今月の特集はDuane Allman Tribute Stratocasterのご紹介です。

<特集No.64 Duane Allman追悼特集>

今月の特集は10月29日の命日が過ぎたばかりのDUANE ALLMANを偲んで、オールマン・ブラザース・バンド結成前のアワグラス〜セッションマン時代に彼が愛用した1966年製ストラトキャスターを、わたくし寿庵皆男がちょっとだけ研究してみました。

我がレオスキの横浜ライブが近づいたある日、本場米国では各種レプリカストラップが出回っているという情報をDR.GENさんからお聞きしました。その中には何とDUANEが66年製ストラトをぶら下げていたストラップのレプリカが有るとのこと。
その名も「Vintage Design-Hippie Guitar Strap-Duane Allman Style」!!
居ても立ってもおられず、私も早速流暢な英語を駆使して(大嘘)飯米にてGET。
待つこと暫し、件のストラップは無事博多の地を踏みました。
う〜む、まさにドンズバです。
福山の先人は既にこのHippieストラップに合わせたプロジェクトを進行中とのこと。遅ればせながら私もDUANEファンの端くれとしてマネっこさせて頂くことにしました。


ご存じの通り母親に買って貰った1959年製レスポール・ジュニアで始まったDUANEのギター遍歴ですが、1965年頃からのオールマン・ジョイズではブロック・ポジション、ビグスビー付のチェリーレッド335、1967年初頭のアワグラスの頃はストラトのメイプルネックを付けたテレキャスター、そして1967年後半には新品で入手したと思われる1966年製サンバースト・ストラトキャスターに辿り着きます。
まさに空駈ける犬のような表情で黒いプラスチック・パーツの66ストラトを手にするこの写真(画像左)が有名ですが、ブロック・ポジション、白いマッチング・ヘッドのジャズベースを弾くピート・カーと共にステージに立つ67年後半と思われる写真(画像右)ではまだ白いピックガードのストラトを見ることが出来ます。
66年製ストラトについては2001年5月の「今月の特集 番外編」で 「'66年製ストラトの詳細」としてRS修平が考察していますので興味のある方はご参照下さい。


この画像ではHippieストラップがはっきり写っています。まだ髪も髭もそれほど長くなく、サイケな若者といった出で立ちです。本格的なブルースロックをやりたかったのにも拘わらず、レコード会社の意向でサイケポップをやらされている様子がよだれかけのような白い飾りで一層強調されているようで涙を誘います(笑)。


アワグラスの頃にはこのHippieストラップを常に使っていたと見え、ベーシストがピート・カーの前任マブロン・マッキンリーと思われる同時期の写真では既に57年製ゴールドトップをぶら下げている写真も有ります。


但しストラップは何種類か持ってはいたようで、ジョニーサンドリンがドラムを叩いていることから恐らくアワグラスの頃だろうと思われるこの写真(画像左)では、違うストラップを使っています。
ところでギターマガジン誌2005年3月号には「サンバーストのリムが不自然に太くオーバーラッカーが施されたものと思われる」との記述がありますが、1967年当時新品に限りなく近い状態のストラトをオーバースプレイするとは考えにくく、恐らくまだ赤が退色していないサンバーストを白黒写真で見た為の誤認であると思われます。
右の画像を見るとサンバーストの赤が飛んでいない事が確認できます。黒パネのツインリバーブがJBL仕様だったことも分かりますね。
そしてこの時期には「マジックでピックガードやピックアップ・カバーを黒く塗った」とKUNIO KISHIDA氏がPLAYER誌1998年8月号に書いているように、ピックガードやPUカバー等のプラスチック・パーツが黒くなっていました。黒いピックガードがピッキングによってチョロッと剥げて白い地肌が見えているのがポイントです。


そして1968年4月、サイケポップ路線に辟易したアワグラスはマッスルショールズのフェイム・スタジオで「BBキング・メドレー」等を録音。数週間後には失意の内に解散します。ところが捨てる神あれば拾う神有りで68年11月、フェイム・スタジオの経営者リック・ホールから誘われたDUANEは66年製ストラトとツインリバーブを持って(とは言ってもとても両手では持ちきれませんが)ウィルソン・ピケットのレコーディングに参加。DUANEの名を広く知らしめることとなった「ヘイ・ジュード」での名演を残しています(画像下)。 その後のDUANEの活躍はトム・ダウド氏のDVD「いとしのレイラをミックスした男」でも語られているとおりです。余談ですが、DVD2枚目でダウド氏が、DUANEが亡くなった時あまりのショックに葬儀に参列出来なかったと語るシーンには思わずジーンと来ました。





ではDUANEマネっこプロジェクトを進めるに当たって用意した物を並べてみましょう。
1966年製FENDER STRATCASTER
Hippieストラップ
オリジナルのピックガードなどを黒く塗るわけにもいきませんのでFENDER純正3プライの白ピックガード、同じく白いピックアップ・カバー、ノブ。


まずピックガードのビス穴が合うかどうか確認してみます。
66年は縮まない材質に改良されているので幸い殆ど同じ位置でした。

とりあえず試しに裏を少しだけマジックで塗ってみます。
一応黒くはなりますが広い範囲をムラ無く塗るのは難しそうです。
第一とても手間が掛かります。



恐らくO型のDUANEはピックガードを外しただけでピックアップやノブ等が付いたまま豪快に自動車用の缶スプレーで塗ったんだろう、と勝手に想像して模型用の黒い缶スプレーで塗ってみました(画像上左)。私もO型なのですが几帳面なもので(嘘)、きちんとピックガードの表面を脱脂します(画像上右)。雰囲気作りの為、下に英字新聞を敷いてみましたが良く判りませんね(画像下左)。ノブも丁寧に白熊アイスの棒にテープで付け塗りやすくしておきます(画像下右)。


ピックガードを塗り終えたら同様にピックアップカバーやノブも塗ります(画像左)。画像で見る限りスイッチは塗っていたのが既に剥げているのでここではそのままにしておきます。
また画像で見ると、ピックガードの縁は少し剥げているように見えます。O型のDUANEが縁をきちんとマスキングして塗料が掛からないようにしていたとはとても思えないのですが、ココでは一旦ピックガードを全部塗った後、縁をカッターで剥がしてみました。少々綺麗にし過ぎました(画像右)。


完全に乾いてから慎重にオリジナルパーツと交換します。


ほぼ完成しました。


最後の仕上げはピックが当たった剥げ傷を付けることでしょう。 剥げ方は上の左右の画像を見ると判りますが、フロントとセンターのピックアップの間が特に激しく、あとはピックアップ・カバーの端、ボリューム・ノブ、スイッチ・ノブが剥げています。フロントとセンター・ピックアップ間はピッキングの傷も有るでしょうが、スライドを弾く時に右手の薬指や小指を置く為ではないかと思われます。これからじっくり天然エイジングをやっていきましょう。



DUANEは24歳という短い生涯にも拘わらず、所有していたのか借りただけなのかは定かではないもののかなりの種類のギターを弾いています。
画像が残っているものだけでも、ストラトキャスター数本、テレキャスター、レスポール数本、同カスタム、同ジュニア、同TV、SG数本、335数本、カラマズーKG14、ドブロ、ギブソン・ヘリテイジ等々を手にしており、レスポール・ジュニアを自分で改造したり、サンバースト・レスポールを2本並べてご満悦な写真が有ったりとかなりのギター・マニアだったと思われます。またデラニー&ボニーのステージでは元ジョージ・ハリスン所有のオールローズ・テレキャスターを弾いている写真も有り、ギター好きの彼がデラニーにおねだりして貸して貰ったのかもしれません。

そんなギター・マニアのDUANEがアワグラスの頃に手に入れ、失意のどん底から成功への過程を共に過ごした66年製ストラトキャスターとHippieストラップ。彼がどんな思いでピックガードを黒く塗ったか今となっては知る由も有りませんが、もしかするとやりたい音楽をやれないフラストレーションの捌け口だったのかもしれません。ま、それは考えすぎで、それ以前にもジェフ・ベックのエスクワイアに憧れたのかテレキャスターのピックガードを黒にしていることも有ったので、単純に黒いピックガードが好きだったというのが本当のところかもしれませんが、何れにせよFENDERがストラトの黒ピックガードを製品化する10年前に自分でやったというところに彼の先見性が窺い知れますね。因みに彼が弾いていたのを観て憧れたエド・キングは、その後同じ66年製ストラトを手に入れたということからも分かるように、この頃には彼は既にかなりの影響力を持っていたのでしょう。
DUANEと言えばレスポールをイメージすることが多いのですが、彼の人生のターニングポイントを支えたのはこの66ストラトに違い有りません。

最後にこの特集を作るに当たって、ヒントを与えて下さったのみならず貴重なオリジナルストラップを譲って頂いたDR.GENさんに心から感謝申し上げます。



オリジナル(画像下)は黒革バージョンですが、レプリカ(画像上)と並べてみるとバックル側の革の長さやハトメ、中央部分のミシン目等若干の相違点はあるものの、殆ど同じと言って良い素晴らしい出来ですね。DUANEの忘れ形見と思って大事にさせて頂きます。有難うございました。


Special thanks to : DR.GENさん


(完)