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(BGMは、Celene DionのThink twice.)



(6)人生の小劇場

―「全裸写真投函事件」―


Written By Dengakudan



渋谷の道玄坂を登り切ったところには、目立たない小さな「アクア小劇場」がある。或る土曜日のこと、午後3時キッカリに、「人生の小劇場」の幕が、かすかなウィーンというウインチ・モータの音と共にスルスルと上がり、この劇が始まった。観客席は、半分ほど埋まっている。


1.沢木常務の役員室の場

「中田さん、ちょっと来てくれませんか」

ロイド社では、上下を問わず、従業員の呼称を役職名でなく、さん付けで呼ぶのが慣習。代表取締役常務の沢木健から、秘書を介さずに直接の電話がきた。沢木は、当社の人事担当の役員。彼は、紺の背広に、色んな種類のストライプのネクタイだけをする、キチッとした身なりの人で有名だ。朝の内に片づけなければならない、編集記事の執筆があり、この忙しいときに何を言ってくるのだと腹立たしくもあったが、しかし人事部の偉い人から直接の電話が入ってきたことで、中田純一は妙に胸騒ぎも覚える。そこで、4階の自分の席を即座に立ち、遅いエレベータでなく階段を2段ごとに駆け上り、7階にある沢木の役員室まで急ぐ。ある年の初夏、さわやかな朝日が窓から差す、夏には珍しい、むしろ、ひんやりとしたある日の朝9時のことだ。


今日の沢木は、黄色地に細かな黒のストライプのネクタイ。本人はいいと思っているのだろうが、ネクタイだけが場違いで、少し浮き上がったような感じさえする。幾らか、彼の顔も緊張ぎみのように見える。


「早速ですね、中田さん。どうですか、このネクタイは。やはり会社の業績と同じで、ネクタイの柄も右肩上がりでなくっちゃねえ。ところで、話が混み入っていますので、別室に行きましょうか」


今日も、いつもの講釈から始まる。沢木の別室というのは、役員室の隣にあり、会議室のような小部屋で、会議用のテーブル1台と折り畳み椅子が4脚置いてあり、壁にはホワイトボードが掛けられている。この部屋に入るのは、中田は初めてだが、ここは彼が無理や難題を押しつける時に使う部屋として有名だった。この部屋で、何人もの社員が、降格や異動の宣告を受けたことを、中田は知っている。


『これは、何かあるぞ、何だろうか』と思ったが、中田自身の仕事の上での失敗やトラブル、また中田の耳に入っている、部下の不始末は全く思い当たらない。当時、中田はロイド社で編集部の副部長をしていた。


「金村洋子さんというアルバイトの人は、中田さんの部下でしたね」

唐突に、沢木は切り出す。

「まあ、これを見なさい。彼女の写真です」

大型の茶封筒に入った、割とぶ厚い郵便物を、テーブルの上にポンと沢木は放り出す。その沢木の白い手から青い血管が浮き出ているのが分かる。かなり高揚しているのだろうか。そういえば、沢木の顔も少し上気しているようにも思える。宛名は、人事担当取締役様となっているが、封筒には切手も貼っていないし、差出人の名前はどこにも書かれていない。


「最近ね、私宛のこういうのが多くてね、困っているのですよ。これも、ロイド社ビルの1階の郵便受けに、昨夜の内に、誰かが投げ入れたものでしょうがね」

封筒の中を見るのを躊躇している中田に、緊張感を解きほぐすように、続けて彼は、最近、起こった出来事をゆっくりと話し始める。沢木は、中田が「経営への提言」と題した社内の懸賞論文で、次点の銀賞を取ってからというもの、中田のことを評価している。想像していた、自分自身の不始末に関する事ではなかったから、中田は、正直言って、ほっとする。


「どうぞ、中田さん。遠慮せずに、まずは写真を見てくださいな。それからじゃないと話ができないのですから」


「銀座のこの新しいビルに移ってからというものですね、なんだかんだといってくる手合いが多くってね。ついこの間も、ここの地所の、土地の地権者だとかいう奴が、自分の取り分を、まだ不動産会社から貰っていないから、お前の会社が代わりに立て替え払えをしろとかね。調べたら、単なる強請だったのですが」

「最近業績がいいので、各部署で勝手に採用した、アルバイトの従業員が増えているでしょ。だから、労務問題もチラチラ起こり始めているのですよ。ホントに困っているのです。それで、人事部としても、アルバイターには、色々と神経を使っておりましてね」

沢木は、中田が茶封筒の中味を見ている間も、次々と饒舌に話を続けている。そこには1枚の手紙と、10枚の四つ切りカラー写真が入っている。問題の写真を見た途端、思い掛けない中味だったので、中田はビックリして思わず沢木の顔を見る。沢木もニタニタして、中田と目を合わせる。それは、女性の全裸写真が3枚と、顔の分からない男と絡んでいる淫らな写真が4枚、恍惚とした表情の女性の顔のアップ写真が3枚だ。


そして、「おまえのような淫売には、天誅が加わるのだ、観念しろよ」という文字が、市販の普通の白い便箋に、ボールペンの下手な書体で横書きの手紙が一枚、添えられている。茶封筒にも、手紙にも差出人の名前は、どこにも書いていないが、女性の顔写真を見て、中田には、すぐに金村洋子と分かった。自分の部下だった女性だからだ。


しかし、最近のように、多くのアルバイターが働いている中で、沢木が写真を見ただけで、金村洋子の名前を何故知っているのかと、中田は不思議に思う。


『多分人事部で、この写真を皆で回し見て、この女性の名前を調べたに違いない。ということは、少なくとも人事部の主だった男性社員が、この写真を見たことになる』と推察する。


そして、このような恥ずかしい写真で、晒し者になった部下の金村洋子をいとおしく、哀れにさえ思う。またこの写真が、ロイド社でなく新聞社やテレビ会社、また街中にと不用意にバラ撒かれていたら、スキャンダルのネタとなり、ロイド社のイメージを下げたり、彼女の人権問題になっていたかも知れないと、中田は、改めて事の重大さに緊張する。


「会社の中では、ちょっと見るのが恥ずかしい代物ですね、これは」

「そうだろう。正直に言って、会社でこんなのを見るのは、僕も初めてですよ。若い頃には、ポルノ写真ぐらいは見たことはあるがね。これはスゴイですね、うちの若い連中も興奮していましたよ」


やはり、中田の想像通りに、人事部の皆で見て、名前を調べていたのだ。

「しかし、沢木さんは、大勢のアルバイターが居るのに、その中で金村の名前をよくご存じだったですね」

彼女を庇護したくなって、中田純一は沢木常務に少し皮肉を言う。皆にも見せたと、さっき言ったばかりなのに、それでも沢木はシラを切って自慢げに言う。

「そりゃそうですよ、バイト連中の顔も分からんようじゃ、人事部長はね、務まりませんよ。ワッハッハ。ところで、中田さん、早速、仕事ですよ。金村洋子に出会って、これはどういうことなのか、金村から話を聞きだして、よく調べて呉れませんかね。私が聞くわけにはいきませんから。そして、ことが大きくなったり、騒ぎになったりしないように上手に始末してくれませんかね」

「ああそれから、この10枚の写真は1枚残らず全部を、彼女に返してやってくださいね。中田さん、分かっておられると思いますが、コピーしたり、1枚たりといえども隠匿したり、してはいけませんよ。ワッハッハ」

「えっ、またですか。そんなバカげたことを、何を言われるのですか。する訳がないでしょ」

いつも聞いている、沢木らしい皮肉を、中田は応酬して、最後を締めくくる。

そして、事件はこの日から始まったのだ。


2. 新宿の喫茶店「ジロー」の場

金村洋子は、今はロイド社の新宿営業所に勤務している。編集補助をしている、アルバイター従業員である。仕事が早くて良くでき、ミスも少ない人なので、以前に、社員への登用を打診されたこともあったが、今の身分の方が気楽でいいと、敢えて登用には応じず、現在まで、アルバイターに甘んじている。


この新宿営業所は、営業所長の木村と、宮下という営業社員、その下にアルバイター4名の男性営業マン、編集担当・男性社員の谷、そして編集・アルバイターの金村洋子という、8名で編成されている。ロイド社の拠点編成は、人件費節約のために、少数の社員が、準社員や複数のアルバイターを使って、仕事をするという重層構造になっている。ここ新宿営業所でも、社員は木村所長以下3名だけである。


当時、ロイド社・営業所の営業マンが、そのエリアで販売したものは、その営業拠点に所属する編集マンが編集までを行う、という自己完結型編集拠点の全国展開を、中田純一が提案して推進してきたこともあり、中田は、編集部の副部長として部長の補佐をする本来の業務の他に、この全国12の編集拠点を統括するトップでもある。


当然、全国の編集拠点を巡回して問題解決に当たるのが仕事だから、拠点のスタッフ35名全員の名前と顔は分かっている。ロイド社の今日の発展は、この時に中田が推進した編集拠点の全国展開と、編集の外注化なしにはあり得ない。中田は、現在でもこのことを自負している。


中田が11時過ぎに、金村に電話すると、幸いにもいた。簡単に用件を言って、今から向かう旨を伝えて、地下鉄に乗る。新宿営業所に向かう地下鉄銀座線の座席で、中田純一は考える。


『カバンに入れている、問題のこの写真をどう見せようか。こんな恥ずかしい写真を、直接に彼女に見せるのも、僕の品性が疑われる。まして彼女の立場になれば、なおさらイヤで恥ずかしいだろう。加えて、他人には絶対に見せられない。写真を彼女に見せているときに、他人が来れば、なお一層具合が悪い。やはり写真は見せずに、話だけして後から写真を渡そうか。さて、どうするのがいいのか・・・・・・』

と色々思案をしてはみたが、堂々巡りをするだけで、良い答は出ない。


沢木常務から、特別に指示を受けたその日の昼前に、拙速にも、中田は、新宿営業所に到着する。木村所長には知られてはまずいと、所長に挨拶もせずに、すぐに金村洋子のいるフロアーに入り、彼女と出会う。編集部署の他の者は全員が出かけていて、幸いにも彼女だけが、一人でいた。同じフロアーにある、編集係専用の小さな会議室に、金村と一緒に入り、中田から話を切り出す。


彼女が本社の編集部に在籍していたころから、中田は金村洋子をよく知っていた。男が一目、彼女を見たら忘れられない程の、コケティッシュな顔立ちと、腰を少し振り気味に歩く、肉付きの形の良い上がったヒップ、足の細い腱が締まった後ろ姿は、今も健在だ。夏だからと、髪の毛をショートにしているので、今日の金村の首筋は、さわやかで理知的にさえ見える。

「金村さんは、お元気そうですね。どうですか、新宿拠点の編集の仕事は。順調に進んでいますか」

「通勤に少し時間が掛かるようになったのが辛いですが、この営業所の所長さんをはじめ、皆さんが親切にして頂けますので、居心地はいいですわ。ですから、仕事も順調ですし、特別難しいトラブルもありません。スムーズですわ」

「そう、それはよかったですね。なによりです」

「中田さんもお元気そうで、わたくしも嬉しいですわ。ロイド社の次期役員さんになられるのも、もうすぐかもしれませんね。お顔を拝見して安心しましたわ」

中田を随分と持ち上げ、媚びた言い方をする。

『他の拠点に異動にでもされたら困るから、とでも思っているのかもしれない。この人は、相変わらずだなあ』

その心情を、中田は哀れに思う。

「ところで今日は、何かお話があるのでしようか」

「そうなのです。ちょっと金村さんの個人的なことなので、今から、外で食事でもしながらお話がしたいのですが。この近くで、うちの社員や余り人の来ないところで、食事のできる、静かな場所をご存知ありませんか」

「少し、遠くてもいいですか」

「その方が返っていいです。僕は営業所のビルの外で、待っていますからね」

そう言って先に出て、中田は、営業所の下で金村を待つ。夏の太陽がいよいよガンガンに照りつけ、脳天がクラクラする感じだ。クーラーの効いた部屋から出たので、余計に日差しが強く感じられる。


彼女は、すぐ出てきた。鮮やかなオレンジ色の地に白の水玉模様が入った、薄い生地のノースリーブ。白のミニスカートから、すらりと伸びた形のいい白い足。そして、中田に寄り添うようにして並んで歩く。ココ・シャネルのパフュームが、開放的な気分にさせ、仕事中であることをさえ忘れさせるほど心地いい。道路沿いの並木の茂った銀杏が、辺りの空気さえ青々と照らす。二人の濃くて短い陰が、離れず後を追いかけてくる。


「こんな店でもいいですか」

そこは、ロイド社の新宿営業所から四つ目の筋の角を左に入ったところにある、目立たない「ジロー」という名前の小さな喫茶店だ。葉の大きな斑入りのアイビーが、形良く、店の白い外壁を伝い、ファサードのアクセントとしている。

「人が余り来ない方が、寧ろ良いです。何にしますか、ランチでいいですか」

「ええ、それと先に、コーラが欲しいですわ。ところで、今日のお話は、何かしら」

「ああ、僕も同じで良いです。それから、話のことなのですが」

テーブルの対面には、潤んだ大きな目をした、熟れて整った金村洋子の顔が間近にある。少し緊張で青ざめている。日本人の目の虹彩は、薄茶、濃い茶、濃い鼠色、黒の4種類に大別できるが、間近で見る彼女の目の色は、なぜか薄い鼠色をしている。光の加減で、薄い、薄い緑色にも見える。ロシアが少し入っているのかもしれない。鼻も高くて細い、色白だ。その本人を目の前にして、中田は、とても自分の口からは、写真の説明ができない。そこで、言う。


「まずは、これを見て呉れませんか」

地下鉄での段取りを変更し、沢木からされたのを真似て、封筒ごと彼女に渡す。

「なにこれっ、嘘。えぇっ・・・・・・」

みるみる金村の顔はゆがみ、そして眉毛の上を寄せる。怒りで顔色も青くなるが、次いで恥ずかしさの為か、悲しそうな面相となる。哀れにも赤面して、赤いルージュの口元も半ば開き気味だ。可哀想なことをしてしまったと、中田もヒドク狼狽する。


「恥ずかしいわ、よりによってこんな写真を。何を考えているのかしら。キッとあいつの仕業だわ。もう絶対に許さない。あのう、中田さんも勿論これを見られたのでしょ」

キッと中田の目を見据えて、訴えるように彼女は言う。

「あなたには、本当に済まないとは思いますが、お役目で私も拝見しました。そこにあるのが、会社の郵便受けに投函されていた写真の全てです。但し、今回の事件が解決するまでは、その内のどれか1枚の写真と、手紙だけは、念の為にもう一度、私が預かります。それ以外の写真は、全部、お返ししますので、バッグにおしまいください」

「副部長以外に、誰と誰がこの写真を見ましたの」

くぐもった低い声でそう言って、彼女は写真を見た人の名を聞く。

俯いたままで、写真を1枚1枚ゆっくりと見ながら選ぶ。そして、自分の顔が大きく写っている、写真の中でも割と差し障りのない1枚を選び出し、手紙と共に、中田に差し出す。残りの写真は、バッグの奥の方に仕舞い込む。中田も、預かった写真と手紙を、持ってきた封筒に入れ、自分のカバンにある、チャック付きのケースに大切に仕舞い込む。


人事部が見たであろうことは隠して、咄嗟に中田は嘘をつき、彼女に答える。

「人事の沢木さんからは、君にだけは見せますが、と言って直接に預かりました。他には見た人はいないと思いますが」

彼女はゆっくり頷く。

「ところで、金村さんはこれを撮影して、投函した人が誰かご存知の筈ですよね。先程、あいつだわ、といわれた人はどこの誰ですか。その人の名前を、私にだけ、教えて頂けませんか」

みるみる彼女の目から、涙があふれ出る。両手で顔をおおって、下を向き、ヒックヒックいいながらすすり泣きがしばらく続く。バッグからも白いハンカチを取り出し、涙をぬぐう。

兎も角にも、そのまま、そっとしておいてやるのが一番だと思い。中田は、注文しておいたコーラをゆっくり一口、二口と分けて飲む。その度に、傾いたコーラの氷がジャラジャラとコップの中で鳴る。やっと落ち着いたのか、金村は、泣き終わって少し経ってから、素早く手鏡を出し化粧を直し、気持ちを静めるように、ぽつり、ぽつり話し始める。

頼んでおいた、ランチが運ばれてきて、テーブルの上に並べられる。


「すみませんでした、取り乱しまして。親にも見せたことのない私の恥ずかしい写真を、しかも会社の上司の中田さんに見られてホントに辛いですわ・・・・。とても悲しいです。他の人達に吹聴するようなことは、絶対にしないでくださいね。私達だけの秘密にしておいて欲しいわ。ですから、中田さんはもう許してあげます。仕方がありませんもの。だけど、沢木は絶対に許せないわ。沢木にも、話を絶対に広めないようにと、念を押してくださいな」

彼女は、自分の秘密の姿を、中田に暴露したことで殻を脱ぎ、妙に馴れ馴れしく話し始める。泣いた後は、目と唇が濡れ、また一段と男心をそそる表情に変化している。姿態も前より一層クネクネしているように感じられる。彼女も、ランチはそのままにして、手を付けずに、コーラだけを一口飲んで、中田の質問に答えはじめた。


「撮影したのは、ルビーネット社の東京営業所に勤めている、島村達雄という人ですわ。間違いありません。だから、投函したのも、キット彼だと思います。島村しか、考えられません」

「ルビーネット社と言うのは、人工宝石で有名な、親会社があの近畿商会の。へえー、分からないものですね」

中田は、聞き直したが、正直言って当社の社員でなく、また中田の管轄内の編集部の従業員でなくて、本当に良かったと、胸をなで下ろす。中田の責任範囲外の、社外のその島村という奴は、一体どういう神経をしている人間なのかと、怒りをすら覚える。


「そうよ、本社の編集部時代だわ。私達は暫く同棲していたのよ。中田さんは、知らなかったと思うわ。だって、私達の秘密だったのだから。その時、島村が撮った写真に間違いないわ。あの最中に、カメラを三脚に固定して、自動シャッターで撮影したのよ。あの人は、アレと写真が本当に大好きで、その最中でも、いつもこんなのを撮るのよ。イヤだからもうやめてよ、と何回も頼んだのだけれども、結局止めてくれなかったわ」

「そんな彼がイヤで、イヤでたまらなかったの。結局、この新宿営業所に来る前に別れたわ。でも彼の京都の島村の実家は、大変な大金持なのよ。こんな私でも、彼は私のことを心から愛してくれたのよ。ああ、すっかり昔のことを思い出してしまったわ。いやだわねえー。ごめんなさい」

男との関係を、金村洋子はあからさまに喋り終え、少し上気している。言葉つきや見かけでは、全く分からないが、彼女は在日だ。


少し落ち着いたのか、ランチのエビフライとレタスを少しずつ口に運びながら、金村洋子は話を続ける。フォークに乗った白いライスが、真っ赤なルージュに一層白く光って見える。中田も、空腹に耐え切れず、ランチを食べ始める。

「それから中田さん、お願いがあるの。是非、聞いて頂きたいの、いい。それはね、もう決して、今後一切、私のことを追い回わさないようにと、島村に約束してきて欲しいのよ。それから、この写真のネガと、残りのプリントを一切合切、島村から取り返してきて欲しいの。お願いしていいかしら」

「分かりました。もちろんいいですよ。そうしてあげましょう。それからまた、先程お預かりした写真と手紙は、全てが判明した段階で、あなたにお返ししますからね」

「はい、分かりました。でも、手紙はもう必要ありませんから。燃やしておいて下すって結構ですわ」


編集拠点がまだない頃、彼女も中田と同じ本社の編集部に在籍していた。その後、中田が提起した編集拠点の推進で、本社の編集部から全国の編集拠点に向けて仲間が散っていった。彼女も同じようにして、新宿の編集拠点へと異動になり、いわば中田の興した編集業務改革の犠牲者の一人でもあったのだ。だから、彼女に何か借りがあるような気がして、彼女の願いを叶えてやることは、しごく当然のこととして、中田は受け止めた。


3. ロイド本社・編集部の場

営業マンの売ってきた広告企画の記事を編集するのが、彼等、中田達部員の任務である。担当媒体も多岐に渡り、時期によって媒体の種類も異なり、顧客も全国に散らばり、それは、それは大変に緊張と労苦を強いられる、ものすごい量の業務だ。


1日が、ほぼ真夜中近くにならないと終わらないほどに、毎日が多忙。銀座にあるビルのフロアーから、室内の光が夜の外に漏れ出ないようにと、シャッターカーテンを閉めて仕事をするのさえ、彼等の日常である。そんな中、アルバイターの金村洋子も社員と同じように、夜遅くまで一緒になって働いてくれた。社員45名、アルバイター23名が、編集部員の数。仕事で遅くなったときは、その労を慰める為にと、新橋駅近くの安い飲み屋へ一緒に繰りだし、上司の奢りで飲食するのが習慣となっていた。


長時間勤務で、しかも女性にも深夜労働をさせていたことで労使問題が起こるのを、中田達、管理職のポケットマネーで防いでいたのだ。ロイド社にあって、アルバイターからの造反がおこれば、致命的なダメージを受けるという危うさの上に会社経営は成り立っていた。だから、特に女子のアルバイターの動向には、彼等は注意していた。バカな話しだが、中田の小遣い10万円の大半は、これに費やされていたのだ。


もっとも、深夜近くまで残業すれば、彼女たちの給与は、基本給のほぼ倍額となり、キツイ大変な仕事だが、社会一般の女子従業員の給与額の倍は貰うことになるので、給与の額は大変に多くなる。彼女達はそれだけを満足にして、働いていた。また、上司も部下もアルバイターも皆一緒になって遅くまで、皆キズをなめ合うようにして懸命に頑張っているから、組織開発の専門用語でいうところの、組織の通意性と共感性が高くて、従って上司からの要望性も良好な職場であった。


しかし、中田は、このような勤務の状態はむしろ異常であり、普通の企業のように正常に戻すべく、内部編集を少なくして、外注による編集、いわゆる外制化をより促進させよう、更には全国にも編集拠点を展開しようではないかと、経営幹部に前述の提言をしていたのだ。


ただ一つの問題点は、半数が女性で、皆若く、深夜残業してもまだまだ精力があり余っており、為に男女問題がたびたび起こることだった。殆どの者が、社内或いは社外に、自分の恋人を持っていた。上手にやる者が大半だったが、時たま女性を妊娠させたり、同棲がバレたりすることがあった。


管理職は、こういうことを未然に察知して防いだり、また本人達を合意させ、無事に結婚させたりして、上手に対処することも、もう一つの大事な任務だった。しかし、金村が島村と同棲していたのは、彼女の言う通り、中田も全く知らない話だった。


それでも、ある時、金村洋子のことについて編集部の部員から思わぬ話を聞いたことがある。社内のレクレーションで、彼女の運転する車に、偶然に同乗することになった印刷担当の若いF君が、中田にだけそっと教えてくれたことがある。


「金村さんはねー、車を運転すると、普段の人格が変わるのです。豹変されるのですよ。ホントですよ」

「えっ、どういうこと」

「運転している自分の車の前にですね、よくあるように、他人の車が前を走っているとしますよね。すると金村さんは。さっさっと走れよ、テメエー、モタモタするんじゃねーよ。見てなよ、追い越してやるぜ。とか、車の中で、大声で早口に叫んで、形相も変わり、アクセルを目一杯ギューッと踏んで加速し、えらく速いスピードで、その前の車を追い抜くのですよ。こっちは、怖くてね、ヒヤヒヤものでした」

「へえっー、そう。ヤンキーに豹変するのだ」

中田は信じられないでいた。しなしなと歩くあの優雅で大人しそうな人が。西洋人のように姿勢が良く、品のいい身ごなしで、スタイルの良い彼女を見ている限りでは、全く解せないことだ。そんな下品なことを言うとは、想像も付かない。この時から、金村の挙動を特別に注意するようになったが、職場に親しい女性がいること以外に、別段、知り得ることはなかった。


女性のアルバイターでも、男より大胆なことをしでかす者もいた。四国出身の敷居とかいう妙な名字の女性に、ある課の課長が経理事務一切を任せていた。この課長は、英語がペラペラで豪放な気性のせいか、ものごとを「いいじゃねぇか」と全部任せて殆どチェックをしないという人だった。


彼女は、彼のクセを熟知してからというもの、請求書に添付する納品書を必ずコピーしておいて、後日に架空の請求書を作り、それにコピーした納品書を少しずつ添付して、金を自分の口座に振り込ませるという手口で、3年間に何と2,500万円もの金を横領した、ということ等だ。


膨大な量の納品書だったから、一度使ったものかどうかの見分けが経理部でも確認できなかったし、またコピーした納品書でも当時は認められていたからだ。しかし、金村洋子の男関係やまして男と同棲していること等については、中田は全く知る由もなかった。


4. ルビーネット社への電話の場

金村に会った翌日に、金村洋子から聞いたルビーネット社の、電話番号を電話局で調べて知り、中田は島村達雄に早速、電話する。


しかし、そのときは、島村もその上司も生憎、営業で外出中だったので、営業所長の名を聞き出す。ルビーネット社・東京営業所の所長の名は、北村修三といった。北村所長は、中田が掛けた電話に出て、横柄にこうだ。

「ロイド社の何処の誰様だか知らないが、当社の島村君に何の用なのだ。キチッと筋の通った話の内容で、用件をいわないと島村君を君に会わせる訳にはいかないよ、君。よく、考えたまえ、こんなことは常識だろうが」

ロイド社は、世間の認知度がまだまだ低かった。無理もない話だ。

「それなら申しますが、お宅の部下の島村達雄さんという人が、私の部下の女性を恥ずかしめたので、その理由を聞きたいのと、もう二度と、してくれるなと、話がしたいのです。それで、島村さんに直接お目にかかりたいのです」

中田は、差し障りがあってはと、写真のことは詳しく言わずにぼかして言う。

「部下の女性を恥ずかしめた。なんのことだいそれは。先程も言ったように、話を詳しく具体的に言ってもらわなくっちゃ、理解できないよ、君」

「その女性のプライバシーに拘わることですから、島村さん以外の人には、詳しくは話せませんが」

「なに、詳しくは話せないって、それならこちらも、島村君を君に会わせるわけにはいかないよ」

しつこく彼も食い下がり、不味いことに、とうとう捕まってしまった。仕方がないので、営業所長だという北村の役職を信じて、他言を絶対にしないと約束もさせて、例の一件をかいつまんで話した。金村洋子の恥ずかしい写真が投函されたこと、これは島村がしたことに違いがないから、彼に反省してほしいこと、問題の写真のネガも全部返して欲しいこと、またこれ以上、彼女をつけ回すのをやめて欲しいこと、という金村本人の意向を北村所長に伝えた。

「君、それは本当のことだな、間違いないな。で、いつのことなんだ、それは」

「昨日です、それは当社ビルの郵便受けに投函されていました。全部で丁度10枚、それは入っていましたが」

なぜか、鬼の首でも取ったような、半ば喜々としたダミ声の口調で、北村は確認する。

「そういうことなら君、島村君は、明日は会社にいるから、朝一番で彼に電話したまえ。私の方からも、島村君に話しておいてやるからな」

中田は、狡猾な奴に捕まって、余計なことを言ってしまったと反省したが、もうどうしようもない。この時は、これが、後々、大事件の引き金となるとは、想像だにしなかった。


ルビーネットという人工宝石は、近畿商会が本業の副産物として開発に成功した製品で、当時は丁度、その販売の為にとルビーネット社という販売会社を設立し、全国に営業拠点の展開を始めたばかりの頃だ。中田の知る噂では、近畿商会で使いものにならない連中を集めて、ルビーネット社に出向させ、出向社員だけで販売拠点を組織したとのことであった。道理で、あの北村所長ありきと思う。


北村所長にいわれた通り、翌日の早朝、島村達雄に電話して、更にその次の日の午後3時に出会いたい旨を伝える。また、相手が分かるようにとルビーネット社の会社の大きな封筒を目印に持ってきて貰いたいこと、そして問題の写真のネガと残りのプリント写真を全部、必ず持ってきて欲しいことを要求して、念を押す。北村所長から、事前に本人に話がしてあったのか、観念したかのように、島村達雄は当方の要求をのみ、素直に約束に応じて呉れる。正直いって、もうこれで、事件解決の見通しは明るくなったと、中田は楽観する。


5. 池袋「ラメール」の場

島村が指定した、その喫茶店「ラメール」は池袋の駅前にある有名な大きな店だ。この付近に取材にいった帰りに、中田もよく利用していたので、「ラメール」の場所は知っている。少し早すぎるかなとは思ったが、10分程前に店に入ると、ルビーネット社の茶封筒を持った男が二人、もう既に、入り口のドアの方を向いた、目立つテーブルに、並んで席に座り待っている。若い方が島村か、もう一人の方は誰なのだろうか。


「お待たせ致しました、私がロイド社の中田です。そちら様は、ルビーネット社の島村達雄さんですね。お越しいただいて大変恐縮です」


そういって名刺を交換する。中田が、名刺を見ると、年齢が34、5歳の若い者が、やはり島村達雄だ。40歳過ぎの方は、営業課長の佐藤良樹となっている。


『北村所長の下の課長で、島村達雄の上司に当たる男だな。北村所長に言われて、2人連れで来たのか、敵は』

こう中田は推測する。

問題の佐藤が言う。

「上司の北村所長はんからも中田副部長に宜しくといって、名刺を預かってきましたんや。これですわ、どうぞ」

といって、佐藤が北村修三の名刺を差し出す。名刺には、ボールペンで、「何卒、穏便に治めてくださるようお願いします」と書いてある。彼の自筆か、「る」の字が「3」の字に、「だ」の字中の「こ」が「て」になって見える、妙にクセのある字で、書かれている。


「中田副部長はん、えらいことをしてくれはりましたなあ」

ひどい関西弁なまりの佐藤が先に口火を切る。

『何を言っているのだろうか。えらいことをしでかしたのは島村のほうだろうが、寝ぼけた野郎だな、こいつは、でも何のことだろうか』

中田は、まず聞こうと思う。


「中田はん、島村達雄さんはですなあ。親会社の近畿商会の次期社長との呼び声の高いあの島村常務さんの大切な一人息子さん、なんですわ。その島村常務さんに今回の全裸写真投函事件の一件が、全部バレてしまったんでっせ。あんたが、北村所長に、あんなことをペラペラ喋るから、あんたが話した内容が全部、所長の口から島村常務はんの耳に入ってしもた、という訳ですわ。どないして呉れはりますねん」

そう言うことか。それでどうなのだと、中田は思う。

「しかし、お言葉を返すようですが、えらいことをしでかしたのは、島村達雄さんの方でしょ。その為に、今日は来てもらったのですから。お宅は、何を言っているのですか」

中田は反論する。

「それは、仰る通りですわ。達雄さんも、自分が撮影して送った写真や、と言うておられます。それから大変に、反省もされて居られます」

島村本人でなく佐藤良樹が説明する。しかも、部下の島村達雄に対して敬語を使っている。間接話法で、話が変なぐあいだと、中田は思う。そこで、島村から直接に話が聞きたいので、中田は、島村の方を向いて、金村から預かった写真1枚と手紙を、彼に直接見せて聞く。


「島村達雄さん、この写真と手紙が、投函されていたものです。写真は、本人のプライバシィーを保護する為に、残りの9枚はお見せできませんが、手紙は、本物です。先程、佐藤さんが、言われたように、貴方がした事なのですね。ご確認ください。何故、こんな馬鹿なことをしたのですか、まず、正直にその間の顛末をご説明いただけませんか」

「ぼ僕と、」

緊張の余りか、青ざめた顔で少しずつ、彼は話し始める。

「金村洋子とは、2年間、僕の杉並の4DKのマンションで同棲していました。女房と離婚してスグに、新宿のパブで洋子と知り合ったのです。僕はポルシェのシルバー・メタリックのスポーツクーペに乗っていましたから、車好きの洋子は、すぐに僕のものになりました。それからのことです。洋子とのことは」

「そういうことですか。なるほど、で、それで」

「つい最近までは、洋子とはホントに楽しい日々で、結婚もしたいねと、お互いそう思っていました。そんな期間です、あの写真を撮ったのは。洋子とも合意の上で、自動シャッターで撮影したものです。彼女もアレが好きで、写真を撮られると返って興奮するからといって結構、撮られるのを喜んでいたのですよ。ところが、彼女がロイドの新宿勤務になった頃から、彼女の態度が微妙に変化してきたのです。本当ですよ。僕は、きっと男ができたのに違いないと、睨んでいたのですがね。もっとも、そのキッカケとなることが別にありましたが。これについては、後で話します」

「ところで、貴方の前の奥さんとの間に、お子さんはおられないのですか」 中田も聞いてみる。

「はい2歳の男の子が1人おりまして、京都の実家の母がこの子の面倒を見て呉れています。島村家の跡取り息子ですから、大事に、大事に育てられていますよ、あの子は。でも母は、洋子との結婚は、絶対に許して呉れませんでした。島村家は、京都の旧家なのです。中田さん、金村という姓ですから、解るでしょ。金村と一緒になりたいのなら、籍を抜いて出ていけ、と父にもいわれました。しかし、僕は、今の生活レベルからは抜けられません」

『親の考えも古いし、こいつも、根っからのお坊っちゃま、なんだ』

と、中田が思う。

「僕とはもう、結婚ができないと分かると、洋子は、とうとう僕の杉並のマンションから出て行ってしまったのです。これがきっかけです。でも、洋子の住んでいた板橋のマンションの前で、とうとう洋子を見つけ出し、僕は土下座して、縒りを戻してくれ、そして僕のところに帰ってきてくれと頼んだのです」

「だけど、洋子は腕を胸の前で組んだままで、ペッと唾を僕に吐きつけ、自分の地を晒け出して、可愛い顔に似合わぬ柄の悪い言葉付きで、こういうのです。『ブタ野郎、オメーエなんかに、もう関わり合いになりたくも、ネエーんだよ。もう、帰れよ、オメーエなんかよりも、ずっといい男と、今は一緒なんだぜ。もうお前のアホ面を見るのも沢山だよ』と。そして、土下座している僕の頭をハイヒールの靴の先でググッと踏み付けたのですよ」

これ以上の侮蔑はないと、中田も思った。

「それで、僕は頭に血が上り、いずれは、この写真を世間にもばら撒いてやるぞという意味をこめて、先ず彼女に仕返しをしてやろうと思って、衝動的に手紙と一緒に、この写真を彼女のマンションに郵送したのです。他にも、まだ写真はたくさん持っていましたし、ネガも持っていますから、1月単位にして、2回目、3回目とに分けて送りつけて、嫌がらせをしてやろうと考えたのです。これは、10日前に私が、板橋3丁目の彼女のマンションに郵送したものに、間違いないです。写真も、手紙も、その時のものです」


中田は自分の耳を疑った。彼は、10日前に、これを金村の自宅に郵送したと言っている。どうなっているのだ。金村は、そんなことは、一言も言わなかった筈だが。

「えっ、何を言っているのですか。これは、当社の会社の一階にある、郵便受けに入っていたものですよ、しかも、一昨日の朝です。今、金村のマンションに10日前に郵送したと言われましたが、それは本当のことですか。もう一度、手紙と写真をよく確認してください」

「よく覚えていないので、手紙がちょっと違うような気もしますが、写真はその時、金村の自宅に、10日前に投函したものに、間違いはないです。でも、北村所長からは、投函されていた写真とだけ聞いて、ロイド社の郵便受けだったとは一言も聞いていませんでしたが。私は、てっきり金村の自宅に送った、この写真のことだと思っていました。すると、誰かが、この写真と手紙を金村の家から持ち出して、おたくの会社の郵便受けに投函したということになりますね。金村洋子がそんなバカなことをする訳がないし、誰でしょうかね。いずれにしても、僕は、おたくの会社には、投函はしていません。撮影はしましたが。これは、断言します」

『何を言い出すのだ、この男は。郵送したのが金村の自宅だったと、先に結論を言えよ』

と、中田は頭が爆発しそうになる。

再び島村は、先程の話をくどくど、話し続ける。


「北村所長からは、君の撮影した写真が投函されていたとだけ聞いたので、てっきり金村の自宅に投函した、このことだとばかりに、僕は理解していました。すると、投函した犯人が別にいるということではないですか。中田副部長さん、ロイド社の郵便受けに投函した犯人は、別途に探していただくとして、この手紙と写真は、僕が金村に出したものに間違いはありませんので、いずれにしても、今回の事件の大半は、僕に原因があると思います。そして、今では大変に反省しています。北村所長に電話で、中田副部長さんが言われました様に、今後、金村洋子に会わないし、付きまとうことも、報復することも一切いたしません。中田副部長に誓います。僕でも、男の約束がどういうものか位は、自分でも分かっていますから。はい、このネガも、残りの写真も全部をお返しします。洋子に返してやってください。でも、ロイド社に投函した犯人は絶対に見付けて下さいね。でないと、僕も納得がいきません」

『そう、これでいいのだ。お坊ちゃまの言質も取ったし、ネガも写真も全部を回収できた』

中田は、小躍りする思いだ。

『しかし、誰だろうか、投函したのは』

すると今度は、連れの佐藤がまた、しつこく話し始めたではないか。

「中田はん、昨日の夕方ですわ、島村常務はんから、私に直に電話があったんですわ。私は、常務はんから、えらく怒られたんでっせ。あんたが、北村所長はんに余計なことを喋ったばっかしに。所長はんに言う前に、なんで先に私に、直接に話して呉れはりまへんでしたんや。わては、近畿商会から、この営業所に出向するときに、島村常務はんから直々に、この人の行動をキチッと管理をしなはれやと、言われてたんでっせ。せやから、今度の事件で、私が、その責任を今、問われてるんですわ。それからでんな、えげつないこの写真投函の話も、親会社の近畿商会幹部の主だった連中のところにも、全部伝わってしもたんですわ。せやから、次期社長の呼び声の高い島村常務はんも、立場がおへん。もうえらい騒ぎで、大変なことになっているのですわ。あんたが、所長に言い付けたせいでっせ。

せやから、私は、立場がおへんのどす。どないしてくれはりますねん。中田はん」

彼は、京都風の関西弁で、えらく興奮して捲し立てる。

「そんなことは、お宅の社内の問題でしょうが。北村所長が、詳しく言わないと島村さんに会わせないと言われるから、話したまでです。故意に、悪口を言い付けた訳ではありませんよ。何よりも、今回の事の原因は、ここにいる島村達雄という人が作ったことです。何を言っているのですか、お宅のいわれることは、本末転倒じゃないですか。それから、島村さん、先程の写真と、手紙はもう返しください」

中田もこう反論して、佐藤との論争を避け、写真と手紙を取り返し、今日の話し合いをひとまず終結とする。


6. 新宿「ミラノ」の場

週が開けた月曜日から、中田には、仙台営業所へ出張の予定が、前々から入っていたので、結局その週の金曜日夕方になったが、金村洋子に出会うことになる。金村に、電話で事前に約束しておいたから、前回に出会った喫茶店「ジロー」で彼女は、中田を待っている。


今日は、薔薇の花柄の、絹のような薄地のワンピース。少し華やかな雰囲気だ。真夏なのに、午前中にひと雨があったせいか、辺りの空気はヒンヤリとして、清々しい。並木の銀杏だろうか、植物の葉の香りが、辺り一面に漂っている。


ルビーネット社の島村達雄に会ったこと、しかも2人連れであったこと、そして彼が深く反省していること、金村を付け廻さないとの男の約束を取り付けたこと、一番大事な写真のネガと残りのプリント写真全部を回収したこと、等を中田は、掻い摘まんで話す。そして、封筒に入れておいた、取り返した写真のネガとプリントを全て彼女に返す。これで、全てが終わった。中田は、爽やかな開放感に満たされる。彼女もそうだろう、きっと。しかし、大事な確認作業がある。


「金村さん、実は島村さんが言うには、この写真と手紙は、元々は貴女の住んでおられるマンションのご自宅宛に郵送したもので、当社の郵便受けには投函していない、と言うのです。それは本当ですか」

「ええっ。こんなものを、私は受け取ってはいませんし、見たこともありませんが、どういうことかしら。まさか、私が会社に投函したとでも、思ってらっしゃるのでは。そんな恥ずかしいことを、私がするものですか。冗談じゃありませんわよ」

「しかし、変ですねえ。何か心当たりはありませんか」

「大体、こんな恥ずかしい写真が、私の処に送られてきたら、直ぐに燃やすか破るかして、人様に見られない様に処分しますわよ。会社に投函する訳がないでしょ。しかし、変だわ」

と、声を荒げつつも、金村は、何か心当たりがあるような表情を見せる。

「何か、思い出されましたら、何時でもいいですから、また話を聞かせて下さいね。それから、お預かりしている、この手紙と写真は、投函した犯人を見つけるまで、暫く、このまま貸して下さいね。少し、私も調べたい事があります」

こう言って、中田は、この詮索にひとまず時間を置こうと考える。


「それにしても、色々とありがとうございました。中田さんのおかげで、私は本当に救われましたわ。心から、感謝しておりますわ。ありがとうございました」

そう言って、立って礼を述べてから深々と、金村は中田に頭を下げる。そして、椅子に座りネガと写真を大切そうにハンドバッグの奥に仕舞う。その後は、安心したのか、砕けた雰囲気で、島村との関係を正直に話し始める。


「島村は、私との結婚が両親の反対でダメになったことも、中田さんに話したのでしょ。意気地のない、男なのよ。まるでファザコンなの、あの人は。親父が近畿商会の常務さんだから親が立派すぎて、そうなるのかもしれないけれどもね。もし私が、逆の立場だったら、上手に親を説得して、私達の子供も作ってから前の奥さんとの子を追い出して、立場も財産も両方共、手に入れるのに、本当にバカだわ。それからだわ、もうこんな女の腐ったような男をあてにしてもダメだと、私の方から引導を渡してやったのよ」

女性は強い、取り分けこの人は、世間ズレして、揉まれているだけに強い。

「しかし、彼は、金村さんに、新宿に行ってからいい男ができたとも、言っていましたが、そうなのでしょ」

中田は、少し突っ込んでみる。

「まあ、いやだわ、そんなことまで、私の片想いの人なのよ。それより、あの時のいやらしい話とか、私の恥ずかしい話は、島村はしなかったでしょうね」

「それはなかったですが、洋子さんは怖い人だというようなことを、チラッと聞きましたが」

中田は、土下座の話とか、唾を吐きかけられたとか、聞いた話はしないでおこうと考える。

「でも、島村はお喋りだから、きっと何から何まで、あなたに話したと思うわ。腹に収めて下すっているのでしょ。キットそうだわ、中田さんって優しい人なのね、素敵だわ。ますます好きになったわ、どうしようかしら私」

お世辞を言って、金村はワンピースのスカートをフワッと直し、急にソワソワしだす。


「ねえ、中田さん。それより、私は今まで通り、ここロイド社の新宿に置いていただけるのでしょ」

「勿論ですとも、むしろ、あなたは被害者じゃないですか。どうして辞めたり、異動したりしなければならないのですか。そんなことは絶対にありませんよ。そんなことは、私がさせません。断言します」

「まあ良かったわ、本当に嬉しいわ。ありがとうございます、中田さん・・・・。私は、今日はもう会社に戻らなくてもいいように、直帰にしてあるのよ。あなたもいいのでしょ」

「ええ、いいですとも。今日は金曜日 ですし」

「まあ良かったわ。じゃ、この近くに私の知っているパブがあるの。そこに、ご一緒して下さらない。今回のことで随分とお世話になったこともあるし、是非ともご恩返しがしたいの。それと、厄払いもしたいですしね。分かって下さる」

「時間も、いい頃だし。じゃあ、そうしましょうか」

今日は、彼女の言いなりになってやろうと、中田は腹を決める。


「ミラノ」という名の、黒と白を基調にした配色で、ガラスと鏡をたくさんインテリアに使った、カジノ・バア風のそのパブで、背の高い黒のパイプ椅子に、二人は並んで座っている。ニューヨーク・ポップスのアップ・テンポな音楽が薄暗い空間にリズミカルに流れている。蘭の花のような高貴な甘い香りが、辺りの空間にかすかに漂っている。金村洋子は相当、こういう場所に場慣れした手慣れた仕草で、酒をオーダーしたり、マスターと会話したりしている。また、酒にも強い。空きっ腹に、好きなバーボンの水割りを7、8杯もお代わりしたので、中田も、かなり酔ってきている。横に並んでパイプ椅子に座っている彼女のワンピースから、形の良い胸のふくらみがよく分かる。彼女の強いココ・シャネルの香水が彼女の体臭とともに、蒸れるようにして中田を挑発し、誘惑する。


『上司という立場を考えようぜ』

と自分に言い聞かせてはみるが、

『誘惑に克つ自信がなくなりそうだ。彼女もそのつもりで僕を誘ったのだろうし、断るのも失礼かもしれないぞ』

と、自分勝手な論理が、頭をもたげてくる。すると突然に、彼女の方から、中田の左肩に、しなだれ掛かってくるではないか。見ると、金村の目は、焦点が合わなくなっており、少し釣り上がった目つきに、表情も変わっている。中田は、彼女の豹変ぶりを、初めて直接に体験する。これだなと気づき、中田純一は正気に戻って、冷静に金村の様子を観察しはじめた。


「中田純一さん、洋子をホテルに連れてって欲しいの。ねえー、そして抱いてよー。純一さん、分かってくれているの。連れてってーて、いいって言っているのよー。あなたの気持ちは、もうすっかり分かっているんだよーだ。洋子と寝たいんだろ。今夜は、朝まで寝かせないわよ」

「・・・・」

「それからさー。片想いの人ツーのはサー、新宿営業所の木村所長のことなんだよ。もう何回も寝たんだから。知らなかっただろー。純一ったらー、ねえホテルにいこうよ。この近くにあるんだから。すぐに、したいな」

『そうか、やはり、あの女たらしの木村とも寝たのか。すると、俺が金村と寝ると、木村に全部知られてしまうことになる訳だ』

こう、推理していると、もうその気が完全に萎えてしまう。

『今夜は、パスだな。すると、まさか木村が、彼女の部屋から写真を盗んだのじゃないだろうな。しかし、それはないだろうなあ』

と推理してはみるが、アルコールが入っていることもあり、中田の頭も錯綜している。


中田純一は、突然に北村の名刺に書いてあったクセのある「る」と「だ」の字のことを思い出す。

『あの文字はどこかで見たような文字だったが。どこだっけ』

どこかで見たような、クセのある字のことを、中田は思い出そうとするが、思い出せない。妙に、気に掛かる。

『そうか。木村以外にも、金村のマンションに出入りしている奴が、他にもいるのかも知れないということか。少し、スジが通ってきたぞ』

金村の酔いは、一層激しくなっている。


「純一ってばー、洋子が誰だか分かってねーだろー。お前らにさ、気持ちが分かるかーってんだよ。でもさー、洋子は、でかい魚を釣り逃がしたんだよなー」

人も振り向くような大きなダミ声で、椅子からもずり落ちそうになり、ボロボロに酔っている。

『これ以上に飲ませては、もう危ない。彼女の見事な豹変ぶりも十分体験させてもらったし、もうお開きだな』

中田は、金村を送り届けようと決意して、時計を見る。まだ、夜の10時前だ。いつもカバンに入れてある部下の住所リストを調べて、彼女が板橋3丁目に住んでいると知る。勘定を済ませ、領収書をもらって、マスターにタクシーを手配させ、彼女をマンションまで、送り届ける準備を整える。


約40分で、金村のマンションに到着する。中田は、彼女のマンションが名ばかりで、どうせ小さなアパートだろうと想像していたが、ここの彼女の住処は、大きくて立派なレジデンスだったから、思わず我が目を疑う。

『アルバイトの身で、こんなスゴイ処に住んでいるとは変だなあ、確か親とは一緒には住んではいないと言っていたが』

と、不思議に思う。

彼女を起こし、彼女の脇の下を中田の左腕で支えて肩車にして、洋子を部屋まで運ぶ。彼女が部屋に入って、鍵を掛けるのを確認する。ドアには大きな鍵穴が付いている。思わず、その穴から覗いてみると、玄関の直ぐ先の廊下でだらしなく、俯せになっているのが見える。そして、男物らしきスリッパも見える。


『変だなあ、男物のスリッパか』

首を傾げつつも、彼女を送り届けたことで、中田純一は、ほっと一安心して、今後の段取りを、こう考える。

『今日の仕事は、これで終わりだな。ああ何事もなくって良かった。明日の朝から、犯人探しするとして、取り敢えず、ここまでを沢木常務に報告しておこう』


7.沢木常務の小部屋の場

翌週の月曜日の朝、その日は何かを暗示するように、朝から雨が降っている。早朝の部課長会を済ませてから、中田純一は、10時頃に、沢木常務にお目にかかりたい旨を電話で伝え、沢木の部屋に晴れ晴れと入る。そして、例の小部屋で、今回の顛末をかいつまんで報告する。


「そうですか、ご苦労さまでした、さすが中田さんだね。見事な仕事の出来ばえだ、私も感心したよ。しかし、ルビーネット社とはね、ビックリだね。もっとも、親会社の近畿商会の社長はカリスマとの評判で、少し変わっているから、出向社員にも変なのがいるのだろうね。ワッハッハ」

「それで、敵陣にも、一人で乗り込んで行ったのだって。ついでにネガも取り返してきたの。へえっ、大したものだね。もっとも、君の上の松田部長は少し足りないから、君ほどの広い視野がないからなあ。松田君と一緒に行っていたら、まとまる話も逆にまとまらないわなあ、ワッハッハ」

「しかし、妙な話だね。島村は、ウチの会社には投函していないと言っているのだって。それは、きっと彼が嘘をついているのに違いないよ。島村が撮影した写真だと、分かってしまったことだから、ウチの会社に投函した奴のことまでは、もう調べなくてもいいよ、ご苦労さん」


沢木は、決めつけたような言い方で、島村の仕業であることを強調する。そのとき、突然に、中田はあることを思い出す。


『あの北村の名刺に書いてあった、クセのある「る」と「だ」の字が、投函された写真に同封されていた例の、手紙の文字の書体と同じゃないのかな。分かったぞ。これは、絶対に照合しなくては。幸いに名刺も手紙も自分が持っている』

と考えていると、沢木が続けていう。

「ところで、中田さん。私はね、なるだけ早く君を部長にして、ゆくゆくは編集部門の役員として、この部署の采配を全部君に任せようと思っているのだ」

沢木常務は、当社ロイド社の福田社長と同じ東大の学生時代からの友人で、専攻も同じ教育心理であった。中田は、これ以上の賛辞はないと、雲に乗ったような気分になる。更に、沢木は続ける。

「それで、中田さん。アルバイトの金村洋子には、もう会社を辞めるように伝えてあるのだろうね」

「えっ・・・・・」

これは、思わぬことを言ってくる、考えもしないことだ。辞めなくてもよいと、本人には既に伝えてある。

「なに、まだなのかい。それはマズイいなあ、君」

「バイトの何て言ったっけ、ややこしい名前の、敷居なんとかという女性が、編集部でつい最近、横領事件を起こしたばかりじゃないか。君も知っているだろ」

「はい、勿論知っています」

「だったら、何も考えることはない筈じゃないか。そういう股のユルイ女はね、金にもルーズで、敷居何とかと言うのと、同じような金銭問題を必ず起こすのだぜ。これは、心理学の常識さ。そうならない内に、辞めさすのだよ、それが対策というものだよ、君」

「でも、彼女はむしろ今回の被害者ですし、何も辞めさせる理由がありませんが」

「甘いよ、バイトだせ、契約更改しなければいいのだよ。簡単なことじゃないのかい」

「そんな甘いことを、言っているようじゃ、中田純一さん、先の話は、取り消しだな。これは、命令だよ、直ぐに金村を辞めさせなさい。私の言うことには、従った方が良いよ。ワッハッハ」

威圧感のある目つきをして、沢木は命令する。中田は、愕然とする。


『彼女には、辞めなくてよいと伝えたばかりで、断言もした。第一理由がない。仲間の友人も多いし、そう簡単には、辞めさせられない。ことが返って大きくなるのが目に見えている。これが一番に怖い。昨日の今日に、手の平を返したようなことを、そう簡単には言える訳がない』

中田は、全身から血の気が引く思いだ。名刺の文字を照合する、どころではない。雨足も、一段と激しくなってきている。


8. ロイド社4階の場

フラフラと中田純一は、4階の自分の席に着く。


『彼女が、仕事をよくやってくれた事とか、辞めさせたら逆に別の問題が起こるとか、色々考えて、自分の意見も言って、もっと沢木を真剣に説得すべきだったのかも知れない。しかし、沢木常務は言い出したら聞かない人だし、また自分の昇進も絡んでいる』


あれこれ考えるが、彼には、判断がつかない。

『編集部の上司の松田部長には今回のことを、全く報告していないから、相談する訳にもいかないし』と万策が尽きる思いがする。

そうこうする内に、松田部長の秘書の女性から、突然に連絡が入る。

「ルビーネット社の島村達雄という人から電話ですよ」

珍しいことに、島村からの電話だ。


「中田副部長さんですか、先日はご苦労さまでした。色々とご迷惑をお掛けして、本当に申し訳ありませんでした。父からも、宜しくお伝えしなさいと言われました。本当に済みませんでした」

何故なのか、彼の声が、少しうわずっている。

「ええ、でももう終わったことですから、もういいですよ。ところで何かご用でも」

「はい、それなのですが、あのとき一緒に行った課長の佐藤良樹さんをご存じですね。彼が昨日の日曜日、京都の自宅に帰っているときに、なんと首吊り自殺をして亡くなったのですよ。関西の一部の新聞には載りましたが、それは悲惨な最期でした」

「えええっ、それは本当ですか」

中田純一は、椅子から思わず立ち上がる。そのせいか、一瞬に、クラクラッと目眩がする。

「はい、ウチは宝石を売る会社ですから、イメージが大事です。元はと言えば、私が金村に送った写真ですから、私が馬鹿なことをしなければ、こんな事にはならなかったのですが・・・・・。北村所長は、私がこんなイメージダウンになるようなことをしたのは、私、島村でなく、島村の管理責任を命令されていた上司の佐藤課長がむしろ悪いのだ。部下の行動をしっかり管理監督しないから、こんなことが起こってしまったのだ、と皆の前で佐藤課長を無能呼ばわりして、激しく佐藤さんの責任を糾弾したのです。その時は、私は見て見ぬ振りをしていました。もっとも今では、それを恥ずかしいと思っています。そして結局、監督不行届で、佐藤良樹さんは責任を取らされ、降格と減給処分になったのです。こういうことに対しては、取り分け厳しい処分をするのが、当社の社風です」


「北村所長は、ハッキリ言えば、ルビー本社の近畿商会、そこの、私の父の島村常務に恩を売ったのです。彼は私を処分することは、絶対にできません、自分の保身が大事ですから。ですから、佐藤課長を糾弾することで、むしろ私を援護して、親父に恩を売ったのです。ここ2、3日の間というもの、降格され平社員となり、また給与の3割を減給させられるという厳しい処分を受けた佐藤良樹さんは、身に覚えのない事だと随分と悩み、将来にも失望していたとの事です。それで、先週の水曜日から休みを取って、京都の自分の家に戻って、今後の身の振り方について、奥さんとも相談していたようです。彼は単身赴任でしたし、奥さんは気の強い人でした。また、ロイドの中田が、あんなことさえ所長に言わなければと、奥さんにもクドクドとしつこく、言っていたようです」

「ええっ、そんな事があったのですか。厳しい処分だったのですね。それでも、あなた、島村達夫さんは、無キズだったのですか。変な処分ですね」

思わず、中田も独り言のようにして、本音を言ってしまう。沢木常務から負託された一件もあるので、中田は、殆ど放心状態となる。

『自分の手順ミスで、人が1人死んだ。ああなんということになってしまったのだろうか』

と思いつつも、中田純一は、咄嗟に計算をして、電話の島村に聞く。

「この話は、私の他には、もう誰かに、されたのでしょうか」

「はい、北村所長は、お宅の沢木常務を知っているので、自分の方から沢木常務のお耳にだけは入れておくと言っていましたが。何か、沢木さんとは遠い親戚とかでした」

「ええっ。沢木常務と北村所長さんが親戚ですって」

島村達夫からの電話は、ここで終わる。

中田は、自分の髪の毛が逆立ち、全身から血が吸い取られる思いがする。

『万事休すだ、僕の身にとっても、これはまさしく不幸の電話ではないか。あの北村だから、きっと私のことも、沢木に悪く言ったに違いない。しかし、それにしても妙な話だなあ。沢木は、投函した犯人探しを、もうこれ以上する必要がない、というような態度であった。あっ、そうだった』

思い出したように、中田純一は、カバンから例の手紙を取り出して、名刺入れから出した北村修三が書いた名刺の文字と照合する。


「何卒、穏便に治めてくださるようお願いします」の彼の書いた文字の「る」と「だ」の書体は、何と手紙のそれと同一である。

『ええっ、ということは、この手紙を書いたのは間違いなく北村だ。もしかして、写真を盗んで投函したのも北村か。しかし沢木は、もうこれ以上詮索する必要がないと暗に指示している。本当に北村かも知れない』

沢木から、金村を辞めさすようにいわれたこと、島村の自殺の話を聞いたこと、そしてあの写真と手紙を投函したのが北村らしいことが頭の中をぐるぐる巡り、中田の頭は混乱している。

『しかし、二人は親戚だし、沢木はきっと何かを知っているに違いない』中田は直感で、そう確信する。


9. 中田の自宅の場

中田は、仕事が終わり、会社から横浜の自宅に戻る。帰りの電車の中でも、自宅に着いてからも、沢木の言葉を反芻している。思い悩んだ末に、とうとう沢木常務に従順になろうと決心する。金村洋子から、何を言われても、心を鬼にして本人に最後通告をしようと考える。沢木の言う通りに、たかが、相手はアルバイターではないか。彼女を辞めさせるのが、沢木の命令でもあるし、また中田の昇進も絡んでいる。


『それにしても、あの時、もし彼女の誘惑にはまっていたら、こんなことを言えた義理ではないぞ。金村から寝たことを皆に吹聴されたりして、もっと大変な事態になっていただろうな。そう思うと、ゾッとする。このことを思えば、命令を伝えるだけだから、まだ軽傷なのでは』と、甘く自分を慰める。


そこで、中田純一は、金村の家に、もう10時を過ぎており、少し遅いとは思ったが、明日・火曜日の午後2時に例の「ジロー」に来て欲しい旨の電話を、思い切って入れる。その時のことだ、あろうことか電話には、最初に男が出たではないか。その「もしもし」という男のダミ声を一声聞いただけで、中田は、全てを察知したのである。

それは、何と、北村修三その人の声ではないか。


『そういうことか。ルビーネット社・東京営業所・所長の北村修三も彼女の客なのだ。だから、こんな時間に彼女の部屋にいるのだ。彼女は、きっと客を自宅に取りこんでいるに違いない。それだから、アルバイトの身であんな豪華なレジデンス住めるに違いない』

中田の推理は、次から次へと頭の中をかけ巡る。


『金村の部屋の鍵を持っている北村は、金村のいないときに彼女のマンションに入った折りに、郵便受けに入っていた、島村達夫から送られてきた問題写真と手紙の入った封筒を、偶然にも発見したのだ。咄嗟に、この事を大きくすれば、島村常務への恩売りも大きくなると考え、封書をそのまま隠匿して、持ち帰ったのだろう。幸いにも、金村洋子は自宅に郵送されてきた、この封書のことはまだ知らない。彼女が知らない内に、これをロイド社に投函しておけば、人知れずに、島村に罪をなすりつけることができる。先程の電話で島村が言っていたように、佐藤の管理責任にと問題を転化して、窮地に陥った島村を助けることで、島村常務により大きな恩が売れ、自分が親会社の近畿商会に戻れると考えたのだ。きっとそうだ。島村の書いた手紙は、自分の家でこんな事を彼が考えているときに、酒か醤油をこぼすかして、何らかの不都合で手紙を汚してしまったのだろう。潔癖性の彼は、別の同じ市販の便箋を購入して、これに島村の書体を真似て書き直し、写真と一緒にして、宛先の書いていない別の封筒に、人事担当取締役様とだけ書いて、入れ直したのだろう。書体を似せたといっても、自分の書体のクセは不用意に出てくるものだ。島村が、何か違うような気もすると言っていたのは、キットこのことだろう。もしかして、この件については、北村と親戚の沢木も関与しているのかも知れない。頭のいい沢木だから、きっと知恵を北村に出してやったのかも知れないぞ。これは、僕の妄想だろうか』


次々と中田の周りに起こった出来事が、中田の頭の中で、連鎖して繋がっていく。

『だから、沢木は私に、もう詮索をするなと言ったのだ。これで、この事件全体の辻褄が合う』

『しかし、この事は、明日会う金村には話さないでおこう。北村が犯人だと説明していけば、自ずと彼女のサイド・ビジネスのことも分かってしまう。これは、彼女の人生の問題だ。また僕は、警察官でもなんでもないし、彼女の私生活を暴くことまでは、してはいけない。彼女のサイド・ビジネスのことについては、絶対に触れてはならない。そっと、しておいてやろう。ましてや、彼女を辞めさすのだから。そうか、それで彼女は、社員の登用も拒んだのだな。アルバイトの身分のままの方が、気楽で自由が利くではないか』

こう、中田は、最後に自分の考えをまとめる。結局その夜は、明け方頃になって、やっと眠りに着く。


10. 喫茶店「ジロー」の場

新宿の「ジロー」はこれで3度目だ。壁のアイビーも、何枚かの葉が枯れ、茶色く変色して形の崩れたのが混ざっている。喫茶店のファサードが、何だか、うす汚く貧相にすら見える。中田は、金村洋子を前にして、ズバリ切り出す。


「金村さん、誠に言いにくいのですが、あなたの契約は今月末までとなっていますが、次の契約更改は会社として出来なくなりました。従って、今月末でお辞めいただけませんか。理由は、聞かないでください。それから、投函した犯人も分かりましたので、お預かりしていた、手紙と写真も、もうお返しします。これです、もうお仕舞いください」

テーブルの前に座った彼女に、事務的な言い方で宣告を下す。

「ええっ、なんですって、中田副部長。何を、仰るのですか。先日、ずっと居て、いいと仰ったばかりじゃないですか。絶対に辞めさせないとまで、言われたじゃないですか。どういうことですか、これは。説明して下さい。納得がいきません。理由を聞くなといわれても、聞かないと私は返答ができません」

「ごもっともです、理由は、方針が変更になったからです」

中田は、

『理由にならない理由を、こう言うしかないのだ。沢木の命令だとは、どうしても言ってはならない。彼に遺恨が及んではならないからだ。自分の昇進も絡んでいる。ここが、頑張り処だ』と、自分に言い聞かせる。

「あなたは、心変わりしたのでしょ。先週は、ずっと居てもいいって、言ったじゃないの。断言するとまで仰ったわ。あなた、頭が変になったの・・・・」

静かに諭すようにして、口調を変えてみたり、また媚びるようにまでして、金村は、中田純一を追求する。無理もない、当然だ。誰でもそうなる筈だ。

「何を言われても、もうこれは決まったことなのです。元には戻せません」

「上司を出してよ、人事の責任者を出してよ。どういうことか説明して欲しいわ」

「私が、あなたの上司です。ですから、私が決めたことは絶対です。私がこの部署のトップですから」

「出るところに出て、説明して貰いますよ。それでも良いのですか」

「とにかく、ご了解して頂きたいのです、金村さん。あなたの為に、私は随分と骨を折りました。この事もよくお考えいただき、何とか私に免じて、ご了解して頂きたいのです。また犯人探しのプロセスで、私が調べて知ったことは、全てを私の腹に収める心積です。どうか、お願いします」

「恩着せがましく言わないでよ。何よ」


そう言いつつ、目からスーッと一筋の涙を流して、ウゥーッ、クゥーッと泣き始めるではないか。


『強がりを言っても、しょせん相手はか弱い女性ではないか。こんなことをして、彼女だけをイジメて良いのか。体を張って、それこそ沢木に土下座してでも、居させてやればよかったのかもしれない。僕自身の思慮が、足りなかったのではないだろうか。僕も、自分を悔んでいる。彼女に、心の中で手を合わせ、本当に申し訳ないと謝ろう』


中田も真剣に反省する。

しばらくの間、彼女は下を向いたままで思案していたが、顔を上げ、キッと中田の目を睨んで、やがて口を開く。

「分かりましたわ。仕方がありません。それでは言われる通りに、今月末で辞めさせてもらいます。それから、先程、犯人が分かったと言われましたが、それは誰ですか」

「それも、ここでは申し上げられません。あなたを、これ以上に窮地に追いやる訳にはいかないからです。しかし、あなたには、大体の見当がついている筈だと思いますが。あなたが今、心に描いている、その人です。間違いは、ありません」

観念したのか、金村はもうこれ以上に追求してこなくなった。

『やれやれだ、しかし後味が、誠に宜しくないなあ。このまま、何も起こらなければ良いが・・・。金村が、大人しく了承して呉れただけに、返って、何かしらの報復をするのじゃないだろうか。北村と一緒になって、報復を考えたりするのではないだろうか』

中田は、少々不安に思いはじめる。


言葉どおり、その月の最後に、金村洋子は退職する。通常、こんなときは、送別会を行うのだが、彼女が拒否したこともあって、それもしてやれなかった。ところが、彼女が辞めてから、部の者の中田に対する態度が急変していくのである。彼女が、理由もなく中田純一の心変わりで辞めさせられたのだと、部の主だった者に告げ口していたからだ。また、これに反発して、一部の女性アルバイターの者が結束して、造反行動を起こすという様な風評も流布される。


中田は、部の中で急速に孤立していく。陰湿な部長の松田が、裏で糸を引いているのだ、という確かな噂も聞く。経営幹部も、今回の事件を最重要視して、鎮圧のための策を慎重に協議しているとの噂も聞く。そして、今度は、中田純一自身が、責任を問われ、管理能力のなさを批判されていくことになる。こうして、中田の部長への道、ましてや役員への道は遠く、閉ざされてしまうのである。辞める前に、彼女が仕掛けておいた、地雷を踏まされたようなものだ。結局、中田は、部の中での閉職へと追いやられる。その時から、「全裸写真投函事件」のことは、今日まで、中田の脳裏に、ズーッと秘められたままとなる。


11. 後日談の場

その後の話だが、ルビーネット社・東京営業所の北村所長は、本来は島村達雄の起こしたスキャンダルであるにも拘わらず、島村の上司である、佐藤課長の管理責任へと問題を転化する、という方法で、スキャンダル事件を起こした島村達雄をむしろ擁護した。この見返りに、北村修三は、島村達雄の父親である近畿商会の島村常務から、本社へと引き上げられる。そして、ルビーネット社の営業所長より数段格上の、近畿商会本社・購買部長として栄転することになる。島村達雄も子煩悩な実父である島村常務の力で、ルビーネット社への出向を解かれ、近畿商会の本社に出戻り、製品開発部に異動したと聞く。


中田純一から、島村達夫には、実は、投函した犯人が北村だったのだ、とは伝えてある。この話を聞いた最初、島村は、北村に嵌められたと、激怒していたが、この事件を契機にして結局、親会社に戻れることになったと知り、逆に北村に感謝しているという。北村修三の、いわば佐藤良樹を踏み台にした、親会社へのジャンプ・アップ作戦は、中田純一には到底、真似ができない。見事としか言いようがない、智恵だ。一番に哀れなのは、亡くなられた佐藤良樹さんと、その残された奥様やご子息、そして中田純一自身だ。中田は、その後に、降格となり、畑違いの審査部という閉職に、追いやられる。しかし、耐え切れずに、結局ロイド社を退職することになる。


金村洋子は、ふと漏らした、ロイド社・新宿営業所の木村所長が、ロイド社とは競争会社に当たる、ルート社の営業部長に、ヘッドハンティングされてから、この木村所長と結婚したという。似たもの同士の夫婦だ。彼女のサイド・ビジネスは、結婚してからは、もちろん店仕舞したと聞いている。また、当時の中田の上司であった、編集部の松田部長は、上手に沢木に取り入り、その後にロイド社の役員にまでなったと聞く。これを知った中田純一は、沢木に嵌められたと愕然とし、秘めておいた、この話をせずには居られなくなり、今回、諸君にこの事件を公開した、という次第である。


この中田純一の話を元にして、アクア劇場支配人の田辺康平が劇に構成し直した、という訳である。


こうして、「人生の小劇場」は終る。開幕時とは様変わりに、観客席は、一杯に埋まっている。ロイド社の従業員が大挙して、観劇に来ていたのだ。そして、割れるような拍手が起こる。時計は、丁度、午後6時を差していた。


小さな「アクア小劇場」の幕が、かすかなウィーンというウインチ・モータの音と共に、スルスルと下がり、劇の部が終る。


12. 「パネル・ディスカッス」の場

下りた幕の後ろでは、舞台に机を半円形に並べ、準備が整えられる。ひとしきり、拍手が終わると、幕間から「アクア劇場」の支配人の田辺康平が、舞台に現れて言う。


「以上で、人生の小劇場は、無事に終了致しました。長時間に渡ってご観覧頂きまして、誠にありがとう御座います。それでは、30分の休憩の後、ここに登場された主な出演者諸君に、もう一度お集まりいただき、プロデューサーである秋山浩一氏の司会により、予定通りに『パネル・ディスカッス』を開催いたしたいと思います」


休憩の後、「アクア小劇場」の幕が、かすかなウィーンというウインチ・モータの音と共に、再び上がる。舞台には、先程の出演者が、全員揃って既に椅子に座っている。先程の観客も、殆ど帰らずに、元の席に座っている。観客席は、ほぼ満席のままである。


先程の田辺支配人が再度出てきて、挨拶をする。

「観客席の諸君、ここからが本番ですぞ。しっかりと噛み締めてお聞きいただきたいと思います。さて、このパネル・デスカッス にご登場の諸君は、ここでは、今のお気持ちを、正直にご発言していただきたい。私は、[人生の小劇場] の支配人の田辺康平です。念の為に、登場人物を、確認いたします。中田純一氏、金村洋子氏、沢木健氏、北村修三氏、佐藤良樹氏、島村達三氏、以上6名の方々です。それでは秋山浩一氏どうぞ、司会をお願い致します」

司会/ 先程、ご紹介にあずかりました、プロデューサーの秋山です。本日は皆様、「人生の小劇場」の名演技をありがとうございました。この場をかりまして厚く御礼を申し添えます。では、早速ながら、佐藤氏にお尋ねします。もし、中田純一氏が、あなたに直接電話していれば、どうなった、でしようか。

佐藤/ そこなんですわ、私が言いたいのは。私が最初に、中田はんから直接にこの話を聞いとったら、島村達夫はんのスキャンダルは、全部でっせ、わての腹に収めて、勿論、北村はんにも、島村君の父親はんにも、一切、何んにも話ししまへん。そやけど、達夫はんとはでっせ、じっくり話もして、この物語の結末と、おんなじ様に反省もさせて、金村洋子はんを二度と追い回さないようにもさして、ネガも取り返して、彼女に戻すということで、同じ結末にしたと思いますわ。せやから、わてが自殺する、いうことには、ならへんかった筈でっせ。せやよってに、一番悪いお人は、そこにいる中田純一はんどすわ。ほんまに。困ったお人や。恨みまっせ、ほんまに。

中田/ いえ、違います。あの場合でも、北村氏がこの事件を自分の昇進の道具にしようとさえしなければ、つまり島村常務に恩を売りつけ、自分が近畿商会に戻るためにという汚い工作をしなければ、なにも佐藤氏は自殺にまで追いやられることには、ならなかった筈です。また、管理責任と称して、佐藤氏をむりやり、厳しく糾弾したことも、ご存じのように全部が、北村修三氏の保身から出たことです。だって、そうしなければ、彼は逆に所長としての、自分の管理責任が問われると考えたからです。加えて、彼は、問題の写真を金村のマンションから盗み出して、ロイド社に投函するという、汚い工作までも行っていたのですよ。従って、この北村氏の方が、断然に悪人だと思います。それよりも、何よりも、元々の原因を作った、そこにおられる島村氏が実のところ、一番悪い人だと、私は思いますが。

金村/ そうじゃありませんわ。私が悪かったのです。親に結婚を反対されたからといって引き下がるような島村さんに愛想をつかして、島村さんに唾を吐きかけ、靴の先で、彼の頭を踏みつけるというような、卑劣なことさえ私がしなければ、彼も逆上しなかったでしょうし、今回の事件そのものも、実は起っていなかった筈ですわ。本当は、一番、彼を愛しているのですもの。好きよ、島村さん。ゾクッとするわ。それから、中田純一さんの推理のように、私は、サイド・ビジネスをしていました。取材先で知り合った顧客のうちで意気投合した人が私の客となりました。しかし、これは私が生きる為にしていることで、客に喜びを与えこそ、誰にも迷惑はかけていません。ですから、この事件とは無関係ですし、法律上は別にして、悪い事ではないと思っていますが。

司会/ なるほど、そういうことですか。島村氏はいかがですか。

島村/ いえ、やはり私が一番悪くて、そして後は6人に玉突きのように累が及んでいったのだと思います。しかし、もっといえば、私の親父が金村さんとの結婚を承諾さえして呉れていれば、誰もがハッピーになった筈ですから、結婚に反対した、私の親父が一番悪人だと思われます。しかし、今回のように話が大事(おおごと)、となり、錯綜したのは北村修三氏がした工作ですから、これについていえば、彼も小悪人だと思います。けれども、結局のところ、話が大きくなった御陰で、返って私も親会社に戻れるようになった訳ですから、彼の罪はもう問いませんよ。それより、やはり事の発端を起こした私がこそ、一番に悪いと思っています。

沢木/ 実は、この物語の中で島村達夫氏が電話で言っていましたが、聡明な中田純一氏も一部分、気が付いておられましたが、私と北村氏とは親戚で、以前からお互いによく知っている間柄です。北村修三氏を、近畿商会の本社に戻すためには、どうすれば良いのかという、この命題に対して、北村氏と常に連絡を取り合って内密に相談し、知恵を絞ったのが私です。事を社会的にも、大きくすれば恩も大きくなる筈だと、筋書きを書いて、仕組んだのが、実はこの事件だったのです。島村氏が金村洋子さんの写真を撮っていることも、探偵社に調べさせて、勿論、知っていましたよ。全裸写真が投函されたと言っても、所詮は自分の会社という掌の上で起こった事なのですから、最後は私の段階で、訴えたりせずに、写真だけを処分さえすればいい訳ですから、ちゃんと逃げ道も考えた上でのストーリー展開だったのです。諸君、いかがですか、私のシナリオの出来映えは。

司会/ ええっ、すると、やはり、中田純一氏の推理の通りだったのですか。恐ろしい方だ、あなたは。

沢木/ 金村洋子さんと島村達夫氏との結婚について、結婚させないようにと親父さんに入れ知恵したのも、実は北村修三氏です。そうすれば、島村氏は頭に来て、写真を彼女の家に郵送するだろうし、そして偶然を装ってこれを北村氏が入手して、ウチの会社に投函しておけば今回の様な事件にと広がり、より島村常務への効果も大きくなると、私が筋を読んで組み立てたものだったのです。北村氏には、私が作ったシナリオ通りに行動してもらいました。だから、北村氏には敢えて、金村洋子さんのお客にもなってもらっていたのです。これは、大変に利用価値がありました。私は、心理学者ですぞ。佐藤良樹氏の管理責任に問題があるとして彼を追求していけば、この段階で佐藤氏の自殺もあるかもしれないが、それは彼の判断だし、彼の気の弱さだから仕方がない。北村氏を親会社の本社に戻すのが本来の目的だったからです。でも、ただ一つ読み違いがありました。それは、中田純一氏が気の毒にも、金村洋子さんを辞めさせたことです。私は、バイトのことまでは、ホントは指図する気持はなく、中田純一氏がどういう判断を示すか、彼の度量をちょっとテストしてみたかっただけです。辞めさせないのが、むろん正解で、私もそれを期待していました。そうしていれば、ロイド社の方は、全部が丸く収まった筈です。ですから、彼が会社を辞めることには、ならなかった筈です。しかし彼は、自分の昇進の為にと、敢えて金村さんを辞めさせました。そのことが原因で騒動が起こって、最期は責任を取らされましたが、被害者を辞めさせたという意味で、彼も利己主義の小悪人です。また、中田氏が辞めた後は、専門性の高いこの職場では、適任者として残っていたのは松田氏だけでしたから、不承不承でしたが松田氏を役員にしたという次第です。あの時、私が中田氏に言ったことは、私の本当の気持ちでしたよ。そういう訳ですから、今回の事件で一番悪いのは、誰あろう私こと沢木健です。皆さんお分かりですか。


北村/ 佐藤良樹氏には、全く申し訳なかった事ですが、全て、沢木健氏の言われた通りです。問題の写真は、私がロイド社に投函したものです。そうです、中田純一氏の推察の通り、手紙も私が、島村氏の筆跡を真似て、リライトしたものです。ただ、皆様に申し上げたいのですが、佐藤良樹氏は、前世で私の兄を殺しました。ですから、今回のことは、実は、その報復であったという、一面もあるのです。私は、あの世から来たタイム・トラベラーなのです。この世のことは、物語を読むだけでも、実は裏があり、更には前世まで続けて見ないと分からないという、これが「人生の小劇場」なのです。従って、一番の悪党は、あなた佐藤良樹氏ですぞ。お分かりですか、諸君。


全員/ 拍手、拍手、拍手、拍手、拍手、拍手。

観客/ 拍手、拍手、拍手、拍手、拍手、拍手、拍手、拍手、拍手、拍手、拍手、拍手・・・・・・。


先程の、支配人が再度登場して、最後に言う。

「皆様、長時間ご苦労様でした。劇はこれで、全て終ります。また、この物語に登場する会社名や人物名、そして事象はすべて架空のものです。念のために申し添えます。では皆様、今夜は、ゆっくりと、おやすみください。また、次の『人生の小劇場』は、後日、このアクアで、シリーズ上演致しますから。どうぞ、ご期待ください」


小さな「アクア小劇場」の幕が、かすかなウィーンというウインチ・モータの音と共に、スルスルと下がり、全ての劇が終る。




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