優日    youhe

 

 高木が私の目の前に座ったのは初めてで、つい一昨日のことだった。

「だからさ、ライブ、一緒に行かない?」

 前の席の椅子を逆向きにまたがり、彼は二枚のチケットを右手の人差し指と中指で挟んで私の眼前でひらひらと揺らした。

「だから、何で私が高木君と一緒に行くのよ」

 話から逃げるように私は教科書を鞄に入れ始める。

「市川このバンド好きなんだろ。この前休み時間にバンドの話でスゲー盛り上がってたじゃん」

 質問の答えになっていない。クラスメイトの意識がこちらに向けられているのが解る。少し苛立って「だからっ」と声を出そうとしたら、高木はチケットの一枚を素早く私の鞄のポケットにねじ込んだ。

「じゃ、当日四時に駅で待ってるから。暇だったら来て」

 そう言うと高木は自分の鞄を摑んで、教室を飛び出していってしまった。後に残された私は呆ける間もなくクラスメイトに囲まれる。

「何ナニ?遥香ってばいつの間に高木なんかと仲良くなってんのー」

 

 高木なんかと──この言葉に誰もが違和感を覚えない。つまる所、高木とはそういう奴なのだ。

 

「違うよ。今初めてまともに会話したんだから」

 できるだけ自然に、迷惑そうな表情を浮かべてみたつもりだったが(というか実際に大迷惑である)、逆に「えー本当かなぁ」と疑われてしまい、最終的には「デートがんばってね」などと応援されてしまう始末だった。

 

 まともに話したことがないのは嘘じゃない。私もクラスで目立つほうではないが、高木は何というか存在感までもが希薄なのだ。ネクラないじめられっ子という訳ではなく、授業中に先生に対して冗談も言うし、友達も他クラスでだが何人かいるようだ。

 それなのに高木は皆の印象に残らない。クラスの誰かが彼に話しかけることもほとんどない。一部の女子は高木を毛虫のように嫌っている。「高木ってキモくない?」と訊かれたことがあった。理由を聞くと、彼が授業で先生に指されるといつも黙ってしまう態度にイライラするのだという。その時私は「まあ、確かにね」と曖昧に答えて苦笑いをしていたはずだ。好き嫌い以前に私は、他の人の大半がそうであったように、高木に関心がなかった。クラスが一緒になるまで名前さえ知らなかった。今でも下の名前は知らない。

 知ったことではないのだ。

 

 

 

 それなのに私は今日ここにいる。三時四十五分の駅の前に立っている。早めに来たのは高木に待ち受けられているのが何となく嫌だったからだ。

 本来なら無視して放っておけばいいのだけれど、明日学校で何故来なかったのかと問い詰められたくはなかったし、何より高木がどうしてこんな事をしたかが知りたかった。理由を聞いてからチケットを突き返しても遅くはない。

 そんなことを考えている間に高木がやって来た。三時四十八分だ。

「ゴメン、待った?」

 

 そのような台詞を私に吐くか。

 

「別に……さっき来たばかりだから」

 答えている私も私だ。傍から見れば見紛う事無く、恋人同士の待ち合わせ現場なのだろう。脚本も舞台も完璧なのに、配役だけが歪んでいる。そんな感じだった。

「混むと思うからさ、早めに行こう」

 到着して息つく暇もなく、彼は切符売り場の方へ歩き出してしまった。チケットを返そうとしているのに気付いたのだろうか。渋々私は高木の後に付いて行く。隣同士の券売機で切符を買い、別々の改札を通り、ホームに並んで立っていた。

「市川ってさ、私服だと雰囲気違うんだな」

 反対側のホームに視線を向けたまま、彼は少し上ずった声でそう言った。半ば(というかほとんど完全に)強引に誘っておいて話題に困るとは何とも準備不足ではないか。

「あんまり日焼けしてないからさ、そういう服は着ないと思ってた。イメージ変わるなぁ」

 本日の私のお召し物──黒いタンクトップとデニムのパンツ。それと、駅で知り合いに出くわした時のためにキャスケットを深めにかぶる。服選びに時間をかけるのは何となく悔しい感じがしたので、いつも外出する際に着るような服を適当に選んできた。

 一方の高木といえば、落書き風の文字がプリントされたTシャツとカーゴパンツ。探せばどこにでもいるニーチャンの格好だ。

「高木君が持ってる私のイメージって?」

「そうだなぁ……一緒にいる女子と比べると、おとなしくて目立たないタイプ」

 

 

 隣のホームで特急電車が通過する。

 ごうごうと音をたてて、強い風を私達にぶつけ、私のことなど気にも留めずに走り去っていった。

 

 

 その後にきた各駅停車の下り電車に乗った。人は少なかったが、何となく二人揃って吊り革につかまる。

「座れば?」

「別にいい」

 後は無言で、流れていく建物を一緒に眺めていた。タタン、タタンと音を鳴らして走る電車の中で、同じように身体を揺らし、同じ方向を見ている私と高木。ふと、彼はどんな表情をしているのだろうかと気になって隣に視線を移そうとした。その時電車が揺れて、私と高木の肩が少しだけ触れた。

 気持ち悪いとは思わなかった。

 普段話したこともない男子と二人でライブを見に行く。なかなか笑える。面白くもなんともないのに。別にそのバンドだって特別好きな訳じゃない。女子の間で話題になったから適当に話を合わせていただけなのに。

 高木よ、知っているか。男は群れからはぐれても一匹狼になれるが女はクラスの中からはぐれたら、生きていけないのだよ。

少なくとも私は……生きていく術を知らない。

 

 電車を降りた後は終始無言だった。駅から会場までは歩いて十分ほどらしいのだが、三分も経たないうちに私は沈黙に耐えられなくなった。

 高木は私より五歩分先を歩いている。

 

 遠くから人々のざわめきが聞こえてくる。間も無く始まる熱狂と歓声の前哨。私たちもそこへ向かっているはずなのに、なぜかその音は遠く、無関係なものに感じられた。

 なんだろう。私はこの感覚をよく知っている気がする。

「どうしたの」

 顔を上げると高木が私の真正面に立っていた。いつの間にか私は歩みを止めていたようだ。

 目の前の男をじっと見てみる。赤の他人だ。平凡で目立たなくて、つい昨日まで一片の興味さえ抱かなかったクラスメイト。それが今、私の一番近くにいる。

「どうして高木君は私を誘ったの?」

「え……」

 このタイミングで訊かれると思っていなかったようだ。彼の笑顔は一瞬固まり、手の指がTシャツを弄りはじめた。そんな彼に追い討ちをかけるように、私はチケットを右手の人差し指と中指で挟んで高木の眼前に差し出した。質問に答えなければ返す、ということだ。私は唐突に今知りたいのだ。この間にも喧騒とイライラは大きくなっていく。

「佐藤さんに言われたんだ」

 観念したというにはあまりにもあっさりと、高木はその言葉を口にした。

 

 喧騒は巨大な、蝉の合唱になった。

 

「佐藤さん?」

 うちの学年に佐藤は一人しかいない。同じクラスの佐藤慶子だ。一番大きな女子グループのリーダー格で、優しくて男子にも女子にも人気がある。「鏡で常に女を磨いている、市川遥香にも声をかけてあげる優しい佐藤さん」だ。

「実は俺、一週間佐藤さんと付き合ってた。あっちにとっては面白半分だってことは分かってたんだけどね。こっちも一応人並みに人を好きになるからさ。馬鹿みたいに浮かれたよ。それでチケット取った翌日に飽きたって理由で振られた。はは、こっちの方が馬鹿みたいか。その時に言われたんだ。市川さんがそのバンド好きだから、彼女誘えばって」

 煩わしい音の中で、高木の声はやけにクリアに聞こえてきた。

 

 ああ、これだったんだ。私の空っぽをすり抜けていくものは。なんだか笑ってしまうな。きっと苦笑いを浮かべられているのは同じなのだ。

 

 騒音は収まり始めた。そろそろ会場の照明が落ちる頃だ。

「早くしないとライブが始まるわ。行きましょう」

 私は高木の腕をつかんで走り出した。高木は小走りで歩調を合わせる。前だけを見て走る私に向けて大きな声を上げた。

「ねえ、ちょっとは俺に興味持った?」

「ええ。あなたみたいにデリカシーのない人のことは是非知りたくなったわ」

 怒鳴るように言い返すと、高木は私に腕をつかまれたまま、私の横に並んだ。

「じゃあお近付きの印に教えてあげるよ。俺の名前、タカギじゃなくてタカキって読むんだ」

 嬉しそうに彼は叫んだ。

 

彼はクラスメイトだけではなく、授業中に問題を指名する先生にまで苦笑いを浮かべていたのだ。

 

驚いた私の顔を見ながら、タカキ君は笑いを堪えているのだった。

 

 

すぐ近くでギターの電子音が響く。夕日が沈む瞬間にライブは始まるのだろう。