藤原弁護士への疑問

(谷口弁護士辞任から藤原弁護士に代わった経緯と疑問点)

谷口弁護士の辞任
 昭和61年8月27日、谷口弁護士事務所で、数日後に控えた同年9月2日の永和信用金庫巽支店長である谷肇の証人尋問に対する打合せでした。
 打合せが終わり、帰ろうとしていましたら、谷口弁護士が「谷支店長の証人尋問は、私では具合悪いので角谷弁護士に頼んで応援してもらいますから」と告げるので、私は「先生が一人で質問してください」と言いました。
 角谷弁護士は、昭和60年10月16日に、金庫職員である、末益達行の証人尋問を、着手金は要らないので一度だけ末益の証人質問してもらうからと、説明を受けて私が了解をした弁護士であります。
 そして、谷口弁護士に角谷弁護士の電話番号を教えてもらい、後日挨拶を兼ねて御礼をしようと電話を入れたところ「貴方と個人的に会う必要はない」と言われる始末でした。ましてや谷口弁護士は、角谷弁護士を私に紹介もしなかったし、一度も打合せをしたこともなかったのです。普通、事件を担当していなかったら一度は打合せをするはずなのに、それもなしに当方の側に立って証人質問をするというのは誰が考えてもおかしな話です。

 ところが谷口弁護士は「又、角谷弁護士に応援してもらいますから」と告げるので、私は「以前に角谷弁護士に挨拶を兼ねて御礼に行くつもりで電話を入れたところ、貴方と会う必要はないと言われたことがあるので、先生一人で質問して欲しい」と言うと、谷口弁護士は「谷支店長の証人尋問は、私では具合悪いから、質問しにくいと何度も繰り返し弁解するので、私は「内容も把握していない弁護士では駄目だと思うので、是非、先生一人で質問して欲しい」と告げると、谷口弁護士は「それであったら、弁護はできん」と言うので、押し問答の末、私は「弁護するのが嫌なら辞めてもよい」と言って帰ってきたのです。

 何故、谷口弁護士自身が証人尋問するのが具合が悪いのか、そこを問いただしても言葉を濁すだけでまともな答えは返ってきませんでした。私が納得できる、或いは誰が聞いてもなっとくいく理由で担当弁護士が証人尋問を、事件の内容をよく知らない担当外の弁護士に証人尋問を任せるのか、説明がないとそういう提案は誰も飲めないと思います。後で考えるとやはり何か裏取引きがあったから尋問しにくいのではないかと、又角谷弁護士も、こちらと打合せをしないで、向こうと話が出来ていたから、こちらから着手金を受け取らずに証人尋問を引き受けたのだと、又私に会う必要はないと言ったのも、結び付けて考えれば納得できる話である。
 そして、同年8月29日、私が留守のときに、妻に「永和信用金庫の弁護は出来ないので、代理人を辞任するから、主人に伝えておいて下さい」との電話で辞任したのです。
 
 後任の弁護士を選任するために5名の弁護士と会いました。谷口弁護士が辞任したので、谷口弁護士が作成した告訴状、民事訴状、準備書面等の書類を全部見てもらって、5名の各弁護士に検討してもらいましたが、あまりにも杜撰な、書類なので、異口同音に、谷口弁護士の義務違反の仕事を次のように指摘してくれました。

(イ)、告訴状、民事訴状、準備書面は素人が作成した見たいやけれども、吉川さんが作成したのか、弁護士が作成したのなら余りにも粗末やなあ。

(ロ)、刑事告訴と民事訴訟を何故、一緒に提起しなかったのか、民事訴訟を提起するのが遅いし、これぐらいの知識は、弁護士なら判っているはず。

(ハ)、後任の弁護士を選任したら、その弁護士によく相談して準備書面を全部やり直すし、請求拡張手続もしてもらいなさい。
と、問題点を指摘してくれました。
前記5名の弁護士が指摘している如く、法令、法律の専門家である弁護士が作成する書類でないことから見て、谷口弁護士は、素人である私を騙す仕事を村上と策謀して、故意に行っていたことは明らかであります。いずれにしても、谷口弁護士が作成した書類を全部、どのように検討しても懲戒に該当する仕事を行なっていたのは、証拠から見ても歴然としています。
 そして、前記5名の弁護士に受任をお願いしましたが、各弁護士は「裁判途中で投げ出して辞任した後の弁護は、やりにくい」との理由で断られました。そして又、前記の弁護士は「弁護士によっては勝てる裁判も負ける」と言明していましたが、正に谷口弁護士が手抜きの仕事を行なっているのは、谷口弁護士の作成した告訴状及び準備書面等の書類を見て、検討して負けることが判っているので、5名の弁護士の代理人の受任を断られたものだと断言できます。

昭和61年8月29日
 谷口弁護士が辞任する。

昭和61年10月24日
 藤原猛爾弁護士を選任する。

昭和61年12月17日
 谷口弁護士を大阪弁護士会に個人で懲戒申立書を提出する。

昭和62年10月29日
 日本弁護士連合会から谷口弁護士にたいする懲戒申立ての審査開始通知書が送付されて来る。

昭和63年3月23日
 藤原弁護士事務所で打合せが終わり、鶴橋の焼肉店「アジヨシ」で食事中に藤原弁護士が「吉川さんのよく知っている弁護士から電話があって、吉川の弁護にかかわっていたらえらい目に会うぞ」と言うのでした。

昭和63年3月28日
 藤原弁護士事務所で打合せがあり、先日の3月23日の件で、私とすれば谷口弁護士しか知りませんので、確認すると藤原先生が「懲戒委員会の弁護士からの電話があって、吉川の弁護をするなら、気をつけてするようにとのことであった。」と弁明しました。

昭和63年9月21日
 日本弁護士連合会から谷口弁護士の懲戒申し出は棄却になる。

平成3年3月27日
 第一審判決日であったが、5月1日に延期になる。

平成3年5月1日
 判決日であったが裁判長が代わるとの理由で弁論が入る。
次回は、6月24日。

平成3年6月24日
 9月4日に判決になる。

平成3年9月4日
 判決日であったが、10月23日に延期になる。
打合せで藤原弁護士事務所へ行くと、藤原先生が「金庫側の弁護士から示談の話があるが、どの様にするか。」と問われました。
私が「永和信用金庫の不法行為に関わった人達から全部が私に頭を下げて謝罪したら示談してもよい。」と返事すると、藤原先生が「それは、無理」とのことで、示談の話は無かったことになる。

平成3年10月23日
 判決日であったが、11月13日に延期になる。

平成3年11月13日
 判決日であったが、敗訴になる。

平成3年11月19日
 藤原弁護士事務所へ行き、控訴の打合せをする
藤原先生が「裁判官は職権を嵩にきて乱用されて敗訴している。」と言っていました。
 又、私も「差別された不公平な判決である」と言う。

平成4年6月23日
 次回9月22日に判決日になる。
控訴の結審日の、弁論が終わった後、廷の外で藤原弁護士と同道の時に相手方代理人、吉田朝彦弁護が私に対して「金庫にも色々と問題があると思う。貴方(吉川)が和解する気持ちがあるのなら考えるので、連絡してくれ」と告げたことがありました。
 これを聞いて私は、それまでの相手方代理人が昭和61年6月3日に、裁判長からの和解勧告を拒否したこともあり、言動に不満を持っていたため、和解に応じませんでしたが、やはり私の主張は正しいのだと自信を強く持ったわけです。

平成4年9月21日
 打合せで、藤原弁護士事務所へ行き、帰りに鶴橋の「たらふぐ」で食事中に判決についての話をする。
藤原弁護士が
●判決は敗訴する
●判決で敗訴しても、ビッグサービスがある
●政治家を知らんのか、政治家を知っていたら、裁判はどの様にでもなっていた
●金庫と吉川をハカリにかけたら、裁判官は金庫の見方をする
と言いました。

疑問1
●ビッグサービスとは何か、おそらく金庫側と何か裏取引が合ったのではないかと思われる。
●裁判はどのようにでもなるというのは、私が勝ってもおかしくないということで、言い換えれば藤原弁護士の力が足りなかったか、谷口弁護士と同様金庫側と何か裏取引があって、依頼人の力にならなかったのか、ということではなかったのだろうか。

 そもそも谷口弁護士の辞任の理由は、谷支店長への証人尋問拒否にある。つまり、金庫側との裏取引があったので証人尋問ができなかったのである。私が強く求めた谷支店長の「暴力団との関わり」発言を問いただすと永和信用金庫の信用にかかわるので金庫側に配慮して出来なかったのである。
 私は藤原弁護士にも谷支店長の「暴力団との関わり」発言を問いただすよう求めていたが、準備書面ではその件について記載をしたにも関わらず、何故かそれはされなかった。私にとってその質問こそが、永和の違法性を追求するための最も重要なものだったのであるが。
 この点を裁判所で明らかにすることによって、この裁判は勝っていたはずなのに、藤原弁護士がそれを回避したので、結果的に敗訴した。今になって考えると、勝てる裁判を負けに導いたのだと思える。
 また、檜垣支店長代理が私に「何億を使ってでも永和の面子は保ってみせる」といっていたが、金庫側が私の依頼弁護人に次々と近づいていっても不思議ではないと思った。


平成4年9月22日
 判決日であるが、9月29日になる。

平成4年9月25日
 藤原弁護士に電話をする。
示談する方法を言うが、藤原弁護士が「判決文を見てからでも遅くはない。」と返答しました。

平成4年9月29日
 判決は控訴棄却される。

平成4年10月9日 
 控訴棄却になったので、上告の手続を依頼するが、藤原弁護士が「自分としては、上告しても無駄だと思うので上告するなら代理人を辞任する」と言うので、仕方なしに個人で10月13日に上告をする。

疑問2
私からの強い要望にも拘らず、藤原弁護士は上告の代理人をかたくなに断った。普通、新しい証拠ないし事実が出てこない限り、上告しても無駄だから弁護を引き受けないということもあるが、前回の裁判で審理が十分に尽くされていない点があるので、それについて再審理をするという方向なら上告も可能なのではないのか。本当に依頼人のために全力を尽くすのが弁護士の正義というのなら、藤原弁護士は正義というものを持ち合わせていなかったのではないだろうか。 


平成5年10月7日 
 最高裁判所から「上告棄却」の通知を送達してくる。

平成5年10月14日
 藤原弁護士事務所へ行き「上告棄却」の報告をする。
藤原先生が「村上博志は、一人で勝手に永和信用金庫と交渉して、金を貰って裏取引きした。だから村上を通じて谷口弁護士に事件を依頼したのは吉川の落ち度であった」と言われる。
又、「吉川が杉山常好の紹介で永和信用金庫と取引したのは、吉川の落ち度であった」と言われる。
藤原弁護士から前記のように言われたのですが、全くその通りで、皆に仕組まれた不法行為を許すことはできないので、帰りに鶴橋の「たらふぐ」で食事をしている時に、再審手続を依頼すると、藤原弁護士が「自分としては再審手続きはできない」と言うのでした。
ところが、家に帰ってから少しの時間をしてから藤原弁護士から電話があって「判決文に書いてあることに対して論議する必要があるので、もう一度、上告棄却に対して打合せをするから10月19日に事務所に来るように」と言うので、行く約束をしました。

疑問3
「村上博志が永和と交渉して裏取引をした」「杉山の紹介で永和と取引をしたのは吉川の落ち度だった」とコメントしているが、永和の違法性を認識していたから出た言葉で、そこを追求するのが弁護士の仕事ではなかったのか。

平成5年10月19日
 藤原弁護士に、再審を依頼するが、再審をやっても無駄なので出来ない。その代わり、次の方法があると説明されました。
●金庫から融資を受けて商売する方法
●裁判で敗訴したのは谷口弁護士に原因があったので、谷口弁護士に損害賠償を提起する方法
等、どの様にするか考えておいて欲しいと言いました。
又、相手方吉田朝彦弁護士が、「吉川は、金庫と谷口弁護士、村上博志と裏取引きしていると思っているので、嫌になり、中村弁護士と代わる」との説明をしました。藤原弁護士は、弁護士としてこれ以上のことは言えないと言いました。

疑問4
●ビッグサービスとは金庫から融資を受けて商売する方法だったようだが、この話を受け、私は藤原弁護士のすすめで再審をあきらめた。
●弁護士としてこれ以上言えないとはどういうことなのか。依頼人と弁護士の間では意思の疎通を図るためにできるだけの情報は、依頼人に伝えるべきだと思う。先方に遠慮しているとしか思えないがどうだろうか。

平成5年11月12日
 藤原弁護士に、先日の10月19日の件で、先生が私の立場なら、どの様にするかと問いますと先生は、金庫から融資を受ける方法を選ぶと言うので、金庫から融資を受けて商売をする方法を考えるようにする。

平成5年12月8日
 藤原弁護士が
●永和信用金庫に、私名義と息子名義で定期預金をする事を指示する
●来年1月中旬に融資の申込をする
 この時に藤原先生も、「新年の挨拶を兼ねて一緒に行く」と言っていました。

平成5年12月17日
 叔父夫婦と兄弟など、一緒に上六の焼肉店「名月館」で藤原弁護士と待合をする。藤原弁護士は次のように説明しました。
●息子とよく相談して、融資を受けて何の商売をするのか、今から検討しておいて欲しい。
定期預金をしたら報告して欲しい、年明け早々にも一緒に金庫へ行き、融資の話を進める。
と言いました。

平成5年12月22日
 永和信用金庫巽支店へ行き、私名義と息子名義で各百万円を定期預金する。

平成6年1月7日
 藤原弁護士に定期預金をした報告をしに事務所へ行く。約束どおり藤原先生に「融資の件で金庫へ一緒に行って欲しい」と依頼するが、「私一人で行き融資の窓口を広げて欲しい」との事でした。

平成6年1月31日
 藤原弁護士事務所へ行き、金庫から融資の件は断られた報告をする。
藤原先生は「融資を申し込んだ件、金庫から断られたが、あってはならない事であった」と説明されました。

疑問5
●金庫から融資を受けて商売をする話を受けて再審をあきらめたのに、はじめはいっしょに行くといっていた藤原弁護士が、いざその時になると私一人に行かせた。
結果はごらんのとおりで、はじめから再審をあきらめさせる口実であって、金庫と何か口裏あわせがあったのではないかと思う。

平成6年3月22日
 藤原弁護士から、近畿財務局に調査並びに是正措置申立書を提出したと電話がある。

平成6年5月11日
 大阪弁護士会に谷口弁護士に対して、紛議申立てを提出する。

平成6年11月29日
 藤原弁護士が「村上博志に委任状を渡した事があるのか」と言うので、私は、渡した事はあると答えました。
(村上が、谷口弁護士から連絡があって、告訴状が完了したので、吉川から委任状2通を貰って欲しいとの事であったので、上本町6丁目の喫茶店「シャルマン」で昭和51年5月20日に渡す。)

平成7年4月2日
 村上博志が住居を引越して行方が分からなかったのですが、奈良市朝日町の自宅を探して行く。

平成7年7月20日
 谷口弁護士に対し、私の質問書を送達する。
藤原弁護士にワープロで作成してもらいました。また、藤原弁護士は「村上が金庫と裏取引きした事を証言したら再審は出来るし、裁判も勝訴する」と説明しました。
尚、後の平成8年6月19日付で、谷口弁護士からの質問書に対する回答書を、紛議委員会から貰いました。

平成7年9月20日
 藤原弁護士に「村上博志が私の代理人弁護士と会わしてほしいと頼んでいる、会うのなら、その時に金庫の弁護士と谷口弁護士も呼んで話し合いをする」と言うので、藤原弁護士に相談するが、藤原先生が「嘘ばっかり言う人間と会う必要はない」と言って会うことを断られました。

疑問6
村上が金庫と裏取引したことを証言すれば再審は出来るし、裁判も勝てるといっておきながら、村上が会いたいといってきているのに、会う必要はないというのはどう考えても腑に落ちない。また、「嘘ばっかり言う人間と」というのは、私の知らないところで村上と何らかの接触があったと思われるのに、それについての報告なり説明は一切なかった。

平成7年10月27日
 藤原弁護士は、次のように説明しました。
●谷口弁護士と村上博志が金庫と裏取引きがあったとしても、谷口弁護士に対して懲戒申立てしか出来ない。
●谷口弁護士が辞任した件は駄目である。
●金庫とは話は出来ない。
●吉川にはやりたい様にやらしているし、谷口弁護士の件は時効はない。
●法律的に谷口弁護士、村上博志、杉山常好を訴える方法はない。
等を言っていました。

疑問7
●仮に谷口弁護士と金庫との間で裏取引があったのなら、裏取引をした金庫側と話をできないというのは納得がいかない。


平成8年8月29日
 大阪地方裁判所から谷口弁護士の債務不存在の訴訟が届く。
第20民事部合議係
平成8年(ワ)第8492号

平成8年10月1日
 谷口弁護士からの債務不存在訴訟に対する打合せをする。
藤原弁護士が代理人にはなれないが、相談なら受けると言っていましたが、次の様に説明しました。
●谷口弁護士は、弁護士としての職務をしていないので社会通念上許されないし、谷口弁護士と吉川との件は、時効はない。
●谷口弁護士は、弁護士としての義務違反を一杯している。


平成9年12月12日
 谷口弁護士の債務不存在訴訟の判決は敗訴する。
しかし、裁判所は谷口弁護士と村上博志の証人尋問の人証を受理しながら、不公平にも証人尋問の人証を行わなかった。

平成10年2月28日
 藤原弁護士が谷口弁護士の債務不存在の判決文について次の二通りの違法を説明しました。
@谷口弁護士は、吉川から頼まれた仕事をしていない。
A谷口弁護士は、やってはならないことをしたのでけしからん。

等と言うので、私がどのような事かと問うと藤原弁護士は、「谷口弁護士は、義務違反の仕事を一杯している。これ以上の事は弁護士として言えん。」と言うのでした。
また、次のような事も指摘しました。
●村上博志が谷口弁護士の代理人として金庫へ行って、調査した事について、両名は吉川に事実を詳細に説明する義務がある。
●中味はどうであれ谷口弁護士は表面上の形式だけの仕事をしている。
●金庫も手形(第4、第5事件)を紛失しているので、永和信用金庫が除権判決を採る義務がある。
等を言いました。

疑問8
藤原弁護士は「谷口弁護士は、弁護士としての職務をしていない」「谷口弁護士は、義務違反のことを一杯している。これ以上のことは弁護士として言えん。」などと私に説明したが、なぜ、谷口弁護士がそうしたのか、永和と裏取引があったからで、藤原弁護士は「裏取引」を認識してしていながら、永和への追求をやらないのか、私が藤原弁護士も永和と「裏取引」があったと思うようになっても当然のことではないでしょうか。


除権判決の損害賠償についての判断。
 民訴法764条以下に規定される除権判決の制度は、手形を盗取され、または、紛失、滅失などによって喪失した者が同法777条以下の規定に従って裁判所に対して、手形の無効宣言の申立て、並びに除権判決により、権利の回復を所期した制度である。
 除権判決の制度を考察すると、金庫内部で第4、第5事件の振出人手形を紛失ないし、滅失していますので、金庫が除権判決を採る責任があるにも拘わらず放置した原因は、金庫職員と杉山常好の不法行為が発覚するのを覆い隠す為に、除権判決を採る責任があったにも拘わらず、放置して、その結果、私に対して損害を被らせた事は明白である。
また、永和信用金庫は、預金している顧客を保護する立場でありながら、金庫の違法行為によって私が損害を被ることは一切ありません。

疑問9
●除権判決を採らなかった結果、私に対し多大な損害を被らせたことが明白であるのに、なぜ金庫側が私に対して一切の責任を負わないのか、またそれについて藤原弁護士が何故もっと強く力を貸してくれなかったのか、金庫側と何かつながりがあると推察すれば、今までの疑問がすべてつながってくるように思われる。
後の裁判で、証人尋問での証言にも途中から都合の悪いことに逃げている証言をしていることからも、金庫側とのつながりを感じずにはいられない。

平成10年3月9日
 藤原弁護士に、谷口弁護士を懲戒する方法を考えて欲しいと問うと、藤原先生は「言った、言わなかったの繰り返しでは駄目」と言われましたので、懲戒申立てをする事は断念しました。

平成10年8月11日
 藤原弁護士に、金庫から提出を受けた資料(手形貸付元帳割引手形残高帳割引手形一覧表等)は、村上博志の筆跡で加筆した部分があると告げると、藤原先生は「村上が金庫からお金を貰って書いている。」と説明しました。

平成10年10月20日
 藤原弁護士が「金庫の裁判が敗訴した原因は、私の取引印鑑及び通帳が悪用されているから。」と説明しました。

疑問10
「村上が金庫からお金を貰って書いている。」「金庫の裁判が敗訴した原因は、私の印鑑及び通帳が悪用されているから。」との認識がありながら、金庫を追求する手立てがないというのは、弁護士としての職務を果たさないことにならないのだろうか。

平成10年11月30日
 谷口弁護士と村上博志の代理人弁護士、金高好伸が私と和解する事を希望していたので、藤原弁護士と相談しました。
 私の主旨、主張している和解なので、永和信用金庫と谷口弁護士、村上博志が結託して裏取引きした真実が立証できると判断したので和解したのです。
 金庫と話し合いの出来ない和解なら、和解する事はありませんでした。

平成10年12月14日
 藤原弁護士より電話があり「村上との和解金を受け取りに来てくれ」とのことで、和解金300万円を受け取る。

平成10年12月22日
 谷口弁護士との和解金300万円を受け取る。この時に、「来年1月7日頃から永和信用金庫へ行く」と藤原弁護士に伝えた。

平成11年8月19日
 永和信用金庫と杉山常好が共謀した不法行為である詐欺横領・私文書偽造の犯罪を私の質問書として谷口弁護士に回答を求めました。 しかし、谷口弁護士は確実な証拠であるにも拘わらず、肝心要の証拠を告訴状から省く行為は、谷口弁護士が永和信用金庫と結託していた事実を如実に物語っています。

前記の経緯からしても、谷口弁護士は、村上博志を通じて永和信用金庫と裏取引して結託しているので、弁護士倫理に反する義務違反の仕事を一杯しています。
 和解調書に記載してある私の主旨・主張を徹底的に谷口弁護士と村上博志の両名に追及しています。
和解調書と和解調書についての考察を、誰が判断して考察して頂いても谷口弁護士、村上博志が金庫と結託していたので、訴状を私に送達するので、訴状が届いたら訴訟の中で、各自300万円を私に支払う条件を提示したのです。
 和解しましたいきさつは、私が藤原弁護士と相談したのは、訴訟を受けて立つ方法を相談したのであって、藤原先生が証人尋問調書に証言している谷口弁護士、村上に対して、執拗な訪問・連絡行為を避ける事を目的として藤原弁護士を代理人にしたのではありません。
 藤原弁護士が「和解するのなら代理人になる、訴訟で敗訴したら1円にもならん。」と言うので相談した結果、私は一度も立ち会う事もなく和解したのです。
 しかし、和解することによって谷口弁護士と村上が永和信用金庫と裏取引きして、結託した行為が判明するので金庫に対して社会的、道義的責任を追及できるので和解したのです。
 藤原弁護士に、正義の持ち合わせがあると期待していましたので、私が拘置所在所中の平成12年11月14日の証人尋問で、私が主旨、主張している谷口弁護士が金庫と結託した事実を証言してもらえると思っていました。残念ながら判決文を見ても分かる様に、金庫側と谷口弁護士、村上博志を庇う奇妙な証言をしたのです。


 以上の事実を考察しても、永和信用金庫と杉山常好の不法行為、および谷口弁護士と村上博志が金庫と裏取引きをし、結託していたと推察できる信念があるので、意地と執念で「永和信用金庫と闘って30年」になりました。
 私の民事訴訟が敗訴した当時のトップである永和信用金庫会長の高橋伸治は、ホームページに掲載している金庫の内部告発にもある様に、会長は「職員が顧客に対して失敗や過ちを犯しても、絶対に謝罪しては駄目」との方針を徹底させ、不正な指揮、指導をしてきました。
 その上、高橋会長が『地域に貢献している中小企業から平成3年から15年まで数十億の金利を騙し取る行為』は許されるべき事ではありません。
 にも拘わらず、政府は正義のない悪行を働いてきた高橋会長に、勲5等という勲章を授与したのは社会的にみて、とんでもない人間に授与したもので、関係役所の責任を問いたいものです。
 私が不思議に思っているのは、悪行を重ねてきた策士の高橋会長が、会長を辞したにも拘らず未だに永和信用金庫の相談役に収まって、影響力を及ぼしている事自体が『信用金庫』であっても『信用』出来ない、社会的に重大な問題であると私は思います。

疑問のまとめ
 つい最近までは、不満な点もあったが藤原弁護士のことは信頼していた。しかし、私に対し、脅迫まがいの金庫側弁護団から「警書」を送ってきたが、その中のトップの弁護士とつながりがあることがわかった。最近も、このホームページへの協力をお願いしたが体よく断られたのも、一連の流れから、金庫側とつながっていたと仮定すれば、今までの疑問がすべて解けた。
 また、藤原弁護士が言っていた金庫の融資話が本当だったら、この件はとっくに終わっていて、私が一生苦しい思いをしなくて済んだと思うと、悔しくてたまらない。

                                                            以上
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