聖バレンタインの奇跡

 

 

「『聖バレンタインデー』?」
 誰もが耳慣れぬ言葉だった。
 リナたち一行は、ダークスターの武器を探し求めていた。一行の顔ぶれはリナ、ガウリイ、ゼルガディス、アメリア、フィリア、そして珍しくゼロスというもの。
 彼らが偶然訪れたその街は、やたらめったら明るい雰囲気を醸し出していた。祭りでも行われているのだろうか。どの店も揃えたように値札やら看板やらに赤やピンクのハートを山ほど使っているのが、一種異様だった。
 街全体には、甘い香りが漂っている。おそらくそれは、各店に積まれたチョコレートが原因だろう。
 そして中心街の入り口に掲げられた垂れ幕には、先程の知らぬ言葉が明記されていたのだ。
「この街の祭り…なのかしらね」
「ここまで甘ったるい匂いだと、気持ち悪くなってくるな」
「えー、美味しそうじゃないですか」
 人の価値観は様々だ。

 ひとまず、リナたちは疲れた足を休め、空腹を満たすべく、食堂に入った。
 まだ昼食の時間ではないので、空いている。
「今日は恋人たちの日なんですよ♪」
 暇そうにしていたウェイターを捕まえて、祭りのことを尋ねる。すると、彼は誇らしげにぺらぺらと語りだしてくれた。
 どうやら、バレンタインというのは、この街縁の聖人らしい。
 聖人といっても大したことはない。土着信仰の神官だか何だかの、とにかく聖職に就いていた者だった。その宗教では聖職者の結婚は禁じられていたのだが、そんな彼もやはり人間。目をつけていた…もとい、想い寄せる女性がいたらしい。
 でも、そこは聖職者。この想いはけして告げるまい、と想いを秘め忍ばせて。
「『ああ、どうして俺は神官なのだろう。いっそこの地位をかなぐり捨てて…』、なんて浸っていたわけね」
「障害があると、かえって燃えるタイプだな」
 リナとゼルガディスの身も蓋もない茶々を入れられて、ウェイターは肩を落とす。
 彼はいっそ、ここで話をやめようかと思った。
 しかし、傍らのアメリアとフィリアが聞き入ってる姿をみて、彼は気を取り直した。
「そして、百年余り前のこの日っ!奇跡は起きたのですっ」
「奇跡?」
「想い寄せていた女性が聖人のために、とチョコレートを持ってきたのですっ。そして、その時代には非常に珍しいことに、女性からの愛の告白っ!! 
 …しかし、彼は悩みました。彼女の愛に応えることは神に背く行為。自分は神に身を捧げた身」
「神官なんか辞めればいいんじゃないか?」
 単純明快。ガウリイの台詞である。
「そんな簡単な話じゃありませんよっ」
「そうですよっ。今まで自分が生きてきた道をそんな簡単に捨て去るなんて…」
 巫女二人に口を揃えて非難されて、ガウリイはたじたじとなる。
「…お前は加わらなくていいのか。『神官』?」
「ゼルガディスさん、よしてくださいよぉ。新手の精神攻撃ですかぁ?」
 
 話に乗ってきたらしい。ウェイターは、円卓の周りをゆっくりと歩き始める。
「そう、彼女を愛すると同様に、彼は神も愛していたっ」
「それじゃ、断っちゃったの?」
「それとも清い関係のままで愛を貫いた、とか言うんじゃないだろうな」
「わかったっ!内緒で付き合ってたんだっ」
 ガウリイが得意げに指を鳴らす。
 ウェイターの男は首を振った。
「彼は皆の前で神の真意を問う、と広場に街の者を集めました」
 ウェイターはフィリアの後ろに来ると、その歩みを止めた。
 少し屈んで、彼女を覗き込むようにして囁く。
「娘さん、ナイフを逆手に持って」
「…こうですか?」
 彼に言われるままに、フィリアはテーブルの上に置かれたナイフを取る。
 背後から抱きしめるようにして、彼はその手を包みこむと、ナイフの刃をフィリアの方へと向ける。
「あの…?」
 まるで、このまま割腹させられそうな体勢である。
「大丈夫です。貴女、名前は?」
「フィリア、ですけど…」
「フィリアさん。いい名ですね♪」
「はぁ…。ありがとうございます」
「俺はウェイン。よければ、後で街の案内でも…」
 ウェインは間近から流し目を送るが。
「まぁ、それはご親切にどうもありがとうございます♪けれど、私たち旅の途中で少し立ち寄っただけなので、あまりゆっくりもしていられないんですよ」
 視線に込められた意味など、フィリアには届いてはいなかった。
「……そういうのは後にしてくれるか」
「そうよ。話はどうなったのよ」
 誰もが憮然たる面持ちで二人を見ていた。
 話の途中でナンパなど始められては、当然である。
「ああ、すみません。ここから見せ場ですよ?

 バレンタインは、皆の前で愛しい人とこのように剣を構えました。実際にはこのナイフよりももっと長い刃を持ち、二人を共に刺し貫くことができる剣を」
「心中ですかっ!?」
 アメリアが思わず立ち上がる。 
「『神よ。この愛を許したもうなら、この刃、我らを傷つけることなかれっ!』」
 ウェインは台詞に合わせて、ナイフを持った手を引き寄せる。 
 ナイフはフィリアの腹の脇の空を掠めた。
「…………で?」
「……しかし、刃は二人を刺し貫いたはずなのに、彼らを傷つけることはなかったのです。おそるおそる引き抜いたその刃は、眩い輝きを放っていたといいます」
 ナイフをテーブルの上に戻させて、そのままウェインはフィリアの右手の上に片手を重ねていた。
 自分をバレンタインたちに重ね合わせ、酔いしれているようだ。
「奇跡ですっ。神が二人を祝福してくれたのです。彼らの婚姻を認めてくれるとっ!

 こうして彼は聖職に就きながら、妻帯が許されたというわけです。
 そして、いつしかこの日は聖バレンタインデーと呼ばれ、バレンタインの妻の話に因んで、女性が好意を持っている人にチョコレートを渡すという日になったのです」
「なるほど。だから、チョコだらけだったわけか」
「そういうことでして、よろしければ、俺にもチョコをくださいね♪」
 ウェインはそう言うと、テーブルについている女性陣の手を順にとり口付けていく。
 そうしているうちに厨房より声がかかって、呆気に取られてる一行を置いて彼は去っていった。

 気を取り直したリナが、テーブルの上に身を乗り出した。
「……今の話、どう思う…?」
「…あいつにやるチョコの話か?」
「その前よっ」
 ガウリイの頭をどつく。
 アメリアがうっとりと瞳を潤ませている。
「素敵な話じゃないですか。愛です、愛の奇跡ですっ」
「…そうじゃなくてっ」
 そのまま教会の鐘でも鳴らしそうな勢いのアメリアだ。
 ゼロスは呆れたように彼女に目をやっていた。
「…光を放つ刃…。ガウリイさんの光の剣を彷彿とさせてくれますね」
「そう、それよっ」
「ここに武器があるかもしれない、ということですねっ」
 確かめるフィリアにリナが頷く。
 何たる偶然。手がかりになりそうな話がある地を追っている自分たちの前に、それらしき話が転がり込んでくるとは。
「腹ごしらえしたら、別れて探しに行くわよ」
 最初の品が運ばれてきて、リナは開いていたメニューを閉じた。


「この『バレンタイン生誕地 街案内☆』には、剣がどこにあるなんて出てこないわね…」
 リナとアメリアとフィリアは、街の観光協会で手に入れた地図を手に、バレンタイン縁の地を訪ね歩く。
 さすがに、街をあげて祝っているだけのことはある。あちこちに『恋人たちが語らった泉』だの、『元祖』『本家』と冠したチョコレートを扱った店だのがあったりする。
 落ち着いた雰囲気の店から、客引きの激しい店と、それも様々だ。
「可愛らしいお嬢さんたち、どうだい。買っていかない?」
 少し興味深げに眺めていたフィリアに、店の者であろう中年の女性が声をかける。
「いえ…。あげる人もいませんし」
「なーに、言ってんの。うら若い娘が。気になる男の一人や二人いるだろ?」
「『二人』…?愛する人だけに贈るのでは…」
「ああ、知らないんだね。余所から来た?

 昔はそうだったかもしれないけど、今では日頃お世話になってる人や、少しでも好意をもっている男にならあげていいんだよ。もう、季節のご挨拶ってやつさ」
「ご挨拶…」
 時の移ろいと共に、少しずつ変わっていったのだろう。ありえそうなことだ。
 見れば、チョコレートに混じって、他の品もバレンタイン用に置かれている。これも変遷の一部だろう。
「恋や愛じゃなくても、好意を送られるっていうのは嬉しいもんだろ?ほら、この詰め合わせなんかどうだい?」
 アメリアは納得いかない、という顔だった。
「でも、それじゃあ、本気で好きなのか、ただの挨拶なのかの区別がつかないじゃないですかっ」
「あははっ、そこを上手くやるのが女の腕の見せ所ってやつさ」
 そう言って、ウィンクする。
 どうやらこの女性、恋愛面の歴戦の猛者らしい。

 地図に目をやって歩き続けていたリナが、傍らから二人が消えていることに気付いて足を止める。アメリアとフィリアはすっかり足を止めて、店の品に目を奪われていた。
「ほら、何してんの。アメリア、フィリアっ。ぐずぐずしてると日が暮れるわよっ」
「は、はいっ」
 慌てて後を追う二人だった。

「リナさん…あとで買い物していいですか?」
 名残惜しそうに店に目をやるアメリア。 
「なに、アメリア。感化された?」
「ゼルガディスさんにあげるんですか?」
 そういったことに疎いフィリアにも、さすがにアメリアが想う相手はわかった。
 名指しで問われて、アメリアが赤面する。
「ゼ、ゼルガディスさんだけじゃありません…っ。さっきのお店の方も言ってたじゃないですかっ、日頃お世話になってるご挨拶にも…」
 公言するのは恥ずかしいらしい。
 それが微笑ましくて、フィリアはくすくすと笑った。
 アメリアが少し羨ましい。それだけ想い捧げる相手がいることが。 
 自分もいつかそんな相手に出会えるのだろうか。
 今はまだとても想像がつかなかった。

 リナがため息をついて振り返る。
 目的地『バレンタイン広場〜審判の広場〜』に着いたのだが。言わずと知れた、バレンタインが皆を集めて神の真意を問うた広場である。
「アメリア。『あと』と言わず、今、買い物していいわよ」
 広場にはすっかり『記念にバレンタインのチョコを買っていこう』という店が乱立していた。商売上手で結構なことだ。
 しかし、綺麗に改装されたこの場所には、剣を探すような余地すら残っていない。
 この調子では、この地図にのっている他の名所もどうなっているか、想像に難くない。
「ついでに人に聞いて、情報を集めることを忘れるんじゃないわよっ」
 ここで女性陣は一時解散と相成った。


「あら、このチョコ美味しい…♪」
 フィリアは、試食用に置かれた欠片を口に入れていた。
「私も少し買っていこうかしら…」
 自分用と贈る用と。
 もちろん、贈るのは愛の告白のためという理由ではない。
 あの店の者が言っていたように、儀礼となっているのなら。別に彼らはこの地の慣習なんて気にはしないだろうけど、せっかく今日という日にこの地を訪れているのだ。乗らない手はない。
 うきうきとフィリアは店内を廻った。
 贈り物を見繕うのは楽しい。渡す時を想像して笑みが浮かぶ。
 アメリアが皆にあげるのなら、贈るのにはそれほど量はない方がいいだろう。彼らは甘いものが大好きというわけではなさそうだ。 
 …ただ、一つ、問題があった。
 フィリアの頭を悩ませるのは。
 共に行動しているあの魔族の青年も、数に入れるかどうかだった。

 
「チョコねぇ…」
 リナは店をぶらぶらと廻っていた。
 『気になる男』。
 そう言われて、くらげ男が思い浮かんでしまったのは何故だろう。
 冗談ではない。
 あんなくらげ。…日を追うごとに、くらげっぷりが増してきている気がする。『保護者』と言いつつ、実情は金魚のうんち。ただのヒモ。自分がいなかったら、路頭に迷うのではないだろうか。はっきり言って、気分は自分が保護者だ。

 なのに、子ども扱いして、何処へ行くのにもついてきて。野盗退治も邪魔して。

――では、どう扱ってほしいのか
 自問しかけて、リナは考えを振り払うように、頭をぶるぶると振った。
「…なぁ〜んか、あたしもこの街の雰囲気に毒された?」
 とりあえず、このチョコ大福でも食べてみよう。
「ん♪いけるわね〜。ガウリイにも買ってってやろうかしら」
 彼のことだから、とうの昔に試食しているかもしれない。訪れたその地の名物は必ず二人は制覇してきたのだから。
 とりあえず、一人で制覇してお勧めを教えてやるか。 
「おっちゃん♪これ一つ」
 屋台で売られていたチョコバナナを買おうと、財布を取り出した時だった。
 傍らから男が銅貨を店の者に差し出す。
「これ、この子の分ね」
「ん?」
 横の男を見上げると、彼はにっこりとリナに笑いかけた。
 少したれ目でほりが深くて、俗にいう『甘いマスク』とは、こういうのをいうのだろう。
「僕に買わせてくれないか」
 もちろん、払ってくれるというのなら、否はない。
 しかし、ただでこんなことをする奴もいるまい。
 何が狙いだというのだろう。
「君、可愛いね♪」
 そう、きたか。
 とりあえず、リナはチョコバナナにかぶりついた。


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