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えいこはんが出会ったやさしいできごと・よろこびの収穫や小さな涙のお話を、よろしかったら読んでいってください。

2005年2月28日 (月) 自分の感受性くらい
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ              茨木のり子

***   ***   ***   ***
私が最高に好きな詩だ。
虐待を受けた子どもたちは、みな心の奥でこう思っているらしい。
「わたしが悪い子だったからだ。私がいけないんだ。」
自分に責任のない人間ほど、自責の念を持つものなのだ、
と誰かが言っていたけど、そのとおりなのかもしれない。
大人は自分の置かれている現状に不満があっても、人のせいにしてはいけない。
大人たちが押し付けた誰かへの不満は、丸い地球を回りまわって
この子どもたちに届く。私は、そんな気がしてならない。
私たちの吐いた毒を吸い込むのは、一番無抵抗な
純白の子ども達の心ではないだろうか、という気がするのだ。
不満を吐く分、現状解決のために立ち上がればいい。
怒りが込み上げてきたなら、その対象に堂々と怒ればいい。
それが出来ないのなら、それを人のせいにしてはいけない。
毒を自分の中で消化して、凛と澄んだ空気を吐いたほうが、いい。
前に進んでいる人たちは、ただそうやって歩いている。
この詩を読むたびに、心から懺悔の気持ちがわいてくる。
私の世界は、すべて私から始まっている。
この世界は、紛れもない私の決断と行動の結果だ。
そして今の社会はそのひとつひとつの世界の集積だ。
間違いない真実がここにひとつある。
自分が変われば世界が変わる。そして、社会も変わるのだ。
2005年2月27日 (日) すくすくプロジェクト(→ヨシコ先生の続き)
 もう二年位前になるだろうか。
マユミンがあるお洒落なハーブカフェで個展をすることになった。
(マユミンは創作詩画家です。)
そのカフェのオーナーに、「えいこはんも、なんかの形で関わらへん。」
と言われて、私は即座にあるアイディアを思いついた。
それが「すくすくプロジェクト」だった。
***   ***   ***   ***
 当時は、人を幸せにする企画を実行する「花まつり企画」というのを
発足したばかりだった。仲のよい友人たちと、個展開催や演劇の補助、
ファッションショーや、今良い仕事をしている人などを取材した
通信の発行などを楽しくアレコレやっていた。
(現在えいこはんとマユミンが福祉に走る等でちょっと休憩中)
そんなこんなでそのハーブカフェのオーナーも、
ただの個展にしないでちょっとひねってくれへん、という感じだったろう。
実は私たちにヨシコ先生を紹介してくれたのはこのオーナーだった。
オーナーとヨシコ先生は古くからの友人だった。
「じゃあパンダ園を支援するための個展にしようか。」
マユミンも、子どものころに大手術をしている。
助かる見込みの少ない道を通って、今の生命を与えられている。
そんなマユミンのおしゃべりタイムを織り込んだ個展の名前は
「すくすく−いのちのままに」
子どもたちがすくすくと、命をそのまま輝かせることができる様に。
そんな個展にしよう、ということが決まった。
そこで目玉になったのが絵葉書「すくすく」だった。
敬愛する建築家の友人がスポンサーになってくれて、
この絵葉書の売上を全額パンダ園の子どもたちの自主活動費に当てる、
という「すくすくプロジェクト」が発足した。
この建築家の友人は、木と土と鉄を使って、自然素材で
自然や人に対して有害な物質は一切使わず家を建てている。
しかも施工主の意見をとことん活かす姿勢に頭の下がる志ある建築家だ。
彼とマユミンと三人で、よく福祉と経費のことについて話した。
無理にスポンサーを集めたり、行政に要求したりではなくて、
もっと自然な経済活動と上手くリンクさせて福祉を行えないものか。
そんな話の中からの手探りのプロジェクトだった。
絵葉書には、葉書ができた由来や心を込めたメッセージを添えた。
結果作った1,000枚の絵葉書を完売することができ、
個展もほんとうに心温まるエピソードをいっぱい残して無事終わった。
ヨシコ先生からも、いっぱい「ありがとう」をいただいた。
***   ***   ***   ***
 ここで、いったん「すくすくプロジェクト」は幕を引いた。
私は、ある一抹の未完成さを心に感じられずにはいられなかった。
この不可解な不十分さを理解するのに、しばらく時間がかかった。
 私の目から見てパンダ園の子どもたちは、どう見ても「幸せ」なのだ。
勿論体のしんどい、いつ病院に運ばれるかもわからない、
そんなリスクを負った子どもである、というのは確かだ。
けれどもパンダ園にはヨシコ先生がいて、子どもの数より多い大人がいる。
愛があふれていて、笑顔があふれていて、環境に護られている。
マザーテレサが言っていた「孤独という一番の難病」に犯された
子どもたちでは、けっして無かった。
では、マザーテレサはいったい何処を見て「日本はインドより貧しい国」
と指摘をしたというのか。私の関心は、「虐待」へと向かっていった。
そして、児童養護施設の存在を知ることになる。
最初に児童養護施設を訪れたとき、はっきりと分かった。
パンダ園を訪問するときのあの満たされる楽しみな優しい感覚とは
まったく違った感覚をここで感じた。全身が緊張をした。
そして一年間、黙って現場を勉強しようとただ一人通い続けた。
そこにやっぱり(笑)マユミンがやってきた。そう。
私にとっての「すくすくプロジェクト」は、これからが本番なのだ。
2005年2月26日 (土) ヨシコ先生
 私とマユミンの人生の羅針盤に大きな影響を与えてくれた人がいる。
それが、「パンダ園」を創設したヨシコ先生だ。
パンダ園は、心臓に疾患を持った子どもやその親たちが集まる保育園。
中には近所の健常の子どももいる。心臓疾患は、見た目には
分かりにくいけれど重い疾患、ということで、そういった
子どもたちを受け入れてくれる保育園、幼稚園はほとんど無い。
母親は子どもと二人きりの時間を長くもてあますことになる。
 ヨシコ先生は、昔自分の子どもを心臓病で亡くされている。
その経験から、心臓病の子どものための保育園を作ることを決めた。
けして簡単な道では無かったが、ヨシコ先生の決意は曲がらなかった。
「病院に入院してる間ね。なんで私が?うちのこだけが?って、
ここから逃げたい、早く出たい、って思っている間は地獄だったの。
でもね、私はここで生きるんだ、って決めてから、急に楽になったの。
やっと回りが見えてきて、あぁ、他に苦しんでいる子どもらの
ために何かやらなきゃ、って思ってからね。そこが天国に変わったのよ。」
私たちにヨシコ先生は、とつとつと語ってくれた。
そしてヨシコ先生は勧められて絵本を描いた。
「神様からの贈り物―ぼく病気でいいんだね?」
病気の子どもが、自分の生きる意味、病気である意味を見つけていくお話。
ヨシコ先生はこの絵本を全国の小児病棟に送る運動を始めた。
けれども、ヨシコ先生がクリスチャンであったため
「宗教色への懸念」という理由で、何冊も送り返されたりもしたそうだ。
それでも、売上で出た収益を再び送料に変えて送る運動を続けた。
病気の子どもたちを支えたい。ヨシコ先生には、そのことしか無かった。
 パンダ園は、保護者も同伴で通園してくる。
親同士が話し合い、孤独に陥らずに助け合える仕組みがここにあった。
また、パンダ園には登校拒否や自閉症の子どもたちも時々やってくる。
ある登校拒否の中学生の女の子は、ここに半年間通って
「保育士になりたい。」という夢を見つけて、再び学校へ帰っていった。
今の社会に本当に人を癒し勇気付ける場所があるとしたら、
私は間違いなくこういう場所だと思う。
このヨシコ先生との出会いは、私たちを施設ボランティアに
つなげる道しるべとなった。
マユミンといっぱい話した。「私たちに、出来ることは?」と。
→明日「すくすくプロジェクト」に続く。
2005年2月25日 (金) 人物:伊藤泰治
 「夜間中学」といえば、山田洋次監督の映画「学校」あたりから、
すこし世間一般でも知られるようになってきた。
けれども夜間中学は、日本の教育制度から少し外れた
場所にあるので、見ようと思う人にしかなかなか見えない。
現在も夜間中学は、「学びたい」と切に思う人たちのためにそこにある。
夜間中学について調べてみたい方は、
一度「星空の学校」というHPを検索していただくと良いだろう。
このHPの中の
「文部省の反対を押し切って開設された足立四中二部」という
話の中に伊藤泰治校長先生の事も書かれてある。
東京に夜間中学校を最初に設立した校長先生だ。
伊藤校長は、S22義務教育6・3制度が実施されたとき、
教室に空席があまりにも多いことに疑問を抱く。
「なぜ不登校児がこんなに多いのか?」と思い、調べた。
それは、昼間働かなければならない子どもがたくさんいたからだった。
中学生が働いてる!これはつらいが、現実も受け入れねばならない。
それらの子どもは、自分が働かないと家族が生きていけないのだ。
でも、勉強はさせなくてはならない。伊藤校長は真剣に考えた。
そして夕刻よりの授業を、という結論にたどり着く。
けれども、文部省が様々な理由でそれをかたっぱしからつぶして行く。
地域住民も、夜に柄の悪い子供が集まることに抵抗をして反対する。
文部省の言い分は、はひたすら「法律違反」である、ということ。
夜の学校などは、子どもの精神を蝕むものだ、と決め付ける。
だけれども実際に昼間に学校に行けない現実を持った子どもは沢山いる。
伊藤校長は、「全国中学校長欠生徒約35万(昭和26年)を
看過すことは現代の悲劇である、法律よりも人間を優先するべきだ。」
という論法を持ってあちらこちらを説得して回り続ける。
そしてやっとテストケースとしての開校に辿り着く。
けれども、そこに最初に集まってきた生徒はたったの4人だった。
労働に疲れた子どもに学習意欲があるわけもなく、
「就学させてもお金がもらえるわけでもないし。」という親の不理解も
重なっての結果だった。そこで伊藤校長は役所らから笑われる。
「ほれみたことか!頭ばかりの理想主義者。」というように。
けれども伊藤校長や先生達はめげなかった。
次の日から弁当持参でビラを持ってスラム街を一軒一軒歩き始めた。
「子供に学校は必要です。ぜひ学校にやって下さい。」と、
親や雇い主に訴え続けていく。
その効果や口コミが広がって、ちょっとずつちょっとずつ生徒が増えて、
結果110人の生徒が集まったそうだ。
夜間中学は、就労する生徒たちが唯一子どもに帰れる場所となった。
このような教育者や、働いてまでなおかつ学習に意欲した
多くの子ども達が、この日本の土台を支えている。
これをけして忘れてはいけない、と私は思う。
2005年2月24日 (木) 珍道中withマユミン
 施設に遊びに行っていると、毎回必ず切ない。
嬉しいことと悲しいこととが織り交ざって切なさを編み出す。
帰り道、いつもマユミンと「切ないなぁ〜」と、ため息をつく。
昨夜は私が担当するMちゃんが「ムカムカする、しんどい」
と言ってなかなか寝付かなかった。微熱もあった。
それでも夜勤当番の職員さんはたった一人だけ。
その一人の職員で午後9時から、20人の女子学童児の対応をしているのだ。
その職員さんは大きな子どもの話し相手をしている。
私のいる日で良かった、と小さく安堵をする。
しんどいMちゃんを看護するその後ろで、同室の女の子が
「わたしもしんどい!」と言い出す。
彼女はいつも私を「きっしょいうっざい」と罵る。
そして彼女とは今までに2回、取っ組み合いをしている。
たぶん私は、彼女には嫌われてるような気がしていた。
その時は、マユミンがその子の寝かせつけをしてくれていた。
そして、そっとあとで教えてくれた。
「えいこはん、あの子な。えいこはんの後ろで、えいこはんの
スカートの裾の上に手を置いて、おしりにチョコッと頭をくっつけて
寝ていたんやで。なんやかんや言うけどえいこはんのこと好きなんや。」
胸がキューっとなる。単純に「うれしい!」とはならない。
たまらなく、切なくなる。
あの子にはこう、この子にはこうしてやったらきっといいだろう、
ということはいっぱい思いつく。
あの子とも、この子ともゆっくり向き合ってみたい、と思う。
けれどもそれを実行に移す千手観音のような顔や手が私には無い。
このことが一番切ない。
それでもマユミンが現れてからの私は快調だ。
「切ない」という感情を感じるのも、余裕が出来たからだ。
今まではそれどころでなかったし、
もしもマユミンがいなかったらスカートの上の手にも気づかなかった。
心からその子を抱きしめたい、と思う気持ちを
次に向かうエネルギーに変えて、明日も会いに行こう。
2005年2月23日 (水) 珍道中with・・・
 チームプレイ、というのは本当に素晴らしい。
自分の不足する何かをさりげなく補強しあえるし、
目が二つあるのと四つあるのでは世界が全く変わる。
ファミコンからロクヨンの世界に移動したみたいだ。
ぜひこの「チーム珍道中」のお仲間に入って下さい。
一人ではとても無理でも、私やマユミンと一緒に面白おかしく
時々でもエエから、子どもたちに笑顔を、
外社会の空気を届けにいきませんか。
***   ***   ***   ***
ボランティアの役目といえばおおげさだけども、
私は施設職員さんの意を尊重しながらも施設職員さんと違う視点を
大切に持ち、それを持って子どもに接触しないといけない、思っている。
敬愛する友人が前に言っていたことがある。
彼は部落と呼ばれている地域でスポーツ指導のボランティアを
10年以上行っている人だ。
昔、彼もやはりその地域の外側からの自分の支援形態に疑問を持ち、
その活動の中心にいる先生に「これでいいのか。」と尋ねたそうだ。
もっと自分も子ども達のためにすべきことがあるのでは?と。
そうしたらその先生は言ったそうだ。
「それは違うんです。子どもたちには窓が必要なんです。
子どもの生きてる社会と大きな社会を繋ぐ窓が必要なんです。
ぜひその窓でいてやってください。」
この言葉の意味が、最近なんとなくわかってきた。
インターネットの毎日新聞で拾い上げた記事だ。
二歳から児童養護施設で育ち、敬語も使えず
荒れていて夜遊びもして、周りの大人がみんな敵だと思っていた
女性が人形劇の劇団と出会って自分の人生を変えた。
最初は人形劇のメンハ゛ーと衝突をし、何度も飛び出した。
でもメンハ゛ーがとことん話し相手をし、がんばろうと励ました。
彼女は、人と協力をし人を喜ばせる楽しさをそこで知った。
「園の子達に伝えたい。施設ですごしていたとき、よく
『私たち幸せじゃないよね。』と話していた。
でも幸せというのは自分が頑張ることなんだよ、って。」
そういう場所が社会の中にあることを見せる事のできる窓になりたい。
2005年2月22日 (火) 「愛する」という行動
 昔、しょっちゅう人の悪口を言っているおじいさんがいた。
「うちの婿はヘビ年生まれなんや。そやしあんな性根が悪い。」と、
ヘビ年生まれの私に向かって愚痴をこぼすような人だった。
でも、ひとつだけ不思議でしょうがないことがあった。
それは、そのおじいさんの育てる花がとても美しく元気なことであった。
家の北側にあるその花壇は、お日様の光がほとんど当たらない。
それにあんなマイナス思考のおじいさんが育てているというのに。
けれどもその花壇の花は美しかった。
それに比べてうちの花壇は、南側にあるというのに惨めなものだった。
毎日花に「おはよう」「きれいね」と声をかけながら水をやってるのに、
こんなに花を大切に思っているのに、全然上手く育たない。
なんでなんだろう、とずっと不思議でしょうがなかった。
ある日、そのおじいさんが話しかけてきた。
「そのつつじ、油粕をやらはったほうがいいでっせ。」
その時やっとわかった。おじいさんは、花を愛していたのだ。
***   ***   ***   ***
「私は平和を祈っている。」「私は人類を愛している。」
「私は未来の子ども達のために社会に貢献する。」
思うばかりで、では具体的に何をしてると言われたら何も無かった
あの頃の自分を象徴するようなお話。
ありがたい経典をいくら読んでいても、良い話をいくら聞いても、
頭でいくら考えていても、心でいくら思っていても、
それを実行するのとは全く別の話になる。
実行しようと思ったら、それについての努力や知識が不可欠だ。
それを自分という個性(自分がすべきこと)と外側の
世界が必要とするものを結び付ける作業が必要になってくる。
飛行機の模型図を思いついたら、まず木を切らないといけない。
その模型図を神棚に上げたところで何も起こらない。
花にとって1番必要だったのは、話しかける言葉よりも
「油粕」だったのだ。一番単純な、けれども犯しやすいミスだ。
私が取った行動は花に対する愛では無かった。
ちゃんと、花を見ていなかった。
下手すれば物質主義が批判される今の時勢に思う。
精神だけがあってもこの世界はけして回りはしない。
精神を持って物質を使うことが大切だ。
それには知識を学ぶことや単純な反復作業が不可欠となる。
「愛する」行動とは、まさにそういうことでは無いのだろうか。
2005年2月21日 (月) いつか福祉を福祉と呼ばなくてもいいように
 私が通っている児童養護施設は、私の家から車や電車なら
片道1時間強かかる。職場からなら30分。この距離は時に堪える。
私の住む市、それも車で10分ほど行った場所にも児童養護施設がある。
それなのになんでこんな遠くに行っているかというと、
私の近所の施設では一般にボランティアは募集していない。
私が「施設に行ってみたい。」と思ったときに、インターネットで
「出来る範囲でいいので、気軽に来てください。」とボランティアを
募集していたのは今の施設だけであったのだ。
この距離は私を完全に「ボランティア」にしてしまう。
私は、実は「ボランティア」と呼ばれたり言ったりするのが、
なんとなく好きではない。
それよりも、ただ単純にそこにいる「えいこはん」になりたい。
実は「近所のおばちゃん」でいたいのだ。
(ただし「おばちゃん」には未だ若干抵抗を覚えるので「えいこはん」)
一時間以上もかけて遊びに行く近所のおばちゃんはいない。
また、子どもたちを家に遊びに来させようとしたらすごく大事になる。
やっぱりそこでは「ボランティア」になってしまうのだ。
「ボランティア」を辞書で引くと<自分から進んで、困っている人の
ためや世の中のためになるような奉仕活動に参加している人。>
例えば、震災時に被災地に駆けつけたらぜひ「ボランティアさん。」と
呼ばれてみたいと思う。堂々と「ボランティアします。」と言える。
けれども施設に行くときに私にはこの呼称は全くしっくりこない。
例えば、自分の子どもが誰か他の大人に遊んでもらうとき、
「ボランティアです。」と言われたらどうだろうか。
結局施設にいる子どもに知らず知らず劣等感を与えることにはならないか。
何とも言えぬ複雑怪奇な気持ちになる。
 本当に一番の理想を述べたい。
施設の子どもたちが心から好きで、職員さんともすごく仲良し。
事あるごとに彼らの顔を見に行ったりおせっかいをやく近所のおばちゃん。
施設の子どももそうでない子も気軽に遊びに行ける家。
何か施設で詰まったら何泊でもプチ家出をしに来られる逃げ場。
おばちゃんの家に行ったら、いろんな面白い大人たちが
遊びに来ていたり、面白いところへ連れて行ってくれる。
違う場所にいる友達がたくさん作れる。
おばちゃんの家には社会のいろんな情報があって、
怖がらずに安心して社会のあれこれを教えてもらえる。
自立して、もしも何かあってもおばちゃんちに逃げていける。
私は実は、こういうことがやりたいのだ。
里親の資格を取ったら、まずは近所の施設の子どもたちの週末里親になりたい。
それをきっかけに職員さんたちと顔見知りになれたら、
施設と家族ぐるみでお付き合いをしたい。
そしてちょっとずつ、その輪を地域や社会に広げていきたい。
私のような人を多く作りたい。
当たり前のように、「社会で育てるみんなの子ども」という風景を創りたい。
施設改善や里親を増やすため等の活動を伸ばしていくためには、
こういった風景作りが何よりも大きな支えになるような気がする。
子育ては、やはり福祉の分野と思えない。
福祉を福祉と呼ばなくてもいい日がくるように。
ボランティアをボランティアと呼ばなくてもいい日が来るように。
***   ***   ***   ***
けれども人間関係というものは一度繋ぐとけして切れない。
地域の施設との関係を育てたいと思う反面、遠い場所の施設を思う。
今通う施設の子どもたちとは、それじゃあなたたちはそっちで、と
言う風に割り切って離れることなどできはしない。
とくに小さい子どもに、また背中を見せるようなことは出来ない。
理想と現実がいつかカッチリ握手をするまで、
まだまだ私の探索の日々は続きそうである。
2005年2月20日 (日) スポーツ神話と「日本に謝りたい」
 阪神大震災のときにみられた日本人の一連の行動は、
欧米諸国のマスコミ関係者に大きな衝撃を与えた。
「日本人はあのような状況下にあってなぜ暴動も掠奪も起きずに、
お互いが助け合い、援助活動を整然と受け止めるのか。」
実は日本人に染み付いた道徳観や常識は、世界に誇れるものである。
昔、アメリカ等の上層部から見た日本は非常に「危険」な国であった。
日本の起こした「明治維新」は世界の奇跡でもある。
また戦争を通して実感として直面した日本人という存在の特徴を、
当時のアメリカを含む戦争勝利連合国はとことん研究している。
そして日本人の精神性の高さや勤勉さを知り尽くした彼らは、
「日本人なら再び這い上がって脅威を持つ国を創るかもしれない。」と、
日本を配下に収めるための作戦を入念に練ることになる。
そしてそれは「戦後の日本の復興の援助」という形で施行された。
「あるユダヤ人の懺悔―日本人に謝りたい」日新報道出版社という本がある。
それは「どうしたら日本人の精神性を低めることが出来るか。」という
作戦会議に加わったモルディカイ・モーゼという人が、
現在の日本を見るにつれ止まれなくなった罪悪感に押され発表した本だ。
(この本の内容の真偽についてはいろいろと議論があるようだが、
議論をする両側の人たちの立場がそれぞれに極端な感じがするので、
真偽は問わず記述されている中の関わる内容についてだけ見てみたい。)
その中に「3S作戦」というものがあった。
みっつのS。それは「セックス」「スクリーン」「スポーツ」。
これらの事柄に没頭させることで日本人の思考能力は低下し、
精神性は自ずと崩壊する。彼らはこう読んだ、と言われている。
「セックス」「スクリーン」ならだいたいわかるのだが、
なぜ「スポーツ」もか、というのが私にも最初はピンと来なかった。
「この国の未来に光を見て」木村将人著/五曜書房のはこう書いてあった。
「スポーツは確かに素晴らしいものなんです。
ただ、スポーツさえさしていれば我が子の人格形成間違い無し。
という考え方が間違っているのです。」
国や国民のスポーツ施設に対してのかかる意欲やお金と、
知育を育てるための図書館等の施設にかかる意欲やお金を考えてみたら
それは一目瞭然だ、というのだ。
そして例えば、野球選手になるならいいけれど、野球ばかりに熱意を
注ぎ続け栄光を受けた子ども達が、野球(部活動)を終えた時に
過去の幻影に現実を見誤るケースは意外と多いそうなのだ。
「勝つ」ための厳しい指導者=教育熱心な先生、という
錯覚も、誰もが持っているのではないだろうか。
技術のレベルがそのまま人格、という単純なものでは無い筈だ。
そこで子どもにとって+になることもたくさんあるだろう。
けしてそれは否定されるものでは無い。が、そこで人格までが
ちゃんと育成されている、と思い込むのは確かに片手落ちであろう。
実際、生徒指導をする上で問題行動を起こすのは実はこの
「スポーツ組」に多い、という現実があるそうだ。
とすればやはり、スポーツに依存せず、子ども達の人格形成のために
何をすれば良いか、という点をもう片側で考える必要があるだろう。
京セラの稲盛和夫氏がパープルサンガのメンハ゛ーに叱咤する
「サッカーしか無い人間には、なるな。」という言葉も納得できる。
確かにスポーツに取り組むことで得られる恩恵はやはり大きいのだ。
息子は剣道を習い出してから、あきらかに変わった。
けれども先日、こんなことがあって私はえ!っと思った。
息子のクラスで級友同士が大喧嘩をした。一人の子が切れて暴れ出し、
殴られる子が現れた。私は聞いた。「で?剣道部は止めに入った?」
息子も含めそのクラスにいる三人の剣道少年は黙って見ていたらしい。
その中で唯一止めに入ったのは、スポーツなどしていない静かな子。
「S君、かっこよかったで。」と息子は感動していた。
おいおい。笑。まぁ感動できるだけいいんだけど。
やはり、うちの子どもの精神修養は私らもしっかりしなあかんのだわねぇ!
2005年2月19日 (土) 宇宙服を着て地球を見てみよう!
もしも出来ることならば、一度やってみたら面白い実験がある。
それは、同じニュースをあらゆる新聞記事で読んでみる、ということだ。
特に政治や思想が関与するニュースに関しては覿面なのだ。
有り余る情報社会の中で物事を公平に見るということが、
実はどれほど努力の要ることか。
そもそも公平という立脚点すら、何に基づいた公平だというのか。
情報社会を創り出す裏側には、必ず誰かの意志がある。
そのことは、怖がらなくてもいいが知っておいたほうがきっと良い。
***   ***   ***
私の尊敬してやまない友人に、18歳までアメリカで暮らした人がいる。
彼は生粋の日本人だ。彼は、18年間母国を外側から見ていた。
パールハーバーの授業ではクラス中から白い視線を浴びた。
元々神経の図太い彼は、その時みんなに
ピースサインをして返したけどな、と笑っていたが。
また彼はその進路の中で様々な国の人と議論する機会を重ねた。
そんな彼は、「日本」を客観的に見る目を持っている。
彼はその後日本に帰って来て大学を経て大蔵省に就職をした。
今度は日本の中核に入って日本という舞台を創り出してる舞台裏を
目の当たりに見ることになる。
「外」から見た日本と「中」から見た日本。
そんな彼の物の見方には学ぶことがあまりにも多い。
では私は今までずっといったいどこから日本を見ていたのか?
これは未だに答えを出すことの出来ない難問なのだが。(笑)
けれども彼を見ていてあきらかに悟ったことがあった。
それは、一つの視点からだけではけして物事の全体は見えないのだ、
ということ。すべての物事には別の視点が必ずあるのだ。
地球上のどの場所から観察しても地球の全体像はけして見えないのだ。
より多くの視点をふまえて出てきた理論には説得力がある。
他の視点を否定せず自らを一視点とわきまえた理論には謙虚さがある。
敵に使う労力を減らし、己の意を曲げず進むための秘訣がここにある。
愛すべき世の実践家、心の優しい感情豊かな女性たちの
多くがここでつまづいてる事実は、なんとも惜しいものがある。
感情論で世界は動かせない。
相手を否定すれば、おのずと自分も否定されることになってしまうのだ。
他の視点を学ぶことは、けして他の視点に屈したり従属する事ではない。
己の視点をよりいっそう高めるのに使える。
反対意見を否定せずに「なるほど。」(そういう視点もあるのか。
では自分の意見にそれをどう反映させられるか。)と聞くのが
ほんとうは一番賢く美味しい持って行き方なのだ。
意外と重要視されていないが、実は重要な能力に「観察力」がある。
きっとここからは「智慧」の領域。まだまだ私も勉強中です。
 友人は現在は大蔵省を辞任、新しい人生にチャレンジをしている。
彼の「官僚裏話」には世界がひっくりかえるくらい驚き笑った。
そして色々と考えた。
彼と私の意見は、似てるところも違うところもある。
けれどもそれぞれの角度の視点をとことん話し合える。
お互いから得た情報を別々の場所で上手に使いあいっこできる。
情報に使われないで、ひきずられないで、
情報を上手く使う役に回らなきゃ、本当にもったいないと思う。
2005年2月18日 (金) ええねん?
 昔、TVで愛するミスタ−チルドレンの桜井君が言ってた。
ウルフルズの新曲「ええねん」を聞いたときの感想だった。
「なんか、俺って何をクドクド歌ってんだろう、と思いました。」
この歌はとにかく明るい。ひたすら「ええねん!」の連発で、
私も大好きな歌だ。この桜井君の気持ちはすっごく良く分かる。
パーっとお日様みたいな笑顔に会った時や自然の中にいるときは、
こんな日記を書いてる私の事「なにやってんだろ。」と思うから。
でも今日もどうしても文字にしておきたい話と出会った。
どうしても書きたい、と思うほど感銘を受けた話だった。
「この国の未来に光を見て」木村将人/五曜出版の中の
―スポーツ神話を斬る―という話が、まことに腑に落ちた。
これをとっても書きたいが、これを書こうとすると
かなりエネルギーを使用しなくてはならない。
前提に補足説明する文章が必要で、これが面白いが要点をまとめるには
ちょっとした時間を要する。でも書きたい。でも頭の中を
今日は「ええねん」「ええねん」「ええね〜ん」がリピートする。
要は、「スポーツをさせることだけで人格が正しく形成されるという
思い込み(常識)」に対する元教職員の現実を踏まえた
「ちょっと待った!」の話だ。
想像してみてほしい。「あの人は元高校野球甲子園出場投手なのよ。」
と言われてみたら。その時に、その人に対してどんな印象を抱きますか?
 京セラの稲盛和夫氏はパープルサンガのメンハ゛ーにいつもこう話している。
「サッカーしか無いような人間には、なるな。」
これはけしてスポーツを軽くあしらう話では無い。
逆に本当にスポーツを活かすための話なんだけども、
興味があったらリクエストください。リクエストがあったら、
ちょっと頑張って書いてみようと思います。
2005年2月17日 (木) ほんとうにありふれてるこわい話
 私は、本当に「恐ろしい・・・」と思うことがある。
それは、自分の中にある「暗闇」に、全く無知でいることだ。
世の中の尊敬すべき人たちは皆知っていた。
自分たちがどれほど無知で狂気に満ちて間違いやすい人間であるかを。
だからこそ立ち向かうべき指針を見いだし、それを目指したのだ。
万物に向けられるやさしく哀しい瞳と厳しく揺ぎ無い態度は、
彼らが自分たちの愚かさを、暗闇を認知している証なのだ。
そして己の愚かさを省みる者だけが得られる安らぎを知っている。
「我の半身は未だ暗闇にあり。ゆえに我は、はっきりと光を認識する。」
人は心の奥底で「暗闇」が自分にとって欠かせない存在であることを知っている。
それに知らないふりをするのは、自分の生んだ双子の子どもの一人を
「おまえなんか知らない。」と言って捨ててしまうほど残酷なことなのに。
***   ***   ***   ***
 例えば、ゴキブリを叩いて殺すと、罪悪感がある。
ゴキブリが死んだ感触が手や目に残って、
自分が殺生をしている、ということをいやおうなしに自覚する。
そこで初めて、命ということについて考える。逆の視点からは、
自分がどれほど理不尽で迷惑な存在であるか、と思い直すこともできる。
自分はカブトムシを可愛がることもゴキブリを殺すことも行う、
きれいに二つに分けられる人間ではないことを自覚することができる。
 けれどもホウ酸団子は、ゴキブリが食べて自分の知らない場所で死ぬ。
自分が置くだけでゴキブリは知らない場所でたくさん死んでいる。
自分は不快感も罪悪感も感じないですむ。
自分が無作法に生き物を殺す人間だ、という自覚は培われない。
ここに私の恐怖が生まれる。
これは、「ゴキブリ」を「人間」に変えても同じことなのだ。
武器を作る人がいる。麻薬を売る人がいる。見て見ぬ振りする人がいる。
他国の戦争に、善人顔でお金だけを出そうとする国がある。
世界で一番恐ろしいのは、この「麻痺」という感覚だ。
 平和をやみくもに訴える人を私は苦手とする。
争う人たちに向けられたその人たちの姿勢は、争う人とそっくりだ。
自分の日常生活で「ひきわけ」を作れない人に、
世界舞台の中で「ひきわけ」はけして作れない、と誰かが言っていた。
中絶を実行する医師を殺害した中絶反対運動の主催者の哀れを思う。
振り返ればその暗闇は我が足元の暗闇なのだ。
 我の半身は暗闇にあり。そのことに気づけるものは幸いだ。
「貧しきものは幸いなり。」という聖書の言葉を、私はこう読んでいたい。
我が半身の暗闇は、暗闇と共鳴する。共感する。
暗闇を我が物として見つめるとき、光が暗闇を照らし始める。
暗闇を見つめる瞳の中には神が居る。そこを通して光は闇の中で広がる。
「我の半身はすでに光にあり。ゆえに我は、はっきりと暗闇を認識する。」
神様がいつだって本当はちゃんと手を繋いでくれている。
だからこれも本当は、「ほんとうにありふれてる神々しいおはなし。」
今はまさに暗黒の時代。そして神々が溢れ出る時代。
終着駅は始発駅、ってある方が言ってたけど、同じ意味かな???
2005年2月16日 (水) 秀でた何か
 ぜひいちど機会があったら遊びに行ってほしいHPに
「シドさんの里親のホームページ」がある。
里親のことが知りたかったら、地域的なことは別としてだいたいの事は
理解できる情報がそこにある、と言っても良いかもしれない。
 そこで最近できた「子どもたちの声」という部屋、ここが興味深かった。
施設で育った経験を持つ人の声を聞こう、という部屋で、
施設経験者や里親たちのリアルな声を聞くことができる。
私が今もっとも聞きたい、知りたい、と思う声がそこにあった。
施設に暮らす子どもたちの本当の気持ちには、
私のようなボランティアにはなかなか触れることはできない。
 彼女たちの声にはリアリティがある。
そして目線の高低を瞬時に見分ける優れた感覚がある。
本当にすごいと思った書き込みがあった。
里親のHPに堂々と「私は里親を信頼していない。
けれども里親にはがんばってほしいと思う。」と書き込むんだ。
普通ではできないだろう。こういった彼女たちの目の鋭さを育むのは
いったいどういう環境なんだろうか。
ただ、じっとじっと何かを見ていたのかもしれない。
黙ったまま、じっとじっとその目で何を見ていたんだろう。
***   ***   ***   ***
 施設に行くと、私はいつもある種の緊張感を思い出す。
それは、先日にも書いた、軽トラの荷台に乗っていたときのような、
線路を歩いていたときのような緊張感だ。
無意識に「生きる」ことを意識させられる。
この緊張感に24時間さらされるのは子どもにとって良いはずがない。
重々にこの問題を認識した上で言うのだが、この緊張感のプロとなった
子どもたちを私たちはけして侮れないし、低く見ることも許されない。
彼らはたしかに私たちよりもはるかに何かに秀でている。
その秀でた何かを彼らから教わること無しに、私たちの観念を
押し付けるだけの善意こそ、「茶番」と呼ばれるにふさわしいものであろう。
2005年2月15日 (火) がんばってー♪
 今日はドラマでも有名になったヤンキー先生こと義家弘介先生が
退職をされる、という意思をHPで発表されたらしい。
まぁ賛否両論様々な議論がこれからも展開されるだろう。
夜回り先生にしろ、ヤンキー先生にしろ、有名になる、
ということはなかなか大変な事のようだ。
マスメディアに露出するか否か、は常に大きな課題のひとつだろう。
***   ***   ***   ***
 そもそも、「良いことは隠れてするもんだ。」という
道徳的美徳をどこかしら人々は持っている。
売名や損得を考えての善行というのは論外もってのほかだろう。
けれども、考えてみたい。
たとえ売名であろうが損得を考えていようが、それで救われる人が
いるのならばやっぱり「善い事」はやったほうがいいんじゃないのかな。
あまりにも善行を美徳化しすぎて、善行を難しいものにしすぎて、
それで今の世の中が出来たのならならそれはそれで反省をすべきだろう。
良いことをやったら幸せになれるんだ、現世利益がもらえるんだ、
という考え方であったとしても、それで良い事をしようと思うことは
別に普通に健康的だ、と思うのだが。
「道徳とはかくあるべき、聖者にしかできない」などと思いながら
結局何もできない人間を量産するよりはずっと良いような気もする。
少なくとも「悪いこと(不正)をやらないと幸せにならない。」という
現代の社会の一部構造よりははるかに良いに決まってるのに。
悪い模倣例が氾濫する中、良い模倣例もぜったい必要だと思うのだが。
「あの人あんなええことしたはる、わ〜、真似したい!」って
子どもたちが憧れる事のできる人間がバンバン出てきてほしい。
 「こんな良い方法があるよ、こんな先生がいるよ!」
こういったニュースの与えてくれる勇気には、大きな力がある。
夜回り先生もヤンキー先生も、私は知ることが出来て良かった。
もっともっと良い人や良い行いのニュースがあちこちに出てくればいい。
 そこにひとつだけ願うものがあるとしたら、
それは良い行動を取っているもの同士がお互いに足を引っ張らないことだ。
みんな同じチームの仲間なんだもの!
彼はあそこでやってる、あの先生はここで頑張ってる。
やり方の議論なんてどうでもいい。
頑張ってる人がそこにもいる。それだけで充分じゃないのかな。
もしもいつか出会って席を同じくするときが来たら、
その時はお互いの立場から堂々と議論をすればいい。
実際に何かを共動する場合は、そんな奇麗事も言ってられないだろう。
そのときはお互いに切磋琢磨して時にぶつかって向い合うしかないだろう。
でも、そうでないときはお互いを応援していたほうが、ぜったいいい。
エセや偽善が時にあったとしても、必ずそれはいつか皆に伝わる。
何よりもエセや偽善には、本人の心が本当に喜びはしない。
とにかくヒーローがたくさん必要なんだ。
この日本は誰か一人の力でどうなるもんではないのだから。
***   ***   ***   ***
 夜回り先生やヤンキー先生がどういった意志でメディアに
出てるのかは私の興味の範疇ではない。
けれども私は確かに、彼らから勇気をもらっている。
これだけは曲げようのない紛れもない事実であり、
私にとっての最大の関心事である。
少々うさんくさかろうがおかしかろうがどんくさかろうが、
目の前の子どものために何かをやってる人はみんな味方なんだ。
お互いを勇気付けながら前に進もう。
どうかみんな、がんばってください!!!
2005年2月14日 (月) あけましてバレンタイン
毎年、年賀状とバレンタインチョコは究極のプレッシャーだ。
誰にあげて誰にあげないという判断が私にはできない。
ありとあらゆる人を範疇に入れたら、莫大な量になってしまう。
それに注ぐお金も時間も意識も私には作り出せない。
考え出すととたんにブルーになっていく。
迷っているうちに時間が過ぎていってしまう。
施設の子どもたち(小学生の女の子たち)も、みんな年賀状が欲しい。
みんなにちょうだいとせがまれたが、結局全部断った。
 せめて施設の子どもたちにはお誕生日プレゼントと進学祝だけは
贈りたいと思っている。その子だけにとって「特別な日」の贈り物なら、
範疇で何とかやりくりもできるしプレゼントを探す作業も楽しい。
年賀状を出せなかった分友人たちにも時勢に触れ手紙などを書いていこう。
年末年始に襲い掛かるこのふたつの罪悪感に対する言い訳かもしれないが、
そんな風に思う。
 しかし、意外と年賀状には重きを置いている人が多いのには驚く。
あるチョイ有名人の友人の奥さんが、年賀状の季節になると
やせ衰え泣きながら「年賀状なんて大嫌い。」と項垂れていたのを思い出す。
お年を召した方や地位のある方から「年賀状もよこさないとは失礼な。」
といってはよく叱られるらしい。これは義務なのか?
メールに依存する若者の事をなぜか連想する。
バレンタインももはや節分やひな祭り同様、国の行事と化している。
マスコミにあおられているのは事実にしても、この現象やいかなるものか。
これらのコミニケーションに対する執着の根底には一体何があるのか。
もちろん、年賀状やバレンタインにまつわる温かい話もたくさんあるだろう。
だから別にどうとかっていう話ではないんだけど、
なんとも複雑な思いのそんなバレンタインです。
2005年2月13日(日) 時代風景
 時代とともに子育ての風景、というものは変わっていく。
私が保育園に通っていたころ、普通だった景色が今は普通じゃ無い。
そんなことを思い起こす場面に出会った。
近所の田舎道ではあるが、バイクの足元に子どもを乗せて走っている
お父さんを見かけた。「危ないなぁ・・・」とすごく心配になったが、
私も子どものころ同じような経験をしていたのを思い出した。
 保育園への通学で、私はよく父のバイクの後ろに乗せられた。
ヘルメットなども当然無い。
それどころか、私は走るバイクの取っ手に片手で捕まりながら、
もう片方の手でパンの切れ端を落として行って、近所の犬にそれを
追いかけてこさす、というえげつないことをやっていた。
保育園まで追ってきた犬はその後調理室の前でウロウロし始め、
「きゃー、どこの犬!」と先生たちを騒がしていた。
 また、父は仕事用の軽トラックしか持っていなかった。
私たち家族はそのホロ付き軽トラでどこへでも出かけた。
もちろん子どもたち3人は荷台の上。高速道路に乗って甲子園に行く時も、
年に一度のホテルでのお食事日も、私たちはその軽トラックで出かけた。
一度父がスピード違反で捕まったとき、私たちは声を殺して待っていた。
警察が荷台を点検しないかと、母は生きた心地がしなかったらしい。
今、自分の子どもにそんな危ないことは私が怖くてさせられない。
 また、小学校からの帰り道には友達と国鉄の線路の上をよく歩いた。
それとか、クラスの一番やんちゃな男の子が、スパイダーマンみたいに
三階建ての校舎の壁をよじ登って屋上まで行くのを知った担任が、
その子にクラスみんなの前でそれをやらせて褒めたという事もあった。
私たちは屋上に上がろうとする同級生を、固唾を飲んで見守った。
どれもこれも今やったら大問題に発展しそうな事ばかりだ。
けれども、あの頃はそれを許す時代背景があったように思う。
 私は軽トラの荷台に乗っているとき、まだ小さい弟が
乗り込み口の方に転がって落ちないように必死で弟たちを守った。
そんな中で、弟たちに注意を与えて不安にさせる逆効果を学び、
明るく楽しく過ごさせながら危険から守ってやる術を体験で学んだ。
線路だってただボーっと歩いているわけではなかった。
おしゃべりしながらも電車の気配に常に気を配り、
それが訪れたときにはいち早く危険な場所から離れる、という行動を
誰に教えられるわけでもなく経験していた。
また、スパイダーマンの彼はそれ以来二度と壁を登らなかった。
確か先生に「登るなら誰か大人に見てもらうように。」とか言われて、
そのへんでもうめんどくさくなったんじゃなかったかな。
 どんどんどんどん、子どもたちを守る体制は進化していった。
子どもたちは昔より遥かに守られている。けれどもそれと同時に、
あの時代のおおらかな背景が消えていってとても窮屈な閉塞感を
持っているのかもしれない。それが逆にもっと怖い危険への誘惑を、
子どもたちに提唱しているような気がしてならない。
子どもはけして囲いの中に納まらない。
子どもたちの憧れやトキメキの先にあるものとは、いったい何だろう。
私たちが子どもながらに感じていた「命ギリギリ」の線。
頭ではなく、全身全霊で「生きる」ことを意識する瞬間。
そしてそれをさりげなくたくましく見守る大人たちの目。
ここに、大切な鍵が隠されているような気がしてならない。
2005年2月12日 (土) 人権劇と小さなネジ
 NHKにんげんドキュメント「中学生・人権劇に挑む」を見た。
京都市立弥栄中学校が取り組んでいる「人権」をテーマにした
劇作りを取材・レポートしたものだった。
 大きなストーリーの流れは、被差別部落と呼ばれる場所に住んでいる
女の子と、事故で障害者になった婚約者の2人が様々な問題や葛藤を
乗り越えて結婚するまでの話である。
実際にそういった地域に住んでいる子ども達にとって、
これは現実としてのしかかってくる大きな問題なのだ。
 劇の稽古を見に来た卒業生の女の子が涙をいっぱいためて
話していた。「彼氏が出来て、彼氏の両親にも可愛がってもらって、
自分が部落に住んでいる、と言うまではすっごく怖かった。
今あるもんが全部なくなったらどうしよう、と思った。
そんな気持ちを、もっと出して演じてほしい。」と、
主人公を演じる女の子に伝えていた。
 その劇の台本には、時々空白になっている場所がある。
そこにはその役を演じる生徒が、自分の悩みや、それを乗り越える
決意を書き込んでセリフに変えていくのだ。
2人の結婚式の披露宴で祝辞を述べる役の人は、
その祝辞の中に自分の抱える課題を織り交ぜてセリフを作る。
その中に一人、児童養護施設に住んでいる子どもがいた。
最初に書いた作文には、どこか何かを避けて書かれたふしがあった。
先生から、鋭い問いかけが投げかけられる。
「おまえは母親が死んだ時、最初行かへん、って言うたやろ。
普通やったら母親が死んだら、何があってもそっちに駆けつけるはずや。
そやけどおまえの反応は違った。ここにおまえや、
施設に住んでいるみんなのしんどさがあるんや。
それに向き合うときとちゃうか。
おまえがそれを語ることによって、施設の皆のしんどさを語ることになる。
お前らが親になったとき、そんな親子にだけはなってほしくないんや。」
この先生の問いかけに黙って頷きながら涙をこぼす少年。
彼はしっかりと先生の思いを受け止め、発表するセリフに
正直な気持ちを書いてそれを見事に披露していた。
 この先生は、私たちの界隈でもかなり有名な熱血先生だ。
京都にはこんないい先生達がいるんだ、ということを誇りに思える。
そしてなによりも、そんな先生達の思いを受けて
一生懸命前を向いて生きようとする子ども達のひたむきな姿に
胸が射抜かれる。現実を受け入れ、それと向き合い乗り越えようとする
瞬間、子ども達はあきらかに表情を変える。瞳の色が変わる。
彼らの中の最も神聖な場所が起動さえしたら、
彼らは立派に歩き始めることができるのだ。
 このTVを見ていて、私はつくづく自分の存在の小ささを感じた。
彼らの生きる力を前にして、大人のやることは本当は小さいことなのだ。
けれどもその小さい存在が、とてつもなく大切なのだ。
ネジ一本無くなるだけで機械が動かなくなってしまうように。
この小ささに磨きをかけねばならない。質の良いネジになりたい。
この小ささの中に、無限に広がる可能性と大きなものを動かす力がある。
弥栄の熱血先生達を見ていて、そう思った。
2005年2月11日 (金) シリーズおバカ1
 こんなクソ真面目な日記を書いているが実は私は有名なおバカだ。
よく「ギャグマンガ」みたいな人生を送っているねと言われる。
バカでないとやってられんわなっていうくらい真面目なのかも、と思う。
けれども馬鹿だからまぁこんな真面目な日記が書けるのかもしれない。
 まず、道を歩く時の様子が多分はたから見たら気持ち悪い。
これは高校のときに付いた悪い癖が今でも抜けきらないのだ。
高校の通学路はだいたい15分。山と寺しかない古い道を一人で歩くのだ。
仲のいい友達はみな途中で分かれてしまう。そのあと10分ほど、
一人ぼっちで歩くのがたまらなく退屈だった。
だから私は「一人演劇ごっこ」というのを開発した。
自分の中でオリジナルなストーリーを作ってはその役を演じる。
「ひどい!ひろしのバカ!!」「がんばって、あなたなら大丈夫よ。」
ってな具合に道を歩きながら小さな声で演技するのだ。
勿論気持ちが入りすぎて恥ずかしい目に何度も遭ってる。
憧れの先輩が自転車で横を通り過ぎていったときには、
伝える機会もないだろうに必死で言い訳を考えた。
気がついたらその言い訳を伝えるシーンをまた演技したりしてるのだ。
この癖が今の通勤路に時々顔を出す。今日も数人の人に振り向かれた。
この年になるとあの頃のように言い訳を考える恥じらいもない。
ひょっとして、こうやって狂人は作られるのではないか、と、
時々ちょっと怖くなる。
 子どもの学校でも、ちょっとした「有名人」だった頃もあった。
よく娘のクラスに私が行くと、クラス全員が一斉にこっちを見て笑った。
娘が請願するので、参観日などでしょうがなしに大人しくしてると
同級生の男の子に「なんや、Tさんのお母さん普通の人やん。」
と言われたりした。いったいどんな噂が流れてるねん。
なんでこんなふうになったかというとまぁ色々おバカを学校でやった。
あまりにも児童福祉家としてはあるまじき行為の数々なので書くのが怖い。
まぁ以前にも書いたプール大戦争の話のような出来事だけど。
けれども、みんなすごく可愛くて楽しい事件ばっかりだったんだけどな〜
2005年2月10日 (木) 作用反作用と振り子の重心
 さまざまな素晴らしい生き方をしている人や、現在子どものために
一生懸命何かをやっている人たちの本を読んでいると、
いろいろ勉強にもなるし感動も絶えないし、感銘も影響も受ける。
けれどもこれに根を詰めすぎるとある副作用が起きることがある。
 頭の中で完全な愛の世界と正当な理論が組み合わさって、
著者の一言が自分と重なって「私はすでに素晴らしい福祉家」という
勘違いをしてしまいそうになることだ。
この勘違い状態に陥ってるときの一番の特徴的な症状は
「施設に行くのがめんどくさいなぁ〜。」という気持ちを起こすことだ。
あるいは、「上手くいかないのは○○が分ってないから。」と、
人のせいにも、したりする。
 たとえばTVでプロ野球を見ていて「自分が監督」という気持ちで
野次を飛ばす。けれどもそれはビール片手の寝転び体制で、というように。
それとか芸術家がパリに修行に行くと、その街並みすべてが
芸術的なので自分の腕を磨くのを忘れて街並みに寄って素晴らしい芸術家に
なったような錯覚を起こしたりする、というように。
情報番組などで普通のタレントが政治や事件を平気で偉そうに論じてる
のも不可解だ。「私は専門ではありませんが、こういうふうに思います。」
というのならまだわかるのだが、まるで国会図書館の本は全部読んだぞ
と言わんばかりの決め付け発言が出来るのは、どういうわけだろう。
イメージの世界だけでの充足は、現実とはまったく無関係のものなのだ。
そしてそれで満足して止まってしまう事が何より恐ろしい。
1知って10知ったような気になるよりも、1知ったら残りの9は
何も知らないんだ、とちゃんと自覚できたほうがいい。
なによりも知った「1」を生かさねばもったいない。
10知ったような気になっていると、9の知らない部分を刺激されると
そこで自信を失う。無力感に襲われる。
せっかく知ってる「1」すらも意味の無いものに変えてしまうのだ。
残りの「9」を、知ってる人に謙虚に尋ねられる自分でいるほうが
絶対的に「楽」だと思うのだが。
 野球選手に憧れて自らを鍛えることをはじめられる子どもは幸せだ。
弁護士の理論に興味があるのならまず法律や刑法を勉強しよう。
憧れの世界の主人公は、間違いなく計り知れない努力をしている事に
気がついてその道を模倣できることは賢いことだ。
口ばっかりで行動しない人間になるか、行動して成長を始めるかどうかの
分岐点がここにはある。
 そもそも世の中には愛の歌や物語があふれているのに、
なぜこんなふうに怖い事件ばかりが起こるのか。
薬屋さんや健康のための情報は増える一方なのに
病人は減ろうとせず精神の病み(闇)がクローズアップされる。
歌やドラマの中の愛や目に見える安心に自分を置き換えて
自分を慰めるのはあまり健康的ではない。
なぜここまで現代人は自分の生き方を空洞化させてしまったのか。
原因を追求するのは私の分野でないので止めておこう。
 まずは、「素晴らしい福祉家」という幻想から私をたたき起こそう。
そのあとで必ずやってくる「反省してもっと頑張らないと!!!」という
「りきみ」への揺り戻しも黙って受け入れよう。
もう飽きるほどに何度も何度も私はこの二つの自分を行き来している。
左右に揺れる振り子が重力によってやがて静まっていくように、
私の心も重心にピッタリと収まったら、
また自分の中の「善」に従って、等身大の私で出来ることをやって行こう。
まだまだ何も知らない何も出来ない事だらけの駆け出し新人福祉家です。
神様、いっぱいいっぱい教えてください。支えてください。
でも、「1」を学ぶことができた自分への誇りはぜったい無くさないからね!
2005年2月9日 (水) あたたかな手
 最近では当たり前のように毎日信じられないような児童虐待の
ニュースが新聞やTVを賑わしている。子どもに対してこれほどまでに
残酷な仕打ちをする事のできる人は、いったいどんな人なのだろう。
 ここでいつも狼少女の話を思い出す。
実際に実存した狼に育てられた2人の少女の話だ。
彼女達は保護されて間もなく亡くなっている。
彼女達は自分たちのことを狼と信じて疑わなかった。
人間とは、なんと無限の可能性を持った存在であるのか。
誰だって、天使にでも悪魔にでも狼にだってなれるのだ。
「たすけて!私は子どもを虐待したくない 世代連鎖を断ち切る支援 」
長谷川博一/著、径書房は、読んだ中で最も感動した本の一つだ。
自分が子どもに与える虐待を、なんとか止めようと踏ん張る
勇気ある母親たちとそれを支える精神科医たちの様子を書いた本だ。
虐待を繰り返す母親達が集まって、グループカウンセリングを
実施している時の話が印象的だった。(手元に無いので記憶の範囲で)
一人の母親が閉じていた蓋を開けて半狂乱になったときがあった。
その時の様子をこのように語っていた。
「隣に座っていた〇〇さんの 背中に当ててくれた手が、
あたたかくてビックリした。こんな感覚がこの世にあることに驚いた。」
 私は、この世に存在するあたたかい手を知っている。
何度も何度も繰り返しその手に触れられて生きてきた。
頭ではなく体で、感覚で、私という存在と一体化して理解している。
けれども、このあたたかな手の代わりに暴力や批判や無視、過干渉等を
浴びせられ続け生きてきた人の感覚は、私には理解できないはずだ。
胸が潰されそうになるニュースを聞くたびに、
加害者と呼ばれている被害者の存在にもやはり胸が痛む。
誰か加害者の幼少期に飛んで行ってあたたかな手を届けてほしい。
それが無理ならば、今を生きる子ども達には何としてでも届けたい。
未来を生きる子ども達のために、そっと添えられるあたたかな手を。
己の持つあたたかな手の力を、どうかみんなみくびらないでください。
2005年2月8日 (火) 二人の聖者
 私は最近、久々に魂の感動で言葉を無くす「漫画」を読んだ。
「預言者」といって少年霊媒師緒方克巳が活躍するシリーズものの
中の最高傑作だ。(全二巻・山本まゆり著/MBコミックス)
***    ***   ***   ***
 ここにはイタリアを代表する実在の二人の聖者が登場する。
一人はサヴォナローラという修道士。自分は神によって使わされた預言者
だと言い、人民に改悛を求め従わねば罰せられる終末の予言を告げた。
政治的にも力を得た彼は一種の恐怖政治を行い、「虚栄の焼却」として
民衆から剥ぎ取った贅沢品やいかがわしいものを全て燃やしたりした。
けれどもそれが逆にあまりにも民衆を追い詰めることになり、
今から約500年前、弟子たちとともに絞首刑ののち火で焼かれる事になる。
 もう一人は12世紀にアッシジに生まれた聖フランチェスコ。
フランチェスコは豪商の家に生まれ、一時は放蕩三昧に過ごすが
最終的には身分も財産も投げ出し「清貧」をモットーに修道院に入る。
アッシジにはいまも大聖堂が残り街全体にフランチェスコの
導いた愛の世界が広がる。また天に召されるときには多くの
弟子たちに囲まれて、まるで釈迦のような満たされた最期を迎えている。
実際のフランチェスコの布教活動がどういったものであったかは
この漫画では触れられていないが、個人的に調べたところによると
彼は「小鳥に向かってでも教えを説く。」という人だったらしい。
また、当時の権力的に堕落した教会の中で唯一キリストの教えを
実践しようとした人であった、とも書いてあった。
 この二人の聖者の最期はあまりにも違いすぎる。
「虚栄の焼却」と「清貧」。一見同じ事のように見える二つの言葉。
そのどこにこの大きな違いがあったというのだろうか?
これは、自分の中でぜひ答えを見つけ出してほしい。
***   ***   ***   ***
昨日紹介した「子どもを支える相談ネットワーク」に書いてあった。
これからは、誰の責任かを追及するための議論ではなく、
ではこれからどうすればいいのか?の議論でなくてはならない、と。
誰かを批判ばかりしていては解決など永遠にありえないのだ。
この文章と「預言者」のストーリーが、妙に重なるのは
私だけであろうか。主人公の緒方克巳君が最後に見つけた答えとは?
この名作に出逢えたことと二人の聖者の存在に、心から感謝する。
2005年2月7日 (月) 子どもを支えるネットワーク
 「子どもを支える相談ネットワーク」協働する学校と福祉の挑戦
山縣文治-監修 子どもの相談システムを考える会-編著/ミネルヴァ書房
図書館で借りてきて二週間がかりでやっと読み終えた本の名前だ。
名前のとおり、学校を初めとしてさまざまな形で子どもたちを支えるための
機関の現状とそのネットワークの可能性について書かれた本だ。
これは一気に読んでは感動する、という類の本ではなかったので、
なかなか読み応えがあったがてこずった。
知識としても大切なことがたくさん書いてあるので、自分の手元にも
買って置きたいと思ったが、なんせ値段が高いので現在検討中だ。
とにかく今月はもうすでに参考になるような本を4冊は買っている。
まだまだ買って読むべき本のリストがどわっと私の後に列をなしている。
最近の私の読書量は異常ともいえるべきかも知れない。
ただ関心があって読みたい、と思って読んでいるだけではあるのだが。
 さまざまな情報を得ることの大切さは痛感する。
けれどもこのさまざまな情報が、私の中に整合されていくまでには
様々な難儀な現象を起こすこともある。混乱するのだ。
けれども、混乱することは悪いことではない。必ず再びそれは
整合されるし、整合されたらそれが自分の厚みになる。
 私は、読んだ本に著者の連絡先が書いてある場合は必ず連絡をする。
感想を送るのだ。そして、たった1冊の本を仕上げるためにその裏で
繰り広げられた様々な出来事に敬意の念を伝えたくなるのだ。
それが、新しいネットワークを作っていく。
自分のようなただの主婦でしかない肩書きの無い人間には
そんなネットワークは人事のように思われる時もある。
けれども本当は人事なんかじゃない。これらは私たちの暮らす
日本の、その次の社会をになう子どもたちのことを書いた本であるのだ。
この時代に生まれてきた人間として、しっかりとこれらの
ネットワークのはしっこでもいいから関わって居たい、と思うのである。
そんな気持ちの人が一人でも増えることを祈る切なる声が、
これらの本から、静かに熱く伝わってくるのだ。
2005年2月6日 (日) トラウマと勇者
 マユミンと、施設ボランティアの帰り道に話したことがある。
「このボランティアは、自分のトラウマとの戦いやなぁ・・・」
私もマユミンも、小中学校時代適度なイジメを受けている。
仲間はずれにされたこと、無視されたこと、ばい菌扱いされたこと、
土下座させられた事もあるし無い噂を流されてソッポ向かれた
こともある。特に中学校時代は「ヤンキー」と呼ばれる種族の人たちに
かなり睨まれていたので、中学生の不良っぽい子が大の苦手だった。
マユミンも幼いころの大病を理由に、かなりイジメをたくさん受けてる。
 施設で暮らしている子ども達は、その私の最も苦手とするタイプの
子どもたちであったりするのだ。
「キッショ、くんな。」と言ってくる中学生などは、
かつての怖い同級生と完全に重なる。
最初のころは私の足も、実は恐怖で震えたりした。
この年になってまだ20年以上も前のトラウマに揺さぶられる事に驚く。
ほんとうに、驚く。こっちは経験も重ねて肌のしわも増えた大人なのに。
私のこのトラウマを彼女たちは想像もできないだろう。
けれども、節々に表れてるであろう私のオドオドした態度は敏感に
キャッチしているはずだ。きっと彼女たちはこう誤解してるだろう。
「あいつも敵だ。」というふうに、きっと思っているのだと思う。
マユミンがふっともらした「これって自分のトラウマとの戦いかも。」
という言葉に、二人で大笑いをした。ほんまやなぁ〜と、共感した。
 けれどもこれは立ち向かっていくしかない。
恐さに負けて逃げた先に本当の充足感はないだろう。
電車の中で暴力を受けた女子学生に知らん顔をする大人たちのことを
思うと心が痛む。いつでも簡単に一歩間違えて、気を緩めたら
私はその仲間に入ってしまうのだろう。でも誰だって怖いもんは怖い!
本当は誰だって誰の事も責められないんだ。
明日は自分が犯してしまうかもしれない過ちを、今日誰かが犯して
見せてくれただけのことかもしれないんだ。
 「過ちを改めざる、それを過ちと言う。」たしか孔子が言っていた。
自分の愚かさを受容しながら、それでもなお立ち向かおうとする。
小さな半歩でも進んでみようと、震える足、おどおどした瞳そのままで、
すくんだ腰をだましながらやみくもでも進んでいく。
そういう人を、勇者と呼ぶのだ、と私は思う。
やっと最近、コンビニでたむろしている若い怖そうな若者にも
微笑を投げられるようになってきた。施設にいても、女の子は怖くない。
トラウマから脱皮する小さな小さな出来事の積み重ねが、
私をちょっとずつちょっとずつ強くしていく。
本当の強さって、自分をどれだけ信じれるかなんだよね。
強さを誇示なんかしなくていい自分になっていくことなんだ。
実は、私は私の中の勇者を、本当に誇りに思っている。
憧れのセーラームーンだって、きっと月で笑ってこっちを見てるんだ。
2005年2月5日 (土) 物差しとものの見方
 なにもかもを一緒くたにしてしまうことが本当に話をややこしくする。
社会を低迷させてしまう最大級の原因はここにあるのかもしれない。
昨日、例の右翼の友人に言われた。
「全国で右翼と呼ばれる人間は二万人いる。けれども、街宣車に乗って
大きいスピーカーで怒鳴っている連中はその中の2千人だけなんや。
あとはオタクみたいな奴とか神経質な奴とかも色々おるけど、
真面目に日本のことを考えて行動してる奴もいっぱいいるんや。」
なるほど。これはおおいに頷ける話である。
 児童養護施設を見たって、色々ある。子ども一人を見たって、色々ある。
警察だって教師だって政治家だって宗教家だって、色々いるんだ。
NHKだって良い番組もたくさん生み出している事実もある。
マスコミがわかりやすく単一化する情報に振り回されてばかりいると、
社会というものがいかに住みにくい恐ろしい欲望に満ちた世界か、
という観念がいやおうなしに植えつけられてしまうような気がする。
これでは生きる希望も勇気もわいてこないのではないか。
 「花」を書きなさい、と言われたら紙にどう書くか。
たいていの人は〇にU型の囲いをつけて簡単に略された花を描くだろう。
けれども花にもいろいろある。どの色のどの匂いのどの形の花か、
そして同じに見えるチューリップだって、本当は一本一本違うのだ。
目の前にある花をより正確に描写しようとしてみたらわかるだろう。
その花は世間一般で括られる「花」の仲間であると同時に、
独立した「その存在」でしかないのだ、ということが。
 また人は良い悪いなどといった物差しで物を見る修正を持っている。
現在の社会はこの物差しの基準があまりにも流動的である。
自分の中の物差しの基準を、認識しながら持つ者は強い。
けっしてそれが神様的権威を持つ物差しでは無い、と知りながらも
自分の物差しに責任を持つものは潔く頼もしい。
それができてこそ「議論」が成り立つ。
この物差しを作る方法を一言で言うとしたら、それは物事のその中心を
まずはしっかり見る、ということになるだろう。
簡単な線で表現された輪郭ではなく、その実存にフォーカスをする
ものの見方を身につけるといいのかもしれない。
例えば学歴や経歴ではない、その生き様に目を向ける、ということだ。
年号を覚えるだけではなく、そこに生きた「人」に目を向けるのだ。
誰が何を思いどんな意志の元、誰と出会って何を目指して何を変えたか。
それが昨日と同じことだが「学問」の本質といえるのではないか。
生の血が通った胸躍る輝く世界は、いつだってそこに在るのだ。
歴史とは、誰か一人やひとつのかたまりが創ったものでは無い。
その時代を生きた人たちの生きざまの結晶なのだ。
そして今の社会も、線で書いて終わりのように簡単に創られている訳ではない。
もっと、そこにあるものの真実を自分の瞳で見つめ感じることができたら?
世界は鮮やかに色をつけ始めるんじゃあないかな?
2005年2月4日 (金) 価値観について
 子どもの価値観、というものは全くの白紙で面白い。
うちの子が小学校1年生の頃、「補聴器を買って欲しい」と駄々をこねて
困ったことがある。クラスに一人、補聴器を付けている子がいた。
彼の補聴器を付ける姿にたまらなく憧れたようだった。
 また、施設で私の担当する1年生のMちゃんは、いつも私の顔を
触って必ずこう言う。「えいこさんは大人やし、油が出る。
Mは子どもやし、油が出ない。Mも大人になったら油が出るんやんな。
あー、早く油が出たい!」・・・・・あらまぁ。
私が油取り紙を使って顔の油を取る様子に憧れているらしい。
Mちゃんの顔はいくら紙で拭いても油が付かない。
私からしたら羨ましい限りの話であるのだが、そんなことは関係ない。
子どもの価値観はいつだって全くの白紙なんだな。
 今朝、脳性麻痺を持っていて障害者向けの作業所に通っていると思われる
男性が、電車の中でお母さんと一緒にいた小さい子どもをあやしていた。
子どもはその男性が無意識に発生する「うーん」という唸り声に、
声を上げて笑っていた。それを見ていたお母さんも、一緒に笑っていた。
その障害者の男性はとても楽しそうだった。私は良かった、と思った。
 小学校中学年の時、私は初めてお風呂屋さんで脳性麻痺の
障害を持った女の子に出会った。初めてそのクネクネする体の動きを
見た時に、私は心底驚いた。ただ単純にビックリしたのだ。
一緒に入っていた友達に、「あの人どうしはったん?」と聞いた。
その瞬間、その女の子のお母さんと目が合った。
その瞬間のお母さんの目があまりにも悲しそうだったので、
私は一瞬にして「悪いことをした!」と思ってしまった。
以来、私の心の中では何かしらの行動基準が生まれた。
障害者の人を見たら知らない顔をしないといけない、というルールを
自分の中に作ってしまった。今朝はそんなことを思い出した。
 「五体不満足」を読んだことを初めとして、それ以来私も
様々な経験を繰り返し、その行動基準を今は持っていない。
もしも今朝の電車の中で、小さな子どものお母さんが
「笑ったりしたらダメよ。」などと言ったら、双方が深く傷つくことも
なんとなくではあるがわかってきた。だから良かった、と思った。
 バカにした笑いと純粋な笑いを聞き分けることはそんな難しくないと
思う。なにもかもを一緒くたにしてしまうことが話をややこしくする。
 昔幼稚園の子ども達がチン問屋さんごっこをしながら町内を回っていた。
とっても可愛くて楽しくて、見ている大人たちは皆笑って喜んだ。
するとその中の一人の女の子が、「やめる!」と言い出した。
その子のお母さんは彼女が悪いことをすると、
「そんな事をしてると人に笑われるよ。」という口癖を持っていた。
笑われること=見下されること、という行動基準があったようだ。
もったいない。あんな可愛い子ども達の輝きが、消されてしまうのだ。
子ども達が持つ白紙の価値観から、私たちも学ぶことがいっぱいある。
今一度それをヒントに自分の価値観や行動基準を見直すことも悪くない。
 けれども大人たちの価値観は知らぬ間に子ども達を縛り付ける。
これは良かれ悪かれ逃れようのない事実であるのだ。
それならば、どうせならもっと、子ども達が輝くための価値観を
与えることは出来ないものか。
日本の歴史の中にはこういった価値観を教えるための私塾があった。
それこそが「学問」と呼ばれるものであった。
これはなかなか調べ出すと面白い世界だ。関連書物一読をお勧めする。
日本という国は、まことにスゲェ奴らが創ってきた国だったのだ。
どうか中江藤樹先生、吉田松陰先生、今一度カンバーック!
2005年2月3日 (木) 朝まで生テレビ
 先日、ひさしぶりに鳥肌が立つくらい血が騒いだ。
メッチャクチャ面白かった。三時間が「あっ!」という間に過ぎた。
教育をテーマにした「朝まで生テレビ」に、夜回り先生が出た。
それをきっかけに、教育に関わる人たちの熱い討論・バトルにTVを合わせ
私はたまらなくエキサイトして暴れまくっていた。
この番組をこんなに楽しいと思ったのは初めてだった。
 立場はどうであれ、子ども達のことを一生懸命考えてる大人が
こんなにたくさんいることが嬉しかった。
そして、夜回り先生がかもしだす不思議な存在感、
夜回り先生のことを「聖者」と呼んだ喜入先生の話も興味深かった。
「僕だって夜回り先生のような聖職としての教師に憧れる、
でも自分はこっちに残ってシステムの中の教師として
やらなくてはならないことがある。」という訴えのような言葉に
胸が射抜かれた。場所や立場は変わっても、喜入先生も
素敵な先生や〜!って思えて嬉しかった。
 名前は全く覚えていないが参加者が出してきたデーター等も
すごく興味深かった。その中でも「里親」について発言した人がいた。
他の議論に巻き込まれて一瞬で消えてしまった話題だったが、
これほどまでにきちんと現実を理解している知識人がいることに、
こんなメジャーなTVに出て発言する人の中にいることが
心から頼もしく思えた。この参加者みんなの認識と目指すべき部分が
私とも私の周りの人たちとも見事に共通してるということを感じた。
 もうみんなちゃんとわかってるんだ!そして、動いてるんだ。
日本の未来はけっして暗くない、と、私は心から感じた。
2005年2月2日 (水) Wake up!
 最近、たまらなく胃が痛くなって物理的にも精神的にもムカつく時がある。 
「愛」とか「許し」とか「みんなひとつ」を口に出しては仲間内で
悦に浸って平和を奏でているような気になっている人を見たときだ。
自分でも驚くくらいムカムカしてきてその場にはいられなくなる。
現在は宗教もさることながら「癒し」ブーム等も、これに準じるものと思える。
また、いまは普通の家庭や教育現場でさえ、この傾向があるように思う。
 かつては私もその仲間の一人であったわけで、
これは過去の私に向けられた嫌悪感なのかもしれない。
さまざまな自己探求や活動を続けていると、そこで意の通う友人が
たくさんできる。最初はそれが楽しかったが、いつごろからか
ある種の閉塞感を感じるようになった。世間が狭くなってきて、
「何かが足りない。」と思うようになっていった。
***   ***   ***   ***
 マザーテレサがインドの貧民街へ入っていったのは36歳のとき。
それまで彼女は修道院の中で教師として多くの生徒たちに慕われ、
充実した日々をすごしていた。神様と共に暮らす神聖な人生、のはずだった。
けれども彼女は自分たちがすごす満たされた日々の外側に、
飢えや孤独に苦しむ人たちがたくさんいることを知っていた。
すべて神の子であるはずなのに、なぜ彼らはあんなに苦しんでいるのか。
その疑問が最高潮に達したころ、彼女は神の声を聞く。
「貧しいものの中で最も貧しいものを助けなさい。」
 けれども、マザーはこの神の声に最初は抵抗をしている。
「私には無理です、私には重荷です。不適切です。
もっと、神に選ばれし優れた人にこの話を持っていってください。」
と、マザーは神に請願している。耳を塞ごうと必死になっていたのだ。
そして大司教に宛てた手紙にもこのような事を書いている。
<この神のお告げがどうしても消えてくれません。
でも、私は大司教様が「そんなことは許しません。」と言うならば、
私は大司教様に従います。大司教様の言うことのほうが正しいはずです。
けれども大司教様がこの神のお告げに従えというなら、従います。>
と、半ば「どうか許さないで。」と言わんばかりの手紙を書いている。
けれども悲しいかな大司教様は許してしまうのだ。
まぁバックに憑いてるのが神だからしゃあないわね。
そして彼女の偉業は一歩を踏み出すのだ。
現社会にはこの修道院はいっぱいある。ただマザーが不足しているのだ。
 昨年、ある癒しのコンサートに行って腹が立って悲しくなった事がある。
この音色が施設の子どもたちには届いてないんだ。
こんなコンサートに来よう、と思う人の耳にしかこの歌は入らないんだ。
街角で孤独に苦しむ人の耳に届く癒しの歌を歌える人はいないのか、と
悲しくてとまらなくなった。主催者の立派な挨拶が鼻についた。
もう席を立って帰ってしまおうか何度も考えた。
そのとき、コンサート会場だった法然院の住職さんが突然
「癒しとか、そういうのはいいんですけど、そういうもんばっかりに
偏ってしまうことが結局世の中を変にしてる事を知ったはったほうがいい。
人類はひとつや、て言うのがしんどい。ひとつになれへんもんやから
判ろうと努力する、そういうことのほうが大事ちゃいますか。」
というような事を言われ、私は救われた。すごく、救われた。
彼は修道院の中から外に出てきている人なんだな、とボンヤリ思った。
 子ども達はこんなうさんくささすぐに見破る。
ぬくまった修道院の中から聞こえるお説教や慈善なんか、
てんで的外れで真っ平ごめんだろう。
「ムカツクねん。」という言葉が流行るのもある意味、
子どもの素直さ正直さゆえのものなのかもしれない、と思う。
 マザーは日本に来た際、「日本はインドよりも貧しい国だ。」と
指摘をしている。いまこそ修道院の学びを得て社会に巣立つ聖者を請う。
日本の中にもまだ眠っているはずの多くのマザーテレサの精神が、
どうか目覚めるよう、真剣に祈る。でもきっと大丈夫だろう。
そういう人にはちゃんと神が憑いているんだから。
2005年2月1日 (火) 見えなかったもの
 今日はとっても忙しい日だった。
とにかく仕事も忙しいので休むことが出来ずに、
朝仕事に行った後、昼からトンボ帰りで地元よりさらに奥まった
場所にある保険所に行き健康診断を受けた。
その後パンを適当にかじり市役所に行って書類をそろえる。
これらは全て里親登録の申請を出すために必要な書類だ。
そして今夕刻より職場に戻り一息ついてこれを書く。
「お願い電話よ鳴らないで」と祈りながら、それでも鳴ってしまう電話に
笑顔で応答をする。あと15分できっちり事務所を閉めたいんだ!
 このあと即施設に行って子ども達と遊ぶ予定がある。
が、今夜は寒く雪が降ってきつつあって道が凍ってしまう可能性が高く、
峠を越えて田舎道の我が家に帰るには
いつもより早く施設を出なくてはいけないだろう。
そんなことを言おうものなら愛しのお姫様はまた泣くんだろうな。
「なんで最後までいてくれへんの、ずるいわ!」って
他の子たちも怒ってしまうんだろうな。はぁ〜
 早く我が家に愛しいお姫様を迎え入れたいという思いで、
愛しいお姫様の笑顔を思い浮かべながらこんなに目を回している
私がいる、なんてことを彼女は一生知らないで生きるだろう。
 こうやって考えてみたら、私もきっと何も知らないまま今まで
大人になったんだろうな。きっと私のことを温かく見守る
大人たちの瞳がたくさんたくさんあったはずなのに。
 でなけりゃこんなに真面目に真っ直ぐ育つはずない。?。
大人になってからだって。私がこうやって走り回る私になる前には、
たくさんの人が私のために走り回ってくれたのではないだろうか。
たくさんの人が私の幸せを思ってくれたのではないだろうか。
 道ですれ違う見知らぬ子どもに思わず微笑がこぼれてしまう。
「見知らぬ貴方、幸せに生きるのよ。」と心の中でつぶやく時、
誰かが私に向かってそうやって微笑んでいるような気がする。
ずっとずっと見えなかった温かな瞳と優しいぬくもり。
♪誰かが救いの手を君に差し出してる 
だけど今はそれに気づけずにいるんだろう・・・・・
ミスチルが歌っている「優しい歌」の中にもあふれてる。
今までちゃんと見ていなくてごめんなさい、
私がいまからこうやって施設の子どもに会いに行って差し出すその手は
今まで私を支えてきてくれたみんなの手でもあるんだね。
代表選手として、がんばって行ってきます!