村上博志の供述調書に対する反論(2)

2,村上博志の供述調書(9頁終〜10頁5行)
(5)、昭和50318日、谷支店長から電話があり永和信用金庫巽支店に行くと谷支店長は「村上博志から何度も脅迫されている。この事は吉川さんの指示ですか」と問われました。
私は「一切そのような指示を出したことはない」と告げました。
谷支店長が村上から脅迫されたと言うことは、杉山常好と共謀した犯罪を自白しているのです。

そこで谷支店長は「杉山常好と会ったらどうですか、杉山との話ならどのような相談も受けます。」との発言がありましたので杉山を永和信用金庫巽支店へ呼んだのです。

谷支店長は杉山とグルだったから、杉山を入れて私を丸め込もうとしたと思われる。


杉山は、私に「村上博志のような事件屋を退かせたら協力する。」と言ったのです。

杉山は第三者が入ると都合が悪いので、排除しようとしたと思われる。


既に私は杉山常好を信用していなかったのですが谷支店長からこの日に受けた手形の受取書、出金伝票を受け取り、私の自宅に杉山と同行、杉山に「おまえの知っている金伊三雄、古本治三の振出人手形の不渡手形は金庫から返還していないので裏付け調査をするから俺に協力できるか」と言った所、杉山は「家に用事があるので用事を済ませてから来る」と言って帰宅、その後何の連絡も無かった次第であります。
前号証の「永和信用金庫に行った顛末書」にも金庫職員の私文書偽造、同行使、及び杉山常好の詐欺横領罪を立証してある如く、杉山常好は、自己が行った不法行為の発覚を恐れて、私に協力出来ない事からして杉山からの連絡が有ることは無いのです。その後杉山は大阪からいなくなり、連絡が取れなくなった。
約10年後に私が起こした民事裁判の証人として出廷してもらうために弁護士から調査してもらった所、栃木県にいることが分かった。

杉山が私の前から逃げたのは、前述の裏付け調査の協力をすることが、何か都合の悪いことがあるからだと思います。


翌日、村上博志と会い、私が「何を勝手に谷支店長を脅迫するのか」と怒ると、村上は「谷支店長がそんなことを言っていたのか、それなら永和信用金庫がひっくり返るぐらいの事件にしてやる」と弁解していました。
私は、「もう二度と金庫へ行くな」と釘を刺しましたが、村上博志はその後も金庫へ谷支店長を訪問していた事が露見したのです。

谷支店長が村上博志から脅迫されたのは次の事実があるからなのです。

昭和50年1月21日、村上博志、安東日明と3人で永和信用金庫巽支店へ行き、谷支店長と支店長代理の檜垣安紀に甲第24号証と甲第25号証の資料を調査させた所、私を金庫巽支店に紹介した杉山常好と谷支店長を始めとして、金庫職員が共謀して、詐欺横領、私文書偽造、同行使の犯罪が判明しました。
金庫職員と杉山常好の不法行為が判明したので谷支店長に取引元帳の写しを請求依頼した所、谷支店長が「某組(ヤクザ)をバックに西成区の売春婦を相手に頼母子講で金を集め、その金を貸して金が膨らみ、それで浪速区に本店を置き、今の永和信用金庫が発足した」とヤクザの名前まで出し、私達に、金庫職員と杉山常好の不法行為を隠蔽する為の威圧を与える言動で書類の提出を拒絶しました。

谷支店長の「某組」発言に付いては,社会通念上、絶対に許されない行為であります。このような事実があるからして、村上博志は谷支店長と杉山常好の犯罪は調査して判明していたので、この件で谷支店長に金員を要求、脅迫していたと確信しています。


また、谷支店長も杉山常好と共謀して私の金員を着服する詐欺横領、私文書偽造、同行使の悪い事をしていた事実があるので、村上博志から脅迫されるのです。
(告訴状と反論ページを見ていただいたら、永和信用金庫、杉山常好、村上博志、谷口弁護士が結託して裏取引した行為は判明します。)

(6)、昭和50520日から40日間、私は永和信用金庫の不正事件のことを考えすぎて精神的ノイローゼになり入院したのです。

平成7627日、村上博志と会い疑惑に思う基点を追求したところ村上は『吉川が入院期間中に谷口弁護士から電話があって話を聞くと金庫へ行き調べてきてほしいことがあるのでと・・・・
 谷口弁護士から指図されたので安東を同行、金庫へ行ったことが有った』
と弁明しましたが「だけど何を調べに行ったかは覚えてない」と狂言していた。

私は、谷口弁護士、村上博志、安東日明に私を抜きで永和信用金庫へ行く相談をした事もありませんし、村上博志が調査した報告を受けたことも有りません。
谷口弁護士が私に承諾を得ることなく調査のためとはいえ、
私の入院中に村上博志と安東日明を永和信用金庫巽支店へ行かすこと事態、不本意な行動であり、考察しても永和信用金庫と結託し、裏取引する要因の一つとなす原因である。
「反論」ページの上記記載部分に対する反証をとるために
平成15年5月2日、名古屋市内で安東日明に会いました。
覚書
吉川抜きで村上は、私と一緒に永和信用金庫巽支店に行ったといっているが、私は行ったことはない。吉川の話では、昭和50年3月18日に村上が谷支店長を脅迫しているし、また、吉川が入院中に私と一緒に村上が金庫巽支店に行っているとの事ですが、私は吉川抜きで村上と一回も行ったことはありません。
なぜ嘘をついているのか理解に苦しむ。
この事は、絶対に糾明してください。
                               安東日明

村上博志が谷支店長を脅迫している件について,私は,安東日明に村上博志と金庫へ行き、谷支店長を脅迫してないのなら,私の件であるが、自分(安東)の件でもあるので,私と一緒に村上博志と会いに行くことを告げるが、村上と会うのは、何故か断られました。


村上博志は、3、村上博志の供述調書(10頁2行から同4行)
「当時、谷支店長という方がいたようでその名前は、吉川から聞いたことがありましたが、私は谷支店長と直接話したことは一度もありませんでした。」と、大きな嘘を供述しています。

《反論》
前期、2、村上博志の供述調書に対する《反論》の(1)から(6)に立証している如く、村上博志は谷支店長と何度も会話しているにも拘らず、谷口弁護士と結託して、自己の行った違法行為を覆い隠す為に「谷支店長と直接話をしたことは一度も有りませんでした」と重大な嘘の供述をしていますが、金庫と結託して裏取引しているので、虚偽の供述は明白であります。