証 人 調 書
期日  昭和63年1月19日

氏名  杉山常好

住所  栃木県宇都宮市駒生町1209-30


原告代理人
 ここに座っております原告吉川をご存知ですね。


証人
 知っています。


 大体、いつごろからの知り合いだったでしょうか。



 小さいころから知っているけれども、実際に親しくなったのは、中学を卒業してからだから、
 17,8歳のころかな。


 あなたの紹介で吉川が、被告の永和信用金庫の巽支店と取引をするようになったということがありましたね。



 はい、ありましたよ。


 記録上はっきりしているんで誘導しますけれども、昭和48年2月27日頃なんですね。



 はい。


 それから、考えまして、当時の付き合いは、どういう付き合いだったんでしょうか。



 その永和信用金庫を紹介する3年ぐらい前かな、それぐらいから毎日のように会ってましたね。


 そしたら、一緒に遊んだり、飲み食いしたりということですか。



 はい。


 仕事上の関係はありましたか。



 いいえ、なかったですね。


 具体的なことですけれども、あなたが吉川に手形割引といいますか、金を借りるということはありましたか。



 ありましたね。


 それが今おっしゃった48年の2月末から考えて、1、2年前ぐらいのことですか。



 その以前から、金の行き来はありましたね。


 その場合は、むしろあなたのほうが吉川のほうへ手形を持ち込んで、割り引いてもらうというような関係でしたね。



 そうですね。


 逆はありましたか。逆というのは、吉川があなたのところへ手形を持ち込んで割引してもらう、ということです。



 あったような気もするけれども、あまり記憶がないね。


 吉川のほうは、それはなかったと言っているんだけれども。



 なかったかも知れんね。


 金額ですけれども、その当時は1回あたりの貸し借りはどのぐらいのものだったんですか。



 そう言われても困りますけれども。

代 
 大体、10万単位とか100万単位とかいろいろありますけれども、そういう基準で考えて。



 どれぐらいあったろうな・・・・ただ、5万、10万ということはなかったですね。

代 
 100万を越えることはありましたか。



 100万を越えることもあったと思いますね。


 そういう関係があって、今申しました48年2月末に被告の巽支店に吉川を紹介するということになったわけですが、そのきっかけはどういうことだったか記憶ありますか。


証 
 それは、ちょうど吉川氏のお母さんが入院したんです。吉川さん本人よりもお母さんのほうが、ほんまいうたらよく知っているんです。
 うちのお袋と友達だったから、お袋が寝たっきりの病気で、よく家に遊びに来てくれたんで、小さいころからよく知っているんです。そのお母さんが入院している先へ吉川氏と一緒に行ったことがあるんです。
 その時にお母さんが、家のあるところにお金を貯めたやつがあると、それで家をちゃんとしてやってくれんかということを吉川氏に言ったことがあるんです。それで吉川氏と一緒に金を出して、その金を永和信用金庫のほうへ持っていって、それがきっかけですね。


 そうしますと、吉川としては永和信用金庫取引は初めてだったんですね。



 そうですよ。


 これも記録上はっきりしていることなんですが、永和信用金庫の巽支店というのは、47年12月初めごろに開設されたんですね。



 はい。


 そうするとあなたは、吉川に紹介したときには、巽支店との取引はあったんですか。



 ありましたよ。


 どういう取引をしていましたか。



 普通の取引ですけれども。


 取引というと、いろいろあるんですけれども、預金をするだけと、そして預金を入れたり出したりするという取引はありましたか。



 自分の枠内で、ある程度融通してもらったり。


 そうすると、手形を持ち込んで割引してもらったり。



 はい、当然。

代 
 それは、巽支店の開設のころからですか。



 ちょうど、自分が巽のマンションに住んでいるころですからね。永和信用金庫が設立したころに近所でしたから営業の方がよく回ってきましたんで、それで、近くだし1回普通預金でもしてみようかというのがきっかけですね。


 最初は普通預金から始まって、そういう当座取引などに広がっていったと。



 はい。


 記憶があるかどうか分かりませんけれども、あなたとしては何か担保を入れての取引でしたか。



 いえ、別に担保はなかったですね。
 

 そうしますと、利用できる範囲はどれぐらいだったですか。



 だけど、今考えてみたら、当時定期預金を100万なら100万して、そこへ又積み立てみたいな形でやってました。
 その中で、苦しいときに手形を持って行ってそれを割り引きできないかということで、大体自分の枠がありますから、その倍ぐらいは行ってたんと違いますかね。


 そうすると、具体的な金額は覚えてられない。



 そうですね。


 最高どれくらいの枠だったか、記憶ないですか。



 そうやなあ・・・・。


 はっきりしないなら、それで結構です。



 はい。


 それから、特に永和信用金庫の巽支店を吉川に紹介したのは、何か他の金融機関と違った利点があったからですか。



 いいえ、そういう気持ちは全くなかったですね。ただ、自分が近くで取引やってましたから。


 あなたとしては、特に吉川に推薦する理由というのは何かあったんですか。



 全然、何もないです。


 自分が取引をしておるというぐらいのことでの紹介ですか。



 そうですね。


 ついでに聞きますが、あなたの取引の窓口といいますか、担当者は特定のものがおりましたか。



 いや、特定のものは別にいなかったですね。ただ、貸付の場合、檜垣さんという人か支店長に言うかですね。


 山田さんという名前は記憶ありますか。



 分からんね

反論
杉山は、山田が何回も家に来たので取引をするようになったと、私に言っていたので山田の名前を知らないはずはない。最初のころの証書の検印にたびたび「山田」の名前が出てくるので、山田と組んで不正を働いた思われるので、追及されると困るので、記憶にないと偽証したと思われる。


 そうしますと、あなたが巽支店へ手形を持ち込んだ場合、それの事務手続きをしてくれるのは、桧垣さんであり支店長ということですか。



 いやいや、支店長はそんなんしません。


 檜垣さんの名前は覚えているわけですか。



 覚えていますね。大体、手続きというのは、女の子がやったんと違いますか。


 当時の支店長の名前は記憶ありますか。



 ありますよ。


 誰ですか。



 谷さんです。


 それで、まあ、吉川のほうは紹介してもらって取引が始まるわけなんですが、その時にあなたが吉川にゴム判をプレゼントしたというようなことがありましたか。



 ・・・・・・・記憶ないなあ。


 吉川のほうは、あなたがこれを使えや、ということで取り計らってくれたと言うてるんだけれども。



 そんなこと、あったかな。

甲第93号証を示す

 こういうゴム判ですね。



 これはどこで作ったかな。私が作ったところも定かじゃないけれども・・・・。


 あなた自身も、そういうゴム判は作ってましたね。



 はい。

甲第69号証及び70号証を示す

 これが、あなたが巽支店での取引で使っておったゴム判に間違いないですか。



 はい、間違いないです。


 当時、杉山化学工業所という商号を使っておられたんですね。



 はい。


 例えば、甲第93号証の吉川真二の住所氏名を書いた、こういうものは記憶ないですか。



 プレゼントするいうても、これをわざわざ勝手に作ってプレゼントしたというようなことはないと思うね。


 そうすると、特別に何か吉川さんとの関係がそれほど深かったのかなということで聞いているわけですが。



 深かったのは深かったですよ。友達何十人いた中でも、2、3人の中に入っていましたから。


 プレゼントしたとしても、おかしくない関係ですか。



 そうですね。だけど、ゴム印をプレゼントするというのはおかしいわな。まだ、はっきりしないですけれども、例えば一緒に行ってその代金を自分が払ったかも分かりませんですけれども。

反論
杉山は、私の家に「使えや」といってゴム印を持ってきた。金庫を紹介してもらったこともあり、その時は後々問題になるとは思ってもいなかったので、ありがたく使用することにした。それなのに、肝心なところではあいまいな証言をした。


 それで、まあ、そのことは別に、吉川があなたに紹介してもらったからどういう取引をしておったかということはある程度は聞いておられましたか。



 ある程度は分かりますね。

乙第25証の1を示す

 これが吉川が巽支店で信用金庫取引をするときの約定書なんですよね。



 はい。


 これで、日付がちょっと問題あるんだけれども、あなた自身がこの吉川の信用金庫取引の約定書の基本契約について、連帯保証人になってるということになっているんですよね。



 はい。


 印鑑もあなたの印鑑ですか。



 はい、そうです。


 これは、どういう経過で保証人になられたんでしょうか。例えば、吉川から頼まれたかどうかということなんです。



 3月7日というたら、既に取引はやっていたんですか。


 書類上は、最初の預金が昭和48年2月27日になっているんですよ。そういう取引はあったわけですか。



 はあ。だけど、これは取引する場合に普通預金とかそういう場合はいりませんわね。これはあくまでも、それを何かの形の担保で手形割引とか、そういう何かあってやったんと違いますか。


 そこで、そういう場合にあなたが特に吉川から、こういう取引をするんで保証人になってくれと、頼まれたことがあるかどうかということです。



 頼まれたことは、あるんちゃうかな。


 その日にちなんですが、一番最初は吉川を金庫に連れて行っていただいたわけですね。



 はい。


 そのときに吉川は、お母さんの貯めておった金を持って行って預金をしたわけですね。



 はい。


 その時に、そういう話はあったんですか。



 割ったらええんちゃうかという話はありました。


 そのときに、既にこういう信用金庫取引の契約書を作らんならんということだったんでしょうか。



 その場はそんなことなかったよ。


 ちょっと誘導しておりますけれども、そうしますと、あなたの記憶では、昭和48年2月27日に預金しに行った日以降、別のときに、さっき見ていただいた約定書に保証人として、署名捺印したということになりますか。



 そうですね。それ以降やね。


 それは、誰から頼まれたかという記憶はありますか。



 だれから頼まれたって。


 吉川から頼まれたかどうかという記憶があるかどうかということです。



 頼まれたというとおかしいな。ただ、それは手形割引の枠に使えるというのは、本人が言うたことは覚えているわね。


 それはもちろん、そういう意味で取引するわけですか。



 はい。


 それで、私の聞きたいのは、それまであなたのほうが吉川に手形を持ち込んで割り引いてもらって
おったというような取引でしたね。



 やってましたよ。


 あなたがこの保証をしなきゃならんかったということだったんで、それはどの付き合いかということです。



 そういう点で疑問がいっぱいあったわけだ。そのときの現状を言えば、変に思われてもいやだけれども、
ただ、永和信用金庫との取引はそういういきさつで取引したのと、今言うたように、保証人になっているのは
自分が先にそこと取引をやってましたんで、また吉川さん自身を信用してましたから保証人になっただけです。

それ以外、何もないですね。


 保証人となると、吉川の取引で事故があった場合に、その分について自分が全部負担せないかんわけですね。



 はい。


 例えば、吉川がどれぐらいの取引をするだろうということは分かっておったんですか。



 浅はか言うたらそれまでかも分かりませんけれども、私も自分の友達に永和信用金庫の保証人になってもらって
結果的には迷惑をかけましたけれども、そういう付き合いだったから、先の深いことまでは別に考えなかったですね。


 ちょっと、さっき聞き忘れたんですが、吉川をあなたが紹介して一番最初に行ったときに、あなたも一緒に行ってもらいましたね。



 はい。


 その時に金庫のほうでは、どういう人が応対されたか覚えておられますか。



 支店長がおりましたよ。
 

 檜垣さんは。



 はっきり分からんなあ。


 金額的にはどのくらいの預金をしたかは記憶ありますか。



 記憶としては、とにかく9百何十万あったんと違うかな。


 正確には900万円なんですよ。大体、そういう記憶ですか。



 はい、そうですね。

反論
杉山とは最初に900万円の預金をしに行った時しか一緒に金庫に行ったことはない。そのとき応対したのは、谷支店長と檜垣と勝原だった。預金をしに行って、いきなり保証人になってもらうことはだれが考えても不自然である。保証人になるには印鑑も必要だし、印鑑証明も用意しなければならないからだ。杉山の証言にはつじつまの合わないことやあいまいな証言が多すぎる。弁護士もうまく誘導しているように見えるが、追及が足らないので結局あいまいな証言を許している。

乙第25号証の2を示す

 これにあなたの印鑑証明が添付されているわけですね。



 はあ。


 この印鑑証明の発行日が48年2月16日になっているんですが、もちろんこれはあなたが金庫に渡したということなんですね。



 うん、そうやろうな。

乙第25号証の1を示す

 これの上のほうに「吉川真二」とかいてあって、その下に自分でサインをしたのか、そのあたりのことは記憶ないですか。



 はっきりした記憶はないですね。


 金庫の店頭へ行って署名捺印したのか。


 あるいは自宅でということですか。


 はい。



 自宅はないです。

乙第25号証の4を示す

 これは「金銭消費貸借証書」ですが、日付が49年10月16日になっているんですよね。



 はい。


 まず、これにはあなたの住所・氏名が書いてありますね。



 はい。


 この筆跡はだれの筆跡ですか。



 自分の筆跡ですね。間違いないね。


 印鑑も自分の印鑑ですか。



 実印ですから間違いないです。


 49年10月16日になっていますが、記憶ありますか。



 分からんね、何のやつ。


 これは、 吉川が不動産を担保に入れて新たにお金を借りるという契約書なんですね。



 これ、ちょっとはっきりせえへんなあ。


 ただし、ここに書かれている住所・氏名の部分は自分の筆跡であって、印鑑も自分の印鑑のようだということですね。



 はい、間違いないですね。
 

 そこで話がさかのぼるんですけれども、49年10月16日ごろというのは、吉川との交際はありましたか。



 ちょっと待ってくださいよ。大阪を離れてから十何年になりますからね・・・。


 はっきりしませんか。



 はい。


 じゃあ、具体的に聞いていきますね。先ほど聞きました48年2月末に巽支店で吉川が
取引をするようになったと、その後も吉川とあなたの取引もあったわけですね。



 はい。


 ところが、48年の3月10日過ぎの12日ごろに吉川が胆石か何かで入院したということはありませんか。


証 
 それは、ずっと後ちゃう。


 それから、金伊三雄さんという方を知ってますね。



 知ってますよ。


 金伊三雄さんに吉川が10万円のお金を貸したと。



 はい。


 その貸したのが、あなたが吉川から10万円を借りてあなたが金さんに貸したのか、
直接吉川さんが金さんに10万円を貸したのかというようなことでトラブルというか言い争いになったようなことがありますか。



 はっきりしませんが、そう言ったら、そういうのがあったような気がしますね。


 そのようなことがあった後に吉川のお母さんが亡くなったということが、これはまあ、48年の4月のことなんですが。



 おかしいなあ、話が全然合えへんなあ。・・・・・・ あっ、そうか、そうかもしれませんね。


 そのお葬式には出席していただきましたね。



 はい。


 そういうことが会ったときに、金さんの10万円の件でいろいろ問題になって、吉川と言い争いになったようなことがありませんか。



 あったような気もしますね。


 吉川と口もきかんし、出入りもなかったというようなことはなかったですか。



 何ヶ月もありましたよ。


 ずっとじゃないですか。



 そんな長かったかな。ようけんかしても、仲直りしてたからね。ただ、確かに吉川氏が入院したのも知らなかったんや。
そのころは、あんまりものも言うてなかったんや。

反論
杉山は都合の悪いことは一貫して記憶にないと言っているが、最初の質問で、私が入院した時期を聞かれて「それは、ずっと後ちゃう」と答ながらここでは「吉川氏が入院したのも知らなかったんや」と答えている。杉山は谷支店長と見舞いに来たり、何度も遊びに来ていた。明らかに食い違う証言に、弁護士の追及はここでも徹底されなかった。


 そのことがあって後に、金の10万円のことで、いろいろトラブルになって・・・。



 前後ははっきり分からんけれども。


 そういうことがあった後、吉川と行き来がなかったということはありましたね。



 ありました。


 そこで、今の49年のこの日付に入って、乙第25号証の4の話になるんですけれども、49年10月16日
という日付があるんですよ。端的に言うて、吉川のほうが言っているのは、この当時、杉山さんとは絶交状況
になっておって、こんなもの頼めるはずがないと、また、杉山さんも応じるはずがないといってるんですよ。



 俺、本当に記憶ないんだ。


 今から3年ぐらい前ですけれども、吉川と東京か、あなたの自宅近くであったことがありますね。



 ありますよ。


 そのときに、乙第25号証の4のことで、自分は保証人になったことはないというようなことを
言っておられたことはないですか。



 確かに不動産関係は記憶ないんですよ。最初の保証人に関しては記憶あるけれども、これは
はっきり記憶ないんだわね。だから、不動産を担保にした場合だったら、どういうものを担保にした
のかある程度頭にあるんだけれども
・・・・。


 現実には、吉川のお兄さんの・・・・。



 それは、あんまり記憶ないね。


 そうすると、あなたから見ても乙第25号証の4には自分の署名捺印があるでしょう。


 ありますね。


 それは、どういうことが理由だと考えられますか。



 書類に書いてあるということは、吉川氏に頼まれて書いたんかなと思いますね。


 でも、吉川氏は頼んだ覚えはないと言ってるんですが。



 あやふやなことを言うようだけれども、自分で不動産を担保にして金を借りたという記憶はないし、
ただ、そういう書類を見たらそういうことがあったのかなというぐらいにしか、記憶ないですね。

反論
杉山とは絶交中で、私が事業資金で不動産を担保に金を借りたが、その為に杉山に保証人を頼むはずはないし、印鑑証明のない保証人というのも、普通では考えられない。私が東京まで行って質問したときも、私の弟と友人が東京に杉山に会いに行ったときも、保証人になっていないと言っていたのに、書類に杉山の署名捺印があるのは私の知らないところで、金庫職員と杉山が結託して、杉山の融資枠を増やすために、後から勝手に連帯保証人を追加したのは明らかだ。


 次に、吉川が巽支店と取引するようになってからのことですけれども、それから後も、あなた自身が直接巽支店と
金庫取引はしてましたね。



 当然ね。


 それとは別に、またあなた自身が吉川に手形を持ち込んで吉川から割引してもらって、金を借りるという取引もありましたね。



 そうですね。


 その場合に、どういう人たちの手形を持ち込んでおったかという記憶ありますか。



 だけど、数は知れてるんとちゃう。そんなにわんさかわんさか持っていってなかったと思いますからね。


 端的に聞きますと、金伊三雄さんの手形を吉川に持ち込んだことはありますか。



 あの人の手形を何枚かもらったことがありますから、何枚か行ってるんじゃないかと思います。

甲第76号証を示す

 金伊三雄さんの日本名が「石本博幹」といって、これは石本さんの報告書なんですが、額面で50万円、振出人が金伊三雄さん、
期日が48年5月30日となっていて、もう1枚が同じ額面で50万円、期日が48年6月15日となっているんです。
この手形を杉山さんに48年の3月初めごろに割り引いてもらったと言ってるんですね。そういう記憶はありますか。



 何枚か来てましたからね。


 それで、その手形を吉川にさらに割り引いてもらったというようなことはありますか。



 それははっきりせんな。金庫で割ってもらってるやつもありますからね。


 金庫の資料等を見ますと、一応この手形については、吉川が金庫取引をして、手形貸付とか、割引、そういうような
扱いになっているんですよね。あなたが直接これを金庫に持ち込んだというようなことはありますか。



 はっきり分からんな。何枚か銀行へ持っていってるやつもあるしね。恐らく、石本氏のやつはこれだけじゃないと思いますよ。


 じゃあ、こう聞きましょう。あなたが直接金庫に持ち込んだとすると、この金さんの手形の取引は、あなたと巽支店の取引になりますね。



 当然ですね。


 あなたが吉川に持って行って割り引いてもらったと、その手形を吉川が金庫へ持ち込んだとすれば、それは吉川と巽支店との取引になると。そういうことですね。



 はい。


 ところで、どちらかということなんですが、結論として、この石本さんの報告の内容は、後ろのほうに書いてありますが、2枚とも不渡りになったんですよ。



 はい。


 これを直接杉山さんが取立に来たので、
100万円をお支払いしましたということなんですが、まず、あなたがその金を石本さんから受け取ったことがあるかどうか、どうですか。



 受け取ったこと、ないね。


 そうすると、石本さんの言ってることが違うということですか。



 そうですね。この手形の分かどうかはっきり分からんけども。ただ、この2通だけの行き来だったらはっきりします。
 ただ、記憶にあるのは、石本さんの家へは何回も行きました。奥さんとも何回も会いました。でも、金なんかもらってないです。


 今言ってる手形以外の手形に関してももらったことはないということですか。



 そうですね。


 そうすると、結論として、これは石本さんの記憶の間違いですか。



 そうだね。会うて話してみな分からんですね。


 話してみて、そういうことがあったかも分からんということですか。



 金はもらってないと思うな。何回か行ったけれども、本人がいなくて、奥さんが往生してたのは記憶あるね。


 何回か行ったときには、金さん振出の手形を持って、どういうふうに支払うのかという話しに行ったんですか。



 そうですね。


 金さんところに行く理由というのは、不渡りになった手形の支払いはどうしてくれるかということで行くわけでしょう。それ以外に要件はありましたか。



 もちろん、そうやね。


 そうすると、金さんの手形について、あなたが不渡りになった手形を受け戻すか買い戻すかして、持って、その支払いの交渉に行ったということはあると。



 あるね。ただ、この手形は自分が頼んで吉川氏ところへ行ったかも分からん。それは、僕は払らわないかんわけよ。そういう形のものがあったかも分からんね。当然、石本氏のところへ行くと、私は吉川氏に割り引いてもらって、手形がパアになったからといって、ほったらかすわけにはいかんからね。何回も言うように、これだけじゃないと思います。これだけのことで明確にこう言われると、何かちょっと頭が錯乱してくるからね。


 私は、金さんの手形について聞いてるんで、金さんの関係で他にも何枚かあったというような記憶があると。



 ありましたね。



 その関係で、吉川に割り引いてもらって、実際に不渡りになったんで、吉川に割引料を払って買戻したというようなことはありますか。



 この金伊三雄の分かどうか分からんけど、そういうのは何枚かありました。


 そこは、区別がつかない。



 はい。


 ただいえることは、金さんの手形をどこから受戻して持って、石本さんの奥さんに対して支払いはどうするのかと話をしたということ。



 現物を持っていったかどうかは全然覚えてないよ。


 しかし、金さんのところに行くのは支払いをどうするか・・・・。



 もちろん、手形不渡りが出れば、現物を持って行かなくても家に来ていると分かるので、石本さんいるという形で行きますね。
 不渡りを出しているというのは当然奥さんも分かっているんじゃないの。そういう形で何回か行ったこと、ありますよ。


 逆に、不渡りが出たことが分かっているから手形を持って行かずに、例えば、吉川から割り引いてもらっているから、買戻しせないかんわね。



 うん。


 結果的には、手形の不渡りになった分を回収する手続きの金を用意せないかんわけですね。



 そうですね。


 そのために、手形を持たずに石本さんのところへ行ったというようなことはありますか。



 現物を持っていってないような感じしますね。


 持たずに行ったという記憶ですか。




 そのまま、行ったと思いますね。


 そうすると、そのことにしても、石本が甲第76号証に書いてある内容と違うということは事実ですね。



 ・・・・・・・。

反論
金伊三雄氏から不渡り分の100万円を受取っていないと証言しているが、最初は「受取ってない」と断言していたのが金氏の念書に対し「会って話してみないとわからない」とか「金はもらってないと思う」にトーンダウンし、最後には「・・・・・・」と、返事が出来なくなった。また、手形金を回収するのに手形を持たずに行くのはあり得ない話だ。明らかに杉山は偽証しているが、ここでも弁護士はもっと突っ込んで尋問をするべきだったと思う。  

甲第68号証を示す(甲25号証と同じ)


 これは、あなたが作った書面ではなく、金庫が作った書面ですが、この書面は結果的には間違いだったということなんですけれども、この中で、金本光寿、野山菊敏、安田勝嘉という名前がありますね。



 この安田勝嘉というのは、わかります。


 こういうのを吉川のほうに割引に持って行ったことがありますか。




 それはわからんな・・・、割引したかも分からんし、それは、ちょっと分からんな。
 ただ、この安田勝嘉さんの分はわかるね。金本というのはだれなのかな・・・・、ちょっと・・・・。


 それで、こういう手形を吉川のほうに持ち込んだかどうかは、どうですか。



 だから、それはちょっとはっきりわからんね。自分も銀行に関しての帳簿みたいな形のやつは何年間かは持ってたんですけどね。

甲第69号証を示す

 これは、要するに、今の金本さんの手形が依頼返却になって、あなたが手形を受け取ったという書面ですね。



 ええ、依頼返却だね。

甲第70号証を示す

 これは、先程の野山菊敏さんの振出しの手形の「取引なし」ですから、これは、不渡りになって返却を受けたときの受取書ですね。



 そうですね。


 だから、こういうのは あなた自身が直接巽支店に持ち込んで、不渡りがあったので買い戻しなり返却を受けたということですね。



 そうですね。

甲第71号証を示す

 これは、最初は、先程の安田勝嘉という人の分を吉川が受け戻したような記載になっておったわけですね。ところが、それが間違いだったので谷川省吾に切り替えて、こういう受取書があるわけですね。



 はい。

甲第109号証を示す

 今の甲第71号証に対応するのがこれで、あなたの作成名義の不渡り受取書なんですが、これは逆になってしまって、当初、あなたが谷川省吾さんの手形を受取るような書面になっておったのが、結果的には、安田勝嘉さんの手形を受取るように変わっているわけですね。



 はい。


 甲第71号証と甲第109号証は、作成日は同じ49年11月21日になってますね。



 はい。


 あなたは、こういうことで、こういう書類を書いたという記憶はありますか。



 いや、今言われても、ちょっとわからんわ。


 つまり、あなたが金庫と取引してるときに、不渡手形受取書の記載が間違っておったから書き直してくれと、というようなことがありましたか。



 ちょっと、記憶にはっきりしないね。


 私のほうとしては、甲第109号証というのは、作成日付が昭和49年11月21日になってますけれども、どうも、期日がずっと後に作成されたものではないか、というように思っているわけだけれども、そういうふうな記憶はありませんか。



 いや、記憶ないね。だけど、こういうのは、ここにも日にちが書いてあるわね。こういう日にちなしで書類を出すことあるのかな・・・・。


 だから、こういう記載の誤りというのは、現実にこの書面があるわけですから、これはあなたの意見を聞くことになるけれども、こういう記載の訂正というのは、よくありましたか。



 いや、それはあまり記憶ないです。


 記憶ない。



 はい。


 しかし、現に甲第109号証で、あなたの署名があるものがありますわね。



 ええ、あるわね。


 記憶ないですか。



 記憶ないね。


 この甲第109号証は、あなたの署名捺印ですね。



 はい、間違いないです。

反論
甲71号証と甲109号証の件は、49年11月21日に私が預けていた「谷川」分の不渡手形を受取った時に署名捺印だけした受取書に、金庫が台帳から杉山の「安田」分を誤記載したため、50年1月21日に間違いに気づいた私が金庫に正しに行ったところ、檜垣が応対して手直ししたのが、甲71号証で、それにつれて杉山の不渡手形受取書も書き直したものであり、日頃から金庫職員が杉山と何らかのつながりがあって、私の取引と杉山の取引を混同していたものと思われる。


 あなたは、昭和51年ころまでは金庫と取引があったわけですか。



 いつごろまであったかな・・・。


 東京のほうへ行かれたのは、いつごろですか。



 もう11年になるのかな、そうすると昭和51年ごろですかね。


 要するに、事業に失敗して大阪を離れたわけですね。



 はい。


 大阪を離れるときに、谷支店長と会ったことはありませんか。



 離れるときに・・・・。

代 
 端的に言うと、谷支店長が見送りしてくれたということはないですか。



 そんなことは絶対にないです。


 何か、前に、昭和59年ころに吉川と会ったときに、谷支店長が鶴橋まで餞別を持って来てくれたんだというようなことを言っていた、ということですがね。



 僕がですか・・・・、自分の口でですか。


 ええ。



 とんでもない、そんなこと言うたことないわ。


 それから、あなたは谷支店長とゴルフに行ったりなんかしたことありますか。



 ありますよ。


 それは、あなたが取引をしておった当時ですか。



 そうです。ゴルフに行ったのは1回か2回ですね。


 ほかに、飲食したことは。



 飲食したことは、1回だけありますね。


 それから、先程聞きましたように、59年の7月に東京へ行かれたときに、吉川と会ったということですね。



 ええ。


 それから、60年9月に吉川の弟とあなたもよく知っている安東さんという人と東京であったことがありますね。



 あります。


 そのころに、自分は金庫へ行っても谷さんとしか口を利かなかった、というようなことを言っておったということがありますか。つまり、大体、自分の取引で行ったら、谷さんと交渉してるのや、という話をしたということはありますか。



 大体、ほかの者とはあまり親しく話はしなかったですね。


 取引のこともですか。



 そうですね。支店長がいなかったら、貸付の人に言うたりですね。支店長がいたら、支店長のところへちょっとお願いします、というような形でよく行きました。


 それから、50年に入りまして、吉川と金庫の取引についてトラブルが起こっているらしい、ということは知ってましたか。



 知ってました。


 それは、だれから聞きましたか。



 まず、吉川氏から、金庫がおかしい、ということで、それやったら金庫の書類全部出してもらったらどうやということで、そういうアドバイスを吉川氏にしたことはあります。金庫の言うのがどうしても自分の思ってるのと金額の点で合わへんねんというようなことで話をしたときに、いままでまだそんなに何年もならへんねんから、自分が取引した分の書類を1から10まで全部1回出してもらえと、そういうことを言ったことはあります。


 吉川の取引について、金庫といろいろ問題になっている事項について、谷支店長が吉川の目の前で、具体的にどこが問題で、どうなっているかということを、杉山さんに協力してもらったらどうや、といううふうに谷支店長が言ったということは、ありましたか。



 自分の前でですか。


 ええ。



 そんなことあったかな・・・・。


 つまり、吉川が谷支店長と一緒におるときに、谷さんからの電話で、あなたが呼ばれて、巽支店に行って、金庫と吉川の取引の問題点の話をしたということはありましたか。



 えっと・・・・。


 これは50年の3月ごろのことなんですけれどもね。



 50年3月・・・・。ただ記憶あるのは、自分が中川のほうへ家をかわって、あの中川の家には1年住んでないと思うんですが、あの家にかわってからいろいろ失敗事がありまして、それで大阪離れたんですけれども、記憶にあるのは、その中川におるときに、吉川氏の問題で支店長のほうから電話があったことはありますよ。それで、金庫へ行って、がたがたしてるんだと、それで、金庫としては、もう警察でもすぐ呼んだらいいんだけれども、杉山さんの顔も潰しますしな、ということで、それはどういうことや、と聞いたことはありましたね。


 それから、あなた自身が吉川と金庫の取引について、保証債務を追求されたこと、つまり、あなた、保証人として責任を取ってくれ、というようなことを言われたことはありますか。



 そんなこと、なかったような気がするね。


 現在まで1回もないですか。



 ・・・・・・。


 吉川の債務が残っているから、あなた、保証人としての責任をとってくれ、と。



 そんなことは、聞いたことないですね。


 大阪におるときも、なかったですか。



 大阪におるときは、債務はなかったんじゃないですか。


 そういう記憶なんですか。



 ・・・・・。


 要するに、保証人としての責任を取ってくれと、いう話はなかったんですね。



 なかったですね。


被告代理人
 あなたは、被告の金庫と取引は、期間は大体どれくらいやっていましたか。



 48年から大体3年くらいのものですね。

被告代
 その間に1回でも、何か自分では理解できないような不審を金庫に対して抱くようなことがありましたか。



 いや、自分は別になかったです。

被告代
 1回もなかったですか。



 はい。

乙第25号証の4を示す
被告代
 あなたは、こういう印刷した用紙に、印刷した文字以外のところに何も書いてないものに、自分の署名捺印することがありますか。



 ただね、余計なことになるかもしれませんけれども、そういう大事な書類に自筆で自分の名前を書いていて、はっきりしない、というのは、ちょっとおかしいんですけれども、ただ本当に、思い出せないからね・・・・。それで結果的に、こういう中途半端な返事になってしまって、本当に申し訳ないんですけれども・・・・。

被告代
 じゃあ、こう聞きましょう。あなたは、印鑑証明の実印で署名捺印するのに、これはだれのためにするんだとか、金額が幾らのものか、ということがわからんのに署名捺印するという、そんな事務処理をすることがあるんですか、これは、一般論としてですけど。



 ないと思いますね。

甲第76号証を示す
被告代
 この石本さんこと金さんですね、この人のところへ金をもらいに行ったことはあるけれども、手形を持って金を取りに行ったことはないと・・・。



 それが、自分では、手形を持って行ってないと思うんですがね。

被告代
 だから、手形を持って行って、お金をもらった記憶はないということでしょう。



 そうですね。

被告代
 あなたは吉川さんと仲がよかったようですが、ときどき喧嘩したらしいけど、すぐ仲直りしてるという、そういう状態だったんですか。



 そうですね。

被告代
 そうすると、いつでも、そんなに根の深い喧嘩じゃないわけですね。



 そうですね。

反論
杉山とは金伊三雄の件で口喧嘩をして以来、絶交をしてからは一度も仲直りをしていない。金庫側の弁護士の質問には意図が感じられるし、杉山の証言も嘘である。

乙第25号証の4を示す
被告代
 それから、この乙第25号証の4に関連してあなたが言われたことなんですけれども、不動産に関する記憶はない、とか何とか言われましたね。それをもう一度言って下さい。何のことですか。



 不動産を担保にして金を借りていた、と言われたんで、不動産を担保にして金を借りていたというような記憶はあんまりないな、と思ってるんです。

被告代
 だれがですか。



 吉川さんがでしょう。

被告代
 吉川さんが不動産を担保にして金を借りていた、ということは、あんまり聞いていないと、そういう意味ですね。



 そうですね。

被告代
 この500万円の貸借の保証ですが、これはしない、ということも言えないわけですね。



 ・・・・・。

被告代
 つまり、あなたが言ってるのは、こうじゃないんですか。吉川さんが不動産を担保にして金を借りた、と言う話は聞いていないから、もしも、この乙第25号証の4の書類が、不動産担保の貸借の書類なら、自分はちょっと理解がしにくいという、そういう理屈で、そう思ってるだけのことですね。



 いやいや、そういう意味じゃなしに、そういう話も耳にしたかも分からんのですけれども、ちょっとはっきりしないのでね・・・。ただ、不動産を担保にして金を借りなあかんほど吉川氏が困ってた、というような記憶がない、というほうが強いですね。

被告代
 それで、そういう話は耳にしたかも分からんというのは、どういう話のことですか。不動産を担保に金を借りた、というこということですか。



 だから、そのことでね・・・・、この書類に書いてるということは・・・・。

被告代
 あなたは、被告金庫と取引している間に、被告金庫が、ちょっと印鑑を預かる、とか言って、あなたが取引印鑑を被告金庫に預けたようなことがあるんですか。



 あったかもしれませんね。そんな感じもせんこともない。1回あったような気もするね。

被告代
 それは、どんなときですか。



 それは、ちょっとはっきりわからんね。

被告代
 じゃ、そのときは、その印鑑を何に使ったか、後で聞いたんでしょうね。


 もちろん、そうですね。

反論
先にも述べたが、印鑑証明のない連帯保証人の書類が存在するのは、杉山が金庫との取引の枠を増やすのが目的で、これは金庫職員も関わっていなければできないことである。


原告代理人
 先程の金さんの手形のことなんですが、結局、石本さんこと金さんからお金を受取ったか受取ってないか、あなたははっきりしてないということでしたね。



 はい。


 しかし、この手形の関係で吉川にその金を渡したことがあるかどうかという点は、どうですか。



 つまり、不渡りになった分を自分が弁償したかどうか、ということですか。


 そういうことです。



 そういうことはちょっとはっきり分からないですから・・・。その、金さんの手形云々じゃなしに、そういうことは何回もありましたよ。手形を割ってもらったかて、それ全部がまともにストンストン落ちれば何もないですけれども、不渡りになった分は、やっぱり僕と吉川さんの貸借ですからね。


 あなたと吉川の取引で不渡りになったというのは、そうなかったんじゃないですか。これくらいのものじゃないですか。



 そうかな・・・、何かあったんと違うかな・・・。預かっていた手形がそういう手形が多かったんでね。


 じゃ、もう一度確認しますが、あなたが石本さんこと金さんのところへ行って、金さんから金を受取って、それを例えば吉川に払ったという記憶はないんですね。



 ちょっと分からんね。

反論
私はこの件に関して杉山からは金を受取っていない。杉山は最初、石本さんからの金の受取をきっぱり否定していたが、核心になるとあいまいな答になる。金庫職員から不渡手形を受取って、それを持って石本さんところへ回収に行ったのは明らかだ。石本氏の念書と杉山の一貫したあいまいな証言を比較すれば、だれにでもわかる話だ。

乙第25号証の4を示す

 それから、この署名はあなたの署名なんだけれども、ほかの人、つまり、吉川さんとお兄さんのは、後ろに印鑑証明がついているんですが、あなたの分だけ印鑑証明がついてないんですけれども、印鑑証明を渡したという記憶はありますか。それも記憶ないですか。



 ・・・・・。


 そういうことから、何か思い出しませんか。



 ちょっと、わからんな・・・・・。


 あなたが自分で本当にその内容を知ってやっておったんなら、常識から言って、印鑑証明は必ず出すべきものですね。



 そうですね。


 それが、印鑑証明がないということは、何か事情があったんじゃないかと想像するから聞いているんだけれども、何か思い出しませんか。



 さっき、今の保証人になってる件に関して、そういう不動産を担保にして借りていた、という記憶があまりなかったですよ。だけど、いま、お兄さんの印鑑証明どうのこうの言うたときに、そういう話を1回聞いたような感じが、今、しましたね。ただ、印鑑証明どうのこうのと言われたら、ちょっと困りますけれどもね。


 いま見てもらったように、あなたの印鑑証明が添付されていないことは事実でしょう。



 そうですね、付いてないということはね。


裁判官
 どういう事情で印鑑証明を出さなかったかは、ちょっとわからないですか。



 わからないですね。


 その署名は、あなたの自筆であることは、間違いないですか。



 間違いないです。


 印影もあなたの実印であることは、間違いないですか。



 はい。これは、私の実印です、見たらわかります。


原告代理人
 あなたが扱っていた手形の中に、古本治三という人の手形がありましたか。



 その名前は知っていますよ。


 その手形を扱っていたかどうか。



 多分、扱っていたでしょうね。


 それを、吉川に持ち込んだという記憶は、どうですか。



 多分、回っていたんじゃないですか。


 回っていたと思いますか。

 

 はい。


 それから、あなたが直接、巽支店と取引してるわけですね。



 はい。


 手形取引とか貸付のレートは、大体、何ぼくらいでしたか。



 どのくらいだったかな・・・・。


 記録上、金庫は、年6パーセント台から8パーセントくらい、とあるんだけれども。



 枠内の場合と、無理言うて割る場合と、若干違うんじゃないですかね。


 それで、あなたと吉川の手形割引のレートは何ぼでしたか。



 月3分くらいと違うかな・・・。


 それにしても、レートが高いですね。



 それは、そうですね。


 そうすると、安い金庫のレートが使えるのに・・・・。



 使えるんやったら、何も、吉川氏のところで割らへんですわ。


 だから、金庫の枠がいっぱいだったから、吉川を通じてやったと、そういうことですね。



 そうですね。


被告代理人
 先程あなたは、あなた自身が金庫に印鑑を預けたことが一度くらいあったように思うと言われたでしょう。



 はい。

被告代
 それは、ちょっと印鑑、と言われて、すぐその場で印鑑を預けたという意味ですか。それとも、何日も預けた、という意味ですか。



 何日も預けてないですよ。

被告代
 その場で返してもらった、というんですか。



 どうだったかな・・・・、自分では、なんぼ銀行でも、印鑑は滅多に預けるものではないということは、自覚してますけれどもね。

被告代
 だから、むやみに預けたとは思ってない、ということですか。



 そうですね。


結論
全体を通じて、肝心なところはあいまいな証言に終始しているが、原告代理人、被告代理人、裁判官とどれも尋問が中途半端に終わっている。これでは金庫の不正を明らかにすることは出来ず、敗訴になったのもうなずける。

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