生二人と今年になって会ったところ、貴殿が金庫職員と仕組んだあるまじき不正行為に深く介入しているにも拘らず、私と永和信用金庫とのトラブルの件で、貴殿の立場を正当化する為に貴殿のことを私が疑惑に思っていて誤解しているように、矛盾した言い訳をしているが、両名の話を聞き、私も体面があるので事実を知って貰う必要がある為に、これまでの貴殿の不審な言動と金庫職員と謀って行った違法行為に対してこの書面で貴殿に回答を求める次第である。
 尚、この質問書に書いてある事実関係は、貴殿に対して明白になっている事だけを記載している次第であるが、社会通念上、許されない不法行為である。貴殿が身の回りの人に私との件に関して矛盾した言い訳をするなら、この書面を先の二人に見せて検討して貰った上で、弁解したらどうかと思っている次第であるが詳細にご回答をお願いする。

平成7年11月27日
  
               大阪市生野区新今里7丁目12−17     吉川真二

栃木県宇都宮市駒生町
1209−30   杉山常好殿


杉山常好殿

一、永和信用金庫と取引を開始した経過
 1 母親が貧困な生活をしながらコツコツと貯めた金を私に託し、昭和48年4月15日に他界したが、貴殿に「どこか良い銀行知らんか」と聞いたところ、貴殿は「近所に新規にできた信用金庫がある。渉外の
山田というのが家に何回も来て取引してくれといわれて永和信用金庫と自分も取引している。」と言うようなことであったので好意に言ってくれたと思い取引した。
 2 昭和48年2月27日に貴殿と一緒に金庫へ行き、金庫応接室で、谷店長と支店長代理の檜垣安紀及び貸付担当の勝原史郎が応対し、谷店長のアドバイスで私と妻、母親、兄弟などの合計5名の名義で各150万円の定期預金750万円、通知預金150万円を預金した。
 資料を見ても明白であるが、この時に谷店長が「
吉川さんと取引できたので信用金庫約定書(乙第25号証の1)を姓名だけで良いから書いて下さい。」と言うので姓名のみを書いたのであって、金庫職員から貴殿の連帯保証人を求められたこともない。
 又、この時に貴殿は連帯保証人になって貰ったことはないし、依頼したこともない。
 貴殿は特に谷店長と初めから協議した上で、、連帯保証人になることによって利得があるからこそ仕組んで勝手に連帯保証人になっているのである。何故なら、私が金庫に持ち込んだ手形全部に対して金庫は帳簿(元帳、台帳)に保管していたので、後記(五、2のA、B、C)で檜垣の言明したことから判断しても、自由自在に手形を使用できるし、私の枠も流用できるからである。
質問@ 貴殿と、一緒に金庫へ行ったのはこの日が最初で最後であるのに右記の日にどの様にして3月7日付で保証人になったのか。
 貴殿の証人尋問では、このことに関しての証言は矛盾した証言で偽証していることは明らかである。弁護士の、私の連帯保証人になったかについての質問に対して貴殿は、「(保証人)頼まれたと言うたらおかしいな」と証言している。
質問A 私も貴殿に保証人になってくれと依頼したことはないのに何の為に保証人になっているのか。貴殿からしたら利得があったから勝手に保証人になっているとしか思われない。
 3 貴殿が連帯保証人になっている理由として私は、金庫との取引枠は手形貸付で定期預金の枠内で借入していたし、別に割引手形で300万円あったが、谷店長は証人裁判で「割引手形(枠)300万円は無担保」と証言している如く金庫に特別な枠を貰っていないし、貴殿は裁判で貴殿の「枠」は預金の2倍ぐらいあったと証言しているが、これ等を判断しても私の枠は、定期預金の担保内であったので私の枠は十分に余っているので、金庫職員と謀って私の口座で割引手形、手形貸付に取り組んでいた。
 4 金庫も、私が取引しているのに保証人が必要なら家族名義で定期預金しているので当初から貴殿に保証人になってもらう必要はなかった。
 定期預金を担保にして預金担保内で手形貸付をしているので私の妻であるアキ子が保証人になったら良いのである。
質問B 金庫と私との取引内容を弁護士の問いに貴殿は、「ある程度は分かりますね」と証言しているが、私から絶交している貴殿に取引内容を教えた事がないのに何故、分かるのか。
質問C 貴殿と金庫職員とは当初から私が金庫に持ち込んだ手形を勝手に取り組む為に、谷店長の指示をあおぎ仕組んでいたので私と金庫との取引内容が分かっていたからこそ、このような証言をしたとしか考えられないがどうか。

二、貴殿と絶交した原因
 1 金庫と取引したあとの昭和48年3月12日に「胆石」の病気で東成区の弘道会病院に入院した直後に、貴殿は、谷店長と一緒に見舞いに来てくれたのに、証人尋問で「入院したのも知らなかったんや」と嘘の証言をしているのは私が入院した当初から仕組んでいたので右記のような証言をした。
 2 入院中の4月初めに貴殿から紹介された石本こと金伊三雄氏に貴殿が、「
自分(貴殿)が保証するから10万円貸してやってほしい」と言うので口約束ではあったが金伊三雄氏に金を貸してやった。
 期限は、1週間であったが金を貸してやってから貴殿から連絡がないようになった。
 同年4月12日に私が退院すると同時に、貴殿の自宅に電話を入れて近所の喫茶店『ビアン』で待ち合わせをしたら貴殿は北村勉氏と一緒に来た。
 私が「金伊三雄氏に貸した金、どのようになっているのや」と言うと、貴殿は、責任感もなく私に「
自分が貸したんやから自分で取立てをするように」と無責任なことを言うので、口論になったのと違うか。北村氏が仲裁に入ったから話は納まったが貴殿の横柄な言葉で私が腹立ち貴殿に「お前とはこれで絶交や」と言って別れたのと違うか。
 貴殿とはこのことがあって絶交し、金伊三雄夫婦から月賦で金は私が取立てした。
 10万円の保証もできない貴殿が信用金庫約定書に連帯保証人になる器でもない。
 又、万一、貴殿が本当に保証人になっていたのなら私から貴殿と絶交したのに、私の性格からしてこの当時に金庫に申し出て貴殿の保証人を取り消す手続きをするし、貴殿の保証人が必要とするような取引をしていないはずである。

三、不動産担保で借入する。
 1 金庫職員の檜垣の進言もあって昭和49年10月16日に兄の所有である土地、建物を担保にして借入したのだが金銭消費貸借証書(乙第25号証の4)に貴殿が連帯保証人に印鑑証明を添付しないで連帯保証人に署名、捺印しているが金庫職員から貴殿の保証人を求められたこともないし、まして絶交している貴殿に私の気性からしても保証人になってくれと頼むこともない。
 2 同年10月25日に谷店長の進言で兄の文京植名義で追加分として借入したが金銭消費貸借証書(甲第108号証)で私が連帯保証人になっている。
 これからしても、何も貴殿に保証人になって貰うことはない。
 私名義で借入した分は担保提供者の兄が連帯保証人になったら良いのである。
 3 貴殿が大阪にいなかったのでM氏に「貴殿と連絡が取れたら会わしてほしい」と依頼していたところ昭和54年4月23日にM氏から電話があって「杉山といるから来るように」とのことで生野区小路町の喫茶・スナックに行った。
 貴殿に私が「兄の不動産担保で永和信用金庫から借入したが金銭消費貸借証書に何でお前が連帯保証人になっているのや、俺は絶交中のお前に連帯保証人になって貰ったことはない」と言った。
 貴殿は「
保証人になったる義理もないし、自分(吉川)みたいに印鑑は粗末にしない」と言明していた。
 この時に他の件も種々と質問するつもりでいたがその前に右記の件で口論になったがM氏が仲裁に入り話はおさまったのとちがうか。
 確かに金庫との取引で金庫職員を全面的に信用していたので言われるがままに印鑑を渡したことが数回あった。
 金庫職員は、私の印鑑を悪用し、悪事を働いていたが、貴殿は、俺が印鑑を粗末にしていたのを知っていたからこそ右記のような供述をした。
 4 前もって私から貴殿に電話を入れて昭和59年7月19日に、貴殿と東京で会ったときにも私の問いに貴殿は、「
不動産担保で借入した時の連帯保証人になっていない。」と言明していた。
 また、昭和60年9月23日に安藤日明と実弟が東京で貴殿と会ったときも「不動産担保の連帯保証人になっているのか」の問いに貴殿は、「保証人になんかなっていない」と明言していることを忘れているのと違うか。(録音テープ甲118号証)
 5 谷店長と檜垣は、証人尋問で「
杉山は保証人になっている」と証言しているが、偽証している。
 金銭消費貸借証書を見ても、一目瞭然に分かるが私の承諾を得ず、勝手に住所、署名、捺印して貴殿が後で付け加えて記載していることが分かるし、印鑑証明も添付しないで違法に貴殿も書類上で連帯保証人になっている。だけど貴殿は証人尋問では矛盾した証言をしている。私は金庫側から貴殿の連帯保証人を求められたことはないし、もちろん絶交中の貴殿に保証人になってくれと依頼したこともないし、その必要もない。
 前記の『永和信用金庫と取引を開始した経過』のところで記載している例からしても、同じ様に手形を取り込む為に私の承諾を得ないで金庫職員と貴殿が協議した上、貴殿が署名、捺印したことが判明するし、谷店長と檜垣が書類上、連帯保証人に貴殿がなっているのでごまかされないので右記の如く偽証する原因なのである。
 貴殿は連帯保証人となっていないと言っているのに、谷店長と檜垣は「保証人になっている」と偽証してまで書類上と合わして証言しているが、右記の如く判断しても貴殿と金庫職員が当初から私の持込み手形と枠を悪用する為に共謀して私に対して損害を被らせた行為は明白である。
 質問D 貴殿は金庫職員と協議した上で連帯保証人になることによって利得があるからこそ、私の承諾も得ず勝手に連帯保証人になっているが貴殿は何の為に連帯保証人になっているのか。

四、返却手形一覧表(甲第25号証
 1 この資料は昭和50年1月20日頃に私が金庫に持ち込んだ手形で、かつ手形原本の返却を受けた手形の一部についての内容ということであった。
 しかし、調査をしたところ本書面の上から1〜3行目記載の3通(安田勝嘉、野山菊敏、金本光寿)の手形は私が金庫に持ち込んだことのない手形だったことが判明した。
 そこで、同年1月21日に金庫へ行き、店頭にいた檜垣に調べさせると檜垣は、「すみませんでした。この手形3通は金庫の記載間違いで3通とも、杉山常好の持ち込み手形です。」と弁明するので、私は、「杉山の手形が何故、私の資料の中に紛れ込んで記載されているのや」と問い詰めると檜垣は、
「吉川さんには同情します。こんなことをする店長のやり方は私には理由が分かりません。この際、すべてをはっきりさせる様に調べてほしい。」言明していた。
 2 安田勝嘉の不渡手形受取書(甲第71号証)は本証書の手形内容の記入欄のうち下段及び横罫線で抹消されている部分のみが、記入されていた。
 この手形は貴殿と金庫との取引手形であるのに訂正する前は私が安田勝嘉の手形を金庫から受領したことになっていた。 
 そこで、右記の通り安田勝嘉振出人手形について、取引したことがないから説明を求めたところ、檜垣は「
この手形は杉山常好の持ち込み手形であることが判った。台帳で確認したらそうなっていました。今、訂正します。」と告げ改めて本証書のうち横罫線で抹消した部分を抹消、罫線部分を書き直したものである。
 付け加えると、訂正前の安田勝嘉手形についての代手番号は右と同じ「5780」となっているのである。
 このことを含んでも金庫職員と貴殿が仕組んで、自由自在に私が金庫に持ち込んだ手形を取り組んだことは明白であるし、また逆で貴殿の持ち込み手形を私と金庫との間で取引してあるように貴殿は金庫職員と謀って取り組んでいた。
 3 昭和60年6月24日は松山地方裁判所で檜垣安紀の証人尋問の出張裁判であったが証言での不審な個所が多いので再度、確かめたく昭和60年9月8日に松山空港のロビーの喫茶店で檜垣に会い、不審に思っていたことを問いただした。
 私が檜垣に「安田、金本、野山の手形3通は、、杉山の手形でありながら、私の取引の中に混入されていたことはどういうことか。」と聞くと檜垣は、この時も「
台帳を見て帳簿処理するのだから資料の中にその記載があるのは、吉川さんの台帳に記載されていた。記載のみで間違えることはない。」と言明していた。
質問E 貴殿も証人尋問で貴殿が金庫に持ち込んだ手形であると証言しているが、金庫職員の誰と仕組んで右記手形3通を私と金庫との取引があったように取り組んだのか。
 4 安田勝嘉の振出手形の扱いについて証人尋問で谷店長は「元帳、記入帳(台帳)、現物(手形)を見て書く」と証言している如く間違って記載されることはありえない。
 私名義の別途元帳等の帳簿では、貴殿が安田勝嘉振出人手形を手形貸付で借入していたことは明白である。
 右記、谷店長の証言分と右記檜垣の(四の1,2,3)言明分及び後記(五・2のA、B、C)の言明していることを判断しても、私名義の別途にある帳簿で私の口座を使用していたし、私が金庫に持ち込んだ手形を『裏』で自由自在に悪用していた事が判明するし、金庫と私との取引元帳等の帳簿は二重帳簿であった事を物語っている。

五、私の手形を利用した杉山の奇妙な取引
 1 古本治三振出人手形の件
 (イ) 昭和48年5月5日期日、金額50万円。私が入院する前に貴殿に同年3月初めころに割引してやった右記手形を金庫に純粋な取引手形として預けておいたところ金庫は勝手に、入院中の同年4月4日に手形貸付にしていた。
 尚、私の自筆でない出金伝票で勝手に4月6日に出金されている。
 そして、右記の手形は依頼返却、5月7日に現金買戻し、5月11日返戻し、の扱いに処理されているので、私としたらこのような扱いをしたことがなかった。
 又、受取書は、頼みもしていなかったのに私の自宅に持参し、貴殿からプレゼントしてくれた住所、氏名のゴム印を押してある。尚、受取書の受付者は金庫職員の
山田である。
 (ロ) 昭和50年1月から調査していた時に、安東氏と共に手形振出人の古本治三氏と会い、話を聞いたところ古本氏は、「杉山に依頼返却を頼み、現金50万円を杉山の自宅で支払いその時に手形を貰い、手形はその場で破って捨てた。」と明言していた。
 ところが、
貴殿と絶交中の期間に貴殿から依頼返却を申し受けたこともないし、貴殿から50万円を貰ったこともないし、貴殿に私から手形を渡したこともない。
質問F なのに、古本氏が貴殿に現金を渡した時に手形を貰い、その場で破って捨てたのだから、貴殿は金庫から手形を入手して古本氏に手形を返したことになるが、貴殿はどのようにして金庫から私の承諾も得ないで、金庫職員の誰から手形を入手して古本氏から取立てをしたのか。
 私が貴殿から依頼返却を頼まれたとしたら、現金を貰い5月5日期日なのを5月7日に買い戻したのなら遅くとも手形をこの日に金庫から返却することになるし、何も5月11日に手形を返却することはないことからして貴殿は金庫職員と仕組んで手形を入手していることは明白である。
 (ハ) 証人尋問で谷店長は、依頼返却分は依頼返却する時の返戻書(入金手形返戻依頼書)と手形を渡したときの受領書の両方が必要であると、証言している。
 ところが、入金手形返却依頼書がない。
 これからしても、私が依頼返却していないことがわかる。
 金伊三雄振出人手形の件
 (イ)・昭和48年5月30日期日、金額50万円を同年3月7日に、貴殿に割引してやった。
 割引してやった同日に、金庫へ行き純粋な取引委任の手形として金庫へ預けておいた。
 ところが、金庫は同日、純粋な取立委任の手形として金庫に預けておいた手形である川添清・川西勇振出人手形と一括して合計金130万円を貸付担当の勝原史郎の筆跡の出金伝票(検印は
山田)で私の承諾を得ず勝手に私の口座で割引手形としていた。そして、この手形は私が依頼返却を金庫に申し込んだことはないのに金庫の書類では5月30日に依頼返却、現金買戻しの扱いに処理されていた。
 
裁判の証言で勝原は自分の筆跡のようなことを言っていたが、私の依頼なしに勝手に勝原が出金伝票を作成したことだけでも金庫の犯罪であるのだが、後でこれは勝原の筆跡ではないことがわかったが、これは偽証罪に当たるし、また、書いた本人が問題である。数人の話から杉山の筆跡ではないかと推察されたので、この質問書を送り、回答書から筆跡を見るつもりだったが、回答はなかった。

 昭和50年1月から調査したところ、私の署名でない筆跡違いの入金手形返却依頼書(乙第34号証)で勝手に、依頼返却の手続きをされている。
 私は、
山田を知らないが依頼返却をした時の手続きは金庫職員の受付者(検印)は山田である。
 割引元帳にも5月30日に買戻し決済になっている。
 ただし、この手形を返却したときの受取書は何故かないのである。これからしても私が、金庫からこの手形を受け取っていないことがわかる。
 貴殿から依頼返却を頼まれたのなら何もこの手形を6月15日まで、私としたら金庫に置いておくことはない。
 この当時は貴殿とも絶交中であったし、
貴殿から依頼返却を頼まれたこともないし、現金も受け取ったこともないし、この手形を貴殿に渡したこともない。
 ・金庫職員の田中昭は、証人尋問で私の代理人弁護士の尋問に対して「5月30日満期のものを5月30日に買い戻しておきながら、これを6月15日に返還するということはめずらしいです。」と証言している。
 貴殿から依頼返却を頼まれたのなら早急に貴殿に返却した手形を渡すことになるし、田中昭の証言のように6月15日迄、私が返却した手形を金庫に置いておくことはありえないことからしても私がこの手形を返却していないことが判明する。
(ロ)・右記振出人手形の昭和48年6月15日期日、金額50万円を貴殿に同年3月9日に割引してやった。
 この手形も金庫に私の純粋な取立委任のために金庫へ預けておいたところ、金庫は私が入院中に私の承諾も得ず別途、取立手形として預けておいた大照化学工業(株)の振出人手形(金額30万円)は、手形貸付(手貸)にし、金伊三雄振出人手形は割引手形として合計80万円を私の口座で勝手に同年3月22日に割引手形にしていた。
 尚、出金伝票の金額欄は金庫職員の勝原の筆跡で、住所、氏名欄は貴殿が私にプレゼント(昭和48年3月初めころ)してくれたゴム判を押してある。
 そして、この手形は、依頼返却、当日現金買戻し、6月15日返戻し、扱いに処理されていたが、何故か入金手形返却依頼書がないのであるが、これからしても私が依頼返却していないことが分かる。又、受取書の受付者は
山田である。
 しかし、この当時、
絶交中であった貴殿から私は依頼返却を頼まれたこともないし、この手形金額を貰ったこともない。
 当然ながら、この手形を貴殿に渡したこともない。

 不思議なことに前記の5月30日期日の手形もこの日に返戻しになっている。
 尚、大照化学工業(株)の振出手形は、当初、金庫の説明では依頼返却・普通預金より決済であったが、その後、金庫は科目相違の形で訂正している。
質問G 古本j治三振出人手形と金伊三雄振出人手形は、私の取引口座で割引・手形貸付されているので、私が金庫に依頼返却し、金庫から手形を買戻し、私が手形を貰い私から貴殿に手形を渡すべきなのに、右記の如く私は貴殿に手形を渡したこともないし、手形金額を貰ったこともないのに、貴殿は金庫職員の誰から手形を入手したのか知りたい。
質問H 私と絶交期間中なのに貴殿が私に依頼返却を依頼したと言うのなら買戻し金をどのようにして私に渡してくれたのか。そのときの状況を詳細に説明してほしい。
(ハ)・ 昭和50年1月以後、金庫から入手した資料を検討した結果、不思議に思った私が右記2通の手形振出人である金伊三雄夫婦に事情を確認したところ、昭和59年11月1日同人は「右手形2枚は、杉山常好に昭和48年3月初日頃に割引してもらいましたが、私方の都合で不渡りを出してしまいました。後日
私の不渡手形を持って杉山常好が取立にきたので私は、現金100万円也を支払って手形を返して貰いました。」と明言していたし、奥さんも「私の金を杉山に渡したので間違いないですよ」と言明していました。(念書、甲第76号証
(二)・ 昭和60年9月8日、松山空港ロビーの喫茶店で、昭和50年に金庫を退職して松山市に帰っていた檜垣に会った時に、私が檜垣に、「金伊三雄の手形2通が私の知らぬうちに依頼返却されて期日前買戻しとして処理されているが依頼返却は誰がしたのか。杉山がこの手形を金庫から入手して金伊三雄から取立をしているが誰が杉山に手形を渡したのか」と聞くと檜垣は「個人的に名前は言えないが」と言って次のようなことを説明してくれた。
 
A 依頼返却の手形全部が吉川さんが返却したのではない。金庫内部の便宜上、依頼返却する場合もあった。
 B 手形期日前に吉川さんの承諾がないにも拘らず、受付の窓口金庫職員が返却をしていたので、受付者の金庫職員も悪い。
 C 杉山常好に返却した手形は、手形期日までに返済すれば良い。

 など、私の持ち込み手形が無くなる原因を明言していた(勝手に返却された手形を返却した者が返済しなかったら私が損害を被ることになる。)
 私は、金庫職員を信用していたので、言われるがままに印鑑を渡したことが数回あったが、檜垣の右記の明言は、金庫に私の手形を預けてあるのを自由自在に金庫職員が第三者(貴殿)と仕組んで私の印鑑を悪用し、受取書及び入金手形返却依頼書等を作成し、私が返却したようにして私の持ち込み手形を流用及び着服していたからこそ右記の資料及び出金伝票の筆跡が違うのである。
(ホ)・ 前記(一、1)に記載してある如く貴殿は『
山田』を知って永和信用金庫(巽支店)と取引した。
 貴殿は、証人尋問で私の代理人弁護士の尋問に対して金庫職員の『
山田』を「分からん(知らん)」と証言し、偽証しているが、右記の古本治三及び金伊三雄振出人手形の返却の受付者は『山田』である。
 檜垣が右記(A、B、C)の如く言明しているが右記、手形3通の手形を返却した受付者は、金庫資料(受取書)で明白になっている『
山田』であるので貴殿が偽証した理由は、谷店長の指示で『山田』と謀って違法行為を行ったのでその行為を覆い隠す為に偽証した。
(へ)・ 貸付担当の勝原史郎は、私の代理人弁護士の尋問で「杉山を知っているか」の問いに勝原は「全く知らん」「記憶ないですね」と証言しているが、私の印鑑を悪用し、勝手に私の口座で割引、手形貸付にされていた金伊三雄、古本治三振出人手形の出金伝票は勝原の筆跡で金庫資料でも明白になっているにも拘らず貴殿の事を「知らん」というのは、勝原も私に対して違法行為を行っていたので偽証しているのである。
 貴殿も手形で借入する時は、「谷店長に依頼するが谷店長は借入手続きはしない。手続きは女の子がしていた」と証言し、偽証している。
 なぜなら、この当時、貸付係で女子は居なかった。
質問I 貴殿は、どういう経路で借入手続きをしていたのか詳細に説明してほしい。
質問J 右記A、B、Cの檜垣の言明した事を貴殿は、どのように思うか。
(ト)・ 貴殿は証人裁判で自分の身の潔白を証明するために証人出廷の時に真実を立証すると言っていたにも拘らず、偽証ばかりしている。 
 一度貴殿の調書を読んでみたらどうか。
(チ)・ 昭和63年3月29日は、金伊三雄氏の証人調べであったが、金伊三雄氏は証言でも貴殿が右記手形2通を持って金伊三雄夫婦から取立をしていることを証言している。
 金伊三雄氏が真実と異なる証明書(念書、甲第76号証)を作成したり、裁判で偽証しなければならない必要は全くない。
質問K 昭和63年1月19日は貴殿の証人尋問の裁判であったが、貴殿は証人尋問で「
不渡りになった金伊三雄氏の手形二通を持たずに金伊三雄氏の自宅へ行き、取立に行ったがお金も貰っていない。」と証言して偽証しているがどういうことか。
(リ)・ 貴殿は右記の如く「手形を持たずに取立に行った」と証言するのは金庫職員と謀って私の承諾を得ずに依頼返却をしていたのでその行為を覆い隠す為に偽証しているのである。
(ヌ)・ 貴殿と金伊三雄氏の証言を比べてみても貴殿は、右記の檜垣が言明している様なことを特に谷店長と協議したうえで、仕組み他の金庫職員も交えて金庫に私が持ち込んだ手形を私の承諾も得ず勝手に取り組んでいたことは明白である。

六、貴殿の不審な言動
 1 昭和50年3月18日、谷店長から電話があって、金庫へ行くと「村上博志(谷口光雄弁護士の知人)から脅迫の電話が何回も入っているが吉川の指示か」と言われたが私は、「指示したことはない」とつげると、谷店長は「それであったら村上に相談せずに杉山と一緒の話ならどのような相談も受ける」と言うので私は「以前に絶交している杉山に俺が何で物事をたのまなあかんねん」と言った。
 私が村上を知ったのは、不渡りになった手形の手形判決を求める為に弁護士が必要になったので、昭和49年11月に私の友人から村上を紹介して貰い、村上から谷口光雄弁護士を紹介して貰い手形判決を求めたし、金庫の事件の件も谷口弁護士と相談していたのであって、私が村上に何も指示したことは一切ない。
 谷店長が結果として貴殿に電話した。
 金庫の応接室で待っていたところ貴殿が来て「
村上みたいな事件屋に頼まんと村上を断ってくれたら自分が協力するから。」と言うので、この時に谷店長から貰った受取証等の資料を貴殿と一緒に私の自宅へ持ち帰り、この資料の中から、金伊三雄、古本治三振出人手形の受取証を見せて「お前の知っている振出人の手形が沢山あるが、裏付けを取るのに協力できるか。」と言ったところ貴殿は「家に用事があるからその用事を済ませて来るから」と言って帰ったまま、その後一切連絡がなかった。
質問L 貴殿は証人尋問で私の事を友人であったと証言しているが、私を友人と思っていたのならこの当時に貴殿の潔白を明らかにする為にも協力できたと思うし、協力するからと言いながら連絡もくれなかったのは何故か。
 結果として協力できない理由は貴殿と金庫職員とが仕組んだ悪業なので協力できなかったと私はこの当時から判断していた。
 2 この日に私が金庫へ行く前に貴殿と谷店長とが右記の村上の件で事前に協議した上で、谷店長から私に連絡してきたと思うが、この時の状況を詳細に教えてほしい。
 3 昭和59年3月28日、貴殿から電話があった時に、貴殿に永和信用金庫に対して裁判をしていることを説明し、協力を依頼すると貴殿は「弁護士と相談して弁護士が会うと言ったら協力する。」と言ってくれていたし、近々貴殿から連絡するとも言っていた。
 そして貴殿から電話があったことを私の弁護士(谷口弁護士)に説明して貴殿と会って貴殿が関係している件を種々と話を聞くように言うと弁護士は「
はじめから杉山は悪いことをしているのは分かっているので杉山と会っても話の仕様がないし、会う必要はない。」と言われて何故か貴殿と会うのを断られた。
 金庫と私の取引で貴殿が深く介入しているのでどうしても貴殿と会って話を聞きたくて、事前に私から貴殿に電話をして左記の日に会う約束をした。
 4 昭和59年7月19日、貴殿と東京駅で会ったときに私は、貴殿に「金伊三雄の手形はお前から頼まれて割引したが、この手形は依頼返却になって、お前がこの手形を金庫から入手して取立をしている。俺からお前に手形を渡したのなら俺はお前からこの手形の金を貰うことになるが、お前からこの手形の金を貰ったことはない。」と詰め寄ると、貴殿は「取立依頼されていないし、金伊三雄(石本)から取り立てたが自分(吉川)に金を渡した覚えはない」と言明した。私が「この手形は金庫の誰から入手したのか」と追及すると、貴殿は「
自分と金庫が組まないとできない作業やな」と明言した。
 私が、「そうや、その通り金庫職員の誰と組んで、この手形を入手したのか。」と問うと、
貴殿は反論しなかったし、貴殿と金庫職員と仕組んだ行為を貴殿は頷いて認めた上で、貴殿は次のような事を言って真実を立証すると約束をした。
(イ) 金庫へ行って、谷店長を呼んで話をつけても良い。
(ロ) 弁護士(吉川の)と相談の上、どのような証拠書類を作成しても自分はその書類に合わした証言をする。
(ハ) 証人として立証しても良い。
(ニ) 来年の1月と4月に大阪で法事があるので大阪へ行ったときに、連絡するし、後は弁護士と会って証拠書類を確認した上で印鑑を押すだけにしておいてほしい等と言明したのと違うか。
 ところがその後、杉山よ、貴殿から連絡がなかった。
 貴殿の証人出廷の裁判でも真実を証言すると思っていたところ、貴殿は何かにつけて偽証していた。
 ところで、安東と実弟を、貴殿に会わしに行ったのは良く考えたら口約束であったので、貴殿が偽証するおそれがあったので両名を行かせたが、案の定証人裁判で偽証した。
質問M 私の質問に対して貴殿が言明してくれた右記(イ)から(ニ)に対してどのような意味で言ってくれたのか答えてほしい。
 貴殿は、最後の最後まで私に対して裏切り行為で終わった事になるのか、この質問書に答えてほしい。
 5 昭和63年1月19日、貴殿の証人裁判の日に貴殿と種々と話したいことがあったので、午後7時に待ち合わせをしたにも拘らず、貴殿は待合場所に来なかった。
 夜中の1時頃に私の自宅に電話してきて、貴殿が「ある事務所へ行って遅くなったので行けなかった。また必ず近々連絡するから。」と言ったがその後、連絡がなかった。
 後日、M氏から教えて貰ったところ、M氏は「杉山の裁判があった日の夜に、杉山が『誰の味方をしているねん』と言って怒鳴り込んできた。」と言明してくれた。
 以前、私にM氏が、「
金伊三雄の手形の取立を杉山が一緒に行ってくれと頼まれたので一緒に行ったので杉山が金伊三雄から取立をしたのは自分も知っている」と言ってくれていたし、「裁判に役立つなら証人出廷してもよい」と言ってくれたことを一番最初に書いた上申書に記載しています。
質問N 貴殿は「不渡りになった金伊三雄氏の手形2通を持たずに金伊三雄氏の自宅へ行き、取立に行ったがお金も貰っていない」と証言し、偽証している。そのために貴殿は相手方の誰からこの上申書を見せて貰い、この事が金庫側と貴殿にとっては都合が悪いので、金庫側と双方協議した上で、貴殿はM氏に怒鳴り込んで行ったと確信するが、何の為にM氏に怒鳴り込んでいったのか。
 私と会う約束をしてあったにも拘らず私との待合場所に来ずに、貴殿が潔白なら何もM氏に怒鳴り込んで行く必要は一切ないし、M氏は真実を私に述べてくれていた。
 私は、M氏に証人出廷してもらう予定であったが、貴殿がM氏に怒鳴り込んで行ったのでM氏に証人出廷をして貰う事に関して私と貴殿の板挟みにして迷惑をかけたくなかったので、M氏に証人出廷して貰う事は遠慮した。
 貴殿は、裁判でも偽証ばかりしているし、私の裁判を妨害していることになるがどういうことか。説明願いたい。

七、 最後に、昭和50年1月当初から調査した結果、貴殿が金庫職員と仕組んだ悪事が判明した。貴殿は、私に真実を立証すると言っていたにも拘らず、私をないがしろにして協力するどころか、「思いやり」もなく反省もせず、証人尋問でも何かにつけて偽証している。
 私の代理人弁護士(谷口光雄)の手抜きの手続きもあり、私と弁護士との間で確執があって金庫相手の刑事告訴は不起訴になった。
 尚、谷口光雄弁護士は昭和61年8月29日に、一方的に辞任したが、谷口弁護士と村上は一蓮托生になって私に対して最後まで裏切り行為であった。
 村上を通じて谷口弁護士を紹介して貰ったのは私の落ち度であったが、貴殿の紹介で金庫と取引したのも私の落ち度であった。
 民事訴訟は、金庫の不法行為を民事裁判では裁ききれなかったが、貴殿と金庫職員とが仕組んだ不法行為は、社会通念上、許されない行為である。
 控訴判決前に金庫の弁護士も「
金庫にもいろいろと落ち度な問題が多々あった」と言っていた。
 どちらにしても、民事裁判の判決でも私の一個人の人間より組織である金融機関に比重の重きを置いたので、判決は敗訴したと思っている次第である。
 金庫職員と謀って貴殿が違法行為を行った事は社会通念上、許されない行為であるが、前記(六・4の(イ)(ロ)(ハ)(ニ))に記載してある如く、以前に会った時は真実を立証すると言っていたので、私は罪を憎んでも人を罰せずの気持ちで私の方が一歩ひきさがって話をすることとし、貴殿が悔い改めた上で貴殿が行った違法行為を自供してくれると思って平成7年10月8日栃木県下の貴殿の自宅で話をしたが貴殿は「自分(貴殿)に対して疑惑に思ってくれるな、少しでも疑惑に思われたら気分悪い」と言って矛盾した言い訳をするので私は「金庫資料の証拠に基づいても(貴殿に対して)疑惑に思っている。自分が(貴殿)事実を立証してくれたら金庫とは私は、どのようなことも話をすることが出来るし、自分(貴殿)も潔白であるなら、金庫の資料には貴殿の疑惑に思われる証拠資料が多々あるので、自分(貴殿)も金庫に対して疑惑を晴らすために文句を言うことが出来るやろ」と言うと、貴殿は「自分(貴殿)を疑惑に思わないのなら谷店長と3人で会い話をする機会を早急に作る」との約束で話は納まった。
 金庫職員と貴殿が私に対して仕組んだあるまじき不法行為は分かっているからこそ貴殿に会いに行ったし、その結果として、この質問書で問いただしている次第である。
 後日(10月12日)、私から貴殿に電話したが、結果として貴殿は「谷店長に電話をしたが谷店長が杉山さんの事は裁判でも一切、名前も出ていないし、杉山さんは、金庫とは関係ないと言っていたので3人で会って話し合いをするセットは出来なかった」と言い訳をするので、私は「証拠資料を自分(貴殿)に見せて話をするから」と再び私から電話する約束で話は終わっている。
 私としては金庫職員と貴殿が謀って私に損害を被らせた行為は間違いないと信念を持っているので信念を貫き通すつもりでいるが、その為に仕事も手つかずになり私の家庭は崩壊したが、馬鹿は馬鹿なりに貴殿と金庫に対して言い分もある次第である。
 取り合えず、次回貴殿と会う前にこの質問書を先に読んで貰い検討して貰った上で、この質問書に対して回答を貰い貴殿と会って話をした方が分かりやすくて良いと思う次第なので回答の返送を御願いするとともに送達しました。
 私が貴殿に対して疑惑に思ってきた事に対して、質問する次第であるが、貴殿が潔白であるのなら私が「無」になって書いたこの文書の質問に対して回答できると思う。
 その上で、私の質問が一方的に間違っていた場合は、ここで初めて貴殿に対しての疑惑を解く事になるし、貴殿に対して頭も下げる事になる次第であるからよろしく詳細に御回答願います。

 この書面が貴殿に」送達されてから2週間以内に御回答を御願いいたします。
 尚、御回答の無き場合は、この書面の質問事項について貴殿は認めたことになります。


質問書についての顛末

平成7年12月7日(木)、前日、留守中に杉山から電話があったので、こちらから電話をする。
私の言い分
 ○貴殿の件については、証拠に基づいても、金庫職員と結託して私に対して損害を被らせている。
 ○言い分があるのなら貴殿が、大阪へ来て私と会った上、話をすることを告げる。
杉山の言い分
 ○デタラメな質問書であるので回答書は出せない。
 ○1円も吉川の金を食ってない(詐取してない)。
 ○二度と電話をして来るな、後は好きな様にしたらよい。・・・・・といって話の途中で一方的に電話を切られた。
この日以降、杉山からの連絡は一切なかった。
杉山は最初から最後まで、一貫して『その場しのぎの言い訳をして、その場しのぎの約束をして』それらをすべて反故にしてきた。それを深く追求しなかった私の甘さが、この事件を長引かせたのかもしれない。
 

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