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(BGMは、Celene DionのRefuse.)



(8)傀   儡

Written By Dengakudan



傀儡(くぐつ)とは、あやつり人形のことである。傀儡師に操られて初めて、人形は生き生きと動く。

福田英二が荒木優子と出会い、そして結婚するに至ったのには、まるで誰かに操られているかのような、誠に不思議な運命の巡り合わせがあったと聞いている。私が彼から聞いた、その不可思議な出来事を、ここに記述するとしよう。そこには、一体何があったのか、そして彼は何をしたのか、誰に操られていたのか。さあそれでは、この物語を紐解いてみようではないか。


1.不思議な出会い

福田英二は、初めて京都に来た。ある国立大学の入学試験を受ける為だ。田舎に比べと、何という大都会かと、彼は内心思っている。が、田舎者と思われるのが嫌で、そのことは人には言わないでいる。何よりも、道路の巾が広く、そして舗装されているから、この都市がまるで外国映画のようだと、内心感動している。人も車も多く、桁違いに音量の高い色んな種類の街の騒音が、大都市の存在感をすら誇示している。前の日から、顔を知らない他府県からの受験生6人と一緒に、京都の旅館に泊まり、夕食も共にする。田舎から出てきたから、泊まりがけでないと試験が受けられない者達が、同じ旅館の同じ部屋に集められていたのだ。


「明日の、今度の試験には、絵画の課題もあるのだけれども、僕は心配なんです」

ある小さな顔の男が、夕食を摂りながら誰とはなしに言う。

「そう、同じように心配ですよ。数学と物理の得点には、自信があるのですが、試験で絵を描かせるというのは、全国でもここだけらしいですね。しかも配点が、数学と同じ200点ですからね。絵画の出来不出来で、もう合格は決まるのでしょうね」


福田は、何も喋らずに黙ったままでいる。彼等のなかで、東京から来たという、外人のような顔をした大変な男前の男が、自慢げに言う。北村という名前の男だ。

「だから、僕は先生について、デッサンから線描画までも、そしてクロッキーから油絵まで、全部を一通りものにしましたよ。ですからね、絵画の試験には、僕はむしろ自信があるのです。だけど、英語がチョットね」


皆が、福田の顔を見て、発言を促す。仕方がないから、おどおどしながら福田も話を始める。福田は、田舎育ちで、激しく人見知りをするタチであった。


「ぼ、僕は福田というものですが、絵の方は好きですが・・・・、まあまあです。だけれどもー、理科二教科の物理と化学の替わりに、僕は、生物と化学で受けます。化学だけが必須だけですから、ここは生物でも受けられるのですよ。これがどう出るか、心配なのです。それにしても、北村さんは、スゴイ男前の方ですね。しかも、先生について指導を受けられたとは、大変なものですね。もう合格されたのも同じ、じゃないですか。ねえ、皆さん」

皆も、相槌を打って同感している。別の眼鏡を掛けた子供のような顔をした小男が言う。


「今話された、福田さんも仲々の男振りですよ。僕は、福田さんの方が好きですねえ。それにしても、この学科を受験する人は、シュッとした人が多いなあ。僕は、もうホントに自信がなくなりましたよ」

福田は、この男は何を言っているのか、今まで自分がシュッとしているなどと言われたことがなかったから、大変に驚くと共に赤面して、激しく狼狽したという。ついでに、彼の名前を聞く。

「君は、何ていう名前なの。良かったら教えてよ。僕は、福田と言って、西脇高校出身の田舎者ですが」

「僕は、玉谷義男という者で、大阪の池田高校出身ですよ。実は、京都大学も受けたのですが、ダメでした。今度、ここもダメなら浪人ですわ。だけど、ここが合格しても、行かずに浪人して、もっかい京大を受けるかも知れないですわ。わはははっ」


当時は、一期校、二期校と別れていて、受験日が異なることもあって、二つとも受験できるようになっていた。玉谷が、京都大学を受けたとなると、大変に頭のいい男なのだ、と福田は内心感心する。福田も実は、一期校の神戸のK大学理学部に合格していたが、将来の就職先のことを思うと、高校の先生として生きるしか道がないように思え、無知にも、直感力だけで、K大卒の前途に暗雲を見ていた。


翻って、今度受ける学科には、将来の活躍先が無限に広がり、人生の明るさがあるように感じていたからだ。だから、こちら方がむしろ彼の本命だったのだ。このことは、誰にも言わずに伏せておこうと彼は思っていたという。


翌日の朝、受験の教室は4教室に別れたが、偶然にもこの6人は同じ教室で入学試験を受ることとなる。そして、ついに絵画の試験の番がくる。


「ガラスビンの左に消しゴムが置かれている。そして右上から光が当たっている。これを想像して描きなさい。ビンの形は自由でよい」というものだった。福田の隣にいる、男前の北村が舌打ちをして独り言をいっている。


「しまったぜ。ビンだけは描いたことがないからなあ。まいったなあ」

普通の設問ではないから、人のを見ても、どうしようもない。カンニングも出来ない。北村は、真っ黒な絵を描いている。真っ黒な画面に、うっすらと、ビンと消しゴムの形が見えている。光はない。光は、後から消しゴムで消して、入れようと考えていたらしいが、時間が来てしまい、彼の絵は真っ黒のままで、とうとう未完成となる。


入学式が終わってから、同じクラス26人が意匠科の教室で一堂に会して、顔見世となった。女性が7人と、長身のインドネシア人一人がいる。自信満々だった、あの北村はいなかったが、子供顔の小男は居た。さすがに、勉強の方での得点が高かったのだろう。福田は、彼の名前が、珍しい名前の玉谷だったことを思い出す。自己紹介で、玉谷義男の名前を確認する。彼は京大を諦めて、ここに在籍することにしたのだろう。福田と玉谷は、こうして運命の糸を手繰るようにして出会い、一生涯に於いて付き合うことになったという。彼が、神戸のK大学に入って入れば、また玉谷が、一浪して京大受験を決意していれば、玉谷義男と知り合うこともなかったからである。


2.恐怖の下宿屋

福田英二は、実家からは大学に通えないから、大学の厚生課から紹介してもらった、大学の近くにある、普通の家に下宿することにした。その下宿先は、瓦屋根の付いた土塀で家の敷地の回りが囲んであり、立派な門構えの、京都風の堂々たる大きな家である。しかし、土塀の白壁が所々剥がれたり、崩れたりして相当に痛みが激しい。ご主人が脳溢血で10年前に急死され、女主人と、嫁に行き遅れの眼鏡を掛けた見栄えのしない一人娘、それにおばあちゃんという、女ばかり三代の家庭になってしまっていたからである。女主人は、立木洋子という。家計の助けになることと、用心棒代わりに学生を下宿させていたのだ。割り当てられた部屋は、この家で一番に眺めのいい、回りに廊下の付いた6畳2間だ。学生にしては随分と贅沢なものである。だから、部屋代も、2,500円と高い。ここの家の一番に良い部屋で、亡くなられたご主人の部屋だったという。


福田の家は、父親が神経症を患ってからというもの急速に貧乏になっていた。父親が商売をして貯めていた金を取り崩して生活していたからである。だから、奨学資金を日本育英会から貰っていた。しかも、特別奨学生であったから、当時の金で、毎月8000円を貰っていた。これは、高校の時に、先生の薦めがあって試験を受けて目出たく合格して獲得したものだった。受験した同級生8名の中で、合格したのは福田だけであったという。知能テストのような設問だったが、彼はこの種の問題は大得意だった。因みに学校本来の知能テストでは、福田はダントツでNO.1を誇っていた。だから、この結果を友人達は認めざるを得なかったのである。大体月に3,000円もあれば暮らせた時代だから、8,000円は大金である。しかし、2,500円の下宿代では、授業料と部屋代を払ってしまうと、もう生活が成り立たなくなる。


高いことに加えて、この下宿先には、大変な問題あった。それは、ある夜に突然にくる。この下宿先に入ってから、月が終わろうとする、四月下旬頃のことだ。蒸し暑い或る夜の深夜1時頃のことだ、彼が寝ている部屋に、誰かが忍んでくるような音がする。月明かりで見ると、眼鏡を掛けた若い女の姿がうっすらと目に入る。部屋の障子は雪見障子というのか、下がガラスになっているから、素通しで見える。ここの、一人娘の立木珠恵だ。這いつくばって、彼の寝ている部屋の障子をソオーと、開けている。女の夜這いだ。彼は、ゾオーとしたが、緊張したまま狸寝入りをしている。


「英二さん、私よ珠恵よ。抱いて欲しいの、だから来たのよ。お母さんから言われたのよ」


押し殺した小声で意志を伝えている。しかし、福田英二は、狸寝入りをしたままで、何も言わない。スーコ、スーコと鼻腔からの鼻息だけが聞こえる。どうしょうも出来ないからだ。すると、それを良いことに彼女は、シミーズ姿のままで、彼の布団の中に入って来るではないか。とうとう、耐えきれず、布団から彼は飛び出す。


「何をされるのですか。冗談は止めてください。本気だとしたら、許せません。さあ、家人の方が起きてこられると、変に思われますから、もう止めて下の部屋に戻って呉れませんか」

彼女を興奮させないように、穏やかな小声で、福田は彼女を諭す。珠恵は、暗闇の中で福田の目を見つめている。髪の毛を振り乱したその姿は不気味で、福田の心臓も動悸を打っている。暫く見つめ合いが続いたが、彼女が根負けして、目をそらす。


「分かったわ。あなたには、その気がないのね。珍しい人ね。今までの人は皆んな、抱いてくれたのよ」

彼女はそういい残して、階段をドンドンと音を立てて下りていった。親も公認の夜這いということか。女性ながら、異常性欲の持ち主らしい。そういえば、普段から様子も変であった。顔を洗ったり、洗濯をしたりしている福田の姿を、柱の影から見ている彼女の姿を、何度も見かけたことがある。福田は、下宿代も高いこともあり、もうこんな処には居られないと、其の夜の内に、この家から出ることを決心する。


3.比叡寮への転居

この寮は、鴨川沿いに建っていたお金持ちの家を、5年前に大学が買い上げて寮にしたもので、大体が2人相部屋となっている。中には、4人部屋と1人部屋もそれぞれ2つずつある。1回生から4回生までが渾然一体となって、総勢28名が入っている。入寮生の学科は多岐に渡り、その大学の殆どの学科が網羅されていたが、建築科が一番多い。だから、寮と言っても、建築家の学生のたまり場になっている。


2食の賄い付きで3月に3,000円だったから、大助かりだ。人気があったので、順番待ちをしなければならなかったが、厚生課が紹介して呉れた下宿屋の事情を洗いざらい全部話したので、彼等も気の毒がり、ラッキーにも内緒で飛び番にして呉れて、福田は即座に入寮が可能となる。賄い付きなので、寮の管理と食事の用意をして呉れる、熟年夫婦の久世という管理人が別棟に住んで呉れている。だから、食堂と談話室も備えてある。仲々に快適な住まいである。


もう一つ、学部の異なる別の寮が西大路の金閣寺の近くにあったが、これは鉄筋コンクリート造り二階建ての個室ダイプである。学部が異なるから、元々入れないが、福田はこちらの比叡荘の方が、むしろ気に入っていた。そして、5月の連休明けに、福田英二は新入りとして、この寮に入ることになる。


入寮して驚いたことに、あの玉谷義男が比叡寮に既に入っていたのだ。彼の家も父親が病死したから片親で育ち、だから貧しく、牛乳配達をしている兄の稼ぎで、家族は暮らしているのだと、義男から初めて聞いた。だから、恩返しをしたいと彼は考えて、真剣に勉強だけをしてきたという訳だ。こうして、玉谷義男と福田英二は三度顔もを合わせることとなる。そして、暫く同じ寮での生活が始まる。


奥村という野球部のキャップテンが、寮長をしているが、この奥村から、福田は、1つだけ空いていた2人部屋が、福田の部屋だと教えられる。2階の階段を上がると、T字型に廊下があり、左に入ったスグ横にある和室の6畳部屋がそこだ。だから窓がない、三方が塗り壁の、換気の悪い、薄暗い倉庫のような部屋である。そこは、機械科の学生で、鼻の高い、のそっとした怖い顔の男のいる部屋だった。部屋には、汚い煎餅布団が敷きっ放しとなっており、整理整頓も掃除もされたこともないと見えて、綿埃がうっすらと積もっている。住人の名前は、日向達夫という。


「僕は、福田英二といいます。今年入った、意匠科の者です。宜しくお願いします」

型どおりの挨拶をして、部屋に入る。のそっとした男は寝転がって新聞を読んでおり、面倒臭さそうに、返事する。


「おいや、お前か、新入りは。まあゆっくりせいや。ワシは、機械科の日向いうもんや。同じ今年に入ったんじゃ」

でかいガラガラ声だ。ジロリと福田の方を見てから、寝転がったママにそう言うと、また新聞を読み始める。


「布団は、どこに敷いたらいいですか」

「おいや、空いてる処ならどこでもいいわさ」

話の前に、おいや、と付けるのがこの男の口癖らしい。


「じゃあ、ココにします」

福田は入り口の近くの壁際に、陣取ることとした。一番奥の突き当たり壁際には、日向の小さな座り机が置いてあり、その横には本や資料らしき物も散らばっており、場所もないし、また怖い顔の男にも恐れをなして、何となく入り口の近い方が良いだろうと考えたからである。入り口といっても、元は個人の住宅だった処だから、四枚の引き違いの障子が入っているだけである。障子戸を開けると、もう廊下となっている。だから、福田の頭の先に障子があり、その先が廊下となる。寮の住人の廊下を走る音が、枕元でするという、最悪でプライバシーも何もない、タダ寝るだけの部屋なのだ。しかし、前の下宿屋より安く、自由で気楽なのがいいと、福田はここが気に入っている。布団袋とその他の荷物を一階から運び上げて、袋と荷物を解き、布団や衣類を出して整理をして、支度を整える。


4.大きな食堂

食堂は、炊事ができる6畳の板間と、それと直角に配置された和室の二部屋で構成されている。板間には、8 人が座れる椅子とテーブルが、和室には20人程が座れる長い座卓が用意してある。板間の北側にある炊事場は、28名分の食事を作る為の、大型のガスコンロが3台、広い長い洗い場、2つの水道栓、大型の釜や鍋、デカイやかん、おひつ、汁鍋が整備されている。その反対側の南側壁面一杯には、ガラス戸の入った幅広で5段になった棚があり、出来た食事は、ココに入っている。そして、全部に名札が付いている。人の分まで食べてしまう不逞の輩がいるからだ。大抵が、鰺、鯖、鰯、サンマ等の、魚の焼き物や煮付けに、豆類の煮物が添えられていることが多い。


肉類は、一月に2回ぐらいしか出ない。今と同じように、肉が高価だったからだ。飯は、2つある特大のおひつから自分でよそう。大抵は皆どんぶり飯だから、1つでは足りない。みそ汁も、大鍋から自分で入れることになっている。飯と汁は、お代わり自由となっている。


寮生の殆どは、当然の事ながら家庭が貧しいから、比叡寮に入っている訳である。だから、住人の何人かは、夜間にも働いたり、アルサロでボーイをしたり、家庭教師を三軒掛け持ちしたり等で、夜中にならないと帰って来ない者もいる。だから、夕食は夕方の五時には、もう出来上がっており、自分の食事は五時からは食べて良いことになっているのであるが、夜の12時を過ぎると、残り飯は誰でもが自由に食べても良いことになっている。それでも、大抵は、いつも5、6個は残っていた。この解禁時間が来るのを先輩達が並んで待っていることもあり、寮に入った当初の頃は、遠慮深い福田に、残り飯にありつけることは、殆どなかった。


山科にある妹背という妙な名字の家の、出来の悪い高校三年の娘の家庭教師を終えて、寮に戻った福田は、急いで食事を摂る。初夏の夜10時頃のことだ。食堂には、一人の男だけが食事をしている。殆どの者は、もう食べ終えてたのか、他には誰もいない。今夜のおかずは、鰺の焼き物に大根おろしが添えられている。貧しい家に育った福田にとっては大変なおかずなので、骨から身を上手に剥がして、頭の骨の中やヒレに付いている小さな身までも、残らず食べ尽す。だから、皿にはホントに骨だけしか残っていない。


向かい側に座っている、のっそりした男が、福田の食べっぷりと、骨だけになった皿をジット見ている。福田が相手の皿を見ると、彼の魚は身も骨も散らかり、まるで猫が食い散らかしたように乱れている。そういえば、箸の持ち方も変だ。その男が口を開く。


「チミは、なんという名前だい。俺は、横山隆史というものだが」

東京弁で話す、やけに高飛車な男だ。だが、顔だけは柔和で、ニコニコとして語りかけてくる。歯も白くて、大変に清潔そうな好印象の男だ。


「はい、今年意匠科に入った、福田英二という者です。どうぞ宜しく」

「君は、魚を綺麗に食べるねー。魚を綺麗に食べる人は精力家だと言うから、きっと君は精力家なのだろう。どこの高校から来たのだい」

「丹波篠山から更に奥の、西脇という山国からですわ。お宅は、東京からですか」

「私はだね、チミ。栃木県は茂木という町から麻布高校に入って、東大を受験したのだぜ。工学部の機械科に受かっていたんだが、焼き物がやりたいので、この大学に入り直したという訳さ」

これが栃木なまりなのだろうか、彼は「キミ」と言っている積もりなのだろうが、福田には「チミ」としか聞こえない。笑いを堪えて、チョット突っ込んでみる。

「スゴイですねえ。どうして、あの東大を蹴ってまでして、ここに来られたのですか」

横山は、よくぞ聞いてくれたと言う風に胸を張って答える。


「僕は、チミ。将来は陶芸作家で有名になることを目指しているからだよ。なに、この大学もいずれ辞めて、京都の著名な陶芸作家に弟子入りしたいと思っている、という訳さ」

このときの福田は、心底からこの横山と言う男に恐れをなした。堂々とした風貌に柔和な顔相、艶のある大きな声、加えて東大に合格したという学力、そして将来は作家を目指すという。そのどれをとっても、福田にはないものを持っていたからだ。


5.談話室

食事が終わったので部屋に戻ると、相棒の日向は部屋にいない。殆どの部屋も、何故か空になっている。階下からは、ガラガラという音と、笑い声や、罵声が聞こえる。談話室の方からだ。階段を下りて、おそるおそる、木のドアーに近づくと、ドアーの隙間から、もうもうと煙が漏れている。思い切ってドアーを開けると、そこはマージャン屋と見間違える程に、ほぼ全員の者がマージャンをしているではないか。12畳の和室に、座卓のマージャン台が6台置いてあり、全部が埋まっている。相棒の日向も、畳にあぐらを組んで、元々の猫背を更に丸めて、夢中になって打っている。福田を見つけた彼が言う。


「おい、福田、こっちに来いや。教えたるから、俺の側で、見とれや。おいや、福田ええか。こっちに来いや」


また、得意の「おいや」である。顔に似合わず、いい奴だと、福田は直感で理解した。


マージャンなんぞしたことがなかった福田は、おそるおそる日向の側に座る。殆どの者は喰わえタバコだから、部屋の中は、せき込む位の朦々たる煙で満ちている。白黒TVも付けっ放しだ。ザ、ピーナッツがガンガンのボリュームで歌を歌っている。皆は、そのTVを見ながら、くわえタバコで、パイを積もっている。その時には、福田はまだタバコの味を知らなかったから、咳き込んでいる。


「どうすれば、いいのですか」

「二つの同じパイで頭を作ってから、三つずつのパイを並べていくのや。並べ方で役があるのや。役を覚えれば誰でもできるわさ。しもたー。振り込んだぜ、ドッヒャー」

割とじっくり考えて打っているのに、福田が側に来てから、彼のツキが落ちたようで、勝負をしては、ドンドン振り込んでいる。


「お前なあ、チョットあっちに行け。お前が来てから、ツキが落ちたぜ。おいや」

勝手な男である。しかし、本音で言うので憎めない。辺りを見渡すと、寮長の奥村もいる。勿論、玉谷義男もいる。その他は、建築科の学生で、川崎、祖来、吉田、西川等もいる。


先程、飯を一緒に食っていた横山隆史は何故かいない。福田は、相棒の横を離れて、今度は同じ学科の同級生である、日向とは別の卓で打っている玉谷の側に付く。


「玉谷君、見ていてもいいかい」

「ああ、福田君かい。勿論いいよ。チョット沈んでいるんや。建築科の川崎と相性が悪いのさ」

川崎は覚えたてのようで、素人目にも打ち方が遅すぎる。玉谷は彼の性格らしく、セカセカと配パイしている。川崎の遅さに苛立っていたのだ。


「ヨッシャー、役満やで。大3元や、川崎のが当たりや。ヤッター」


福田が来てから、玉谷のツキが戻ったらしい。皮肉なものだ。とうとうトップに返り咲いた。玉谷は、上機嫌で余裕を持ちだした。そこで、さっきから気になっていることを聞いてみる。


「玉谷君、さっき飯を食ってた時に、東大から来たという、横山隆史と言う人に会ったよ。スゴイ人だね」

「横山か、アイツは大法螺吹きだから、本気で聞いたらダメだぜ」

「えっ、ほんま」

「そやがな、福田君よ。考えてみろよ、常識はずれも甚だしいだろ。彼と犬猿の仲の、坂本と言う奴が、東大に電話して調べたらしいのだが、そんな男は合格もしていないし、在籍もしていなかったということで、全くの嘘っぱちさ」

「ああ、そうなの。へえー」

配パイをしながら、相手の放銃するパイを見ながら、玉谷は話をしている。マルチな男だ。更に、横山の話が続く。


「その坂本となあ、横山が台所から包丁を持ち出して、ケンカが始まったのだぜ。福田君がこの寮に入ってくる、つい一週間前のことさ。寮長の奥村はんと日向が止めに入って、日向が包丁を奪って、事なきを得たんだよ。あの栃木っぺは、何をするか分からない奴だから、近づくなよな」

それで、彼は、仲間はずれにされているから、一人で飯を食っていたという訳かと福田は理解する。


「ところで、福田君、その横山がなあ、同志社の文学部の女性を集めて、今度の日曜日に、合ハイを企画したと言ってるぜ。皆、半信半疑ながら行くつもりらしいよ。横山の力量を試しにいくという別の目的もあるのさ。僕は別の用があって行けないけどね。どう、福田君も試しに行ってみたら。ワッハッハー」


耳よりの話を、福田は聞く。もう心は決めている。先程、横山にも会って話もしているから、自分が行っても不快には思わないだろうと納得する。そう言えば、食堂の黒板に、そんなことが書いてあったような気もする。


6.合ハイ

そして、その日がやってきた。半信半疑ながらも、騙されているかも知れないが、久し振りの合ハイなので、また待ち遠しく思っていたから、皆の心もときめいている。何せ同志社の文学部の女性達だ。当時は、一番にランクされていた合ハイの相手先だからだ。寮生の殆どには、まだ彼女がいなかったから尚のこと、出会えるであろう女性のことを想像して、皆楽しみに思っている。


今のように、出会いの場が無かった当時は、合同ハイキングと称して、男側のグループの代表者が、女性側のグループの代表者と交渉して、ハイキングに行く場所と日程と大体の人数を、そして待ち合わせ場所を決めるのだ。比叡寮として色々と高望みをしてアレンジするが、大体の場合、断られるケースが多かったという。だから、今回の横山がアレンジしたという、このイベントは希有なことで、皆一同に横山を見直しして、内心では感心している。


「福田君、おいや。お前も今日は行くんだろ」

日向は、半袖の白ワイシャツに紺色地に白水玉という派手な蝶ネクタイをして、珍しく


お洒落をしている。鏡を見てネクタイの角度を直しながら、福田を促す。


「ああ、初めてだけど。行くよ。だけど、どうすればいいのか分からないので、教えて繰れよな」

「おいや、俺の横にいて、見ておれや。いい子がいたら、近づいて声を掛ければええのや。せやけど、こればっかりは、顔だけでなく話してみんとわからんからなあ」

福田はブルー地に白の細いストライプの入った半袖シャツに、鼠色の長ズボン姿。これしか彼の一張羅はないからだ。彼は、女性に話すのが苦手なので、日向に頼ろうと考えていた。


「同志社の文学部というのは、どういうの。それから、誰々が行くのだい」

「京都では、一番人気だぜ。おいや、今日はワシも捜すで。ああ、行く奴か。川崎に、山下、水野、中野、若江、木村やろ、それから、森野、田村、橘に清水、えーと、そうや犬猿の坂本も確かめに行くいうとったなあ。後2人や、誰やったか。なんせ、俺とお前を入れて、確か15名やったぜ。座長の横山は、先に行って待っているようや」

そして、この15名は運命の糸に操られるようにして、約束の待ち合わせ場所である京都駅の西口に市電で到着する。何故か、坂本だけが駅の待合室の方に向けて、我先にと走りながら近づいている。皆が、駅に着いた頃、今回のアレンジを担当した横山が、フラフラと皆の方に近づいて言う。例の笑顔だ。


「チミ達、ご苦労さん。だけど、残念なことが起きたのだよ。相手のリーダーの高田美子ちゃんが現れて来ないので、捜していると、駅の伝言板に、書き置きがしてあるのを見つけたのさ」

蝶ネクタイの日向が、何かを察して、でかい声で言う。

「何が、書いてあったのか、早う言えょ。おいこら横山」

横山は、まだヘラヘラ笑いながら日向に言う。

「じゃあ言うよ、『比叡寮の皆様へ、残念ながら今日は合ハイは中止です』。こう書いてあったんだよ。だから、皆で折角来てくれたのに悪いけど、中止にするからね。それから、僕はチョット用があるので、これで失礼するよ」

それだけ言うと、堂々とした態度で市電の乗り場の方に向かって歩いている。それを見た、日向が怒鳴りつける。彼の蝶ネクタイもぶざまに曲がっている。


「オイコラ、横山。お前逃げるのか。横山、こら待て」

他の者は、呆気にとられて市電に乗り込もうとしている横山を見ている。

すると、先程、先に降りて走っていった坂本が戻ってくる。小柄で細い目をした、元々白い細い顔も、一層青ざめている。


「おかしいと思っていたから、先回りして俺は観察していたんだ。あんなペテン師野郎、見たこと無いよ。あいつが自分で伝言板の黒板に書いているのを見たぜ。俺は確かにあいつが書いているのを見た。間違いはない」

な、何ということか。福田すら、開いた口が塞がらない。ペテンというのはこういうことかと思う。

「おい、坂本よ。お前まで嘘をついているのじゃねえだろうな。おい、その伝言板とか言うのを見に行こうぜ。どうだい皆さんよ」

福田も、相棒の日向の判断を成る程と思い、なかなか此奴は大した男だと、日向の機転の利かせ方に感心する。坂本の案内で、その伝言板まで来て黒板を見た比叡寮生は、坂本の報告に納得する。それは正しく、横山の書いた字だったからだ。彼の、嘘八百に皆が騙されたのだ。一番に気の毒なのは、相棒の日向だ。彼の蝶ネクタイも怒って縦を向いている。彼は、それもはずして、ポケットに入れ舌打ちして言う。


「おいや、あほくさ。もう今日は、焼けマージャンをしようぜ。もう帰ろ帰ろ。福田も帰ろうぜ」

皆もそやそや、と言って市電の乗り場の方に向かう。当時は、市電が通っており、7円でどこまででも行けた。福田は、どうするか迷っていたが、マージャンをする気もしないので、日向に言う。また何故か、残っておらなければならないような気持ちがしていたからだ。


「ちょっと、僕は本屋に寄ってから帰るわ。折角来たし、勿体ないからなあ」

「そうかい、お前はつき合いの悪いやっちゃなあ。ほんなら、そうせえや」

「スマン、スマン。申し訳ない日向君」

そして、連れだって帰っていく寮生達を、福田一人が見送ることになったというのである


後日談であるが、この横山は、「龍山」という号の、皇室御用達の抹茶茶碗の高名な陶芸作家という触れ込みで、造ったのか買ったのかは知らないが、駄作を一品200万円で主に中小企業の経営者に売り捌くという詐欺を働き、週刊誌を賑わす事件を起こした。何と言うことか、当時から、その片鱗が現れていたのである。


7.飛び入りの参加

福田は、田舎から出てきて、京都に来たのが初めてだったから、まだ京都タワーに登ったことがなかった。京都駅の市電の停留所から丁度北側に、白い色のお灯明の様な姿で、高く高くそびえ立っているタワーを、彼は見上げている。時間もあるし、折角来たから登ろうと考えていたのだ。それで、同室の相棒の誘いも断ったと言う訳だ。そして、市電の乗り場から降りて、駅前の大通りに出ようとしていた将にその時、誰かが福田を呼んでいる声に気づく。


「福田くーん。おーい。俺や俺や、玉谷や。福田くーん」

声のする方を見ると、小柄で黒縁の眼鏡を掛けた、あごの先がとがっている玉谷が、青の半袖シャツの手を大きく振って、福田を呼んでいるではないか。玉谷は、八瀬遊園地行きの市電乗り場に立っている。玉谷の横には、福田の知らないいずれも背丈が大きくない3人の男も立っている。比叡山の京都側麓にある八瀬遊園地、行きの市電は、京都駅の最も東側にあったから、寮生とは出合わなかった訳だ。


福田が、駅前の道路をタワーの方に向けて歩いていたから、偶然にも玉谷の目に留まったのだろう。玉谷に近づいた福田は、玉谷の回りに女子学生らしい年の若い女性5人が、かたまりになって立っているのを見つける。直感的に、それが別の合ハイの集まりだと知る。


「玉谷君、どうしたんだい。あれ、君の用というのは、これだったのかい」

「そうなんや。この人が繊維学部の泉君や。僕の池田高校時代の友人なのだよ。彼が、京都女子大学の人との合ハイをアレンジして呉れていて、前々から約束してたんだよ。あと、この人が、繊維学部の、田中さんと、木村さん。こちらが、僕と同じ学科で、比叡寮に入っている福田英二君です。宜しく」

玉谷はそう言って、福田を集まっていた男連中にも紹介する。

「福田君、例の同志社女子大との合ハイは、ダメやったやろ。だから暇なんだろ。俺達の方に来ないかい」

「玉谷君、なんで知ってるんだい」

「そりゃそうさ、横山のアレンジだろ。僕は彼奴を全く信用していないのさ。最初から、絶対に嘘だと思っていたよ。だから、泉君の方に最初から決めていたのさ。どうだい当たったろ。僕が勧めたお詫びや、福田君、こっちに入れや」

「君は、さすが頭がいいねえ。そんな旨い話があるのかいなあ。勿論、僕は参加するよ。泉さん僕も入れて下さいよね。よろしいですか」

泉が言う。

「福田さんでしたっけ。予定していたのに僕の友人で欠員が一人出たのですよ。丁度ね、

相手が5人で当方が4人だから、後一人、男がいた方が、5対5で釣り合いが取れていいですから、是非一緒に参加して下さいよ、福田さん。寧ろ是非ご参加して呉れた方が助かりますよ。お願いしますよ」


こういう偶然の重なり合いで、そして福田は合ハイに飛び入りで参加することになったという。 この女性グループの中に、将来福田の妻となる、荒木優子が偶然にも入っていたというのだ。


これらの偶然を筆者が整理すると、次のようになる。

(1)福田が京都の大学も受験して合格したこと、そして

(2)神戸でなく京都の方を選択したこと、

(3)福田が寮に入っていたこと、

(4)玉谷とも旅館以来の知り合いで、しかも同じ学生寮に入っていたこと、


(5)横山の企画した合ハイに行ったこと、

(6)彼だけが居残って京都タワーを見に行こうとしたこと、

(7)玉谷が泉の企画した合ハイに参加していたこと、

(8)玉谷が偶然にも福田の姿を見つけたこと、

(9)泉のグループに欠員が出ていたこと、そして、

(10)泉の企画した合ハイの日時と、横山が企画したそれの日時が微妙に重なっていたことである。


これらのいずれもの、どの一つが欠けていても、福田が優子に出会えることはなかったのである。鍵の、この10個のピンが丁度ピタッと合わさったのは、彼のまさしく命運である。そう考える以外に、説明が付かないのだ。諸君は、まずこのことを肝に銘じて、覚えておいて呉れ給え。


一方、福田は、改めて集まっていた女性6名を見る。その中に、一人だけ顎が出て西洋人のような風貌をした女性に、一瞬にして心を奪われる。背丈もその中では高い方だったし、目も大きくてぱっちりしていたから、福田の好みに合う。割と目立つ存在の女性であったと、彼は言う。


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