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(BGMは、Celene Dion の Next plane.)


(4)西方体験録

Written By Dengakudan



はじめに


「海外に出かけるのに、女房を連れてい くのは、どうかと思うね。弁当を持って、レストランに行くようなものじゃないか。現地のレストランで食事をするのが、旅のもう一つの楽しみだというのに」


これは、以前に私が勤めていた、S社のE社長から教わった比喩だが、食事が、単に食事を意味するのではなく、それが隠語であると発見した諸君は、賢明なるフェミニストである。また、それ相応の年頃になってくると、足腰に故障が生じて、出かけるのが億劫になる。従って、段々と視野も狭くなってくる。また、独りでは心配だと、どうしても二人連れになりやすい。


若い頃の勇気と好奇心に満ちた、西方での7つのトラベルを綴りながら、今後の糧としたい。今は2003年の10月時間を指している。さあ、いよいよタイム・トラベルの出発だ。


(1)プラハのエスカレーター

古都プラハは、チェコスロバキアから分離独立し、西欧の自由主義社会に戻ったチェコ共和国の首都。ヨーロッパのいわゆる京都だ。1997年5月時間に着地。日本人の、京都詣でのように、ヨーロッパ人の多くが、古都プラハを目指す。今日も、異国の観光客で一杯。


また、別名「千の塔の町」ともいう。色んな時代の尖塔が、あたかも京都の五重ノ塔のように林立。ローマン、ロマネスク、ゴチック、ルネッサンスと、時代の特徴を示した尖塔が、ホテルの窓からも見渡せる。


我々日本人には、種別が見分けられないが、彼らはそれを判別する。串差しダンゴを立てた、また餅の上に楊子を立てた、槍状に尖った様に見える、色んな種類の多くの尖塔が、遠くの方にまで霞んで立っているのが見える。


河の名前は忘れたが、ホテルは大きな河沿いに立つ。ファサードが全面ガラス張りで超現代的な高層建築。それが、プラハ・ヒルトンホテル。レンガを積み上げて作られ、赤茶けた建物の街、古都プラハに、少しも似つかわしくない。今夜は、ここに宿泊する。ロビーは、ホテルの屋根まで届く、高い高い吹き抜けの広い大きな空間。


また、大きな鉢植えの背の高い南洋植物が、雑然とした配置でたくさん置かれている。高い背バックの薄紫色をした品のいいソファーには、堂々とした体格の、派手な服装で、色んな顔つきをした西欧の老若男女が一杯。東洋人は、極めて少ない。


さて今夜はプラハの下町で美味い料理をと、ホテルを後にする。200m位、歩くとすぐ地下鉄の入り口が見える。日本のどこにでもあるように、紙くずや食い物くずが散乱した、うす汚れた地下鉄の暗いエントランスが、口を開いている。そして、夕方も6時を過ぎたので、帰りを急ぐ勤め人達を、次々と吸い込む。


乗り口に進むと、地の底から、ガラガラ、ゴロ・ゴロと何かの工場の様な大きな音がする。耳目が緊張。それは、エスカレータからの音だ。そして、少しの飾りっ気もない、うす汚れた、幅広のそのエスカレーターは、もの凄く速いスピードで回っているではないか。日本の3倍は速く、音が大きい。恐ろしい速さでプラットホームに向かって下っている。こわごわ飛び乗って、手すりを握る。下に着くまでには、長い長い時間が掛かる。まるで、地底王国に向かっているのかと錯覚さえする程である。


あろう事か、勤め人達は、その速い速いエスカレーターのステップを、更に飛び段しながら下る。地下鉄駅のホームは暗く狭い、そして天井も低い。まるで穴蔵同然だ。また、電車の車内も暗く狭い。しかし、乗客の若い女性達は、服は粗末だが、ハッとするほど美しく、小柄で青い瞳の人が多い。 暗い地の底に咲く、青い花のようである。


その後の、プラハの食事の味は、どうだったかは、賢明な諸君の想像にお任せするとして、プラハ地下鉄の、このエスカレーターに乗った時程の、カルチャー・ショックは、未だ体験したことがない。


(2)パリの屋根裏部屋

パントマイム界の第一人者、マルセル・マルソー氏を主人公にしたCMフィルムを撮るのが、パリでの仕事。ある半導体メーカーの広報宣伝部に在籍していた頃、S社長の指示で渡仏。アンカレッジ経由の北回りで、1984年12月11日時間に着地。北極海廻りは地球の丸みがよく分かる、鳥肌の立つ空路だ。


パリの滞在は15日間。12月のパリは、夜明けが遅く、暗い。朝10時頃になって、やっとぼんやりと明るくなってくる。冬は日中でも、青空というのが全く見られない。


北海を昇る暖流が、多量の水蒸気を放出し、濃霧となって西ヨーロッパ全体の町々を包み込むからだ。今に始まったことでなく、昔から続いている年中行事である。地中海沿岸の青空と太陽を、彼らが最も大切にする理由が、肌で分かる街だ。


大手広告代理店・D社のI氏と、成田からずっと一緒。I氏からは、自分の息子のできが悪く、まだ就職もせず、近所の悪ガキどもを集めて野球に興じていること、娘からルイ・ビトンのポシェットを友達のも含めて5個買ってくれと依頼されていること、できの悪い息子には本革のブルゾンを買ってやろうと思っていること、とかの「親ばか話」ばかりを聞かされ、私は辟易する。


広い広いシャルル・ド・ゴール空港に着地。そして、パリ現地代理店の嫌味な若造が、自分の車だと言って自慢げにベンツを運転し、ルーブル美術館近くの、パレ・ロワイアルすぐ横にある、四つ星ホテルへと、我々を運ぶ。彼は、直接仕事を呉れるD社のI氏にだけ、当然だが、お追従をして、しきりと気を遣う。


日程最後近くの12日目にして、やっとマルセル・マルソー氏が来る。D社の策略か、氏が多忙だったのかは不明だが、とうとう滞在最終日の3日前から、CF撮影が始まる。撮影の合間を見て、マルソー氏は、トレードマークである山高帽姿の自分の似顔絵を、その場でサラサラと色紙に二枚描き、


サインも加えて、S社長と私へのプレゼントだと言って、色紙を呉れる。嬉しくて、氏と握手をしたが、彼の手は大きくて、温かく、柔らかい。今では、戴いたこの色紙が、私の宝物となっている。


着地してから撮影開始までの間は仕事がないので、I氏と2人で専ら市内観光三昧だ。6日目から、I氏も出るのが厭になり、最後は独り観光。ルーブル美術館の地階、1階、2階と、回れるところは全部チェック。


地階は、ローマ、サラセン帝国時代の数多くの大理石・石像の展示。1階は絵画・彫刻、2階はインテリアと服飾の展示。近くのポンピドウ・センターへも歩く。モンマルトルの丘、シャンゼリゼ周辺も歩く。ベルサイユ宮殿の中も、鏡の間、マリーアントワネットの寝室、秘密の小部屋も隈無く探索。ルイ・ビトン、シャネル、フォーションのお店も入る。エッフェル塔の最上階にも上がり、カルチェ・ラ・タン、ノートル・ダーム周辺も散策。地図を頼りに地下鉄と徒歩で見て歩く。


しかし、パリからリヨンに向かうTGVだけは乗り損ねる。美食どころでなく、クタクタに疲労してベッドで寝るだけの日々だ。


ある夜、I氏から「部屋で一緒に飲みませんか」と

電話コールが入る。疲れているので、気が進まないが、一階下の彼の部屋まで出向く。Whyというのは、このことかと、頭が混乱する。彼の部屋は、キラキラ光るガラス飾りの付いたシャンデリアがぶら下がり、壁にも装飾があり、アールヌーボー風の縁飾りの付いたガラステーブルには、高級ワインが何本も並ぶ。彼の部屋は、こんなに豪華でスゴイ。それに引き替え、私の泊まっている部屋は、まさしくパリの屋根裏部屋ではないか。


てっきり、I氏の部屋も同じとばかり思っていたが、ここには天地ほどの落差が存在する。あの若造の仕業か、D社か、I氏の無礼か。私は、自分の部屋が、狭く傾いており、壁もシミで汚れ、敷物も傷んで、水道栓の締まりも悪く、テーブルさえも置いてない、まさしくパリ屋根裏部屋だとはどうしても言えなかった。忘れようにも、忘れられない、普段の観光旅行では決して体験することの出来ない、パリの宿泊体験である。


人間が評価される、学歴とか、在籍の企業名とか、年収額とか、役職名を人々は重大視しがちであるが、人間の礼節と教養こそを最も大事にして、深めていかなければならないのだと、我が身に翻って痛感したトラベルでもある。


(3) ニューヨークの青目でブロンドの女

厳冬の1976年1月1日夕刻時間、マンハッタン島のニューヨーク空港に着地。昨日の夜は、ボストンのホテル。大晦日のドンチャン騒ぎで乱れたので、体が気怠い。ニューヨークの街は、雪が激しく降っている。道路には、除雪車がゆっくりと走り回る。どのマンホールからも白い湯気柱が、幾筋も、幾筋も辺り一面に立ち昇っている。地下に温水パイプが埋め込んであり、またホテルで使われた温水が、下水となって流れ込むからだと聞く。憧れのN.Y.での、滞在期間は7日間。


美術館巡りが、主な目的だ。美食では決してない。ボストン美術館は、バスタン・ファインアートブ・ミュゼアムと言わないと通じないが、螺旋ループの美術館・グッゲンハイムとニューヨーク近代美術館、所謂メトロポリタンはそのままで通じる。この街にある、美術館を片っ端に、見て回る計画だ。


メインは、ホノグラム美術館。マンハッタン島の南端の、あのテロで倒壊して今はもう存在しない、日本人が設計したという、WTCの超高層双子ビルに向かう。その最上階にも昇って、長時間NY市街を360度眺望した。


豆粒の車が、止まっているように見える。そのWTCビル近くの、ソーホー地区でホノグラムを発見。レンガ造りの倉庫の一つを改造した美術館だ。当時、ホノグラムは、立体テレビになると、その前途が期待されたが、今では消滅している。しかし、ここにあるのは、透明な筒の中にいる透き通った中年男性の人物像が、緑色の光に包まれて、360度回転しながら動作するという立体映像だ。このニューヨークで最先端の美術に自分だけが触れられたという、優越感をすら感じた。


市街を歩いていると、少しも違和感がなく、ここに住め、住めと靴が鳴る。しかし、私には決意ができなかった。むしろ、勇気が無かった、と言った方が正しい。現状に甘んじていたからである。アメリカン・ドリームが靴の下にあったというのに。


NY5番街のホテルに宿泊。その日の夜、ホテルの二筋先までほろ酔い機嫌でふらつく。信号待ちの交差点で、青目のブロンド女が、私に声を掛けてくる。メイク・ラブのお誘いだ。170ドルでいいという。25、6歳のスラリとしたプロポーション。ルーマニア辺りの東欧系の、若く美しい女だ。


E氏の言葉を思い出し、まあいいか、何事も体験だと、すぐ近くのそれ専門と分かるホテルへと引っ張られる。ホテルに入ると、床が茶色に光る磨き石で敷き詰められた豪華なロビーが目に入る、その先はカウンター。ガードマンのように体格の良い、いかつい男がカウンターに立っており、女は金を払う。ホテル代だろうか。


シャネル系の強い香水で隠してはいるが、青目の女は、若いのに似ず、体臭が強く、獣臭い。ことが終わると、突然、女が大声で喚めきはじめた。両手を上げて、大袈裟なジェスチャーで。何と、あれが、だらしなく破裂しているではないか。女は、母国言葉でギャーギャー騒ぎ、怒りながら後始末をしている。早口なので何を言っているのか、聞き取れない。


しかし、今日という日が、危ない日だよ、どうして呉れるのさあ、兄さん、と言うことらしい。まさしく、後の祭りだ。


部屋を出る前に、100ドル札2枚を出す。お釣りを呉れと言うと、また、女がギヤーギヤー騒ぎ立て、結局、お釣りは返らず仕舞い。酔いも、すっかり醒める。その後、女は、私の名前、住む都市、会社の名、とかを聞いてくるが、差し障りのない受け答えでノラリクラリ。ホテル前の通りを少し歩いた角で、バイバイする。


ニューヨークで、後味の悪い体験だ。外の通りは、ゾクッとするほど寒く、小雪が光に舞っている。辺りは、午前2時でも普段通りの賑わいを見せていた。


(4)ブタペストのトルコ風呂

ドイツのフランクフルト空港から、ブタペストに入る。ブタペスト行きの便には、この空港の下にある長い、長い地下道を渡って、搭乗する。そして、1995年5月時間に着地。


ブタペストは、いち早く、西欧の仲間入りを果たしたハンガリー共和国の首都だ。色んな意味で、落差が大きい。ハンガリーの老人や年配者の顔付きは、髪もダーク系で、目も茶色。どこかアジアの臭いがする。我々には、どこかで見た懐かしい顔付きだ。


彼らの先祖は、遊牧のアジア人だという。この先祖達が、東からウラル山脈を越えてやってきて、作った国がハンガリーだと、彼らは胸を張る。


だから日本人には近親感を持っており、また先進国の仲間入りをしているという理由で、尊敬もしていると言う。しかし、若い人たちは、欧州人らしく快活で、青い目の金髪の若者が多い。若い人達は、不格好な日本人を、殆ど相手にもしない。


ブタペスト市の真ん中を、ドナウ川が東西にゆったりと流れている。少し濁った緑色の広い川だ。この川の北側がブタ地区、南側がペスト地区という。南北で、建物の感じがまるで違う。いわゆる歴史的建造物が数多く建ち並び、石畳の道路がブタ地区。一方、近代的な四角い建物で、アスファルトの道路がペスト地区。


また、ハンガリー人の先祖は建築技術に長け、ヨーロッパの建築技術はハンガリーから西に広まったと、彼らは自慢する。イタリアのゴチック建築もパリのノートル・ダームの寺院建築も、このハンガリーから始まったと知る。ブタ地区の建築物、とりわけ教会建築は、誠に精緻で素晴らしい造形の建築技術を見せつけて呉れる。必見の技だ。


しかし、一歩街から西へ移動し田舎に行くと、藁葺きの小さな家が点在する。車も古くボロボロで、ドアには錆穴が幾つも開いている。着ているもの、食べているものが、みな粗末。また、山がなく、なだらかな丘陵がどこまでも続く。丘陵には農作物が作られている。


丘陵の所々には、ジプシー達の粗末な小屋が、そこかしこに立っている。ここは、農業国なのだ。最近まではロシアに、その前はポーランドに、トルコにと、この国は他国に占領され搾取された歴史を持つ。だから、貧乏なのだ。


しかし、東西の冷戦対立は、このハンガリーから崩壊を始めたという。ブタペストの市民広場に立っていたレーニン像がハンガリー市民の手によって引きずり降ろされたのを合図に、西欧全域にいわゆる東側体制は崩壊を始めたのだと、彼らは誇り高く説明する。


気骨あるハンガリー人は、チンギス・ハーンの子孫ではないかと思うほど、人間の誇りと、自信に満ち溢れている。ここから、西洋に巣くっていたレーニン主義の東側体制が崩壊を始めたというのは、誠に宜なるかなである。


他方、最近の情報では、国土の大半の地下に、安価で大変良質の粘土層があり、レンガやタイルの生産に適しており、また地価が極安のこともあって、最近注目され始めている。


ホテルの女性からトルコ風呂があると聞き、行く方法も教えて貰う。市電を30分も乗ると、対岸のブタ地区にある、問題の円形ドーム状をした古いトルコ風呂に着く。運賃は、確か30フォリント(15円)。オスマントルコにこの国が占領されていた当時、風呂好きのトルコ人が作った、本格的なトルコ風呂だという。そして、ご当地は温泉が至る処から出る。日本のトルコ風呂が異なのだ。


ここは、大理石で出来た、温泉の、古代の大衆浴場なのだ。1階には、茶褐色の模様入り大理石で造られた、巨大な円形風呂が左右に配置。それぞれの横には、小さい円形風呂が1つずつ見える。天井は高くガラスのドームになっている。400フォリントだったかを払うと、まず2階に行けと言う。ロッカールームで着替えて、真っ裸に。石の階段を降りて、湯気で辺りが見えないほど温泉水で満ちた、そのトルコ風呂に入る。


結構、深い風呂だ。女用、男用で左右に分かれている。小さいのは、水風呂だ。地元の年配が多く入っている。年寄り達とも、フロム・ジパングと言って、仲間になってワイワイ騒ぎ、気分が良く、2時間近くも風呂を楽しむ。


さて、帰りだ。ドナウ川の畔で市電を待つが、なかなか来ない。ドナウ川から、冷たい風も吹き上げてくる。ワイシャツと下着だけだったので、とうとう震えがきた。車で来た連中が、私を指差して笑っている。ブタのトルコ風呂に入るのに、市電で行ったという、お恥ずかしい失敗体験である。


(5)ボストンのスカイバア

ボストンはバスタンと発音、身をもって体験。1975年12月の暮れに、ナイアガラ瀑布を見た、カナダのバッファロー経由で、着地する。イギリスの新教徒達が、ニューフロンティア精神に燃え、最初に入植した街がここだ。所謂、アメリカ合衆国の京都に喩えられている。従って、街の中心部には、高層ビルがない。アイビーを羽織った、レンガ造りのしっとり落ち着いた建物が多い。


ボストンの警察官はパトカーでなく、騎馬に乗って町中を闊歩する。この方が、速く小回りが利き、人に威圧感を与えて、警護し易いという。機械文明だけが、全てではないという証左だ。一部の道路には、まだ石畳が残っている。


ホールが、天使達の絵で飾られた、大きなドーム天井になっている、由緒あるホテルに宿泊。当時を偲ばせるように、時間もゆったりとして、空気も凪いでいる。しかし、底冷えがキツク寒い。


東洋美術、中でも書画・陶磁器・仏像等の日本美術の収集で、その筋に有名な、ボストン美術館を堪能しての帰り。ワーフの昼食屋で巨大ロブスターを一匹なりに喰ったので、腹は満杯。味は、今ひとつ。アメリカ人の味覚はどうかしている。全部が大雑把だ。しかし、連中の集中力と行動力はダイナミック。そのエネルギー源は何か。バッファローの大きくて分厚い肉なのか。味無しで、よく喰えると不思議に思う。今日は3日目、明後日は新年。雪が少しチラついてきた。非常に寒い。ホテルで過ごすか、決め兼ねる。折しも通りの向かいから、ディスコ・サウンドが響いて、来い、来いと誘っている。


近づくと、音は、どこか上の方から聞こえる。四角いコンクリートの倉庫の様な、建物からだ。入り口を探す。車用の昇りのスロープが目に入る。ディスコ音楽は、そこから反響して聞こえてくる。結局、それは、4階にあった。まさしく、建物の最上階、スカイ・バアだ。クネクネしたネオンの赤いサイン文字も“ Sky Bar ”と真っ赤なドアの上に掛かっている。ドアの向うから、ガンガン、音が人を呼ぶ。そこはディスコでなく、ストリップショー&パブだったのだ。今更、引き返せない。ドァを開けると、ワォアーンと騒音がリズミカルに吐き出される。


ドーナツ状の楕円形をしたカウンター・テーブルが、手前と奥とに二列。カウンターの中にはノーブラでミニスカートの若いギャルが2人ずつ、オーダーを聞いて水割りを作る。ドーナツ・カウンターからは、登り棒がそれぞれ3本ずつ立っている。中年と年配の米人がたむろし、ムッとするタバコの煙。ディスコ・ソングがガンガンと腹に響く。突然に、幾つもの口笛が鳴り、皆が拍手を始める。ショーの始まりだ。少し高いが1グラス2ドル払い、水割りを注文。一気に飲み干し「ワンモア」。異国人の私を、誰もが、仲間と同じ様に扱う。おい若造ジャップと、肩も叩いてくる。


プレイポーイ誌に出てくる様な、若い娘達だ。ピンク色の全裸で、ピチピチ肢体の大股を棒に擦りつけながら、立ったり座ったり。ツンと上を向いたオッパイが揺れる。ディスコ・リズムに合わせて、腰をクネクネ。立った時は、スラリと延びた形のいい足を思いっきり上に蹴り上げ、チラチラ見せる。座った時の方が、扇情的。テーブルに置いたグラスのすぐ脇で、締まった足首の、大きな白いお尻をフリフリして、棒の廻りを一周。水割りがガンガンと進む。1人だけ28、9歳の年配がいるが、リーダーか。彼女だけは、若いギャルに負けじと、全裸に黒ガードル黒ストッキングだ。チラチラ見せながら腰を振って大股を棒に絡ませる。まるで、SMの世界ではないか。一段と、ディスコ・サウンドのボリュームがガンガンに上がる。サウンドと、猛烈なタバコの煙にも酔う。


私の隣にいた、鼻先の赤い、顎に白髭の年配ヤンキーが “ Which do you have it ? Young man Jap. ” 「どの娘がいい、ジャップの兄さんよお」とガラガラ声で聞くので、思わず「ブラック・ガードル」と答える。男は、俺に任せなと、冗談で胸を叩いて高笑い。その後どうなったかは、賢明な諸君の想像の通りだ。かくして、ボストンの夜が明け、年が改まる明日は、いよいよ憧れのニューヨークに入る。


(6)ロスのハプニング

シリコン・バレーのド真ん中にある、ザイログ社での仕事が無事に終わり、サンノゼ経由でロスアンジェルス市に、1984年8月時間着地する。米国大陸の西側の大都市、カリフォルニア州の最大都市ロスは、これで3度目。この町は、限りなく東西南北に広がり、広い。車も、道路も、ビルも、人も、ハンバーガーも皆デカイ。加州のGNPは、フランス国と肩を並べる、巨大な州だ。ニューヨークは気取っているが、ロスは雑だが躍動感で溢れている。


この度、ロス市長に選ばれ就任したアーノルド・シュワルツネッガー氏は、こう言う。「このロスが、私に全てのものを与えてくれた」と。ロスは人々の巨大な集合体である。つまり、巨大な想念の集合体であるからして、それだけ潜在エネルギーが強いと言うことだ。彼は、このエネルギーを上手に掴んだということか。


一方、怖い街でもある。ホテルの深夜は、乾いたピストルの音と、パトカーのサイレンの音が響く。殆ど毎日、追っ駈け合いの彼らの音が、ビルに反射して、部屋まで何回も届く。


泊まるホテルは、超高層ビルのシェラトン・ホテル。その47階に宿泊。夜になって、ホテルの部屋から窓の外を見ると、市街の明かりが地平線にまで限りなく、星屑のように広がる。高速道路を走る、車の光の帯が、まるで生き物の様に、チカチカしながら、うねるようにして、ジリジリと動いている。それは、それは見事な眺めだ。防音サッシュなので、部屋の中は極めて静寂そのもの。


昼間の散策で、見当を付けておいたので、夜になっても、どの通りに何があるのか、大体は分かっている。今夜は、ドアがピンクの、あのピアノ・バアへ行こうと思う。


中華レストランでピリリと芥子の利いた夕食をとる。見当を付けておいた、そのバアに迷わず入る。結構広い、清潔感ある店。テーブルは、既に半分ほど異国人で埋まる。白いグラント・ピアノが奥の真ん中で、メロディーを奏でている。夜の10時頃だ。バーボンウイスキー&ウォーターで、結構何杯も、何杯もお代わりする。そろそろ酔ってきた。ピアノの音が、心地よく脳に響く。


すると、鼻が高くて細い、小太りの24、5歳の若い女が、目を付けていたのか、側に座ってくる。髪はブラウンでカール、目は灰色っぽい緑色の、肌の白い、若い西洋の娘。ドイツから来た、留学生だと言う。私は、酔いつぶれる寸前で、警戒心が全く起こらない。明日は、出発の日だ。


彼女から聞いた話で、面白いのがある。ドイツ人と日本人は、頬骨が同じ様に張っていると言う。だから彼等は、几帳面さという性格的近似も含めて、日本人に大層親近感を持っていると言う。本当かと、ナンシーを観察すると、高い鼻で目立たないが、確かに頬骨が張っている。会話が進み、より親密になる。自然に、相手が肩に触れてくる。ホテルの部屋番号を聞くので、朦朧としながらも教える。夜も12時を前にバアを後にして、ホテルに帰る。


自分の部屋に着くと、足元がふらつく。頭もグラグラしながら、バスタブの湯栓をひねる。誰かがドアをノックする。日本人が好みの留学生ナンシーだ。まさかホントに来るとは。私がお好みのようだ。そのまま返すのも気の毒だから、暫しお付き合いする。ここからの記憶は、途切れトギレになる。


バスタブにまで追ってくる、歯を磨く、ブランデーを勧める姿が、バラバラに残る。プリッと上向きのオッパイ、太り気味の若い白い肌が追ってくる。力が強い、口元は笑い、目は真剣の彼女。記憶がない、Oh no! 飲み過ぎて面子がない。呆れ返るドイツ娘。


しかし、掌に妙な感触だけが残る。歯ブラシの様な、ザラザラした違和感。なんと、それは皮膚一面に広がっている。興醒めを覚え、バイバイする。深夜のロス、高層ホテルの47階でのハプニング。早朝には、シスコに向けて出発だ。


(7)ニューオーリンズの似顔絵画家

ダラスでデルタ・エアラインに乗り替え、ニューオーリンズに、1976年1月20日時間に着地。綿の積出港と黒人達の街だけでは、決してない。湾を横切る、遠くまで霞んで見える、大きな長い、長い橋。近代的なビルに、舗装されたアスファルトの広い道。着飾った、スタイルの良い街の白人達。どこにも、奴隷時代のそんな臭いはない。


旧市街に入ると、様相が一変。道路は舗装だが、パリの街を歩いているような錯覚をすら覚える。それは、建物が、屋根裏部屋を屋上に抱え、レースの様な白い模様の化粧をした鉄の窓飾りのある、パリ好みの外観をしているからだ。綿の積み出しで財をなした、フランス人の貿易商達が当時ここに、多く住んでいたからだと聞く。フレンチ・クォーターだ。こんなところで、パリに出会えるとは、と感激。


そして、舗装道路には郷愁をそそる、古い形だが綺麗に化粧された市電が、ゆっくり町中を走る。エリア・カザンの「欲望という名の電車」そのままの世界だ。ここにいると、なぜか落ち着く。前世は、こんな街に私は住んでいたのかも知れない。芭蕉の植えてある、テラス風の喫茶店でコーヒーを飲む。甘ったるい、ドロッとした香りの強いコーヒー。薄いアメリカンでは決してない。日差しが強い。チカチカと光が眼を刺す。


更に、奥に進み街の裏側に出ると、墓地がある。コンクリートで造られた小屋ほどもある大きな墓。沖縄の墓にも少し似ている。黒人達の墓だ。ハデな衣服で着飾った、何人かの黒人達が、日本人のお墓参りのように墓の廻りで集っている。カンカン照りの日中に、楽器を持って歌も歌っている。ジャズだ。正真正銘のニューオーリンズの、本場のジャズではないか。


沖縄とニューオーリンズは、地球の殆ど表裏程に離れて距離がある。然るに、この墓の様式が似ていると言うことはどういうことか。人間の思考や営みは、場所、人種、国家、言葉が違えども、殆ど同じなのではないか。つまり深層に内蔵されている思考回路には、人類共通の普遍的な通念があると言うことではないだろうか等と、思ってみたりもした。まだ、ジャズがもの哀しく、ヒュルヒュル鳴っている。


元の旧市街に戻る。パリ風の建物の1階には、ズラッーとお店が並ぶ。食べ物や、衣服や、民芸品や、飾り物等の土産物を売っているお店が、遠くまで連なっている。アメリカ人ばかりが多く、東洋人は皆無だ。ここは、北米大陸の南端。観光客相手の似顔絵描きも多く、街中にイーゼルを立てて、客を呼ぶ。一人の絵描きが、アメリカ人の女の子の似顔絵を描いている。見るとパステル画。母親が、画面の絵と子供とを見比べてニコニコ。


絵描きは、つばのピンと張ったフェルトのセピア色をした帽子を目深に被り、金縁の眼鏡をしている。ひょっと、その画家の顔を見て、私は驚愕の底へ。それは、まさしく私だ。年配のその画、家は、死んだ親父とよく似た、鼻の高い、目の小さい、スルッとした顔だ。何と年を経た、私の顔そのものではないか。このニューオーリンズで時間が裏返ったのだ。長い、長いタイム・トラベルが終わって、ここに戻ってきた。タイム・スリップの穴に陥った、かのような錯覚が蘇る、まことに奇妙な体験である。


終わりに

我々ロミーゴは、たまたま入った大学の、偶然に選択した学科で、クラス員25名の集まりである。誰がリーダーでもなく、連携している。しかし、家族にはない別種の心のネットで結ばれているように思う。我々は、若い頃、人生の勝利を夢見て、それぞれの道を歩んできた。そして、必然のように今、老いを迎えている。この先も、今迄とそんなに大きくは変わらない生活をそれぞれに引き繋いで、誰もがいずれは枯れ木となる。この先、いつまで生きられるのか、私には分からないが、好奇心の強いこの性格は、更にもっと多くの刺激を求めて、きっと彷徨歩いているであろう。エトランジェ、そしてタイム・トラベラーとなって。


(この作品は、2003年2月発行の「ロミーゴ文集」に寄稿したのを、今回の為に、少々アレンジし直したものです )


       
  完


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