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(BGMは、Celene Dion のI remember.)



(2)私説3億円事件

Written By Dengakudan




「書庫は、どこにあるかな」

「私は、こういう者だが」

その男は、そう言って警察手帳を差し出す。私の机の右手横側に、その書庫の扉があった。

 当時私が、社会に出て始めて就職した会社の東洋電機㈱・宣伝部の社員で、入社2年目が終わろうとする頃のことである。高層ビルの端緒を切った霞ヶ関ビルの23階が、私の職場。玉谷部長の下、事務の女性4名と16名のアドマンで構成される。 入社当時から、先輩で、私をマンツーマンで指導してくれた人が、武田さん。年齢は32歳、部員の中では最も年配だが、序列は何故か一番下。電機電信大卒で、当社の横浜工場でエンジニアをしていたが、絵が得意という理由で、3、4年前に宣伝部に異動で来られた人。普段から、玉谷部長との中は最悪だった。


「電波科学のバックナンバーを見たいのだが」

宣伝部のその倉庫には、電機関係の専門誌への広告掲載見本誌がドンと積んである。しかし、その中から、彼の捜し物は見つからなかった。

「私が来たことは、他の者には喋らないで呉よな」

そう言って、昼飯時に来た、その刑事は帰っていった。
それより3カ月前の、昭和43年12月10日に、 東芝府中工場従業員の冬季賞与金強奪事件、いわゆる「三億円事件」が起こっていた。日本信託銀行国分寺支店から出発した現金輸送車が東芝府中工場の手前にある、府中刑務所のスグ横の通りで、偽装白バイに乗った偽警官に強奪されたのである。前代未聞の大事件の幕が切って落とされた瞬間であった。


我々の職場の霞ヶ関ビル一階には、ショールームがあり、カラーテレビが出始めの頃で、色んなタイプのカラーテレビが陳列されている。いつものように、昼食後のショールームでのテレビタイムで、事件のニュースを知る。


普段からよく、平日に休みを取っていた武田さんは、その事件の日も休みを取っていた。なぜなら、テレビニュースが好きな武田さんといつも一緒にテレビを見るのに、その日に限って彼が側にいなかったから、このことは鮮明に記憶している。


武田さんは、殆どバイク中毒だった。通勤もバイク、旅行もバイク。故障も自分で直せるバイク・テクニシャン。勿論、中古カローラも持っており時折、自分でも運転する。住まいは、国分寺で、もう一つの趣味が競馬と映画鑑賞。シャイで、どこか子供っぽい仕草をする人だが、プライドは人一倍強い。緻密で頭の回転も速い。普段から、仕事のマンツーマン・フォローで一緒だったから、他の部員が知らない武田さんの一面を、誰よりも多く私は知っていた。


もう時効になってしまったが、この人が「三億円事件」の真犯人だと、私は確信している。関わり合いになりたくないので、このことは、今まで誰にも一切話したことはないが、いま、諸君に始めて明かすことである。では、これから私の説を紐解こうではないか。


(1)電波科学


犯人を特定する一つの糸口が、専門雑誌「電波科学」の昭和43年7月号の本である。これは、事件を担当した刑事の平塚八兵衛も言っている。実部数12,525部と発行部数が多くないこの本は、本屋でも買う人が限られているほど難しい専門雑誌だ。だから、企業の広告掲載見本誌の無料配布リストも570部と限られている。当社にも、刑事がスグに調べに来た。そして、その7月号の雑誌は、何と、東洋電機・宣伝部の書庫にはなかったのである。何故なかったのか。


私が入社したばかりの当時、広告担当は、ステレオ、テレビ、カラーテレビ、特需関係に分かれていた。武田さんと私は、特需担当。特需機は、音楽機器、空調機、放送機器、通信機器、映像機器、その他専門機器と、多くの種類の電子機器を担当する。依って、「電波科学」には、特に特需機器の広告だけを毎月掲載することが決められていた。広告掲載見本誌も、当然、毎月必ず届く。広告見本誌を部長に見せて広告出稿を確認して貰えば、見本誌は、後はお決まりの書庫入りとなり、不要物となる。武田さんは、この見本誌を、時々自分の鞄にしまって持ち帰っていた。この姿を、私は何回も目撃している。


「電波科学」には、何頁ものTV回路図例集が多く綴じ込んであり、このTV回路図すら理解できる高度な専門知識を、彼は持っている。私なんかは、見たいとも思わないが、彼は、勤務中もこの雑誌をよく読んでいた。横浜工場時代の回路設計技術者としてのキャリアとプライドが、この難解な専門雑誌に執着させていたのだ。


つまり、この「電波科学」昭和43年7月号をいつものようにして、彼は家に持ち帰っていたということになる。彼しか、書庫から持ち帰る人は、他にはいない。紛れもなく、この雑誌7月号は彼が家に持ち帰ったのに違いない。だから書庫になかったのだ。これは、断言できる。


その雑誌7月号のTV回路図を印刷した頁で、現金輸送車の車体の下に、犯人が投げ入れたとされるダイナマイトに偽装した、あの発煙筒がくるまれていたのである。ここに、犯人と繋がる重要な接点の一つが存在する。


(2) 近代映画


この「三億円事件」が起こる4日前の昭和43年12月6日のことだ。日本信託銀行国分寺支店・支店長の自宅に、[300万円を用意しないと支店と支店長の自宅をダイナマイトで爆破するぞ] との主旨で、脅迫状が送りつけられるという伏線があった。この脅迫文を出した者と、「三億円事件」の犯人は同一人物だと、平塚八平衛も断定している。


実は、この雑誌「近代映画」の広告掲載見本誌も、当宣伝部の書庫には置いてあった。私が、書庫の整理担当だったから、この本のこともよく知っている。映画と電機の専門雑誌がどんな関連があるのかと、諸君は思うだろうが、東洋電機は当時、映写機器、映画関連放送機器も商品とし
て持っており、これらを「近代映画」にも広告出稿をしていたのだ。武田さんは、映画が大好きで、昼食のとき本で見た映画のことをよく話してくれた。この本も、電波科学と同じように、自分の鞄に入れて、持ち帰っていたことも、私は知っていた。しかし、あのとき来た刑事は、この「近代映画」のことは何も言わずに、何故か「電波科学」にだけ固執して捜しまわっていた。



驚く無かれ、実は、この脅迫状は「近代映画」昭和43年7月号の活字を、切り張りして作られていたのである。「近代映画」と「電波科学」、この2つの特殊な雑誌の同じ月の号を、しかも同時に、人知れずに持ち帰れるという、普通では考えられない極めて希なチャンスが、彼にはあった。刑事の調査に依ると、一般書店では、この二つの雑誌の読者は全く一致しないとの結果であった。ここにも、武田さんが、犯人と重なるルートが見えてくる。


では、こんな大事なことを当課に調べに来た刑事が、何故見逃したのか。この時期は、平塚八兵衛が担当ではなく、他の者が指揮をしていたからである。彼が述懐しているが、昭和44年4月着任した頃、初動捜査にミスがあったこともあり、捜査方針が二転三転して、いわゆる「お祭り捜査」となり、捜査本部は混乱状態にあったのだ。そこで、「近代映画」7月号も無くなっていることに刑事は全く気付かず、武田さんは、ラッキーにも網から漏れたのではないか、と推察する。


(3)国分寺の土地勘


事件は、国分寺の東芝府中工場の東側にある府中刑務所に面したスグ横の通りで起こる。ここが第一現場。黒いフードカバーで覆い隠した、エンジンを掛けたままの偽装白バイが置いてあった三角地が第二現場。強奪したジュラルミン・ケース三台から賞与袋を抜き出し、積み替え、現金輸送車を乗り捨て、そして逃走する為にエンジンを掛けたままの濃緑カローラが置かれていた、国分寺跡の空き地が第三現場、もう一度逃走用の車を乗り換えたとされる本町団地の第四現場。巧妙に仕組まれ、計画された配置である。


尚、これらに登場するバイクと車二台は、この付近一帯にある晴見町団地や本町団地の駐車場から時間をかけて盗まれたものだ。団地族の他人に干渉しない生活観を、よく知っていた者の仕業といえる。そして、この第四現場で、二台目の最後の逃走車に乗り換えた犯人は、人知れずに迷宮の闇へと逃走したのである。


これらの現場は、府中刑務所を中心とした、国分寺周辺の、この付近の土地勘がなければ、絶対に選定できない場所なり逃走ルートであると、平塚八平衛も説明している。あろうことか、武田さんはこの国分寺に住んでいたのだ。また、バイクに乗って競馬場に行き、負けたときは憂さ晴らしに、色んな道を通って帰るのが常だった。これも、私が彼から聞いて知っていた彼の行動様式だ。付近の地理は、自分の庭のように詳しく彼の脳髄に入っていたに違いない。従って、彼には容易に、強奪と2段階逃走のルート図が描ける土地勘があったのだ。


(4)ベレー帽とヘルメット


事件が起こってから12日目の12月22日に、合成写真で作られた犯人のモンタージュ写真が早々と公表され、街角に掲示される。ヘルメットを被っているせいか、童顔でも割とりりしく見えるハンサムな顔立ちだ。


年の明けたある日、私は、日本橋の東洋電機本社に行く用事があって、地下鉄銀座線で外出する。帰り道で、銀座にあった写真公社という当部に出入りしていた写真屋にも用があったことを思い出し、寄り道をすることにした。そこに行くには、丁度テアトル・トウキョウという映画館の前を通らねばならない。そのテアトルの東向いの通りを歩いていると、黒のベレー帽を被った人が、多くの人に混ざって出てきた。黒のベレー帽は目立つ。武田さんだ。


映画好きの彼は、今日も会社を休んで映画鑑賞だったのだ。見てはイケないものを見てしまった私は、悟られないようにと、建物の陰に身を隠す。気付かれなかったかなと、彼の表情を観察する。そのとき突然に、私は直感した。ベレー帽を被ったその顔が、何とあの「三億円事件」犯人のモンタージュ写真と瓜二つではないか。


武田さんのベレー帽を被った顔を、私は知っていた。退社して、会社から離れた時に被っているのを、普段から私だけは時々見かけていたからだ。30歳過ぎなのに、額部分の髪の毛が殆どもう無くなりかけていた彼は、映画館に行くときも、変装気分でベレー帽を被っていたのだ。まして、今日は公休を取っての映画鑑賞なのだから。このベレー帽で上半分が隠れた彼の顔と、ヘルメットで上半分が隠れた犯人の顔とが、丁度、同じ条件となり、イメージの一致をし易くしたのかも知れないが、まさしくモンタージュ写真の男の目鼻立ちが、そこにあるではないか。これは、偶然にも、私が発見して感じたことだ。余り似ていないと悪評だったモンタージュ写真との類似だから、決定打とは言い難いが、犯人に違いないという私の確信は、一段と心の中で強まる。


(5)器用な細工


この事件に登場する、偽装白バイや赤色灯、トランジスタメガホンのいずれもが、犯人の手作りだという。白バイは、ヤマハスポーツ350RIという普通の黒バイクの特定部分に白ペンキを塗って偽装され、赤色灯は市販品を取り付けた後、バッテリーから直接電気配線され、トランジスタメガホンもトーア製の市販品を白色に着色されたものである。電気の知識と、ある種の器用さ、執拗さが、この仕事には要求される。
家での武田さんは、競馬と映画に行く日以外は、雑誌「電波科学」を参考にしながら、自分で考案した電気回路・配線図を基にして、ステレオ・アンプを組み立てたり、テレビの故障品を無料で二台貰ってきて新品の一台を作ったり、油絵を描いたり、日曜大工をしたりと忙しいとのことだ。彼の方から、聞くともなしに、一緒に行った昼飯屋で、私に喋ってくれたものだ。


『こんなバイクの細工なんぞは、俺に取っちゃあ、お茶の子歳々だぜ』と、

彼なら言うだろうと思う。


(6)背景と動機


武田さんは、横浜工場の勤務時代に、電気配線の回路設計を巡って上司のMと口論になり、激情してそのMを殴ったというのだ。Mは、公沙汰にはしたくないと、Mの大学の先輩である玉谷部長に相談したところ、結局Mの頼みで玉谷部長が、その武田さんの面倒を見ることになったという。武田さんの、絵が得意だという才能を上手に誇張して、人事に宣伝部への転属をネジ込んだという訳だ。しかし、全ての経緯を知っている宣伝部の玉谷部長は、特攻隊上がりで、かつ短気なこともあって、後輩のMを殴った武田さんを許すことができず、ことあるごとに些細なことで、武田さんを怒鳴りつけていた。しかも、部員の皆がいる前で。どうだい、これで参ったかと言わんばかりに、ふんぞり返りながらだ。


私は知っていたが、B男という職場の先輩が宣伝部の事務の女性と親密になり、当時流行のアパート四畳半の部屋で同棲をしていたり、またS夫という別の先輩も新宿で恐喝事件を起こしたり、この部署は、当時としては職場関係が乱れていた。また、その他にも、もっと宣伝部として本質的な事柄で解決すべきトラブルを、この部は多く抱えていた。こんな部の中で、武田さんのことに拘わり合う程、部長としては、余裕がなかった筈だ。もっとも、宣伝部は、その後、昭和45年1月からは、井元という新しい部長に替わったが、当然のことだろう。


余談だが、東洋電機㈱を退職して丁度28年後、そう今から7、8年前のことだ。この玉谷部長の息子が、あろうことか、現在私が住んでいる同じ団地内に移り住んで来たのだ。団地の中に用意してあった、ルビーネットで有名な近畿商会の借り上げ社宅に、一時期住んでいたことがある。玉谷部長と同じ様に小柄で、眼鏡を掛け、引きつった顔をしていたから、玉谷と言う珍しい名字の表札で、私には、すぐに彼の息子だと分かった。


しかし、私を執拗に警戒し、私の行方を捜していた武田さんの情念が、玉谷部長の息子の脳髄にインストールされて、息子に姿を変え、ワープして私を捜しに来たのに間違いないと、そのときの私は直感していた。顔面蒼白となり、本当に吃驚した。このことを知ってからというもの、息子には、いや武田さんには出会わないようにと、私は、この家の前だけは決して通らないように注意して迂回し、遠回りすることにしていた。


「武田ちゃん、またやっちゃったの。前に、ちゃんと報告しなさいと言ってあったでしょ。エッ、どうしてなのよ。このボンクラちゃん」部下を、ちゃん付けで呼ぶのが部長の癖だった。


ある日も、玉谷部長から、早口で、しかもキンキンと響く大声で、皆に聞こえるように職場の中で叱られた彼は、顔を曇らせ、うっすらと涙すらにじませて、私に言った。


「田中君、僕は今から早退するからね。それで、この早退届を芦田課長に出しておいて呉れない、宜しくね」と言って、うつむき加減に、足早で退社して帰ってしまった。芦田課長というのは、玉谷部長のお気に入りの、子飼いの宣伝課長さんのことで、むろん武田さんより年下の人だ。


武田さんに対してだけ、こんな執拗なイジメが、この宣伝部の中では、頻繁に起こっていたのである。彼の心の中には、徐々に玉谷部長に対する復讐心が芽生えていたのではないかというのが、私の直感・推理だ。


また、あるとき武田さんは、競馬で、かなりの額の借金があると、私に告白したことがある。今のようにサラ金がない時代だが、友人か親戚から借りていたのだろう。復讐心と借金、これが彼を、この大事件へと駆り立てた動機ではないだろうか。


(7)退職の真の理由


入社4年目、昭和46年2月の、ボタン雪の降る寒い或る日、武田さんが、キッと私の顔を見て誘う。


「オイ、田中君。お茶飲みにいこうか」

断る理由もないので、ハイと同行した。こんなとき、普段は一階のショールームの向い側にある レストラン霞が関にするのだが、今日は場所が違う。特許庁の裏にある、小さなアシベという喫茶店に連れて行かれた。こんな場所は私も知らない処だ。陰気な、我々しか客の居ない、この小さな喫茶店で、ドロッとした甘ったるいコーヒーを飲んでから、彼は落ち着き払って、静かな声でこう切り出した。

「オイッ。田中君、どこまで分かっているのだい」

一切を理解した私は、狼狽し、恐怖心と共に、知らぬ存ぜぬを通そうと覚悟した。

「なんのことですか」

彼は私の質問には答えず、一方的に話し始めたではないか。

「僕はね、薬品にも強いんだぜ」

「先日ね、二俣川の君の家の前に、バイクで行ってきたよ」

「新婚ホヤホヤの、奥さんの顔も見てきたぜ」

「綺麗な、可愛い奥さんだねえ」

「田中君、奥さんを大事にしろよ」

「それからさあ、余計なことを、一切喋るなよな。どこまでも付いて行って、一生涯付け回わして君を見張っているからな」

暗に脅迫してきたではないか。


知り過ぎた私への警告を出された以上は、もうここには居られない。もしかして、自分も殺されるかも知れない。気の弱い私は恐怖心にかられ、東洋電機の退職を決心した。妻にも内緒で、次の職場を探しはじめ、ロミー商会に転職合格との通知を確認してから、その3月末に、早々と退職した。東洋電機での在籍期間は、丁度4年間であった。


<あとがき>


武田さんは、その後どうなったのか、その時から職場を離れた私は、彼の消息を全く知らない。そして、事件は時効を迎え、今この事件の犯人は永久に封印されてしまったままとなっている。今から30年程前の3億円だ。大卒の初任給が2万4、5千円頃の時代である。現在の貨幣価値に換算して、ざっと30億円強の金額であろう。どこかで、彼はきっと優雅に暮らしているのだろう。それとも、どこかでホームレスをしているのだろうか。いや、慎重で用意周到の彼は、きっと海外のどこかで悠々自適の生活を送っており、そしてネットを使った新たなる仕事の計画を着々と実行しているのに違いないと私は思う。3億円事件の沈黙を保ったままで。


長い間、私の胸にしまっていた封印を解き、この疑念を全てさらけ出し、私は心から解放されホッとしている。私の人生の中で、社会に出たばかりの若い頃の、ほんの短い期間に体験した、私が犯人と断定した人との奇妙な接点を、諸君にありのままに語り尽くして、今は安堵感で一杯である。事実は小説より奇なりだ。しかし、ウェブ・ネットを張り巡らせている彼が、私のこのHPに到達して、この実験小説を読んだ時には、ワープ・スルーして私の処に来て、『余計なことを書くな。約束を破ったな、田中』と言うだろうなあ。そして、私の命はないかも知れない。


実は、この最終回をオンしてから2日目の深夜のことだ。それがやってきた。私が寝ている8畳間の和室の天井に、何か妙なものが飛んでいる様な音がして、ぼんやりと私は目覚めた。パタパタパタ・パタパタと、妙な音を立てて、寝ている私の頭の上を、何かが飛び回っている。真っ暗な中なので、判別できないが、確かに何かが飛んでいる。黒い陰と、サーツと空気の揺れるのも感じられる。ぞっとして電気を点けた。目覚ましの時間を見ると午前2時半を指している。私は見た。それは、蝙蝠だ。紛れもなく蝙蝠だ。どこから入ってきたのか、蝙蝠が私の寝室に飛んでいるではないか。翼の大きさが14、5cmにもなる大きい奴だ。大変に吃驚し、ゾッとして本気で目覚めた。


    こんなことは、今までになかったことだ。幻覚ではない。奴は、紛れもなく私の布団の上の、天井の周囲を飛んでいるのだ。一瞬に、私は理解した。彼が来て、警告を発しているに違いないと。


私は、寝ながら読んで枕元に置いている、いつもの新聞紙を丸めて、叩き落としてやろうと何回も何回も、そいつをめがけて振り回した。そして、とうとう叩き落としてやったのだ。まだ、ヒクヒクと動いているが、紛れもなく蝙蝠だ。近づいて見ると、妙な臭気が漂っている。臭い、臭い。非常に気味が悪い。落ちたのを新聞紙で繰るんで、丸めて、ゴミ箱に入れた。再び寝ようとしたが、寝付かれず、とうとう朝四時に起きる羽目となる。いつものように、6時前に起きてきた家族の者にも、それを見せて確認させたが、紛れもなく、それは蝙蝠だった。これは、幻想でなく、事実なのだ。


いよいよ、私は彼に捕らわれてしまったのか。次は、どんな手でやって来るか、今の私は、大変に緊張している。公開してしまったからには、もうどうしようもない。彼の標的になるだけだ。私の命のあるまで、諸君、さらばじゃ。アディュ、さらばじゃ、さらば。


あろうことか、そして、またそいつがやって来た。今朝、ネットカフェの私の頁に、奇遇? とだけ書き込みをいれて、誰だか知らない奴がやって来ていたのだ。予想通り、ネットを使ってアクセスしている。ああ、どうしよう。暫くは、じっとしていよう。奴に、捕らわれないように。諸君、今度こそ、ホントにさらばじゃ。さらば。


ああっ、なんだこれは、さらばどころじゃないぞ。システム破壊のソフトを送りつけてきたぞ。ああっ、とうとう壊れた。そして、今やっと復元したのだ。ホントに朝からシステムの全面入れ替えをしたのだ。ゲェーッ、何だこれは、マイドキュメントも全部真っ白になっている。FDに少し残っているが、総てぶっ飛んでしまっている。ワアー、全部作り直しだ。


奴だ、奴に違いない。いよいよ、奴が攻撃開始に出て来たんだ。さらば、諸君。





< この小説は、昭和50年9月20日初版 ㈱勁文社 発行の、平塚八兵衛 著 「三億円強奪事件」を参考に致しました。謹んで、ここにご報告を申し上げます。 >


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