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フリーライティング (2003/01/27)

 

かなりの前の文章でも触れましたが、他の人にどこまで役に立つかは分かりませんが、私自身が「とっておきの秘伝」と考えている方法をご紹介しましょう。私の場合、この「秘伝」により、いわゆるライターズブロックと呼ばれる「書くことの苦しみ」をある程度(完全ではないものの)克服することができました。またこの「秘伝」により、何とか量だけでも250ページもの博士論文ドラフトを仕上げることができたとも考えています。

 

その方法とは、ずばり「フリーライティング」とか「ノンストップライティング」とか呼ばれているものです。私の知るところ、この方法は欧米では既にかなり普及しているようです。アウトラインメソッドを凌駕する勢いで各大学の論文指導の間で重宝されています。

 

フリーライティングという言葉を最初に使い始めたのは、Peter Elbow という英文学者です。『Writing with Power』および『Writing without Teachers』という彼の手による2冊の著作は、フリーライティング界?の古典的名著として崇められています(私も2冊とも持っており何回も読み返しています)。彼は英文学の博士課程時代に、いくら完璧なアウトラインを作成してもどうしても「書くことの苦しみから抜け出ることができない」また「いつも書き上げたときには当初のアウトラインとは異なったものになってしまう」という経験をしていました。「どうしていつもこうなるのか」という問題を彼は真剣に考えたようです。そして書く行為の本質を決定する2つのヒントを得ることができました。

 

1つは「書くという行為は、言葉を紡ぎ出すという創造のプロセスと、紡ぎ出した言葉や文を整えるという訂正のプロセスの2つがあり、われわれはこの相反するプロセスを同時進行させながら書き進めている」という点です。そのため「一文書いてはそれを吟味し訂正し、もう一文書いてはまたそれを訂正し」という肯定と否定の分裂的往復運動をわれわれは繰り返しているわけです。これは大袈裟に言えば、一文書くごとに自己肯定と否定を繰り返しているようなもので、無意識的にたいへんな精神的プレッシャーがかかっています。書くことが苦しくなって不思議ではありません。

 

では、この苦しみから逃れるためにはどうすればよいのでしょうか。ここにElbow氏のコロンブスの卵的発想があるのですが、要するに「創造と訂正のプロセスを分離する」という方法です。ブレインストーミングなんかとも似ていますが、第一ステップでは、どんどんノンストップで書いていく。どのような言葉を選べば適切か正確か、はたまた文法などは一切気にせずどんどんノンストップで書いていく。ここで大事なのは「ノンストップ」という点です。途中で論旨がずれたり、書くことが思い浮かばなかったりしても決して気にしてはいけません。止まらずに書いていきます。あまりに論旨がずれた場合は、思い切って段落を改めればよいでしょうが、あくまで優先させるべきは「書き続けること」です。

 

書くことが思い浮かばない場合でも強引に書き進める。たとえば、構造主義について何か書こうとして何も思い浮かばないとする。その場合でも「構造主義について何か書こうとしているが何も思い浮かばない。」などと書き連ねる。そうしているうちに手と頭が温まって「たったいま書いた文から連想が働き、次の文が生み出される」というように1つの「流れ」が形成されてきます。そうすればしめたもので、頭の奥底にストアされていた知識が「流れ」の中で急に浮上してきます。そうして、アウトライン作成中には決して思い浮かばなかったような、ウィットに富んだアイディア・言い回し・発想・知識などが湧き出てきます。

 

そして、この「流れに乗る」ということが、Elbow氏が考慮する2つめのヒントであるわけです。前回のメールでも私が言及しましたが、人の想起能力というものは、非常に状況に左右されやすい性質をもっています。今思い出せないことが別の状況においてふと思い出せたりする。これはどういうことかということ、われわれが「何かを知っている」というとき、知っている内容というものは、意識上にあるものよりも意識下にあるものの方が膨大なわけです。アウトライン作成中は、私たちは意識上の知識を駆使するだけに終始してしまい、知識の機械的操作のレベルをこえることができません。しかし、フリーライティングをすると「流れ」が発生し、その「流れ」の中で議論の核心に関する事柄について、まさしく絶妙のタイミングで自らの無意識の貯蔵庫に釣り糸を垂らすことができるのです。そして「流れ」に乗っていなければ決して思い出せなかったような活きのよい知識や知恵やメタファーがぞくぞくと釣り上がってきます。前に言及した「狐憑きライティング」がまさしくこれです。

 

この2つ(つまり「創造と訂正の分離」と「流れに乗る」)が、フリーライティングを支える大きな柱であります。むろん、この方法では「創造」および「流れに乗る」という部分を重視しているため、一見すると、論旨明解を重視する論文執筆には向かないようにも見えます。しかしながら、私の経験では、さらにフリーライティング愛好者が語るところによると、「創造の波」に乗って一気に書いた方が論旨一貫した文章が書ける場合が多い。実際、私たちは本質的に「論理的にしかものを考えられない」という性質があるわけで(支離滅裂に考える方が逆に難しい)それは当然かもしれません。むしろ、一文書いて吟味し、もう一文書いて吟味している方が、文と文、段落と段落、文末と文頭との「時差」が大きくなり、連想が働くどころか、「前に書いたことを忘れてしまう」という事態が発生し、論旨の不一致、文の捻れなどが発生する可能性が高いといいます。私もそう思います。

 

ただし、フリーライティングで注意すべき点もあります。1つは、一気に書き上げた後の「訂正の段階」では、思い切って徹底的に「訂正」を行なうことです。フリーライティングの「ナマ文章」は、意識の流れを自動書記で書き落としたような文体である場合が多々あり、独白的な無駄が非常に多い。したがって、この場合の「訂正」とは徹底的な削り込み作業であるべきです。これが徹底されないと文体が非常に散漫・冗長な感じになります。事実、私の文体にはその傾向はあると自分では思っています。

 

もう1つ注意すべきというか「心構え」として必要なことは「信じる力」です。何を信じるかというと、自分の意識下の貯蔵庫には膨大な知識・知恵・比喩・発想などが貯えてあるということ。それを「信じる力」です。12使徒やイタコではないけれど、「とにかく書き出す」そして「ノンストップで書き続ける」ことにより、そういった聖霊やら狐やらを呼び出すことができる。「そういったものたちが自分の代わりに書いてくれるんだ」と信じる力です。

 

どうしてもこの「力」が必要です。実際、いま私は「まさか自分がこんな長文を書くことになる」とは予想もしていませんでした。とにかく書き出したことで、私の中で「流れ」が発生し、聖霊やら狐やらが現れてきて、彼らが、私がずっと昔に呼んだPeter Elbowの本の内容(これは多分の私の意識下にストアされていたのでしょう)を書かせたようです。

 

なお、参考になるかわかりませんが、授業などで課されたブックレポートなどを作成する際にも、私の場合、フリーライティングメソッドが役に立ちます。

 

こんな方法です。まずは、線を引いたりメモを取ったりしながら何回も何回も読み返します。そして「内容が自分の頭に定着してきたかな」と思う頃を見計らってその文章自体から離れます。次に必要なことはただ1つ。「信じる力」です。自分の意識下に内容がストアされたと信じる力。この「信仰心」のもと、勇気を出して書き始めます。むろん「一気書き」です。すると不思議なことに、書く最中に「すぐには思い出せなかった内容」が文脈に適したかたちで、ひょこっと浮上してきます。これがフリーライティングの醍醐味です。そして徹底的な訂正。こうやってレポートができあがりました。

 

いかがでしょう。お役に立てたでしょうか。ともかく私の場合はこの「秘伝」により、質はともかく、膨大?な量の文章を日々書いております。量が質に転化することを願って。

 

追記:

「フリーライティングはセッション」とはうまくいったものです。「書くことは音楽」なんですね。「セッション」から連想されるように、これはジャズです。書くことはジャズであったとはなかなか新鮮な発見です。とくにメールによるやりとりはその傾向が強いと思います。

 

普通、ジャズでのセッションとは「初対面の仲間たちが集まって即興の演奏会をする」というものです。その出会いの妙を楽しむわけです。正確にスコアをなぞるのではなく、自分なりの即興のアドリブと加える。ピアノのアドリブと、サックスのアドリブ、ダブルベースのアドリブ、ドラムのアドリブとが絶妙に混ざり合って豊かな創造性あふれる「カルテット」が展開される。そんなおしゃれな雰囲気が書く行為にはあるかもしれません。実際、私はいまピアノの鍵盤をたたくようにキーボードをたたいています。どちらも「キーボード」と言いますからね。

 

 

 

 

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© 2003 Tsutomu Yonashiro

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