●大きな組織には勝てないのか

私は、昭和48年2月、「永和信用金庫巽支店」と預金・手形貸付・手形割引・手形

取立等の取引を始めました。当時私は金融業をしていて手形を取り扱うことが

多く、知人の「杉山常好」に同金庫を紹介されたのです。私はすぐに定期預金を

積んで、同年3月手形を何通か取立に回したところ、私に無断で手形が「割引」

扱いにされ、割引金合計130万円が私の開いた普通預金口座に振込入金され

たうえ、何者かによって勝手に引き出されていたのです。私はそういう処理がな

されたことは当時全く知らず、勿論「払戻請求書」に署名捺印もしていませんで

した(あとから、これは「杉山常好」が金庫職員と結託して行ったものだとわかり

ました)。

 これを第一の事件として、以後昭和49年末までの1年半ほどの間に10件もの

事件が立て続けに起こり、合計金1054万9265円の損害を受けた私は、昭和50

年1月、永和信用金庫巽支店に取引資料を交付するよう請求に行きました。

 ところが、これに対し当時の巽支店長であった「谷肇」が、「当金庫は暴力団の

某組をバックに売春婦に金を貸して大きくなった」等と、組の名前を出して私を

暗に威嚇し、取引資料の交付を拒絶したのです。この支店長の発言は、私が

一連の事件について相談し、このときも同行してくれた「村上博志」も聞いてお

ります。

 その後、永和信用金庫本店に再び取引資料の提出を請求に行ったところ、

応対した「五十棲義明」および「森田実」から、貸付元帳等のコピーではなく、

手書きで明らかに改竄済み(金庫の担当職員の不正な事務処理の痕跡を消

したもの)の資料が私に交付されました。勿論その時の私は改竄された資料

とは知りませんから、それを根本証拠として「村上博志」から紹介された「谷口

光雄弁護士」に金庫職員に対する刑事告訴と、金庫に対する預金返還の民事

訴訟を依頼したのです。

 結果は、「谷口光雄弁護士」のズサンな処理もあって刑事告訴はことごとく

不起訴となり、民事訴訟も昭和56年から平成3年までかかった1審(大阪地裁)

で全面敗訴、控訴審も上告審も敗訴で平成5年10月確定しました。金庫から

私に交付された改竄済みの資料を証拠としていたのですから、金庫職員の

不正な事務処理や「杉山常好」の詐欺・横領行為への金庫職員の加担が

立証されるはずもなかったのです。