約束

 

 フィリアは、傍らにいつの間にかヴァルガーヴがやってきていることに気付いて、洗い物をしていた手を止めた。
 ヴァルガーヴはおずおずと何かを話したそうにしていた。が、フィリアと真っ直ぐに視線をあわせられていない。その手は後ろに廻されていた。
 嫌な予感がする。
「どうしたんです、ヴァルガーヴ?」
「……フィリアの姐さんっ、ごめんですっ!!磨いてたら…」
 ヴァルガーヴが深々と頭を下げながら前に出した手には、壊れた壷があった。
「……それ、リークの壷…。…高いのに…」
 見るも無残な姿となった壷に、フィリアはその場に卒倒しそうになった。それを何とかテーブルに手をついて持ちこたえ、ヴァルガーヴの手から壷を受け取り、テーブルの上に置く。
「……怪我はしてないのですね」
「…はい…」
「それはよかったです…。
 ―――けれど」
 フィリアが思いっきり息を吸い込むのと同時、過ぎる予感にヴァルガーヴは身を縮ませた。予感は外れることなく。
「貴方は骨董に触っちゃ駄目って、言ったじゃないですかーーーーーっ!!」
 フィリアの雷が落とされた。
「…僕、フィリアの姐さんのお仕事、手伝おうとした、です。
 そしたら…」
 話している間に、ヴァルガーヴの瞳には涙が溢れてきて言葉を詰まらせていた。
「姐さん、ヴァルガーヴ様が悪いわけじゃねーっすよ。ジラスの奴が、そんな壊れやすいやつ渡すから…。銀食器でも渡しときゃいいのによ」
「だって、俺、つい…」
 陰から見守っていたのだろう。ジラスとグラボスが慌ててやってきて弁護する。そんなよくある光景。

「あっはっは。また、壷を割って、フィリアさんを怒らせているんですか?」
 いつも通りな光景に、これまたいつも通りゼロスがやってきて加わる。 
「ジラスさんやグラボスさんのせいじゃないでしょう。力加減の出来ないヴァルガーヴさんが悪いんですよ。一生懸命になると、見境がなくなるんだから。
 最大限に力を込めて壷を磨いたりしたら、銀製のものだって壊れてもおかしくないんですよ?商売物を何だと思ってるんですか」
 最後のはゼロスにそのまま返したかった。
 だが、今はヴァルガーヴのことだ。
「約束したじゃないですか。力加減ができるようになるまで、商品には触らないように、って」
「…はい、そうです…」
「わかっているなら、何故…っ」
「…ごめんなさい…です…。もう、約束破ったり、しないです…」
 ヴァルガーヴの涙に濡れた顔を見ていると、怒りがどんどん萎えてくる。
「…お願いしますよ…?」
 フィリアが屈んで優しく抱き寄せると、ヴァルガーヴはしゃくりあげながら約束の言葉を繰り返した。その震える背中を撫でる。
「でも、お手伝いしようとしたその気持ちは嬉しいです。ありがとうございます…。
 今度は、骨董磨き以外でお願いしますね?」
 フィリアが優しく微笑むと、ヴァルガーヴは瞳を輝かした。
「…はいっ!僕、するですっ」

「甘いですね、フィリアさん。僕が壊した時はもっと怒られましたよ?」
 ゼロスが不満そうに口を尖らせる。
「…だって、大人と子供じゃ違うでしょう。…それに貴方の場合は、まるでわざとやっているようで…」
「実際、そうなんでけどね♪怒ってるフィリアさん、綺麗ですから」
「な…っ!」
 ゼロスはくすくすと笑って、フィリアを抱きすくめた。
 じゃれあい始める二人に、ジラスとグラボスがそそくさと場所を移す。
 
 だが、彼らを邪魔する者はまだいた。
 くいくいと、ヴァルガーヴがゼロスのマントの裾を引っ張る。
 縋るような視線で、壊れた壷とゼロスの顔を交互に見る。
 ヴァルガーヴが何を言いたいのか、ゼロスにはすぐにわかった。
「僕が壊したわけでもないのに、どうして直さなきゃいけないんです?」
 ゼロスはフィリアに見えない位置で、ヴァルガーヴの額を指で軽く弾いた。
「普通、壊れた物は元へは戻らないんです。取り返しのつかないことの方が多いんですよ。後悔するくらいなら、ちゃんとフィリアさんの言うことを聞いていればいいじゃないですか」
「わかってるです。でも、ゼロスの旦那ぁ…」
「その呼び方も止めてくださいって言ったでしょう」
 言いながら、むにゅーんっ、とヴァルガーヴの頬を引っ張る。
 喋り始めた当初は誰が教えたのか『パパ』と呼んでいたのだが。成長するにつれてジラスたちの影響か、気付いた時には『ゼロスの旦那』がヴァルガーヴに定着していた。
「いひゃい、痛いっふ」

「…フィリアさん、ヴァルガーヴの言葉使い、なんとかなりませんか…?」
 崩れた『ですます口調』にジラスとグラボスの口調が加わって、更に竜言語が時々加わるのだから、珍妙なことこの上ない。
「少しずつ直しているんですけどねぇ…。同じ年代の子と一緒にいれば自然と身に付けると思うんですけど…力加減を覚えてくれないことには、他の子が危険で…。
 この子は一生懸命になると、持てる力全てを出しちゃうんですよ…」
 力の抜き方などは兄弟・友人との戯れのうちに自然と覚えていくはずなのだが、それは相手が同レベルであった場合の話。
 同じ見た目でも力も体重も段違いの竜と人間では、戯れているうちに一大事になってしまう。子供同士の喧嘩、と笑って済ませることができないのだ。
 実際、危ういことがあった。
 まだ言葉もろくに話せない頃。同じ年頃の子と遊ばせていたら、玩具の取り合いにでもなったのだろう。怒ったヴァルガーヴが相手の子を突き飛ばした。文字通り、突き『飛ばした』のだ。
 幸い、ソファーのクッションに受け止められて、大事には至らなかったものの、母親は恐ろしい剣幕で怒り、帰ってしまった。子供が空を飛んだ光景を見れば、それも当然だろう。
 そしてその後、子供を連れてやってくる母親はいなくなった。

 「ジラスさんとグラボスさんはタフだから、耐えてしまいますし…。このままではヴァルのためにも…」
 フィリアはため息をついた。
  

 そんなある日のこと。
 ヴァルガーヴはフィリアにちょっとした使いを頼まれた。それはお客の忘れ物を届けるというものだった。
 用事はすぐに終わり、お駄賃に飴などをもらい、意気揚揚と午後の街を歩いていた。
 
 馬車など滅多に通りそうもない、裏路地。
 ヴァルガーヴと近しい年齢の少年たちが遊んでいた。チョークで石畳に何やら線を引いた上を、駆け回っている。何かの遊びらしいのだが、ヴァルガーヴにはそのルールがさっぱりわからなかった。 
 ただ、楽しそうに遊んでいるのに心惹かれて、立ち止まって見ていた。
 傍らで立ち尽くして見ているヴァルガーヴに気付いたのだろう。少年の一人が睨みつけてきた。
「何、見てんだよ。何か文句あるのか?」
「え…?」
 その少年の声に、周りの者も遊びを止めて、ヴァルガーヴに目をやる。仲間が喧嘩を売られているのなら、放っておくわけにもいかない。
「お前、確か、骨董のとこの…」
 取り囲んで見れば、その少年は角のあることで有名な者だった。
 少年たちは戸惑うヴァルガーヴを遠慮なく観察する。
「―――お前も仲間に入りたいの?」
 一番、年少らしい少年が口を開いた。
 思いもかけない問いだったが、ヴァルガーヴは即座に頷いていた。
「お、おい。何聞いてんだよ。こいつと遊んじゃいけないっておふくろたちが言ってただろっ」
「だって…」
 少年たちは、何故、遊んでいけないのかは聞いていない。
 街ぐるみでヴァルガーヴの家庭を疎外している、というわけでもない。むしろ、骨董屋の綺麗なお姉さんはみんなに好かれている。なのに、何故、その弟と遊んではいけないのだろうか。
 確かに、角は異質だが、世の中に獣人というものがいることは知っている。骨董屋の店員の二人も有名だ。彼らとも『付き合うな』とは言われていない。
 それなのに何故、ヴァルガーヴだけ駄目なのか。
 理不尽な言いつけだったが、それでも自分たちの親の下したものだ。
 かといって、盲目的に親に従うのもかっこ悪い気がする。
 少年たちはどうしたものか、と顔を見合わせた。ヴァルガーヴは期待に瞳を輝かせている。
 やがて、リーダー格らしき赤毛の少年が口を開いた。ヴァルガーヴより身体が大きく、少し年上なのかもしれない。
「バルガーブとか、言ったっけか。俺はライアン」
「ライアンさん…。ヴァルガーヴです。よろしくですっ♪」
「よろしくかどうかは、まだはえーよ」
「?」
「俺たちの仲間に入る資格があるかどうか、テストしてやる」
「テスト?」
「それに受かったら、仲間に入れる。それでいーだろ、みんな」
 ライアンに言われて、皆が頷く。
「僕、やるですっ!!」
 

 そこは中心街から外れた裏道にある廃屋。
 窓のガラスは割れ、外壁はぼろぼろ。
 塀も柵もない狭い前庭に少年たちはいた。建物の正面玄関は板で打ち付けられている。が、横の壁のガラスの入ってない窓は、子供が潜り抜けるには十分な大きさだ。 
「この屋敷を探検してくるんだっ。一人でっ!!」
「声をあげたら、臆病者だからなっ!何が起きても、だっ!悲鳴なんて絶対失格っ!!臆病者は仲間とは認めないからなっ!」
 少年たちは次々に約束ごとを口にした。
 ヴァルガーヴはそれを一生懸命、聞いていた。
「屋敷の一番奥の部屋まで行って帰ってきてもらおーか。俺が見届けに後ろからついていく」
 と、ライアン。
 ヴァルガーヴは了承の意味をこめて頷いた。
「んじゃ、行ってくるです」
「まあ、待てよ。まだ、時間が早すぎる。もっと暗くなってからじゃねーとな」
 少年の一人が、さっさと行こうとするヴァルガーヴを止める。
 彼らは、その場に腰を落ち着けた。
「その間に、この屋敷の噂を教えてやるよ。…ここには出るんだってよ…」
「出る?」
 誰も住んでいないこの屋敷に、夜中にちらちらと小さな光が漂っていたこと。人影が窓に映ったなどの話。前の住人が自殺したという噂。 
 少年たちはヴァルガーヴを怯えさせようと、創作を交えてありったけの知っている話を聞かせた。
 話が終る頃には、西の空が赤く染まり始めていた。
「そろそろ帰らないと、日が暮れてきた、です」
「ばーか、だからいいんだろ♪」
 『帰る』と言い出したヴァルガーヴを、彼らは怖気づいたと判断したらしい。
「でも…フィリアの姐さん、怒るです」 
「今日だけだよ。俺たちだって、おふくろに怒られかねねーんだぞ。
 …でも、ここでやめるっていうなら、それで終わりだ。仲間にならなくていいんだな?」
「なりたい、です」
 その一心でヴァルガーヴは決心をした。フィリアの雷が落とされてもいいと。
 ライアンとヴァルガーヴが窓から屋敷の中に消える。
「へへ、脅かしにいこーぜっ♪」
 残された少年たちは裏口へとまわった。
 裏口の錠は壊れているのだ。

 ヴァルガーヴに話したことの一部は本当の噂だったが、大方は作り話だった。そして、噂自体も少年たちは信じていなかった。
 この廃屋は、よく少年たちが遊び場にしていたからだ。ただ、その荒れ果てた様は確かに何かが出てもおかしくない、と思わせる雰囲気があった。抜けかけた床には土埃が積もり、外れた窓枠が風に揺れて音を立てる。
 無秩序な落書き。誰かが入り込んで焚き火をした跡。あちこちに剥がされた壁などの板きれが散乱し、天井には蜘蛛の巣が張っている。
 昼でも薄暗く静けさに包まれるそこは、夕闇の中ではさらに不気味だった。
 
 しかし、ヴァルガーヴは何も気にせずに、歩いているようだった。その背に怖れは微塵も感じられない。
(結構、肝が据わってやがるじゃねーか。『ボク』とかいいやがるから、軟弱坊やかと思いきや…)
 ライアンは思わず口笛を吹きそうになったが、せっかくの不気味な雰囲気を損ないそうだったのでやめる。
(もっと重い課題にしときゃよかったかな)
 少し前を行くヴァルガーヴが、突然、立ち止まった。
 ある部屋の入り口の前で、そこから動こうとしない。今頃、恐ろしくなったとでもいうのだろうか。
「おい、何を…」
 声をかけようとしたライアンは、途中で口をつぐんだ。野太い男の声が響いてきたからだ。
 ここには誰も住んでいないはずなのに。 
「もう一度、言ってみやがれっ!!金はどうしたっ!!」
「だから…もう、ねーってぇ…」 
 後者はうめき混じりで吐き出される。

 ライアンは足音を忍ばせて、ヴァルガーヴの所までいく。
 床は老朽化して軋みやすくなっているし、板切れが散乱していて、かなり気をつけなくては音をたてそうだった。
 入り口の柱の陰にいるヴァルガーヴ。そのさらに背後からおそるおそる部屋を覗き込むと、家具に隠れたその向こうに4、5人の男たちがいた。
 格好はいたって普通である。しかし、どこか野卑で粗暴な雰囲気を纏っている。
 彼らが農夫や店の主人だとは、とても見えない。
 『流れ者』『用心棒』『荒くれ』『野盗』。そんな言葉が似合う男たちだった。

 一人の男が部屋の中央に、腹を苦しげにおさえて蹲っている。
 場の空気がおかしい。これはこの場を去った方がよさそうである。
 そこで、ライアンはヴァルガーヴに促そうと彼の肩に手をかけた。
 
 痩身の男が、蹲る男の髪を掴んで床に叩きつける。
 その立てた音に、ライアンはびくりと身体を震わせた。
「金に手をつけて、逃げられるとでも思ったか?」
「か、勘弁してくれよぉ〜っ。ザクの兄貴〜」
「どうやって返す気だ?あ?」
 額から血を流しながら、床の男が首を振る。
「だろーな。お前には返せねーよなぁ?じゃ、許すわけにはいかねーな」
 一瞬だった。
 痩身の男がナイフで相手の首を掻き切ったのだ。
 悲鳴すら聞こえなかった。ザクと呼ばれた男が髪を掴んだ手を離すと、首を切られた男の頭は床へ倒れこむ。
 ライアンは思わず、後退る。
 と、足が壁に立てかけてあった額縁にあたり、額縁が音を立てて倒れる。

「誰だっ!?」

 男たちはまず、先頭にいたヴァルガーヴを見つけた。
「ガキだっ!ガキが入り込んでやがったっ!!」
 ライアンの目の前で、ヴァルガーヴが捕まえられる。恐怖で硬直しているのか、ヴァルガーヴは何の抵抗もせず、悲鳴すらあげずに部屋の真ん中へ引き出された。
 ライアンは慌てて逃げ出そうと踵を返したが。 
「もう一匹いやがるっ!」
 ザクという男の大きな手が、ライアンの襟首を掴んで引きずる。
「放せよっ!!この人殺しっ!!」
 部屋の中央には男の死体が放置されている。血の海はまだ広がり続けていた。
 そして自分を掴んでいる男は、その手を返り血に濡らしている。  
 このままでは、殺される。
 襟首を掴まれたまま、ライアンは男の方を向き直ると、急所を蹴り上げた。
「ぐっ…」
 不意をつかれた攻撃に、男が思わず手を放す。
「…………こ、このガキっ!!」
 ライアンは駆け出していた。
 が、大柄で愚鈍そうな男が、体当たりをするようにしてライアンを再び捕らえられる。今度はしっかりと羽交い絞めにされた。
「よし、そのまま殺しちまえっ」
「お、俺、ガキは殺したくねー」
「仕方ねぇ、俺がやる。しっかり抑えとけよ」
 ザクが落ちていたナイフを拾い、二人へと近づいた。
 ライアンは必死で抵抗したが、相手は大人の男。抜け出すことはかなわない。
 先程殺された男の血に濡れたナイフが近づいてくる。

「よせ」
 今までの騒動の間中、ずっと窓を背に座っていた黒髪の男が突然発言した。
 どうやらこの中ではリーダー格らしい。彼の発言に男たちが注目した。
「殺ったのがドムだけなら訴えてくる奴もいねーが、ここでガキを殺したら、街の奴が騒ぐ。そして、ドムの死体から俺たちが犯人だって割り出されかねない」
「じゃあ、どうするんで?」
「置いていっても、こいつらが喋る。…連れて行くしかないだろう。連れていって…」
 黒髪の男は、手で首を掻き切る真似をする。
 
 男たちは屋敷にあったロープで二人を縛り上げると、裏手に止めてあった荷馬車の荷台に放りこむ。その上に、雨避けの布を被せられて、二人の姿は傍目からは見えなくなった。
 そして男たちは平然と馬車を出発させた。



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