
「空背身之」
―うつせみの―
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本を、よく読むようになった。 昔は字列を目で追うことは苦痛でならず、一刻だっておとなしく座ってはおれなかったのだが、いまは糸がほどけるようにするすると頭の中に入ってくるのだった。そうなるとついつい面白くもなり、縁側に腰を据えて読みふけってしまうこともある。 本は大抵、当主の部屋にいやというほどころがっている奴だ。常葉は今まで滅多に本など読まぬでいたから、書名から内容をおしはかるなどというしち面倒臭いこともしない。どんな本でも読めばそれなりに面白いものだ、いままで読まずにいたならばなおのこと、読むこと自体がおもしろい。それに部屋のあるじが読むこともなく、枕元に積まれたまま、或いは開き癖のついたまま、そうして埃が積もってゆくのはいかにも、本が不憫であることだし。 そういう訳でこの五日間、常葉は本を読んでばかりいる。 他にやることもないのだった。 いままで一日の大半を費やしていた手合せも、相手が居ないとあっては面白みがごっそり削げる。九曜の薙刀と打ち合っても良い筈だし、なんならひとりで演武の型をなぞっても良い筈なのだが、さっぱりその気が起きない。九曜は九曜で、最近は朝起きるなり都へと出かけてゆくようになったもので滅多につかまらない。それも手合せを大儀に感ずるようになった一因であろう。夕方、鴉の鳴く頃には帰ってくるので常葉もあまり心配してはいない。いつも、腕にいっぱいの花を抱いて帰ってくるのだ。たぶん、どこぞの白川女あたりから買ってくるのだろう。毎日まいにち、花ばかり抱いて帰ってくる。夏の盛りの花だ、一日保てば良い方で、枯れてしまった花を九曜は裏庭に土を掘って埋めている。ながく見ているのが辛いから、埋めてしまうのだそうだ。埋めているあいだは、こころが落ち着くのだそうだ。あれはたぶん、花を愛でるためではなく、埋めるために買っているのだ。自覚しているかどうかは怪しいけれど。 それで落ちつくのならば良いかと思うので、常葉はそれには一度も文句をつけたことがない。すくなくとも、当主さまよりはずっとましだ。そう思いつつ、書面に投げていた視線をそっと背後に流す。簾の奥はしんと静まり薄暗い。いつもと変わらないように見える。それは確かだ。当人もいつもと変わらないつもりでいる。それも確かだ。 だからと言ってほんとうにいつもと変わらない訳じゃない。あいつはそこのところがわかっていない。そう思うとしぜん苦虫を噛み潰したような表情が顔に浮かび、常葉はその顔をまた書面に振り向ける。 まったくあいつはなんにもわかっちゃあいない。唇だけ動かしてそう呟く。夏の日がゆっくりと、ひどくゆっくりと傾き始めていた。じり、と蝉の声がするが気にはならない。耳鳴りのようなものだ。ほんとうに耳鳴りかもしれない。どちらにせよ、気にはならない。よくあるのだ。ことに、妹が死んでからは。 ◇◇◇◇ 六道が仕事をするのは仕事が欲しいからで、それ以上でもそれ以下のことでもない。やろうと思えば幾らでもあるものだ。家屋の修理の見積もりを立てる。庭回りの造作に手を入れる算段をする。書簡に目を通し整理をして返事を書かねばならぬ。蔵に積もった戦物具の整理にもそろそろ手をつけたいところだ。と、なると、故買屋に渡りを付ける算段も整えばならぬ。…… 何の問題もない。 指が震えて土器が持てぬこと。日の強い時分に外に出ると眩暈がすること。喉が渇き、こめかみのあたりに絶えず鈍痛がすること。 何の問題もない。何もない。何も。 そう思いながらふと顔をあげると、簾の影が人のかたちに落ちている。 ぴり、と己の眉が逆立つのが判った。 今は見たくない。見たくない。見たくないのだ。 立ちあがる拍子に脇息が倒れ、激しい音が立った。筆が転げ墨の痕が散る。躰の感覚と己の思うところが噛み合わず、動きを上手く制御できぬのだった。気にはならぬ。心の隅ではむしろ、一種の爽快ささえ感じていた。簾に手をかけ、引き千切るが如き動きで引き開ける。口を開こうと思うのに、歯が、勝手にきりきりと鳴る。一拍置いて、声はかすれ、まるで己の声のようではなかった。 「――何故、そこにいる」 普段読みもせぬ書物を膝にかかえ、双子の片割れはひろやかな背をぼんやりとまるめ、そこに居た。ゆるりと振り向く、赤い髪が残り火のように夏の残照に照り映えている。 ――何故、おまえが、そこに、ひとりでいるのだ。 にくしみに似た気持ちを押し殺し、六道は知らず知らず、己の髪を強く引いていた。ぎしりと軋み、疼痛とともに引き抜かれた髪の幾本かが掌に残る。それを見ている常葉の顔がひくりと引き攣るのがわかった。 だが、知ったことではない。 そう思った。 ◇◇◇◇ そもそも、その部屋の簾のちかくに腰を下ろすことを好んだのは双子の妹である葉常のほうだった。何もすることがないとき、双子はよくだらだらとそこで時を潰した。簾越しに中に坐す六道に声をかけ、もう済んだか、まだ終わらないのか、などと囃しながらかれの仕事が終わるのを待つのだ。背中合わせに膝を抱える癖がどちらにもあり、どちらからともなくそこに座って無駄話に花を咲かせるのがこの双子の日常だった。赤髪の子どもふたり、初陣からいくらもせぬうちに身についた暇のつぶし方。六道の対応は概してそっけなく、仕事が夜の遅くまでかかりそうな日など手を振って早々に追い払われることが常であった。双子はどちらもそれに懲りず、また次の日のはそこで戯れているのが見られるのだったが。 だがそれをふたたび見ることは、いまや叶わぬ話である。もの言わぬ骸となった双子の片割れを荼毘に付してから五日目。葬儀一切を取り仕切り、弔いの烟を燃やすのは当主である六道の職分であり、かれはかつて幾度かした通りにその仕事をひとつの落ち度もなく勤め、灰を撒き、部屋に戻り、ふと緊張が途切れたその瞬間に泥のように崩折れたのである。だれが見ても、体力も気骨も使い尽くしての喪神であった。時を待たずに目は開けたが、何も見えぬような鈍い目つきをして、何処とも知れぬ何処を見ていた。口も聞かずものも食わず、ときおり唇からこぼす呟きは誰にも意味の取れぬ言葉の無秩序な羅列であった。そのような状態が二日続き、そして三日目、かれは誰にも行き着けぬ境地から日常の居場所に戻ったかのように振舞い始めた。普段どおりに床を上げ、朝暮の膳につき、滞っていた当主としての職能に手をつけた。口数は以前より格段に減ったが、まともに受け答える会話をするようになった。虚空を見る目つきでたびたび手を止めるけれど、する仕事は筋道立ててあり至極真っ当な出来映えだった。そうしてそれから、朝から晩まで仕事をするようになった。しまいには床を上げるのも手間に感じるほど没入し出した。臥所には蝉の抜け殻のように衣を残し、読みかけていた書物はすべて埃を被り、または開き癖がついた。 そうして今に至る。 葉常が討ち死にして五日目。葬儀の次の日から簾の向こうに座りつづけた常葉に今日このとき、この男はやっと気がついたと言う訳だ。 それまで、この男はそちらを絶対に見ないようにしていた訳だ。絶対に。絶対に。絶対に。 五日振りでやっと日の下で顔つきあわせ、その蒼ずんだ顔色とそこに浮かんだ傷悴の蔭とをあわせて見て取り、常葉はおもわず顔をしかめた。怒らぬでおこうと思うのに、勝手にこめかみが引き攣るのだ。 まったく、なんにもわかっちゃあいない。 冗談じゃない、と思った。 そんな風に目をひからせて不機嫌な面つきをしたって誤魔化されるものか。そんなに蒼ずんだ瞼で、乱れたふぞろいの髪の毛で、血が乾きこびりつき醜い傷跡になった親指で。 ――何故そこにいるだと? 冗談じゃない、と思った。 喧嘩売ってんのか、てめえ。 ◇◇◇◇ 常葉には生まれつき、両頬に二本ずつの痣がある。水墨で描かれた線のように薄い、さして目立たぬものであるが、この痣が何に似ているかといえば、魚の鰓に似ている。実は似たような痣は葉常にもあり、両の肋のしたから二本ずつ、肩の貝殻骨のところで流麗な曲線を描くところはさながら、雛の翼を切った痕かと思わせるうつくしいものであった。 ともあれ、その痣は顔いろよりもいち早く当人の感情にあわせて紅潮し、または蒼褪めて暗い色にもなる。六道は幼時からのつきあいで、そのことを知っていた。だからそのときも、六道は常葉の顔色ではなく、常葉の頬の痣の色を見ていたのだった。その痣が真物の鰓のようにひくひくと震えるのは、頬の奥、その下で歯列を強く噛み締めている証拠であることまでは知らなかったのだが。 常葉は直情にして朴訥な行動傾向の持ち主であるが、その芯はおだやかで、人によく気を回す。熟柿のように顔をあかくして声をあらげることこそ多いものの、怒りそのものをさらけ出すことは実は少ない。だからそれは六道でさえ滅多に見たことがない表情であった。 怒鳴ったり顔を歪めたり、そういうことをするのはこの男の場合、照れ隠しか、でなければ怒りをはやいうちに発散する手段である。そうしているうちは実はたいした怒りではないのだ。だがそのとき、常葉はまず一度、ゆっくりと目を伏せた。膝の上の書物を丁寧に閉じ、栞を挟み、膝から離れたところにそっと置く。いつもの粗雑さにはまるで似合わぬしぐさである。六道はかまわず、横顔に浮いた二本の痣を眺めつつ言葉を重ねた。重ねるべきでないとは思っていた。己の性分は心得ている、常葉と比べれば六道のほうがよほど癇性で気が短く、しかも荒事を厭わない上に弁舌に毒がある。よく敵を作る性分である。しかし思いに関わらず、声は低く、口を割って流れ出た。 「去ね。目障りだ、」 常葉はそれを聞いて去らず、去るかわりにぼそりと言った。吐き捨てる口調だった。 「いままで気付かなかった癖に。」 なんでいまさら。と、目は合わさず独り言めかして言うのが瞬間、おそろしく気に障った。己の貌から表情が失せていくのがわかる、まるで死んだ魚のような目つきになるのがわかる、顔ぜんたいが木面のように動かない、強張ったものになる。そこであえて笑むと、うすい唇の端がきゅっと曲がり、しかしその表情は誰が見てもまったく微笑とは受け取れぬたぐいのものだ。声の響きは最前よりすこしも変わらず、ただ、言った。 「常葉よ。俺は、去ねと言うたな?」 「きいた。」 そして去る気はまったくないと言いたげに、わざとどすんと音を立てて腰を下ろした。その常葉の背後に抜き足で立つ。六道の歩き方は普段からまったく音を立てぬたぐいのものだから、こんなときにも違和感がない。ぐい、と肩を掴む。振り向こうとしたその頬は、じつに良い音を立てて鳴った。まったく加減をしない一撃だった。完璧に不意を打たれ、ぐらりと傾く体躯を前に、その貌は唇を曲げたときのまま、まったく微動だにもしない。 ◇◇◇◇ それはそれは、実に美事な一撃だった。 痛みより何より先に、物理的な衝撃の方が脳にずんと来た。あやうく視界が白くなりかけ、振り向きざまのその体勢が崩れ、常葉は反射的に目の前にあった髪の房をわしづかんだのである。 初撃よりもむしろ、その手が振り払われようとする、そのしぐさの方に常葉はかっとなった。なかば自棄糞で胸倉にむしゃぶりつこうとした。相手の肘がこちらの水月に入る。それと同時にこちらの頭突きが相手の喉元に入った。そのまま団子になって、座っていた縁側から転げ落ちた。砂埃が口に入ってじゃりじゃりと鳴る。そこに血の味がするのは最初の一撃で口の中を切ったからだろう。転がって、転がって、その間に更に肘だか膝だかを容赦なく貰い、こちらが無我夢中のまま叩きつけた両腕の下で相手は肺の中の息をすべて吐き出した。そのまま左手で喉首を押さえつける。上になったならば体格差で分があるのは常葉のほうだ。そのときにはもう、完全に頭に血がのぼっていた。口の中に鉄の味。頬の痺れたような痛み。己のものでない呻き声。掌の下に感ずる、喉笛の振動。そのとき己の喉からあふれでた叫びはどうしてか、野犬の遠吠えのようだった。 殴りつけた。 殴りつけた。 鈍い音がそのたびに響く。握り締めた己の拳が引く、その血の糸。瞼から流れ込む痛みは汗なのだろうか、血なのだろうか。視界が赤く染まっているのは極度の興奮のためかそれとも矢張り流れ込む血のせいなのか。振り上げる腕。振り下ろす腕。掌から伝わる衝撃、痛み。左手でおさえつけた喉笛がごろごろと耳障りに鳴った。呼吸を欲してその左手を引き剥がそうと両手の爪が立てられる。醜い親指の爪。日々弓を引く者の握力と指の力は尋常ではなく、手首に赤い溝を刻み、血の雫をこぼしながら、ぎりぎりと指の一本一本をこじ入れてゆく。 左手の力が知らず緩んだ。その瞬間とあわせ、上になった常葉の下腹に力の限り蹴り上げられた爪先が入った。体が衝撃に跳ね上がる。体勢が崩れる。悪足掻きに、力任せに掴んだ髪の束は幾本かが千切れ、幾本かが抜け、大部分が手の中に残った。それを引き寄せようとする。逆に引き離そうとする動きにひきずられ、両者ともに転がる。じつに中途半端な、横臥した六道の胸のうえにこちらの頭だけが載っているような体勢になった。 そこからさらに殴り合うには、すでに双方、どうしようもなく体力を消耗し過ぎていた。何度息をしても呼吸が整わない。先刻まで喉笛を押さえられていた六道は息も絶え絶えに、ひゅうひゅうと風の音の鳴る喉からかろうじて呼吸を繋いでいた。今更のように、常葉のはじめに殴られた頬が痛み出す。口の中がごろごろする。舌先でまさぐると歯の一本が折れているのが判った。瞼の一方が腫れあがり始め、前がよく見えない。 「なんでなんだよ」 声が、そうきこえる。己の声だと、常葉がそう気付くまでややあった。腫れ上がった舌と切れた唇で喋るせいか、まるでいつもの己の声のようではない。他人の声のようだと思った。情けない、濁った声だと、他人事のように思った。語尾が判然とせず、ひどく気弱な響きだった。 「……なんでなんだよ」 己の意思に反し、視界が勝手に滲んでゆくのが判った。傷のせいだと思った。瞼の上が切れているせいだ、落ちる時にぶつけて切りでもした傷から目に血が入るせいだ、それで勝手に涙が出る。血が混じってうす赤く、頬から水平に流れ落ちて、いままで、ついさっきまで、容赦も加減もぜんぶ忘れて殴り合っていた相手の単に染みを作る。 六道がそれを聞いていることは、切れ切れの息の間からかろうじて呟く、殆ど聞き取れぬような小声で知れた。不貞腐れた子どものような呟きだった。 知るものか。 知るものか、そんなこと。 神でも仏でもあるまいに、なんでこの俺が知ろうかよ。 ◇◇◇◇ 家族に手をあげたことは、これが初めてだった。 それは指導のときから手合せとして、六角棒と刃を潰した槍で打ち合うことならば数え切れぬほどしたし、悪戯を見咎めて尻をぶったこともある相手である。しかしそこには理屈があり道理があった。それらを外して六道が手をあげたことなど一度もない。金輪際ない。己に、このような暴挙に走る度胸があるとさえ思っていなかったのだ。理屈がなくば、さしのべられた手さえ握り返せぬ意気地なしだと、六道は己をそう知っていた。このような壮絶な殴り合いをするときが来るなど、一瞬前まで予想もしていなかった。手をあげた瞬間、その刹那でさえ思ってもいなかったのだ。それだけは確かだ。そう思い返すかれの、横臥した胸のうえに常葉はぐったりと頭をあずけている。 しばらくは首が据わらぬだろう。殴ったときの感じから察して、首の筋くらいいかれたかもしれぬ。そこからこぼれる、血とまじりあった涙のしずくが、ほつほつと暖かい。それと同時に、胸郭のうえに載せられた頭の重みで肋がぎしぎしと軋んでもいる。肋骨は今まで何度かやったことがある、この分では骨折まではいかないだろうが罅のひとつふたつは間違いない。頭蓋の重みの御蔭でその箇所が痛むのだ。 のろのろと両手を掲げる。あらためて確かめると、左手の人差指と右手の小指の爪がまるごとそっくり剥げていた。道理でひりひりとしつこい痛み方をすると思った。人の罅割れた肋骨の上、その罅を入れた常葉はすっかり腫れあがった貌ですすり泣いている。涙で声が情けなく濁っている。 なんでなんだよ。 そう問われ、知るものか。と六道はまた思った。知りたいのは俺だ、とも思った。そうして、続けられた言葉に絶句した。 「んで、わかってねえんだよ。……あんた辛いんだろうが、」 辛いんだろうが。辛いんだよ。 そればかりを繰り返し、又泣き始める声を呆然と聞いていた。 つらい? 俺が? 「そんな莫迦な。」 思わず知らず、本音がこぼれた。 そんな莫迦なことがあるものか。 つらいのはおまえだ。片割れをなくした、おまえの筈なのだ。 簾の向こうを見るのが厭だった。 仕事をして、それを終えても声が聞こえぬのが厭だった。 見れば必ず探してしまうことはわかっていて、だから厭だった。 そうしてついぞ、それが辛いというものだとは思わなかった。厭なのだと、ただ厭なのだと、そう信じて疑わなかったのだ。 見ればそこに彼女の不在を知らねばならぬ。夕日に照らされた、空の背中を見ねばならぬ。ひろやかな背を所在無くまるめている片割れに、彼女が寄り添うことは二度とない。もう、二度とありはしないのだと。 ――ああ、 そうしてかれは、己の暴挙の由縁を思い知る。 俺は、この男を殺したかったのだ。また再び奪われる前に、この手で止めを刺したかったのだ。にくしみに似たこの心で殺したかったのだ。 奪われるのは厭なのだ。 置いていかれるのは厭なのだ。 今まで何度でも、そう叫びたかったのだ。この手をすりぬけてゆく何かに、人の知らざる無辺へとゆく何ものかに、何度も何度でも、そう叫びたかったのだ。 これは辛いというのだろうか。辛いと呼ぶことが許されるのだろうか。 そう思い、しかしかれはその思いに目を閉ざし、首を振った。 辛いのではない。 ただ、厭なのだ。ただ、ひたすらに厭なのだ。今、この胸に頭をのせてむせぶ双子の片割れの、この空っぽの背なを見ることが。その場所にもう誰も座ることができぬという、この事実が。 二人、どちらもまだ動けそうにない。呼吸をするにも、肺が、刺すように痛む。空の背をまるめ、己の胸のうえですすり泣く声が聞こえる。夏の空があざやかな緋色に染まり、日が暮れようとしていた。 |