必本的「4大RPG総決算」
第1回第2回第3回第4回


第1回:もののたとえシリーズ 
こんなことをして何になるのか?
などと疑問を持ちつつ
必本編集部が4大RPGに抱いたイメージを爆発させたもの。
何だか良く分からんでしょうが、それは私も同じであります(爆)。
…なんか楽しいじゃないですか。駄目?

もののたとえ・1

ドラゴンクエスト ファイナルファンタジー ウィザードリィ  女神転生 
ひまわり カーネーション 薔薇 アザミ
食べ物 チャーシューメン ハンバーグ もりそば キムチ
学校行事 入学式 遠足 卒業式 避難訓練
大衆小説 少年・少女文学 純文学 幻想文学
スポーツ 野球 サッカー 登山 バドミントン
季節
動物 パンダ キリン
寿司ネタ 中トロ タマゴ アナゴ 赤貝
有名人 美空ひばり 川嶋紀子さん F・ジョイナー デーモン小暮
シューティングゲーム ゼビウス ファンタジーゾーン スターフォース グラディウスU
観光地 軽井沢 清里 上高地 熱海
病院 内科 歯科 神経科 整形外科
学校の科目 国語 社会 道徳 保健体育

もののたとえ・2
ドラゴンクエスト ファイナルファンタジー  ウィザードリィ    女神転生 
お菓子 ケーキ アイス チョコレート 雷おこし
栄養素 ビタミン たんぱく質 カルシウム 炭水化物
新聞 朝日 読売 日経 日刊ゲンダイ
アイドル(男) 田原俊彦 柳葉敏郎 陣内孝則 時任三郎
アイドル(女) 宮沢りえ 鈴木保奈美 小林麻美 森口博子
肉体 うなじ
文房具 鉛筆 マジック シャーペン ホッチキス
ファミコンのボタン リセット セレクト
昆虫 カブト虫 セミ トンボ
あいさつ こんにちは おはよう おやすみ こんばんわ
小説家 赤川次郎 吉本ばなな 村上龍 ボッカチオ
ラーメン しょうゆ 冷し中華 坦々麺 味噌バターコーン
スポーツ 野球 サッカー アーチェリー アメフト
女の子の髪型 おさげ ストレート 刈りあげ ワンレングス

芸能人などは時代が反映しておりますな(婆の目)。
まあ冗談の一種なんで、怒らないでくださいまし。
しかしこんなのに時間かけて…
まあいっか。

第2回:RPG爺ぃの円卓会議
雄大な歴史のロマンに則ったRPGには、老人の存在は欠かせない。
そこでこのコーナーではドラクエ、ウィズ、FF、女神転生の
4大ゲームに登場する爺さんに集まってもらい、
大胆にも次回作の予想座談会を開いてもらった。
歴史の生き証人でもある彼らは
次回作もすべてお見通しなのか?
それともただの老いぼれか?
(以上、文・当時の記事より抜粋)

…ま、もうこの次の作品群を皆さんはご存知だと思いますが(笑)。
そのあたりも含めてお楽しみ下さいまし。
ちなみにこの当時はドラクエは4、ウィズは3、女神転生は2、FFは3まででています。
登場人物群の紹介は以下の通り。本気にするなよ(爆)。

*登場人物*
魔術師ブライ/ドラクエ代表
ベテランの魔法使いで気のいい性格をしているが、
生来のいたずら好きが、時として嫌がられる事もある。
去年の暮れは、息子夫婦に鬼怒川温泉へ湯治に連れて行かせてもらった。
推定年齢90歳。

ボルタックじじい/WIZARDRY代表
戦後、焼け野原に落ちている武器の残骸を集めて売りさばき、
ボルタック商店の基盤を築いた。現在の店主はその息子。
町内会の隠居らと、詩吟の会を結成。副会長を務める。
推定年齢79歳。

勇者じじいA〜D/FF代表
かつては歴戦の勇者としてならした彼らも寄る年波に勝てず、
そろそろ魔法使いへの転職を考えている。
いつも4人1組で行動するが、1人だけ麻雀ができないのが悩みの種。
推定年齢70〜80歳。

サイバネじじい/女神転生代表
サイバネティック研究所所長。
科学的に解明できないものは絶対に信じない頑固者。
現在は自分が寝たきりになった時に備え、無人入浴システムに着手。
推定年齢83歳だが、本人は65歳と主張。

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ブライ : ゴホッゴホッ……。皆の衆、今日はお忙しい中よく集まってくださったな、ゴホッ。
ボルタック : いや、べつにわしら老人はなあ、なんも忙しいようなことなどありゃせんけどな。
ただちいとばかり腰の調子が悪いのが辛うてな。
サイバネ : なんじゃ、あんた。腰悪くしたんかい。ほたら、わしのこさえた人工脊椎買わんか?
そんな曲がった脊椎なんぞ捨てて、こいつに交換してみなされや。
ボルタック : なんぼするの?
サイバネ : そうさなあ。よっしゃ、清水の舞台から飛び降りたつもりで8000マッカってところでどうじゃ。
ボルタック : マッカ?わしゴールドしか持ってへんけどよろしいか?
勇者じじいA : ちょいと、お前さんがた。こんなところで商売するなんて、あとにしてくんねい。
勇者じじいB : あとにしてくんねい。
勇者じじいC : してくんねい。
勇者じじいD : くんねい。
ブライ : まあまあ。そうみんなして一度にしゃべってはイカン。今日集まってもらったのはな、
それぞれが活躍しとるRPGの次回作について、予想してもらおうってわけなんじゃ。
ボルタック : なんや、そやったんかい。でも次回作ゆうてもなあ。わしはいつも店の奥で
茶ぁ飲んどるだけやからな。
勇者じじいA : 次回作かい?おう、うちは凄いぞよ。なにしろ毎回必ず新しいシステムってのが
搭載されちまうからね。
勇者じじいB : ワードメモリー・システム!
勇者じじいC : ジョブチェンジ・システム!
勇者じじいD : 次は爺い若返りシステム!
ボルタック : なんやそれ。ほんなのあるかい!
サイバネ : うちの場合はどうなるんじゃろうな。いちおう今回で神と悪魔の戦いは
決着がついたようじゃからなあ。わしの出番はあるんじゃろうか?
ブライ : あんたんところは、ホレ。魔獣の合体たらちゅうものがあったろうが。
あれ、どうにかなるンと違うか?
サイバネ : おお、そうじゃったそうじゃった。2身、3身ときたら次は4身合体じゃ。
しかもこれからは科学の時代じゃからな、魔獣を4身合体させた上に
わしの技術でメカニック強化改造もできるに違いないて。ほっほっほ。
こら、わしも忙しくなってきそうじゃのう。
ボルタック : ほんならな、うちかて大幅にイメージチェンジするかも分からんで。
たしかうちらのダンジョンの構成は、えーと、どないやったかな……。
勇者じじいA : Tが地下へ10階。
勇者じじいB : Uが地上へ6階。
勇者じじいC : Vが地下へ6階。
勇者じじいD : ならWは地上へ10階かい?
ボルタック : あんたら余所のゲームなのに詳しいなあ。せやけど、それはちょっと違うで。
シリーズ全作を熱心にやっとる者なら誰でも知ってることやけど、
うちとこのダンジョンはな、10階あったとしてもホンマは全部回ること必要ないねん。
サイバネ : ああ、確かにだんだん階数も減ってきとるようだしのう。
ほならいっそのことWでは平地で冒険してみてはどうじゃ?
ボルタック : そうやなあ、そしたら楽になるな…って、それじゃゲームにならんやないかい!
こんクソじじい、われケンカ売っとるんかい!
サイバネ : ちょいと、ブライさんや。この人なんとかしておくれよ。
ブライ : まあまあ、それだけの元気があるなら立派なもんじゃよ、ゴホッゴホッ。
わしなンか呪文の唱え過ぎで喉が枯れてしもうて、ゼイゼイ。
こりゃあ、次回作は少し休まにゃならンな。あー残念じゃのう。
せっかく次回はスーパーファミコンで出るっちゅう噂があるというのに。
ボルタック : なんや、ブライはんはさっきから控えめな態度やなと思てたけど、
さりげなく自分の活躍を自慢しとるやないか。
勇者じじいA : まったく!わしらなんて、
勇者じじいB : 4分の1ずつしゃべって、
勇者じじいC : おとなしくしゃべっていると、
勇者じじいD : いうのに!
ボルタック : まあ、ええわ。ところでアンタ自身のことよりも、肝心のドラクエXは
発売されるんかい?
ブライ : あ、喉が痛い。ゴホゴホ。
勇者じじいA〜D : ……。お互い老齢はとりたくないもんじゃな。
サイバネ : わしゃ、まだまだ若いぞえ。お前さん方と一緒にするでない。
ボルタック : 機械の力で誤魔化しといてなにを言うか。
一番先にあの世からお迎えがくるのはアンタじゃろうが。
サイバネ : あ、嫁が迎えに来た。
ほいじゃ皆さんお先に。

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第3回:4大RPG創造者・かく語らん
ここでは、その当時このゲームたちを
実際造っていた方々・または携わった方に
お話を伺ったインタビューからの抜粋です。
また、軽くですが各ゲーム群においての解説も加えてあります。
この解説も特集記事によるものです。
これが的を得てて、よい解説なのです。知らない人も知ってる人も、是非。

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━ドラゴンクエストW(当時)・堀井雄二氏(シナリオライター)━
「AIをおもしろいと感じるのは、そのAIのキャラに思い入れができないと
いけないわけですよね。ですから最初の4章はAIじゃなくて
それぞれのキャラへの思い入れを作る部分にしようと考えたんです」
(ファミコン必勝本1990/Vol.5より抜粋)
愛を観せるばかりか、愛を持たせることもドラクエWは忘れていない。
AIは愛とも読める。
<解説・ドラゴンクエスト>
登場人物の個性的言動が、「物語」を成立させている、
「シナリオ」の御手本のようなゲーム。
主目的以外のサブストーリーも充実しており、そのテーマは、愛。
かつて隠れキャラを見つけては興奮したように、ドラクエWでは
愛という隠しテーマにプレイヤーたちは心を躍らせる。
T・U・Vでは父と子の物語が主軸となっていたが、
Wではさらに領域を広げた。
愛は現実の中の空想、空想の中の現実とゲームは語る。


━ウィザードリィV(当時)・関塚典弘氏(ファミコン開発者)━
「パソコン版は、ワードナを倒した強力なパーティがそのままVに行ったので、
謎解き中心にするしかなかったのでしょうが、
ファミコン版は最初からにするということで、
Tの面白さを再現しようと試みました。
仕様を変更するに当たって一番気をつけたのが、
個々のプレイヤーが持つ想像世界を壊さないようにすることです」
<解説・ウィザードリィ>
世界初のコンピュータRPG、ウィザードリィは、以下の特徴がある。
@シナリオが単純
A(とりわけ内部数値の)プログラミングが秀逸、
の二点である。その結果、
プレイヤーは想像力を働かせる必要が生じ、
また同時に想像を楽しむことができるという特性を持つ。
過剰な演出は、このゲームには似合わない。
「新しいウィザードリィにしたいが、違ったウィザードリィにはしたくない」
と、遠藤雅伸氏(ゲームスタジオ代表・ファミコン版プログラム&リメイクを手掛ける)も語る。

━女神転生U(当時)・今部正明氏(広報担当)━
「キリスト教的な善の神と、それに対立する悪魔(ルシファー)が、
実はほとんど同じところにあるものなのではないか。
凋落した神への愛着をゲームの中で表現できないか。
作者にとって、Uのテーマはそこにありました。
他のRPGに比べて、宗教色が極めてはっきりと押し出された作品になっています」
<解説・女神転生>
悪魔の2つの生命体を、私欲によって1つの生命体にしてしまう
“邪教”と呼ぶにふさわしい館が、前作では好評だった。
が、Uでは一転して、真摯な宗教心に満ちたストーリーが強烈である。
ノアの方舟を模した、核シェルターで始まった物語は、
主人公男女二人にアダムとイブを投影させて終わる。勇大である。
退廃のある所、神と人の戦いあり━。
宗教の本質を、ゲームの敵対関係になぞるシナリオの構成力は卓抜。

━ファイナルファンタジーV(当時)・坂口博信氏(ディレクター)━
「Uで脇役を殺しすぎたので、反省の意味を込めて
Vではなるべく登場人物を殺さないようにしました。
実際にプレイすればわかっていただけると思うんですが、
希望を持って進んでいけば、必ずそれが報われるようになっているんです。
人間は、常に希望を抱いていなければ……ということを
表現したかったんですね」
<解説・ファイナルファンタジー>
波乱万丈なストーリー展開は、ファイナルファンタジーの得意とする所である。
作者はプレイヤーに目標達成感と挫折感を次々と浴びせかけてくる。
持っていなくてはいけないのは、最強の武器ではない。希望だ。
シナリオ細部の健全性と合わせて考察してみると、
コンピュータRPGに文部省推薦制度があるとしたら、
このゲームはその筆頭候補となるに違いない。
教育的であらんとする作者の自制心に脱帽。



第4回: 山下章の「メッセージを秘めたゲームたち」
最後に、この特集のメイン・ライターであった
山下章氏の特別レビューを見ていただきたく思います。
それはレビューと思えない、正に「特別」なもの。
きっと脱帽間違いナシです。少なくとも私は脱帽でした。
ちなみにここでは文面を左付けしてあります。純文学の匂いがするので(謎)。
あとこの文章が書かれたのは1990年だったと言う事をお忘れなく。
考えたらスーファミ出たのってこの年だったんですね。

++++++++++


 パレットに、赤の絵の具をギュッと搾りだす。
そして、それを筆でゆったりと伸ばし、広げてみる。
 その赤さが、どれほどあでやかなのか、思うところは人それぞれではあろうが、
そこにその色に対する印象が生まれる。
 今度は伸ばした赤の絵の具の上に、ごく微量の黄色の絵の具をポタリと
落としてみる。そして、よく混ぜる。
 ほんのわずかに朱色がかった赤をよく見つめ、再度、その上に黄色の絵の具を
ちょっぴり落とす。そして、またよく混ぜる。
 人間の感覚というのはけっこういいかげんなものである。
 さきほどの赤と比べて、どのくらい今の赤が違うのか。さらに、
最初の赤のあでやかさが、どのくらいのものだったのか、
正確に思い比べることは難しい。
 時として、最後にできた赤が、実は最初の赤とほとんど変わらないんじゃないかという
疑念が頭をもたげてくることさえある。目の前にある「赤」に、
感覚が慣れきってしまっているから、そう感じるのだ。
 はじめは血を見ただけで失神しそうだった医大生の女の子が、
今は平気で死体解剖を行えるようになったことについて
「人間には恐ろしいことに慣れというものがあるんですよ」と語ってくれたことがあった。
 ボクらは知らず知らずのうちに、「慣れ」に身を投じてしまっている。
 例えば、『ドラゴンクエストW』。
 操作性などにおいて、だいぶ最初の頃から進歩してきたな、なんて
曖昧な感覚でいた人が、あらためて『T』をプレイすると、「だいぶ」が
「ものすごく」であることに気づくはずである。
 TからU、UからVという、一作ごとの少量の変化に慣れてしまっていたのが、
それをTからWというトータル的な視野で見ると、実は驚くべき進化であったのだ。
 もう一度、色の話に戻そう。
 最初の赤に混ぜる色を青にしたとする。すると、パレットの絵の具は、
徐々に紫がかっていく。
 微妙に紫っぽくなった赤と、元の赤とが、どのくらい違うのか。さらには、
黄色を混ぜたときにできるであろう朱色がかった赤とは、どの程度違うのか。
それを頭の中だけで区別するのは困難だ。
 そんなときは、同じパレットの上に、比較したい色を並べてみればよい。
 同時に見れば、個々の色を見ていたときには見えなかったものが、
見えてくるはずである。
 『女神転生』は、『ウィザードリィ』の色を使って作られたゲームだった。
 『ファイナルファンタジー』も、『ドラクエ』の色を基調として作られた。
 その『ドラクエ』にしても、『ウィザードリィ』と『ウルティマ(*1)』の2色を塗り合わせて、
どれだけ鮮やかな色が出せるかに挑戦した作品に他ならない。
 それぞれの1作目が出たときは、4作品の色の違いは、それほどないはずだった。
 ところが、シリーズが進んで、微妙にそれぞれの色が進化してきた今、
4作品を同じ土俵に上げてみると、色の違いがかなり明確になっていることに気づく。
 決してそれは、ゲームシステムがうんぬん、難易度がどうこう、ということではない。
 それはつまり、各作品が、独自のメッセージをゲームの中に持っているということだ。
 たとえば、『ドラクエW』がいうところの愛、義理・人情の尊さ。
『ウィズV』がプレイヤーに提供する、想像空間(詳しくは後で説明する)。
 色相環に配置すると、4作品は、対称とはいかないまでも、かなりバラバラの
位置関係にあると言っていい。
 コンピューター・ゲームとは、娯楽であり、エンターテイメントである。よって、
面白いことが第一だ。
 しかし、面白い中にも、ボクらに訴えかけてくる何かがあってもよいのではないか━
そう、映画や小説のように、だ。
 その問いに答えてくれたのが、4大RPGシリーズの最新作であった。
 短い期間で急成長を遂げるコンピューター・ゲームというメディアが、また
ワンステップ階段を昇ったと感じるのは、ボクだけではないだろう。

@ファミコンRPGの潮流
 任天堂の大ヒット商品、ファミリーコンピューター上に、初めてRPGというゲーム形態を
持ち込んだのは、同じ任天堂製の『ゼルダの伝説』だった。
 ディスクカード・ゲームの第1弾として、ディスクシステムの未来を双肩に担って
登場した『ゼルダ』は、異常なまでに出来の良いアクションRPGで、
多くのゲームファンの心をつかんだ。今回のテーマである4大RPGに対抗しうる
シリーズといったら、このゼルダシリーズしかないのでは、という気がする。
 その3ヶ月後に登場したのが、ファミコン業界におけるRPGの地位を決定づけた
『ドラゴンクエスト』であった。
 もしも『ドラクエ』がなかったら、現在のようなRPGの潮流は生まれなかったに違いない。
たとえ生まれていたとしても、それは様々な面で違った形となっていたはずである。
 『ドラクエ』のすごいところは、『ウィザードリィ』『ウルティマ』というパソコン2大RPGを
素材に選びながら、その素材の一番の魅力であったマニアックな部分をそぎ落とし、
調理してしまった点にあった。「RPGマニアには、プレイしてもらわなくてもいいんです」━
ディレクターの中村光一氏(*2)の言葉である。
 『ドラクエ』のヒットは、その調理法を発想した時点で約束されていた。
 マニアックな道をとことん追求するRPGも悪くはない。しかし、ことファミコンというメディア上では、
『ドラクエ』のとった道が正しかったのだ。
 だから、以後の潮流が生まれた。『ファイナルファンタジー』もその潮流の中の
大きなうねりの一つにすぎなかった。

 一方、『ウィザードリィ』を起源とする、もうひとつの潮流があった。
俗に、3Dタイプ(*3)と呼ばれるやつだ。
 『ディープダンジョン』がでて、『女神転生』が生まれて、意外にもそのあとに、ようやく本家本元の
『ウィズ』がファミコンに登場する。
 パソコン版は圧倒的な人気を誇っていたものの、やはり大衆向けのファミコンというメディアに、
ともすれば超マニアックとも取られかねない内容物を載せるのが不安だったのだろう。
それがタイムラグとなって現れた。
 しかし、そんな不安を問題ともせず、『ウィズ』は独自のファン層を開拓することに成功した。
決して大衆全般に受け入れられたわけではないが、ヒットはヒットだ。
 『ウィズ』『女神』というのも、ひとつの潮流に成り得たのである。
 もう2つのゲームについても、触れておかねばならない。
 ひとつが、『桃太郎伝説』だ。
 ゲームシステムにおいて、徹底的に『ドラクエ』を模倣したこの作品は、別のところで自己主張を行った。
昔話をテーマに、ひたすらコミカル路線に走ったのである。ファミコンにおける最初の、
いい意味での“B級RPG”なのであった。
 もうひとつが『MOTHER』である。
 とにかく荒削りなゲームであった。それゆえ、さまざまな場所で叩かれもした。だが、
ボクの心からどうしても離れないシーンがある。それは主人公の少年少女たちが、BGMにのって
ただ平地を歩いているだけのシーンだ。
 あとにも先にも、ただ歩くシーンがこれほど印象に残っているゲームはない。
理由は自分なりに考えている。糸井重里氏がゲームに隠しておいた「少年の日への追憶」という
メッセージに、いつの間にかボクが共感してしまったのだ。
 『桃伝』と『MOTHER』にこそ、RPGがメッセージを持ちつつある徴候が見られたのかもしれなかった。

@なぜ最初で最後なのか
 そして、今年の春(*4)だ。
 4大RPGシリーズの最新作が、それぞれ異なったメッセージを持っているということは、前に書いた。
 その4作品は、メッセージばかりか、対象とするユーザー層さえも違っているように感じさせる。
 わずか3ヶ月の間に、これほど力の入ったRPGが集結するのは、ファミコンの歴史の中で、
最初で最後かもしれなかった。
 そう考える理由は、2つある。
 まず、時がもたらす偶然性。いまや開発に1年以上かかるのが常識となってしまった大作RPGが、
推し量ったように同時期に4作も発売されるなどということが、そうそう起こり得るであろうか。
よほどの偶然がなければ、出会えない現象である。
 そして、もうひとつが、ついに今年の11月に発売となるというスーパーファミコンの存在だ。
 スーパーファミコンが登場すれば、徐々にではあるが、市場はファミコンからスーパーファミコンへと
移行していくことになるだろう。白黒テレビからカラーテレビに変わっていったように、それは時の必然だ。
 ならば、4大RPGシリーズの中にも、ファミコンをやめて、スーパーファミコンに対応していく作品が
生まれてくるのではないか。
 以上2つの理由から、ファミコンというメディアでのこれほどの大作RPGラッシュには、もう
お目にかかれないのでは、と思うわけだ。
 偶然が偶然を呼んで、4大作が並び立った今回は、ある意味でファミコンの歴史に一区切りがつくとき
なのかもしれない。
 そしてまた、其の偶然があればこそ、RPGのメッセージ性を有してきたという事実が、
はっきり見えてきたのだ。


@愛には、さまざまな形がある 
 さて、では4大RPGが持っているメッセージというのが、どのようなものなのか、
具体的に考えていこうと思う。
 まずは『ドラクエW』だ。
 人は、何を持って、人を愛するようになるのだろう?
 人は、その人のどこに惚れて、愛情を有するようになるのだろう?
 愛には、実にさまざまな形がある。
 電車の中でベタベタと抱き合うのが愛ならば、母親が赤ん坊の鼻水を口で吸いだしてやるのも愛だ。
サンフランシスコ大地震の被災者に無償のボランティアをするのが愛ならば、彼女の手編のマフラーで
○○○o○(*5)しまうのもまた愛の表現なのである。
 愛の形は、千差万別だ。なにがどうすれば愛になるのか、感覚的にわかりそうでも、誰にも
明確な定義付けをすることはできない。


@愛を描いたゲームの間違いなく最高傑作
 で、『ドラクエW』だ。
 堀井雄二氏がどこまで意図していたかはわからないが、『ドラクエW』は、そうした愛の
さまざまな形を収録しようとしたゲームだったのではないか。
 たとえば、トルネコ(*6)の奥さんが、そうである。毎朝弁当を作り、「あなた、今日も頑張って働いてきてね」
とトルネコに手渡す。お金に困ったトルネコが、たとえそれを食べずに道具屋に売っ払ってしまっても、
文句のひとことも言わずに、翌日もまた朝早くから弁当を作る。やがては、主人のいない店を切り盛りし、
1ゴールドでも多く稼ごうと、汗を流す。見事なまでの妻の愛、内助の功である。
 ミネアとマーニャ(*7)もまた、そうである。殺された父の仇を討つために、踊り子と占い師という職業を捨て、
冒険に旅立つ。歯を食いしばりながら、幾匹ものモンスターとの戦闘を切り抜け、目的を遂げた最後には、
無言のまま、父の墓に手を合わせる。父親に対する一途な愛だ。
 その他にも、『ドラクエW』の世界には、愛に渇望し、愛に殉じ、愛に至福を感じている人々がたくさんいる。
さまざまなバリエーションの愛が、そこに存在しているのだ。
 中でも究極のコントラストは、エンドールの王子・ボンモールの王女の愛と、最後のボスの愛だろう。
 城中の人々から祝福され、永遠とも思えるほど長い時間の中で、結婚式を挙げて幸せを噛みしめる、
エンドールでの王子・王女。対して、愛に殉じるがゆえに復讐を決意し、自らの体までもその愛に、
復讐に、提供してしまう最後のボス━。
 一見すると『ドラクエW』は、導かれし者たちが世界を救うハッピーエンドの物語のように思える。
最後に主人公の勇者が失ったはずの愛までも再びその手に取り戻し、良かったね、で終わる。
 しかし、最後のボスの立場から見たら、こんなに消化不良の話はない。
 愛は盲目だと言う。愛はイバラの道だと言う。一般的な善悪よりも、自分の愛に対して正直に生きることを
選択し、実行した最後のボスを誰が責められよう?
 これほどまでに悲しい愛の物語を描いたゲームを、ボクは、見たことがない。
 『ドラクエW』は、愛の形について、いろいろなことを考えさせてくれる。


@想像を創造することの喜び
 ゲームをプレイしていて楽しいのは、与えられた設定・ストーリーを素材に、自分なりに
それ以外の部分を構築していくことだ。
 たとえば映画の場合、ほとんどの情報は画面とセリフによって語られてしまっている。だから、
見る者は、その情報を極めて受動的に自分の中に受け入れ、情報自体の質を吟味して楽しむしかない。
 だが、ゲームは舌足らずである。いい意味で、舌足らずなのである。
 分厚い設定資料集がついている作品は別として、それ以外のゲームでは、その世界が
どのようなルールの上に成り立っているのか多くは語られていない。
だからプレイヤーは想像するのである。
 この人は、どうやって生活しているのだろうか。どうして、ここにこんなモンスターが出現するのだろう。
あのアイテムは、どんな風にして生まれたものなのだろうか━。
 そうやって、想像を巡らし、自分だけの世界を創造することが、RPGの楽しみの一つなのだ。
 例を挙げるなら、先ほどの『ドラクエW』のミネアとマーニャにしても、ラストシーンまで、
過去の思い出はまったくと言っていいほど描かれていない。だが、亡き父の墓に手を合わせた瞬間、
プレイヤーの脳裏にさまざまな思いが去来するはずである。
 小さい頃、モンバーバラ(*8)の丘にピクニックに出かけたときの、父との楽しい思い出。
父が死んで、いじわるな父方のおばさんに、朝晩つらい労働を強いられた日々。
踊り子になったのはいいけれど、前マネージャーにあらぬことを強要された苦い記憶。
 そうした想像が頭を過ぎればこそ、ゲームのおもしろさも、より深いものとなってくるはずだ。
 とはいえ、『ドラクエW』にしても、基本的なストーリーの骨組みはあらかじめ用意されていて、
プレイヤーに想像させるのは、ディテール部分が主であった。
 ところが、そのストーリーすらもプレイヤーに委ね、すべてを想像してもらおうとした作品がある。
それが『ウィザードリィ』だ。
 その3作目『ウィズV』も、イベントの数などを他のRPGと比較すると、相変わらず極端に少ない。
あるのは、ひたすら戦闘ばかりである。
 考えてみれば、『ウィズ』は実にデジタルなRPGである。戦いに勝つか負けるかのそれだけで、
負けたらキャラクターにロストの恐怖(*9)がつきまとう。無理にストーリーを描こうとはしていない。
 しかし、デジタルであるがゆえ、プレイヤーがそこにアナログ的な思考を持ち込みたくなる。
 友情。愛。反目。陰謀。慟哭。おおよそデジタルな内容とは無縁であると思われるファクター群が、
多くのプレイヤーによって、ウィズ・ワールドに持ち込まれた。そのひとつがベニー松山(*10)の小説であり、
そのひとつが石垣環(*11)のコミックであり、そのひとつが本誌のウィザードリィ友の会(*12)だったのだ。
 『ウィズ』にしてみればメッセージがないということ自体がメッセージだったのである。
 ゲーム作りのプロフェッショナルである任天堂の宮本氏(*13)が、かつて「ユーザーのみなさんに
道具として使ってもらえるゲームを作りたいですね」と語ったことがあった。実際、
長い歴史の中に残っているトランプや将棋といったゲームは、それ自体がプレイヤーを
遊ばせてくれるのではなく、プレイヤーがそれを使って、誰かと遊ぶための道具である。
 きみたちにフィールドを与えるから、ここで自由に想像しなさい━『ウィズ』は、そう言う意味で、
プレイヤーが頭の中で世界を創造するための「道具」なのかもしれない。


@ビリビリと伝わる宗教感覚
 『女神転生U』は、異様なゲームである。こんなにも異様であっていいのかと思うくらいに、
異様なパワーに溢れるゲームである。
 この作品からボクが連想したのは、幼いときに読んだコミック版の『デビルマン』であった。
 勘違いしてもらっては困るのだが、純粋なヒーロー物だったテレビ版とは違って、コミック版『デビルマン』は
極めてシリアスで、妙なムードの物語である。
 デビルマンは人類の平和を守るために戦い続けるのだが、実はその相手の正体が神で、
悪魔と神の戦いはハルマゲドン(*14)へと向かうのであった。神々しい輝きに満ちたラストシーンで、
岩の上に不動 明(ふどう あきら・主人公でありデビルマンである)が上半身だけの姿となって
横たわっているのを見て、息の止まる思いがした記憶がある。
 『女神U』は、いつその記憶を再度体験として復活させるかわからない、危険な臭いに満ちていた。
 なにしろ「ゆいいつしん」である。
 小・中学生で、この言葉の意味のわかる人間が、どれだけいるだろう。漢字で、「唯一神」ならまだしも、
ひらがなで「ゆいいつしん」なのである。言葉の意味を聞くために、勘違いして浅香唯のファンクラブへ
電話してしまう小学生がいても不思議ではない。
 ファミコンのハードの制約があるとはいえ、たとえば『ドラクエ』で、これほど難解な単語を
ゲームの中心に据えることが許されただろうか。
 単語ひとつをとってみても、『女神U』が、プレイヤー層が狭まってしまう危険を承知で、
その主義・主張、世界観を全面に押しだそうとしているのが、よくわかる。
 ボスの口上からも、ビリビリと伝わってくる宗教感覚。いいのか、これで。
ユーザーは果たして、これでついてこれるのか。
 恐れているだけでは、何も行動に移すことはできない。正論を述べるRPGがほとんどの中で、
「神と悪魔、そして宇宙」という『女神U』が選んだテーマは、評価できるだろう。
 実際、たとえ「ゆいいつしん」がわからずとも、『女神U』はRPGの部分だけでも
十分面白く仕上がっているのだから。
 勧善懲悪のすっきりとしたエンディングがバットエンドだと知ったときに、ボクは仰天した。
 そして、そのあとに、まさに『デビルマン』のときと同じ思いを再体験することになるのだった。


@絶望から抜けだすための希望
 そして、『ファイナルファンタジーV』だ。
 FFシリーズは、ドラクエシリーズとテーマが似ているとよく言われる。
『FFV』にしても、「愛」が随所に感じられるのは確かである。
 だが、『FFV』のメイン・テーマは「希望」であった。愛よりも、希望を持って生きろということを
強く訴えたかったのである。
 具体的に、どういうことか。
 たとえば、カセットを入れて、ファミコン本体の電源を入れたときに出てくるメッセージの2パターン目に、
こんなフレーズがある。「4人の少年たちはみなしごで、辺境の村ウルの僧侶トババに育てられた」。
 決して「みなしごの4人の少年たちが━」ではなく「4人の少年たちはみなしごで━」なのである。
あくまでも「みなしご」というシチュエーションに重きが置かれているのだ。
 思えば、『FFV』では、常に主人公の少年たちに不遇がつきまとった。
 冒険を共にした仲間が目の前で炎に身を投じたこともあったし、別の仲間が呪いの矢に
胸を貫かれることもあった。ときには、信じている者たちを自らの剣で倒さなければならないこともあった。
 そのたびに、レクイエムの音楽が奏でられ、少年たちは絶望の谷底に突き落とされた。
 だからこそ、希望なのだ。
 希望を持って生きていれば、絶望の淵から必ず立ち直れるということを、『FFV』は伝えたがっているのだ。
 ボクはそこに、ある種のリアリティが存在していることを知っている。開発期間中に絶望に苦しんでいた
スタッフの一人が、ゲームの中に自分の希望を植え付けたことを知っている。だが、
それは一般のプレイヤーには知り得ない話だ。
 ともかく、オープニングの「まだ希望は失われていない……」から始まって、ゲーム中に何度も
プレイヤーに絶望と希望の往復をさせ、最後に「希望」というキーワードで締めくくる、
『FFV』のメッセージ性は強烈だ。
 希望があればこそ、みなしごの少年たちが、強く生きていける。
 希望があるからこそ、最後の2時間にも及ぶ苦しい戦いに、プレイヤーは何度もチャレンジすることができる。
 そして、実際に希望があるから、ボクらはFFシリーズの次回作が、また素晴らしい世界を
見せてくれるのではないかと、胸を焦がすのだ。


@移り行くメッセージ
 これまでは、ゲームに対して何か意見を述べるときには、「おもしろい」「おもしろくない」という
2種類の言葉で、ほとんどこと足りていたように思う。
 しかし、ゲームの中に、製作者たちの思い思いのメッセージが込められるようになってきた今、
それは徐々に変わっていくのかもしれない。
 愛を感じ、
 想像を巡らし、
 神を崇め、
 希望を胸に抱く。
 4大RPGの最新作は、ゲームがさまざまな語り得るメディアであることを、ボクらの前に提示してくれた。
やがて発売されるであろう各シリーズの次回作は、ゲーム的な部分で
さらなる挑戦をした作品となることは間違いない。
 だが、ボクはそれよりもむしろ、各作品の持つメッセージが、どのように変貌していくかのほうが楽しみだ。
 その日まで、また━。


¥注釈¥
*1:ウルティマ:ウィザードリィと共に世界最古のコンピュータRPGとされるRPGシリーズ。
現在は『〜オンライン』としてネット界に進出。
*2:
中村光一氏:チュンソフト社長。当時のドラクエはチュンソフトが製作していた。
*3:
3Dタイプ:3Dといっても当時の3Dは主人公の姿が3Dというわけではない。
迷宮を横から見たという感じでの『3D』である。また主人公は体力や魔力といったパラメータの文字や数字で表現される。
*4:
今年の春:1990年当時の春はドラクエW(2月)、ウィズV(3月)、女神転生(4月)、FFV(4月)、更に
イースU(4月)、ディープダンジョンW(4月)など大量にRPGが出た。
*5:
○○○o○:個人的に不適切、というか刺激的な言葉と判断し、削除致しました。申し訳ありません。
*6:トルネコ:ドラクエWの登場人物の一人。中年の商人として主人公の勇者と共に戦う。後に
単独でゲームに出てくる(チュンソフト『不思議のダンジョン トルネコの大冒険』)ほどの人気者。
*7:
ミネアとマーニャ:ドラクエWに登場した姉妹。妹のミネアは占い師、姉のマーニャは踊り子で、
共に魔法を駆使し、主人公の勇者を助ける。

*8:モンバーバラ:ドラクエWの地名の一つ。ミネアとマーニャの出身地。
*9:ロストの恐怖:ここでの「負ける」は死ぬこと。そしてロストとはキャラクターの永遠の消滅を意味する。
ウィズでは死→灰→ロストというように消滅が進行し、故に死は消滅の始まりである。現実では当たり前だが。

*10:ベニー松山:スタジオベントスタッフに所属していたライター。小説家でもある。
代表作「隣り合わせの灰と青春」、「風よ。龍に届いているか」など。ちなみにこの2作品はウィズの小説である。
*11:
石垣環:漫画家。この雑誌・ファミコン必勝本、後のヒッポン・スーパーに長く連載していた。
「ギルの迷宮」、「鳳凰の塔」など連作を重ねていたが、その内容は全てウィザードリィであった。

*12:ウィザードリィ友の会:世間の風はどこ吹く風、マイペースでひたすら突き進んでいった
ウィズ専用投稿コーナー。その人気は密やかながら、確かな支持を得ていたものであったのは、
このHPをみれば分かるはず。
*13:任天堂の宮本氏:言わずとも知れたゲームの神様・宮本茂氏。伝説的ゲーム『ドンキーコング』、『マリオブラザーズ』
『ゼルダの伝説』など、手掛けたもの全てが総当りヒットしてしまう、先駆けでありながら未だ現役の超敏腕ゲームプロデューサー。

*14:ハルマゲドン:キリスト教での最終戦争の意。

一部に修正を加えました事をお詫び申し上げます。

>注意<
このHPは趣味の産物であり出版会社等との業務的な関わり合いはありません。
ですので、企業もしくは権限者より不都合と連絡があれば直ちに削除致します。
また、上記の文章の著作権は山下章氏に属します。
そのため、第三者による無断転載、改変、商業利用を禁止致します。



なんだというのか