永和信用金庫事件の経緯

事件の登場人物

名前 当時の地位 役割
杉山常好  知人 ●永和信用金庫を紹介
●私文書偽造、手形相当金を詐取
●協力を約束しながら私の前から去っていった
●質問書を送達したが回答はなかった
谷 肇 巽支店、支店長 ●杉山と結託
●資料改竄
●暴力団の名前を出して脅す
●事件のポイント
桧垣安紀 巽支店、支店長代理 ●支店長等と結託
立岩正男 巽支店、貸付担当 ●出金伝票作成も、出金した相手の証言拒否
勝原史郎 巽支店、貸付担当 ●支店長と結託
●偽証
村上博志 知人 ●金庫と結託
●谷口弁護士とも結託
●偽証で私を敗訴に追い込む
谷口光雄 依頼弁護士 ●村上と結託、杜撰な訴状及び証拠書類作成
●私を訴えながら私に300万円を払って和解
安東日明 知人 ●金庫と面談したときの立会人
金伊三雄 被害手形の振出人 ●証人
田中美稲 本店、常務理事 ●資料提出を求めに行った時に応対
森田 実 本店、管理課 ●資料改竄
五十棲義明 本店、審査課 ●資料改竄
藤原猛爾 依頼弁護士 ●民事訴訟弁護
●和解交渉
●慰謝料請求の民事訴訟の証人
●藤原弁護士への疑問
吉田朝彦 金庫側弁護士 ●改竄された個所を抹消して証拠書類を提出
●和解案を持ちかける
金澤繁彦 本店、業務部副部長 ●面談に行ったときの担当者
●証言では事務処理上の違法行為を認めたが
清水一男 本店、理事 ●挑発行為をして、刑事告訴をする
柳川博昭 依頼弁護士 ●刑事告訴、慰謝料請求訴訟の弁護
中村泰雄 金庫側弁護士 ●通告書を送ってきた
高橋伸治 金庫会長 ●中小企業泣かせの施策
●トラブルは絶体に非を認めるなと指示を徹底
久保井一匡 現在の金庫弁護士 ●「警告書」という名の「脅迫状」を送ってきた
●当方の質問状には無回答
●「告訴するかしないかはこちらの勝手」と回答


事件の経緯

昭和48年2月 杉山常好の紹介で永和信用金庫巽支店と預金・手形貸付・手形割引・手形取立等の取引開始
昭和48年3月 手形を何通か取立に回したところ無断で手形が「割引」扱いにされ、割引金合計130万円が私の普通預金口座に振込入金されたうえ、何者かによって勝手に引き出されていた。
以後昭和49年末までの1年半ほどの間に10件もの事件が立て続けに起こり、合計金1054万9265円の損害を受けた。
手形振出人金伊三雄と、取立てに行った杉山常好の証言が食い違う。「手形を持参してきたので支払った」と証言する金に対し、「手形を持たずに金伊三雄の自宅へ取立に行ったが、お金は貰って無い。」と杉山は証言するが、そもそも手形を持たずに取立てに行くだろうか?
昭和50年1月 永和信用金庫巽支店に取引資料を交付するよう村上博志、安東日明と請求に行くが、谷支店長は取引資料の交付を拒絶。
昭和50年2月 再び取引資料の提出を請求に行ったところ、応対した五十棲義明および森田実から、貸付元帳等のコピーではなく、手書きで改竄済みの資料が私に交付された。 この時点では、素人の私には改竄されたものとは気付かなかったが、村上達は恐喝の種になると思った
昭和50年5月 事件による精神的苦痛により40日間入院
昭和50年5月 入院中に村上、安東が金庫と数回面談、私には報告は一切なし 谷支店長らと、裏取引きをしたと思われる
昭和51年3月 永和信用金庫を刑事告訴するも、谷口弁護士の提出した訴状が不備と指摘される 検事から指導を受ける
昭和52年2月 訴状を作り直し、告訴のやり直し 谷口弁護士は、最初は勝てるようなことを言っていたが…
昭和53年5月 不起訴処分となる 杉山を詐欺横領、金庫職員は私文書偽造、同行使で訴えるべきであったが、谷口弁護士は金庫職員の業務上横領だけで告訴したので不起訴処分になった
昭和53年7月 検察審査会に審査申立てをする
昭和53年12月 検察審査会の指示により、検察庁に告訴状を再提出する
昭和54年2月 再び不起訴処分となる 谷口弁護士の一連の弁護活動は手抜きによるものだった
昭和54年4月 近畿財務局に調査申立て
昭和56年11月 民事訴訟を提訴する
昭和61年6月 裁判長から和解勧告を受けるも金庫側が断る
昭和61年8月 谷口光雄弁護士辞任 次回谷支店長の証人尋問の時に、他の弁護士に委任すると言ってきたが断ると、弁護出来ないと言ってきた。谷支店長や金伊三雄の証人尋問は谷口自身に不利だからと後にわかった。
昭和61年10月 藤原猛爾弁護士選任 急ぎ後任弁護士を依頼、前任の杜撰な資料を見て驚く
平成3年11月 民事訴訟、敗訴となる
平成3年11月 控訴
平成4年6月 金庫代理人、吉田朝彦弁護士「和解する気持ちがあるのなら考える」と告げてきた
平成4年9月 控訴棄却
平成4年10月 上告 何故か藤原弁護士が下りたので、自分で上告をした
平成5年10月 上告棄却 この後、数年にわたって村上と会って事情を聴く
平成10年4月 谷口弁護士事務所へ談判に行く(以降30数回) 一連の訴訟の敗訴は谷口弁護士の背信行為に起因
平成10年11月 谷口弁護士、村上博志との間で和解成立 先方が起こした損害賠償訴訟で、各自が私に300万円を支払う
平成11年1月 永和信用金庫へ行く、五十棲義明、金澤繁彦と面談 谷口、村上が上記金員を支払ったのは、金庫と何がしかの取引を認めたものと推察、これをもって金庫側に道義的責任を求めた
平成11年8月 金庫側弁護士より、面談拒否の通告書が届く
平成11年12月 面談を拒否されるようになり、挙句に建造物侵入罪で告訴され在宅起訴される 検事より罰金刑で済ますという打診があったが、事件の全容を明らかにしたいので、公訴を要求、裁判になる
平成12年1月 国選で柳川博昭弁護士選任
平成12年2月 刑事裁判
平成12年3月 清水一男の挑発にのり傷害事件となり、傷害罪で起訴される
平成12年12月 大阪地裁で建造物侵入・傷害罪により「懲役1年6月、執行猶予4年」の有罪判決を受ける
平成13年2月 慰謝料請求の民事訴訟を提訴
平成14年4月 民事訴訟、敗訴
平成14年6月 控訴
平成14年9月 控訴棄却
平成14年10月 上告
平成15年1月 事件の経緯をホームページ公開
平成15年2月 上告棄却
平成15年4月 中小企業経営者からの告発文が届く
平成15年4月 ホームページに対して、金庫側弁護団連名で脅しとも取れる警告書が届く
平成15年5月 登録されていた検索サイトからことごとく削除される
平成15年6月 上記警告書をホームページに掲載
平成15年6月 削除されていた検索サイトに再掲載される
平成15年7月 Infoseekの無料ホームページで掲載していたが、ホームページが削除される
平成15年7月  「Yahoo」からホームページをたちあげる
平成15年9月 1通目の内部告発文が届く