ひふみ預言1

 はじめに
 題名の名称考
 上つ巻(001)〜水の巻(291)




はじめに

 

ひふみ神示は、千葉県成田市台方の麻多賀神社内にある、天日津久神社に降ろされました。

下左のの写真が麻多賀神社で、御祭神は和久産巣日神(稚産霊命〜ワクムスビノカミ) で、五穀・養蚕の神として信仰されています。

母は伊邪那美命(イザナミ)で、火之迦具土神(カグツチ)を生んで火傷をし病に伏せた時、ゆまり(尿)から化生した。そして伊邪那美命の死後、、伊邪那岐命が伊邪那美命の居る黄泉の国へ行き、黄泉の穢れを洗い流した際、左目を洗ったときに化生したのが天照大神なので、天照大神の姉に当たります。

そして水の神である弥都波能売神(ミツハノメ)と結婚し、豊受媛神(トヨウケビメ)を生んだ。

豊受大神は伊勢外宮、天照大神は伊勢内宮にも祀られています。




 上右の写真が、本殿の右側奥にある天日津久神社です。結構しょぼいです

 上左の写真が、本殿の右側奥にある天日津久神社です。

 以前に撮った時、この白く丸い光は少しだけで、オーブのような心霊写真かと思いましたが、次に行ったときには、このように大量発生してました。
 上右の写真は、祠の左側の足元を拡大したものです。

 自然の太陽光ですが、みな丸い光になるのが不思議なところです。たくさんの光が舞っているようで、とても幸せな気分になれました。

 祠は小さく、コンクリート製なので、大神示が下された場所を見に行こうとすると、期待外れに終わると思います。

 元旦にも行きましたが、本殿参拝は10人待ちぐらいだったのに、天日津久神社はストレートに参拝できたので、地元での知名度もイマイチなのでしょう。

 

 ひふみ預言の草案は、2008年12月に完成していましたが、諸般の事情により自ら公表せず、その筋の第一人者の解読に役立てて頂くべく、差し上げたのですが、その人は既に亡くなってしまいました。

役に立たぬまま、お蔵入りとなっていましたが、終末まであと30年となる2012年を迎えたため、「かのととり」であった正月元旦(旧12月8日)、天日津久神社に参拝して完成を約束し、どうにか2012年バージョンが出来上がりました。

まだ終末まで30年も余裕がありますが、公表を急かす要因の一つが、2011年の東日本大震災でした。

茨城在住なので、ウチも瓦と壁が大量に落ち、柱も歪みボロボロになりましたが、預言に携わる者として、今回の地震は、終末の雛形に思えてならないのです。

今回は有史以来の大地震でしたが、終末は「日本は、お土が上がる」「世界は7つになる」というのですから、地殻変動レベルになるてしょう。ですから人間の想定する、原発の安全基準など、話にならないのです。

また今回の放射能汚染にも関わらず、日本はこれを反省せず、最終的に核武装して核戦場になるようです。

それが2041年の終末となりますが、「鉄は熱いうちに打て」の格言通り、大震災と放射能汚染の記憶がなくなる前に、「教訓を生かさなくては」と強く思い、解読を後押しする力になりました。

そして世間では、2012年終末説がありますが、その否定にもなれば良いと思います。

ひふみ的には、2012年の干支である「みずのえたつ」は、「瑞が表に立つ」となり、破壊の終結ではなく、 世紀末の始まりといえます。

繰り返し預言されている、恐ろしく、また幸せな「かのととり」の年が2041年なので、辰年に始まる30年サイクルの始まりとなるでしょう。その2041年の雛形が、2011年の東日本大震災という訳です。

 

 

題名の名称考

 

この神示は、岡本天明氏が自動書記で書いたものですが、あまり知られていなかったと思います。

ノストラダムスブームの終盤、日本にもすごい預言があるということで、中矢伸一氏による「日月神示」で知られるようになりました。私もその一人であり、何冊か本を買いましたが、そのうち行き詰まりを感じ、読まなくなりました。

 

インターネットを始めたら、原文が落ちており、それを拾って全部読みましたが、やはりよく判りませんので、お蔵入りとなります。

ある切っ掛けで、今度は解読してやろうと思い、再び読み返しますが、やはりよく解かりません。そこで日月神示は霊界物語の後継者とされているので、霊界物語を読むことにしました。

霊界物語のメインテーマは霊主体従であり、言霊です。また数霊とでもいうべき「ひと ふた み よ いつ むう なな や ここの たり もも ち よろず」の数字に秘められた意味を知るに至り、解読できるようになりました。

霊界物語を読まずして、数字により暗号化されている、ひふみ神示は絶対に解けないので、ひふみ神示で堂々巡りに陥っている人には、この回り道が最短距離であることをアドバイスしおきます。

 

入門書が日月神示だったので、神示の名を疑ったことがありませんでしたが、解読してみると、それは違うんじゃないのと、確信に変わりました。

各神示の最後には、日付と神示を下した神の署名があります。

神名は、次の種類です。

 

ひつくかみ 

ひつぐの神

ひつくのか三

ひつ九のか三

のひつくの

あのひつ九のか三

アメの つ九の  

三のひつ九か三

みづのひつ九のか三

ひつく のひつ九のか三しるさすぞ

 

一二  

一二のか三

一二の神

の一二  

の一二のか三

あめの一二か三

みづの一二  

 

 「ひつく」と「一二」の二種類に大別されますが、「ひつく」は神社の名である「日津久」とするのが王道でしょう。

 日津久とは天つ神を天津神とするように、「つ」は場所を示す名詞の下に付くので、天の神と同じく日の神となり、久から「古い」の意を採用すれば、神社の名前・天日津久神社は、「天と日本の古い神様」となる。なお以下の神名は、一人の神でも色々の名前・漢字がありますので、適当です。

 

 古い日本の神様とは、

 国生みの、伊邪那岐神と伊邪那美神で、厳と瑞。

 日本の、天照大神と素佐之男命で、厳と瑞。

 

「天の日津久の神と申しても一柱ではないのだぞ、臣民のお役所のようなものと心得よ」と神示の中にあるので、この四人に限らず、十柱の神々など住民課や土木課の日津久神もいるのでしょう。

 それに八百万の神々なども含め、全員を総覧するのが、「天日津久」といえます。

 

 「ひつぐ」は日津久。または日継ぐで、天皇直系の天照大神。

 「ひつぎ」は日嗣で、「日の神の大命で、大業を次々にしろしめす」という意味があり、素佐之男命というところでしょうか

 

 「一二」は「ひつぐ」と、濁点を消した「ひつく」。「ひつぎ」と「ひつき」などに読めます。

 「ひつぐ」と「ひつく」は、既に出ていますので書き改める必要もなく、、「ひつぎ」が転じた「ひつき」なら、「日月」が割り出せます。

 

 このように「日月」は「一二」の一部なので、一部をもって全体をひっくるめる「日月神示」は、本末転倒でしょう。

を日月のマークにしていますが、「アメの つ九の 」は「天の 日つくの 神」なので、 は日津久の「日」なので、「月」は含まれません。

 また日月神は、太陽神の天照大神と、月の神である月読が代表格ですが、月読の存在感が薄いのは否めません。

 伊邪那岐神と伊邪那美神も「日月」といえますが、この二人だけが預言している訳ではないので、これをタイトルにしたら本末転倒です。

 

一二  

一二のか三

一二の神

の一二  

の一二のか三

 

神示は 国常立神と豊雲野神・伊邪那岐神伊邪那美神が中心であることは、間違いありません。

上の5つの名前は、「日月神」とも読めます。

 

また「一」の数霊から「霊・はじめ」、二の数霊から「力・継ぐ・呼吸」をチョイスすれば、霊力・霊継ぐ・はじめの力・始まりの呼吸などとなり、天津神の意味にもなります。

始まりの天之御中主大神と、国常立神と豊雲野神の厳と瑞が中心になるでしょう。

これは伊邪那岐神以前が、神代と呼ばれているので天津神。伊邪那岐神を含め、それ以下が日津久神と分類すれば良さそうです。

 

あめの一二か三

 これは「天」が付くので、国常立神と豊雲野神になります。

みづの一二  

 これは日月神の「瑞」方なので、伊邪那美神に限定でき、月だけです。

 

 

 ということで、神の名から題名を付けるとすれば、神社名と同じく「天日津久神示」が適当でしょう。

 

しかし神示に、次のように書かれていることから、「一二三」にすべきです。

 

 第一巻 上つ巻 第三帖(3) 昭和十九年六月十一日、旧閏四月二十一日(1944年)

 

 預言(よごと)は神、なにも上下、下ひっくり返っているから、分らんから、神の心になれば何事も分るから、鏡を掃除してくれよ。今にこの御告げ(おつげ)が一二三(ひふみ)ばかりになるから、それまでに身魂をみがいて置かんと、身魂の曇った人には何ともよめんから、早く神こころに返りて居りてくれ、何も一度に出て来る。海が陸になり陸が海になる。六月十一日の朝のお告げ、未世(みよ)を見よ未預(みよ〜末に関与する)ひつくの神。

 

 「一二三」は「ひふみ」であり、ひふみ祝詞もあります。その数霊から「一〜霊」、「二〜つぐ〜継ぐ」、「三〜体」をチョいスすれば、「霊を継ぐ体」となり、それは輪廻転生に他なりません。

ひふみ祝詞にある「ひと ふた み よ いつ むう なな や ここの たり ももち よろず」は、「一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 百 千 万」の数字です。 

そこには「霊 力 体 世 出ずる 燃える 弥弥益々 凝り固まる 完成 諸々 光や血 夜出ずる」などの数霊があるのですが、これが考慮されたことは、今までに一切なかったと思います。

それゆえこれまでのひふみ神示は、何を言ってるのかさっぱり判らない品物でした。数字主体の預言にも関わらず、数霊は考慮されず、数霊の存在に触れたの人は皆無です。

 

この数霊は、霊界物語に書いてありましたので、霊界物語を読まなければ、ひふみ神示の解読はありえないと言った所以です。

また霊界物語のメインテーマは「霊主体従」なので、これを学ばない限り、ひふみの言霊である「輪廻転生」は会得できるはずありません。

 

次に「神示」という日本語も、合わないんじゃないかと思います。

先に紹介した、第一巻 上つ巻 第三帖の冒頭を、私は「預言(よごと)」と解読しましたが、原文では「善言(よごと)」になっています。

 全体の内容からも、善言より預言の方が合っています。

また今まで誰も、最後にある神名まで考慮した人はいませんので、「みよをみよみよひつくの神」のままですが、預言とすれば、「未世(みよ)を見よ未預(みよ〜末に関与する)ひつくの神」という具合に、当て字ができます。

 

このように預言は、人により色々な解釈が可能で、それは八人八通りと預言の中にも書かれています。

正確な解釈は、来るべき弥勒再来の救世主以外になく、それまで各解読者は、ひふみを伝え広める、宣伝使に過ぎません。

間違った解釈は、間違った解読者のせいなのに、「神示」を使ったら、間違いは神の責任になりかねます。

岡本天明氏は自動書記により、ひふみを書き、最初は意味すら分からなったといいます。それは預かった言葉である預言と認知するのが、正しい日本語ではないでしょうか。

救世主が来るまで預かっているのに、個人的見解に神示を使っては、解読者の言葉が神の言葉に成り代わってしまいます。

 

しかし原文にも、「神示」と何度も出てきます。こう書かれては反論のしようがないのですが、「神示(ふで)」と書かれいる場面もあり、筆先が自動書記の別名なので、この場合の神示は、人間による意訳が含まれており、原文とて信用できないのです。

完全に「神示」と書かれている場面もあります。

そして「お告げ」と書かれてる場合もありますが、その章は暗号化が比較的少ないように思います。

暗号化が激しいと、解読者の意思がもろに反映された文章にならざるをえず、それを神示としては、鼻高さんになってしまうでしょう。私はそんな自信家では無いので、タイトルに「神示」は、恥ずかしくて使えません。

 

以上の理由から、題名は「ひふみ預言」が最適かと思います。

ということで、ここまでは認知されている「ひふみ神示」を便宜的に使ってきましたが、ここからは「ひふみ預言」に統一します。

 

ひふみ預言は非常に難しいので、私も間違いを犯すでしょう。それは私の間違いであり、神示の間違いではありません。

預言はどのようにでも解釈できるということを、絶えず忘れず、切磋琢磨し、真実に少しでも近づければ、と思っています。

解読力は進歩するので、2008年バージョンを読み返したら、あまりにも恥ずかしい、場違いな解釈が結構ありました。今回はベストに仕上げたと思っていても、5年後・10年後には、内容が変化しても不思議ではないのです。

最終的は、2041年のその時まで、預言の内容は時節に対応して、変化し続けるはずです。

 

 本来なら、預言は八人八通りに解釈できるので、岡本天明氏のオリジナルは無理にしても、天明夫人だった岡本三典氏の原文を併記し、どのように変えたかを判るようにするが筋ですが、これをやると「荒れの巻」などは、めちゃくちゃになってしまうので、併用は諦めました。

 

 なお()内は、私の挿入であり、漢字や言葉の持つ意味・読み・言おうとしている所を書いています。

 例を挙げるなら「一」は、数霊では「霊・日・火」の意味があります。また「ヒ・ヒト・イ・イチ・イツ・ハジメ」 などの読みがあり、どの読みを選択するか、どの漢字を当てるか、その漢字の持つどの意味を採用するか、という具合に、多くの選択肢の中から、ベストを選ぶ作業が解読です。

 パソコンの漢字変換を使って、どの漢字が適当か当たりを付け、漢和辞典と広辞苑を使って、最適の意味を見つける繰り返しです。

 また単語としてありえない読みもあるので、それに強引ともいえる漢字を当てはめ、意味を書いていますが、それが言霊と思います。

 

 そして原文は古い日本語なので、「ゐ」を「い」、「へ」を「え」、「は」を「わ」、「ざ」を「だ」などに変換、意味が違う「呉れ」を「くれ」に修正、「ぞよ」などの特有の雰囲気は壊さない程度に、現代語風に校正しています。



上の巻

 

上つ巻 第01 (001)

 二二(フジ〜富士)は晴れたり、日本晴れ。神の国の真(まこと)の神の力を現わす代となれる、仏もキリストも何も彼もはっきり助けて七難しい御苦労のない代が来るから身霊(みたま)を不断に磨いて一筋の誠を通してくれよ。いま一苦労あるが、この苦労は身霊を磨いて居らぬと越せぬ、この世はじまって二度とない苦労である。この結びは神の力でないと何も出来ん、人間の算盤では弾けんことぞ、日本はお土が上がる、外国はお土が下がる。都の大洗濯、(不正・悪いこと・罪)の大洗濯、人のお洗濯。今度はどうも(どうしても)こらえてくれという所まで、後え引かぬから、そのつもりでかかって来い、神の国の神の力を、はっきりと見せてやる時が来た。嬉しくて苦しむ者と、苦しくて喜ぶ者と出て来る、 (ヒ〜)は神の国、神の力でないと何んにも成就せん、人の力で何が出来たか、みな神がさしているのだ、いつでも神懸れるように、綺麗に洗濯して置いてれよ。戦(いくさ)は今年中と言っいるが、そんなちょこい戦ではない、世界中の洗濯だから、要らぬものが無くなるまでは、終らぬ道理が分らぬか。臣民同士の戦でない、化身(カミ〜バケた身)と神(なにもない)と明(アカ〜知りぬく)卑徒(ヒト)と人(肉欲)と仁九(ニク〜慈愛を尽くす)(弾丸)と霊(タマ)の戦ぞ。己の心を見よ、戦が済んでいないであろ、それで戦が済むと思うているとは、あきれたものぞ、早く掃除せぬと間に合わん、何より掃除が第一。寂しさは人のみかは、神は幾万倍ぞ、寂しさ越えて時を待つ。カミ(化身〜万物を造成する身)が世界の王になる、天子様が神と判らん臣民ばかり、口と心と行と、三つ揃うた誠を命(みこと)というぞ。神の臣民みな命(みこと)になる身魂、掃除身魂結構。六月の十日、ひつくのかみ(日津久の神)

 

 

上つ巻 第02 (002)

 親と子であるから、臣民は可愛いから旅の苦をさしてあるのに、苦に負けてよくもここまで落ちぶれて仕まうたな。鼠でも三日先のことを知るのに、臣民は一寸先さえ分らぬほどに、よう曇りなされたな、それでも神の国の臣民、天道人を殺さず、食べ物がなくなっても死にはせぬ、ほんのしばらくぞ。木の根でも食うて居れ。闇のあとには夜明け来る。神は見通しだから、心配するな。手柄は千倍万倍にして返すから、人に知れたら帳引きとなるから、人に知れんように、人のため国のため働けよ、それが誠の神の神民ぞ。酒と煙草も勝手に作って暮らせる善き世になる、それまで我慢出来ない臣民 沢山ある。早く (モト〜本〜みなもと)の神の申す通りにせねば、世界を泥の海にせねばならぬから、早う元の、 (キ〜輝〜かがやく)心になりてくれよ、神頼むぞよ。盲が盲を手を引いて何処へ行くつもりやら、気の付いた人から、真の神の入れ物になりてくれよ、悪の楽しみは先に行くほど苦しくなる、神のやり方は先に行くほどだんだん良くなるから、初めは辛いなれど、先を楽しみに辛抱してくれよ。配給は配給、統制は統制のやり方、神のやり方は日の光(与える一方)、臣民ばかりでなく、草木も喜ぶやり方ぞ、日の光は神のこころ、稜威(リョウイ〜天子の威光)ぞ。人の知恵で一つでも善き事したか、何もかも出来損ないばかり、にっちもさっちもならんことにしていて、まだ気がつかん、盲には困る困る。救わねばならず、助かる臣民は無く、泥海にするは易いなれど、それでは元の神様にすまず、これだけにこと分けて知らしてあるに、聞かねばまだまだ痛い目を見せねばならん。冬の先が春とは限らんぞ。 (モト〜元〜起こり)の国を八つに切って殺す悪の計画、 (モト〜本〜みなもと)の国にも外国の臣が居り、外国にも神の子がいる。岩戸が明けたら一度に判る。六月の十日、書は、ひつくの神。天明御苦労ぞ。

 

ひふみ神示 第一巻 上つ巻 第三帖(3) 昭和十九年六月十一日、旧閏四月二十一日(1944年)

 

 預言(ヨゴト)は神、なにも上下、下ひっくり返っているから、分らんから、神の心になれば何事も解るから、鏡を掃除してくれよ。今にこの御告げが一二三 (ひふみ)ばかりになるから、それまでに身魂を磨いて置かんと、身魂の曇った人には何とも読めんから、早く神心に返りておりてくれ、何も一度に出て来る。海が陸になり陸が海になる。六月十一日の朝のお告げ、未世(みよ)を見よ未預(みよ〜末に関与する)ひつくの神。

 

上つ巻 第04 (004)

 急ぐなれど、臣民なかなかに言うこと聞かぬから、言うこと聞かねば、効くようにして聞かす。神には何もかも出来ているが、臣民まだ眼覚めぬか、金(かね)のいらぬ楽の世になるぞ。早く神祀りてくれよ、神祀らねば何も出来ぬぞ。表の裏は裏、裏の裏がある世ぞ。神をダシにして、今の上の人がいるから、神のチカラ出ないのぞ。お上(政府)に大神を祀りて政事(まつりごと)をせねば治まらん。この神を祀るのは、見晴し台ぞ、富士見晴し台ぞ、早く祀りて御告げ(みつげ)を世に広めてくれよ。早く知らさねば日本が潰れるようなことになるから、早う祀りて神の申すようにしてくれ。神急ける(せける)よ。上ばかり良くてもならぬ、下ばかり良くてもならぬ、上下揃うた善き世が神の世ぞ。卍(ナチス)も一十(イタリ)もあてにならぬ(第二次大戦下の預言)、世界中一つになりて  (ヒ〜日)の国に寄せて来るぞ。それなのに今の(昭和十九年六月十三日の預言)やり方で良いと思うているのか、判らねば神に訪ねて政事(まつりごと)せねばならぬと言うことまだ分らぬか。神と人とが交り(まつり〜一緒に)合わして この世の事が、させてあるのぞ。人が聞かねば神ばかりで始めるぞ。神ばかりで洗濯するのは早いなれど、それでは臣民が可哀そうだから、臣民みなやり直さねばならぬから、気をつけているのに何しているのだ、いつどんなことあっても知らんぞ、神祭第一、神祭結構。二三(ジミツ〜慈満つ)の木ノ花咲耶姫の神様(コが9なら〜苦の花咲く也日米之カミサマ〜苦の花咲くに至る日米之上様〜上様の裕仁天皇)を祀りてくれよ。コハナサクヤ姫様(木花咲耶姫〜木之花咲耶姫と同一)も祀りてくれよ。六月十三の日、ひつくのか三。

 

 

上つ巻 第05 (005)

 富士とは神の山のことぞ。神の山はみな二二(フジ〜富二〜富む・力)というのぞ。見晴らし台とは身を張らすとこぞ、身を張らすとは、身の中を神にて張ることぞ。臣民の身の中に一杯に神の力を張らすことぞ。苔底(たいてい=墓の下)の不死を探して見よ、神の舞(ふるいたつの意)が出て来るから、それを大切にせよ。不死を開くとは心に神を満たすことぞ。日向(ひむか)とは神を迎えることぞ、東(ひむか)はその使いぞ。東(ひむか)は神の使いだから、九(キュウ〜救〜すくい)の道を早う開いてくれよ、早う伝えてくれよ、東(ひむか)のお役は人の病を治して神の方へ向けさすお役ぞ、この理をよく心得て間違いないように伝えてくれよ。六月十四日、ひつくのか三。

 

上つ巻 第06 (006)

 外国の飛行機が来ると騒いでいるが(第二次大戦下の預言)、まだまだ花道ぞ、九、十()となりたらボツボツはっきりするぞ。臣民は目の先ばかりより見えんから、可哀さうなから気をつけているのに何しているのか。大切なことを忘れているのに気がつかんか(〜神)。この知らせをよく読みてくれよ。十月まで待て。それまでは、このままで居れよ(天明向け)。六月十七日。ひつくのか三。

昭和十九年六月十七日(617)、旧閏四月二十七日(427)1944年)

※昭和19年9月30日、グアム陥落〜B29の基地

10月24日、レイテ湾海戦と神風特攻隊の初出撃

 

上つ巻 第07 (007)

 いくら金積んで神の御用さしてくれいと申しても、因縁のある臣民でないと御用出来んぞ。御用する人は、どんなに苦しくても心は勇むぞ。この神は小さい病直しや按摩の真似させんぞ、大き病を直すのぞ。神が開くから、人の考えで人を引張ってくれるなよ。六月の十七日、一二のか三(天津神)

 

上つ巻 第08 (008)

 時が経ち多智(タチ〜知恵の多いこと)、この道ひらくかた出て来るから、それまでは神の仕組書かして置くから、よく読んで腹の中によく入れて置いてくれよ。その時になりて、慌てて何も知らんというようではならんぞ、それまでに何もかにも知らして置くから、縁ある方から、この知らせをよく読んで腹の中に入れて置いてくれよ。六月の十七日、ひつくのか三。

 

上つ巻 第09 (009)

 この世のやり方、分からなくなったら、この筆(ふで)記し(しるし)を読ましてくれと言うて、この知らせを取り合うから、その時になりて慌てんようにしてくれよ。日本の国は一度つぶれたようになるのだぞ。一度は神も仏も無いものと皆が思う世が来るのぞ。その時にお蔭を落さぬよう、シッカリと神の申すこと腹に入れて置いてくれよ。六月の十七日、ひつくのか三。

 

上つ巻 第10 (010)

 神に目を向ければ神が映り、神に耳向ければ神が聞こえ、神に心向ければ心に移る、掃除の程度によりて神のうつりかた違うぞ。掃除出来た方から神の姿うつるぞ、それだけに移るぞ。六月十九日、ひつくのか三。

 

上つ巻 第11 (011)

 いづく (何処)も土に返ると申してあろうが、東京も元の土に一時は変えるから、その積りでいてくれよ。神の申したこと違わんぞ。東京は元の土に一時は変えるぞ、その積りで用意してくれよ。六月の十九日、一二のか三。

 

上つ巻 第12 (012)

 大将(013の「元の人」)を誰も行かれん所(幽界)へ連れて行かれんように、下身(カミ)の人、気をつけてくれよ。この道はちっとも心ゆるせん誠の神の道ぞ。油断すると神は代りの身魂使うぞ。六月の二十一日の朝、ひつくのか三。

 

上つ巻 第13 (013)

 元の人三人、その下に七人、その下に七七、四十九人、合して五十九の身魂あれば、この仕組は成就するのだ、この五十九の身魂は神が守っているから、世の元の神懸りて大手柄をさすから、神の申すよう何事も、身魂磨いてくれよ、これが世の元の神の数ぞ、これだけの身魂が力合わして良き世の礎となるのだ。この身魂はいづれも落ちぶれているから、訪ねて来ても判らんから、よく気をつけて、どんなに落ちぶれている臣民でも、訪ねて来た人は、親切にして帰せよ。何事も時節が来たぞ。六月の二十一日、ひつくのか三。

 

上つ巻 第14 (014)

 この筆(ふで)よく読みてくれよ、読めば読むほど何もかも分りて来るぞ、心(中心・根本)とは臣民の申す心(思いやり・考え)でないぞ、身霊とは臣民の申す御霊でないぞ、身霊とは身と霊と一つになっているもの言うぞ、神の神民 身と霊の別け隔てないぞ、身は霊、霊は身ぞ、外国は身ばかりの所あり魂ばかりの所あり、神は身霊の別ないぞ、この事分りたら神の仕組みがぼつぼつ解るぞ、身魂の洗濯とは心の洗濯とは(穢れを落とす厄払い)、魂ばかりの洗濯でないぞ(身の洗濯である禊)、よく気をつけてくれ、神の申すこと違わんぞよ。六月の二十二日、ひつくのか三。

 

上つ巻 第15 (015)

 今度は末代動かぬ世にするのだから、今までのような宗教や教えの集い(つどひ)にしてはならんぞ、人を集めるばかりが能ではないぞ、人も集めねばならず、難しい教えぞ。縁ある人は早く集めてくれよ、縁なき人いくら集めても何もならんぞ、縁ある人を見分けてくれよ。顔は神の臣民でも心は外国身魂ぞ、顔は外国人でも身魂は神の臣民あるぞ。やりかけた戦ぞ、とことんまで行かねば納まらん。臣民一度は無くなる所までになるぞ、今のうちに この筆よく読んでいてくれよ。九月になったら用意してくれよ(九月八日の仕組み)。六月の二十四日、ひつくのか三。

 

上つ巻 第16 (016)

 ひふみの神とは維(ユイ〜すべてのものを引きまとめる根本の決まり)ぞ、中心の神(国常立大神・豊雲野大神)、表面に世に満つことぞ、拓き睦び、中心に火集い、拓く(押す)水。神の名二つ(厳と瑞)、神と神世に出づ。早く鳴り成り、世(原文を見れないが、ヨ〜誉だろう)、新しき世(原文が四ならシ〜志だろう)と、国々の新しき世と栄え結び、成り拓き(開拓)時くる。弥栄に神、世に満々、中心に祭ろい披き(啓発)結ぶぞ。月出でて尽(終わり)なり、月披き(ヒラキ〜披見)弥栄え成り、神世ことごと栄ゆ。早く道開き、月と瑞 (天の月と地の瑞)の拓く大道、月の仕組、月神と日神二つ展き(連ね並べる)、地上弥栄満々、世の初め ことごとくの神も世と共に勇みに勇むぞ。世はことごとに統一し、神世の礎 極まる時代来る、神世の秘密と言う。六月二十四日、一二 文(神ふみ)。

 

上つ巻 第17 (017)

 この世はみな神のものだから臣民のものというもの一つも無いぞ、お土から取れた物、みな先づ神に供えよ、それを頂いて身魂を養うようになっているのに、神には献げずに、臣民ばかり喰べるから、いくら喰べても身魂ふとらぬのぞ、何でも神に供えてから食べると身魂ふとるぞ。今の半分で足りるぞ、それが臣民の頂き方ぞ。六月の二十五日、ひつくのか三。

 

上つ巻 第18 (018)

 岩戸開く役(天子)と岩戸しめる役(イシヤ)とあるぞ。一旦世界は言うに言われんことが出来るぞ、シッカリ身魂磨いて置いてくれよ、身霊みがき第一ぞ。この道開けて来ると、世の中の豪い人が出て来るから、どんな偉い人でも分らん神の道だから、よくこの神示読んで置いてどんな事でも教えてやれよ、何でも分らんこと無いように、この筆で知らして置くから、この神示よく読めと申すのぞ。この道は皇(スメラ〜神・美しい)が道だ、清める御民の道ぞ。禊せよ、祓いせよ、臣民 早くせねば間に合わんぞ。岩戸開くまでに、まだ一苦労あるぞ、この世はまだまだ悪くなるから、神も仏もこの世には居らぬのだと言う所まで、とことんまで落ちて行くぞ。九月に気をつけよ、九月が大切の時ぞ。臣民の心の鏡凹(くぼ)んでいるから、善きこと悪く映り、悪きこと良く映るぞ。今の上に立つ人、一つも真の善いこと致しては居らん、これで世が治まると思うてか、あまりと申せばあまりぞ。神は今まで見て見ん振りしていたが、これからは厳しくどしどしと神の道に照らして神の世に致すぞ、その積りでいてくれよ。神の申すこと、ちっとも違わんぞ。今の世に落ちている臣民、高い所へと尋(モチ〜考える)ばかり、それで苦しんでいるのだ。早う身魂洗濯せよ、何事もハッキリと映るぞ。六月二十六日、ひつくのかみ。

 

上つ巻 第19 (019)

 神の国、()の山(富士山)、神祀りてくれよ、祭るとは神に交つらう(一緒になる)ことぞ、土に交つらうことぞ、人に交つらうことぞ、祭り交つりて嬉し嬉しの世となるのぞ、祀るには先づ掃除せねばならんぞ、掃除すれば誰にでも神懸るように、日本の臣民なりて居るぞ、神州清潔の民とは掃除して綺麗になった臣民のことぞ。六月二十七日、一二

 

上つ巻 第20 (020)

 神がこの世にあるならば、こんな乱れた世にはせぬハズぞと申す者 沢山あるが、神には人のいう善も悪も無いものぞ。よく心に考えて見よ、何もかも分りて来るぞ。表の裏は裏、裏の表は表ぞと申してあろうが、一枚の紙にも裏表、ちと誤まれば判らんことになるぞ、神心になれば何もかもハッキリ映りて来るのだ、そこの道理分らずに理屈ばかり申しているが、理屈のない世に、神の世にして見せるぞ。言挙げ(言葉に出して特に言い立てること)せぬ国とはその事ぞ(反対の存在はマスゴミ)、理屈は外国のやり方、神の臣民 言挙げずに、理屈なくして何もかも判るぞ、それが神の真の民ぞ。足許から鳥が立つぞ(マスゴミ信じた自分が馬鹿だった)たちて慌てても何んにもならんぞ、用意なされよ、上下にグレンと引繰り返るぞ。上の者 下に、落ちぶれた民 上になるぞ、岩戸開けるぞ、夜明け近づいたから、早う身魂の洗濯してくれよ、の申すこと千に一つも違わんぞ。六月二十七日、ひつくのか三。

 

上つ巻 第21 (021)

 世の元の大神(天の御中主大神)の仕組というものは、神々にも分からん仕組であるぞ、この仕組 分りてはならず分らねばならず、なかなかに難しい仕組であるぞ、知らしてやりたいなれど、知らしてならん仕組ぞ。外国がいくら攻めて来るとも、世界の神々がいくら寄せて来るとも、ぎりぎりになりたら神の元の神の神力出して岩戸開いて一つの王で治める神の真の世に致すのであるから、神は心配ないなれど、ついて来れる臣民 少ないから、早う掃除してくれと申すのぞ、掃除すれば何事も、ハッキリと映りて楽なことになるから、早う神の申すようしてくれよ。今度は常永久(とことわ)に変らぬ世に致すのだから、世の元の大神でないと判らん仕組だ。洗濯できた臣民から手柄立てさして嬉し嬉しの世に致すから、神が臣民にお礼申すから、いっさい(ごもく〜ゴミ・あくた)捨てて、早う神の申すこと聞いてくれよ。因縁の身魂は、どうしても改心せねばならんのだから、早う改心せよ、遅い改心なかなか難しいぞ。神は帳面につけるように何事も見通しだから、神の帳面 間違いないから、神の申す通りに、分らんことも神の申す通りに従いてくれよ。初め辛いなれど だんだん分りて来るから、よく言うこと聞いてくれよ、外国から攻めて来て日本の国 丸潰れという所で、元の神の神力出して世を立てるから、臣民の心も同じぞ、江戸も昔のようになるぞ、神の身体から息出来ぬようにしている(コンクリー化)が、今に元のまま(お土)にせなならんことになるぞ。富士から三十里四里(余里)離れた所へ祀りてくれよ、富士にも祀りてくれよ、富士はいよいよ動くから、それが済むまでは三十里離れた所へ(余里なら矛盾せず〜富士の北東、伊邪那岐と伊邪那美を祭る筑波山が有力)、仮に祀りて置いてくれよ。富士は神の山ざ、いつ火を噴くか分らんぞ、神は噴かん積りでも、いよいよとなれば噴かなならんことがあるから、それまでは離れた所へ祀りてくれよ、神はかまはねど、臣民の肉体 大切だから、肉体もなくてはならんから、そうして祀りてくれ。祭り祀り結構。六月の二十八日、ひつ九のか三。

 

上つ巻 第22 (022)

 いよいよとなれば、外国強いと見れば、外国へ付く臣民 沢山できるぞ。そんな臣民一人もいらぬ、早う誠の者ばかりで神の国を堅めてくれよ。六月二十の八日、一二のか三。

 

上つ巻 第23 (023)

 神なぞどうでもよいから、早く楽にしてくれと言う人 沢山あるが、こんな人は、今度はみな灰にして、無くしてしまうから、その覚悟して居れよ。六月の二十八日、ひつくのか三。

 

上つ巻 第24 (024)

 七(シチ〜四知〜天・地・我・相手が知る)の日はものの成る日ぞ。「ア」(天地のまことの一つの掛替ない身魂)と「ヤ」(その左の身魂)と「ワ」(右の身魂)は本(もと)の御用ぞ、「イ」「ウ」の身魂は介添えの御用ぞ。あとはだんだん分りて来るぞ。六月の二十八日は因縁の日ざ(1944年旧6/288/16.20176/28は旧5/520122031年旧6/288/15)、一二のか三。

026より「あ」の身霊とは天地のまことの一つの掛替ない身霊 (開〜解く・さとらせる・開く)中心の役ぞ、「や」とはその左 (弥〜行きわたる・終わる・つくろう・満ちる)宣伝役の身霊、「わ」とは右 (和〜応じる・調和)相談役に分類の身霊ぞ、「い」 (威〜預言の威光〜弥の補佐)と「う」 (受〜うけたまわる〜和の補佐)はその介添の身霊

 

上つ巻 第25 (025)

 一日に十万、人死にだしたら神の世がいよいよ近づいたのだから、よく世界のことを見て皆に知らしてくれよ。この神は(国常立神)世界中のみか天地のことを委(まか)されている神の一柱だから、小さいこと言うのではないぞ、小さいことも何でもせなならんが、小さい事と臣民思うていると間違いが起るから、臣民はそれぞれ小さい事もせなならんお役もあるが、よく気をつけてくれよ。北から来るぞ。神は気もない時から知らして置くから、よくこの神示、心に占めて(しめて)居れよ。一日一握りの米に泣く時あるぞ、着る物も泣くことあるぞ、いくら買溜めしても神の許さんもの一つも身には付かんぞ、着ても着ても、食うても食うても何もならん餓鬼の世だ。早う神心に返りてくれよ。この岩戸開くのは難儀の判らん人には越せんぞ、踏みつけられ踏みつけられている臣民のチカラはお手柄さして、常永久(とことわ)に名の残るようになるぞ。元の世に一度戻さなならんから、何もかも元の世に一度は戻すのだから、その積りで居れよ。欲張っていろいろ買溜めしている人、気の毒が出来るぞ、神よく気をつけて置くぞ。この道に縁ある人には、神からそれぞれの神を守りにつけるから、天地の元のの大神(天の御中主大神)、国の大神(伊邪那岐・伊邪那岐身神)と共に、よく祀りてくれよ。六月の三十日、ひつくのか三。

 

上つ巻 第26 (026)

 「あ」の身魂とは天地の誠の一つの掛替ない身魂ぞ(開〜解く・さとらせる・開く〜中心の役)、「や」とはその左の身魂(弥〜行きわたる・つくろう・満ちる〜宣伝役)、「わ」とは右の身魂ぞ(和〜応じる・調和〜相談役)、「や」には替え身魂 あるぞ(ヤミ〜邪身〜不正)あるぞ、「わ」には替え身魂  (ワミ〜我身〜私心)、「あ」も「や」も「わ」も も一つのものぞ。御霊引いた神懸る臣民を集めるから急いでくれるなよ、今に分かるから、それまで見ていてくれよ。「い」(威〜預言の威光〜弥の補佐)と「う」 (受〜うけたまわる〜和の補佐)はその介添の身魂、その魂と組みて「え」()と「を」()、「ゑ」 (依〜もたれかかる)と「お」(起〜人を引き上げて用いる)生まれるぞ、いづれは分ることだから、それまで待ちてくれよ。言ってやりたいなれど、今言っては仕組成就せんから、邪魔はいるから、身魂掃除すれば分かるから、早う身魂洗濯してくれよ。神祀るとはお祭りばかりでないぞ、神に交つらうことぞ、神に交つらうとは神に交つわり付くことぞ、神に従うことぞ、神に交つわり付くとは、子が親に交つわることぞ、神に従うことぞ、神に交つらうには洗濯せなならんぞ、洗濯すれば神懸るぞ、神懸れば何もかも見通しぞ、それで洗濯洗濯と、臣民 耳にたこ出来るほど申しているのだ。七月の一日、ひつくのかみの道ひらけあるぞ。

199にも関連ア・ヤ・ワ

 

上つ巻 第27 (027)

 何もかも世の元から仕組みてあるから神の申すところへ行けよ。元の仕組は二二(富士)ぞ、次の仕組はウシトラ三十里四里、次の仕組の山に行きて開いてくれよ(東京を起点にして、赤城山は北北西34里・水上は42里・筑波山は北東37里で祭神はイザナキ・イザナミ大御神〜30里余里なら筑波が有望)、今は分るまいが、やがて結構なことになるのだから、行きて神祀りて開いてくれよ、細かく知らしてやりたいなれど、それでは臣民の手柄なくなるから、臣民は子だから、子に手柄さして親から御礼申すぞ。行けば何もかも善くなるように、昔からの仕組してあるから、何事も物差しで測ったように行くぞ。天地がうなるぞ、上下引繰り返るぞ。悪の仕組にみなの臣民だまされているが、もう直ぐ目さめるぞ、目さめたら訪ねてござれ、この神の下へ来て聞けば、何でも判るように神示で知らしておくぞ。時たちたら淋しくなるぞ、淋しくなりたら訪ねてござれ、我(が)を張っていると、いつまでも分らずに苦しむばかりぞ。この神示も身魂によりどんなにでも、とれるように書いておくから、取り違いせんようにしてくれ、三柱と七柱(あ・や・わ。やみ・わみ・い・う)揃うたら山に行けよ。七月一日、ひつくのか三。

 

上つ巻 第28 (028)

 世界中まるめて神の一つので治めるのぞ。それが神のやり方ぞ、百姓は百姓、鍛冶は鍛冶と、今度は常永久(とことわ)に定まるのぞ、身霊の因縁によりて今度はハッキリと定まって動かん神の世とするのぞ、茄子の種には瓜はならんぞ、茄子の蔓に瓜をならすのは悪の仕組、今の世はみなそれでないか。これで世が治まったら神はこの世に無いものぞ。神ととの力競べぞ。今度は悪の王も神の力にはどうしてもかなはんと心から申す所まで、とことんまで行くのだから、悪も改心すれば助けて、よき方に回してやるぞ。神の国を千切りにして膾(ナマス)にする悪の仕組は分りて居る、悪の神も元の神の仕組を九分九厘までは知っていて、天地ひっくり返る大戦となるのぞ。残る一厘は誰も知らぬ所に仕かけてあるが、この仕組、心で取りてくれよ、神も大切だが、この世では臣民も大切ぞ。臣民この世の神ぞ、と言うて鼻高になると、ポキン折れるぞ。七月一日、ひつ九のか三(九は「凝り固まる」の意があるので、大地を固めた伊邪那岐大神)

 

上つ巻 第29 (029)

 この世が元の神の世になると言うことは、どんな神にも判って居れど、どうしたら元の世になるかということ解からんぞ、神にも分らんこと人にはなお分らんのに、自分が何でもするように思うているが、サッパリ取り違いぞ。やって見よれ、あちへ外れ こちへ外れ、いよいよどうもならんことになるぞ、最後のことは この神でないと分らんぞ。いよいよとなりて教えてくれと申しても間に合わんぞ。七月一日、ひつくのか三。

 

上つ巻 第30 (030)

 富士を開いたら まだ開くところあるのざ、鳴戸(淡路島か)へ行くことあるのだから このこと役員だけ心得て置いてくれよ。七月一の日、ひつくのか三。

 

上つ巻 第31 (031)

  今度の御用は結構な御用ぞ、いくら金積んでも、因縁ない臣民にはさせんぞ。今に御用させてくれと金持って来るが、イチイチ神に聞いて始末せよ。汚れた金 御用にならんから、一厘も受取ることならんぞ。汚れた金 邪魔になるから、誠のもの集めるから、何も心配するなよ。心配 気の毒ぞよ。何も神がするから欲出すなよ、あと暫くぞよ、日々に分かりて来るから、素直な臣民うれしうれしで暮さすから。

 

上つ巻 第32 (032)

 世の元からヒツグとミツグとあるぞ、ヒツグは(一二〜霊・力) (キ〜気)の系統ぞ、ミツグは(三二〜体・力) ( ミ〜身)の系統ぞ。ヒツグはまことの神の臣民ぞ、ミツグは外国の民ぞ。 (カミ〜神)(レイ〜霊)結びて一二三(ひとふみつ〜人にチカラ満つ)となるのだから、外国人も神の子だから外国人も助けなならんと申してあらうがな。一二三(ひふみ〜天の数歌)唱えて岩戸開くぞ。神から見た世界の民と、人の見た世界の人とは、さっぱりアベコベであるから、間違がわんようにしてくれよ。秘密の仕組とは一二三(霊・継ぐ・体)の仕組ざ、早う一二三(ひふみ)唱えてくれよ、一二三唱えると岩戸あくぞ。七月の二の日、ひつくのか三(霊力の神)

※一二三の仕組考。

霊・継・体の輪廻転生は、霊は不滅であり、因果により生まれ変わるのが原則です。

 しかし終末において世界人口の7割以上が死滅するとき、転生する器が激減します。生き残った人類は悔い改めるでしょうから、悪人が転生する体は皆無なのです。

 よって最終戦争において死んだ悪霊には、生まれ代わりが無いので、霊としての死が待っているでしょう。これがヨハネの黙示録における、「第二の死」と思われます。

 

※ひふみ祝詞の意味

 「霊 継ぐ 体の 世 出ずる 萌える 成る 弥弥益々(いよいよますます) 凝り固まる 完成 諸々の 血と光 夜出ずる」

 霊主体従の認知に始まり完成すると、終末に諸々の血と救いの光が、夜出ずる、という所でしょうか。

 

上つ巻 第33 (033)

 神の用意は済んでいるのだから、民の用意 早うしてくれよ、用意して早う祀りてくれよ。富士は晴れたり日本晴れと申すこと、だんだん分りて来るぞ。神の名の付いた石があるぞ、その石、役員に分けてそれぞれに守護の神つけるぞ、神の石はお山にあるから、お山開いてくれよ(富士山、あるいは天明宅の奥山に59個の石があったはず)。ひつぐ(一二〜霊継ぐ)の民、みつぐ(三二〜体継ぐ〜転生信ぜず)の民、早う用意してくれよ、神急けるぞ。七月二日、ひつくのか三。

 

上つ巻 第34 (034)

 何事も天地に二度とないことで、やり損いしてならん多陀用幣流天地(たたよへるくに〜漂える国)の固め(かため)の終りの夜明けであるから、これが一番大切の役であるから、しくじられんから、神がくどう申しているのざ、神々さま、臣民みな聞いてくれよ。一二三(ひふみ)の御用出来たら(解読終了)三四五(みよいつ〜御世出づ)の御用にかからなならんから、早う一二三の御用してくれよ。何も心配ないから神の仕事をしてくれよ、神の仕事して居れば、どこにいても、いざという時には、神がつまみ上げて助けてやるから、御用第一ぞ。一日(ひとひ)に十万の人死ぬ時来たぞ、世界中のことだから、気を大きく持ちていてくれよ。七月の三日、ひつくのか三。

 

上つ巻 第35 (035)

 死んで生きる人と、生きながら死んだ人と出来るぞ。神のまにまに(神に任せるさま)神の御用してくれよ、殺さなならん臣民、どこまで逃げても殺さなならんし、生かす臣民、どこにいても生かさなならんぞ。まだまだ悪魔はえらい仕組しているぞ、神の国千切りと申してあるが、喩(たと)えではないぞ、いよいよとなりたら神が神力だして上下引っくり返して神代に致すぞ、永久(トワ)の神代に致すぞ。細かく説いてやりたいなれど、細かく説かねば分らんようでは神国(しんこく)の民とはいわれんぞ。外国人には細かく説かねば分らんが、神の臣民には説かんでも分る身魂授けてあるぞ、それで身魂磨いてくれと申してあるのぞ。それとも外国人並にして欲しいのか、曇りたと申してもあまりぞ。何も心配いらんから、お山開いてくれよ、江戸が火となるぞ、神急けるぞ。七月の七日、ひつくのか三。

 

上つ巻 第36 (036)

 元の神代に返すというのは、たとえでないぞ。穴の中に住まなならんこと出来るぞ、生(なま)の物食うて暮らさなならんし、臣民 取り違いばかりしているぞ、何もかも一旦は天地へお引き上げぞ、の欲ばかり言っていると大変が出来るぞ。七月の九日、ひつくのか三。

 

上つ巻 第37 (037)

 人の上の人、みな臭い飯食うこと出来るから、今から知らして置くから気をつけてくれよ。お宮も一時は無くなるようになるから、その時は、磨けた人が神のお宮ぞ。早う身魂磨いておけよ、お宮まで外国の悪に壊されるようになるぞ(ロシアの制圧下か?)。早くせねば間に合わんことぞ、ひつくのか三。

 

上つ巻 第38 (038)

 残る者の身も一度は死ぬことあるぞ、死んでからまた生き返るぞ、三分の一の臣民になるぞ、これからがいよいよの時だぞ。日本の臣民同士が食い合いする(親米と親露派の内戦)ぞ、敵わんと言うて外国へ逃げて行く者も出来るぞ。神にシッカリと縋(すが)りて居らんと何も分らんことになるから、早く神に縋りて居れよ、神ほど結構なものはないぞ。神にも善い神と悪い神とあるぞ、雨の日は雨、風の日は風ということ分らんか、それが天地の心ぞ、天地の心を早う悟りて下されよ。嫌なら嫌で他に代りの身魂があるから神は頼まんぞ、嫌なら辞めてくれよ。無理に頼まんぞ。神のすること一つも間違いないのぞ、よく知らせを読んで下されよ。ひつきのか三(日月の神)

 

上つ巻 第39 (039)

 地震カミナリ火の雨降らして大洗濯するぞ。よほどシッカリせねば生きて行けんぞ。神懸りが沢山出来て来て、訳の判らんことになるから、早くこのを啓いて(ひらいて〜啓発の意)くれよ。神界ではもう戦の見通しついているなれど、今はまだ臣民には申されんのぞ。改心すれば分りて来るぞ、改心第一ぞ、早く改心第一ざ。ひつくのか三。

 

上つ巻 第40 (040)

 北も南も東も西もみな敵ぞ、敵の中にも味方あり、味方の中にも敵あるのぞ。(きん)の国へ皆が攻めて来るぞ。神の力をいよいよ現して、どこまで強いか、神の力を現して見せてやるから、攻めて来て見よ、臣民の洗濯第一と言って居ること忘れるなよ。一二のか三。

 

上つ巻 第41 (041)

 人の知らん行かれん所で何しているのぞ(命惜しく、逃げに逃げ山奥に)。神にはよう分って居るから、いよいよという時が来たら助けようもないから、気をつけてあるのにまだ目さめぬか。闇の後が夜明けばかりと限らんぞ。闇が続くかも知れんぞ。何もかも捨てる神民、幸いぞ、捨てると掴めるぞ。ひつきのか三。

 

上つ巻 第42 (042)

 初めの御用はこれで済みたから、早うお山開いてくれよ。お山開いたら、次の世の仕組書かすぞ、一月の間に書いてくれた神示(ふで)は「上つ巻」として後の世に残してくれよ(天明向け)、これから一月の間に書かす神示は次の世の、神の世の仕組の神示だから、それは「下つ巻」として後の世に残さすぞ、その積りで気をつけてくれよ。御苦労なれども世界の臣民の為だから、何事も神の申すこと、素直に聞いて下されよ。七月の九日、ひつくのか三かく(書く)

 

 

下つ巻

 

 下つ巻 第01 (043)

 

 富士は晴れたり日本晴れ。青垣山めぐれる下つ岩根に祀りくれた、御苦労ぞ、いよいよ神も嬉しいぞ。鳥居はいらぬぞ、鳥居とは水のことぞ、海の水ある それ鳥居ぞ。皆の者 御苦労ぞ。蛇(じゃ)が岳(蛇ヶ岳は、榛名山の北東約1q・宮城と山形の県境にある船形山の南東)は昔から神が隠してをりた大切の山だから、人の登らぬようにして、竜神となりて護りてくれた神々様にもお礼申すぞ。富士は晴れたり日本晴れ。いよいよ次の仕組にかかるから、早う次の御用きいてくれよ、神急けるぞ、山晴れ、国(くに)晴れ、海晴れて、初めて天(てん)晴れるぞ。天晴れて神の働き いよいよ烈しくなりたら、臣民いよいよ分らなくなるから、早う神心(かみこころ)になりて居りて下されよ。次々に書かしておくから、よく心に留めておいて下されよ。この教え(おしへ)は押恵(をしへ〜無理に強いる恵み)ではないぞ、教会ではないぞ、道だから、今までのような教会作らせんぞ。道とは臣民に神が満ちることぞ、神の国の中に神が満ち充つことぞ。金儲けさせんぞ、欲すてて下されよ。七月の十二日の神示(ふで)、ひつくのか三。

 

 下つ巻 第02 (044)

 

日文

 今度 岩戸開く御用は、人の五倍も十倍も働く人でないと務まらんぞ。岩戸開くと申しても、それぞれの岩戸あるぞ、大工は大工の岩戸、左官は左官の岩戸と、それぞれの岩戸あるから、それぞれ身魂相当の岩戸開いてくれよ。欲が出ると分らんことに、盲になるから、神、気つけるぞ、神の御用と申して自分の仕事休むような心では神の御用にならんぞ、どんな苦しい仕事でも今の仕事十人分もして下されよ。神は見通しだから、次々に良きようにしてやるから、欲出さず、素直に今の仕事致して居りてくれよ、その上で神の御用してくれよ。役員と申しても、それで食うたり飲んだり暮らしてはならん、それぞれに臣民としての役目あるぞ、役員づらしたら、その日から代りの者(もの)出すぞ、鼻ポキンと折れるぞ、神で食うて行くことならんから、くれくれも気をつけて置くぞ。七月の十三日、ひつ九のか三。みなの者 御苦労であったぞ。

 

 下つ巻 第03 (045)

 

日文

 この神の真の姿見せてやる積りでありたが、人に見せると、びっくりして気を失うもしれんから、石に彫らせて見せておいたのにまだ気づかんから木の型をやったであろうがな、それが神の或る活動の時の姿であるぞ、神の見せ物にしてはならんぞ、お山の骨もその通りぞよ、これまで見せてもまだ分らんか、何もかも神がさしてあるのぞ。心配いらんから欲出さずに、素直に御用きいて下されよ、今度のお山開き まことに結構であるぞ(天明に)、神が烈しくなると、神の話より出来んことになるぞ、神の話 結構ぞ。七月の十三日、ひつ九のかみ。

 

 

 

下つ巻 第04 (046)

 

日文

 早く皆のものに知らしてくれよ、神急けるぞ。お山の宮も五十九の岩で作らせておいたのに、まだ気が附かんか、それを見ても神が使ってさして居ること、よく分かるであろうが、それで素直に神の申すこと聞いてくれて我(が)を出すなと申しているのぞ、何事も神にまかせて取越し苦労するなよ、我が無くてもならず、我があってもならず、今度の御用なかなか難しいぞ。五十九の石の宮出来たから五十九の意志身魂いよいよ神が引き寄せるから、しっかりして居りて下されよ。今度の五十九の身魂は御苦労の身魂ぞ。人のようせん辛抱さして、生き変り死に変り修行さして置いた昔からの因縁の身魂のみだから、みごと御用つとめ上げてくれよ。教会作るでないぞ、信者作るでないぞ、無理に引張るでないぞ。この仕組 知らさなならず、知らしてならんし神もなかなかに苦しいぞ、世の元からの仕組だから、いよいよ岩戸開く時来たぞ。七月の十三日、ひつくのか三。

 

下つ巻 第05 (047)

 

日文

 江戸に神と人との集まる宮建てよ、建てると申しても家は型で良いぞ、仮のものだから人の住んでいる家で良いぞ。 (カミ〜神)の石祀りて、神人(神と人)交りてくれよ。それが出来たら、そこでお告げ書かすぞ。淋しくなった人は集まりて その神示(ふで)見てよ、神示見れば誰でも甦るぞ。この神示うつす役要るぞ、この神示 印刷してはならんぞ。神の民の言葉は神たたえるものと思え、天子様たたえるものと思え、人ほめるものと思え、それで言霊(ことたま)幸(さき)はうぞ、それが臣民の言葉ぞ。悪き言葉は言ってはならんぞ。言葉は善き事のために神が与えているのだから忘れんようにな。七月の十五日、ひつくのかみのふで()

 

 下つ巻 第06 (048)

 

日文

 今までの神示 縁ある臣民に早う示してくれよ、神々さま臣民交つろいて(一緒になる・出会う)岩戸開くもと出来るから、早う知らせてくれよ、誰でも見て読めるように写して神前に置いて、誰でも読めるようにして置いてくれよ、役員よく考えて、見せるとき惑えぬようにしてくれよ、七月の十五日、ひつくのか三神示(神示)

 

 下つ巻 第07 (049)

 

日文

 この筆(ふで)読んで嬉しかったら、人に知らしてやれよ、しかし無理には引張ってくれるなよ。この神は信者集めて喜ぶような神でないぞ、世界中の民みな信者ぞ、それで教会のようなことするなと申すのぞ、世界中大洗濯する神だから、小さいこと思うていると見当とれんことになるぞ。一二三祝詞(ひふみのりと)するときは、神の息に合わして宣(の)れよ、神の息に合わすのは三五七、三五七に切って宣れよ。しまいだけ節(ふし)長く詠めよ、それを三度読みて宣りあげよ。天津祝詞の神ともこの方申すぞ。七月十五日、一二

一二三祝詞は276にあり、三五七の切り方も明記

 

 下つ巻 第08 (050)

 

日文

 この筆(ふで)皆に読み聞かしてくれよ。一人も臣民居らぬ時でも声出して読んでくれよ、真心の声で読んでくれよ、臣民ばかりに聞かすのでないぞ、神々様にも聞かすのだから、そのつもりで力ある誠の声で読んでくれよ。七月の十七日、ひつ九のか三。

 

下つ巻 第09 (051)

 

日文

 今度の戦は  (キ〜気〜霊主体従) (ミ〜身〜体主霊従)との大戦ぞ。神様にも分らん仕組が世の元の神(天御中主大神)がなされているのだから、下(しも)の神々様にも分らんぞ。何が何だか誰も分らんようになりて、どちらも丸潰れと言う所になりた折、大神(大国治立大御神)のみこと(命〜命令の意)によりて この方らが神徳出して、九分九厘という所で、神の力がどんなに偉いものかと言うこと知らして、悪の神も改心せなならんように仕組みてあるから、神の国は神の力で世界の親国になるのぞ。 (キとミ)とは心の中に「 (ス〜主〜天御中主大神)が有るか「 」が無いかの違いであるぞ。この方は三四五(みよいつ〜未世伊能〜イズは穢れを清めるの意)の神とも現われるぞ。江戸の御社(みやしろ)は誰でも気楽に来て拝めるようにして置いてくれよ、この方の筆(ふで)書く役員、神示うつす役員、神示説いてきかす役員要るぞ、役員は人の後について便所を掃除するだけの心掛ないと務まらんぞ、役員づらしたら直ぐ替身魂使うぞ。七月の十七日、一二のか三(ヒツグ〜火注ぐの神)

 

 下つ巻 第10 (052)

 

日文

 八月の十日には江戸に祭りてくれよ(天明むけ)。アイウ(開言生)は縦ぞ、アヤワ(開弥和)は横ぞ、縦横揃うて十(タリ〜完成)となるぞ、十()は火と水(厳と瑞)、縦横結びて力出るぞ。何も心配ないからドシドシと神の申す通りに御用すすめてくれよ。臣民は静かに、神は烈しき時の世 近づいたぞ。七月の十七日、一二

026より、「ア」天地のまことの一つの掛替ない身魂と「ヤ」その左の身魂と「ワ」右の身魂は本(もと)の御用ぞ、「イ」「ウ」の身魂は介添えの御用

  イ

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  ウ

 

下つ巻 第11 (053)

 

日文

 さへ神のみ旨に息せるを神を罵る民の(サワ〜たくさんの意)なる。草木さへ神の心に従っているではないか、神の旨(ムネ)にそれぞれに生きているでないか、あの姿に早う返りてくれよ、青人草と申すのは草木の心の民のことぞ。道は自分で歩めよ、御用は自分で勤めよ、人がさしてくれるのでないぞ、自分で御用するのぞ、道は自分で開くのぞ、人頼りてはならんぞ。七月の十八日、ひつくのか三。

 

下つ巻 第12 (054)

 

日文

 この神は日本人のみの神でないぞ。自分で岩戸開いて居れば、どんな世になりても楽にゆけるように神がしてあるのに、臣民というものは欲が深いから、自分で岩戸しめて、それでお蔭ないと申しているが困ったものぞ。早う気づかんと気の毒出来るぞ。初めの役員十柱集めるぞ。早うこの神示写して置いてくれよ、神急けるぞ。七月の十八日、ひつ九の

 

 下つ巻 第13 (055)

 

日文

 逆立ちして歩くこと、なかなか上手になりたれど、そんなこと長う続かんぞ。あたま下で手で歩くのは苦しかろうがな、上にいては足も苦しからうがな、上下逆様と申してあるが、これでよく分るであろう、足はやはり下の方が気楽ぞ、あたま上でないと逆さに見えて苦しくて逆様ばかり映るぞ、この道理分りたか。岩戸開くとは元の姿に返すことぞ、神の姿に返すことぞ。三(3)の役員は別として、あとの役員(7)のおん役は手、足、目、鼻、口、耳などぞ。人の姿見て役員よく神の心悟れよ、もの動かすのは人のような組織でないと出来ぬぞ。この道の役員はおのれが自分でおのづからなるのぞ、それが神の心ぞ。人の心と行いと神の心に融けたら、それが神の国の誠の御用の役員ぞ、この道理分りたか。この道は神の道だから、神心になると直ぐ分るぞ、金銀要らぬ世となるぞ。御用うれしくなりたら神の心に近づいたぞ、手は手の役、嬉しかろうがな、足は足の役、嬉しかろうがな、足はいつまでも足ぞ、手はいつまでも手ぞ、それが真の姿ぞ、逆立して手が足の代りしていたから よく分りたであろうがな。いよいよ世の終りが来たから役員気つけてくれよ。神代近づいて嬉しいぞよ。日本は別として世界七つに分けるぞ、今に分りて来るから、静かに神の申すこと聞いて置いて下されよ。この道は初め苦しいが、だんだんよくなる仕組ぞ、判りた臣民から御用つくりてくれよ、御用はいくらでも、どんな臣民にでも、それぞれの御用あるから、心配なく務めてくれよ。七月の十八日の夜、ひつくのか三。

 

下つ巻 第14 (056)

 

日文

 臣民ばかりでないぞ、神々様にも知らせなならんから、なかなか大層と申すのぞ。一二三(ひふみ〜霊・継ぐ・体の霊主体従)の仕組とは、永遠(とは)に動かぬ道のことぞ、三四五(みよいづ)の仕組とは、みよいづ(御代出づ)の仕組ぞ、御代出づとは神の御代になることぞ、この世を神の国にねり上げることぞ、神祀りたら三四五の御用にかかるから、その積りで用意して置いてくれよ。この神は世界中の神と臣民と、も草木も構わねばならんのだから、御役いくらでもあるぞ。神様(守護神)と臣民 同じ数だけあるぞ。それぞれに神つけるから、早う身魂磨いてくれよ、磨けただけの神をつけて、天晴れ後の世に残る手柄立てさすぞ。小さいことはそれぞれの神に訊いて(きいて〜たずねての意)くれよ、一人ひとり、何でも聞きたいことは、病直すことも、それぞれの神がするから、審神者(サニワ)で御告うけてくれよ、この方の家来の神が知らせるから何でも聞けよ。病も直してやるぞ、その神たよりたなら、身魂磨けただけの神徳あるぞ。この世始まってない今度の岩戸開きだから、これからがいよいよぞ。飛んだところに飛んだこと出来るぞ。それはみな神がさしてあるのだから、よく気つけて居れば、先の事もよく分かるようになるぞ。元の神代に返すと申すのは喩えでないぞ。七から八から九から十()から神烈しくなるぞ、臣民の思う通りにはなるまいがな、それは逆立しているからぞ。世界一度にキ(気・希・基・輝など)の国にかかりて来るから、一時は潰れたように、もう敵わんというところまでになるから、神はこの世に居らんと臣民申すところまで、惨いことになるから、外国が勝ちたように見える時が来たら、神の代近づいたのぞ、いよいよとなりて来ねば分らんようでは御用出来んぞ。七月の二十日、ひつ九のか三。

 

 下つ巻 第15 (057)

 

日文

 この方祀りて筆(ふで)書かすのは一所なれど、いくらでも分けみたま(御霊)するから、ひとりひとり祀りて審神者(サニワ)作りても良いぞ。祀る時は先づ鎮守様によくお願いしてから祀れよ、鎮守様は御苦労な神様ぞ、忘れてはならんぞ、この神には鳥居と注連(しめ)は要らんぞ。追い追い分かりて来るぞ、一二(霊の力)七七七七七(ジチ〜自知〜自分をよく知る・ジツ〜実〜まこと・シツ〜質〜飾り気がないこと・シチ〜至知〜優れた知恵・シチ〜四智〜四種の智)忘れてはならんぞ、次の世の仕組であるぞ。身魂磨けば(自知・実・質)何事も分りて来る(至知・四智)と申してあろがな、黙っていても分るように早うなって下されよ、神の国近づいたぞ。七月の二十一日、ひつ九のか三。

 

 下つ巻 第16 (058)

 

日文

 知恵でも学問でも、今度は金積んでもどうにもならんことになるから、そうなりたら神をたよるより他に手はなくなるから、そうなりてから助けてくれと申しても間に合わんぞ、イシヤの仕組に掛かりて、まだ目さめん臣民ばかり。日本精神と申して仏教の精神や基督教の精神ばかりぞ。今度は神が有るか、無いかを、ハッキリと神力みせてイシヤも改心さすのぞ。神の国のお土に悪を渡らすことならんのであるが、悪の神わたりて来ているから、いつか悪の鬼ども上がるも知れんぞ。神の国ぞと口先ばかりで申しているが、心の内は外国人(がいこくじん)沢山あるぞ。富士から流れ出た川には、それぞれ名前の附いている石置いてあるから縁ある人は一つづつ拾いて来いよ、お山まで行けぬ人は、その川で拾うて来い、御霊入れて守りの石と致してやるぞ。これまでに申しても疑う臣民あるが、嘘の事なら、こんなに、くどうは申さんぞ。因縁の身魂には神から石与えて守護神の名つけてやるぞ。江戸が元のすすき原になる日近づいたぞ。天子(天皇)様をミヤコ (宮古〜古い宮〜伊勢神宮か)に移さなならん時来たぞ。江戸には人住めんような時が一度は来るのぞ。前のような世が来ると思うていたら大間違ぞ。江戸の仕組(穢土)すみたらカイ(たすける)の御用あるぞ。いまに寂しくなりて来るぞ。この道栄えて世界の臣民みな訪ねて来るようになるぞ。七月の二十一日の夜、ひつ九のか三。

昭和十九年七月二十一日(721)、旧六月二日(62)1944年)

 

 下つ巻 第17 (059)

 

日文

 学や知恵では外国にかなうまいがな、神たよれば神の力出るぞ、善いこと言えば善くなるし、悪きこと思えば悪くなる道理わらんか。今の臣民 口先ばかり、こんなことでは神の民とは申されんぞ。天明は神示書かす役ぞ。神の心取り次ぐ役だが、慢心すると誰かれの別なく、代え身魂使うぞ。因縁のある身魂はこの神示(ふで)見れば心勇んで来るぞ。一人で七人づつ道伝えてくれよ、その御用が先づ初めの御用ぞ。この神示通り伝えてくれれば良いのぞ、自分ごころで説くと間違うぞ。神示通りに知らしてくれよ。我を張ってはならぬぞ、我が無くてもならぬぞ、この道むずかしいなれど縁ある人は勇んで出来るぞ。七月の二十一日、一二の

 

下つ巻 第18 (060)

 

日文

 この道は神の道であり人の道であるぞ。この道の役員は神が命ずることもあるが、おのれが御用すれば、自然と役員となるのぞ、たれかれの別ないぞ、世界中の臣民みな信者だから、臣民が人間ごころでは見当とれんのも無理ないなれど、この事よく腹に入れて置いてくれよ。神の土出るぞ (071巻参考・本当の土)、早く取りて用意して皆に分けてやれよ。神に心向ければ、いくらでも神徳与えて何事も楽にしてやるぞ。七月の二十三日、ひつ九のか三のふで()

 

 下つ巻 第19 (061)

 

日文

 苦しくなりたら何時でもござれ、その場で楽にしてやるぞ、神に従えば楽になって逆らえば苦しむのぞ。生命も金も一旦天地へ引き上げ仕まうも知れんから、そうならんように心の洗濯第一だと申して、くどう気附けていることまだ分らんか。七月の二十三日、一二のか三。

 

下つ巻 第20 (062)

 

日文

 上(うえ)、中(なか)、下(しも)の三段に身魂をより分けてあるから、神の世となりたら何事もきちりきちりと面白いように出来て行くぞ。神の世とは神の心のままの世ぞ、今でも臣民 神ごころになりたら、何でも思う通りになるぞ。臣民 近欲(ちかよく)なから、心曇りているから分らんのぞ。今度の戦は神力と学力のとどめの戦ぞ。神力が九分九厘まで負けたようになった時に、真の神力出して、ぐでんと引繰り返して、神の世にして、日本の天子様が世界まるめて知ろしめす(お治めになる)世と致して、天地神々様にお目にかけるぞ。天子(天命を受けて人民を治める者)の光が世界の隅々まで行きわたる仕組が三四五(みよいづ〜御世出づ)の仕組ぞ、岩戸開きぞ。いくら学力強いと申しても百日の雨降らすこと出来まいがな。百日雨降るとどんなことになるか、臣民には分るまい、百日と申しても、神から言えば瞬きの間ぞ。七月の二十三日、ひつ九の

 

下つ巻 第21 (063)

 

日文

  (カ〜化〜改めるの意)ばかりでもならぬ、  (ミ〜弥〜つくろう)ばかりでもならぬ。 (カミ〜化〜造物者の働き・ミ〜弥〜行きわたる・満ちる)が真の神の元の国の姿ぞ。元の神の国の臣民は (カミ〜神)でありたが、 (カ〜花〜ほまれ)が神国に残り (ミ〜実)が外国で栄えて、どちらも片輪となったのぞ。 も片輪  も片輪、 ()()と合わせて 真の (カミ〜)の世に致すぞ。今の戦は  (カ〜佳〜優れて良い) (ミ〜魅〜バケモノ)との戦ぞ、神の最後の仕組と申すのは (レイ〜霊)(テン〜転〜めぐる)入れることぞ(因果応報と輪廻転生)(ミ〜)も五(ゴ〜誤)(キ〜気)も五(ゴ〜誤)ぞ、どちらも、このままでは立ちて行かんのだ。一厘の仕組とは (ミ〜身)に神の国の (テン〜天〜神)を入れることぞ、よく心に畳て(積み重ねる)おいてくれよ。神は十柱五十九柱のからだ待ちているぞ。五十と九柱の御霊の神々様お待ちかねであるから、早う参りてくれよ。今度の御役大層であるが、末代残る結構な御役であるぞ。七月の二十四日、一二のか三。

231より、十柱とは火の神、木の神、金の神、日の出の神、竜宮の乙姫、雨の神、風の神、地震の神、荒の神、岩の神であるぞ

 

下つ巻 第22 (064)

 

日文

 岩戸開く仕組 知らしてやりたいなれど、この仕組、言うてはならず、言わねば臣民には分らんし、神苦しいぞ、早う神心になりてくれと申すのぞ、身魂の洗濯いそぐのぞ。二 (ジ〜慈〜愛・恵み・憐れむ・いつくしみ)(ミツ〜満つ)(ミ〜)二二(フジ〜不死)、  (カ〜過〜あやまち・過去) (ワ〜和)  (キ〜起〜始まる)この鍵はイシヤと直(ジカ〜直接)手握ることぞ。一二 、七月の二十八日。

 

下つ巻 第23 (065)

 

日文

 世が引繰り返って元の神世に返るということは、神々様には分って居れど、世界所々にその事知らし告げる神柱あるなれど、最後の事はこの神でないと解らんぞ。この方(国常立大神)は天地を綺麗に掃除して天の大神様(天御中主大御神)にお目にかけねば済まぬ御役であるから、神の国の臣民は神の申すようにして、天地を掃除して 天子様に奉(タテマツ)らなならん御役ぞ。江戸に神早う祀りてくれよ、仕組通りにさすのであるから、臣民 我を去りてくれよ。この方祀るのは天(あめ)のひつくの家(秘告ぐ家天の秘を告げる家〜奥山)ぞ、祀りて時たちたら、神いよいよ烈しく、臣民の性来(しょうらい)によって、臣民の中に神と獣とハッキリ区別せねばならんことになりて来たぞ、神急ける(せける)ぞ。七月の三十日、ひつ九のか三。

 

 

 下つ巻 第24 (066)

 

日文

 一(ヒト〜人)が十(タリ〜完成)にと申してありたが、一(ヒ〜火)が百(モモ〜諸々)に、一(ヒト〜人)が千(チ〜血)に、一(ヒ〜火〜UFO)が万(ヨロズ〜夜出づ)になる時 いよいよ近づいたぞ。たちたらスクリと厳しきことになるから、神の申すこと一分一厘ちがわんぞ。改心と申すのは、何もかも神にお返しすることぞ、臣民の物という物 何一つもあるまいがな、草の葉一枚でも神のものぞ。七月の三十日、ひつくのか三。

 

 下つ巻 第25 (067)

 

日文

 今度の戦で何もかも埒(ラチ)ついて仕まうように思うているが(最終戦争)、それが大きな取違いぞ、なかなかそんなチョロッコいことではないぞ、今度の戦で埒つく位なら、臣民でも致すぞ。今に戦も出来ない、動くことも引くことも、進むことも どうすることも出来んことになりて、臣民は神がこの世に無いものというようになるぞ、それからが、いよいよ正念場ぞ、真の神の民と獣とをハッキリするのはそれからぞ。戦出来る間はまだ神の申すこと聞かんぞ、戦出来ぬようになりて、初めて解かるのぞ、神の申すこと、ちっとも違わんぞ、間違いのことなら、こんなにくどうは申さんぞ。神は気(け)もない時から知らしてあるから、いつ岩戸が開けるかと言うことも、この神示(ふで)よく読めば分かるようにしてあるのぞ、改心が第一ぞ。七月の三十日、ひつくのか三のふで()

 

下つ巻 第26 (068)

 

日文

 神の国を真中にして世界分けると申してあるが、神祀るのと同じやり方ぞ。天(あめ)のひつく(秘継ぐ)の家とは天のひつく(日嗣)の臣民の家ぞ。天のひつく(天の霊継ぐ)と申すのは天の益人(数が増えて栄ゆく人民)のことぞ、江戸の富士と申すのは、ひつく(秘継ぐ)の家の中に富士の形作りて、その上に宮作りても良いのぞ、仮で良いのぞ。こんなに辞別け(ことわけ)てはこの後は申さんぞ。小さい事は審神者(サニワ)で家来の神々様から知らすのであるから、その事忘れるなよ。仏(ぶつ)も耶蘇(やそ)も、世界中まるめるのぞ。喧嘩して大き声する所にはこの方鎮まらんぞ、この事忘れるなよ。七月の三十一日、一二

 

 下つ巻 第27 (069)

 

日文

 この方は祓戸(はらへど)の神(罪穢れを祓う)とも現れるぞ。この方祀るのは富士に三と所、 (ミズ〜水)に三と所(NO231鳴門・諏訪湖・麻賀多の三ケ所)、江戸にも三と所ぞ、奥山、中山、一の宮ぞ。富士は、榛名(はるな)に祀りてくれて御苦労でありたが(天明向け)、これは中山ぞ、一の宮と奥の山にまた祀らねばならんぞ、 (ミズウミ〜瑞生み〜天明が縦糸なら、横糸の人)の仕組も急ぐなれどの仕組早うさせるぞ。江戸にも三と所、天明の住んでいるところ奥山ぞ(天明宅)。あめのひつく(天の秘告ぐ)の家、中山ぞ、此処が一の宮だから気つけて置くぞ。この方祀るのは、真中に神の石鎮め、その後に神籬(ひもろぎ)、前の右左に神籬(ひもろぎ)、それが「あ」と「や」と「わ」ぞ、そのあとに三つ七五三と神籬(ひもろぎ)立てさすぞ。少しはなれて四隅にイウエオの言霊石 置いてくれよ。鳥居も注連(しめ)もいらぬと申してあろがな、このことぞ。この方祀るのも、役員の仕事も、この世の組立も、みな七七七七 (ジチ〜自知〜自分をよく知る ・ジツ〜実〜まこと・シツ〜質〜飾り気がないこと・シチ〜至知〜優れた知恵)と申して聞かしてあるのには気がまだつかんのか、臣民の家に祀るのは神の石だけで良いぞ、天のひつくの家(天の秘告ぐ家)には、どこでも前に言うようにして祀りてくれよ。江戸の奥山には八日、とき立つ日に祀りてくれよ、中山九日、一の宮には十日に祀りてくれよ。気つけてあるのに神の神示(ふで)読まぬから分らんのぞ、このこと、よく読めば分るぞ。今のようなことでは神の御用つとまらんぞ、正直だけでは神の御用つとまらんぞ。裏と表とあると申して気つけてあろがな、シッカリ神示読んで、スキリと腹に入れてくれよ、読むたびごとに神が気づけるように声出して読めば、詠むだけお蔭あるのぞ。七月の三十一日、一二

 

下つ巻 第28 (070)

 

日文

 またたきの間に天地引繰り返るような大騒動が出来るから、くどう気つけているのざ、さあという時になりてからでは間に合わんぞ、用意なされよ。戦の手伝い位なら、どんな神でも出来るのだが、この世の大洗濯は、我よしの神ではよう出来んぞ。この方は元のままの体(からだ)持ちているのだから、いざとなればどんなことでもして見せるぞ。仮名ばかりの神示と申して馬鹿にする臣民も出て来るが、終いにはその仮名に頭下げて来ねばならんぞ、カナとは (カミ〜神)の七(ナ〜)ぞ、神の言葉ぞ。今の上の臣民、自分で世の中のことやりているように思うているが、みな神が化かして使っているのに気づかんか、気の毒なお役も出て来るから、早う改心してくれよ。年寄や女や盲、聾ばかりになりても(国民皆兵になっているのだろう)、まだ戦やめず、神の国の人だねの無くなるところまで(男子はすべて兵士に動員)、やりぬく悪の仕組もう見て居れんから、神はいよいよ奥の手出すから、奥の手出したら、今の臣民ではようこたえんから、身魂くもりているから、それでは虻蜂取らず(欲を深くして失敗する)だから、早う改心せよと申しているのぞ、このことよく心得て下されよ、神せける(急ける)ぞ。八月二日、ひつ九のか三。

288日本の国の臣民 皆兵隊さんになった時(国民皆兵)、一度にどっと大変が起るぞ

 

下つ巻 第29 (071)

 

日文

 神の土出ると申してありたが、土は五色の土ぞ、それぞれに国々、所々から出るのぞ。白、赤、黄、青、黒の五つ色ぞ、薬のお土もあれば喰べられるお土もあるぞ、神に供えてから頂くのぞ、何事も神からぞ。八月二日、一二

※埋蔵場所の預言があったはず

 

 下つ巻 第30 (072)

 

日文

 八のつく日に気つけてくれよ、だんだん近づいたから、辛酉(かのととり)はよき日、よき年ぞ。冬に桜咲いたら気つけてくれよ。八月二日、ひつくのかみ。

※辛酉は60年、または60日に一回めぐる。

最近では19812041年だが、終わったのは無視してよいので、2041年。

2041年の辛酉の日は、新暦の1/283/295/287/279/2511/24

8の付く5/28が最有力。

 

下つ巻 第31 (073)

 

日文

 この神に供えられた物は、何によらん私することならんぞ、詣りた臣民にそれぞれ分けて喜ばしてくれよ、臣民喜べば神も喜ぶぞ、神喜べば天地光りて来るぞ、天地光れば二二(富士)晴れるぞ、富士は晴れたり日本晴れとはこの事ぞ。このような仕組でこの道ひろめてくれよ、それが政治ぞ、経済ぞ、交つり(マツリ〜神と臣民のつきあい)ぞ、分りたか。八月の三日、ひつ九のか三。

 

下つ巻 第32 (074)

 

日文

 この道ひろめて金儲けしようとする臣民 沢山に出て来るから、役員気つけてくれよ、役員の中にも出て来るぞ、金(かね)は要らぬのだぞ、金いるのは今しばらくぞ、生命は国に捧げても金は自分のものと頑張っている臣民、気の毒出来るぞ、何もかも天地へ引き上げぞと知らしてあること近づいて来たぞ、金かたきの世来たぞ。八月三日、一二

 

 下つ巻 第33 (075)

 

日文

 親となり子となり夫婦となり、兄弟(はらから)となりて、生き代わり死に代わりして御用に使っているのぞ、臣民同士、世界の民、みな同胞(はらから)と申すのは喩えでないぞ、血がつながりている真の同胞ぞ(転生は国籍男女無関係)、はらから喧嘩も時によりけりぞ、あまり分らぬと神も堪忍袋の緒切れるぞ、どんな事あるか知れんぞ、この道の信者は神が引き寄せると申せば役員ふところ手で居るが、そんなことでこの道開けると思うか。一人が七人の人に知らせ、その七人が済んだら、次の御用にかからすぞ、一聞いたら十知る人でないと、この御用つとまらんぞ、裏表、よく気つけよ、因縁の身魂はどんなに苦しくとも勇んで出来る世の元からのお道ぞ。七人に知らしたら役員ぞ、神が命ずるのでない、自分から役員になるのぞと申してあろがな、役員は神の直々の使いぞ、神柱ぞ。肉体男なら魂(たま)は女(おみな)ぞ(変性女子)、この道 十り(トり〜盗り)に来る悪魔あるから気つけ置くぞ。八月の三日、ひつ九のか三。

 

 下つ巻 第34 (076)

 

日文

 臣民はすぐにも戦すみて良き世が来るように思うているが、なかなかそうはならんぞ、臣民に神移りてせねばならんのだから、真の世の元からの臣民 幾人もないぞ、みな曇りているから、これでは悪の神ばかり懸りて、だんだん悪の世になるばかりぞ、それで戦すむと思うているのか、自分の心よく見てござれ、よく判るであろがな、戦すんでもすぐによき世とはならんぞ(欧州核戦争後)、それからが大切ぞ、胸突き八丁はそれからぞ、富士に登るのにも、雲の上からが苦しいであろがな、戦は雲のかかっているところぞ、頂上(いただき)までの正味のところはそれからぞ。一、二、三年が正念場(203841)ぞ。三四五(みよいづ〜御代出づ)の仕組と申してあろがな。八月の三日、ひつくのか三。

 

 下つ巻 第35 (077)

 

日文

 何もかも持ちつ持たれつであるぞ、臣民喜べば神も喜ぶぞ、金(きん)では世は治まらんと申してあるのに まだ金追うている見苦しい臣民ばかり、金は世を潰す本ぞ、臣民、世界の草木まで喜ぶやり方は (カミ〜神)の光のやり方ぞ(光を与える一方)。臣民の生命も長うなるぞ、天子様は生き通しになるぞ、御体(おからだ)のままに神界に入られ、またこの世に出られるようになるぞ、死の無い天子様になるのぞ、それには今のような臣民のやり方ではならんぞ、今のやり方では天子様に罪ばかりお着せしているのだから、この位 不忠なことないぞ、それでも天子様は御許しになり、位まで付けて下さるのぞ、このことよく改心して、一時(ひととき)も早く忠義の臣民となりてくれよ。八月の三日、ひつ九の

 

 下つ巻 第36 (078)

 

日文

 神をそちのけ(其方退け〜構わずに放っておくこと)にしたら、何も出来上がらんようになりたぞ。国盗りに来てグレンと引繰り返りて居らうがな(イシヤの敗北)、それでも気づかんか。一にも神、二にも神、三にも神ぞ、一にも天子様、二にも天子様、三にも天子様ぞ。この道つらいようなれど貫きてくれよ、だんだんと良くなりて、こんな結構な御道かと申すようにしてあるのだから、何もかもお国に献げて自分の仕事を五倍も十倍も精出してくれよ。戦くらい 何でもなく終るぞ。今のやり方ではとことんに落ちて仕まうぞ、神くどう気つけて置くぞ。国々の神さま、臣民さま改心第一ぞ。八月三日、ひつ九のか三。

 

 下つ巻 第37 (079)

 

日文

 世が変りたら天地光り人も光り草も光り、石も物心(人情・世態などを理解する心)に歌うぞ、雨も欲しい時に降り、風も欲しい時に吹くと雨の神、風の神 申して居られるぞ。今の世では雨風を臣民がワヤ (沸弥〜ますます・盛んに起こる)にしているぞ、降っても降れず、吹いても吹かんようになりているのが分らんか。盲つんぼの世の中ぞ。神のいる場所塞いで居りて お蔭ないと不足申すが、分らんと申しても余りであるぞ。神ばかりでもならず、臣民ばかりではなおならず、臣民は神の入れ物と申してあろが、天のひつく(日嗣〜神の大命で、大業を次々にしろしめす)の民と申すのは、世界治める身魂の入れ物のことぞ、民草(タミクサ〜人の増えるさまを草に例えている)とは一人(ヒトリ〜霊理〜霊の道理〜輪廻転生)を守る入れものぞ、日嗣の臣民は神がとことん試しに試すのだから、可哀そうなれど我慢してくれよ、その代り御用つとめてくれたら、末代名を残して、神からお礼申すぞ。何事も神は帳面に付けとめているのだから間違いないぞ、この世ばかりでないぞ、生れ代り死に代り鍛えているのぞ、日嗣の臣民 落ちぶれていると申してあろがな、今に上、下になるぞ、逆立ちがおん返りて、元のよき楽の姿になるのが近づいたぞ、逆立ち苦しかろがな、改心した者から楽にしてやるぞ、御用に使うぞ。八月三日、ひつ九のか三。

 

下つ巻 第38 (080)

 

日文

 富士は晴れたり日本晴れ、これで下つ巻の終りだから、これまでに示したこと、よく腹に入れてくれよ。神が真中で取次ぎ役員いくらでもいるぞ、役員はみな神柱ぞ。国々、所々から訪ねて来るぞ、その神柱には御告げの道知らしてやりてくれよ、日本の臣民みな取次ぎぞ、役員ぞ。この方(日津久神〜日本の古くからの神・国治立神)は世界中丸めて大神様(天の御中主大御神)にお目にかけるお役、神の臣民は世界一つに丸めて 天子様に献げる御役ぞ。この方とこの方の神々(八百万の神々)と、神の臣民一つとなりて世界丸める御役ぞ。神祀りてくれたらいよいよ仕組知らせる神示(ふで)書かすぞ、これからが正念場だから、ふんどし締めてかかりてくれよ。時たちたら神烈しくなるぞ、富士は晴れたり日本晴れ、天子様の三四五(みよいづ〜御世出づ)となるぞ。八月の三日、ひつくのか三。

 

 

富士の巻

 

富士の巻 第01 (081)

 

日文

 道はいくらもあるなれど、どの道通っても、良いと申すのは、悪のやり方ぞ、元の道は一つぞ、初めから元の世の道、変らぬ道があれば、良いと申しているが、どんなことしても我さえ立てば良いように申しているが、それが悪の深き腹の一厘ぞ(ユダヤの議定書)。元の道は初めの道、神の成れる道、神の(カ〜化〜万物を造成)なる始め、 ()は光(ヒカリ)の真中 (キ〜気)は四(シ〜志)の道、この事、気のつく臣民ないなれど。「一(ヒト〜霊)が二(ツグ〜継ぐ)」解る奥の道、身魂掃除すればこのこと判るのざ、身魂磨き第一ぞ。八月十日、 の一二 (モト〜本〜みなもとの霊継ぐ神)

 

 富士の巻 第02 (082)

 

日文

 海(カイ)に立ちて、(ひれ)振りて祓いてくれよ、ひつく(日津久)の神に仕えている臣民、代る代るこの御役つとめてくれよ。今は分かるまいなれど結構な御役ぞ。この神示(ふで)腹の中に入れて置いてくれと申すに、言う事きく臣民少ないが、今に後悔するのが、よく分りているから神はくどう気つけて置くのぞ、読めば読むほど神徳あるぞ、どんな事でも分かるようにしてあるぞ、言うこと聞かねば一度は種だけにして、根も葉も枯らして仕まうて、この世の大掃除せねばならんから、種のある内(第2の死になる前)に気つけて居れど、気つかねば気の毒出来るぞ。今度の祭(まつり)御苦労でありたぞ、神界では神々様 大変の御喜びぞ、雨の神、風の神殿ことに御喜びになりたぞ。この大掃除一応やんだと安緒する。この時、二二(富士)鳴門がひっくり返るぞ(富士山爆発・渦巻く大津波)、早よう改心してくれよ。八月の十一日、 のひつくの

 

 富士の巻 第03 (083)

 

日文

 メリカもギリスは更なり、ドイツもイタリもオロシヤも外国はみな一つになりて神の国に攻め寄せて来る(第3次世界大戦)から、その覚悟で用意しておけよ。神界ではその戦の最中ぞ。学と神力との戦と申しておろがな、どこからどんなこと出来るか、臣民には分かるまいがな、一寸先も見えぬほど曇りて居りて、それで神の臣民と思うているのか、畜生にも劣りているぞ。まだまだ悪くなって来るから、まだまだ落ち沈まねば本当の改心出来ん臣民 沢山あるぞ。玉とは御霊(おんたま)ぞ、鏡とは内に動く御力ぞ、剣とは外に動く御力ぞ、これを三種(みくさ)の神宝(かむたから)と申すぞ。今は玉がなくなっているのぞ、鏡と剣だけぞ、それで世が治まると思うているが、肝腎の真中ないぞ(霊無し)、それでちりちりばらばらぞ。ア(アの天子様)とヤ(ユダヤ)とワ()の四(シ〜志)の基(モト〜土台)要るぞと申してあろがな、この道理分らんか、剣と鏡だけでは戦勝てんぞ、それで早う身魂磨いてくれと申してあるのぞ。上下ないぞ、上下に引繰り返すぞ、もう神待たれんところまで来ているぞ、身魂磨けたら、どんな所でどんなことしていても心配ないぞ、神界の都にはが攻めて来ているのだぞ。八月の十二日、 のひつくの (基の日津久の神)

 

 富士の巻 第04 (084)

 

日文

 一二三(ひふみ〜日文)の仕組が済みたら(解読)三四五(みよいづ〜御世出づ)の仕組ぞと申してありたが、世の本の仕組は三四五の仕組から五六七(みろく)の仕組となるのぞ、五六七の仕組とは弥勒(みろく)の仕組(衆生救済)のことぞ、獣と臣民とハッキリ判りたら、それぞれの本性出すのぞ、今度は万劫末代のことぞ、気の毒出来るから洗濯大切と申してあるのぞ。今度お役きまりたら そのままいつまでも続くのだから、臣民よくこの筆(ふで)読みておいてくれよ。八月十三日、 のひつくのか三。

 

 富士の巻 第05 (085)

 

日文

 喰うものがないと申して臣民不足申しているが、まだまだ少なくなりて、一時は喰う物も飲む物も無くなるのぞ、何事も行(ぎょう)であるから喜んで行して下されよ。滝に打たれ、蕎麦粉(そばこ)喰うて行者は行しているが、断食する行者もいるが、今度の行は世界の臣民みな二度とない行であるから、厳しいのぞ、この行 出来る人と、よう我慢出来ない人とあるぞ、この行 出来ねば灰にするより他ないのぞ、今度の御用に使う臣民はげしき行さして神移るのぞ。今の神の力は何も出ては居らぬのぞ。この世のことは神と臣民と一つになりて出来ると申してあろがな、早く身魂磨いて下されよ。外国は (ミ〜身)、神の国は (カ〜化)と申してあるが、  (化〜万物を造成)は神ざ、 (ミ〜実)は臣民ぞ、 (ミ〜身)ばかりでも何も出来ぬ、 (カ〜化)ばかりでもこの世の事は何も成就せんのぞ、それで神懸れるように早う大洗濯してくれと申しているのぞ、神急(せ)けるぞ、この御用大切ぞ、神かかれる肉体 沢山要るのぞ。今度の行は (レイ〜霊)を綺麗にする行ぞ、掃除出来た臣民から楽になるのぞ。どこに居りても掃除出来た臣民から、よき御用に使って、神から御礼申して、末代名の残る手柄立てさすぞ。神の臣民、掃除洗濯出来たらこの戦は勝つのぞ、今は一分もないぞ、一厘もないぞ、これで神国の民と申して威張っているが、足許からビックリ箱があいて、四ツん這いになっても助からぬことになるぞ、穴掘りて逃げても、土もぐっていても灰になる身魂は灰ぞ、どこにいても助ける臣民 行って助けるぞ、神が助けるのでないぞ、神助かるのぞ、臣民も神も一緒に助かるのぞ、この道理よく腹に入れてくれよ、この道理分りたら神の仕組はだんだん分りて来て、何という有難い事かと心がいつも春になるぞ。八月の十四日の朝、 のひつ九の (本の日津久の神)

 

 富士の巻 第06 (086)

 

日文

 今は善の神が善の力弱いから善の臣民苦しんでいるが、今しばらくの辛抱ぞ、悪神総がかりで善の肉体に取りかからうとしているから よほどフンドシ締めてかからんと負けるぞ。親や子に悪の神懸りて苦しい立場にして悪の思う通りにする仕組立てているから気をつけてくれよ。仮身(カミ〜仮の身の現界)の、も一つ上の神の世(幽界)の、も一つ上の神の世(中界)の、も一つ上の神の世(天界)は戦済んでいるぞ、三四五(みよいづ)から五六七(みろく)の世(衆生救済)になれば天地光りて何もかも見え透くぞ。八月のこと、八月の世界のこと、よく気つけて置いてくれよ、いよいよ世が迫りて来ると、やり直し出来んと申してあろがな。いつも剣の下にいる気持で心ひき締めて居りてくれよ、臣民 口でたべる物ばかりで生きているのではないぞ()。八月の十五日、ひつく のひつ九のか三しるさすぞ(日継ぐ神と元の日津久の神記さすぞ)

 

 富士の巻 第07 (087)

 

日文

 悪の世であるから、悪の臣民 世に出てござるぞ、善の世にグレンと引繰り返ると申すのは善の臣民の世になることぞ。今は悪が栄えているのだが、この世では人間の世界が一番おくれているのだぞ、草木はそれぞれに神の命(おおせ)のまにまに(そのままに任せるさま)なっているぞ。一本の大根でも一粒の米でも何でも貴くなったであろが、一筋の糸でも光出て来たであろがな、臣民が本当の務めしたなら、どんなに尊いか、今の臣民には見当とれまいがな、神が御礼申すほどに尊い仕事出来る身魂ぞ、殊に神の国の臣民みな、真の光あらわしたなら、天地が輝いて悪の身魂は目あいて居れんことになるぞ。結構な血筋に生まれていながら、今の姿は何事ぞ、神はいつまでも待てんから、いつ気の毒出来るか知れんぞ。戦 恐れているが臣民の潜意、何が恐いのぞ、それより己の心に巣くうてる悪の御霊が恐いぞ。八月十六日、 のひつくのか三。

 

富士の巻 第08 (088)

 

日文

 山は神ぞ、川は神ぞ、海も神ぞ、雨も神、風も神ぞ、天地みな神ぞ、草木も神ぞ、神祀れと申すのは神に交らうことと申してあろが、神々祀り合わすことぞ、皆何もかも交りあった姿が神の姿、神の心ぞ。御名(みな)祀れば何も足らんことないぞ、余ることないぞ、これが神国の姿ぞ、物足らぬ物足らぬと臣民泣いているが、足らぬのでないぞ、足らぬと思うているが、余っているではないか、上(かみ)の役人どの、まづ神祀れ、神祀りて神心となりて神の政治せよ、戦など何でもなくけりがつくぞ。八月十七日、 の一二のか三(本の日月の神)

 

 富士の巻 第09 (089)

 

日文

 神界は七つに分かれているぞ、天つ国三つ、地(つち)の国三つ、その間に一つ、天国が上中下の三段、地国も上中下の三段、中界(ちうかい)の七つぞ、その一つ一つがまた七つに分かれているのぞ、その一つがまた七つずつに分れているぞ。今の世は地獄の二段目ぞ、まだ一段下あるぞ、一度はそこまで下がるのぞ、今一苦労あると、くどう申してあることは、そこまで落ちることぞ、地獄の三段目まで落ちたら、もう人の住めん所だから、悪魔と神ばかりの世にばかりなるのぞ。この世は人間に任しているのだから、人間の心次第ぞ、しかし今の臣民のような腐った臣民ではないぞ、いつも神懸りている臣民ぞ、神懸りと直ぐ分かる神懸りではなく、腹の底にシックリと神鎮まっている臣民ぞ、それが人間の誠の姿ぞ。いよいよ地獄の三段目に入るから、その覚悟でいてくれよ、地獄の三段目に入ることの表(おもて)は一番の天国に通ずることぞ、神の真の姿と悪の見られんさまと、ハッキリ出て来るのぞ、神と獣と分けると申してあるのはこのことぞ。何事も洗濯第一。八月の十八日、 の一二

 

富士の巻 第10 (090)

 

日文

 いよいよ戦烈しくなりて喰うものも無く 何も無くなり、住む所も無くなりたら行く所無くなるぞ。神の国から除かれた臣民と神の臣民と どちらが偉いか、その時になりたらハッキリするぞ、その時になりてどうしたらよいかと申すことは神の臣民なら誰でも神が教えて手引張ってやるから、今から心配せずに神の御用なされよ、神の御用と申して自分の仕事をなまけてはならんぞ。どんな所にいても、神がスッカリと助けてやるから、神の申すようにして、今は戦して居りてくれよ。天子様 御心配なさらぬようにするのが臣民の努めぞ。神の臣民 殊(コト〜とりわけ)に気をつけよ、江戸に攻め来たぞ。八月の十九日、 のひつ九の

 

富士の巻 第11 (091)

 

日文

 神土(かみつち)は白は、「し」のつく、黄は「き」のつく、青赤は「あ」のつく、黒は「く」のつく山々里々から出て来るぞ、よく探して見よ、三尺下の土なればよいぞ、いくらでも要るだけは出てくるぞ。八月二十日、 のひつ九のか三。

 

富士の巻 第12 (092)

 

日文

 御土は神の肉体ぞ。臣民の肉体もお土から出来ているのぞ、この事分りたら、お土の尊いことよく分るであろがな。これからいよいよ厳しくなるぞ、よく世の中の動き見れば分るであろが、汚れた臣民あがれぬ神の国に上がっているではないか。いよいよとなりたら神が臣民に移りて手柄さすなれど、今では軽石のような臣民ばかりで神懸れんぞ。早う神の申すこと、よく聞いて生れ赤子の心になりて神の入れ物になりてくれよ。一人改心すれば千人助かるのぞ、今度は千人力与えるぞ、何もかも悪の仕組は分りているぞ、いくらでも攻めて来てござれ、神には世の元からの神の仕組してあるぞ、学や知恵でまだ神にかなうと思うてか、神には敵わんぞ。八月の二十一日、 のひつ九のか三。

 

 富士の巻 第13 (093)

 

日文

 何もかも天子様のものではないか、それなのにこれは自分の家ぞ、これは自分の土地ぞと申して自分勝手にしているのが神の気に入らんぞ、一度は天地に引き上げと知らしてありたこと忘れてはならんぞ、一本の草でも神のものぞ、野(ぬ)から生れたもの、山から取れたもの、海の幸もみな神に供えてから臣民いただけと申してある訳も、それで分るであろうがな。この神示よく読みてさへ居れば病気もなくなるぞ、さう言えば今の臣民、そんな馬鹿あるかと申すが よく察して見よ、必ず病も直るぞ、それは病人の心が綺麗になるからぞ、洗濯せよ掃除せよと申せば、臣民 何も分らんから、慌てているが、この神示読むことが洗濯や掃除の始めで終りであるぞ、神は無理は言わんぞ、神の道は無理してないぞ、よくこの神示読んでくれよ。読めば読むほど身魂磨かれるぞ、と申しても仕事を余所(ヨソ)にしてはならんぞ。臣民と申すものは馬鹿正直だから、神示よめと申せば、神示ばかり読んだなら良いように思うているが、裏も表もあるのぞ。役員よく知らしてやれよ。八月二十二日、 のひつ九のか三のお告(解読の必要無しだから、御告げはOK)

 

富士の巻 第14 (094)

 

日文

 臣民に分かるように言うなれば、身も心も神のものだから、毎日毎日 神から頂いたものと思えば良いのであるぞ、それでその体(からだ)をどんなにしたら良いかということ分かるであろうが、夜になれば眠ったときは神にお返ししているのだと思え、それでよく分かるであろうが。身魂磨くと申すことは、神の入れものとして神からお預りしている、神の最も尊い(とこ)としてお扱いすることぞ。八月二十三日、 の一二のか三。

 

富士の巻 第15 (095)

 

日文

 一二三(ひふみ神示)神触(シンショク〜〜神に触れる)。三四五(御世出づ)は人(ジンショク〜人にゆだねる)、五六七(みろくの世)は動物(ドウブツショク〜動物をふやす)、七八九(ナナヤク〜成る・弥弥益々・尽くす)は創殖(ソウショク〜新しく事を起こし成長する) ぞ、九十(コト)は本に(言はみなもとに)、一二三のつぎのしょく(ひふみ之継ぎ之属〜霊継ぐ体之(コレヲ)継ぎ之(コレノ)(ショク〜連続))、神国弥栄ぞよ。人、三四五(御世出づ)に病ないぞ。八月二十四日、 一二 ふみ()

 

 富士の巻 第16 (096)

 

日文

 嵐の中の捨小舟ぞ、どこへ行くやら行かすやら、船頭さんにも分かるまい、メリカ、キリスは花道で、味方と思うた国々も、一つになりて攻めて来る、梶(かじ)も櫂(かい)さえ折れた舟、どうすることもなくなくに、苦しい時の神頼み、それでは神も手が出せぬ、腐りた者は腐らして肥料になりと思えども、肥料にさえもならぬ者、沢山出来て居ろうがな、北から攻めて来る時が(オロシヤ)、この世の終り始めなり、天にお日様一つでないぞ、二つ三つ四つ出て来たら(UFO)、この世の終りと思えかし、この世の終りは神国の始めと思え臣民よ、神々様にも知らすぞよ、神はいつでも懸れるぞ、人の用意を急ぐぞよ。八月二十四日、 の一二か三。

 

富士の巻 第17 (097)

 

 

日文

 九十(コト〜言)が大切ぞと知らしてあろがな、戦ばかりでないぞ、何もかも臣民では見当とれんことになりて来るから、の臣民 九十(コト〜殊)気つけてくれよ、お上(高い所)に神祀りてくれよ、神に交らうてくれよ、神くどう申して置くぞ、早う祀らねば間に合わんのだぞ、神の国の山々にはみな神祀れ、川々にみな神祀れ、野にも祀れ、臣民の家々にも落ちる(抜け落ちる)隈なく(行き届かぬ所なく)神祀れ、祀り交つりて弥勒(みろく)の世となるのぞ。臣民の身も神の宮となりて神交つれ、祀りの仕方 知らしてあろう、神は急(せ)けるぞ。八月二十五日、 のひつ九

 

 富士の巻 第18 (098)

 

日文

 神々様みなお揃いなされて、雨の神、風の神、地震の神、岩の神、荒の神、五柱、七柱、八柱、十柱の神々様がチャンとお心合わしなされて、今度の仕組の御役きまりてそれぞれに働きなされることになりたよき日ぞ。辛酉(かのととり)は良き日と知らしてあろがな。これから一日々々烈しくなるぞ、臣民 心得て置いてくれよ、物持たぬ人、物持てる人より強くなるぞ、泥棒が多くなれば泥棒が正しいと言うことになるぞ、理屈は悪魔と知らしてあろが、保持(うけもち)の神様ひどくお怒りぞ、臣民の食い物、足りるように作らしてあるに、足らぬと申しているが、足らぬことないぞ、足らぬのは、やり方わるいのだぞ、食いて生くべきもので人殺すとは何事ぞ。それぞれの神様に祀わればそれぞれの事、何も叶うのぞ、神に交つわらずに、臣民の学や知恵が何になるのか、底知れているのでないか。戦には戦の神あるぞ、お水に泣くことあるぞ、保持の神様 お怒りなされているから早よう心入れかえてよ、この神様お怒りになれば、臣民 日干しになるぞ。八月の辛酉の日、ひつくのか三さとすぞ(火力の神諭すぞ)

231より十柱とは火の神、木の神、金の神、日の出の神、竜宮の乙姫、雨の神、風の神、地震の神、荒の神、岩の神であるぞ

辛酉は、20411/283/295/28

 

富士の巻 第19 (099)

 

日文

 神世の秘密と知らしてあるが、いよいよとなりたら地震雷ばかりでないぞ、臣民アフンとして、これは何とした事ぞと、口あいたままどうすることも出来んことになるのぞ、四ツン這いになりて着る物もなく、獣となりて、這い回る人と、空飛ぶような人と、二つにハッキリ分かりて来るぞ、獣は獣の性来いよいよ出すのぞ、火と水の災難がどんなに恐ろしいか、今度は大なり小なり知らさなならんことになりたぞ。一時は天も地も一つに混ぜ混ぜにするのだから、人一人も生きては居れんのだぞ、それが済んでから、身魂磨けた臣民ばかり、神が拾い上げて弥勒(みろく)の世の臣民とするのぞ、どこへ逃げても逃げ所ないと申してあろがな、高い所から水流れるように時に従いて居れよ、いざという時には神が知らして一時は天界へ釣り上げる臣民もあるのだぞ。人間の戦や獣の喧嘩位では何も出来んぞ、くどう気附けておくぞ、何よりも改心が第一ぞ。八月の二十六日、 のひつくのかみ。

 

富士の巻 第20 (100)

 

日文

 今のうちに草木の根や葉を日に干して貯えておけよ、保持(うけもち)の神様お怒りだから、九十四(コトシ〜今年)は五分位しか食べ物とれんから、その積りで用意して置いてくれよ。神は気もない時から知らして置くから、この神示よく読んで居れよ。一握りの米に泣くことあると知らしてあろがな、米ばかりでないぞ、何もかも臣民も無くなるところまで行かねばならんのぞ、臣民ばかりでないぞ、神々様さえ今度は無くなる方あるぞ(地獄の消滅により)。臣民と言うものは目の先ばかりより見えんから、呑気なものであるが、いざとなりての改心は間に合わんから、くどう気つけてあるのぞ。日本ばかりでないぞ、世界中はおろか三千世界の大洗濯と申してあろうがな、神にすがりて神の申す通りにするより他には道ないぞ、それで神々様を祀りて上の御方からも下々からも朝に夕に言霊がこの国に満つ世になりたら神の力現わすのぞ。江戸に先ず神祀れと、くどう申してあることよく分かるであろがな(国民の1割が集中するから)。八月の二十七日、 のひつ九のか三。

九十四(コトシ〜今年〜昭和198/27の筆)とした場合

昭和19年11月より、闇価格高騰。

昭和20年「度」は、明治43年以来の凶作・米は4割減(37パーセント)

昭和19年では無理があるので、九十四は終末に大洗濯の始まる今年で、始まる2039年か、終わる2041年。。

 

 富士の巻 第21 (101)

 

日文

 神の申すこと何でも素直に聞くようになれば、神は何でも知らしてやるのぞ。配給のことでも統制のことも、訳なく出来るのぞ、臣民みな喜ぶように出来るのぞ、何もかも神に供えてからと申してあろがな、山にも川にも野(ぬ)にも里にも家にも、それぞれに神祀れと申してあろがな、ここの道理よく分らんか。神は知らしてやりたいなれど、今では猫に小判ぞ、臣民神にすがれば、神に交つわれば、その日から良くなると申してあろが、何も難しいことでないぞ、神は無理言わんぞ、この神示読めば分るようにしてあるのだから役員早う知らして縁ある臣民から知らしてくれよ。印刷出来んと申せば何もしないで居るが、印刷せいでも知らすこと出来るぞ、よく考えて見よ、今の臣民、学に囚えられて居ると、まだまだ苦しい事出来るぞ、理屈では益々分らんようになるぞ、早う神祀れよ、上も下も、上下揃えて祀りてくれよ、天子様を拝めよ、天子様に交つわれよ、その心が大和魂ぞ、益人(天のますひと〜数が増し栄ゆく人民)の増す(マス〜すぐれる)ぞ、増すとは弥栄のことぞ、神の御心ぞ、臣民の心も神の御心と同じことになって来るぞ、世界中一度に唸(うな)る時が近づいて来たぞよ。八月の二十八日、 のひつ九のかみふで(神筆)

 

富士の巻 第22 (102)