明治17年11月7日、困民軍は十石峠を超え、午後4時過ぎ大日向村本郷の龍興寺に信州最初の本陣を構えた。ここで陣容を立て直した北相木村出身の総理菊池寛平の思想は「人民斯く蜂起せしは、来る23年の国会開設を待ちかねてのことなり。今、17年11月1日全国尽く蜂起し、現政府を転覆し、直ちに国会を開くの革命の乱なり」に示されている。
大日向村では、付近の集落から1戸1人の壮丁を募り、結局佐久戦争への参加は60人をくだらなかった。同村では坂本宗作らによって矢沢の浅川家が襲撃し、海瀬境田の黒沢家に迫っていった。浅川家は打ち壊しに遭い、黒沢家は金品、武器を奪われている。
11月8日本陣を、海瀬村四ツ谷の龍福寺に置き、相馬酒店に炊き出しを命じると共に、近隣の村から農民の狩出しを行い、北相木、南相木村各198人、戸長が困民軍の村民狩出しに応じた高野町の46人など、南佐久郡16ヵ村から576人の参加者を集めた。北相木の場合「上産の者」も挙村参加している。寛平の呼びかけが佐久の民衆全体を動かしたのである。
 夜は本陣を東馬流の井出直太郎方に移し
、小海村の黒沢市右ェ門宅を襲い徹底的な打ち壊しを行うと共に、市右ェ門の妾宅大洲の湯を焼き払っている。9日の早朝午前3時、天狗岩の手前にいた困民軍の斥候が、人影を見て銃を打ち込んだが、逆に鎮台兵の反撃を受け本陣に急報している。深い霧の晴れる午前6時困民軍は高崎鎮台兵に戦いを挑んだ。仕掛けたのは困民軍であったが、鎮台兵の村田銃に火縄銃では相手にならず、総退却を余儀なくされ東馬流の集落に逃げ込んでいる。これを鎮台兵は追撃し、農民13人を殺害している。困民軍の死体は、大地を鮮血で染め、寒風の中に放置された。鎮台兵側も、1人が死亡し2人が負傷する。井出宗作の妻シャウは、朝早くから家の外で働いていて困民軍と間違われ、射殺された。

               井出ジャウの生家                          井出正義先生


              ジャウが撃たれた田圃                       ジャウが逃げようとした畦道


         井出ジャウの祠                                  井出ジャウの祠側面


          井出ジャウの墓                                    ジャウの墓側面


         ジャウの墓側面2                                井出宗平の墓


         困民軍が隠れた石塔                          会津の先生が隠れた石塔








            困民党散華の碑                               散華の碑戦死者名簿


          菊池寛平の像                                   井出為吉の像


          菊池寛平と井出為吉の像                       東馬流集落


            東馬流の馬頭観音                             馬頭観音

       天狗岩と小海線                                    馬流駅


               東馬流の戦い                         シャウの祠上から東馬流


            最後の本陣                              本陣井出直太郎の家

          古戦場に向かう橋                           角トの入り口庚申塔


         馬流薬局奥に角ト                              角ト跡



             さいかち河原                                     溺死塔表


            溺死塔裏


                     自福寺


            相馬酒店                               海瀬館(龍福寺跡)


              黒沢銀行                                   黒沢銀行裏


              東山銀行裏側                               東山銀行正面 



               内津忠助宅                             内津忠助蔵


          高見沢勝五郎の妻                               高見沢勝五郎


            高見沢勝五郎裏                              内津家から高見沢家


           黒沢利左衛門宅                               高見沢勝五郎宅


           黒沢利左衛門西                               黒沢利左衛門裏庭


           黒沢利左衛門の門                            黒沢利左衛門裏庭の像


              境田                                 崎田の黒沢利左衛門宅


            黒沢家の屋敷と倉庫                         黒沢家の屋敷と倉庫








           打ち壊しに遭った浅川源助                        浅川源助土蔵と庭



             浅川源助土蔵                                 浅川玉之助祠裏側


              浅川玉之助家跡                               浅川玉之助祠前面

               
              浅川源三郎門                                   浅川源三郎跡2


               浅川家瓦                                    浅川家瓦2


             浅川源三郎跡                                大洲の湯跡



            黒沢市右ェ門宅跡                           市右ェ門新屋


          自由党員黒沢安正宅                          西の反     
                          

                龍興寺内部                              龍興寺内部2 


            龍興寺                                龍興寺山門


            不動尊                               不動尊 


東馬流の壮絶な戦いに四分五裂した困民軍は、体制を立て直すこともできずに甲州街道を南下、海ノ口から野辺山に敗走する。途中海尻の大月橋付近で憲兵隊と小競り合いが起き、秩父から長征してきた1人が切り捨てられた。
11月9日午後2時頃、秩父困民軍はついに野辺山原に壊滅した。蜂起以来実に10日間に亘る、武州、上州、信州にまたがる反権力の戦いであった。

               大日向 桜                                  大日向 花梅


               道祖神                                抜井川


                玉田屋跡                            由井定衛の穴倉


          古谷の戸長 由井定衛                       由井定衛裏の井戸


            大日向を流れる抜井川                      大日向の十石街道


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