おふらんす便り
 ブルターニュ在住のGwenolaは、現在3人のお子さんがいらっしゃって(真ん中の坊やがTokioと1日違いの誕生日ということで意気投合)、中国にも留学したことのあるインテリママ。彼女が、大変うれしいことに、フランスに関する記事をこのホームページのために書いてくれることになりました。いつまで、続くかなー。(笑)原稿をいただいてから翻訳という作業になるのでなかなか更新できないとは思いますが、彼女も日本のことが好きでいろいろとみなさんの考えなどに興味をお持ちのようです。質問や、こんなことについて教えてくれという要望がありましたら、どしどしメールくださいね。
Prologue

Cette photo est prise en Bretagne,
dans la region qu'on appelle le Tregor,
sur la "cote de granit rose".
まずはこのコーナーのプロローグとして、Gwenolaのお家から見える
素敵な柏の木の写真を掲載します。
今は葉っぱで覆われ、とてもきれいだとか。
もうすでに、「ブルターニュ通信」なる原稿をいただいているのですが、
ただ今翻訳中。
この写真でブルターニュ(トレゴール)地方のイメージが広がるかな?

ブルターニュ通信 2

2004年9月 (1)              原文( texte francais)

去る
7月の地方紙に、こんな見出しの記事が載りました。「夏の猛暑はじまる」まず最初に私のすぐれた翻訳者にこの言葉遊びを日本語に訳す大変さについてお詫びしておかなければなりません。
1) 2003年の夏は記録的な猛暑で、今年もまたと皆が心配しておりました。そのため、大西洋気候の恩恵をうけている避暑地ブルターニュに観光客がどっとおしよせたというわけです。ところが、予想は大はずれ。気象庁の言を信じるなら、1960年以来もっとも雨の多い夏を私たちは経験したことになります。

9月は一転、その豪雨を忘れさせてくれるような好天続きで、春を思わせる陽気となっています。私はブルターニュのこの春とか秋といった間の季節(2)が大好きです。明け方の霞がかすむ紫色の水平線、海草の匂いが入り交じった庭のほのかな香り、柔らかな日差し、湖を思わせるような静かな海の上でとまっている時間。彼方に向かって耳を傾けるなら、去り行く船のエンジン音を、また足下には、まだ冷たい砂の上を寄せては消えて行く半透明のさざ波の音を聞くことができるでしょう。世界があなたがたのものとなる時間です。変わることのない穏やかさの隠れ家のように記憶の中に刻み込まれた、澄明で、不思議なひととき。ひそやかで、完全な、調和の永遠なる時。言葉のない幸福の一瞬。

こうしたイメージを目にすると、言葉に言い表しがたい静けさを彷佛とさせる日本の内海を思い出さずにはいられません。それは、被写体としてではなく、かつて私の観想の対象となったものではありますが。日本が清純な「禅」(3)の国という顔と、節度のない、困惑させられるような暮らしぶりの国という二つの顔をもっていることにとまどっているフランス人は少なくありません。報道によって、時には、私たちの目から見れば、非人間的とも思えるような生活にへとへとになっている都市生活者の姿が、またある時には、お決まりかつ少々時代錯誤であるとはいえ、守り抜かれている伝統的なイメージが伝えられてきます。サラリーマンや、学校でいい点数をとるために必死になって、ショボショボになってしまっている子供たちの姿。そして、京都の芸者や、畳の上で催される茶会、鎌倉の寺院といった具合です。

以前にほんの短い期間ではありましたが、日本に滞在する機会をもった私にとって、こうした矛盾は上辺だけのものにすぎないように思われます。「奇妙な小窓」(4)を通して私たちの国を見ているあなたがたも、理解しがたいという思いが入り交じった驚きの目で、私たちのことを見ているのでは?でも、私たちの国とあなた方の国の文化や伝統がいかに違っているとはいえ、それは本当にそれほどまでにかけ離れたものなのでしょうか?私はそんな風には思いません。偏見が無理解を生むのです。そうした偏見の彼方では、人間の心(この「こころ」については、漱石が語っていましたよね。)はいつも同じです。本物の人間関係というのは、すべてこの「こころ」に源泉をもっているのです。



(1)前回のブルターニュ通信では間違って2003年5月としてしまいましたが、2004年5月のこと。
(2)春と秋のこと。
(3)「禅」という言葉はフランスではとても流行っていて、でたらめではありますが、いろいろなことを表現するのに使われています。例えば「禅の状態でいる」(rester zen)というのは単に「静かにしている」ということを意味します。
(4)60年代(シャルルドゴールがフランス大統領だった時代)に「TV」を意味するのに風刺新聞「Le canard Enchaine}で使われていた表現。

(訳注1)原文は≪l’ete demarre en trombes ≫. En trombeとは、「すごい勢いで」という意味。Trombeとはそもそも熱帯の海で生まれる「竜巻」のことで、「土砂降り」を意味するtrombe d'eauという言葉もあります。同じtrombeでも「暑さ」ではなく「雨」のほうだったという洒落。(でありましょう。)

ブルターニュ通信


これくらいの文章でも翻訳は難しい!できるだけ忠実にとつとめましたが、日本語らしくと手を加えた部分も。まだまだ修行が足りんな。
フランス語学習者の方は是非原文( texte francais)を参照してくださいね。


 地球の裏側「太陽の沈む国」から「太陽の昇る国」の住人のみなさんへ潮風が運んできた言の葉の数々をお届けします。私が住んでいるこの土地のことをみなさんはおそらく「遠い国」のこととして受け取られるでしょう。でも、時にはそれを大変に近いものと感じられることもあるでしょうし、おそらくはわたしたち2つの国の間にある予想だにしなかった類似点にさえ気付かれるはずです。この通信によって、私が幸せを見いだしたこの魅惑の土地への興味の扉をいつの日かみなさん自身の手で開いてくださいますよう

2003年5月
 今年の春は、数日間の夏日に恵まれました。土地も太陽の熱を帯び、時折訪れた豪雨のおかげで、これから数週間にわたる、庭の草花や、菜園の野菜・果物の植え付け作業の準備は万端です。土地を耕すには、地方へと追いやられた(むしろ逃れてきたとうべきか)都会人たちが感嘆し、そこに喜びを見いだすような忍耐と粘り強さが必要となります。

 私の家族はブルターニュの出です。祖父母は戦前(1)、都会で働くために故郷の地を後にし、パリへと<のぼって>行きました。それでも完全に故郷を捨てたというわけではありませんでした。というのも、毎年夏になると私たちは家族みんなで、ブルターニュの、昔は海水浴用の「更衣室」でしかなかったのが、時代とともに「本物の」別荘となった、まだ手つかずの自然が残っているその海辺の地を訪れていましたから。子供の頃のバカンスの滞在先であったその半島には、コンクリートの建造物も、ネオンきらめくバーのテラスであふれる海岸線もなく、唯一、子供の頃お小遣いで<カランバー>(2)や氷を買ったカフェバーをかねている小さな食料品店があるのみでした。

 仮に私が郊外で大きくなり、パリで勉強し、仕事をしていたとしても、ケルトの流れをもつブルターニュ人であるという強い意識は保たれたままであったでしょう。しかしそうした意識を保ち続けるのは、後にそこに永住することを決める前にも、かつて私の思いの種を植えたその地方以外のいかなる場所もバカンス先として知らなかったためにいっそうたやすいものでした。ブルターニュは私にとって、輝ける時代の象徴であり、そこでは真の不幸は訪れることなく、心は晴れやかに、人は自分自身を再発見することができるのです。私が、ただ単に海や広大な開かれた水平線が存在するだけで、思索をみだされることもなく、幸せでいられるということを学んだのは、あなたがた島国のひとたちの所でではありません。冬のまっただ中、荒れ狂う嵐のときですら、私は常に自然と調和している自分の姿をここでは感じとることができるのです。

 日本にいたとき、静岡県の菊川町というちいさな町を訪れました。そして、その思い出はとりわけ私の心の中でも親しいものとなって残っています。あなたがたの国で、あじさいが咲き誇っているのを見た時にはとても驚きました。フランスではあじさいといえばブルターニュだからです。最近、あじさいの原産地が日本であると知ったのですが、そのときの驚きようといったら!庭にあじさいを植えていたこともあり、とてもうれしく思っています。休みや、くつろぎのひとときを返上して今まさに植えようとしているつつじ・「サワダ椿」「屋久島しゃくなげ」とともに、それ以来、あじさいを見る度にあなた方の国に思いを馳せるようになりました。戦前
(1)1939-45の第二次世界大戦
(2)子供たちに人気のお菓子。棒形のキャラメルで、適度なかたさを持ち噛むと歯にくっつく。
(フランスにこのお菓子の非公式サイトがあるのですが笑えます。)
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